2018年2月19日月曜日

10 frases para conocer el pensamiento del filósofo Gottfried Leibniz

10 frases para conocer el pensamiento del filósofo Gottfried Leibniz

Gottfried Leibniz, nació en 1646 en Leipzig, Alemania, y realizó grandes aportaciones a la filosofía, las matemáticas, el derecho y la política. Considerado como uno de los personajes más estudiosos de la historia, abordó cuestiones sobre el mundo, Dios, la naturaleza y el alma humana. Destacan, entre sus labores, la invención del sistema binario, el cálculo infinitesimal o el reconocimiendo de China y su filosofía.
 
A través de algunas de sus frases más destacadas se puede conocer su pensamiento:

Frases de Leibniz

  • “En el ámbito del espíritu, busca la claridad; en el mundo material, busca la utilidad.”
  • “Sostengo que los hombres podrían ser incomparablemente más felices de lo que son, y que podrían, en poco tiempo, realizar grandes progresos en incrementar su felicidad, si estuviesen dispuestos a hacer lo que deben. Tenemos a la disposición medios excelentes para hacer en 10 años más de lo que se podría hacer en varios siglos sin ellos, si nos entregamos a hacer de ellos lo mejor posible, y no hacer nada más excepto lo que se debe hacer.”
  • “Sobre las cosas que no se conocen siempre se tiene mejor opinión.”
  • “Amar es encontrar en la felicidad de otro tu propia felicidad.”
  • “El alma es el espejo de un universo indestructible.”
  • “Es una de mis más importantes y mejor verificadas máximas el que la naturaleza no realiza saltos. A esto lo he denominado la ley de la continuidad.”
  • “Estoy convencido de que el conocimiento no escrito disperso entre hombres de diferentes vocaciones sobrepasa en cantidad y en importancia a todo lo que encontramos en los libros” y que la mayor parte de nuestra riqueza aún no se ha registrado.”
  • “Lo que llamamos “casualidad” no es más que la ignorancia de las causas físicas.”
  • “Existen dos tipos de verdades: Las verdades de la razón y las verdades de hecho.”
  • “Las verdades de la razón son necesarias y su opuesto es imposible: Las verdades de hecho son contingentes y su opuesto es posible.”
 
 
とても興味深く読みました:
 
再生核研究所声明3472017.1.17) 真実を語って処刑された者

まず歴史的な事実を挙げたい。Pythagoras、紀元前582年 - 紀元前496年)は、ピタゴラスの定理などで知られる、古代ギリシア数学者哲学者。彼の数学や輪廻転生についての思想はプラトンにも大きな影響を与えた。「サモスの賢人」、「クロトンの哲学者」とも呼ばれた(ウィキペディア)。辺の長さ1の正方形の対角線の長さが ル-ト2であることがピタゴラスの定理から導かれることを知っていたが、それが整数の比で表せないこと(無理数であること)を発見した弟子Hippasusを 無理数の世界観が受け入れられないとして、その事実を隠したばかりか、その事実を封じるために弟子を殺してしまったという。
また、ジョルダーノ・ブルーノ(Giordano Bruno, 1548年 - 1600年2月17日)は、イタリア出身の哲学者ドミニコ会修道士。それまで有限と考えられていた宇宙が無限であると主張し、コペルニクス地動説を擁護した。異端であるとの判決を受けても決して自説を撤回しなかったため、火刑に処せられた。思想の自由に殉じた殉教者とみなされることもある。彼の死を前例に考え、轍を踏まないようにガリレオ・ガリレイは自説を撤回したとも言われる(ウィキペディア)。

さらに、新しい幾何学の発見で冷遇された歴史的な事件が想起される:
非ユークリッド幾何学の成立
ニコライ・イワノビッチ・ロバチェフスキーは「幾何学の新原理並びに平行線の完全な理論」(1829年)において、「虚幾何学」と名付けられた幾何学を構成して見せた。これは、鋭角仮定を含む幾何学であった。
ボーヤイ・ヤーノシュは父・ボーヤイ・ファルカシュの研究を引き継いで、1832年、「空間論」を出版した。「空間論」では、平行線公準を仮定した幾何学(Σ)、および平行線公準の否定を仮定した幾何学(S)を論じた。更に、1835年「ユークリッド第 11 公準を証明または反駁することの不可能性の証明」において、Σ と S のどちらが現実に成立するかは、如何なる論理的推論によっても決定されないと証明した(ウィキペディア)。

知っていて、科学的な真実は人間が否定できない事実として、刑を逃れるために妥協したガリレオ、世情を騒がせたくない、自分の心をそれ故に乱したくない として、非ユークリッド幾何学について 相当な研究を進めていたのに 生前中に公表をしなかった数学界の巨人 ガウスの処世を心に留めたい。
ピタゴラス派の対応、宗教裁判における処刑、それらは、真実よりも権威や囚われた考えに固執していたとして、誠に残念な在り様であると言える。非ユークリッド幾何学の出現に対する風潮についても2000年間の定説を覆す事件だったので、容易には理解されず、真摯に新しい考えの検討すらしなかったように見える。
真実を、真理を求めるべき、数学者、研究者、宗教家のこのような態度は相当根本的におかしいと言わざるを得ない。実際、人生の意義は帰するところ、真智への愛にあるのではないだろうか。本当のこと、世の中のことを知りたいという愛である。顕著な在り様が研究者や求道者、芸術家達ではないだろうか。そのような人たちの過ちを省みて自戒したい: 具体的には、

1)  新しい事実、現象、考え、それらは尊重されるべきこと。多様性の尊重。
2)  従来の考えや伝統に拘らない、いろいろな考え、見方があると柔軟に考える。
3)  もちろん、自分たちの説に拘ったりして、新しい考え方を排除する態度は恥ずべきことである。どんどん新しい世界を拓いていくのが人生の基本的な在り様であると心得る。
4)  もちろん、自分たちの流派や組織の利益を考えて新規な考えや理論を冷遇するのは真智を愛する人間の恥である。
5)  巨人、ニュートンとライプニッツの微積分の発見の先取争いに見られるような過度の競争意識や自己主張は、浅はかな人物に当たるとみなされる。真智への愛に帰するべきである。

数学や科学などは 明確に直接個々の人間にはよらず、事実として、人間を離れて存在している。従って無理数も非ユークリッド幾何学も、地球が動いている事も、人間に無関係で そうである事実は変わらない。その意味で、多数決や権威で結果を決めようとしてはならず、どれが真実であるかの観点が決定的に大事である。誰かではなく、真実はどうか、事実はどうかと真摯に、真理を追求していきたい。
人間が、人間として生きる究極のことは、真智への愛、真実を知りたい、世の中を知りたい、神の意思を知りたいということであると考える。 このような観点で、上記世界史の事件は、人類の恥として、このようなことを繰り返さないように自戒していきたい(再生核研究所声明 41(2010/06/10): 世界史、大義、評価、神、最後の審判)。

以 上
再生核研究所声明3432017.1.10)オイラーとアインシュタイン

世界史に大きな影響を与えた人物と業績について

再生核研究所声明314(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ニュートンとダーウィンについて
再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学
再生核研究所声明339(2016.12.26)インドの偉大な文化遺産、ゼロ及び算術の発見と仏教

で 触れてきたが、興味深いとして 続けて欲しいとの希望が寄せられた。そこで、ここでは、数学界と物理学界の巨人 オイラーとアインシュタインについて触れたい。

オイラーが膨大な基本的な業績を残され、まるでモーツァルトのように 次から次へと数学を発展させたのは驚嘆すべきことであるが、ここでは典型的で、顕著な結果であるいわゆるオイラーの公式 e^{\pi i} = -1 を挙げたい。これについては相当深く纏められた記録があるので参照して欲しい(
)。この公式は最も基本的な数、-1,\pi, e,i の簡潔な関係を確立しており、複素解析や数学そのものの骨格の中枢の関係を与えているので、世界史への甚大なる影響は歴然である ― オイラーの公式 (e ^{ix} = cos x + isin x) を一般化として紹介できます。 そのとき、数と角の大きさの単位の関係で、神は角度を数で測っていることに気付く。左辺の x は数で、右辺の x は角度を表している。それらが矛盾なく意味を持つためには角は、角の 単位は数の単位でなければならない。これは角の単位を 60 進法や 10 進法などと勝手に決められないことを述べている。ラジアンなどの用語は不要であることが分かる。これが神様方式による角の単位です。角の単位が数ですから、そして、数とは複素数ですから、複素数 の三角関数が考えられます。cos i も明確な意味を持ちます。このとき、たとえば、純虚数の 角の余弦関数が電線をぶらりとたらした時に描かれる、けんすい線として、実際に物理的に 意味のある美しい関数を表現します。そこで、複素関数として意味のある雄大な複素解析学 の世界が広がることになる。そしてそれらは、数学そのものの基本的な世界を構成すること になる。自然の背後には、神の設計図と神の意思が隠されていますから、神様の気持ちを理解し、 また神に近付くためにも、数学の研究は避けられないとなると思います。数学は神学そのものであると私は考える。オイラーの公式の魅力は千年や万年考えても飽きることはなく、数学は美しいとつぶやき続けられる。― 特にオイラーの公式は、言わば神秘的な数、虚数i、―1, e、\pi などの明確な意味を与えた意義は 凄いこととであると驚嘆させられる。
次に アインシュタインであるが、いわゆる相対性理論として、物理学界の最高峰に存在するが、アインシュタインの公式 E=mc^2 は素人でもびっくりする 簡潔で深い結果である。何と物質エネルギーと等式で結ばれるという。このような公式の発見は人類の名誉に関わる基本的な結果と考えられる。アインシュタインが、時間、空間、物質、エネルギー、光速の基本的な関係を確立し、現代物理学の基礎を確立している。
ところで、上記巨人に共通する面白い話題が存在する。 オイラーがゼロ除算を記録に残し 1/0=\infty と記録し、広く間違いとして指摘されている。 他方、 アインシュタインは次のように述べている:

Blackholes are where God divided by zero. I don't believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} (
Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970).

今でも、この先を、特に特殊相対性理論との関係で 0/0=1 であると頑強に主張したり、想像上の数と考えたり、ゼロ除算についていろいろな説が存在して、混乱が続いている。
しかしながら、ゼロ除算については、決定的な結果を得た と公表している。すなわち、分数、割り算は自然に一意に拡張されて、 1/0=0/0=z/0=0 である。無限遠点は 実はゼロで表される:

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:

Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue  1, 2017), 1-16. 
http://www.scirp.org/journal/alamt   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
Announcement 326: The division by zero z/0=0/0=0 - its impact to human beings through education and research
以 上

 
再生核研究所声明 414(2018.2.14): 第1回ゼロ除算研究集会基調講演要旨
日時:2018.3.15(木曜日) 11:00  - 15:00 場所: 群馬大学大学院 理工学府
ゼロで割る問題 例えば100/0の意味、 ゼロ除算は インドで628年ゼロの発見以来の問題として、神秘的な歴史を辿って来ていて、最近でも大論文がおかしな感じで発表されている。ゼロ除算は 物理的には アリストテレスが 最初に不可能であると専門家が論じていて、それ以来物理学上での問題意識は強く、アインシュタインの人生最大の関心事であったという。ゼロ除算は数学的には 不可能であるとされ、数学的ではなく、物理学上の問題とゼロ除算が計算機障害を起こすことから、論理的な回避を目指して、今なお研究が盛んに進められている。
しかるに、我々は約4年前に全く、自然で簡単な 数学的に完全である と考えるゼロ除算を発見して現在、全体の様子が明かに成って来た。そこで、ゼロ除算を歴史的に振り返り、我々の発見した新しい数学を紹介したい。

まず、歴史、結果と、結果の意義と意味、を簡潔に 誰にでも分かるように解説したい。
簡単な結果が、アリストテレス、ユークリッド以来の 我々の空間の認識を変える、実は新しい世界を拓いていること。それらを実証するための 具体例を沢山挙げる。我々の空間の認識は 2000年以上 適切ではなく、したがって 初等数学全般に欠陥があることを 沢山の具体例で示す。
ゼロ除算は新しい世界を拓いており、この分野の研究を進め、世界史に貢献する意志を持ちたい。
尚、ゼロおよび算術の確立者 Brahmagupta (598 -668 ?) は1300年以上も前に、0/0=0 と定義していたのに、世界史は それは間違いであるとしてきた、数学界と世界史の恥を反省して、世界史の進化を図りたい。

以 上

再生核研究所声明 415(2018.2.19):  数学の進化は単調か、進化と衰退
数学とは ある仮定系を基礎(公理系)に論理的に導かれる関係達の集まりである(No.81, May 2012 (pdf 432kb) www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf)。数学者はそれゆえに導かれている結果、関係から、新しい関係を導く活動を 研究と称して行っていると言える。分かり易い問題意識は、提起された予想や問題を解決することであるが、それらさえ関係をキチンと確立させることであると表現される。
例えばリーマン予想やフェルマー予想等は歴史的に有名であり、 ピタゴラスの定理やオイラーの公式は基本的で美しい関係式として有名である。数学を進化させる原動力であるが、命題、定理の一般化や精密化なども分かり易い数学の研究姿勢である。 今までの定理を含むような結果は進化した結果であり、知られている関係の詳しい関係の発見も分かり易い数学の進化である。しかしながら、ある分科で一般化、精密化が極端に進めば、理解できる者は限られ、興味関心を抱く者も極端に少なくなり、世の中との関係も薄くなってしまい、 それらの意味は どれほどかと問われる程に成る。 それらの分科から少しずれた人たちは興味も関心も抱かず、 得られたり 論じている世界さえ理解できなくなってしまう。 多くの人は、そのような理論には、興味も関心もないと思ってしまう。そうなれば、数学のそのような状態は衰退した末期的状況と言えるだろう。
その様な数学の姿は 生物の生体のように、誕生の鮮やかさ、成長期のみずみずしさ、衰退期などと同じようにみられる。
人生70年くらいのスパンで見れば、 ある分野の数学の華やかさと衰退そしてほとんど関心がもたれなくなる姿を見ることになる。そのような観点から、永い時代愛されてきた結果は 基本的で衰退することはなく、本質的な結果として時代を超えて存在し、愛されるものになるだろう。それらを表現する言葉は、基本的である、美しい、影響力のある結果であると纏められよう。
数学の質の高い研究として 概念の創造、関係そのものの定義について触れて置こう。微分の概念、積分の概念、勾配の概念、群の概念、位相の概念などなどである。それらの概念の発見は、既に新しい数学の始めであるから、数学の芽のようなもので、基本であればそれだけ価値あるものになる。多くの場合、物理や自然現象からそのような概念が生まれた経緯に注目して置きたい。概念の分かり易い表現は名付けることである。子供が誕生したり、新しい星や島を発見したら命名するようにである。
声明の表題の趣旨は 何事成長の様は単調ではなく、大きな視野を持って研究の状況の判断を行うことの重要性を指摘し、絶えず新しい芽を探し、待つ心のゆとりが大事であることを指摘することである。成果主義の煽りで、成果を急ぎ過ぎて形式的な抹消の研究に囚われ過ぎてしまう危険な世相の時代ではないだろうか。 形式的な評価、数値の量に囚われた実の無い研究の空しい時代の観がしないだろうか。 研究には余裕、楽しみ、本質を求める精神が大事ではないだろうか。 最近 岡潔氏の話題が多いが、岡氏のようには 普通はなれず、そのようには研究者としては生きていけないから、まねることは良くなく、何事ほどほどが大事で、いろいろな在りようも尊重されるべきである。しかしながら、岡氏のよう人物も大事に育てる文化を持つことも 大事ではないだろうか。天才の育成も、平凡な数学者も、数学愛好者の育成もそれぞれに大事ではないだろうか。 高い山は、大きな裾野が広がってこそ有り得る。多様な世界は偉大なる世界であり、人間存在の価値を高める原理である。
ところで、衰退であるが、国家が衰退したり、生物が病的に衰退するように、もともとの発祥の動機、育成のみずみずしさを失い、それらの周辺におかしな在りようが蔓延して 本末転倒なような状況が増大すれば、学問の在り様などもおかしくなって急激に衰退するのではないだろうか。 大学は何をするところかと問うた言葉が想起させられる。何の為の数学か、何のための数学教育かと絶えず自戒して行きたい。疑問を抱いたり、疑ったり、考えたりしてはいけない、と教育の場で指導された生徒の不満の声も結構多い世相はないだろうか。この観点から、
しかしながら、1300年以上に亘って、算術の創始者が0/0は0であると定義していたものを それは間違いであると言ってきた世界の数学界は 相当おかしく、世界の数学界の恥ではないだろうか。
と 繰り返し述べてきた。 数学界のゼロ除算思考停止は 数学界がマインドコントロールされているように現在でも世界の大勢である状況にあると言える。
そこで、我々のゼロ除算についての考えは真実か否か、広く内外の関係者に意見を求めている。関係情報はどんどん公開している。次も参照:
再生核研究所声明 402(2017.11.19): 研究進めるべきか否か - 数学の発展
再生核研究所声明 408(2018.1.25):  数学を越えて ― 価値あるものとは
以 上


0 件のコメント:

コメントを投稿