もしも江戸時代にノーベル賞があったなら...
BOOKウォッチ編集部コメント
江戸から明治へのスムーズな移行と、その後の日本の爆発的な発展は、江戸時代に蓄えた「ストック」が後押ししたといわれる。その証拠としてしばしば語られるのは、幕末から明治初期の万博だ。まだ文明開化の前だったが、日本からの出品物は技術力、文化力の高さで西欧の人々を驚かせ、ジャポニズム=日本ブームのきっかけになったという。
本書『江戸時代のハイテク・イノベーター』(言視舎)は、江戸時代に主に独自の研究で、高いレベルの技術開発や発見を成功していた「先駆的イノベーター」を紹介したものだ。
「土木・数学・天文・暦・地理」「生物・本草・植物・医学」など4つのジャンルの24人が登場する。あまりにも有名な関孝和、伊能忠敬、青木昆陽、平賀源内、二宮忠八などのほかに初めて目にする名前も少なくない。それだけ特定の分野で画期的な仕事をした人が少なくなかったということだろう。
一般に江戸時代は鎖国で海外情報が遮断されていたと思われがちだが、よく知られているように、長崎ではオランダや中国との窓が開かれていた。朝鮮通信使との交流もあった。江戸でも新井白石など一部の学者は海外に目を向けていた。八代将軍の吉宗の時代になると、蘭学研究が命じられ、洋書輸入も一部解禁されていたという。蘭学者は次々に私塾で教えるようになり、向学心がある若者は、それなりに新しい知識を知ることができたようだ。シーボルトの果たした役割も大きい。
しかしながら、そうした新知識の到来は、あくまで限定的なもので、本書によれば、かなり断片的な資料や情報から、日本側が独自に考えなければならないことが多かったという。そういう制約の中で江戸時代のイノベーターたちは独自のアイデアをもとに工夫を重ね、平賀源内の「エレキテル」などは、当時の世界レベルで比較しても、相当に優れており、「発明」といえるほどのものだったという。日本人ノーベル賞の原点に位置する人かもしれない。
本書は企業で技術者として働いている人たちがそれぞれの見聞などを広げるために始めた「NPOテクノ未来塾」の活動から生まれた。日本の技術の歴史をたどる中で、明治の産業遺産などの前に江戸の技術があることを再認識し、ゆかりの場所なども訪ね、先駆者たちの姿を分かりやすく知るためのガイドブックとしてまとめた。写真や図も豊富に掲載されている。理系だけでなく文系の人にも新鮮な発見がある本だ。巻末に執筆を担当した15人のプロフィールが紹介されている。https://www.j-cast.com/bookwatch/2018/02/19006919.html
とても興味深く読みました:ゼロ除算の発見4周年超えました:
再生核研究所声明 415(2018.2.19): 数学の進化は単調か、進化と衰退
数学とは ある仮定系を基礎(公理系)に論理的に導かれる関係達の集まりである(No.81, May 2012 (pdf 432kb) www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf)。数学者はそれゆえに導かれている結果、関係から、新しい関係を導く活動を 研究と称して行っていると言える。分かり易い問題意識は、提起された予想や問題を解決することであるが、それらさえ関係をキチンと確立させることであると表現される。
例えばリーマン予想やフェルマー予想等は歴史的に有名であり、 ピタゴラスの定理やオイラーの公式は基本的で美しい関係式として有名である。数学を進化させる原動力であるが、命題、定理の一般化や精密化なども分かり易い数学の研究姿勢である。 今までの定理を含むような結果は進化した結果であり、知られている関係の詳しい関係の発見も分かり易い数学の進化である。しかしながら、ある分科で一般化、精密化が極端に進めば、理解できる者は限られ、興味関心を抱く者も極端に少なくなり、世の中との関係も薄くなってしまい、 それらの意味は どれほどかと問われる程に成る。 それらの分科から少しずれた人たちは興味も関心も抱かず、 得られたり 論じている世界さえ理解できなくなってしまう。 多くの人は、そのような理論には、興味も関心もないと思ってしまう。そうなれば、数学のそのような状態は衰退した末期的状況と言えるだろう。
その様な数学の姿は 生物の生体のように、誕生の鮮やかさ、成長期のみずみずしさ、衰退期などと同じようにみられる。
人生70年くらいのスパンで見れば、 ある分野の数学の華やかさと衰退そしてほとんど関心がもたれなくなる姿を見ることになる。そのような観点から、永い時代愛されてきた結果は 基本的で衰退することはなく、本質的な結果として時代を超えて存在し、愛されるものになるだろう。それらを表現する言葉は、基本的である、美しい、影響力のある結果であると纏められよう。
数学の質の高い研究として 概念の創造、関係そのものの定義について触れて置こう。微分の概念、積分の概念、勾配の概念、群の概念、位相の概念などなどである。それらの概念の発見は、既に新しい数学の始めであるから、数学の芽のようなもので、基本であればそれだけ価値あるものになる。多くの場合、物理や自然現象からそのような概念が生まれた経緯に注目して置きたい。概念の分かり易い表現は名付けることである。子供が誕生したり、新しい星や島を発見したら命名するようにである。
声明の表題の趣旨は 何事成長の様は単調ではなく、大きな視野を持って研究の状況の判断を行うことの重要性を指摘し、絶えず新しい芽を探し、待つ心のゆとりが大事であることを指摘することである。成果主義の煽りで、成果を急ぎ過ぎて形式的な抹消の研究に囚われ過ぎてしまう危険な世相の時代ではないだろうか。 形式的な評価、数値の量に囚われた実の無い研究の空しい時代の観がしないだろうか。 研究には余裕、楽しみ、本質を求める精神が大事ではないだろうか。 最近 岡潔氏の話題が多いが、岡氏のようには 普通はなれず、そのようには研究者としては生きていけないから、まねることは良くなく、何事ほどほどが大事で、いろいろな在りようも尊重されるべきである。しかしながら、岡氏のよう人物も大事に育てる文化を持つことも 大事ではないだろうか。天才の育成も、平凡な数学者も、数学愛好者の育成もそれぞれに大事ではないだろうか。 高い山は、大きな裾野が広がってこそ有り得る。多様な世界は偉大なる世界であり、人間存在の価値を高める原理である。
ところで、衰退であるが、国家が衰退したり、生物が病的に衰退するように、もともとの発祥の動機、育成のみずみずしさを失い、それらの周辺におかしな在りようが蔓延して 本末転倒なような状況が増大すれば、学問の在り様などもおかしくなって急激に衰退するのではないだろうか。 大学は何をするところかと問うた言葉が想起させられる。何の為の数学か、何のための数学教育かと絶えず自戒して行きたい。疑問を抱いたり、疑ったり、考えたりしてはいけない、と教育の場で指導された生徒の不満の声も結構多い世相はないだろうか。この観点から、
しかしながら、1300年以上に亘って、算術の創始者が0/0は0であると定義していたものを それは間違いであると言ってきた世界の数学界は 相当おかしく、世界の数学界の恥ではないだろうか。
と 繰り返し述べてきた。 数学界のゼロ除算思考停止は 数学界がマインドコントロールされているように現在でも世界の大勢である状況にあると言える。
そこで、我々のゼロ除算についての考えは真実か否か、広く内外の関係者に意見を求めている。関係情報はどんどん公開している。次も参照:
再生核研究所声明 402(2017.11.19): 研究進めるべきか否か - 数学の発展
再生核研究所声明 408(2018.1.25): 数学を越えて ― 価値あるものとは
以 上
再生核研究所声明 411(2018.02.02): ゼロ除算発見4周年を迎えて
ゼロ除算100/0=0を発見して、4周年を迎える。 相当夢中でひたすらに その真相を求めてきたが、一応の全貌が見渡せ、その基礎と展開、相当先も展望できる状況になった。論文や日本数学会、全体講演者として招待された大きな国際会議などでも発表、著書原案154ページも纏め(http://okmr.yamatoblog.net/)基礎はしっかりと確立していると考える。数学の基礎はすっかり当たり前で、具体例は700件を超え、初等数学全般への影響は思いもよらない程に甚大であると考える: 空間、初等幾何学は ユークリッド以来の基本的な変更で、無限の彼方や無限が絡む数学は全般的な修正が求められる。何とユークリッドの平行線の公理は成り立たず、すべての直線は原点を通るというが我々の数学、世界であった。y軸の勾配はゼロであり、\tan(\pi/2) =0 である。 初等数学全般の修正が求められている。
数学は、人間を超えたしっかりとした論理で組み立てられており、数学が確立しているのに今でもおかしな議論が世に横行し、世の常識が間違っているにも拘わらず、論文発表や研究がおかしな方向で行われているのは 誠に奇妙な現象であると言える。ゼロ除算から見ると数学は相当おかしく、年々間違った数学やおかしな数学が教育されている現状を思うと、研究者として良心の呵責さえ覚える。
複素解析学では、無限遠点はゼロで表されること、円の中心の鏡像は無限遠点では なくて中心自身であること、ローラン展開は孤立特異点で意味のある、有限確定値を取ることなど、基本的な間違いが存在する。微分方程式などは欠陥だらけで、誠に恥ずかしい教科書であふれていると言える。 超古典的な高木貞治氏の解析概論にも確かな欠陥が出てきた。勾配や曲率、ローラン展開、コーシーの平均値定理さえ進化できる。
ゼロ除算の歴史は、数学界の避けられない世界史上の汚点に成るばかりか、人類の愚かさの典型的な事実として、世界史上に記録されるだろう。この自覚によって、人類は大きく進化できるのではないだろうか。
そこで、我々は、これらの認知、真相の究明によって、数学界の汚点を解消、世界の文化への貢献を期待したい。
ゼロ除算の真相を明らかにして、基礎数学全般の修正を行い、ここから、人類への教育を進め、世界に貢献することを願っている。
ゼロ除算の発展には 世界史がかかっており、数学界の、社会への対応をも 世界史は見ていると感じられる。 恥の上塗りは世に多いが、数学界がそのような汚点を繰り返さないように願っている。
人の生きるは、真智への愛にある、すなわち、事実を知りたい、本当のことを知りたい、高級に言えば神の意志を知りたいということである。そこで、我々のゼロ除算についての考えは真実か否か、広く内外の関係者に意見を求めている。関係情報はどんどん公開している。
4周年、思えば、世の理解の遅れも反映して、大丈夫か、大丈夫かと自らに問い、ゼロ除算の発展よりも基礎に、基礎にと向かい、基礎固めに集中してきたと言える。それで、著書原案ができたことは、楽しく充実した時代であったと喜びに満ちて回想される。
以 上
List of division by zero:
\bibitem{os18}
H. Okumura and S. Saitoh,
Remarks for The Twin Circles of Archimedes in a Skewed Arbelos by H. Okumura and M. Watanabe, Forum Geometricorum.
Saburou Saitoh, Mysterious Properties of the Point at Infinity、
arXiv:1712.09467 [math.GM]
arXiv:1712.09467 [math.GM]
Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
The Descartes circles theorem and division by zero calculus. 2017.11.14
L. P. Castro and S. Saitoh, Fractional functions and their representations, Complex Anal. Oper. Theory {\bf7} (2013), no. 4, 1049-1063.
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on $100/0=0$ and on $0/0=0$, Int. J. Appl. Math. {\bf 27} (2014), no 2, pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.
T. Matsuura and S. Saitoh,
Matrices and division by zero z/0=0,
Advances in Linear Algebra \& Matrix Theory, 2016, 6, 51-58
Published Online June 2016 in SciRes. http://www.scirp.org/journal/alamt
\\ http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007.
T. Matsuura and S. Saitoh,
Division by zero calculus and singular integrals. (Submitted for publication).
T. Matsuura, H. Michiwaki and S. Saitoh,
$\log 0= \log \infty =0$ and applications. (Differential and Difference Equations with Applications. Springer Proceedings in Mathematics \& Statistics.)
H. Michiwaki, S. Saitoh and M.Yamada,
Reality of the division by zero $z/0=0$. IJAPM International J. of Applied Physics and Math. 6(2015), 1--8. http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
H. Michiwaki, H. Okumura and S. Saitoh,
Division by Zero $z/0 = 0$ in Euclidean Spaces,
International Journal of Mathematics and Computation, 28(2017); Issue 1, 2017), 1-16.
H. Okumura, S. Saitoh and T. Matsuura, Relations of $0$ and $\infty$,
Journal of Technology and Social Science (JTSS), 1(2017), 70-77.
S. Pinelas and S. Saitoh,
Division by zero calculus and differential equations. (Differential and Difference Equations with Applications. Springer Proceedings in Mathematics \& Statistics).
S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in Linear Algebra \& Matrix Theory. {\bf 4} (2014), no. 2, 87--95. http://www.scirp.org/journal/ALAMT/
S. Saitoh, A reproducing kernel theory with some general applications,
Qian,T./Rodino,L.(eds.): Mathematical Analysis, Probability and Applications - Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China, Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, {\bf 177}(2016), 151-182. (Springer) .
再生核研究所声明371(2017.6.27)ゼロ除算の講演― 国際会議 https://sites.google.com/site/sandrapinelas/icddea-2017 報告
ゼロ除算については、既に相当な世界を拓いていると考えるが、世の理解を求めている状況下で、理解と評価、反響にも関心がある:
ゼロ除算は 物理学を始め、広く自然科学や計算機科学への大きな影響があり、さらに哲学、宗教、文化への大きな影響がある。しかしながら、ゼロ除算の研究成果を教科書、学術書に遅滞なく取り入れていくことは、真智への愛、真理の追究の表現であり、四則演算が自由にできないとなれば、数学者ばかりではなく、人類の名誉にも関わることである。実際、ゼロ除算の歴史は 止むことのない闘争の歴史とともに人類の恥ずべき人類の愚かさの象徴となるだろう。世間ではゼロ除算について不適切な情報が溢れていて 今尚奇怪で抽象的な議論によって混乱していると言える。― 美しい世界が拓けているのに、誰がそれを閉ざそうと、隠したいと、無視したいと考えられるだろうか。我々は間違いを含む、不適切な数学を教えていると言える: ― 再生核研究所声明 41: 世界史、大義、評価、神、最後の審判 ―。
地動説のように真実は、実体は既に明らかである。 ― 研究と研究成果の活用の推進を 大きな夢を懐きながら 要請したい。 研究課題は基礎的で関与する分野は広い、いろいろな方の研究・教育活動への参加を求めたい。素人でも数学の研究に参加できる新しい初歩的な数学を沢山含んでいる。ゼロ除算は発展中の世界史上の事件、問題であると言える (再生核研究所声明325(2016.10.14) ゼロ除算の状況について ー 研究・教育活動への参加を求めて)
そのような折り、ISAAC マカオ国際会議では、招待、全体講演を行い、ゼロ除算について、触れ、 論文も発表したものの(Qian,T./Rodino,L.(eds.): Mathematical Analysis, Probability and Applications -Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China. (Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, Vol. 177) Sep. 2016 305pp.(Springer) )
今回頭記の200名を超える大きな国際会議で、ゼロ除算と微分方程式について真正面からゼロ除算の成果を発表することができた。
ゼロ除算には、世界史と世界観がかかっているとの認識で、この国際会議を記念すべきものとするようにとの密かな望みを抱いて出席した。そこで、簡単に印象など記録として纏めて置きたい。
まずは、3日目 正規の晩餐会が開かれる恵まれた日に 最初に全体講演を行った。主催者の学生が多数出席されたり、軍の専属カメラマンが講演模様を沢山写真に収めていた。図版を用意し、大事な点はOHPで講演中図示していた。用意した原稿は良く見えるように配慮したので、全貌の理解は得られたものと考えられる。 結びには次のように述べ、示した。宣言文の性格を持たせるとの意思表示である:
{\bf The division by zero is uniquely and reasonably determined as $$1/0=0/0=z/0=0$$ in the natural extensions of fractions. \\
We have to change our basic ideas for our space and world.\\
We have to change our textbooks and scientific books on the division by zero.\\
Thank you for your attention.}
講演に対して、アラブ首長国の教授が、現代数学を破壊するので、全て認められないとの発言があった。後で、送迎中のバスの中で、とんちんかんな誤解をしている教授がいることが分かった。過去にも経験済みであるが、相当に二人共 感情的に見えた ― それはとんでもないという感じである。閉会式に参加者を代表して謝辞を述べられたギリシャの教授が、画期的な発見で、今回の国際会議の最大の話題であったと述べられたが、要点について話したところ、要点の全てについて深い理解をしていることが確認された。さらにゼロ除算の著書出版の具体的な計画を進めたいという、時宜を得た計画が相談の上、出来た。
そこで、講演原稿と図版を出席者たちにメールし、助言と意見を広く求めている。理解できないと述べられた人にも 要求に応じて送っているが、現在までのところ連絡、返答がない。
主催者から、50カ国以上から200名以上の出席者があったと述べられたが、そのような国際会議で、招待、全体講演を行うことができたのは 凄く記念すべきこととして、出版される会議録、論文集の出版に最善をつくし、交流ができた人々との交流を積極的に進めていきたい。尚、正規の日本人参加者は8名であった。
ゼロの発見国インドからは6名参加していたので、1300年も前に0/0=0が四則演算の創始者によって主張されていた事実を重要視してその状況を説明し、特に対話を深め、創始者に関する情報の収集についての協力をお願いした。ゼロ除算について理解した、分かったと繰り返し述べていたが、どうも感情が伴わず、心もとない感じであった。若いカナダの女性に印象を伺ったところ、沢山の具体例を挙げられたので、認めざるを得ない、内容や意義より驚きの感じで、それが講演に対する全体的な反響の状況を表していると考えられる。
歴史は未来によって作られる。今回の国際会議の意義は 今後の研究の進展で左右されるものと考える。しかしながら十分な記録は既に残されていると考えている。
以 上
再生核研究所声明 375 (2017.7.21):ブラックホール、ゼロ除算、宇宙論
本年はブラックホール命名50周年とされていたが、最近、wikipedia で下記のように修正されていた:
名称[編集]
"black hole"という呼び名が定着するまでは、崩壊した星を意味する"collapsar"[1](コラプサー)などと呼ばれていた。光すら脱け出せない縮退星に対して "black hole" という言葉が用いられた最も古い印刷物は、ジャーナリストのアン・ユーイング (Ann Ewing) が1964年1月18日の Science News-Letter の "'Black holes' in space" と題するアメリカ科学振興協会の会合を紹介する記事の中で用いたものである[2][3][4]。一般には、アメリカの物理学者ジョン・ホイーラーが1967年に "black hole" という名称を初めて用いたとされるが[5]、実際にはその年にニューヨークで行われた会議中で聴衆の一人が洩らした言葉をホイーラーが採用して広めたものであり[3]、またホイーラー自身は "black hole" という言葉の考案者であると主張したことはない[3]。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB
世界は広いから、情報が混乱することは よく起きる状況がある。ブラックホールの概念と密接な関係のあるゼロ除算の発見(2014.2.2)については、歴史的な混乱が生じないようにと 詳しい経緯、解説、論文、公表過程など記録するように配慮してきた。
ゼロ除算は簡単で自明であると初期から述べてきたが、問題はそこから生じるゼロ除算算法とその応用であると述べている。しかし、その第1歩で議論は様々でゼロ除算自身についていろいろな説が存在して、ゼロ除算は現在も全体的に混乱していると言える。インターネットなどで参照出来る膨大な情報は、我々の観点では不適当なものばかりであると言える。もちろん学術界ではゼロ除算発見後3年を経過しているものの、古い固定観念に囚われていて、新しい発見は未だ認知されているとは言えない。最近国際会議でも現代数学を破壊するので、認められない等の意見が表明された(再生核研究所声明371(2017.6.27)ゼロ除算の講演― 国際会議 https://sites.google.com/site/sandrapinelas/icddea-2017 報告)。そこで、初等数学から、500件を超えるゼロ除算の証拠、効用の事実を示して、ゼロ除算は確定していること、ゼロ除算算法の重要性を主張し、基本的な世界を示している。
ゼロ除算について、膨大な歴史、文献は、ゼロ除算が神秘的なこととして、扱われ、それはアインシュタインの言葉に象徴される:
Here, we recall Albert Einstein's words on mathematics:
Blackholes are where God divided by zero.
I don't believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} (Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970).
ところが結果は、実に簡明であった:
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world
しかしながら、ゼロ及びゼロ除算は、結果自体は 驚く程単純であったが、神秘的な新たな世界を覗かせ、ゼロ及びゼロ除算は一層神秘的な対象であることが顕になってきた。ゼロのいろいろな意味も分かってきた。 無限遠点における強力な飛び、ワープ現象とゼロと無限の不思議な関係である。アリストテレス、ユークリッド以来の 空間の認識を変える事件をもたらしている。 ゼロ除算の結果は、数理論ばかりではなく、世界観の変更を要求している。 端的に表現してみよう。 これは宇宙の生成、消滅の様、人生の様をも表しているようである。 点が球としてどんどん大きくなり、球面は限りなく大きくなって行く。 どこまで大きくなっていくかは、 分からない。しかしながら、ゼロ除算はあるところで突然半径はゼロになり、最初の点に帰するというのである。 ゼロから始まってゼロに帰する。 ―― それは人生の様のようではないだろうか。物心なしに始まった人生、経験や知識はどんどん広がって行くが、突然、死によって元に戻る。 人生とはそのようなものではないだろうか。 はじめも終わりも、 途中も分からない。 多くの世の現象はそのようで、 何かが始まり、 どんどん進み、そして、戻る。 例えばソロバンでは、願いましては で計算を始め、最後はご破産で願いましては、で終了する。 我々の宇宙も淀みに浮かぶ泡沫のようなもので、できては壊れ、できては壊れる現象を繰り返しているのではないだろうか。泡沫の上の小さな存在の人間は結局、何も分からず、われ思うゆえにわれあり と自己の存在を確かめる程の能力しか無い存在であると言える。 始めと終わり、過程も ようとして分からない。
ブラックホールとゼロ除算、ゼロ除算の発見とその後の数学の発展を眺めていて、そのような宇宙観、人生観がひとりでに湧いてきて、奇妙に納得のいく気持ちになっている。
以 上
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