2018年2月21日水曜日

ニュートン『プリンキピア』初版本抜粋を配布し物理学研究者の視点で解説。金沢工大が東京で科学技術講座

ニュートン『プリンキピア』初版本抜粋を配布し物理学研究者の視点で解説。金沢工大が東京で科学技術講座

2018年2月21日
 金沢工業大学
 「運動の三法則」や「万有引力の法則」で知られる
ニュートン『プリンキピア』原典初版本の抜粋を配布。
それを参照しながら物理学研究者の視点から解説します。
金沢工業大学が「原著から本質を学ぶ科学技術講座 第2回」を東京で開催
ニュートンは何を考え、何を語ったのか
~運動の三法則をプリンキピア原典初版本から学ぶ~
 3月24日(土)13時~16時
 金沢工業大学虎ノ門キャンパス
 金沢工業大学(学長 大澤敏)は、「原著から本質を学ぶ科学技術講座 第2回」を2018 年3 月24日(土) 13時から16時まで、金沢工業大学虎ノ門キャンパス(東京都港区愛宕1-3-4 愛宕東洋ビル13階)で開催します。当講座の東京での開催は今回が初めてです。
 講座のテーマは「ニュートンは何を考え、何を語ったのか~運動の三法則をプリンキピア原典初版本から学ぶ~」です。
当日は「運動の三法則」や「万有引力の法則」を執筆したアイザック・ニュートンの著書『プリンキピア(自然哲学の数学的原理)』原典初版本の抜粋を配布し、それを参照しながら物理学研究者の視点から金沢工業大学電気電子工学科 山口敦史教授が解説します。また金沢工業大学が所蔵する科学技術業績の初版本コレクションについて、金沢工業大学ライブラリーセンター館長 竺 覚暁教授が概説します。
 科学に興味のある方はどなたでも参加できます。受講料は税込5,400円。定員は80名(先着順)。
お申込締切は、3月16日(金)までです。お申込方法等、詳細は以下のwebページをご覧ください。
 【画像: http://prw.kyodonews.jp/img/201802211136-O1-GB0AHN8p 】
アイザック・ニュートン (1642-1727)
自然哲学の数学的原理(プリンキピア)
ロンドン, 1687年, 初版.
金沢工業大学所蔵http://www.sankeibiz.jp/business/news/180221/prl1802211340082-n1.htm

とても興味深く読みました:ゼロ除算の発見4周年超えました:


再生核研究所声明 382 (2017.9.11)  ニュートンを越える天才たちに-育成する立場の人に

次のような文書を残した: いま思いついたこと:ニュートンは偉く、ガウス、オイラーなども 遥かに及ばないと 何かに書いてあると言うのです。それで、考え、思いついた。 ガウス、オイラーの業績は とても想像も出来なく、如何に基本的で、深く、いろいろな結果がどうして得られたのか、思いもよらない。まさに天才である。数学界にはそのような天才が、結構多いと言える。しかるに、ニュートンの業績は 万有引力の法則、運動の法則、微積分学さえ、理解は常人でも出来き、多くの数学上の結果もそうである。しかるにその偉大さは 比べることも出来ない程であると表現されると言う。それは、どうしてであろうか。確かに世界への甚大な影響として 納得できる面がある。- 初めて スタンフォード大学を訪れた時、確かにニュートンの肖像画が 別格高く掲げられていたことが、鮮明に想い出されてくる。- 今でもそうであろうか?(2017.9.8.10:42)。

万物の運動を支配する法則、力、エネルギーの原理、長さ、面積、体積を捉え、傾き、勾配等の概念を捉えたのであるから、森羅万象のある基礎部分をとらえたものとして、世界史における影響が甚大であると考えれば その業績の大きさに驚かされる。

世界史における甚大な影響として、科学上ではないが、それらを越える、宗教家の大きな存在に まず、注意を喚起して置きたい。数学者、天文学者では ゼロを数として明確に導入し、負の数も考え、算術の法則(四則演算)を確立し、ゼロ除算0/0=0を宣言したBrahmagupta (598 -668 ?) の 偉大な影響 にも特に注意したい。

そのように偉大なるニュートンを発想すれば、それを越える偉大なる歴史上の存在の可能性を考えたくなるのは人情であろう。そこで、天才たちやそれを育成したいと考える人たちに 如何に考えるべきかを述べて置きたい。

万人にとって近い存在で、甚大な貢献をするであろう、科学的な分野への志向である。鍵は 生命情報ではないだろうか。偉大なる発見、貢献であるから具体的に言及できるはずがない。しかしながら、科学が未だ十分に達しておらず、しかも万人に甚大な影響を与える科学の未知の分野として、生命と情報分野における飛躍的な発見は ニュートンを越える発見に繋がるのではないだろうか。
生物とは何者か、どのように作られ、どのように活動しているか、本能と環境への対応の原理を支配する科学的な体系、説明である。生命の誕生と終末の後、人間精神の在り様と物理的な世界の関係、殆ど未知の雄大な分野である。
情報とは何か、情報と人間の関係、影響、発展する人工知能の方向性とそれらを統一する原理と理論。情報と物の関係。情報が物を動かしている実例が存在する。
それらの分野における画期的な成果は ニュートンを越える世界史上の発見として出現するのではないだろうか。
これらの難解な課題においてニュ-トンの場合の様に常人でも理解できるような簡明な法則が発見されるのではないだろうか。 
人類未だ猿や動物にも劣る存在であるとして、世界史を恥ずかしい歴史として、未来人は考え、評価するだろう。世の天才たちの志向について、またそのような偉大なる人材を育成する立場の方々の注意を喚起させたい。偉大なる楽しい夢である。
それにはまずは、世界史を視野に、人間とは何者かと問い、神の意思を捉えようとする真智への愛を大事に育てて行こうではないか。

以 上

再生核研究所声明314(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ニュートンとダーウィンについて
今朝2016年8月6日,散歩中 目が眩むような大きな構想が閃いたのであるが、流石に直接表現とはいかず、先ずは世界史上の大きな事件を回想して、準備したい。紀元前の大きな事件についても触れたいが当分 保留したい。
そもそも、ニュートン、ダーウィンの時代とは 中世の名残を多く残し、宗教の存在は世界観そのものの基礎に有ったと言える。それで、アリストテレスの世界観や聖書に反して 天動説に対して地動説を唱えるには それこそ命を掛けなければ主張できないような時代背景が 存在していた。
そのような時に世の運動、地上も、天空も、万有を支配する法則が存在するとの考えは それこそ、世界観の大きな変更であり、人類に与えた影響は計り知れない。進化論 人類も動物や生物の進化によるものであるとの考えは、 人間そのものの考え方、捉え方の基本的な変更であり、運動法則とともに科学的な思考、捉え方が世界観を根本的に変えてきたと考えられる。勿論、自然科学などの基礎として果たしている役割の大きさを考えると、驚嘆すべきことである。
人生とは何か、人間とは何か、― 世の中には秩序と法則があり、人間は作られた存在で
その上に 存在している。如何に行くべきか、在るべきかの基本は その法則と作られた存在の元、原理を探し、それに従わざるを得ないとなるだろう。しかしながら、狭く捉えて 唯物史観などの思想も生んだが、それらは、心の問題、生命の神秘的な面を過小評価しておかしな世相も一時は蔓延ったが、自然消滅に向かっているように見える。
自然科学も生物学も目も眩むほどに発展してきている。しかしながら、人類未だ成長していないように感じられるのは、止むことのない抗争、紛争、戦争、医学などの驚異的な発展にも関わらず、人間存在についての掘り下げた発展と進化はどれほどかと考えさせられ、昔の人の方が余程人間らしい人間だったと思われることは 多いのではないだろうか。
上記二人の巨人の役割を、自然科学の基礎に大きな影響を与えた人と捉えれば、我々は一段と深く、巨人の拓いた世界を深めるべきではないだろうか。社会科学や人文社会、人生観や世界観にさらに深い影響を与えると、与えられると考える。
ニュートンの作用、反作用の運動法則などは、人間社会でも、人間の精神、心の世界でも成り立つ原理であり、公正の原則の基礎(再生核研究所声明 1 (2007/1/27): 美しい社会はどうしたら、できるか、美しい社会とは)にもなる。 自国の安全を願って軍備を強化すれば相手国がより、軍備を強化するのは道理、法則のようなものである。慣性の法則、急には何事でも変えられない、移行処置や時間的な猶予が必要なのも法則のようなものである。力の法則 変化には情熱、エネルギー,力が必要であり、変化は人間の本質的な要求である。それらはみな、社会や心の世界でも成り立つ原理であり、掘り下げて学ぶべきことが多い。ダーウィンの進化論については、人間はどのように作られ、どのような進化を目指しているのかと追求すべきであり、人間とは何者かと絶えず問うて行くべきである。根本を見失い、個別の結果の追求に明け暮れているのが、現在における科学の現状と言えるのではないだろうか。単に盲目的に夢中で進んでいる蟻の大群のような生態である。広い視点で見れば、経済の成長、成長と叫んでいるが、地球規模で生態系を環境の面から見れば、癌細胞の増殖のような様ではないだろうか。人間の心の喪失、哲学的精神の欠落している時代であると言える。

以 上

再生核研究所声明 415(2018.2.19):  数学の進化は単調か、進化と衰退
数学とは ある仮定系を基礎(公理系)に論理的に導かれる関係達の集まりである(No.81, May 2012 (pdf 432kb) www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf)。数学者はそれゆえに導かれている結果、関係から、新しい関係を導く活動を 研究と称して行っていると言える。分かり易い問題意識は、提起された予想や問題を解決することであるが、それらさえ関係をキチンと確立させることであると表現される。
例えばリーマン予想やフェルマー予想等は歴史的に有名であり、 ピタゴラスの定理やオイラーの公式は基本的で美しい関係式として有名である。数学を進化させる原動力であるが、命題、定理の一般化や精密化なども分かり易い数学の研究姿勢である。 今までの定理を含むような結果は進化した結果であり、知られている関係の詳しい関係の発見も分かり易い数学の進化である。しかしながら、ある分科で一般化、精密化が極端に進めば、理解できる者は限られ、興味関心を抱く者も極端に少なくなり、世の中との関係も薄くなってしまい、 それらの意味は どれほどかと問われる程に成る。 それらの分科から少しずれた人たちは興味も関心も抱かず、 得られたり 論じている世界さえ理解できなくなってしまう。 多くの人は、そのような理論には、興味も関心もないと思ってしまう。そうなれば、数学のそのような状態は衰退した末期的状況と言えるだろう。
その様な数学の姿は 生物の生体のように、誕生の鮮やかさ、成長期のみずみずしさ、衰退期などと同じようにみられる。
人生70年くらいのスパンで見れば、 ある分野の数学の華やかさと衰退そしてほとんど関心がもたれなくなる姿を見ることになる。そのような観点から、永い時代愛されてきた結果は 基本的で衰退することはなく、本質的な結果として時代を超えて存在し、愛されるものになるだろう。それらを表現する言葉は、基本的である、美しい、影響力のある結果であると纏められよう。
数学の質の高い研究として 概念の創造、関係そのものの定義について触れて置こう。微分の概念、積分の概念、勾配の概念、群の概念、位相の概念などなどである。それらの概念の発見は、既に新しい数学の始めであるから、数学の芽のようなもので、基本であればそれだけ価値あるものになる。多くの場合、物理や自然現象からそのような概念が生まれた経緯に注目して置きたい。概念の分かり易い表現は名付けることである。子供が誕生したり、新しい星や島を発見したら命名するようにである。
声明の表題の趣旨は 何事成長の様は単調ではなく、大きな視野を持って研究の状況の判断を行うことの重要性を指摘し、絶えず新しい芽を探し、待つ心のゆとりが大事であることを指摘することである。成果主義の煽りで、成果を急ぎ過ぎて形式的な抹消の研究に囚われ過ぎてしまう危険な世相の時代ではないだろうか。 形式的な評価、数値の量に囚われた実の無い研究の空しい時代の観がしないだろうか。 研究には余裕、楽しみ、本質を求める精神が大事ではないだろうか。 最近 岡潔氏の話題が多いが、岡氏のようには 普通はなれず、そのようには研究者としては生きていけないから、まねることは良くなく、何事ほどほどが大事で、いろいろな在りようも尊重されるべきである。しかしながら、岡氏のよう人物も大事に育てる文化を持つことも 大事ではないだろうか。天才の育成も、平凡な数学者も、数学愛好者の育成もそれぞれに大事ではないだろうか。 高い山は、大きな裾野が広がってこそ有り得る。多様な世界は偉大なる世界であり、人間存在の価値を高める原理である。
ところで、衰退であるが、国家が衰退したり、生物が病的に衰退するように、もともとの発祥の動機、育成のみずみずしさを失い、それらの周辺におかしな在りようが蔓延して 本末転倒なような状況が増大すれば、学問の在り様などもおかしくなって急激に衰退するのではないだろうか。 大学は何をするところかと問うた言葉が想起させられる。何の為の数学か、何のための数学教育かと絶えず自戒して行きたい。疑問を抱いたり、疑ったり、考えたりしてはいけない、と教育の場で指導された生徒の不満の声も結構多い世相はないだろうか。この観点から、
しかしながら、1300年以上に亘って、算術の創始者が0/0は0であると定義していたものを それは間違いであると言ってきた世界の数学界は 相当おかしく、世界の数学界の恥ではないだろうか。
と 繰り返し述べてきた。 数学界のゼロ除算思考停止は 数学界がマインドコントロールされているように現在でも世界の大勢である状況にあると言える。
そこで、我々のゼロ除算についての考えは真実か否か、広く内外の関係者に意見を求めている。関係情報はどんどん公開している。次も参照:
再生核研究所声明 402(2017.11.19): 研究進めるべきか否か - 数学の発展
再生核研究所声明 408(2018.1.25):  数学を越えて ― 価値あるものとは
以 上

再生核研究所声明 416(2018.2.20):  ゼロ除算をやってどういう意味が有りますか。何か意味が有りますか。何になるのですか - 回答
ゼロ除算とは例えば、100割るゼロを考えることです。普通に考えると、それは考えられない(不可能)となるのですが、それが分かることが まず第1歩です。この意味が分かるまでは、 次には進めませんので、興味があれば、 次で解説されている最初の方を参照してください:
                                                                                                            
ゼロ除算の研究状況は、数学基礎学力研究会 サイトで解説が続けられています: http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku/
できない不可能である)と言われれば、何とかできるようにしたくなるのは相当に人間的な素性です。いろいろな冒険者や挑戦者を想い出します。ゼロ除算も子供の頃からできるようにしたいと考えた愛すべき人が結構多く世界にいたり、その問題に人生の大部分を費やして来ている物理学者や計算機科学者たちもいます。現在、ゼロ除算に強い興味を抱いて交流しているのは我々以外でも海外で 大体20名くらいです。ある歴史家の分析によれば、ゼロ除算の物理的な意味を論じ、ゼロ除算は不可能であると最初に述べたのはアリストテレス(BC 384-322) だということです。
また、アインシュタインの人生最大の懸案の問題だったと言われています。実際、物理学には、形式的にゼロ分のが 出て来る公式が沢山有って、分母がゼロの場合が 問題になるからです。いま華やかな宇宙論などでブラックホールや宇宙誕生などと関係があるとされ、ゼロ除算の歴史は 神秘的です。
ところが、ゼロを数学的に厳密に扱い、算術の法則を発見したインドのBrahmagupta (598 -668 ?) は 何と1300年も前に、0/0 はゼロであると定義していたというのです。それ以来1300年を超えてそれは間違いであるとされて来ました。1/0 等は無限大だろうと人は考えて来ました。関数 y=1/x を考えて、 原点の近くで考えれば、限りなく正の無限や負の無限に発散するので人は当然そのように考えるでしょう。天才たちもみんなそうだと考えて、現代に至っています。
ところが偶然4年前に 驚嘆すべき事実を発見しました。 関数 y=1/x の原点の値をゼロとすべきだという結果です。聞いただけで顔色を変える数学者は多く、数年経っても理解できない人は多いのですが、素人がそれは美しい、分かったと喜ぶ人も多いです。算術の創始者Brahmaguptaの考え、結果も 実は 適当であった。正しかったとなります。― 正しいことを間違っているとして来た世界史は 恥ずかしいのではないでしょうか。
この結果、無限の彼方(無限遠点)、無限が 実はゼロ(ゼロで表される)だったとなり、ユークリッド、アリストテレス以来の我々の空間の考えを変える必要が出て来ました。案内の上記サイトで詳しく解説されていますが、私たちの世界観や初等数学全般に大きな影響を与えます。どんどん全く新しい結果、現象が発見されますので、何といっても驚嘆します。 内容レベルが高校生にも十分分かることも驚きです。例えば、y軸の勾配がゼロで、tan (\pi/2) =0 だという驚きの結果です。数学というと人は難しくて分からないだろうと思うのが普通ではないでしょうか。そこで、面白く堪らなく楽しい研究になります。 現在、簡単な図を沢山入れてみんなで見て楽しんで頂けるような本を出版したいと計画を進めています。

内容は上記サイトで、相当素人向きに丁寧に述べているので、興味のある方は解説の最初の方を参考にして下さい。
以 上


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