40代突入「就職氷河期世代」の苦しい胸の内
「会社のウオーターサーバー、正社員以外利用禁止」のツイッター投稿が昨年11月、大きな話題になった。「同じ職場で働く仲間なのにひどい!」「正社員との待遇格差は仕方がないじゃないか」とさまざまな声が上がったが、正社員として職業人生をスタートできなかった就職氷河期世代がいま、40代に突入しつつある。
就活時、マクロ経済の悪化で就職できず、今も疎外感を味わいながら働く氷河期非正規雇用労働者は少なくない。そんな彼らの窮状が、一橋大学経済研究所の小塩隆士教授の研究から明らかになった。
就職活動の悲惨な体験がトラウマに
就職氷河期だった2000年代初め、入社試験を何十社も受け、落ち続けた。不採用を知らせる電話があればまだいい方で、連絡すらないこともあった。心折れそうになったあのころを、太田祥子さん(40歳、仮名)は忘れることができない。その後、何度か就職しようとしてはかなわず、今は出版社で派遣社員として働いている。
給料が高いことで知られる今の会社では、昼時になると正社員の女性たちが連れ立って近所のおしゃれなレストランに出かけて行く。祥子さんはお弁当派だ。
流行の靴にネイルも完璧という、きらびやかな彼女たちと比べ、服装も持ち物も地味な自分。きちょうめんで隙(すき)のない仕事ぶりは課でも評価されているものの、会議だ、出張だ、著名人の接待だ、と飛び回る正社員のように、大きな仕事を任せてもらえるわけでもない。
「来月、契約更新するのやめようかな……」
ガランとしたリフレッシュコーナーで、冷たいご飯をお茶で飲み下しながら、祥子さんは決心した。
「初職が非正規」の人は抑うつ度が高い
就職氷河期から十数年たち、少子化による人手不足で就職戦線は一気に売り手市場に転じた。今や、「大変申し上げにくいのですが……」と切り出す内定辞退の電話に、人事担当が耳をふさぐ時代。採用環境が急速に改善する一方、スタート時点で仕事の経験を積むチャンスを失った30代後半~40代前半世代が取り残されている。
就活での挫折体験が、その後の人生における幸福度に影を落とす--。一橋大学経済研究所の小塩隆士教授らが、全国レベルのインターネット調査(男性3117人、女性2818人対象)に基づいて行った研究(2011~2015年プロジェクト)は、こんな傾向を明らかにした。
「目的は、初職(社会人になった時の就職状況)がその後の人生にどのような影響を及ぼすかを探ることです。とくに、正規雇用以外の人の就業状況、所得、婚姻状態、さらにメンタルヘルスについて分析しました」(小塩さん)
研究によれば、初めての仕事が非正規雇用だと、その後の非正規のキャリア期間が長くなり、現在の仕事も非正規である確率が高まるという。2015年の総務省調査によると、不本意非正規(正社員として働きたいがその機会がなく、非正規雇用で働いている人)は約315万人にのぼる。
また小塩さんの調査では、現在の生活満足度について「不満」と答えた人は、男性の場合、初職が正規雇用なら43%だが、非正規雇用は62%と、正規を大きく上回った。女性も専業主婦・主婦パートを除くと、正規は41%で、非正規は45%だ。
米国の経済学者カーンは、就職時のマクロ経済状況が良好でないと、その後の賃金、昇格が不利になるという研究結果を発表しているが、氷河期世代で正社員の職に就けなかった人は、まさにその例に当てはまる。
もうひとつ研究で明らかになったのは、「社会人生活を非正規としてスタートした人は、抑うつの度合いも高い」という事実だ。
「それでなくても、一般に非正規社員は正社員より所得が少ない。その分、メンタルが悪化しやすいことは容易に想像がつくのですが、たとえ所得が同じ水準であったとしても、 正社員と非正規とでは、非正規のほうがストレスを抱えやすいことが浮き彫りになりました」(小塩さん)
調査結果をもとに、「ケッスラーの6」という尺度でメンタルストレスを測ったところ、現在の所得などの影響を差し引いて分析しても、初職が非正規の男性の数値は、初職が正規の男性の約1.27倍だった。
面接のたびに人格を否定されたと感じたことで深く傷つき、立ち直れなくなってしまった人もいるだろう。NPO法人POSSE(ポッセ)の調査によれば、2011年時点で、就活生の7人に1人がうつ状態だった。
「親からの虐待や学校でのいじめを受けた子どもは、大人になっても幸福感を得にくいとされます。それと同様に、就職氷河期の過酷な経験が、長く尾を引く場合があるのではないでしょうか」
そのうえ、非正規労働者は将来の雇用不安を常に抱えている。年金や保険などのセーフティーネットも、正社員に比べればもろい。「老後はどうなるんだろう」「病気になったら……」という心配は、年齢を重ねるごとにリアルなものになっていく。何より、組織や社会からの孤立感、疎外感は、人によっては自己肯定感を打ち砕き、根の深い悲しみや怒りとなる。
出会いの少ないハケン女子と時代錯誤な非正規男
ただし、非正規といってもひとくくりにはできない。小塩さんは「表現が適切かどうかわかりませんが」と断ったうえで、「女性の場合、ライフコースは人によってさまざま。正社員、あるいは高収入男性と結婚している“勝ち組非正規”と、未婚の“負け組非正規”とでは大きく状況が異なります」と指摘する。
「子育てがひと段落し、家計補助 のために働いている主婦と、大学卒業後、正社員としての就職が決まらず、派遣社員の収入で生計を立てている未婚女性とでも立場は違います。後者のほうがよりストレスフルな状況にあると推測されます」
研究では、初職の状況と未婚率の関係についても分析した。その結果、初職が非正規だった人は、男性だけでなく女性でも未婚率が高まることが判明している。
なぜ、非正規の女性は結婚しづらいのか。小塩さんは「出会いの場が限られるからではないでしょうか」という。正社員は研修や職場の飲み会など、社内ネットワークに参加できるが、非正規はコミュニティーから締め出されがちだ。その分、どうしても結婚相手を見つけにくくなってしまう。
非正規の男性は、さらに厳しい現実に直面しているのは言うまでもない。女性のようにライフコースの選択肢がなく、最初の就職で失敗すると、軌道に戻るのが難しくなるのが日本の雇用の現実だからだ。収入面から結婚も難しくなる。小塩さんが行なった調査によると、男性の場合、初職が正規だった人の平均年収は550万円、非正規だった人は332万円で、200万円以上の差があった。
国が「標準世帯」を「会社員の夫と専業主婦の妻、子ども2人」と定義したのは1969年。共働き世帯の数が専業主婦世帯を大きく上回る今、まったく現実的なモデルとはいえないが、「男は就職して妻子を養うもの」という一種の社会的規範は、いまだに日本の男性たちをがっちり縛っている。
もちろん、あえて自由な働き方、生き方を選ぶ人も増えている。だが一方、正社員になれず、結婚できない氷河期世代の生きづらさは、この国ならではの時代錯誤な規範から生まれているのかもしれない。
「わなシナリオ」からの脱却を
壮年期に達した氷河期世代を待ち受けているのは、親の介護問題だ。
「実はライフイベントのうち、もっとも精神的負荷が高いのは、失業や離婚ではなく親の介護なのです。特に在宅介護の場合は、仕事と両立するのが難しくなり、生活が成り立たなくなる人も出てくるでしょう。今のうちに手を打たなければ、大量の介護失業者があふれるかもしれません」
労働契約法の改正で、勤務5年を超える有期契約労働者は、申し込みをすれば無期労働契約ができるようになった。といっても、正社員になれるわけではなく、雇用形態はあくまで契約社員や派遣社員、パート、アルバイトだ。さらに法制度を整備し、同じ仕事内容であれば賃金水準も同じとする「同一労働同一賃金」の議論ももっと進めるべきだと、小塩さんは訴える。
キャリアについても今のモデルからの転換を図らなくては、という。
「ヨーロッパでは、大学卒業後の数年間は期間限定の契約社員として働き、ウオーミングアップした後に正規の仕事に就く、というパターンが一般的。この就業パターンは、ステップ・バイ・ステップでキャリアを築けることから『踏み石シナリオ』と呼ばれています。これに対し、初職で非正規の仕事に就くと、そこから抜け出せない日本のようなパターンは『わなシナリオ』。非正規割合は今や労働者の40%に達しています。これだけ多くの人が“わな”に捕らえられながら生きている現状を、これ以上放置すべきではありません」
労働人口のボリュームゾーンに当たる氷河期世代。彼らのメンタルの悪化は、国としての健康度の悪化を示すサインでもあるのだ。
小塩隆士(おしお・たかし):一橋大学経済研究所教授。1960年生まれ。83年東京大学教養学部卒業。経済企画庁(現内閣府)などを経て2009年より現職。「人口減少時代の社会保障改革」(日本経済新聞出版社)
「再分配の厚生分析」(日本評論社)「効率と公平を問う」(日本評論社)「『幸せ』の決まり方 主観的厚生の経済学」(日本経済新聞出版社)などの著書がある。
https://mainichi.jp/premier/health/articles/20180209/med/00m/010/006000c
とても興味深く読みました:
再生核研究所声明287(2016.02.12) 神秘的なゼロ除算の歴史―数学界で見捨てられていたゼロ除算
(最近 相当 ゼロ除算について幅広く歴史、状況について調べている。)
ゼロ除算とは ゼロで割ることを考えることである。ゼロがインドで628年に記録され、現代数学の四則演算ができていたが、そのとき、既にゼロで割ることか考えられていた。しかしながら、その後1300年を超えてずっと我々の研究成果以外解決には至っていないと言える。実に面白いのは、628年の時に、ゼロ除算は正解と判断される結果1/0=0が期待されていたということである。さらに、詳しく歴史を調べているC.B. Boyer氏の視点では、ゼロ除算を最初に考えたのはアリストテレスであると判断され、アリストテレスは ゼロ除算は不可能であると判断していたという。― 真空で比を考えること、ゼロで割ることはできない。アリストテレスの世界観は 2000年を超えて現代にも及び、我々の得たゼロ除算はアリストテレスの 世界は連続である に反しているので受け入れられないと 複数の数学者が言明されたり、情感でゼロ除算は受け入れられないという人は結構多い。
数学界では,オイラーが積極的に1/0 は無限であるという論文を書き、その誤りを論じた論文がある。アーベルも記号として、それを無限と表し、リーマンもその流れで無限遠点の概念を持ち、リーマン球面を考えている。これらの思想は現代でも踏襲され、超古典アルフォースの複素解析の本にもしっかりと受け継がれている。現代数学の世界の常識である。これらが畏れ多い天才たちの足跡である。こうなると、ゼロ除算は数学的に確定し、何びとと雖も疑うことのない、数学的真実であると考えるのは至極当然である。― ゼロ除算はそのような重い歴史で、数学界では見捨てられていた問題であると言える。
しかしながら、現在に至るも ゼロ除算は広い世界で話題になっている。 まず、顕著な研究者たちの議論を紹介したい:
論理、計算機科学、代数的な体の構造の問題(J. A. Bergstra, Y. Hirshfeld and J. V. Tucker)、
特殊相対性の理論とゼロ除算の関係(J. P. Barukcic and I. Barukcic)、
計算器がゼロ除算に会うと実害が起きることから、ゼロ除算回避の視点から、ゼロ除算の研究(T. S. Reis and James A.D.W. Anderson)。
またフランスでも、奇怪な抽象的な世界を建設している人たちがいるが、個人レベルでもいろいろ奇怪な議論をしている人があとを立たない。また、数学界の難問リーマン予想に関係しているという。
直接議論を行っているところであるが、ゼロ除算で大きな広い話題は 特殊相対性理論、一般相対性理論の関係である。実際、物理とゼロ除算の関係はアリストテレス以来、ニュートン、アインシュタインの中心的な課題で、それはアインシュタインの次の意味深長な言葉で表現される:
Albert Einstein:
Blackholes are where God divided by zero.
I don’t believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:
1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.
数学では不可能である、あるいは無限遠点と確定していた数学、それでも話題が尽きなかったゼロ除算、それが予想外の偶然性から、思いがけない結果、ゼロ除算は一般化された除算,分数の意味で、何時でも唯一つに定まり、解は何時でもゼロであるという、美しい結果が発見された。いろいろ具体的な例を上げて、我々の世界に直接関係する数学で、結果は確定的であるとして、世界の公認を要請している:
再生核研究所声明280(2016.01.29) ゼロ除算の公認、認知を求める
Announcement 282: The Division by Zero $z/0=0$ on the Second Birthday
詳しい解説も次で行っている:
○ 堪らなく楽しい数学-ゼロで割ることを考える(18)
○ 堪らなく楽しい数学-ゼロで割ることを考える(18)
数学基礎学力研究会のホームページ
以 上
何故ゼロ除算が不可能であったか理由
1 割り算を掛け算の逆と考えた事
2 極限で考えようとした事
3 教科書やあらゆる文献が、不可能であると書いてあるので、みんなそう思った。
Matrices and Division by Zero z/0 = 0
再生核研究所声明290(2016.03.01) 神の隠し事、神の意地悪、人類の知能の程
オイラーの公式 e^{pi i}= -1 は最も基本的な数、-1, pi, i, eの4つの数の間の簡潔な関係を確立させているとして、数学とは何かを論じて、神秘的な公式として、その様を詳しく論じた(No.81, May 2012(pdf 432kb)
19/03/2012 -ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅. 広く 面白く触れたい。)。
余りにも深い公式なので、神の人類に対する意地悪かと表現して、神は恥ずかしがり屋で、人類があまりに神に近づくのを嫌がっているのではないかと発想した。
ここ2年間、ゼロ除算を発見して、ゼロ除算の実在性は確信できたが、ゼロ除算の神秘的な歴史(再生核研究所声明287(2016.02.13)神秘的なゼロ除算の歴史―数学界で見捨てられていたゼロ除算)とともに、誠に神秘的な性質があるので その神秘性に触れたい。同時に これを未解決の問題として世に提起したい。
ゼロ除算はゼロで割ることを考えるであるが、アリストテレス以来問題とされ、ゼロの記録がインドで初めて628年になされているが、既にそのとき、正解1/0が期待されていたと言う。しかし、理論づけられず、その後1300年を超えて、不可能である、あるいは無限、無限大、無限遠点とされてきたものである。天才オイラーの無限であることの証明とその誤りを論じた論文があるが、アーベル、リーマンと継承されて現在に至る。他方極めて面白いのは、アリストテレス以来、ニュートン、アインシュタインで問題にされ、下記の貴重な言葉が残されている:
Albert Einstein:
Blackholes are where God divided by zero.
I don’t believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:
1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.
現在、ゼロ除算の興味、関心は 相対性の理論との関係と、ゼロ除算が計算機障害を起すことから、論理の見直しと数体系の見直しの観点にある。さらに、数学界の難問、リーマン予想に関係していると言う。
ゼロ除算の神秘的な歴史は、早期の段階で ゼロ除算、割り算が乗法の逆で、不可能であるとの烙印を押され、確定的に、 数学的に定まった と 人は信じてしまったことにあると考えられる。さらに、それを天才達が一様に保証してきたことにある。誠に重い歴史である。
第2の要素も、極めて大事である。アリストテレス以来、連続性で世界を考える が世界を支配してきた基本的な考え方である。関数y=1/x の原点での値を考えるとき、正方向、あるいは 負方向からゼロに近づけば、正の無限や負の無限に近づくのをみて、ゼロ除算とは無限の何か、無限遠と考えるのは極めて自然で、誰もがそのように考えるだろう。
ところが、結果はゼロであるというのであるから、驚嘆して、多くの人は それは何だと顔さえしかめたものである。しばらく、話さえできない状況が国際的にも一部の友人たちの間でも1年を超えても続いた。 そこで、最近、次のような文書を公表した:
ゼロ除算についての謎 ― 神の意思は?:
ゼロ除算は数学的な真実で、我々の数学の基本的な結果です。ところが未だ、謎めいた現象があり、ゼロ除算の何か隠れた性質が有るように感じます。それはギリシャ、アリストテレスの世界観、世の連続性を否定し、強力な不連続性を表しています。強力な不連続性は普遍的に沢山あることが分かりましたが、肝心な次の等角写像での不連続性が分かりません:複素関数
W = z+ 1/z
は 単位円の外と内を [-2,+2] を除いた全複素平面上に一対一上へ等角に写します。単位円は[-2,+2]を往復するようにちょうど写ります。単位円が少しずれると飛行機の翼の断面のような形に写るので、航空力学での基本関数です。問題は、原点が所謂無限遠点に写っているということです。ところがゼロ除算では、無限遠点は空間の想像上の点としては考えられても、数値では存在せず、数値としては、その代わりに原点ゼロで、それで原点に写っていることになります。それで強力な不連続性を起こしている。
神が、そのように写像を定めたというのですが、何か上手い解釈が有るでしょうか?
神の意思が知りたい。
2016.2.27.16:46
既に 数学における強力な不連続性は 沢山発見され、新しい世界観として定着しつつあるが、一般の解析関数の孤立特異点での確定値がどのような意味があり、なぜそのような不連続性が存在するのかは、神の意思に関わることで、神秘的な問題ではないだろうか。 神秘の世界があることを指摘して置きたい。
以 上
Matrices and Division by Zero z/0 = 0
再生核研究所声明316(2016.08.19) ゼロ除算における誤解
(2016年8月16日夜,風呂で、ゼロ除算の理解の遅れについて 理由を纏める考えが独りでに湧いた。)
6歳の道脇愛羽さんたち親娘が3週間くらいで ゼロ除算は自明であるとの理解を示したのに、近い人や指導的な数学者たちが1年や2年を経過してもスッキリ理解できない状況は 世にも稀なる事件であると考えられる。ゼロ除算の理解を進めるために その原因について、掘り下げて纏めて置きたい。
まず、結果を聞いて、とても信じられないと発想する人は極めて多い。割り算の意味を自然に拡張すると1/0=0/0=z/0 となる、関数y=1/xの原点における値がゼロであると結果を表現するのであるが、これらは信じられない、このような結果はダメだと始めから拒否する理由である。
先ずは、ゼロでは割れない、割ったことがない、は全ての人の経験で、ゼロの記録Brahmagupta(598– 668?) 以来の定説である。しかも、ゼロ除算について天才、オイラーの1/0を無限大とする間違いや、不可能性についてはライプニッツ、ハルナックなどの言明があり、厳格な近代数学において確立した定説である。さらに、ゼロ除算についてはアインシュタインが最も深く受け止めていたと言える:(George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} :Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.)。
一様に思われるのは、割り算は掛け算の逆であり、直ぐに不可能性が証明されてしまうことである。ところが、上記道脇親娘は 割り算と掛け算は別であり、割り算は、等分の考えから、掛け算ではなく、引き算の繰り返し、除算で定義されるという、考えで、このような発想から良き理解に達したと言える。
ゼロで割ったためしがないので、ゼロ除算は興味も、関心もないと言明される人も多い。
また、割り算の(分数の)拡張として得られた。この意味は結構難しく、何と、1/0=0/0=z/0 の正確な意味は分からないというのが 真実である。論文ではこの辺の記述は大事なので、注意して書いているが 真面目に論文を読む者は多いとは言えないないから、とんでもない誤解をして、矛盾だと言ってきている。1/0=0/0=z/0 らが、普通の分数のように掛け算に結びつけると矛盾は直ぐに得られてしまう。したがって、定義された経緯、意味を正確に理解するのが 大事である。数学では、定義をしっかりさせる事は基本である。― ゼロ除算について、情熱をかけて研究している者で、ゼロ除算の定義をしっかりさせないで混乱している者が多い。
次に関数y=1/xの原点における値がゼロである は 実は定義であるが、それについて、面白い見解は世に多い。アリストテレス(Aristotelēs、前384年 - 前322年3月7日)の世界観の強い影響である。ゼロ除算の歴史を詳しく調べている研究者の意見では、ゼロ除算を初めて考えたのはアリストテレスで真空、ゼロの比を考え、それは考えられないとしているという。ゼロ除算の不可能性を述べ、アリストテレスは 真空、ゼロと無限の存在を嫌い、物理的な世界は連続であると考えたという。西欧では アリストテレスの影響は大きく、聖書にも反映し、ゼロ除算ばかりではなく、ゼロ自身も受け入れるのに1000年以上もかかったという、歴史解説書がある。ゼロ除算について、始めから国際的に議論しているが、ゼロ除算について異様な様子の背景にはこのようなところにあると考えられる。関数y=1/xの原点における値が無限に行くと考えるのは自然であるが、それがx=0で突然ゼロであるという、強力な不連続性が、感覚的に受け入れられない状況である。解析学における基本概念は 極限の概念であり、連続性の概念である。ゼロ除算は新規な現象であり、なかなか受け入れられない。
ゼロ除算について初期から交流、意見を交わしてきた20年来の友人との交流から、極めて基本的な誤解がある事が、2年半を越えて判明した。勿論、繰り返して述べてきたことである。ゼロ除算の運用、応用についての注意である。
具体例で注意したい。例えば簡単な関数 y=x/(x -1) において x=1 の値は 形式的にそれを代入して 1/0=0 と考えがちであるが、そのような考えは良くなく、y = 1 + 1/(x -1) からx=1 の値は1であると考える。関数にゼロ除算を適用するときは注意が必要で、ゼロ除算算法に従う必要があるということである。分子がゼロでなくて、分母がゼロである場合でも意味のある広い世界が現れてきた。現在、ゼロ除算算法は広い分野で意味のある算法を提起しているが、詳しい解説はここでは述べないことにしたい。注意だけを指摘して置きたい。
ゼロ除算は アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における基礎的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の基礎的な部分の変更は かつて無かった事である。と述べ、大きな数学の改革を提案している:
再生核研究所声明312(2016.07.14) ゼロ除算による 平成の数学改革を提案する
以 上
再生核研究所声明312(2016.07.14) ゼロ除算による 平成の数学改革を提案する
アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における基礎的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の基礎的な部分の変更は かつて無かった事である。
そこで、最近の成果を基に現状における学術書、教科書の変更すべき大勢を外観して置きたい。特に、大学学部までの初等数学において、日本人の寄与は皆無であると言えるから、日本人が数学の基礎に貢献できる稀なる好機にもなるので、数学者、教育者など関係者の注意を換気したい。― この文脈では稀なる日本人数学者 関孝和の業績が世界の数学に活かせなかったことは 誠に残念に思われる。
先ず、数学の基礎である四則演算において ゼロでは割れない との世の定説を改め、自然に拡張された分数、割り算で、いつでも四則演算は例外なく、可能であるとする。山田体の導入。その際、小学生から割り算や分数の定義を除算の意味で 繰り返し減法(道脇方式)で定義し、ゼロ除算は自明であるとし 計算機が割り算を行うような算法で 計算方法も指導する。― この方法は割り算の簡明な算法として児童に歓迎されるだろう。
反比例の法則や関数y=1/xの出現の際には、その原点での値はゼロであると 定義する。その広範な応用は 学習過程の進展に従って どんどん触れて行くこととする。
いわゆるユークリッド幾何学の学習においては、立体射影の概念に早期に触れ、ゼロ除算が拓いた新しい空間像を指導する。無限、無限の彼方の概念、平行線の概念、勾配の概念を変える必要がある。どのように、如何に、カリキュラムに取り組むかは、もちろん、慎重な検討が必要で、数学界、教育界などの関係者による国家的取り組み、協議が必要である。重要項目は、直角座標系で y軸の勾配はゼロであること。真無限における破壊現象、接線などの新しい性質、解析幾何学との美しい関係と調和。すべての直線が原点を代数的に通り、平行な2直線は原点で代数的に交わっていること。行列式と破壊現象の美しい関係など。
大学レベルになれば、微積分、線形代数、微分方程式、複素解析をゼロ除算の成果で修正、補充して行く。複素解析学におけるローラン展開の学習以前でも形式的なローラン展開(負べき項を含む展開)の中心の値をゼロ除算で定義し、広範な応用を展開する。特に微分係数が正や負の無限大の時、微分係数をゼロと修正することによって、微分法の多くの公式や定理の表現が簡素化され、教科書の結構な記述の変更が要求される。媒介変数を含む多くの関数族は、ゼロ除算 算法で統一的な視点が与えられる。多くの公式の記述が簡単になり、修正される。
複素解析学においては 無限遠点はゼロで表現されると、コペルニクス的変更(無限とされていたのが実はゼロだった)を行い、極の概念を次のように変更する。極、特異点の定義は そのままであるが、それらの点の近傍で、限りなく無限の値に近づく値を位数まで込めて取るが、特異点では、ゼロ除算に言う、有限確定値をとるとする。その有限確定値のいろいろ幾何学な意味を学ぶ。古典的な鏡像の定説;原点の 原点を中心とする円の鏡像は無限遠点であるは、誤りであり、修正し、ゼロであると いろいろな根拠によって説明する。これら、無限遠点の考えの修正は、ユークリッド以来、我々の空間に対する認識の世界史上に置ける大きな変更であり、数学を越えた世界観の変更を意味している。― この文脈では天動説が地動説に変わった歴史上の事件が想起される。
ゼロ除算は 物理学を始め、広く自然科学や計算機科学への大きな影響が期待される。しかしながら、ゼロ除算の研究成果を教科書、学術書に遅滞なく取り入れていくことは、真智への愛、真理の追究の表現であり、四則演算が自由にできないとなれば、人類の名誉にも関わることである。ゼロ除算の発見は 日本の世界に置ける顕著な貢献として世界史に記録されるだろう。研究と活用の推進を 大きな夢を懐きながら 要請したい。
以 上
追記:
(2016) Matrices and Division by Zero z/0 = 0. Advances in Linear Algebra & Matrix Theory, 6, 51-58.
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