2018年2月22日木曜日

憲法9条ガチで議論してみた 国民投票 あなたはどうしますか?

憲法9条ガチで議論してみた 国民投票 あなたはどうしますか?

戦争をせず、戦力を持たないことを定めた憲法9条。それを変えるかどうか、私たちが判断する時が来るかもしれません。今の国会でその改正議論が本格化する中、先週、東京都内で賛成、反対の立場の市民が集まり、いわばガチンコで議論しました。2日間に及んだ議論から見えたものはいったい何だったのでしょうか。(社会部記者 中島俊樹)

有権者も無関心ではいられない

2月15、16日の2日間、東京 永田町の参議院議員会館にインターネットなどの呼びかけで集まった男女14人。年齢は18歳から73歳。大学生、主婦、自営業などさまざまです。
有権者も無関心ではいられない
議論のテーマはずばり憲法9条をどうするか。

2日間、合わせて6時間半にわたって議論し、最後に投票を行います。主催したのは、憲法や国民投票を研究する市民グループです。

中心メンバーのジャーナリスト今井一さんは、狙いについて、「本質的な議論がないままものすごいスピードで手続きが進み、投票日を迎えてしまうことが懸念されます。国民投票が行われるのなら、主権者がよく勉強し、よく話し合って選択するのが大切だと思います」と語りました。

9条 何が問題なの?

憲法9条をめぐる議論はおよそ70年前の制定直後から続いています。

そもそも9条の何が問題になっているのでしょうか。
(憲法9条)
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
多くの場面で問題になってきたのが2項の「戦力を保持しない」という規定です。政府が「必要最小限度の実力組織」と位置づける自衛隊が、憲法が否定する「戦力」に当たるのかどうか、長く論争が続いてきました。
9条 何が問題なの?

国会議員も登場

参加者は議論に先立って、各党の国会議員から憲法と自衛隊のあり方について意見を聞きました。
国会議員も登場
自民党の衆議院議員、船田元さん。安倍総理大臣が提起した、9条の1項と2項を残しながら自衛隊を明記する案を主張しました。「自衛隊が憲法のどこにも出ていない状況を甘んじて見過ごすわけにはいきません。2項を外した方が整合性がとれると思いますが、2項を残した方が、国民の理解が得やすい」(船田衆議院議員)

立憲民主党の衆議院議員、山尾志桜里さん、自衛隊の明記には反対し、その活動や規模を制約するよう改憲すべきと提案しました。「自衛権を制約することを、国民の意思で明らかにすることが大切です。必要最小限の範囲で自衛権を行使するとはっきり書くことで、憲法解釈が壊されることを防ぐ」

共産党の参議院議員、山添拓さん。9条を変えてはいけないと訴えました。「9条の平和主義は理想で、現実とは距離があります。だからといって現実に合わせて憲法を変えるのでしょうか。戦争できる国づくりは許せません」(山添参議院議員)

自衛隊 憲法に書くべき?

議論が始まると、自衛隊の明記についてさまざまな意見が飛び交いました。

18歳の男子学生。安倍総理大臣が提起した9条の1項2項を残して自衛隊を明記する考えに賛成すると発言しました。
「自衛隊が戦力かどうかとか、いろいろ解釈でもめるのは本当に“うざい”。ちゃんと自衛隊はこうだよと書きたい」
自衛隊 憲法に書くべき?
この主張に対し、20歳の女子学生から反対の声が上がります。「うざいからとおっしゃっていますけど、皆さんも将来的に、戦争に行かなければならなくなるかもしれません。そういう状況に近づけていると思いませんか?」
その言葉にしばらく首をひねった男子学生。こんな言葉を返しました。
「たぶん、その通りだと思う…。でも戦争に行かせようとしてるかどうかは分からない」

人の命に関わる判断

白熱した初日の議論。参加者はあす9条改正の賛否について立場を決めて投票しなければなりません。

「まだ判断できない」とつぶやいた49歳の女性が初日の議論を終えて語った言葉が印象的でした。
「戦争になった時に何が起きるかを具体的にイメージできません。戦争になれば実際に殺す人がいて、殺される人がいるかもしれません。それを受け止めるだけの覚悟が自分にあるかどうか…。あと1日考えて見たい」
人の命に関わる判断
一方、当初は自衛隊を明記することに賛成だった18歳の男子学生は「まだ判断できない」と、立場を変えました。その理由については「もともと、9条についての知識がないまま来ていたので、この場に来ている人たちの意見を客観的に聞いて、後で決めたいと思います」と述べました。
2日間、合わせて6時間半に及んだ議論を終え、参加者は投票に臨みました。

投票で震えた手

「自衛隊を明記すべき」かどうかで揺れていた18歳の男子学生。最終的に「明記すべき」と書いて投票しました。
投票で震えた手
私が驚いたのが彼が投票用紙を持つ手が震えていたことです。

「自信がなかったからだと思います」

その理由をこう素直に打ち明けてくれた学生。

そしてこう続けました。

「本当の国民投票がくる前に最低限の知識は身につけたい。結果がどうなっても、自分はこれに投票したと自信を持って言えるようになりたいです」
判断に迷っていた49歳の女性は9条を維持する選択をしました。「憲法は国民が国に求めるルールだと思う。自分だけではなく、若い世代や、これから生まれてくる人をイメージして、今の有権者としての責任を果たしたいと思った。本当に国民投票があるとしたら真剣に考えないと怖いですね」

議論の先に見えたのは

取材をした14人が最後にそろって語ったのは、「今回が模擬投票でよかった」、という言葉でした。

国民投票は自分たちの代表となる議員を選ぶ選挙と違い、国の未来を左右する判断に有権者が直接関わることになります。その1票を投じる責任の重さをみんなが理解したのだと感じました。

もし国会で憲法改正の発議がされれば、国民投票はその2か月後から半年後の間に行われることになります。

国民投票に備えるには、憲法についての立場や主張の違いを超えた幅広い議論が必要だと今回の取材で実感しました。

私たちもその議論に役立つ情報を有権者にしっかりと届けたいと思います。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180221/k10011337741000.html?utm_int=news_contents_netnewsup_001

再生核研究所声明 413(2018.2.3): 考え方によっては、どちらでも有り得る
憲法改正すべきか否か。核武装すべきか否か。原発を廃止すべきか否か。などなど大きな問題が提起され、強い主張もそれぞれの立場で表明されている。この声明の趣旨は世の多くの問題は、考え方、見方で、いろいろあり得て、一方が正しく他方が間違っているとは言えない要素が強いということを述べたいということである。それで、固定観念に拘らず、相手の立場、意見に思いを寄せてできるだけ広い視野を持ち、人の意見や判断に耳を傾けないような態度をとるべきではなく、余裕と友誼の精神であるべき在りようを求めたい。真智への愛で 物事の本質に迫って在るべき姿を求めていきたい。
憲法は、本来敗戦で、戦勝国の強い意向を受けて理想的な国の在り様を求めて作られているが、アメリカの庇護も有って平和憲法として交戦権の否定や明確な意味に於ける再軍備を禁じている。日本の周辺国が平和憲法の精神に呼応しているとは言えず、アメリカも日本の自立を求めるような状況の中では、憲法を改正、徴兵制や核武装も志向すると言っても、何らおかしくはなく、それはそれで正論でありもっともな考え方である。しかしながら、そのような在りように対して、もし、憲法改正をこのような方向で行えば、当然の理である作用、反作用の原理で、周辺国が警戒を強め、軍拡競争を齎し、結局、何も良い影響を与えず藪蜂のような 軍拡競争の愚の流れに行くであろう。日本国として、軍事を抑制して、平和憲法の精神で、別格の国家の在り様を志向したいと考えるのも魅力的な 賢明な在りようであろう。しかし、どのような場合にも、国の安全は大事であり、広範な安全の在り様を進めるのは当然である。反作用の道理を考えれば、周辺諸国に脅威を与えないような配慮は賢い在りようである。情報力、文化力、経済力は普遍的な国力の象徴である。
原発問題は、もっと問題が複雑で扱いが不明ではないだろうか。一つには国家が総能力を掛けて推進してきた事実が存在し、またいわゆる欧米先進国、ロシア、中国なども開発して来た重い事実が存在する。およそ科学には利の面と危険な要素が本質的に存在する。そのような事業、俄かに全面廃止という訳には行かないのは、慣性の法則から言って道理ではないだろうか。しかし、日本の指導者、小泉氏、細川氏、菅氏などが高い立場、視点から反対を表明されている事実は重く尊重されるべきであり、原発に 慎重になり、ブレーキを掛けて行くのは 良い在りようと多くの人は判断されるのではないだろうか。
世の多くは、永い歴史の上に現在、現実があり、現状はそれなりに尊重して、在るべき在りようを慎重に考えるべきではないだろうか。多くは絶対的な在りようなどは存在せず、考えよう、場合、場合によって在りようが考えられると考えるべきではないだろうか。人は、よく、あれかこれか、どちらか か、マルかバツか の問いかけを行うが、本当に狭い、単細胞的視野、思考で世の中を見ているのが 人の現状ではないだろうか。人は 独断、偏見、思い込み、生い立ちの習慣、性格などで勝手に考え、見たりしていて、視野が狭く、議論もエゴの立場のぶっつけ合いで、実りある議論になっていないように見える。― 背後に より良い社会を築くためには、良い国、世界を築くためには の大義が弱く、自己の立場を中心に自己主張し過ぎの背景があるためではないだろうか。
例えばゼロ除算1/0=0/0=a/0= 0を発見して4年を過ぎたが、未だに 世の中では、ゼロ除算は不可能であるとの狭い従来の世界観に拘っていて、おかしな世界観にしがみついている現状がみられる。ゼロ除算の真相は、人間の独断、偏見、思い込みが いわゆるマインドコントロールされているように 如何に深いものであるかを 教えてくれるだろう。
要するに、世の中のことは、場合、場合により、状況によっていろいろ考えられると心得えれば、相当良いのではないだろうか。
以 上


再生核研究所声明 33 (2010/04/02):  民主主義と衆愚政治

民主主義( : 諸個人の意思の集合をもって物事を決める意思決定の原則・政治体制 ― 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 )の在りよう、 特に一般選挙で代表者を選出する方法、及び多数決で決定する方法 について考察し、問題点を露にし、より良い政治、決定が行われるように注意を喚起したい。
まず、このような方法をとる原理は、重要決定について 関係者がすべて平等に固有なる権利を有するから、その固有の権利の行使として、一般選挙を行い、選出された代表者も同じような考え方から、多数で決定すること、及びそのような過程、方式で多くの意見を基に討論して、みんなで決定する考え方である。この際、少数意見でも適切な意見である可能性があるから、それらを尊重して議論し、最終的には多数決で決定する(少数意見の尊重)というところも 民主主義の重要な点である。現在世界的に考えられている政治権力の決定方式である。それに対して、中国古代で考えられた いわゆる天子様による政治は、絶対権力を有する天子様が一部の人の意見を参考にして、決定していく方式であるが、多くの王政も日本の幕藩体制も大体同じような政治体制と考えられよう。これらの問題点は、権力者のいわば大義名分、すなわち、なぜ、天子や王や将軍が権力を有するのかという理由付けに難しい点がある。また、そのような権力者の決定に本質的な問題がある。しかしながら、そのような大義名分の問題があるものの、良き天子や王の下で、理想的な政治が行われた時代は 世界の各地で見出される。
民主主義の問題点は、まず、代表者の選出過程、重要事項の決定過程に 多くの労力を有し、時間と手間がかかることである。 そこで、多くの政治家、代表者は選出されるために膨大な労力を使い、本来の政治や仕事に取り組むためのエネルギーを費やしている。 また、有権者の支持を取り付けるために、構成員のためにならないようなことであっても、約束するような状況が多々起こり得る。 顕著な例として、日本国における膨大な借金と慢性的な財政赤字が挙げられよう。国民の支持を取り付けるために、必要ではあるが、課税を強化できない状況をもたらしている。このようなことを続ければ、国家破産を迎えるのは必然ではないだろうか。民主主義の失敗例に 日本国の場合が記録される可能性を有する ゆゆしき問題である。
民主主義の問題点は、投票者が 代表者の行使する行動について、良く理解できず、適切な代表者の選出ができず、いわば考えている代表者とあべこべの代表者を選出する可能性が 高いという、事実にある。 また、代表者の本来の要務以外の能力で、たとえば感じがいいから等で、代表者を選出しがちである。また、候補者に名演説などで いわば騙されてしまうことなどは、よく有りがちである。しかしながら、選んだのであるから、それは選出者の責任であるという観点は 良く理解できる大義名分である。
みんなで、選出し、みんなで決めたことであるから、如何なる決定でも納得できるは 確かに大事な大義名分であるが、これを誤解すると何でも多数をそろえて、いわば多数の力で、政治その他を推し進めようとなりがちな弊害を生むことになる。多くの会議で、多数決で議事を決定する際、投票者が議事に対する理解と公正な判断能力を有しないために   言わば数の結果で悪い決定がなされるのが むしろ多いのが現状であろう。これは原理的にも本質的にそうなる傾向がある。一般に良いものから順に並べれば、多数の決定とは 中間くらいの決定になるのが世の法則だからである。多数による決定とは 決定の便法であり、適切とか、公正とが、正しいという種のものではないことに留意しておく必要がある。( 数学のゼミナールで討論すれば、議論している数学の結果に対する真偽を多数決で決めるのは 何の意味もなく、誰が真実を述べているかによって、自ずから客観的に決定するのとは大きな違いがある。)
さらに、難しい問題を多数の人が理解できるか、判断できるかという観点も大事である。 沖縄返還に伴う外交問題で、いろいろ密約をしていた状況が露になったが、状況を露にすると国民の反対が出て外交がうまく行かないという、高度な政治判断が行なわれたのは顕著な例である。 憲法改正や、国防の在りようなども同じように難しい問題がある。それらを素人の多くの国民に判断を求めるのは 逆に無責任で、危険であるという面も有する。
次の時代には、より進んだ政治体制が考えられなければならないが、当分は適切に適用できる方法が現実的に見当たらないから、現状の体制を維持するとして、民主主義の弊害を少なくするために、具体的に運用の在りようについて提案したい:
 1)いわゆる代表者の選挙については、 選挙の広報をきちんと行うのは当然であるが、 投票しない権利を明確に認め、いわゆる投票率を上げるような行動は慎むこと。 これは投票に興味と関心を有する人に参加して頂き、興味や関心を持たない人に無理に投票しても貰うのは 無責任につながりかねないからである。特に政治や社会に関心のない人への勧誘による投票は慎むべきである。投票の案内は当然であるが、投票しましょうという勧誘は良くないと考える。これは、いわば真面目な投票人による選挙を意図していて、いわば無責任な人の投票を排除しようとする意図があることを肯定するものである。( 高校時代の世界史の 尊敬する先生の 授業中に述べられた ひっとした言葉が 今鮮やかに蘇り、ここに成文化したい: 私は、よくよく考えて 1票を投じているのに、よく考えないで投票する人と 同じ1票かと思うと 考えてしまう という嘆きの言葉です。)。
2)代表者の身分が民主主義ゆえに不安定では 責任ある政治を行うことができないから、在任中は特に厚く身分を保証して 本務に専念できるように配慮すること。
3)代表者は 広い視点に立って、自分の立場より、公の立場を優先させて考え、評価については 近視眼的ではなくて、歴史的な評価を大事にすること。
4)代表者の投票者(有権者)は 日ごろ研鑽を行い、投票に責任が負えるように努力すること。
5)特に 代表者の選出過程や代表者の立場が、マスコミの影響を受け易いのが、民主主義の特徴であるから、マスコミ関係者は 高い見識を持つように 特に努力して 次の報道の5原則にいつも留意すること:
 (2010年01月31日)                                              
原則1「推定無罪の原則」
…….(最初から有罪であるよう印象づける報道はしないこと)

原則2「公正な報道」
…… (検察の発表だけをたれ流すのでなく巻き込まれた人や弁護人の考えを平等に報道すること))
原則3「人権を配慮した報道」
…….(他の先進国並みに捜査権の乱用を防ぐため、検察・警察の逮捕権、家宅捜索権の行使には、正当な理由があるかを取材、報道すること)
原則4「真実の報道」
……(自主取材は自主取材として、検察・警察の情報は、あくまでも検察・警察の情報である旨を明記すること)
原則5「客観報道」
…… (問題の歴史的経緯・背景、問題の全体構図、相関関係、別の視点などをきちんと報道すること)
                                         

                                                          以 上
注:
衆愚政治(しゅうぐせいじ、Ochlocracy)とは、多数の愚民による政治の意で、民主政を揶揄して用いられる言葉。有権者の大半が知的訓練を受けずに参政権を得ている状況で、その愚かさゆえに互いに譲り合い(互譲)や合意形成ができず、政策が停滞してしまったり、愚かな合意が得られたりする状況をさす。 また有権者がおのおののエゴイズムを追求して意思決定する政治状況を指す。知的訓練を受けない民が意思決定に参加することで、議論が低廻したり、扇動者の詭弁に誘導されて誤った意思決定をおこない、 誤った政策執行に至る場合などをさす。また知的訓練を受けた僭主による利益誘導や、地縁血縁からくる心理的な同調、刹那的で深い考えにもとづかない怒りや恐怖、嫉妬、見せかけの正しさや大義、あるいは利己的な欲求などさまざまな誘引に導かれ意思決定をおこなうことで、コミュニティ全体が不利益をこうむる政治状況をさす。 また場の空気を忖度することで構成員の誰もが望んでいないことを合意することがある(アビリーンのパラドックス)。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』。

欧米では時間を越えて、真理・真実を追求しようとする文化がある(これは神の前に出るときには 清い心で望みたいという宗教が背後にあるように感じられる)のに比べて、日本には誤魔化したり、隠蔽したり、曖昧にする文化があることに深く根ざしているとも言える。 

GHQから「日本の将棋は取った相手の駒を自分の兵隊として使用するので、これは捕虜の虐待ではないか」と問われた升田は次のように反論する。
「冗談をいわれては困る。チェスで取った駒をつかわんのこそ、捕虜の虐殺である。そこへ行くと日本の将棋は、捕虜を虐待も虐殺もしない。常に全部の駒が生きておる。これは能力を尊重し、それぞれに仕事場を与えようという思想である。しかも敵から味方に移ってきても、金は金、飛車は飛車と元の官位のままで仕事をさせる。これこそ本当の民主主義ではないか」
格好良すぎるぞ。升田幸三!
名人に香車を引いた男升田幸三自伝 (中公文庫) [文庫]
升田 幸三 (著) 

再生核研究所声明 502011.2.24):  日本における 民主主義の脆さ、危うさ
                     
民主主義は 衆愚政治に近いものであり(声明 33:民主主義と衆愚政治)、日本は既に衆愚政治の状態ではないか との危惧を表明している(声明 49:アジアの愚か者、アジアの野蛮性)。しからば、どうして、このような状態に至ったかを考察して、日本国の弱点を克服して、少しでも歴史を進化させるように努力したい。
はじめに、民主主義は 日本の国民性に合っておらず、本質的な問題を抱えていると言えるのではないだろうか。 先ず、大多数を占める一般庶民を見ると、

1)政治に興味が無い、関心が無い、政治に嫌気がさしている、政争を好まない、政治論争も嫌いである、あるいは政治に絶望している。
2)政治を語ると 変な偏った思想の持ち主であるかのように感じられる風土、文化、和の精神で、表に出さず、内緒に政治に関与したい。 みんなで連なっていたい文化背景を有しているように考えられる。
3)日本のあるべき形や、組織のあるべき姿など 真剣に考える余裕も無く、認識が、理解が薄いので、多分に感じやムード、評判などで、判断内容の質は 相当に悪く、あれも霞と民主主義 のレべル を越えているようには見えない。
4)公の選挙でも、地縁、など まるで、ある勢力の争いのような雰囲気で、政策や政治理念、政策以外で、選挙に参加するのは よく見られる情景である。多くの場合、社会を良くするには、国を良くするには の観点より、勢力争いに費やしている方が主になっている。
5)本質的な問題としては、日本では、個、個人が確立しておらず、ふらふら仲間のムードで動いている、生きている、意思表示しているような背景がある。
近年に見られる背景は、
1)真面目に社会や、国の在りようについて考える、時間的な、精神的な余裕が無い、国防や税の問題、経済、福祉など、難しすぎて、真面目に検討できない
2)政治社会は あまりにも大きな世界のために、個人の空しさを感じて、絶望的になってしまう。 諦めてしまう
3)醜い政争、あるいは公約違反などを見て、うんざりして、諦めてしまう、信じられる政党も、政治家も、人物もいない
などの理由で、政治に無関心な層が増加していると考えられる。
それらのために 投票しても、質が低く、変な投票結果すら、出していると考えられる。これこそ、衆愚政治に陥っている ということの、その背景ではないだろうか。
多くの人が政治に関心を持ち、日ごろ議論などして 高い見識を維持することは 不可能である。 そこで、言論界やマスコミなどが 建設的な意見や、あるべき姿について見識ある見解を表明して、多くの国民がそれらを参考にして、選択するというのが、民主主義のあるべき実体である、 実相であると考える。 そこで、マスコミや言論界がしっかりしていれば、民主主義は 国民が最終的な、総合的な判断をするという意味で、うまく機能すると、民主主義制度を高く評価できる。ところが、日本で重大な問題が起きていると危惧している。日本の言論界、マスコミが誠に低級で、偏っているという、判断である。そのために、国民は混乱させられ、政局は混乱し、全体として衆愚政治に陥っているという、判断である。
マスコミが 不偏不党、法と社会正義を守り、客観的な報道を行なうのは、当然であると考えられてきたが、公然と偏向報道を行い、法や道理を自ら破ぶっているように見える。 国家の在り様についての見識も、低級であると判断される。具体例を挙げると、検察が徹底的に調べて、不起訴処分を決定している者を、あたかも有罪判決を受けた者のように、大騒ぎさせて、日本の指導的な政治家を 政治的に抹殺しようとしている事実は 顕著ではないだろうか。推定無罪の原則など、法治国家の常識ではないだろうか。ようやく実現した政権交代を散々攻撃して、政権交代を空中分解させている。 健全にマスコミが機能していれば、このように混乱した状況は 起きなかったものと考えられ、誠に残念である。更に、国家の在るべき姿に対しても アジアに緊張を起こし、軍拡を煽り、アジアの愚か者を 扇動する浅ましさが目立つ。
更に信じられない事件は、検察の政治介入である。これには繰り返し述べてきたところであるが、公然と与党幹事長や首相になろうという人に 政治的な弾圧を加えていると理解されるということである。 これは、民主主義に対する官憲による政治介入に繋がるので、極めて重要な問題を含んでいる。 関係声明を参照して頂きたい:

再生核研究所声明 23: 秘書の逮捕、起訴事件における検察庁の対応と公正の原則
再生核研究所声明 30:  検察庁の暴走と民主主義の危機 - 広い視点
再生核研究所声明 31: 法の精神と - 罪と罰
再生核研究所声明 41: 世界史、大義、評価、神、最後の審判

マスコミも検察も終戦に当たって、大きな反省をした筈であるが、何を学習したのだろうか。 国民のレベルも戦前以下であり、日本国の民主主義に危うさ、危惧の念を抱いている。 それらは、平和の問題に直結している、日本国の大事であると考える。
                                    以 上

欧米では時間を越えて、真理・真実を追求しようとする文化がある(これは神の前に出るときには 清い心で望みたいという宗教が背後にあるように感じられる)のに比べて、日本には誤魔化したり、隠蔽したり、曖昧にする文化があることに深く根ざしているとも言える。 


小沢氏「既存メディア」不信? フリー記者らに積極露出

小沢氏だけでなく、多くの人が、日本のマスコミが、法を尊重せず、公正でもなく、不偏不党でもないとは感じておられると思います。
政治に関心のない・真面目な研究者が、日本のマスコミは外国誌のようだ、小沢氏をたたいている、おかしいと言っていたのは、日本の常識を言っていると思います。首相になろうという人に疑いをかけて、さんざん騒ぎ、政治家失脚のように追い詰めて、結局不起訴を決めた、検察の重大な過失、その事実だけで、検察の責任は、民主主義への本質的な挑戦ではないでしょうか。 
健全なマスコミならば、そのような経過を許さず、また検察の責任を追及するのが正義と法を守り、民主主義を守るマスコミの使命ではないでしょうか。 マスコミ・検察・政治家が団結して、小沢氏をいじめているように見えますね。 おかしな日本。 法も道理も義もないのかと怒りを覚えます。

何故マスコミは乗っ取られたのか?
                        
何時の世にも宣伝は大事であり、権力者ばかりではなく、多くの人が、マスコミを利用しようとするのは、普遍的な事実ではないでしょうか。
そこで、そのような圧力に対して、社会正義や世界のための大きな視点を失って、圧力で動いていれば、それはマスコミの役割を放棄し、信頼を失い結局衰退するのではないでしょうか。 
いつでも信頼の上に成り立つものは世に多いですね。
マスコミは、公器なので、社会正義や不偏不党などの条件が有ると考えますが、アメリカ流の考えによれば、いまや電波や情報は広く拡散できますので、新聞社は、勝手に商業紙の様に自由に書いても良いという考え方があるようです。 ですから、新聞内容を丸呑みしないで、いろいろな情報と比較したりして 批判的・理解する態度が必要ではないでしょうか。
日本の新聞など、外国の圧力で書いているようなところが多く、商業紙のようで、論説記事なども批判的に見る態度が大事ではないでしょうか。 実際、日本のマスコミには、日本を衆愚政治に導いていて、法や道理を無視しているようなところがありますね。 小沢氏の問題などに顕著に現れていると思います。 検察が小沢氏の問題について、不起訴処分を決定したという、重い事実など無視して、政治と金などのキャンペーンを繰り返していますね。 検察の政治介入の巨悪を追及すべきところ、検察とマスコミの癒着では、マスコミの腐敗は深刻ではないでしょうか
平成暗黒時代の演出者として、やがて世界史の厳しい批判を受けるのではないでしょうか。

再生核研究所声明41(2010/06/10):世界史、大義、評価、神、最後の審判

日本のマスコミは、どの部分を改善したら、素晴らしくなるでしょうか

日本のマスコミについて、果たして自分たちの良心と社会正義観から、政治問題や防衛問題を 真面目に考えているようには見えず、外圧によって、偏向報道をやっているように思われ、報道の信頼が揺らいでいるのは根本的な問題ではないでしょうか。 
編集者の責任は、重大ではないでしょうか。
政治以外の文化面その他の多くの記事が素晴らしくても、大事な政治で偏向・社会正義について信頼を失えば、新聞全体の評価は、著しく下がるのは当然ですから、関係者が内部から、絶えず、社会正義を追求すべきでは。 特にいろいろな意見や反対意見を幅広く取り上げ、いろいろな視点から、幅広く読者が判断できるように、情報を提供すべきではないでしょうか。 
良い意見を広く採択でき、紹介するためには、編集者の高い能力と公正な判断能力が求められるのではないでしょうか。


GHQから「日本の将棋は取った相手の駒を自分の兵隊として使用するので、これは捕虜の虐待ではないか」と問われた升田は次のように反論する。
「冗談をいわれては困る。チェスで取った駒をつかわんのこそ、捕虜の虐殺である。そこへ行くと日本の将棋は、捕虜を虐待も虐殺もしない。常に全部の駒が生きておる。これは能力を尊重し、それぞれに仕事場を与えようという思想である。しかも敵から味方に移ってきても、金は金、飛車は飛車と元の官位のままで仕事をさせる。これこそ本当の民主主義ではないか」。チェスは取った駒を殺すが、これこそ捕虜の虐待ではないか。キングは危なくなるとクイーンを盾にしてまで逃げるが、これは貴殿の民主主義レディーファーストの思想に反するではないか」と反論した。
格好良すぎるぞ。升田幸三!

名人に香車を引いた男升田幸三自伝 (中公文庫) [文庫]
天野宗歩


日本の政党は「腐敗している」80%(独NGO調査)
「政治家信用せず」80%、17、18歳に政治家不信の傾向浮き彫り

国の借金1000兆円を突破 6月末時点
高学歴エリートが沢山いるのになんで財政難なんだよ?
 (;_; )( ;_;) シクシク・(-。-;)・(◎_◎)・(^_-)db(-_^) 指切りげんまん


自民が勝つ
民主が負ける
俺たちが笑う
日本が元気になる

それでおk 

惜しい 途中までは合ってるけど最後が少し間違ってる

自民が勝つ

民主が負ける

お前らが笑う

自民が日本を終わらす

お前らが騙されたと気づく 


五輪決定圧勝劇の裏 北朝鮮が「4票」に協力 - 東スポWeb
http://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/social/181725/


0 件のコメント:

コメントを投稿