「もし地球が球体ではなく立方体だったらどうなるか」を物理エンジンでシミュレートしたムービーが公開中
地球平面論者が何と言おうと、地球が丸いということは科学的にも証明が可能で、もはや疑いようのない事実となっています。しかし仮に地球が球形ではなく立方体だったとしたら一体どんなことが起こってしまうのか、色んな疑問について物理エンジンでシミュレートして考えるチャンネル人工知能さんが以下のムービーにまとめています。
【物理エンジン】もしも地球がキューブ型だったら【立方体地球】 - YouTube
地球は半径6400kmの球形であるということが現在では分かっています。しかし地球が球体であるということ自体は紀元前から唱えられていて、ヘレニズム時代の学者エラトステネスは地球が球体であることを利用して地球の大きさを人類で初めて測定したと言われています。
しかし古代では、一部の学者を除く多くの人は地球は平らだと考えていて、現代でもそう考える人が少なからず存在します。
そこで地球の球体と密度・体積が等しい立方体を用意します。一辺の長さは10270kmとなります。密度・体積が等しいのでもちろん立方体の地球は本来の地球と同じ質量です。
さらにその1面の中心に東京を設定します。東京を通りかつ面に垂直な軸で地球が自転していると考えます。
そもそも、自転している地球の上で私たちが普通に生活できているのは万有引力のおかげです。そして万有引力から地球の自転で生じる遠心力を差し引いた分が重力となります。球体に接する面は球の半径と垂直となるため、私たちは地球上のどこにいても地面に対してほぼ垂直な重力を感じることができます。
しかし立方体だと、場所によって角度が変わってしまうため、重力を計算しようとすると以下の画像のように複雑になってしまうとのこと。また、万有引力は地球の重心までの距離の二乗に反比例するので、球体と違って中心までの距離が一定ではない立方体上では、重力の大きさも変化してしまいます。
このややこしい数式を物理エンジンに代入してみたところ、重力の向きは以下の画像のような感じになります。全ての矢印が立方体の中心を向いている状態です。
面の中心にある東京では、重心までの距離が球体の時よりも短くなっているので重力が少し増す計算になりますが、地面に対して重力がほぼ垂直なので普段通りの生活が可能です
しかし、立方体の辺上では球体の時よりも確実に重心までの距離が長くなるため、重力は減ってしまいます。
さらに重力は立方体の中心に向かうのに対して、地面は平面であり続けるので、辺にいる人にとっては45度の坂に感じてしまいます。
結果として重力の向きと大きさが変化してしまうことで、平面の地形なのに面の中心に向かって滑り落ちるという不思議な現象が起こります。
また地球上にある海の水を立方体の地球に流し込んでみると……
面の中心部に水がたまってしまうため、巨大な水たまりが面の中心を覆ってしまいます。
その結果、面の中心に位置する日本は海の底に沈んでしまうということになってしまいます。
次に浮上するのは地球上の大気の問題です。
地球上の大気圏は重力によって維持されています。そのため、立方体の地球だと海水と同様に面の中心に集まってしまいます。ただし中心には海水がたまっているので、人間が住む場所が1~0.7気圧と想定した場合、その周囲10km幅の環状部分のみが人間の住める場所になるとのこと。
そうなると、大気がほとんどない立方体の辺にあたる部分に住む人たちは宇宙服を着ながら、さらに45度近くの急斜面に耐えて生活をしなければなりません。また地球上の土地の格差が今以上に大きくなり、人類同士で幅10kmの居住可能地帯を奪い合うことになるかもしれません。
最終的に「地球が丸くて助かった」というシンプルな感想でムービーは終わります。
とても興味深く見ました:ゼロ除算の発見4周年超えました:
再生核研究所声明198(2015.1.14) 計算機と人間の違い、そしてそれらの愚かさについて
まず、簡単な例として、割り算、除算の考えを振り返ろう:
声明は一般向きであるから、本質を分かり易く説明しよう。 そのため、ゼロ以上の数の世界で考え、まず、100/2を次のように考えよう:
100-2-2-2-,...,-2.
ここで、2 を何回引けるか(除けるか)と考え、いまは 50 回引いてゼロになるから分数の商は50である。
次に 3/2 を考えよう。まず、
3 - 2 = 1
で、余り1である。そこで、余り1を10倍して、 同様に
10-2-2-2-2-2=0
であるから、10/2=5 となり
3/2 =1+0.5= 1.5
とする。3を2つに分ければ、1.5である。
これは筆算で割り算を行うことを 減法の繰り返しで考える方法を示している。
ところで、 除算を引き算の繰り返しで計算する方法は、除算の有効な計算法がなかったので、実際は日本ばかりではなく、中世ヨーロッパでも計算は引き算の繰り返しで計算していたばかりか、現在でも計算機で計算する方法になっていると言う(吉田洋一;零の発見、岩波新書、34-43)。
計算機は、上記のように 割り算を引き算の繰り返しで、計算して、何回引けるかで商を計算すると言う。 計算機には、予想や感情、勘が働かないから、機械的に行う必要があり、このような手順、アルゴリズムが必要であると考えられる。 これは計算機の本質的な原理ではないだろうか。
そこで、人間は、ここでどのように行うであろうか。 100/2 の場合は、2掛ける何とかで100に近いものでと考え 大抵50は簡単に求まるのでは? 3/2も 3の半分で1.5くらいは直ぐに出るが、 2掛ける1で2、 余り1で、 次は10割る2で 5そこで、1.5と直ぐに求まるのではないだろうか。
人間は筆算で割り算を行うとき、上記で何回引けるかとは 発想せず、何回を掛け算で、感覚的に何倍入っているか、何倍引けるか、と考えるだろう。この人間の発想は教育によるものか、割り算に対して、逆演算の掛け算の学習効果を活かすように 相当にひとりでに学習するのかは極めて面白い点ではないだろうか。この発想には掛け算についての相当な経験と勘を有していなければ、有効ではない。
この簡単な計算の方法の中に、人間の考え方と計算機の扱いの本質的な違いが現れていると考える。 人間の方法には、逆の考え、すなわち積の考えや、勘、経験、感情が働いて、作業を進める点である。 計算機には柔軟な対応はできず、機械的にアルゴリズムを実行する他はない。 しかしながら、 計算機が使われた、あるいは用意された情報などを蓄積して、どんどんその意味における経験を豊かにして、求める作業を効率化しているのは 広く見られる。 その進め方は、対象、問題によっていろいろなアルゴリズムで 具体的には 複雑であるが、しかし、自動的に確定するように、機械的に定まるようになっていると考えられる ― 厳密に言うと そうではない考えもできる、すなわち、ランダムないわゆる 乱数を用いるアルゴリズムなどはそうとは言えない面もある ― グーグル検索など時間と共に変化しているが、自動的に進むシステムが構築されていると考えられる。 それで、蓄積される情報量が人間の器、能力を超えて、計算機は 人間を遥かに超え、凌ぐデータを扱うことが可能である事から、そのような学習能力は、人間のある能力を凌ぐ可能性が高まって来ている。 将棋や碁などで プロの棋士を凌ぐほどになっているのは、良い例ではないだろうか。もちろん、この観点からも、いろいろな状況に対応するアルゴリズムの開発は、計算機の進化において 大きな人類の課題になるだろう。
他方、例えば、幼児の言葉の学習過程は 神秘的とも言えるもので、個々の単語やその意味を1つずつ学習するよりは 全体的に感覚的に自動的にさえ学習しているようで、学習効果が生命の活動のように柔軟に総合的に進むのが 人間の才能の特徴ではないだろうか。
さらに、いくら情報やデータを集めても、 人間が持っている創造性は 計算機には無理のように見える。 創造性や新しい考えは 無意識から突然湧いてくる場合が多く、 創造性は計算機には無理ではないだろうか。 そのことを意識したわけではないが、人間の尊厳さを 創造性に 纏めている:
再生核研究所声明181(2014.11.25) 人類の素晴らしさ ― 7つの視点
そこでも触れているが、信仰や芸術、感情などは生命に結び付く高度な存在で、科学も計算機もいまだ立ち入ることができない世界として、生命に対する尊厳さを確認したい。
しかしながら、他方、人間の驚くべき 愚かさにも自戒して置きたい:
発想の転換、考え方の変更が難しいということである。発想の転換が 天動説を地動説に変えるのが難しかった世界史の事件のように、また、非ユークリッド幾何学を受け入れるのが大変だったように、実は極めて難しい状況がある。人間が如何に予断と偏見に満ち、思い込んだら変えられない性(さが) が深いことを 絶えず心しておく必要がある: 例えば、ゼロ除算は 千年以上も、不可能であるという烙印のもとで、世界史上でも人類は囚われていたことを述べていると考えられる。世界史の盲点であったと言えるのではないだろうか。 ある時代からの 未来人は 人類が 愚かな争いを続けていた事と同じように、人類の愚かさの象徴 と記録するだろう。 数学では、加、減、そして、積は 何時でも自由にできた、しかしながら、ゼロで割れないという、例外が除法には存在したが、ゼロ除算の簡潔な導入によって、例外なく除算もできるという、例外のない美しい世界が実現できた(再生核研究所声明180(2014.11.24) 人類の愚かさ― 7つの視点)。そこで、この弱点を克服する心得を次のように纏めている:
再生核研究所声明191(2014.12.26) 公理系、基本と人間
以 上
再生核研究所声明199(2015.1.15) 世界の数学界のおかしな間違い、世界の初等教育から学術書まで間違っていると言える ― ゼロ除算100/0=0,0/0=0
ゼロ除算は 西暦628年インドでゼロが文献に記録されて以来、問題とされてきた。ゼロ除算とは、ゼロで割ることを考えることである。これは数学の基本である、四則演算、加法、減法、乗法、除法において、除法以外は何時でも自由にできるのに、除法の場合だけ、ゼロで割ることができないという理由で、さらに物理法則を表す多くの公式にゼロ除算が自然に現れていることもあって、世界各地で、今でも絶えず、問題にされていると考えられる。― 小学生でも どうしてゼロで割れないのかと毎年、いろいろな教室で問われ続いているのではないだろうか.
これについては、近代数学が確立された以後でも、何百年を越えて 永い間の定説として、ゼロ除算は 不可能であり、ゼロで割ってはいけないことは、初等教育から、中等、高校、大学そして学術界、すなわち、世界の全ての文献と理解はそうなっている。変えることのできない不変的な法則のように理解されていると考えられる。
しかるに2014年2月2日 ゼロ除算は、可能であり、ゼロで割ればゼロであることが、偶然発見された。その後の経過、背景や意味付け等を纏めてきた:
再生核研究所声明 148(2014.2.12) 100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明154(2014.4.22) 新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明157(2014.5.8) 知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
再生核研究所声明161(2014.5.30)ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
再生核研究所声明163(2014.6.17)ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明171(2014.7.30)掛け算の意味と割り算の意味 ― ゼロ除算100/0=0は自明である?
再生核研究所声明176(2014.8.9) ゼロ除算について、数学教育の変更を提案する
Announcement 179 (2014.8.25): Division by zero is clear as z/0=0 and it is fundamental in mathematics
Announcement 185 : The importance of the division by zero $z/0=0$
再生核研究所声明188(2014.12.15)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
再生核研究所声明190(2014.12.24)
再生核研究所からの贈り物 ― ゼロ除算100/0=0, 0/0=0
夜明け、新世界、再生核研究所 年頭声明
― 再生核研究所声明193(2015.1.1)―
再生核研究所声明194(2015.1.2)大きなイプシロン(無限小)、創造性の不思議
再生核研究所声明195(2015.1.3)ゼロ除算に於ける高橋の一意性定理について
再生核研究所声明196(2015.1.4)ゼロ除算に於ける山根の解釈100= 0x0について
ところが、気づいてみると、ゼロ除算は当たり前なのに、数学者たちが勝手に、割り算は掛け算の逆と思い込み、ゼロ除算は不可能であると 絶対的な真理であるかのように 烙印を押して、世界の人々も盲信してきた。それで、物理学者が そのために基本的な公式における曖昧さに困ってきた事情は ニュートンの万有引力の法則にさえ見られる。
さらに、誠に奇妙なことには、除算はその言葉が表すように、掛算とは無関係に考えられ、日本ばかりではなく西欧でも中世から除算は引き算の繰り返しで計算されてきた、古い、永い伝統がある。その考え方から、ゼロ除算は自明であると道脇裕氏と道脇愛羽さん6歳が(四則演算を学習して間もないときに)理解を示した ― ゼロ除算は除算の固有の意味から自明であり、ゼロで割ればゼロであるは数学的な真実であると言える(声明194)。数学、物理、文化への影響も甚大であると考えられる。
数学者は 数学の自由な精神で 好きなことで、考えられることは何でも考え、不可能を可能にし、分からないことを究め、真智を求めるのが 数学者の精神である。非ユークリッド幾何学の出現で 絶対は変わり得ることを学び、いろいろな考え方があることを学んできたはずである。そのような観点から ゼロ除算の解明の遅れは 奇妙な歴史的な事件である と言えるのではないだろうか。
これは、数学を超えた、真実であり、ゼロ除算は不可能であるとの 世の理解は間違っている と言える。そこで、真実を世界に広めて、人類の歴史を進化させるべきであると考える。特に声明176と声明185を参照。ゼロ除算は 堪らなく楽しい 新世界 を拓いていると考える。
以 上
再生核研究所声明200(2015.1.16) ゼロ除算と複素解析の現状 ―佐藤超関数論との関係が鍵か?
正確に次のように公開して複素解析とゼロ除算の研究を開始した:
特異点解明の歩み100/0=0,0/0=0 関係者:
複素解析学では、1/0として、無限遠点が存在して、美しい世界です。しかしながら、1/0=0 は 動かせない真実です。それで、勇気をもって進まざるを得ない:― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。― 再生核研究所声明148.
私には 無理かと思いますが、世の秀才の方々に 挑戦して頂きたい。空論に付き合うのはまっぴらだ と考える方も多いかと思いますが、面白いと考えられる方で、楽しく交流できれば幸いです。宜しくお願い致します。 添付 物語を続けたい。2014.4.1.11:10
上記で、予想された難問、 解析関数は、孤立特異点で確定値をとる、が 自分でも予想しない形で解決でき、ある種の実体を捉えていると考えたのであるが、この結果自体、世のすべての教科書の内容を変える事件であるばかりではなく、確立されている無限遠点の概念に 新しい解釈を与えるもので、1次変換の美しい性質が、ゼロ除算の導入によって、任意の1次変換は 全複素平面を全複素平面に1対1 onto に写すという美しい性質に変わるが、 極である1点において不連続性が現れ、ゼロ除算は、無限を 数から排除する数学になっている。
6月、帰国後、気に成っていた、金子晃先生の 30年以上前に購入した超函数入門の本に 極めて面白い記述があり、佐藤超関数とゼロ除算の面白い関係が出てきた。さらに 特異積分におけるアダマールの有限部分や、コーシーの主値積分は、弾性体やクラック、破壊理論など広い世界で、自然現象を記述するのに用いられているが、面白いのは 積分が、もともと有限部分と発散部分に分けられ、 極限は 無限たす、有限量の形になっていて、積分は 実は、普通の積分ではなく、そこに現れる有限量を便宜的に表わしている。ところが、その有限量が実は、 ゼロ除算にいう、 解析関数の孤立特異点での 確定値に成っていることが分かった。これはゼロ除算の結果が、広く、自然現象を記述していることを示している。
現在まで、添付21ページの論文原稿について 慎重に総合的に検討してきた。
そこで、問題の核心、ゼロ除算の発展の基礎は、次の論点に有るように感じられてきた:
We can find many applicable examples, for example, as a typical example in A. Kaneko (\cite{kaneko}, page 11) in the theory of hyperfunction theory: for non-integers $\lambda$, we have
\begin{equation}
x_+^{\lambda} = \left[ \frac{-(-z)^{\lambda}}{2i \sin \pi \lambda}\right] =\frac{1}{2i \sin \pi \lambda}\{(-x + i0)^{\lambda}- (-x - i0)^{\lambda}\}
\end{equation}
where the left hand side is a Sato hyperfunction and the middle term is the representative analytic function whose meaning is given by the last term. For an integer $n$, Kaneko derived that
\begin{equation}
x_+^{n} = \left[- \frac{z^n}{2\pi i} \log (-z) \right],
\end{equation}
where $\log$ is a principal value: $ \{ - \pi < \arg z < +\pi \}$. Kaneko stated there that by taking a finite part of the Laurent expansion, the formula is derived.
Indeed, we have the expansion, for around $ n$, integer
$$
\frac{-(-z)^{\lambda}}{2i \sin \pi \lambda}
$$
\begin{equation}
= \frac{- z^n}{2\pi i} \frac{1}{\lambda -n} - \frac{z^n}{2\pi i} \log (-z )
- \left( \frac{\log^2 (-z) z^n}{2\pi i\cdot 2!} + \frac{\pi z^n}{2i\cdot 3!}
\right)(\lambda - n) + ...
\end{equation}
(\cite{kaneko}, page 220).
By our Theorem 2, however, we can derive this result (4.3) from the Laurant expansion (4.4), immediately.
上記ローラン展開で、\lambda に n を代入したのが ちょうど n に対する佐藤の超関数になっている。それは、ゼロ除算に言う、 孤立特異点における解析関数の極における確定値である。これはゼロ除算そのものと殆ど等価であるから、ローラン展開に \lambda = n を代入した意味を、上記の佐藤超関数の理論は述べているので 上記の結果を分析すれば、ゼロ除算のある本質を捉えることができるのではないかと考えられる。
佐藤超関数は 日本で生まれた、基本的な数学で 優秀な人材を有している。また、それだけ高級、高度化しているが、このような初歩的、基本的な問題に関係がある事が明らかになってきた。そこで、佐藤超関数論の専門家の方々の研究参加が望まれ、期待される。また、関係者の助言やご意見をお願いしたい。
ゼロ除算における新現象、驚きとは Aristotélēs の世界観、universe は連続である を否定して、強力な不連続性を universe の現象として示していることである。
以 上
再生核研究所声明 418(2018.2.24): 割り算とは何ですか? ゼロ除算って何ですか - 小学生、中学生向き 回答
ここ2回に亘ってゼロ除算の解説を高校生、中学生向きに解説したので、今回はそれらの前に小学生などを意識して、割り算の意味とゼロ除算の意味を解説したい。
まず、割り算ですが、割り算を最初に考えたのは、アダムとイブで仲良くリンゴを2つに分けたことにあると楽しく表現した人がいます。 10個のリンゴを2人で仲良く分ければ、5個ずつ分けると丁度良いと考えますね。これは10割る2の意味で、割り算とは同じように分けることと考えられます。 10個のリンゴを3人で分ければ、3個ずつ分けると1個余りになると考えれば、10割る3は 3余り1です。 これらを 10/3 = 3 … 1 等と書き、 10を3で割ると商が3で余りは1と表現します。 少し、 難しく、50を13で割るとどうなるでしょうか。 少し考えて、50/13 = 3… 11 となります。 確かめるには、本当に分けた結果が50になるかを確認すればいいですね。 13が 3つあると 39で 11個残りと言っているので、確かに全体で50になるので、結果が正しいことが分かります。
割り算は難しいと 有名な言葉が有りますが、
― 割り算のできる人には、どんなことも難しくない。
世の中には多くのむずかしいものがあるが、加減乗除の四則演算ほどむずかしいものはほかにない。
ベーダ・ヴェネラビリス(アイルランドの神学者)
数学名言集:ヴィルチェンコ編:松野武 山崎昇 訳大竹出版1989年
P199より
簡単に考える方法があります。50に13が幾つあるかを考えているので、50引く13を繰り返して、 引けるまで、引き算を 繰り返します:
50-13=27、
27-13=14、
14-13=1
1から13は引けませんから、13は3個あるとなって、割り算の商が求まります。 この手順は何時でも決まった方法で必ず答えが得られますので、分かり易く実際、感情や直感、経験、
工夫などが苦手な計算機は割り算の商を計算するときにこのようにして自動的に計算しています。繰り返し引いていくので、繰り返して除いて行きますので、割り算は除算と呼ばれ、 西欧でも中世時代そのようにして計算していたというのです。 除算の名称は素晴らしいですね。
ゼロ除算とは、ゼロで割ることを考えることですから、 50割るゼロをやって見ましょう。
50-0=50
ですから、50はゼロを引いても引いたことにはならず、50/0=0 となるのではないでしょうか?
50のところは何でも結果はゼロだということになります。 ここをそうだと言ったら、1000年や2000年を越える新しい結果であるとなりますから、 大変です。 皆さんゼロで割ってはいけないと教えられてきていて、それが現代数学の定説です。
ところが、ゼロ除算は ある自然な意味で、何でもゼロで割ればゼロであるという数学を発見して ここ4年間研究を続けていますが このような新しい考えは、 数学の基礎と私たちの空間の考えを変える必要があり、大きな影響が有ります。
そこで、次の、中学、高校生ようの解説に進むことが出来ます。
そこに、小学1年生のお友達が出てきますから、面白いですね。
再生核研究所声明 417(2018.2.21): ゼロ除算って何ですか - 中学生、高校生向き 回答
ゼロ除算とは例えば、100割るゼロを考えることです。普通に考えると、それは考えられない(不可能)となるのですが、それが分かることが まず第1歩です。何事始めが大事ですから、この意味が分かるように 次で詳しく解説されている部分を編集して、分かり易く説明したい:
ゼロ除算の研究状況は、数学基礎学力研究会 サイトで解説が続けられています: http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku/
前回の声明、再生核研究所声明 416(2018.2.20): ゼロ除算をやってどういう意味が有りますか。何か意味が有りますか。何になるのですか - 回答
それ以前のこととして、今回はより基本的なことを述べたい。
12割る2は6、12割る3は4、12割る4は3、12割る6は2です。 12割る5は、商は2で余りは2で、12割る7は 商は1で余りは5です。これらを、普通、12/2=6,12/3=4,12/4=3,12/6=2 と分数で表現し、後半のように割り切れないときは 余りを表現したり、少数点以下割り算をどんどん 続けて行く場合などいろいろな考え方、表現があります。ここでは、簡単な場合として 自然数、1、2、3、4、、、、 の場合を考えましょう。
割り切れるときには、次の等式が成り立つことが大事です:
2X6=12, 3X4=12, 4X3=12, 2X6=12.
実際、12割る3を考えるとき、12の中に3が いくつ有るかと考え、3に何を掛けたら12になるかと考えるのではないでしょうか。ここには少し難しいところが有って、計算機などは決まった考えしかできないので、12から3を次々に引いて何回引けるかと考えれば、何時でも決まった考え方で割り算の商を求めることが出来ます。前半の考えは掛け算の逆を考えて、後半は引き算を何回やっての考え方ですから、前半の考えには感覚、予想などが必要であって、難しいですが、引き算の繰り返し(除いていく計算、除算)をただやればよいのですから、簡単です。計算機はこのようにして 割り算を実際行っています。
ゼロ除算とは、ゼロで割ることを考えるのですから、上記の場合、割る数、2,3,4,6のところでそれらがゼロだったらどうなるかと考えること、それがゼロ除算です。 ゼロで割ることを考えることです。
掛け算の逆で考える方法では、ゼロに何を掛けてもゼロですから、例えば、100/0は 0Xa=100 を探したいと考えても、0Xa =0 ですから、できない、存在しないということになってしまいます。そこで、現代数学では ゼロで割ってはいけないと教えられています。 数学界では2000年を超えた定説です。問題は、世の中には、分母がゼロになる公式が沢山現れて、分母がゼロになる場合が問題になります。
例えば、理想的な2つの質点間に働く、ニュートンの万有引力F は 2つの質量をm、M、万有引力定数をGとすると、距離をrとすれば
F = G mM/r^2。(r^2は rの2乗の意味)。
rをゼロに近づければ 正の無限に発散するが、rが ゼロに成れば無限大か? 無限大とは何か、数か? その意味が不明であるという点である。
そもそも足し算、掛け算の基礎はブラーマグプタ(Brahmagupta、598年 – 668年?)インドの数学者・天文学者によって、628年に、総合的な数理天文書『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』(ब्राह्मस्फुटसिद्धान्त Brāhmasphuṭasiddhānta)の中で与えられ、ゼロの導入と共に四則演算が確立されていた。ゼロの導入、負の数の導入は数学の基礎中の基礎で、西欧世界がゼロの導入を永い間嫌っていた状況を見れば、これらは世界史上でも大事な事実であると考えられる。最近ゼロ除算は、拡張された割り算、分数の意味で可能で、ゼロで割ればゼロであることが、その大きな意義、影響とともに明らかにされてきた。しかしながら、 ブラーマグプタは その中で 0 ÷ 0 = 0 と定義していたが、奇妙にも1300年を越えて、現在に至っても 永く間違いであるとされている。現在でも0 ÷ 0について、幾つかの説が存在していて、現代数学でもそれは、定説として 不定であるとしている。最近の我々の研究の成果で、ブラーマグプタの考えは 実は正しかった ということになる。 しかしながら、一般の ゼロ除算については触れられておらず、永い間の懸案の問題として、世界を賑わしてきた。現在でも議論されている。ゼロ除算の永い歴史と神秘的な問題は、アインシュタインの人生最大の関心であったという言葉に象徴される。
物理学や計算機科学で ゼロ除算は大事な課題であるにも関わらず、創始者の考えを無視し、あるいは軽ろんじて、割り算は 掛け算の逆との 貧しい発想で 間違いを1300年以上も、繰り返してきたことは 実に奇妙、実に残念で、不名誉なことである。創始者は ゼロの深い意味、ゼロが 単純な算数・数学における意味を越えて、ゼロが基準を表す、不可能性を表現する、神が最も簡単なものを選択する、神の最小エネルギーの原理、すなわち、神もできれば横着したいなどの世界観を感じていて、0/0=0 を自明なもの と捉えていたものと考えられる。実際、巷で、ゼロ除算の結果や、適用例を語ると 結構な 素人の人々が 率直に理解されることが多い。ゼロ除算は至るところに見られると言っても良いほどです。
ゼロ除算を発見して議論を広く議論して間もなく、道脇愛羽さん当時6歳と緩まないネジで 有名なお父さん道脇裕氏たちは、3週間くらいで何でもゼロで割ればゼロであるとの驚嘆すべき発見に対して、理由を付けてそれは自明であると述べてきたのは 実に面白いことです。多くの専門家が、2、3年を越えても分からないと言っている経過を見ると本当に驚きです。
100/0 を100 から 0を何回引けるかと考えると、0を引いても100 は減りませんので、引いたとはいえず、減らすという意味で引ける回数はゼロ、したがって100/0=0 そして、余りが100であるとしました。 私たちは、割り算の意味を拡張して、ゼロ除算は拡張された分数の意味、割り算で 何でもゼロで割ればゼロであるという理論を数学的に確立させました。
1300年間も 創始者の考えを間違いであるとする 世界史は修正されるべきである、間違いであるとの不名誉を回復、数学の基礎の基礎である算術の確立者として、世界史上でも高く評価されるべきである。 真智への愛、良心から、熱い想いが湧いてくる。 ― 1300年も前に、創始者によって、0/0 = 0 とされてきたのに それは間違いだとして、現在も混乱しているのは、まずいのではないでしょうか?
できない(不可能である)と言われれば、何とかできるようにしたくなるのは相当に人間的な素性です。いろいろな冒険者や挑戦者を想い出します。ゼロ除算も子供の頃からできるようにしたいと考えた愛すべき人が結構多く世界にいたり、その問題に人生の大部分を費やして来ている物理学者や計算機科学者たちもいます。現在、ゼロ除算に強い興味を抱いて交流しているのは我々以外でも海外で 大体20名くらいです。ある歴史家の分析によれば、ゼロ除算の物理的な意味を論じ、ゼロ除算は不可能であると最初に述べたのはアリストテレス(BC 384-322) だということです。
また、アインシュタインの人生最大の懸案の問題だったと言われています。実際、物理学には、形式的にゼロ分のが 出て来る公式が沢山有って、分母がゼロの場合が 問題になるからです。いま華やかな宇宙論などでブラックホールや宇宙誕生などと関係があるとされ、ゼロ除算の歴史は 神秘的です。
ところが、ゼロを数学的に厳密に扱い、算術の法則を発見したインドのBrahmagupta (598 -668 ?) は 何と1300年も前に、0/0 はゼロであると定義していたというのです。それ以来1300年を超えてそれは間違いであるとされて来ました。1/0 等は無限大だろうと人は考えて来ました。関数 y=1/x を考えて、 原点の近くで考えれば、限りなく正の無限や負の無限に発散するので人は当然そのように考えるでしょう。天才たちもみんなそうだと考えて、現代に至っています。
ところが偶然4年前に 驚嘆すべき事実を発見しました。 関数 y=1/x の原点の値をゼロとすべきだという結果です。聞いただけで顔色を変える数学者は多く、数年経っても理解できない人は多いのですが、素人がそれは美しい、分かったと喜ぶ人も多いです。算術の創始者Brahmaguptaの考え、結果も 実は 適当であった。正しかったとなります。― 正しいことを間違っているとして来た世界史は 恥ずかしいのではないでしょうか。
この結果、無限の彼方(無限遠点)、無限が 実はゼロ(ゼロで表される)だったとなり、ユークリッド、アリストテレス以来の我々の空間の考えを変える必要が出て来ました。案内の上記サイトで詳しく解説されていますが、私たちの世界観や初等数学全般に大きな影響を与えます。どんどん全く新しい結果、現象が発見されますので、何といっても驚嘆します。 内容レベルが高校生にも十分分かることも驚きです。例えば、y軸の勾配がゼロで、tan (\pi/2) =0 だという驚きの結果です。数学というと人は難しくて分からないだろうと思うのが普通ではないでしょうか。そこで、面白く堪らなく楽しい研究になります。 現在、簡単な図を沢山入れてみんなで見て楽しんで頂けるような本を出版したいと計画を進めています。
内容は上記サイトで、相当素人向きに丁寧に述べているので、興味のある方は解説の最初の方を参考にして下さい。高級編は ohttp://okmr.yamatoblog.net/ にあります。
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