2018年2月11日日曜日

(25.9.24) NHK 神の数式その1 「この世はなんで作られているか」


(25.9.24) NHK 神の数式その1 「この世はなんで作られているか」

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(四季の道のキノコ)
 
  NHKは実に難しい番組を作るのが好きだ。前にリーマン予想ポアンカレ予想の番組を放映したが、今度は「神の数式」だという。
この宇宙の成り立ちを統一的に説明できる数式への挑戦を物理学者がここ100年でどのようにたどってきたかを追った番組だが、私のような物理音痴にとっては見ているのも苦難だった。

注)前にポアンカレ予想とリーマン予想の記事は書いておいた。
ポアンカレ予想:http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/21123-nhk-f7b1.html
リーマン予想:http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/211123-nhk.html

 何しろ私の知識は「物質の最小単位は原子で、それは電子と原子核からなり、さらに原子核は陽子と中性子からなる」という段階にとどまっているのに、現在物理学は原子を構成する素粒子電子、ニュートリノ、クオーク、ヒッグス粒子からなるところまで突き止めている。
2010年にヒッグス粒子が発見されてこれですべての素粒子(物質の構成要素)がそろったと大々的に発表されていたが、私などはヒッグス粒子と言われてもそれが何なのかさっぱり分からなかった。

注)ヒッグス粒子が発見された時の記事は以下参照
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-b3a6.html
 しかし物理学者は私の知識不足をしり目に次々と宇宙の設計図を数式で表すことに熱中してきた。
当初物理学者は実験と観測結果を数式に置き換えて神の摂理を探ろうとしていたが、ある段階でこの方法の壁に突き当たった。
これでは実験ができなければ神の摂理を知ることができない
1920年代というから今から100年も前の話だが、この限界に果敢に挑戦を始めた物理学者がいた。

 イギリスの物理学者ポール・ディラックで、彼は実験や観測が不可能でもある種の前提を設ければ神の数式を導き出すことができ、この数式を使用すればまだ発見されていない素粒子の存在までもが予測できることに気が付いた。
その前提とは対照性のことだという。
対称性にはいくつかあり、たとえば座標軸を回転させても数式が成り立つ場合を回転対称性といい、一方座標軸を横に移動させても成り立つ場合を並進対称性と言い、時間と空間が一致する場合をローレンツ対称性というのだそうだ。
 私などは回転対称性(円の公式はXY座標を回転させても成り立っている)程度は理解できても、時間と空間の一致など言われたらさっぱりだ。
ディラックの方程式とは上記の回転対称性、並進対称性、ローレンツ対称性を持った数式で、これによって当時知られていなかった電子以外のニュートリノやクオークの存在を予測していた。
ある物理学者はこのディラックの方程式を見てあまりの美しさに涙を流していたが、私もその難しさに涙を流した。
 このディラックの方程式は素粒子の存在を予測したものだが、次に素粒子の中の電子と原子核の間の電磁気力を予測する方程式に物理学者は挑戦し始めた。
電磁気力とは電子を原子核の周りに回らせる力であるが、この方程式を得るためにはさらにゲージ対称性を方程式が満たしていないといけない。
このあたりの説明になると私などはパニックで、「ゲージ対称性などと言われても理解できん」とさじを投げだしたくなったが、ブログを記載するために我慢して番組を見ていた。
 この電磁気学の方程式は原爆の父と言われたオッペンハイマーが発見している。
もっともこの方程式で計算すると電子のエネルギーが無限大になってしまい、それでは「あらゆる物質が存在しないこと」になってしまうのだという。
この問題を解決したのが日本の誇る物理学者朝永振一郎でオッペンハイマーの無限大を解決したことでノーベル物理学賞を得ている。
もっとも私には朝永振一郎がどのようにしてこの問題を解決したのか理解できなかった。


 番組はさらに続き「強い核力」や「弱い核力」さらに「ヒッグス粒子の想定」等まで説明していたが、 このブログは物理学の講義をしている訳でないのでこのあたりで説明はやめる(気になる人は実際に番組を見てみること)。
しかしディラックが「物理法則は数学的に美しくなければならない」と気が付いたのは卓見だったと思う。
そしてその美しさは対称性にあるというのは私の理解の外だが、さすが天才物理学者だけあってすごいことに気づくものだ。
実は私は前から数学の公式や物理学の法則がとてもスマートで美しいことに驚いていた(理解できなくても驚くことはできる)。
なぜ公式や法則はこんなにシンプルで美しいのだろう・・・・・・・・・
 この番組は2部に分かれていて次の2部が佳境だと放送では宣伝していたので見ることにするが、かなり気が思い。
しょうがない、ブログを書くためだ、見ることにするか・・・・」という感じだ。
それにしてもこうした番組を作ってしまうNHKには本当に脱帽だ。
視聴者が理解できようができまいが、人類にとり必要である以上放送する価値は絶対にあると自信満々だ。
こうした放送局は世界広しと言えどNHKとイギリスのBBCしか存在しない。http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/nhk-1793.html

とても興味深く読みました:ゼロ除算の発見4周年超えた:

再生核研究所声明 411(2018.02.02):  ゼロ除算発見4周年を迎えて

ゼロ除算100/0=0を発見して、4周年を迎える。 相当夢中でひたすらに その真相を求めてきたが、一応の全貌が見渡せ、その基礎と展開、相当先も展望できる状況になった。論文や日本数学会、全体講演者として招待された大きな国際会議などでも発表、著書原案154ページも纏め(http://okmr.yamatoblog.net/)基礎はしっかりと確立していると考える。数学の基礎はすっかり当たり前で、具体例は700件を超え、初等数学全般への影響は思いもよらない程に甚大であると考える: 空間、初等幾何学は ユークリッド以来の基本的な変更で、無限の彼方や無限が絡む数学は全般的な修正が求められる。何とユークリッドの平行線の公理は成り立たず、すべての直線は原点を通るというが我々の数学、世界であった。y軸の勾配はゼロであり、\tan(\pi/2) =0 である。 初等数学全般の修正が求められている。
数学は、人間を超えたしっかりとした論理で組み立てられており、数学が確立しているのに今でもおかしな議論が世に横行し、世の常識が間違っているにも拘わらず、論文発表や研究がおかしな方向で行われているのは 誠に奇妙な現象であると言える。ゼロ除算から見ると数学は相当おかしく、年々間違った数学やおかしな数学が教育されている現状を思うと、研究者として良心の呵責さえ覚える。
複素解析学では、無限遠点はゼロで表されること、円の中心の鏡像は無限遠点では なくて中心自身であること、ローラン展開は孤立特異点で意味のある、有限確定値を取ることなど、基本的な間違いが存在する。微分方程式などは欠陥だらけで、誠に恥ずかしい教科書であふれていると言える。 超古典的な高木貞治氏の解析概論にも確かな欠陥が出てきた。勾配や曲率、ローラン展開、コーシーの平均値定理さえ進化できる。
ゼロ除算の歴史は、数学界の避けられない世界史上の汚点に成るばかりか、人類の愚かさの典型的な事実として、世界史上に記録されるだろう。この自覚によって、人類は大きく進化できるのではないだろうか。
そこで、我々は、これらの認知、真相の究明によって、数学界の汚点を解消、世界の文化への貢献を期待したい。
ゼロ除算の真相を明らかにして、基礎数学全般の修正を行い、ここから、人類への教育を進め、世界に貢献することを願っている。
ゼロ除算の発展には 世界史がかかっており、数学界の、社会への対応をも 世界史は見ていると感じられる。 恥の上塗りは世に多いが、数学界がそのような汚点を繰り返さないように願っている。
人の生きるは、真智への愛にある、すなわち、事実を知りたい、本当のことを知りたい、高級に言えば神の意志を知りたいということである。そこで、我々のゼロ除算についての考えは真実か否か、広く内外の関係者に意見を求めている。関係情報はどんどん公開している。
4周年、思えば、世の理解の遅れも反映して、大丈夫か、大丈夫かと自らに問い、ゼロ除算の発展よりも基礎に、基礎にと向かい、基礎固めに集中してきたと言える。それで、著書原案ができたことは、楽しく充実した時代であったと喜びに満ちて回想される。
以 上

再生核研究所声明3652017.5.12目も眩むほど素晴らしい研究課題 ― ゼロ除算
(2017.5.11.4:45 頃 目を覚ましたら、突然表題とその構想が情念として湧いてきたので、そのまま 書き留めて置きたい。)
そもそもゼロ除算とは、ゼロで割る問題であるが、ゼロの発見者、算術の確立者が既に 当時、0/0=0としていたにも関わらず(Brahmagupta (598 - 668 ?). defined as $0/0=0$ in Brāhmasphuṭasiddhānta (628))、1300年以上もそれは間違いであるとして、現在に至っている。最近の知見によれば、それは 実は当たり前で、現代数学の初歩的な部分における大きな欠落で、現代数学の初歩部分は相当な修正、補充が要求されている。問題は、無限の彼方に対する概念が 無限と考えられていたのが 実はゼロであったとなり、ユークリッド幾何学の欠落部分が存在し、強力な不連続性が現れて、アリストテレスの世界観に反する世界が現れてきたことである。超古典的結果の修正、補完、新しい世界の出現である。
初等数学は 無限の概念や勾配が関係する部分で大きな変更が必要であり、2次曲線論ですら 修正が要求される。多くの物理学や数理科学に現れる公式において 分母がゼロのところで、新しい知見を探す、考えることができる。

ところで、数学とは何だろうかと問い、その中で、良い結果とは、

基本的であること、
美しいこと、
世の中に良い影響を与えること、


上記の観点で、想い出されるのは、ピタゴラスの定理、アインシュタインの公式、ニュートンの万有引力の公式や運動の法則、少し、高級であるが 神秘律 オイラーの公式 などである。
この観点で ゼロ除算の公式

1/0=0/0=z/0=0

を掲げれば、その初歩的な意味とともに 神秘的に深い意味 を知って、慄然とするのではないだろうか。それゆえにゼロ除算の研究は 世界史的な事件であり、世界観に大きな影響を与える。ゼロ除算は初等部分から 神秘律に至る雄大な研究分野であると言える。

探そうゼロ除算、究めようゼロ除算の意義。神の意思を追求しよう。

ゼロ除算は、中学生からはおろか、小学生にも分かって 楽しめる数学である。実際、道脇愛羽さん(当時6歳)は、ゼロ除算の発見後3週間くらいで、ゼロ除算は当たり前と理由を付けて、述べていた。他方、多くの大学教授は 1年を遥かに越えても、理解できず、誤解を繰り返している面白い数学である。世界の教科書、学術書は大きく変更されると考えられる。多くの人に理解され、影響を与える研究課題は、世に稀であると言える。

以 上
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world

Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue  1, 2017), 1
-16. 
http://www.scirp.org/journal/alamt   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf

Relations of 0 and infinity
Hiroshi Okumura, Saburou Saitoh and Tsutomu Matsuura:
http://www.e-jikei.org/…/Camera%20ready%20manuscript_JTSS_A…


再生核研究所声明3712017.6.27)ゼロ除算の講演― 国際会議 https://sites.google.com/site/sandrapinelas/icddea-2017 報告

http://ameblo.jp/syoshinoris/theme-10006253398.html

1/0=00/0=0z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12276045402.html

1/0=00/0=0z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12263708422.html

1/0=00/0=0z/0=0


再生核研究所声明 404(2017.12.30):  
ゼロ除算の現状 ― 総合的な印象

ゼロ除算の著書を出版すべく執筆をしている。700件を超えるメモ、記録を参照しながら一応の素案、原案を152ページに纏めた。ゼロ除算発見4周年を目前にしている。そこで、ふと思い湧く印象について述べて置きたい。
ゼロ除算発見 4周年 目前で、数理論の内容は初歩数学であるから、全体が何もかも当たり前に思え、700件を超える知見も当たり前で、著書は簡潔に纏め切れると感じてきた。そのような折り、学位論文で提起、最初の著書で真正面から取り上げ、論じ、未解決の問題と述べてきた超難問が解けたとの論文が 北京大学 のQi'an Guan氏から送られてきた。秀才の関係者も解けず、関与する数学者ももはや世界に存在せず、従ってもはや300年以上も もう解決できないだろうと考えてきた。最初の著書出版1988年からでもちょうど30年を迎えている。全く予想できない発想、深い手段、複雑な構造、このような全く新奇な数学に驚嘆すると共に 北京大学の基礎の深さ、底力の大きさに驚嘆させられ、高貴な独創性、創造性、発想に感銘を受けている。 このような衝撃は友人の山田陽氏の研究などにも見られたが稀なる経験である。
この衝撃的な深い研究、高貴な理論に感銘している折りに、自らの著書、論文の位置づけについて思いを巡らすこととなった。
まずは、ゼロ除算の論理が、ゼロ除算の拓いた世界が当たり前と思える内容であるが、内容がアリストテレス、ユークリッド以来の世界観を変えるものである。 数学ではゼロ除算は未定義、不定性、不可能性が世の定説であるが、天才たちのいろいろな関与、昨年でも2編の大論文が発表されている。 ゼロ除算の永い、神秘的な歴史を回想すると、内容の意味の大きさと、理論の簡素さの大きな隔たりに、驚嘆させられる。極めて簡単な発見が、世界観の変更を要求している:
無限遠点はゼロで表される。すべての直線は原点を通り、ユークリッドの公理は成り立たない。 y軸の勾配はゼロ、\tan(\pi/2) =0であること。解析関数は孤立特異点で固有な値を取り、それが 重要な意味を持つこと。ゼロ除算の影響は初歩数学全般におよび、現代数学には大きな欠落、欠陥があるから、全般的に補充し、完全化されるべきである。極めて簡単な数学が、発見されて大きな影響を広く与える事実である。この差の大きさを 現代数学の目も眩むような高度さ、深さ、徹底した論理の厳格さの視点から思うとき、誠に奇妙な事件に思われて仕方がない。 余りにも大きな新規な結果に、そんなものは受け入れられないとは 多く人の印象であり、論文を相当発表、学会や国際会議でも講演を行っているにも関わらず、4年近く経っても公認の形にはなっていないようである。世間では新しい、基本的な数学が知られていないと言える。―― 我々の空間の認識がアリストテレス、ユークリッド以来 間違っているにも関わらずである。
ゼロ除算 0/0=0は 算術の創始者、ゼロの発見者 Brahmagupta (598 -668 ?) によって定義されていたにも関わらず、それは間違いであるとして1300年を超えて続いており、さらに、新たな説、論文が出版されている実におかしな状況にある。しかるに我々は ゼロ除算は既に当たり前であるとして、沢山の証拠を掲げて解説、説得を続けているが、理解は着実に進んでいるにも関わらず、理解は深くはなく、遅々として夜明け前のぼんやりしているような時代であると言える。数学者は、真実に忠実でなければならないのに、数学の研究では、論理には、感情や私情、予断、思い込みを入れてはならないのに、それが、数学の精神であるはずなのに かえって、数学者が予断と偏見、私情に囚われている状況が皮肉にも良く見える。 それは、ゼロ除算の理解が、素人の方の方が理解しやすい状況に現れている。 ― 数学は 絶対的に 厳格な論理でできているはずであるから、基礎が揺るぐはずがないとの信仰、信念を有しているためであろう。しかしながら、人間精神の開放と自由を求めて、非ユークリッド幾何学の出現から、人は大いに学ぶべきではないだろうか。 絶えず、人は何でも疑い、  と 問うべきである。 ― 人間存在の意義は 真智への愛にある。
今回の著書原案では一通り全体を纏めてみたが、全体の様子は、まずゼロ除算の導入をきちんと行い、論理をしっかりさせ、確立させ、歴史的な背景を述べ、ゼロ除算算法の考え方とその有効性を示す具体例を沢山述べた。それで、今まで、考えなかった世界の自然な大きな世界が良く見える様になるだろう。この時、我々の数学が、空間の認識が、如何に不完全なものであったかを 明白に理解されるだろう。
ゼロ除算のこの著書は 第1歩であり、いわば初歩入門書である。 本格的なゼロ除算の研究はここから始まると考えたい。Qi'an Guan氏のような数学者や、物理学者が現れて、ゼロ除算の世界は、面目を一新させ、目も眩むほどに発展させるだろうことを 信じて疑わない。
                                   以 上

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