『君の名は。』でも話題になった“くみひも”の数学をわかりやすく解説
くみひもとはなにか?
清水理佳氏(以下、清水) みなさん、こんにちは。「くみひも占い」というタイトルでお話しさせていただきます。清水理佳です。くみひもという研究対象があるんですけど、今日はみんなでくみひもを作って、それを使って占いをみんなでしましょう、みたいに思っています。まず占いということなんですけど、みなさん、今、なにか気になっていることとかありますか? 占いたいこと。気になること。例えば、恋占いとか恋愛運とかでもいいし、あとは明日の天気占いとかでもいいし、あとなにか、夢が叶うかとか、なにかとあると思うんですけど、ちょっと思い浮かべてみてください。大丈夫でしょうか。そしたらくみひもを作ってみましょう。くみひも作って、あとでラッキーナンバーというのを定義するんですけど、それを使って占いをします。みなさん、黒い紙、持っていらっしゃいますか? ありますね。ありがとうございます。それでくみひもというものを作っていただくんですけど。まず、くみひもってどういうものかというと、こんな感じで上と下だけ固定されている絡まったひものことです。なので、好きに絡ませて……先に固定されているほうが上で、こう絡ませて、一番下、穴が開いてるんですけど、そこに通して、裏側をキュッキュッと結んでとめるみたいな感じで、くみひもをこんな感じで作ってみてください。今の説明で大丈夫ですかね。上と下が固定されていて、その間を自由に絡ませてOKです。あとでラッキーナンバーを計算するので、ちょっとゆったりめに作っていただくといいと思います。あまりキュッとすると見えづらくなっちゃうので。どうでしょうか。これぐらいゆったりめに交差が見えるように作ってみてください。
くみひもは文字列で表せる
じゃあ作っていただきながら、耳だけこちらに(笑)。くみひもというのはけっこう歴史が長くて、長いというか古いというか昔からあって。どれぐらい昔からあるかというと……(くみひも作りが)盛り上がってますね(笑)。どれぐらい昔からあるかというと、くみひもは縄文時代からあります。縄文土器って写真とかでご覧になったことあると思うんですけど、縄文土器の模様はくみひもを使ってつけられているものとかもあったりします。あとは、最近でいうと『君の名は。』という映画、あれにも出てきてけっこう話題になったんですけど、日本の伝統工芸でくみひもってやっぱりあって、とても人気です。いいですかね。できていますかね。作りながら耳だけ(笑)。このくみひもというのは、数学の研究対象にもなっていて。こう絡まってるものなので、絡まり方みたいな感じで幾何的な一面を持っているし、あと、あとで簡単にご紹介するんですけど、くみひも同士の足し算とかもできるので、代数的な一面も持っています。けっこうおもしろいし、大事なものですね。どうでしょうか。できましたか。大丈夫ですかね。じゃあそんなわけで、くみひもの紹介をちょっとだけしたいと思っています。まず、くみひもって、たぶんみなさんいろいろできたと思うんですけど、「こんなのできた」って説明するのがけっこう難しいと思います。「ここ1番目をこうやって交差して……」とかやったらけっこう説明するのが難しいと思うんですけど、くみひもって実は文字列で表すことができます。どんな感じかというと、各交差の情報を上から読んでいくというので、まず左側にある交差のことは「σ1」と呼びましょう。右側にある交差のことは「σ2」と呼ぶ。さらに各交差の上下の情報を符号で表して付け足します。ちょっとこれ見えにくいかもしれないんですけど、上にあるひもが右上がりになっているとき、プラスとしましょう。上にあるほうが右下がりになっているとき、マイナスとしましょう。ちょっと注意点があるんですけど、(顔を横に傾けながら)こんなことをして見ると符号が変わってしまうので、まっすぐにしましょう。ここだけでもまっすぐに。というわけで、プラスの交差のときは「σ」そのままなんですけど、マイナスの交差のときはこのσの右上に「−1」と書きます。各交差を上から読んでいくとσ1、σ2、σ1^(-1)(インバース)となって、このくみひもは「σ1σ2σ1^(-1)」という文字列で表されます。という感じです。
くみひもは演算もできる
ただ、注意点というほどでもないんですけど、この文字列での表し方は一意ではなくて、例えばこんな関係式が知られています。1つ目、「σ1σ2σ1=σ2σ1σ2」というものなんですけど、どんな感じかというと、例えばここに交差があります。第3のひもがここにあるんですけど、この青いひもはこの交差を通り抜けることができます。こんな感じに通り抜けることができる。なので、この関係式が成り立つ。あとこれですね。右から見ましょうか。2つひもがあるんですけど、赤いひもをつまんでもう1つのほうに乗せると、上、上というものができるんですけど、これは外したり、重ねたり、自由にできる。つまり文字列でいうと、σ1σ1^(-1)というのを自由につけたり消したり。これは文字式とかにもよく「xx^(-1)で消せる」みたいなのあると思うんですけど、そういうことができます。あとちょっとだけおまけの話で、くみひも同士の足し算、足し算というか掛け算というか、演算というものができるので、それをちょっとだけお話ししたいと思います。例えば、ここにこんなくみひもがあります。「このくみひも+このくみひも」という足し算、掛け算。それはどんなふうに定義されているかというと、これの下にこれをつなげる、こんな感じ、と定義されています。文字列でいうと、これ+……足すかかけるかいつも迷うんですけど(笑)、これとこれをそのままつなげればいいというものです。またこんなこともあって。くみひもの足し算をすると解けちゃうということもあります。もう少し詳しくいうと、任意のくみひもに対して、足し算すると解けちゃうようなくみひもが必ず存在します、みたいな。それについてもっと詳しく知りたいという方はぜひ「くみひも群」という言葉で検索してみてください。
くみひもでラッキーナンバーを計算
じゃあ話に戻りましょうか。占いのほうの話に戻っていきたいと思います。まずは交差を思い出しましょう。まず、右上がりが上にあるときプラス、右下がりが上にあるときマイナスという符号を付けてたんですけど、ここでこんな関数を考えます。右上がりが上にある、つまりプラスの交差は+1。右下がりが上にある交差は−1と与える。するとラッキーナンバーを定義することができて、こちらがラッキーナンバーの定義です。どういうものかというと、まず、あるくみひもに対して、みなさんがお手元に持っているくみひもに対して、すべての交差におけるその符号、+1とか−1とか、を全部足し合わせたもの、それのことをラッキーナンバーと呼びましょう。本当は実はこれ「ねじれ数」という名前なんですけど、今日はラッキーナンバーと呼びましょう。じゃあ例を見てみたいと思います。例えばこのくみひものラッキーナンバーを計算してみましょう。上から見ていきたいんですけど、この交差は右上がりが上にあるので+1、この交差も右上がりが上にあるので+1、これは右下がりなので−1、これは−1、+1、+1となっています。これらを全部足し算すると2となるので、このくみひものラッキーナンバーは2となります。ところで、みなさんのラッキーナンバーはどんな感じでしょうか? 数えてみてください。もし3つのひもが1箇所で交わったりしてしまってたら、適当にずらして2つ同士の交差だけになるようにして計算してみてください。どうですかね。いい数だといいんですけど(笑)。できましたか。例えば、ラッキーナンバー0の方?(会場挙手)よくも悪くもないということですね(笑)。(会場笑)どうしよう(笑)。じゃあ、ラッキーナンバー1の方?(会場挙手)なるほど。うん、ちょっといいことがあると思います(笑)。(会場笑)清水 そういう感じで、たぶん3とか4とか5の方もいらっしゃれば、マイナスいくつとかの方もいらっしゃるかもしれないんですけど、ちょっとここで重要な事実で、これ重要な性質なんですけど、ラッキーナンバーはくみひもの不変量となっています。不変量ってどういうことかというと、くみひもって、上と下だけ固定して、その間は自由に動かすことができるんですけど、どんなふうに動かしてもラッキーナンバーは変わりません。なので、もし−2だった方とかいて「ちょっと増えないかな」って思って「動かしてみようかな」って思っても増えません。でも、大丈夫です。くみひも占い、あんまり当たらないので(笑)。(会場笑)最後に縁起がいいものを。ラッキーナンバーが、ちょうどじゃないんですけども、だいたい1000のぐらいのひもを作ったので、これを紹介して終わりたいと思います。はい、以上になります。(会場拍手)
とても興味深く読みました:
再生核研究所声明 148(2014.2.12) 100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
100割る0 の意味を質問されたが(なぜ 100÷0は100ではないのか? なぜ 100÷1は100なのか… 0とは何...aitaitokidakenimoさん)、これは、定義によれば、その解、答えが有るとして、a と仮に置けば、 100=a x0 = 0 で矛盾、すなわち、解は、答えは存在しないとなる。
方程式 a x0= b は b=0 でなければ 解は無く、答えが求まらない。(特に、bが0ならば、解 a は 何でも良いと言うことに成る。)
解が、存在しなかったり、沢山の解が有ったりすると言う、状況である。
そこで、何時でも解が存在するように、しかも唯一つに定まるように、さらに 従来成り立っていた結果が そのまま成り立つように(形式不変の原理)、割り算の考えを拡張できないかと考えるのは、数学では よくやることである。数学の世界を 美しくしたいからである。
実際、文献の論文で 任意関数で割る概念を導入している。
現在の状況では、b 割るa の意味を ax – b の2乗を最小にする x で、しかも x の2乗を最小にする数 x で定義する。後半の部分が無いと、a が0の場合 x が定まらない。後半が有ると0として、唯一つに定まる。この意味で割り算の意味を考えれば、100割る0は 0 であるとなる。
上記で もちろん、2乗を最小にする の最小値が0である場合が、 普通の割り算の解、
b 割るa を与える。
もちろん、我々の意味で、0割る0は 曖昧なく、解は唯一つに定まって、0となる。
f 割る g を ロシアの著名な数学者 チコノフの考えた正則化法 と 再生核の理論 を併用すると 一般的な割り算を 任意関数g で定義できて、上記の場合は、100割る0は 0 という解に成る。
すなわち、解が存在しなかった場合に、割り算の意味を 自然に拡張すると 唯一つに解は存在して それは0であると言う、結果である。
上記で、ax – b の2乗を最小にする x で、と考えるのは、近似の考え方から、極めて自然と考えられるが、さらに、x の2乗を最小にする数 x とは、神は、最も簡単なものを選択する、これはエネルギー最小のもの、できれば横着したい という 世に普遍的に存在する 神の意志 が現れていると考えられる(光は、最短時間で到達するような経路で進むという ― フェルマーの原理)、神が2を愛している、好きだ とは 繰り返し述べてきた(神は 2を愛し給う)(http://www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf)。
これで、0で割るときの心配が無くなった。この考えの 実のある展開と応用は多い。
― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。―
以 上
文献:
Castro, L.P.; Saitoh, S. Fractional functions and their representations. Complex Anal. Oper. Theory 7, No. 4, 1049-1063 (2013).
ゼロの発見には大きく分けると二つの事が在ると言われています。
一つは数学的に、位取りが出来るということ。今一つは、哲学的に無い状態が在るという事実を知ること。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1462816269
世界中で、ゼロ除算は 不可能 か
可能とすれば ∞ だと考えられていたが・・・
しかし、ゼロ除算 はいつでも可能で、解は いつでも0であるという意外な結果が得られた。
原点を中心とする単位円に関する原点の鏡像は、どこにあるのでしょうか・・・・
∞ では
無限遠点はどこにあるのでしょうか・・・・・
無限遠点は存在するが、無限大という数は存在しない・・・・
ゼロ除算(1/0=0)は、ピタゴラスの定理(a2 + b2 = c2 )を超えた基本的な結果であると考えられる。
地球平面説→地球球体説
天動説→地動説
何年かかったでしょうか????
1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0
何年かかるでしょうか????
Title page of Leonhard Euler, Vollständige Anleitung zur Algebra, Vol. 1 (edition of 1771, first published in 1770), and p. 34 from Article 83, where Euler explains why a number divided by zero gives infinity.
もし1+1=2を否定するならば、どのような方法があると思いますか? http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12153951522 #知恵袋_
一つの無限と一つの∞を足したら、一つの無限で、二つの無限にはなりません。
割り算のできる人には、どんなことも難しくない
世の中には多くのむずかしいものがあるが、加減乗除の四則演算ほどむずかしいものはほかにない。
ベーダ・ヴェネラビリス
数学名言集:ヴィルチェンコ編:松野武 山崎昇 訳大竹出版1989年
数学で「A÷0」(ゼロで割る)がダメな理由を教えてください。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411588849 #知恵袋_
割り算を掛け算の逆だと定義した人は、誰でしょう???
0×0=0・・・・・・・・・だから0で割れないと考えた。
唯根拠もなしに、出鱈目に言っている人は世に多い。
multiplication・・・・・増える 掛け算(×) 1より小さい数を掛けたら小さくなる。 大きくなるとは限らない。
ビッグバン宇宙論と定常宇宙論について、http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1243254887 #知恵袋_
ゼロ除算(100/0=0, 0/0=0)が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか・・・・ 1+1=2が当たり前のように
『ゼロをめぐる衝突は、哲学、科学、数学、宗教の土台を揺るがす争いだった』 ⇒ http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12089827553.html … … →ゼロ除算(100/0=0, 0/0=0)が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか・・・ 1+1=2が当たり前のように、
1÷0=0 1÷0=∞・・・・数ではない 1÷0=不定・未定義・・・・狭い考え方をすれば、できない人にはできないが、できる人にはできる。
明治5年(1872)
ゼロ除算の証明・図|ysaitoh|note(ノート) https://note.mu/ysaitoh/n/n2e5fef564997
Q)ピラミッドの高さを無限に高くしたら体積はどうなるでしょうか??? A)答えは何と0です。 ゼロ除算の結果です。
ゼロ除算は1+1より優しいです。 何でも0で割れば、0ですから、簡単で美しいです。 1+1=2は 変なのが出てくるので難しいですね。
∞÷0はいくつですか・・・・・・・
∞とはなんですか・・・・・・・・
分からないものは考えられません・・・・・
1人当たり何個になるかと説いていますが、1人もいないのですから、その問題は意味をなさない。
よってこれは、はじめから問題になりません。
ついでですが、これには数学的に確定した解があって それは0であるという事が、最近発見されました。
Reality of the Division by Zero z/0 = 0
Einstein's Only Mistake: Division by Zero
0を引いても引いたことにならないから:
君に0円の月給を永遠に払いますから心配しないでください:
再生核研究所声明171(2014.7.30)掛け算の意味と割り算の意味 ― ゼロ除算100/0=0は自明である?
(2014.7.11小柴誠一、山根正巳氏との会合で、道脇裕氏の 割り算と掛け算は別であり、ゼロ除算100/0=0は自明であるとの考えを分析して得た考えを纏めたものである。)
ゼロ除算100/0=0は2014.2.2 偶然に論文出筆中に 原稿の中で発見したものである。チコノフ正則化法の応用として、自然に分数、割り算を拡張して得られたものであるが、歴史上不可能であるとされていること、結果がゼロであると言う意味で、驚嘆すべきことであること、さらに、高校生から小学生にも分る内容であると言う意味で、極めて面白い歴史的な事件と言える。そればかりか、物理学など世界の理解に大きな影響を与えることも注目される。詳しい経過などは 一連の声明を参照:
再生核研究所声明148(2014.2.12)100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明154(2014.4.22)新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明157(2014.5.8)知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
再生核研究所声明161(2014.5.30)ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
再生核研究所声明163(2014.6.17)ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
しかるに いろいろな人たちと広く議論しているところであるが、世界の指導的な数学者でさえ、高校生でも理解できる発表済みの論文 その後の結果について、現代数学の常識を変えるものであり、受け入れられない、と言ってきている。まことに不思議なことであり、如何に驚くべき結果であるかを示していると言える。
多くの数学者は、内容を理解せず、100/0=0 は100=0 x 0 =0 で矛盾であると即断している。しかるに論文は 100/0 は 割り算の意味を自然に拡張するとゼロの結果を得るのであって、ゼロ除算の結果は 100=0 x 0 =0を意味しないと説明している。 逆に、無限大、無限遠点は数と言えるかと問うている。
ところが面白いことに 既に3月18日付文書で、道脇裕氏は 掛け算と割り算は別であり、ゼロ除算100/0は 自明であると述べていた。しかし、その文書は、一見すると
矛盾や間違いに満ちていたので、詳しく分析してこなかった。しかるに上記7月11日の会合で、詳しい状況を聞いて、道脇氏の文書を解読して、始めて道脇氏の偉大な考えに気づいた。結論は、ゼロ除算100/0は分数、割り算の固有の意味から、自明であると言うことである。これはチコノフ正則化法や一般逆とは関係なく、分数、割り算の意味から、自明であるというのであるから、驚嘆すべき結果である。千年を越えて、未明であった真実を明らかにした意味で、極めて面白い知見である。またそれは、割り算が掛け算の逆であり、ゼロ除算は不可能であるという長い囚われた考えから、解放した考えであると評価できる。
原理は日本語の表現にあるという、掛け算は 足し算で定義され、割り算は 引き算で定義されるという。割り算を考えるのに 掛け算の考えは不要であるという。
実際、2 x3 は 2+2+2=6と繰り返して加法を用いて計算され、定義もできる。
割り算は、問題になっているので、少し詳しく触れよう。
声明は一般向きであるから、本質を分かり易く説明しよう。 そのため、ゼロ以上の数の世界で考え、まず、100/2を次のように考えよう:
100-2-2-2-,...,-2.
ここで、2 を何回引けるかと考え、いまは 50 回引いてゼロになるから分数は50であると考える。100を2つに分ければ50である。
次に 3/2 を考えよう。まず、
3 - 2 = 1
で、余り1である。そこで、余り1を10倍して、 同様に
10-2-2-2-2-2=0
であるから、10/2=5 となり
3/2 =1+0.5= 1.5
とする。3を2つに分ければ、1.5である。
これは筆算で割り算を行うことを 減法の繰り返しで考える方法を示している。a がゼロでなければ、分数b/aは 現代数学の定義と同じに定義される。
そこで、100/0 を上記の精神で考えてみよう。 まず、
100 - 0 = 100,
であるが、0を引いても 100は減少しないから、何も引いたことにはならず、引いた回数は、ゼロと解釈するのが自然ではないだろうか (ここはもちろん数学的に厳格に そう定義できる)。ゼロで割るとは、100を分けないこと、よって、分けられた数もない、ゼロであると考えられる。 この意味で、分数を定義すれば、分数の意味で、
100割るゼロはゼロ、すなわち、100/0=0である。(ここに、絶妙に面白い状況がある、0をどんどん引いても変わらないから、無限回引けると解釈すると、無限とも解釈でき、ゼロ除算は 0と無限の不思議な関係を長く尾を引いている。)
同様に0割る0は ゼロであること0/0=0が簡単に分かる。
上記が千年以上も掛かったゼロ除算の解明であり、 ニュートンやアインシュタインを悩ましてきたゼロ除算の簡単な解決であると 世の人は、受けいれられるであろうか?
いずれにしても、ゼロ除算z/0=0は 既に数学的に確定している と考えられる。そこで、結果の 世への影響 に関心が移っている。
以 上
文献:
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on 100/0=0 and on 0/0=0,
Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.
S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in Linear Algebra \& Matrix Theory. Vol.4 No.2 (2014), 87-95.http://www.scirp.org/journal/ALAMT/
再生核研究所声明287(2016.02.12) 神秘的なゼロ除算の歴史―数学界で見捨てられていたゼロ除算
(最近 相当 ゼロ除算について幅広く歴史、状況について調べている。)
ゼロ除算とは ゼロで割ることを考えることである。ゼロがインドで628年に記録され、現代数学の四則演算ができていたが、そのとき、既にゼロで割ることか考えられていた。しかしながら、その後1300年を超えてずっと我々の研究成果以外解決には至っていないと言える。実に面白いのは、628年の時に、ゼロ除算は正解と判断される結果1/0=0が期待されていたということである。さらに、詳しく歴史を調べているC.B. Boyer氏の視点では、ゼロ除算を最初に考えたのはアリストテレスであると判断され、アリストテレスは ゼロ除算は不可能であると判断していたという。― 真空で比を考えること、ゼロで割ることはできない。アリストテレスの世界観は 2000年を超えて現代にも及び、我々の得たゼロ除算はアリストテレスの 世界は連続である に反しているので受け入れられないと 複数の数学者が言明されたり、情感でゼロ除算は受け入れられないという人は結構多い。
数学界では,オイラーが積極的に1/0 は無限であるという論文を書き、その誤りを論じた論文がある。アーベルも記号として、それを無限と表し、リーマンもその流れで無限遠点の概念を持ち、リーマン球面を考えている。これらの思想は現代でも踏襲され、超古典アルフォースの複素解析の本にもしっかりと受け継がれている。現代数学の世界の常識である。これらが畏れ多い天才たちの足跡である。こうなると、ゼロ除算は数学的に確定し、何びとと雖も疑うことのない、数学的真実であると考えるのは至極当然である。― ゼロ除算はそのような重い歴史で、数学界では見捨てられていた問題であると言える。
しかしながら、現在に至るも ゼロ除算は広い世界で話題になっている。 まず、顕著な研究者たちの議論を紹介したい:
論理、計算機科学、代数的な体の構造の問題(J. A. Bergstra, Y. Hirshfeld and J. V. Tucker)、
特殊相対性の理論とゼロ除算の関係(J. P. Barukcic and I. Barukcic)、
計算器がゼロ除算に会うと実害が起きることから、ゼロ除算回避の視点から、ゼロ除算の研究(T. S. Reis and James A.D.W. Anderson)。
またフランスでも、奇怪な抽象的な世界を建設している人たちがいるが、個人レベルでもいろいろ奇怪な議論をしている人があとを立たない。また、数学界の難問リーマン予想に関係しているという。
直接議論を行っているところであるが、ゼロ除算で大きな広い話題は 特殊相対性理論、一般相対性理論の関係である。実際、物理とゼロ除算の関係はアリストテレス以来、ニュートン、アインシュタインの中心的な課題で、それはアインシュタインの次の意味深長な言葉で表現される:
Albert Einstein:
Blackholes are where God divided by zero.
I don’t believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:
1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.
数学では不可能である、あるいは無限遠点と確定していた数学、それでも話題が尽きなかったゼロ除算、それが予想外の偶然性から、思いがけない結果、ゼロ除算は一般化された除算,分数の意味で、何時でも唯一つに定まり、解は何時でもゼロであるという、美しい結果が発見された。いろいろ具体的な例を上げて、我々の世界に直接関係する数学で、結果は確定的であるとして、世界の公認を要請している:
再生核研究所声明280(2016.01.29) ゼロ除算の公認、認知を求める
Announcement 282: The Division by Zero $z/0=0$ on the Second Birthday
詳しい解説も次で行っている:
○ 堪らなく楽しい数学-ゼロで割ることを考える(18)
○ 堪らなく楽しい数学-ゼロで割ることを考える(18)
数学基礎学力研究会のホームページ
以 上
何故ゼロ除算が不可能であったか理由
1 割り算を掛け算の逆と考えた事
2 極限で考えようとした事
3 教科書やあらゆる文献が、不可能であると書いてあるので、みんなそう思った。
Matrices and Division by Zero z/0 = 0
再生核研究所声明296(2016.05.06) ゼロ除算の混乱
ゼロ除算の研究を進めているが、誠に奇妙な状況と言える。簡潔に焦点を述べておきたい。
ゼロ除算はゼロで割ることを考えることであるが、物理学的にはアリストテレス、ニュートン、アンシュタインの相当に深刻な問題として、問題にされてきた。他方、数学界では628年にインドで四則演算の算術の法則の確立、記録とともに永年問題とされてきたが、オイラー、アーベル、リーマン達による、不可能であるという考えと、極限値で考えて無限遠点とする定説が永く定着してきている。
ところが数学界の定説には満足せず、今尚熱い話題、問題として、議論されている。理由は、ゼロで割れないという例外がどうして存在するのかという、素朴な疑問とともに、積極的に、計算機がゼロ除算に出会うと混乱を起こす具体的な懸案問題を解消したいという明確な動機があること、他の動機としてはアインシュタインの相対性理論の上手い解釈を求めることである。これにはアインシュタインが直接言及しているように、ゼロ除算はブラックホールに関係していて、ブラックホールの解明を意図している面もある。偶然、アインシュタイン以後100年 実に面白い事件が起きていると言える。偶然、20年以上も考えて解明できたとの著書さえ出版された。― これは、初めから、間違いであると理由を付けて質問を送っているが、納得させる回答が無い。実名を上げず、具体的に 状況を客観的に述べたい。尚、ゼロ除算はリーマン仮説に密接に関係があるとの情報があるが 詳しいことは分からない。
1: ゼロ除算回避を目指して、新しい代数的な構造を研究しているグループ、相当な積み重ねのある理論を、体や環の構造で研究している。例えて言うと、ゼロ除算は沢山存在するという、考え方と言える。― そのような抽象的な理論は不要であると主張している。
2:同じくゼロ除算回避を志向して 何と0/0 を想像上の数として導入し、正、負無限大とともに数として導入して、新しい数の体系と演算の法則を考え、展開している。相当なグループを作っているという。BBCでも報じられたが、数学界の評判は良くないようである。― そのような抽象的な理論は不要であると主張している。
3:最近、アインシュタインの理論の専門家達が アインシュタインの理論から、0/0=1, 1/0=無限 が出て、ゼロ除算は解決したと報告している。― しかし、これについては、論理的な間違いがあると具体的に指摘している。結果も我々の結果と違っている。
4:数学界の永い定説では、1/0 は不可能もしくは、極限の考え方で、無限遠点を対応させる. 0/0 は不定、解は何でも良いとなっている。― 数学に基本的な欠落があって、ゼロ除算を導入しなければ数学は不完全であると主張し、新しい世界観を提起している。
ここ2年間の研究で、ゼロ除算は 何時でもゼロz/0=0であるとして、 上記の全ての立場を否定して、新しい理論の建設を進めている。z/0 は 普通の分数ではなく、拡張された意味でと初期から説明しているが、今でも誤解していて、混乱している人は多い、これは真面目に論文を読まず、初めから、問題にしていない証拠であると言える。
上記、関係者たちと交流、討論しているが、中々理解されず、自分たちの建設している理論に固執しているさまがよく現れていて、数学なのに、心情の問題のように感じられる微妙で、奇妙な状況である。
我々のゼロ除算の理論的な簡潔な説明、それを裏付ける具体的な証拠に当たる結果を沢山提示しているが、中々理解されない状況である。
数学界でも永い間の定説で、初めから、問題にしない人は多い状況である。ゼロ除算は算数、ユークリッド幾何学、解析幾何学など、数学の基本に関わることなので、この問題を究明、明確にして頂きたいと要請している:
再生核研究所声明 277(2016.01.26):アインシュタインの数学不信 ― 数学の欠陥
再生核研究所声明 278(2016.01.27): 面白いゼロ除算の混乱と話題
再生核研究所声明279(2016.01.28) : ゼロ除算の意義
再生核研究所声明280(2016.01.29) : ゼロ除算の公認、認知を求める
我々のゼロ除算について8歳の少女が3週間くらいで、当たり前であると理解し、高校の先生たちも、簡単に理解されている数学、それを数学の専門家や、ゼロ除算の専門家が2年を超えても、誤解したり、受け入れられない状況は誠に奇妙で、アリストテレスの2000年を超える世の連続性についての固定した世界観や、上記天才数学者たちの足跡、数学界の定説に まるで全く嵌っている状況に感じられる。
以 上
考えてはいけないことが、考えられるようになった。
説明できないことが説明できることになった。
Matrices and Division by Zero z/0 = 0
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