「給料格差ツイート、狙ってやった」 日本捨てる若手学者の危機感
香港科技大に移籍する一橋大の川口康平さん
記事INDEX
・問うたのは「大学の経営マインド」
・東大大学院は留学予備校
・社会のため、大学は経営観点を
「じゃあ何が違うのかというと、あれですね、給料です」。一橋大学から香港科学技術大学に移籍する講師、川口康平さん(34)がツイートした移籍理由が4月中旬、話題になりました。1000回以上リツイートされ、反応などを盛り込んだTogetterまとめは30万回以上見られています。実は「議論を起こしたい」と、半年前から考えていたというこのツイート。その真意を、ご本人に伺いました。
出典:川口さんのツイート
教授会後にツイート
川口さんは、企業が行う情報処理がどう業績に反映するかなどを研究する経済学者。一橋大学大学院経済学研究科で2015年から、5年の任期で一定の業績を上げれば任期の制限がない講師になれるテニュアトラック講師を務めています。8月1日付けで移籍する香港科技大でも同じ立場です。
4月12日、教授会に報告した後にツイッターで移籍を表明。こうつぶやきました。
出典:川口さんのツイート
研究環境面で一橋が特別負けているとは思いません,じゃあ何が違うのかというと,あれですね,給料です.
出典:川口さんのツイート
続くツイートでは
具体的にいうと,一橋の給与は昨年,各種手当を全部ひっくるめて634万円でした.科技大のオファーはというと,USD144K,日本円で1500-1600万円です.最高税率は15%らしいので,手取りの変化率は額面以上になります.
出典:川口さんのツイート
さらに、年収の1割を払えば100平方メートルの宿舎と駐車場が与えられ、大学内に保育所まである、というすごい環境。川口さんは「ツイートの通り、僕はせいぜいの中の上の研究者で、特別すごい条件が示されたわけではありません」と言います。
香港の夜景
香港の夜景
出典: 朝日新聞
問うたのは「大学の経営マインド」
川口さんは以前、香港科技大のセミナーに参加した縁で移籍を打診されました。正式に決まったのは昨年9月です。
「今回のツイートはそのときから考えていました。議論を呼び起こそうと思ったのです。研究者として数字を出した議論をするため、そして注目を得るため給料を強調しました」
社会に問いたかったのは「大学の経営マインドの問題」でした。
香港科技大に移籍する一橋大の川口康平さん
香港科技大に移籍する一橋大の川口康平さん
東大大学院は留学予備校
経済学の世界では、頭脳流出はかなり前から始まっているそうです。出身の東京大学大学院の修士課程は「留学予備校とも言われ、ほぼ全員が博士課程での留学を目指します。そして、かなりの人が海外で就職し、帰って来ない」とのことです。
そして昨年度は、国内の若手トップと言われる研究者2人がアジアの大学に移籍したといいます。
「日本の国立大学は、本当なら、手放したくない人材によそからのオファーが来たらカウンターオファーすべきです。給与制度全体を変えられなくても、その人の等級をぐんと上げて高い待遇を示すとか。できるはずなのに、しない」
「現場の最適化」も進まない
大学教員の仕事での研究と教育、事務のバランスについても、同じ思いを持っています。
「講義が得意な人には講義を多く任せ、研究が得意な人には講義の負担を減らす。それができれば、大学全体のパフォーマンスが上がるのに、そうなっていない。一橋大の中で論文の執筆数などのデータを見ても、それは明らかです」
日本の国立大に職を得て2年。大学の経営陣が、文部科学省からの運営資金を得るためにキャッチコピーづくり的な事務作業を優先する一方で、限られた資金の中で現場を最適化する経営に目が向いていない、と感じています。
一橋大のキャンパス
一橋大のキャンパス
出典: 朝日新聞
意外に多かったポジティブ反応
教員からのボトムアップで改革をしようにも、議論も起こらない。そこで、自らの移籍を奇貨として議論を呼び起こそうとしたのが、一連のツイートでした。
ネガティブな反応もありました。「日本の平均所得より多くもらっているのに何を言っているんだ」や「日本経済を救えない経済学者の給与がよそより低いのは自業自得」などで、「頭脳流出させない大学経営」というテーマとずれたものが多かったそうです。
「拡散の規模や反応は、だいたい予想通りでした。ただ、予想が違ったのは、ポジティブな反応が多かったこと。半分程度かと思っていましたけど、7割ぐらいでした。経済学者なのに感覚的な数字で申し訳ないですが」
「成功」じゃない
「反応は予想通り」だったが...
「反応は予想通り」だったが...
では、成功だったのでしょうか?
「失敗ですね。残念ながら、この件で大学からのヒアリングはありませんでした。すぐに動かない課題は実現しませんから、このツイートではなにも動かなかったということです」
それでも川口さんは諦めていません。一橋大の学生への教育内容とその後の学生の活動の関係を調べる計画を同僚と立て、移籍先の香港でも許されれば続ける予定です。「大学の経営に資する実用的なデータになるはずです」と話します。
社会のため、大学は経営観点を
経済学の頭脳流出について、川口さんは深刻に受け止めています。シニアの重鎮に数千万円クラスのオファーが来るとのうわさも聞きます。「そうした人がいなくなると、学生に留学の推薦状が書ける人がいなくなる。すると、世界の一線に行ける日本人がいなくなり、日本人経済学者がいなくなる恐れがあります」
頭脳流出は経済学だけではありません。
「理系なら企業への流出もあるでしょう。しかし、やはり大学に優れた研究者がいることは大切。すぐ役に立たなくても、既存の理論で対処できない課題に新たな解決策を示す研究者は、社会に必要です。そのために、大学にはもっと経営的に動いて欲しい」
取材を終えて
川口さんの歯に衣着せぬ辛口トークが、取材していて非常に刺激的でした。議論を呼び起こそうと「半年前から狙っていた」というこのツイート。問いかけたのは、単純な「日本の先生、給料安いんじゃない?」という問題意識ではなく、もっと構造的なアカデミアの課題でした。
経済学以外の世界でも「頭脳流出」や「大学の経営マインド」を巡る課題はいろいろあるんだと思います。皆さんの身近なところではどうですか? 学者さん以外の方でも思うところがあればぜひ。ご意見は取材リクエストにお寄せください。
再生核研究所声明 127 (2013.8.26): お金の問題 ― 貨幣について ― 収入について
(2013.8.17 再生核研究所声明に関心を抱く人の 結構永い間の要望であるが、難しい多面性を有するので、中々纏められなかった。今朝 夏休みを利用して 夏休みの宿題と考えて纏めてみる気持ちになった。1回では無理なので、本質論、収入面、支出面などに分けて 順次触れたい)
上記で 声明125で 本質論を纏め、声明126で 支出を纏めたので、多くの人が関心を抱く、収入について考察して置こう。地獄の沙汰も金次第 という大事なお金 を如何に得るかという観点である。
あらゆる生物は 自分が好きなように生きたいは、道理であり、まず、自分の好きなように 声明1 公正の原則に背馳しない限り、大事なお金を得たいが道理であり、お金を好きなように得るということがまず、第一の原則である。このような意味で、好きな職業に、あるいは好きな仕事に就いて、ひとりでにお金が入ってくる者は 幸いであると言える。理想国家では どんどんそのような人が増えるのではないだろうか。それが、国の、社会の目標であるとも言える。
特に資本主義社会では 人間の自由な活動が大幅に許されているので お金を得る方法は分類さえできないほど多様であるということである。特にインターネット、情報産業の発展によりその多様性は格段に増加して、どんどん新しいビジネスの方法が開拓されているのが現実である。サービス業や創造活動によるビジネスもきりがないほどである。
されば、収入における問題点とは何だろうか? これは始めから大問題である。収入のある人は問題ないとも言えるので、収入のない者の立場にまず、思いを致そう。
日本国憲法は
日本国憲法 第25条は、日本国憲法第3章にあり、社会権のひとつである生存権と、国の社会的使命について規定している。
第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
と謳い、実際に最低生活を保証し、実際に施行しているから、実に素晴らしい社会の実現であると高く評価される。 この最低生活の保障について、実際に働いて給与を得ている者より、逆に、働かず、最低生活の保障の額の方が高い収入という、一見奇妙な逆転現象さえ起きて、社会問題になっている。
しかし、ここで、生存権として、人は基本的に同じように生きる権利が有り、同じように収入を得て生きられるようにするは、収入にあたっての一つの原則であると考える。 かつて、(教授、助教授、講師、助手の) 職種に関係なく 年齢給で支給していた大学が有ったが、それは流石に行き過ぎだろう。 しかし、身分によって あまりの差を付けることは この原則に抵触すると考える。
最低生活の保障は 主に先進国における大量の失業者の増大と共に世界的な問題になっている。 収入のない失業者の問題である。 失業問題自身の対応については、 再生核研究所声明 42: 大失業時代 を参照。
次に注目すべきは 価値あるものを得たり、創造したり、作ったりしてもそれらだけからは、お金には変えられないという事実である。お金は作るわけにはいかず、それらの価値あるものを認めて頂いて、それで、お金に変える必要が有り、この時点が重要な観点ではないだろうか。この換金手順に、本質的な問題があり、そこに大きなビジネスの世界も展開していると言えよう。営業部門が製造部門以上に重要な役割を果たすことは 世に多い。
その点、投資、ギャンブル、為替の売買などは 直接的で、簡明な手順だが 元金の有無が問題であり、危険性も伴うだろう。
安定収入を得るには いわゆる固い職業に就くことであるが、冒険的に生きたい者は、ビジネスの開拓、ベンチャービジネスを志し、いわば持てる能力を思う存分に複雑な社会で活かしたいと考えるだろう。実際、成功して、大きな夢を実現している者は世に多い。活力ある社会を創造し、豊かな社会を築くために歓迎されているが、大きな視点からは、地球環境問題に抵触したり、社会性に反する形相を持つ面が強くなる可能性が高くなるので、大いに気を付けたい。
一応は以上で良いとしても 大きな問題が、抜けていることに気づくだろう。それは権力とお金を同時に得る方法である。古来から、公職に就くための人材登用の試験は 科挙制度のように現在も続いている公務員や高官への道である。国家の指導者たちであるから、一定の高級と権力を得るのは当然である。公正な裁判を可能にするために 判事などには、特別に相当な給与が 法律で保障されている。これらに類似する者として政治家が存在するが、これらは民主的な手順で、選挙で選出される訳であるから、それらの適否は 選出する国民の責任であり、原則的には、理想的な在りようであると評価される。
以 上
記事INDEX
・問うたのは「大学の経営マインド」
・東大大学院は留学予備校
・社会のため、大学は経営観点を
「じゃあ何が違うのかというと、あれですね、給料です」。一橋大学から香港科学技術大学に移籍する講師、川口康平さん(34)がツイートした移籍理由が4月中旬、話題になりました。1000回以上リツイートされ、反応などを盛り込んだTogetterまとめは30万回以上見られています。実は「議論を起こしたい」と、半年前から考えていたというこのツイート。その真意を、ご本人に伺いました。
出典:川口さんのツイート
教授会後にツイート
川口さんは、企業が行う情報処理がどう業績に反映するかなどを研究する経済学者。一橋大学大学院経済学研究科で2015年から、5年の任期で一定の業績を上げれば任期の制限がない講師になれるテニュアトラック講師を務めています。8月1日付けで移籍する香港科技大でも同じ立場です。
4月12日、教授会に報告した後にツイッターで移籍を表明。こうつぶやきました。
出典:川口さんのツイート
研究環境面で一橋が特別負けているとは思いません,じゃあ何が違うのかというと,あれですね,給料です.
出典:川口さんのツイート
続くツイートでは
具体的にいうと,一橋の給与は昨年,各種手当を全部ひっくるめて634万円でした.科技大のオファーはというと,USD144K,日本円で1500-1600万円です.最高税率は15%らしいので,手取りの変化率は額面以上になります.
出典:川口さんのツイート
さらに、年収の1割を払えば100平方メートルの宿舎と駐車場が与えられ、大学内に保育所まである、というすごい環境。川口さんは「ツイートの通り、僕はせいぜいの中の上の研究者で、特別すごい条件が示されたわけではありません」と言います。
香港の夜景
香港の夜景
出典: 朝日新聞
問うたのは「大学の経営マインド」
川口さんは以前、香港科技大のセミナーに参加した縁で移籍を打診されました。正式に決まったのは昨年9月です。
「今回のツイートはそのときから考えていました。議論を呼び起こそうと思ったのです。研究者として数字を出した議論をするため、そして注目を得るため給料を強調しました」
社会に問いたかったのは「大学の経営マインドの問題」でした。
香港科技大に移籍する一橋大の川口康平さん
香港科技大に移籍する一橋大の川口康平さん
東大大学院は留学予備校
経済学の世界では、頭脳流出はかなり前から始まっているそうです。出身の東京大学大学院の修士課程は「留学予備校とも言われ、ほぼ全員が博士課程での留学を目指します。そして、かなりの人が海外で就職し、帰って来ない」とのことです。
そして昨年度は、国内の若手トップと言われる研究者2人がアジアの大学に移籍したといいます。
「日本の国立大学は、本当なら、手放したくない人材によそからのオファーが来たらカウンターオファーすべきです。給与制度全体を変えられなくても、その人の等級をぐんと上げて高い待遇を示すとか。できるはずなのに、しない」
「現場の最適化」も進まない
大学教員の仕事での研究と教育、事務のバランスについても、同じ思いを持っています。
「講義が得意な人には講義を多く任せ、研究が得意な人には講義の負担を減らす。それができれば、大学全体のパフォーマンスが上がるのに、そうなっていない。一橋大の中で論文の執筆数などのデータを見ても、それは明らかです」
日本の国立大に職を得て2年。大学の経営陣が、文部科学省からの運営資金を得るためにキャッチコピーづくり的な事務作業を優先する一方で、限られた資金の中で現場を最適化する経営に目が向いていない、と感じています。
一橋大のキャンパス
一橋大のキャンパス
出典: 朝日新聞
意外に多かったポジティブ反応
教員からのボトムアップで改革をしようにも、議論も起こらない。そこで、自らの移籍を奇貨として議論を呼び起こそうとしたのが、一連のツイートでした。
ネガティブな反応もありました。「日本の平均所得より多くもらっているのに何を言っているんだ」や「日本経済を救えない経済学者の給与がよそより低いのは自業自得」などで、「頭脳流出させない大学経営」というテーマとずれたものが多かったそうです。
「拡散の規模や反応は、だいたい予想通りでした。ただ、予想が違ったのは、ポジティブな反応が多かったこと。半分程度かと思っていましたけど、7割ぐらいでした。経済学者なのに感覚的な数字で申し訳ないですが」
「成功」じゃない
「反応は予想通り」だったが...
「反応は予想通り」だったが...
では、成功だったのでしょうか?
「失敗ですね。残念ながら、この件で大学からのヒアリングはありませんでした。すぐに動かない課題は実現しませんから、このツイートではなにも動かなかったということです」
それでも川口さんは諦めていません。一橋大の学生への教育内容とその後の学生の活動の関係を調べる計画を同僚と立て、移籍先の香港でも許されれば続ける予定です。「大学の経営に資する実用的なデータになるはずです」と話します。
社会のため、大学は経営観点を
経済学の頭脳流出について、川口さんは深刻に受け止めています。シニアの重鎮に数千万円クラスのオファーが来るとのうわさも聞きます。「そうした人がいなくなると、学生に留学の推薦状が書ける人がいなくなる。すると、世界の一線に行ける日本人がいなくなり、日本人経済学者がいなくなる恐れがあります」
頭脳流出は経済学だけではありません。
「理系なら企業への流出もあるでしょう。しかし、やはり大学に優れた研究者がいることは大切。すぐ役に立たなくても、既存の理論で対処できない課題に新たな解決策を示す研究者は、社会に必要です。そのために、大学にはもっと経営的に動いて欲しい」
取材を終えて
川口さんの歯に衣着せぬ辛口トークが、取材していて非常に刺激的でした。議論を呼び起こそうと「半年前から狙っていた」というこのツイート。問いかけたのは、単純な「日本の先生、給料安いんじゃない?」という問題意識ではなく、もっと構造的なアカデミアの課題でした。
経済学以外の世界でも「頭脳流出」や「大学の経営マインド」を巡る課題はいろいろあるんだと思います。皆さんの身近なところではどうですか? 学者さん以外の方でも思うところがあればぜひ。ご意見は取材リクエストにお寄せください。
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再生核研究所声明349(2017.1.24) 衰退する日本の大学 ― 国を憂えて
大学の現状を憂えてその印象を率直に簡潔に表現してみよう。
まず、大学共通テストの弊害を述べてきたが、それは世の多くの人の危惧のように、日本の教育を歪めてきたと考えられる。十分に触れてきたが、画一的なパターン化した、言わば偏差値による個性のない、大学の出現である ― 哲学的精神の欠落、人物たる教育の欠落である。大義がなく、道もない。真智への愛もない:
再生核研究所声明329(2016.10.31) 大学入試の在り様について ― 現実と負担の視点から
再生核研究所声明283 (2016.2.8) 受験勉強が過熱化した場合の危惧について
再生核研究所声明260 (2015.12.07) 受験勉強、嫌な予感がした ― 受験勉強が過熱化した場合の弊害
再生核研究所声明152(2014.3.21) 研究活動に現れた注目すべき現象、研究の現場
次に、いわゆる大学の法人化による相当な混乱である。迂闊にも大学法人化の弊害、悪い影響について述べて来ていないことが分かった。その後に続いて起きてきたのが、定常的な大学予算の減少、教員待遇の悪化、特に大学の事務体制の弱体化である。教員には 研究費、処遇の悪化に反して、教員評価、研究業績など大きな圧力が掛かり、さらに、社会貢献やいろいろな用務の増大で教育や研究どころではない状況が多くの大学に見られる。特に、いわゆる、研究初期の大事な時期、博士論文の性急さや最初の就職先の雇用の厳しさ、任期制付きなど処遇が不安定で、研究体制の弱体化は相当に酷いと言える。創造性の厳しさ、困難さを考慮すれば、人生設計でも生活面でも十分な余裕のある環境でなければ良い研究活動ができないのは当然である。社会の厳しさが大学に皺寄せられ、特に若い世代の処遇、環境を悪化させている。事務組織の弱体化は 大学の雰囲気そのものを悪くさせている。臨時的な雇用やパートなどで賄えば、その不安定な状況は 香り高い大学の雰囲気を損ねるのは当然である。息の永い真理の追究、学芸、芸術にはそれなりの良い環境が求められるのは当然である。
要するに国家はどのように考えれば良いか。文教予算を大幅に増加させ、大学の教職員の待遇を良くし、人員を増加させ、設備を良くするように国策として進めるべきである。― 中国は国策として、数学の研究と教育を重視し、それゆえ、数学の分野での躍進が近年目覚しい。中国が積極的に学生を広い世界に派遣しているのは顕著な事実である。他方、日本では、そのような力を失っているように見える。日本の財政状況が相当に厳しいのは勿論承知している。しかしながら、他方、海外援助を相当派手に(バラマキのような状況とも言える)やっており、さらに、軍事費を大幅に増加させている。海外援助や軍備拡大と大学のどちらを重要視するかの観点で考えるべきである。大学は人を育て、文化を創造、発展させていく原動力、拠点ではないだろうか。民族の、国家の命運を掛けて充実させて行くべきではないだろうか。兵器など軍事援助や治安の援助、経済援助ではなく、文化面での国際貢献を志向したい。香り高い文化で 美しい日本国を侵略する、誹謗する国など 世界に存在しないような、世界がそのようなことを許さないような 日本国の在り様を目指したい。今尚、国家の安全を深く、広く思考し、対策を総合的に講ずるのは勿論大事である。さらに、優秀な研究者、思想家、芸術家を育成し、世界に展開し、世界史を進化させるような大物人物をどんどん輩出させたいものである。
以 上
再生核研究所声明 125 (2013.8.24): お金の問題 ― 貨幣について ― 本質論
(2013.8.17 再生核研究所声明に関心を抱く人の 結構永い間の要望であるが、難しい多面性を有するので、中々纏められなかった。今朝 夏休みを利用して 夏休みの宿題と考えて纏めてみる気持ちになった。1回では無理なので、本質論、収入面、支出面などに分けて 順次触れたい)
まず、お金の述語 を確認しておこう:
広義には、本位貨幣の他にも、法律により強制通用力を認められている信用貨幣も含めて指している[1]。つまり 「貨幣」という語で、鋳貨・紙幣に加えて(当座預金などの)信用貨幣も含めて指す場合が多い[2]。
なお、慣習的な用法として、法令用語の意味における貨幣と紙幣・銀行券をあわせて「お金」と呼ぶことが多い。(ウィキペディア)
お金の重要性、価値については、簡潔に 地獄の沙汰も金次第 という諺に表されるであろう。実際、人間の多くの価値が お金で数値化されて、人間の持つ多くの価値がお金を通して交換されるということに その本質が見出される。人間の価値には 生命の延長や場合によっては命の値段さえ関係してくる。実際、高度な医療で 生命が救われたりする状況は 身近に体験される。ある時間の労働から、芸術作品、アイディア、食品、ほとんどのもの、地位や名誉さえお金で評価されて、交換が可能になる。― 資本主義の発達したアメリカでは アメリカンドリームとは 大金持ちになることで表現され、最近でも、アメリカの大使は、大統領選挙における 献金の額で決まるなどと揶揄されている。そこで、人生の多くの部分が その大事なお金を得るための努力であるとさえ、錯覚してしまうほどである。
ところで、そのお金の価値であるが、人間の欲求の数値化であるから、生鮮食品の価値の変動や、株価、外国為替の変動のように絶えず、変化するものであるが、他方国家が、国家予算を通して国家を運営している現実が有るので、世の価値としては最も信じられるものであることには変わりはない。普遍 (不変) 的な価値を持つとされる、金 でさえ非常時やハイパーインフレーションの際、本物か否かの判定や流通性に問題を起こして、有効ではなかったとされている。
さまざまな価値の数値化であるから、実際には極めて難しく、ものの値段や年俸、報酬など歴史と文化を反映させ、慣例さえ尊重しなければ、数値化はたちまち、大混乱を起こしてしまうだろう。再生核研究所声明 72(2011/12/06) 慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則 も参照。
そこで、人間の多くの欲求が お金で叶えられるものであれば、お金が大事は無理からぬという現実がある。実際、お金が十分あれば、相当な自由を得て、好きなことが出来るのであるから、一応の理想的な状況に相当近づくことが出来ると考えられる。
美しい曲を奏でる、それが幾らに値するかは 聞く人の個人によって評価はいろいろであるが、プロとなると 自分で評価して、客を呼ぶのであるから、厳しさが有るが、しかし、それは音楽に限らず多くの価値がそうである。画家は、この絵を幾らで売りたいと宣言するだろう。漁師がこの魚を幾らで売りたい、と同様である。ギャンブルや宝くじのように 夢さえお金に変えて売買できる。人間の価値さえ、その稼ぎの大きさによって評価される面は 確かに世に多いと言える。作家、画家、スポーツマン、芸能人、等々、また地位さえ、収入で評価される面は多い。近年、大学の人事評価などでも 研究費をどれほど得ているかは、大きな評価の要素に成っていて、科学研究費など生涯の研究補助金額がインターネット上に公開されている。
これらは要するに、かつての農村社会で広く実現していた いわゆる自給自足を基本とする社会から、今では農村社会でさえ、電気、ガス、機械の購入、医療、社会活動などで、生活していくためには お金が必要であると纏められる。お金本位制にみえるような社会は、資本主義の発達したアメリカで 上述のように極めて顕著に見られる。いわゆる いろいろなサービスに対するチップなども重要で、適切にお金を払わなければ、大きな問題になるだろう。さまざまな価値が お金で評価される社会である。お金が大きな役割を果たす資本主義の問題点については、 再生核研究所声明75 (2012.2.10): 政治・経済の在りようについて も参照。
宗教界でもお金は必要であるから、神のごりやく(ご利益)を除いても 関係者の生活費や、神社、仏閣の維持の観点からも お賽銭や寄付を必要とするのは当然である。少し、間違えると、中世、西欧で行われた免罪符の発行や救われるための献金を要求しかねない状況に追い込まれてしまう。いわゆる戒名なども売買される、布施の額の大きさで左右される可能性を有する。無理からぬ面も有ると、理解できるだろう。選挙におけるいわゆる買収などは、何時も起きている現象ではないだろうか。
されば、お金とは何か お金の背後にあるものは、それは様々な人間の考える価値の数値化で、その価格によって、交換される数値化であり、国家と複数の人からなる社会の一定の承認を得た数値化であると言える。
ある人が、この本を1000円で売りたいと宣言して、買う者が現れれば、立派な数値化であり、その本は1000円のものとして、有効性を持ち、その時は 本の価値と1000円が 等価であるとして、評価されるだろう。本を売った者がそのお金で食品を購入すれば、1000円を通して、本と購入した食品の数値化は 等価となるだろう。このような連鎖を続けて行くのが お金の本質であると言えるだろう。
お金とは、そのような数値化における、交換を物理的に行うもの、可能にするものであると言える。
以 上
再生核研究所声明 126 (2013.8.25): お金の問題 ― 貨幣について ― 如何に使うか、支出について
(2013.8.17 再生核研究所声明に関心を抱く人の 結構永い間の要望であるが、難しい多面性を有するので、中々纏められなかった。今朝 夏休みを利用して 夏休みの宿題と考えて纏めてみる気持ちになった。1回では無理なので、本質論、収入面、支出面などに分けて 順次触れたい)
上記で 声明125で 本質論を纏めたので、多くの人の関心を抱く、収入 のまえに 支出 について考察して置こう。地獄の沙汰も金次第 という大事なお金 を如何に使うかである。
あらゆる生物は 自分が好きなように生きたいは、道理であり、まず、自分の好きなように 声明1 公正の原則に背馳しない限り、使うは道理であり、お金を好きなように使うということがまず、第一の原則である。しかしながら、世には、お金が入って仕方がない、大金持ちになって惨めな人生を送った人は 実に多いことが直ぐに分るだろう。実際、好きなように生きるは、生きるということはどのようなことか と同じように、実はそう簡単でないとも言える。
純粋な数学の研究者たちは、若いころは お金に関心を持たず、自由な時間こそ、尊いと評価している人が多いのではないだろうか。家族をもって、家族のためや、子供の為にお金が必要だと気づくのが多いのではないだろうか。再生核研究所声明36を参照。
自分達の生活と将来の為に特にお金を大事にしたいは、まず、第1歩である。それは社会に迷惑をかけないで 自立して生きることであるから、尊いとも言える。後は、多様性の原理で余裕のあるお金を如何に使うかであるが、それは、個々の価値観に依るのは当然である。そこで、支出で 悩ましい事例を挙げて、世の問題として、提起して置きたい:
1) 多くの国に行くと、物乞いに会うが、どうしたら良いか - 困っている人は助けたい心情が湧くが、きりがない状況が起きる。また、そこで、与えれば、逆に頼り、何時まで経っても 物乞いを無くすることが、できないだろう。
2) これは世に多く有る、募金や献金もそのような面を有して、場合、場合によって悩まされる。募金など、あちこちにあってきりがない状況であり、何時も割り切れない気持ちを残すだろう。
3) 政治献金などは より大きな世界であるが、自己の生活と効果を考えると同じような問題を感じるのでは。さらに特定組織の応援となると、どうしても不満を有して、全面的な支持は 殆どできないのではないだろうか。
4) いわゆる援助では、多くの場合、その時、援助に成っても それが自立を妨げ、永く尾を引く問題を抱えているのではないだろうか。
5) お坊さんの托鉢については、中々理解しにくいところがある。インドでは鐘を鳴らして、家々を回っている習慣が有るが、大抵何らの施しを与えているようである。イタリアでは若い女性が正座して、物乞いしていて、奇妙に見えた。パリでは読書しながら、他方で 献金を求めている様を見て、流石、文化都市のよう感じられた、修行僧への施しの1種と解釈すべきか? ところで、なぜ修行僧への施しをするのだろう。
6) 上記に対して、大道芸人、ライブ、演奏、教室などなど 一定のサービスを受けた場合には、そのような立場の人の生活を考えて、多めの献金が 良いのではないだろうか? もちろん、良い社会のための営みと判断される場合は 多めであるのは道理ではないだろうか。しかし、信号の合間を見て、窓ふきや芸当して物乞いをしているのは 有難迷惑に当たり、そのような押し付けは世に多い。
7) いわゆるチップであるが 日本人にはなれない習慣で戸惑うが、土地の習慣が大事では。場違いに出すと嫌な気分を擁かれる場合もあるが 大抵は多めだと喜ばれるのは当然である。有難迷惑も多い。
言えることは、自我をしっかりさせて、再生核研究所声明1の公正の原則に即して、心が弾むように お金を楽しく 自由に使えば良いと言うことである。大金を得て、塔からばら撒いた人がいたが、それはこの声明1に背馳している反社会的な行為として批判されるのは当然である。一般には 余裕のある人は楽しく使って、社会に活かすように心すべきと考える。大事なもの 独り占めにしないで、分かち合い、共に楽しむような気持ちが大事と考える。金は天下の回り物 という諺は 良い心がけではないだろうか。
以 上
(2013.8.17 再生核研究所声明に関心を抱く人の 結構永い間の要望であるが、難しい多面性を有するので、中々纏められなかった。今朝 夏休みを利用して 夏休みの宿題と考えて纏めてみる気持ちになった。1回では無理なので、本質論、収入面、支出面などに分けて 順次触れたい)
上記で 声明125で 本質論を纏め、声明126で 支出を纏めたので、多くの人が関心を抱く、収入について考察して置こう。地獄の沙汰も金次第 という大事なお金 を如何に得るかという観点である。
あらゆる生物は 自分が好きなように生きたいは、道理であり、まず、自分の好きなように 声明1 公正の原則に背馳しない限り、大事なお金を得たいが道理であり、お金を好きなように得るということがまず、第一の原則である。このような意味で、好きな職業に、あるいは好きな仕事に就いて、ひとりでにお金が入ってくる者は 幸いであると言える。理想国家では どんどんそのような人が増えるのではないだろうか。それが、国の、社会の目標であるとも言える。
特に資本主義社会では 人間の自由な活動が大幅に許されているので お金を得る方法は分類さえできないほど多様であるということである。特にインターネット、情報産業の発展によりその多様性は格段に増加して、どんどん新しいビジネスの方法が開拓されているのが現実である。サービス業や創造活動によるビジネスもきりがないほどである。
されば、収入における問題点とは何だろうか? これは始めから大問題である。収入のある人は問題ないとも言えるので、収入のない者の立場にまず、思いを致そう。
日本国憲法は
日本国憲法 第25条は、日本国憲法第3章にあり、社会権のひとつである生存権と、国の社会的使命について規定している。
第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
と謳い、実際に最低生活を保証し、実際に施行しているから、実に素晴らしい社会の実現であると高く評価される。 この最低生活の保障について、実際に働いて給与を得ている者より、逆に、働かず、最低生活の保障の額の方が高い収入という、一見奇妙な逆転現象さえ起きて、社会問題になっている。
しかし、ここで、生存権として、人は基本的に同じように生きる権利が有り、同じように収入を得て生きられるようにするは、収入にあたっての一つの原則であると考える。 かつて、(教授、助教授、講師、助手の) 職種に関係なく 年齢給で支給していた大学が有ったが、それは流石に行き過ぎだろう。 しかし、身分によって あまりの差を付けることは この原則に抵触すると考える。
最低生活の保障は 主に先進国における大量の失業者の増大と共に世界的な問題になっている。 収入のない失業者の問題である。 失業問題自身の対応については、 再生核研究所声明 42: 大失業時代 を参照。
次に注目すべきは 価値あるものを得たり、創造したり、作ったりしてもそれらだけからは、お金には変えられないという事実である。お金は作るわけにはいかず、それらの価値あるものを認めて頂いて、それで、お金に変える必要が有り、この時点が重要な観点ではないだろうか。この換金手順に、本質的な問題があり、そこに大きなビジネスの世界も展開していると言えよう。営業部門が製造部門以上に重要な役割を果たすことは 世に多い。
その点、投資、ギャンブル、為替の売買などは 直接的で、簡明な手順だが 元金の有無が問題であり、危険性も伴うだろう。
安定収入を得るには いわゆる固い職業に就くことであるが、冒険的に生きたい者は、ビジネスの開拓、ベンチャービジネスを志し、いわば持てる能力を思う存分に複雑な社会で活かしたいと考えるだろう。実際、成功して、大きな夢を実現している者は世に多い。活力ある社会を創造し、豊かな社会を築くために歓迎されているが、大きな視点からは、地球環境問題に抵触したり、社会性に反する形相を持つ面が強くなる可能性が高くなるので、大いに気を付けたい。
一応は以上で良いとしても 大きな問題が、抜けていることに気づくだろう。それは権力とお金を同時に得る方法である。古来から、公職に就くための人材登用の試験は 科挙制度のように現在も続いている公務員や高官への道である。国家の指導者たちであるから、一定の高級と権力を得るのは当然である。公正な裁判を可能にするために 判事などには、特別に相当な給与が 法律で保障されている。これらに類似する者として政治家が存在するが、これらは民主的な手順で、選挙で選出される訳であるから、それらの適否は 選出する国民の責任であり、原則的には、理想的な在りようであると評価される。
以 上
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