死刑制度は、廃止すべきでは?
いかなる理由であれ国家が国民の生存の自由と権利を奪ってよいはずがありません。
確かに被害者感情を考えると堪え難きものがありますが、刑罰とはあくまで犯
罪に対する抑止力であって、被害者に代わって仇を討つために存在するのではないのです。
「廃止論者は被害者感情を無視している」
「想像力が無い」
「他人事」
そんなわけがないでしょうが。
悲惨な殺人事件を耳にすれば怒りも湧き上がりますし悲しみも込み上げます。
しかしだからと言って感情で論ずるにはあまりにも重い問題なのです。
何も考えずに「死刑に反対だー」なんて言っているのではありません。
死刑制度に賛成している人達と同じ様に真剣に考えた結果なのです。
賛成派も反対派もまずそれを理解すべきです。
死刑は法律で認められているのかもしれませんが、生存の自由と権利は法の最高規範である憲法で保障されています。
最高裁で合憲と判断されているのかもしれませんが、裁判官が選挙で決められているわけではありませんので民主主義的な意思とは言えません。
また「人を殺す(殺人)」=「許されない事(悪)」=「人を殺す(死刑)」という方程式は、死刑制度が死刑制度そのものの矛盾を指摘しているではありませんか。
以上の理由で死刑制度には反対です。
憲法が保障する生存の自由と権利は全ての国民が享受するものであって、たとえ殺人を犯した人間に対しても例外ではありません。
また「生存の自由と権利を侵害(違憲)」=「許されない事」=「生存の自由と権利を侵害(合憲)」という解釈が成り立つ場合、憲法が違憲を合憲と判断する矛盾が生じます。
廃止論者は死刑制度の存在そのものに疑問を呈しているのです。
本来いかなる法律も、法の最高規範である憲法に違反すれば無効になるはずです。
民法も商法も刑法もです。
死刑でなければ寛容という理屈は感情論理でしかありません。
こういった発言が無根拠に「廃止論者は殺人犯に寛容である」と定義するのです。
残念でなりません。
『ほとんどの国がもってるからと日本が突如核兵器保有宣言をしてもいいんですね?』
圧倒的多数の国は核を保有していません。
余談ですが、消費税の問題などでは「世界基準」に合わせようとし、死刑制度の問題は「他の国は関係ない」とするダブルスタンダードな国会議員などは信用に値しませんよね。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14137850209
人を意図的に殺せば、処刑は 当然では。
殺された人の無念を 軽々しく考えるべきでは無いのでは?
4.31 死刑制度の存続を:
国連や国内でも死刑制度の廃止を求める考えが出てきていますが、これはおかしいのではないでしょうか。分かり易い根拠は: 人命は大事であること、死刑制度が無くなれば 必ず殺人事件は増加する。 よって死刑制度は必要である。 は如何でしょうか。 死刑制度を廃止するという主張には、殺された人の無念さ、関係者の無念さを軽く見てはいないでしょうか。愛する家族や人に殺された人の無念さを軽く考えるべきではなく、 殺人を決して許すべきではないと考えます。そこで、公正の原則 によって、人を殺せば処刑される を第1原則に 考えるべきではないでしょうか。 私は軽く死刑を執行するとは考えず、くれぐれも 慎重な対応を求めるのですが、原則を述べています。
ところで、殺人についてはそれ程に慎重なのに、戦争となると大量の殺人が起きるのですが、扱いが小さいのは誠に奇妙に思えます。昨年、イラクの犠牲者16000人、数ヶ月前迄はアメリカ軍の犠牲者が月100名を越えたというニュースがありました。このような愚かさを無くしたいというのが 再生核研究所設立の1つの動機です。何故なら、より良い社会を作るために設立したからです。
再生核研究所声明 3 (2007/2/27):最低生活の保障についての宣言を求める
現在、日本を覆っている不安な状況を打破し、明るい未来を切り拓く第1歩として、政府、各公共団体の首長に、日本国に存在するすべての人に、無条件で一定水準の食、住、医療を保障する事を、宣言し、かつ確実に実行する手順を速やかに検証するように要請致します。その理由は:
1)まず、これを確実に実行する事によって、日本国に存在する人は自分と家族の生命と生活が保証されることによって、名誉ある国家に存在する自覚を持ち、連帯に基づく将来不安を取り除く事ができる。
2)これは、実際的にはほぼ実現できていることから、大きな財政負担をすることなく、実現できること。これは官民一体となって、たえず、確認する事に意義があると考える。
この事によって、日本国としての存在の意味を明らかにし、国旗と国歌を真に輝かせることができる。
3)これでは怠け者が国中に溢れると危惧することが考えられるが、人間は生まれながらにして向上心を有し、自立できない一定水準の生活に満足するはずはないから、現状を見ても危惧するには及ばないと考えられる。
4)世に犯罪や、いじめなどが多発し、失業者がいて、生活に困る状況を作っているのはそれらを生んだ社会に責任があると考え、偉大なる日本国においては 国家と地方公共団体が、まず第一に それらの責任を果たすべきと考え、この考えを日本国における常識となるようにする。
みなさん、上記のような 偉大なる日本国 を作ろうではありませんか。これは夢ではなく2500年も前に既に 古代中国で実現していた社会です。
(注意 日本国憲法:
第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。) 以 上
3.10 悲しいニュース、心中(2007/7/21):
4歳の子を道連れに 夫婦と3人で 川の字になって 練炭で心中したというニュースが流れました。 親族や友達に祝福されて、6,7年で人生を閉じた事になります。 悲しいニュースです。 実は心情として理解できる事があり、少し私の考えはおかしいのではないかと家族にも、友達にも言われているのですが、それは今夜は触れない事にして、一般的なことを触れておきたいと思います。先ずご夫婦の追い込まれた心情、そのご両親、ご親族の嘆きは如何程かと思うと心が痛みます。- 祖父の長兄は 母が生きているうちは 悲しませないように病気になるな、頑張れと叔父、叔母達によく言っているということです。- 現実に上手くいかなかったとき、助けを求めてはといっても、人間には誇りも名誉もあるので、素直になれないことがあるのではないでしょうか。 よって具体的には、事業などで失敗した場合に何か上手く、援助できるような在り様を考える必要があるのではないでしょうか。憲法25条の精神を如何にして、実現させ、失敗しても立ち上がれる機会を如何に作っていくかです。昔の話ですが、祖父の友人が実業家で、 何度も失敗を繰り返して、実業は面白いといっていたというのを思い出します。燕の生涯について思いをしていますが、人生苦労が多く、休憩している時が幸せな時とも言えます。 ー 楽することだけが人生ならば、早く閉じた方が幸せとも言えるのではと昔から、疑問に考えてきました。 しかし、人生はそうではなくて、人生とは何かを人生の基本定理で述べてきました。ー 人生には失敗はつきものですから、今回は失敗として、気分をかえ、素直に援助を求め、再挑戦して頂きたく思います。 失敗は恥ずかしい事ではないという風潮を、文化を広めたいと思います。
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