藤村操の自殺について質問です。
藤村操が自殺して、そのことを当時のマスコミが騒ぎ立てたことで、
群発自殺が起こりました。
実際、当時の報道は藤村を夭折した哲学者として、英雄視する風潮があったようです。
扇情的に自殺を報道することで、連鎖して自殺が発生する、
この効果をウェルテル効果というらしいです。
連鎖する自殺に、当時の反骨の報道人である宮武外骨は、藤村操が残した巌頭感をもじって、
以下の様に言い換えました。
「嬋々たるかな阿嬢。娼々たるかな松子。
堕落の学生をもってこの女をはからんとす。
ホレターの色学ついになんらのオイヨロシイーを得たるものぞ。
野郎の懸想はただ一言にして悉す。いわく「不及恋」、
われこの恨みを懐いて煩悶ついに死を決するに至る。
すでに巖頭に立つにさきだって胸中衡気の外あるなし。
はじめて知るなる法螺は大いなる売名に一致するを 」
これはパパゲーノ効果(オペラの「魔笛」で主人公の自殺しそうな状態を諌めて、自殺を思いとどめさせる妖精に由来する)があると思いますか?当時滑稽新聞で、これを読んで、
自殺を思いとどまった人もいるのではないかと思うのですが。
先人の自殺に対する態度が現代の自殺予防に役に立つのではと思って質問しています。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11139198616
真摯に人生を考察したことを評価するような面は、いつまでも残るのでは:
再生核研究所声明155(2014.4.25) 生きる意味は 文学者にも分からない??
(仏教に学ぶ - 生きる意味 中村僚様が 最近広範に文献を紹介され、 問題を提起されているので、この問題に関心を抱いてきた者として、総合的に触れたい気持ちが湧いた。)
生きる意味とは何か? 思えば 永い考察の後に、50歳で、人生の意義は 感動することにある (人生の基本定理) と、朝の目覚めと共に直観、閃き、相当に興奮して、その心境を友人たちに語り、それは 最近の100/0,0/0=0の新しい意味の発見のようであった。関連文書も沢山書いてきたが、それらの中で、孔子や藤村操をも導けたのではないかと言及している(再生核研究所声明12: 人生、世界の存在していることの意味について; 再生核研究所声明57: 人生とは何か、人生如何に生きるべきか; 再生核研究所声明145: 生きること、人間として在ることの 究極の意義 についての考察; 再生核研究所声明149: 生きること、生命の本質、活動して止まないもの)。
考えている人間とは そもそも何か? 大事なことは 誰も好き好んで生まれ、 存在しているのではないという、まぎれもない事実である。 これは何を意味するであろうか? これは 数学のように公理系や、原理が与えられ、我々は、つくられた存在で、我々の在るべき姿は、基本的には定められているということを意味しないであろうか。 誰しも食の本能を満たしたいと思うだろう。 そうでなければ、我々は生物として存在できず、生きる意味など考える余裕さえないだろう。 人間は人間いぜんに、生物であり、動物であるから、それらの有している本能原理を満たし、尊重するは 人生を考える第1歩であると 基礎を確認する のが大事ではないだろうか。
最近の厳しい社会状況をみると、それらの基礎である、職を得、家庭を持ち、育児で、既に精一杯で、いわば高尚な 生きる意味など考察している余裕さえない現状が広くみられる。それどころか、生活もままならないのに、他国を挑発、軍備増強、危機を煽ったりしている 愚かで 野蛮な人々が多数を占めている現状さえ 広範にみられる世相である。
生物的な本能が満たされ、生活に余裕ができれば、好きなように、喜びが、感動が 湧くように 楽しく生きれば 良いのではないだろうか。しかしながら、生活に余裕ができても、楽しく生きることが 結構難しいが、これは要するに 環境の中で、 自己の心、自分に合った様に生きるのだから、 これは多くは、個人の問題に帰することに成るだろう。 政治も 宗教も 知識も 環境も、この個人の心の問題には 深くは入れないだろう。好みは 人それぞれで違うからである。 その違いが大事で、多様な大きな世界を作る原理に成っていることが分るだろう。人間には飽きるという素晴らしい、本能、原理が有るからである。どのような幸せ感さえ やがて飽きるだろう。
そこで、人間の理想的な境地を次のように触れておきたい:
― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。 愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。― 再生核研究所声明148.
しかしながら、人生とは、全て上手く、いっても それが どのような意味が有るのか、と問うことができる。 結局人生とはどのような意味が有るのだろうかを、死の問題に絡ませて、触れれば、 問題はさらに深く、個人の心の問題に発展するが、 それらは、また生命の本質に関わる。 要点の多くは 再生核研究所声明の中で、 深く触れている。 理解には 個人の心の問題、 状況に深く関係するので、簡単ではない。もちろん、多くの人が、死からの解放を望んでいることを 深く受け止めている。
以 上
謝辞: 中村僚様には かつての自分を想わせるような 人生に対する真摯な姿勢を拝見し、共感、共鳴していますが、努力と優秀性を感じています。 広い貴重な情報には感謝したい。
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