2014年12月21日日曜日

記事 (チェコ好き)2014年12月19日 11:09「好き」「嫌い」をこえた芸術鑑賞法があるとしたら

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(チェコ好き)2014年12月19日 11:09「好き」「嫌い」をこえた芸術鑑賞法があるとしたら
下記の記事を読みましたー。

けいろー(id:ornith)さんの、「良い」「悪い」が分からないので「好き」「嫌い」で考えるという美術館の楽しみ方はまったく正しくて、というか正しいとか正しくないとかそもそもないので、反論というわけではなく、補足です。
なお、後半は元記事をはなれて話がとんでもなく飛躍しておりますので、ご注意ください(けいろーさんごめんなさい)。
「好き」「嫌い」のその先
美術、映画、小説、その他諸々のさまざまな芸術作品を鑑賞するとき、けいろーさんがいうように、基本的には「好き」とか「嫌い」とか「面白い」とか「つまんない」とか、そういった基準で考えてOKだと私も思います。知識があればもっと面白い発見ができるかもしれないけど、それは絶対ではありません。
でも、このブログでいつも美術やその他諸々の芸術作品のことをエラソーに取り扱っている私としては、これを読んでくれているみなさんにはぜひ、「好き」「嫌い」「面白い」「つまんない」に加えて、プラスαの何かを芸術作品から持ち帰ってほしいなあなんて、上記の記事を読みながらおせっかいにも考えてしまったのでした。けいろーさんは美術館を「図書館」や「銭湯」に近いものだと考えているそうで、それは私も同じなのですが、本当にそれらと同じ「癒し」の効用しかもたらさないのだとしたら、わざわざひねらずそのまま「図書館」や「銭湯」に行けばいいわけで。
で、美術館に展示されている絵画、あるいは旅行先で出会った建築や彫刻、もしくは日常生活で出会った小説でもかまいません。そんな芸術作品たちから、プラスαの何かを持ち帰るため、自分にとっての大切な何かを抽出するために必要なのが、「審美眼」です。
今回は、この「審美眼」の話をします。
審美眼」とは何か
審美眼」とは、一般的には「美を見極める能力」のことです。なんだそれ、結局美術史とかを勉強して知識を身に付けろってことか、と思うかもしれませんが、ちがいます。美術史上で正しいとされている、市場で高い値がつく、そんなものを見極められるようになっても、あなたが美術史家やギャラリストやコレクターでない限り、それは何の役にも立ちません。
私が考える本当の意味での「審美眼」は、「みんなが同じように美しいと思うもの、だれもが同じように高く評価するもの」を見極める能力のことではありません。「自分のためだけに作られたものが、自分のためだけに発しているメッセージに気付く」能力のことです。
例えばですね、何の知識も持っていない、作品の背景もまったく知らないはずなのに、「好き」とか「面白い」とかいう感情の何百倍も強い引力で、自分に”語りかけてくる”作品というのがあります。ただし、あなたの隣の人にはそのメッセージは聞こえません。それはその作品が、「あなただけ」に発しているメッセージです。あなたの隣で同じ作品を鑑賞している人に、それは何の意味ももたらしません。
それが絵画のこともあれば、彫刻のこともあるだろうし、音楽や映画、漫画や小説というかたちをとることもあるでしょう。いずれにせよ、そんなに数は多くありません。そんな作品に出会えるのは一生に1つだけ、多くても2つか3つです。しかし何であれ、それはあなたのための作品です。目が合います。あなたのことを、家族よりも、恋人よりも、友人よりも、その作品は知っています。
いいですか、人生における美術館めぐり、遺跡巡り、読書などの99.9%は無駄骨です。でも、残りの0.1%のために、あなたはこの世界を目を凝らして見つめる必要があります。美術館や映画館に行き、小説を読む必要があります。少々根気がいるでしょう。しかし、「あなたのためだけに作られた作品」は、この世界に必ずあります。どうか生涯をかけて、死ぬまでにそれを見つけ出してください。世界のどこかで、その作品はあなたのことをじっと待っています。
美術館に行くのは、もしかしたらそんな作品が、遠い海を越えてあなたに会いに来ているかもしれないからです。もちろん、こちらから海を越えて会いに行ってもいいわけですが。
「私のためだけに作られた作品」を嗅ぎ分ける能力、これが私の考える「審美眼」です。
審美眼」はどうしたら身に付けられるか
私は今、とてつもなくスピリチュアルで頭湧いてる話をしています。でもまあ、事実なのでしょうがないです。
生きていると、毎日毎日、たくさんの情報を受け取ります。新聞から、テレビから、スマホの広告から、家族から、職場の上司や同僚から、友人から。有益な情報もあれば、ただのノイズもあるでしょう。だけど、本当に本当に大切なメッセージは、「あなたのためだけ」に発せられています。自分の人生に真摯に向き合ってさえいれば、あなたはその声に必ず気付きます。
芸術を鑑賞するのに、知識も教養も必要ありません。そんなものは解釈ゲームをして遊びたい人が趣味で身に付ければいい。必要なのは「審美眼」です。自分のために発せられたメッセージに気付くことです。
審美眼」は、人間ならだれもが絶対に持っています。だからそれを曇らせずに、毎日丁寧に磨いてください。あなたのためだけに作られた生涯の作品を探すために、美術館へ、仕事へ、旅行へ、飲み会へ行ってください。そうすればあなたは、たくさんのノイズのなかから、必ず聞き取ることができるでしょう。「あなたのためだけのメッセージ」を。
★★★
わけわかんないこといってたら疲れました。実はこれに似た話は、たしか内田樹が下記の本でしています。
呪いの時代 (新潮文庫)
呪いの時代 (新潮文庫)
作者: 内田樹
出版社/メーカー: 新潮社
発売日: 2014/06/27
メディア: 文庫
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ただし、私はマジですよ。願わくばこのブログが、そんな「あなたのためだけのメッセージ」に気付くための一助となればいいのですが、それはやや傲慢というものですね。http://blogos.com/article/101689/

再生核研究所声明181(2014.11.25) 人類の素晴らしさ ― 7つの視点
ここでは、人生、世界の賛歌の形で、人類の明るい面、素晴らしさに焦点を合わせてふれて,  生命の、人生の素晴らしさを確認し、希望と勇気を奮い立たせたい。
1)神、信仰: 人間がユニバースの創造者の概念を懐き、神の概念を得て信仰のレベルに達したのは素晴らしく、人間の根源的な才能であると評価したい:― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。―
2)求道: 人間が 己が何ゆえに存在しているのか、私は何者かと問い、存在の意味を求めて、修行し、在るべき有り様を真摯に追求している姿は、真に人間として尊いと言える。
3)愛: 愛とは共生感に基づく喜びの感情であるが (声明146)、多くの愛は人間社会の喜びの源泉と生きる力である(再生核研究所声明134: 私の命よりも 大事な 私 ― 人間の崇高さ、素晴らしきかな 人間)。
4)言語: 言語を使用して、交流でき、意思疏通ができ、あらゆる生命活動について、共感、共鳴できる人間の素晴らしさ。愛の基礎ばかりではなく、精神面での生命の伝播、記録、共有さえ可能にしている。
5)芸術: これは、絵画、音楽、歌、文学、スポーツ、技巧、あらゆる人間の創造的な活動の文化活動の営みを挙げることができる。これには、いわゆる名人芸、技術、芸能など、 芸術で捉えられる分野は広く、深く広がっている。
6)科学: ニュートン力学アインシュタインの理論、電磁波の発見や応用、数学ではオイラーの公式微積分学の発見など、近代科学の素晴しさはそれこそ、神の意思を真摯に追求しているものとして高く評価される。これは医学や工業技術など近代科学などを広く捉えることができる。
7)義: これは世界史に多く記録される、大義のための自己犠牲の精神であり、個人を超えた大きな存在に対する帰依の精神である。この大義は、実に様々に捉えることができるが、己の命を超えた存在に対する、自己犠牲の精神である。
人間の素晴らしさは 全て、 感動にすること に結びつくだろう(再生核研究所声明 12: 人生、世界の存在していることの意味について )。
以 上



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