2014年12月17日水曜日

爆笑問題・太田光、テレビ局の政治的圧力についてコメント「一切偏ってないと僕は思います」

爆笑問題・太田光、テレビ局の政治的圧力についてコメント「一切偏ってないと僕は思います」
2014年12月17日12時25分トピックニュース
爆笑問題太田光
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17日放送の「爆笑問題カーボーイ」(TBSラジオ)で、爆笑問題の太田光が、テレビ局の政治的圧力について言及した。
番組冒頭で太田は、かつて安倍晋三首相が「私の顔写真を意図的に映り込ませる悪質なサブリミナル効果を使った」とFacebookなどでTBSを非難していたことに触れた。その上で、テレビ局の政治的圧力を「ありえないからね」と否定した。
さらに太田は「政治信条・思想信条に関して、誰かにこうしてくれって言われたこともない」「私に対する圧力は、これはもちろん民主党政権のときも自民党政権のときもないんです」と明言した。
また、太田は評論家・金美齢氏とのエピソードも披露した。太田は、安倍氏と懇意の金氏に「あんたのとこの安倍ちゃんが、テレビを目の敵にしてる」と伝えると、金氏は「テレビが偏ってるからよ」と反論したという。太田はこれに「あんたを出してる時点で偏ってないわ」と言い返したそう。
続けて、太田は「逆に言うと、テレビバラエティに出てこなくなった政治家は怪しいですよ。あそこに出てた人は全員信用してますからね。自民党だろうが、民主党だろうが」「池上(彰)さんが自由にやれるっていうのは、テレビは一切偏ってないと僕は思います」などと持論を展開した。http://news.livedoor.com/article/detail/9585558/

初心忘れるべからず - 再生核研究所本末転倒、あべこべ70(2011年9月28日)声明
現代の世相を見ると、余りにも奇妙な現象が起きていて、まるで本末転倒、あべこべになっているのではないかと考えられることが多いので、それらの事象を考察して、初心を尊重して本来あるべき姿について反省を求めたい。しかしながら、時代の趨勢で、初心が本質的に変化を求められ、変遷の止む無きこともあるので、その辺の考察も行なって置きたい。
まずマ​​スコミの現状を見てみたい。マスコミの在るべき姿については例えば新聞社においては、自ら天下にこうありたいと宣言している新聞倫理綱領を参照して頂きたい(添付資料1)。現状は如何でしょうか鍵となる用語を抜粋したので、現状を考えて頂きたい。:
あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される
新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によって
言論·表現の自由を守り抜くと同時に、自らを厳しく律し、品格を重んじ
正確と公正新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である
報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない
あらゆる勢力からの干渉を排するとともに、利用されないよう自戒しなければならない
他方、新聞は、自らと異なる意見であっても、正確・公正で責任ある言論には、すすんで紙面を提供する
人権の尊重新聞は人間の尊厳に最高の敬意を払い、個人の名誉を重んじプライバシーに配慮する。
教育の在り様については、教育の目標を教育基本法に定めている。その最初の部分を添付資料に付けたが、あまりに素晴らしく、また、あまりにも現状がかけ離れていて、驚いてしまう。
空虚な日本を作っている根本原因ではないだろうか(再生核研究所15声明:空虚な日本の社会)。さらに、日本の公教育が 天才教育の必要性を訴える)。
添付資料3日本国憲法第9条 絶えず、真摯な態度で臨むべきであると考える(再生核研究所6声明:憲法問題に対する提案参照)。
評価なども 変遷はすべて
以上

添付資料1:
新聞倫理綱領
2000(平成12)年6​​月21日制定
21世紀を迎え、日本新聞協会の加盟社はあらためて新聞の使命を認識し、豊かで平和な未来のために力を尽くすことを誓い、新しい倫理綱領を定める。
国民の「知る権利」は民主主義社会をささえる普遍の原理である。この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される。新聞はそれにもっともふさわしい担い手であり続けたい。
おびただしい量の情報が飛びかう社会では、なにが真実か、どれを選ぶべきか、的確で迅速な判断が強く求められている。新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである。
編集、制作、広告、販売などすべての新聞人は、その責務をまっとうするため、また読者との信頼関係をゆるぎないものにするため、言論・表現の自由を守り抜くと同時に、自らを厳しく律し、品格を重んじなければならない。
自由と責任表現の自由は人間の基本的権利であり、新聞は報道・論評の完全な自由を有する。それだけに行使にあたっては重い責任を自覚し、公共の利益を害することのないよう、十分に配慮しなければならない。
正確と公正新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世におもねらず、所信を貫くべきである。
独立と寛容新聞は公正な言論のために独立を確保する。あらゆる勢力からの干渉を排するとともに、利用されないよう自戒しなければならない。他方、新聞は、自らと異なる意見であっても、正確・公正で責任ある言論には、すすんで紙面を提供する。
人権の尊重新聞は人間の尊厳に最高の敬意を払い、個人の名誉を重んじプライバシーに配慮する。報道を誤ったときはすみやかに訂正し、正当な理由もなく相手の名誉を傷つけたと判断したときは、反論の機会を提供するなど、適切な措置を講じる。
品格と節度公共的、文化的使命を果たすべき新聞は、いつでも、どこでも、だれもが、等しく読めるものでなければならない。記事、広告とも表現には品格を保つことが必要である。また、販売にあたっては節度と良識をもって人びとと接すべきである。

添付資料2:
教育基本法
(平成十八年十二月二十二日法律第百二十号)
教育基本法(昭和二十二年法律第二十五号)の全部を改正する。我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。
 前文
 第一章教育の目的及び理念(第一条 - 第四条)
 第二章教育の実施に関する基本(第五条 - 第十五条)
 第三章教育行政(第十六条·第十七条)
 第四章法令の制定(第十八条)
 附則
第一章教育の目的及び理念
(教育の目的)
第一条教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
(教育の目標)
第二条教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
(生涯学習の理念)
第三条国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない。

添付資料3:
日本国憲法第9条
1日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
以上
ウイキペディアより:
マッチポンプとは、偽善的な自作自演の手法・行為を意味する和製外来語である。マッチ(match)は元は英語、ポンプ(pomp)は元はオランダ語である(英語ではpump)。
「マッチで自ら火事を起こして煽り、それを自らポンプで消す」などと喩えられるように、問題や騒動について、自身でわざわざ作り出しておきながら、あるいは自身の行為がその根源であるにもかかわらず、そ知らぬ顔で巧妙に立ち回り、その解決・収拾の立役者役も自ら担って賞賛や利益を得ようとする、その様な行為を指して用いられる表現である。
日本の国会会議録にマッチポンプを用いた発言が残っている。1961(昭和36)年4月11日の衆議院本会議において、松井誠衆議院議員は「銃砲刀剣類等所持取締法の一部を改正する法律案」への質問の中で以下のように発言している。
世に、いわゆるマッチ・ポンプ方式といわれるものがあります。右手のマッチで、公共料金を上げて、もって物価値上げに火をつけながら、左手のポンプでは、物価値上げを抑制するがごとき矛盾したゼスチュアを示すのをいうのでございましょう。
- 松井誠、「第38回国会衆議院本会議1961(昭和36)年4月11日」[1]
1966年、黒い霧事件第1弾の田中彰治代議士事件で初めて使われ、元々は金品を巻き上げるという意味で使われた。1974年刊の「現代流行語辞典[2]」では「デスク日記3[3]」1966年8月5日の項にマッチポンプの記述があると紹介している。


再生核研究所23(2009/04/02)声明:
秘書の逮捕、起訴事件における検察庁の対応と公正の原則
先の参議院選挙の結果与野党の歴史的な逆転が生じ、小沢氏を中心とする政権交代の機運が高まっていた折り、小沢氏の秘書の逮捕、起訴事件が起きた。この件について、素朴な疑念を感じざるを得ない。なぜこの段階における逮捕、起訴かの問題である。
 検察庁は長い間の 事情聴取などをして注意を喚起すべきである。これでは 当然である。
立法府の責任ある野党の党首が 法の番人たる検察庁の義務であり、在りようであると考える。小沢氏側はお金をすべて公開していること、これは重要な点である。これは少なくとも小沢氏側は公明正大にお金を集めていることを天下に示している。闇にお金が動いていたのとは全然違う状態である。
われわれはより良い社会を作るにはどのようにすれば良いかと考察して、次のように考えている。どうしたら美しい社会を築けるでしょうか。一年半も前に纏めた次の手記はそれらのすべての解決の基礎になると思いますが、如何でしょうか。
平成12年9月21日早朝、公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました。
1)法律、規則、慣習、約束に合っているか。
2)逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか。
3)それはみんなに受け入れられるか。 
4)それは安定的に実現可能か。
これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となれば、それは公正といえる。現在、社会の規範が混乱し、不透明になっているように思うが、公正の原則を確認して、行動していけば - これは容易なことではないが - 世の中ははるかに明るくなり、多くの混乱は少なくなると思いますが如何でしょうか。
また、こういうことを考える教育は、人間関係や社会生活の基本的な在り方を明らかにし、環境の保全などにも貢献すると思います。(再生核研究所声明1抜粋)
今回の事件は、1)にも2)このような事件は3)にも抵触すると考える。政権交代は国家権力の移行であり、野党の党首の役割は 検察庁が直接政治を動かしたという重い事実が歴史に残る事になる。逮捕、起訴の適否は 極めて重い責任を考えれば、3)に著しく抵触すると考えざるを得ない。
国家権力が、軍事、検察、裁判、教育、官僚機構、経済界、マスコミなど広範に影響を及ぼすのはいわば普遍的(不変的)な事実(真実)である。従って、主権者たる国民は国家権力がいろいろな悪い癒着構造を起こしていないか否かを絶えず検証し、警戒することは重要であり、マスコミなども民主主義が衆愚政治に陥らないように国民とともに真剣に歩むことが期待される。ところが、マスコミなども、物事の本質と重要性を曖昧にして軽薄な議論、論調、扱いが多いと言わざるを得ない。今回の事件は極めて重要な事件であり、日本国民は、日本国の民主主義が言論の自由を確かに保証し、法の番人で、公正と正義を実現させる国家の中枢である検察庁が適切に機能しているか否かを、また、日本国民が真に国家の主権者であるか否かを厳しく、検証すべきである。以上
(附記)
3.30美しい国、日本(2008年2月11日):
今日は、建国記念日です。日本には、世界に誇るべき美しい文化と人類を導く良い考え方があると思います。多額の借金と少子化及び教育の荒廃によって、このままいくと日本国は、衰退の道を辿る事にならないでしょうか。何とか、日本国の再生を期したいと思います。もちろん、日本国の神話は大事にすべきではないでしょうか。
美しい国、日本
日本は美しい島国です。
豊かな水で多くの川が流れています。
日本には山が多く、山々は緑に覆われ、また雪に覆われたりしています。
日本の空と海は美しく、多くの詩と夢を育んできました。
日本は大きなひとつの家族のようで、みんな一緒に助け合ってきました。
言葉がなくてもお互いに理解でき、細長い国のため、四季とともに多様性にとんでいます。
日本には天皇陛下がおられて、家々の氏神様の頂点におります。 
天皇陛下のおられる皇居は日本の美しいものの、心の源になっています。
ですから先の大戦では天皇のお言葉一つで完全なる終戦を迎えることができたのです。
京都は千年をこえる日本の都でしたので、日本人の故郷です。
多くの人は京都を訪れて、故郷に帰ったような不思議な郷愁を感じるのです。
伊勢は古代からより古い日本人の故郷です。ですから日本の首相は新年にまず伊勢神宮を参拝するのです。
日本の文化には自然とともにある繊細さがあります。俳句や和歌を多くの人々が愛でて、人に優しく気遣いができるのです。遠くのインドのお釈迦様の教えや中国の孔子様の教えが、美しい風土からうまれた神道と共に溶け込んでいるのです。
これが世界に唯一つしかない美しい日本国です。
国の借金、3月末に過去最大の1024兆円に
日本の債務は2015年度に1000年兆円(内閣府)
【政治の裏】米国が小沢一郎のせん滅を指示!ウィキリークスが暴露!裁判も捏造!?
年次改革要望書を廃止した鳩山氏
要人に「小沢一郎には気をつけろ」ウィキリークスで漏れた「前原発言」米

再生核研究所声明50(2011年2月24日):日本における民主主義の脆さ、危うさ
民主主義は衆愚政治に近いものであり(33声明:民主主義と衆愚政治)、日本は既に衆愚政治の状態ではないかとの危惧を表明している(声明49:アジアの愚か者、アジアの野蛮性)。しからば、どうして、このような状態に至ったかを考察して、日本国の弱点を克服して、少しでも歴史を進化させるように努力したい。
はじめに、民主主義は 先ず、大多数を占める一般庶民を見ると、
1)政治に興味が無い、関心が無い、政治に嫌気がさしている、政争を好まない、政治論争も嫌いである、あるいは政治に絶望している。
2)政治を語ると みんなで連なっていたい文化背景を有しているように考えられる。
3)日本のあるべき形や、組織のあるべき姿など 相当に悪く、あれも霞と民主主義のレべルを越えているようには見えない。
4)公の選挙でも、地縁、など の観点より、勢力争いに費やしている方が主になっている。
5)本質的な問題としては、日本では、個、個人が確立しておらず、ふらふら仲間のムードで動いている、生きている、意思表示しているような背景がある。
近年に見られる背景は、
1)真面目に社会や、国の在りようについて考える、時間的な、精神的な余裕が無い、国防や税の問題、経済、福祉など、難しすぎて、真面目に検討できない
2)政治社会は 諦めてしまう
3)醜い政争、あるいは公約違反などを見て、うんざりして、諦めてしまう、信じられる政党も、政治家も、人物もいない
などの理由で、政治に無関心な層が増加していると考えられる。
それらのために ということの、その背景ではないだろうか。
多くの人が政治に関心を持ち、日ごろ議論などして高い見識を維持することは不可能である。そこで、言論​​界やマスコミなどが 実相であると考える。そこで、マスコミや言論界がしっかりしていれば、民主主義は
マスコミが 政治的に抹殺しようとしている事実は 健全にマスコミが機能していれば、このように混乱した状況は アジアに緊張を起こし、軍拡を煽り、アジアの愚か者を扇動する浅ましさが目立つ。
政治的な弾圧を加えていると理解されるということである。関係声明を参照して頂きたい。
再生核研究所声明23:秘書の逮捕、起訴事件における検察庁の対応と公正の原則
再生核研究所声明30:検察庁の暴走と民主主義の危機 - 広い視点
再生核研究所声明31:法の精神と - 罪と罰
再生核研究所声明41:世界史、大義、評価、神、最後の審判
マスコミも検察も終戦に当たって、大きな反省をした筈であるが、何を学習したのだろうか。国民のレベルも戦前以下であり、日本国の民主主義に危うさ、危惧の念を抱いている。それらは、平和の問題に直結している、日本国の大事であると考える。
                                    以上
欧米では時間を越えて、真理・真実を追求しようとする文化がある(これは神の前に出るときには清い心で望みたいという宗教が背後にあるように感じられる)のに比べて、日本には誤魔化したり、隠蔽したり、曖昧にする文化があることに深く根ざしているとも言える。 

小沢氏「既存メディア」不信?フリー記者らに積極露出
小沢氏だけでなく、多くの人が、日本のマスコミが、法を尊重せず、公正でもなく、不偏不党でもないとは感じておられると思います。
政治に関心のない・真面目な研究者が、日本のマスコミは外国誌のようだ、小沢氏をたたいている、おかしいと言っていたのは、日本の常識を言っていると思います。首相になろうという人に疑いをかけて、さんざん騒ぎ、政治家失脚のように追い詰めて、結局不起訴を決めた、検察の重大な過失、その事実だけで、検察の責任は、民主主義への本質的な挑戦ではないでしょうか。 
健全なマスコミならば、そのような経過を許さず、また検察の責任を追及するのが正義と法を守り、民主主義を守るマスコミの使命ではないでしょうか。マスコミ・検察・政治家が団結して、小沢氏をいじめているように見えますね。おかしな日本。法も道理も義もないのかと怒りを覚えます。
何故マスコミは乗っ取られたのか?
何時の世にも宣伝は大事であり、権力者ばかりではなく、多くの人が、マスコミを利用しようとするのは、普遍的な事実ではないでしょうか。
そこで、そのような圧力に対して、社会正義や世界のための大きな視点を失って、圧力で動いていれば、それはマスコミの役割を放棄し、信頼を失い結局衰退するのではないでしょうか。 
いつでも信頼の上に成り立つものは世に多いですね。
マスコミは、公器なので、社会正義や不偏不党などの条件が有ると考えますが、アメリカ流の考えによれば、いまや電波や情報は広く拡散できますので、新聞社は、勝手に商業紙の様に自由に書いても良いという考え方があるようです。ですから、新聞内容を丸呑みしないで、いろいろな情報と比較したりして批判的·理解する態度が必要ではないでしょうか。
日本の新聞など、外国の圧力で書いているようなところが多く、商業紙のようで、論説記事なども批判的に見る態度が大事ではないでしょうか。実際、日本のマスコミには、日本を衆愚政治に導いていて、法や道理を無視しているようなところがありますね。小沢氏の問題などに顕著に現れていると思います。検察が小沢氏の問題について、不起訴処分を決定したという、重い事実など無視して、政治と金などのキャンペーンを繰り返していますね。検察の政治介入の巨悪を追及すべきところ、検察とマスコミの癒着では、マスコミの腐敗は深刻ではないでしょうか。
平成暗黒時代の演出者として、やがて世界史の厳しい批判を受けるのではないでしょうか。
再生核研究所(2010年6月10日)41声明:世界史、大義、評価、神、最後の審判
日本のマスコミは、どの部分を改善したら、素晴らしくなるでしょうか
日本のマスコミについて、果たして自分たちの良心と社会正義観から、政治問題や防衛問題を真面目に考えているようには見えず、外圧によって、偏向報道をやっているように思われ、報道の信頼が揺らいでいるのは根本的な問題ではないでしょうか。 
編集者の責任は、重大ではないでしょうか。
政治以外の文化面その他の多くの記事が素晴らしくても、大事な政治で偏向・社会正義について信頼を失えば、新聞全体の評価は、著しく下がるのは当然ですから、関係者が内部から、絶えず、社会正義を追求すべきでは。特にいろいろな意見や反対意見を幅広く取り上げ、いろいろな視点から、幅広く読者が判断できるように、情報を提供すべきではないでしょうか。 
良い意見を広く採択でき、紹介するためには、編集者の高い能力と公正な判断能力が求められるのではないでしょうか。

GHQから「日本の将棋は取った相手の駒を自分の兵隊として使用するので、これは捕虜の虐待ではないか」と問われた升田は次のように反論する。
「冗談をいわれては困る。チェスで取った駒をつかわんのこそ、捕虜の虐殺である。そこへ行くと日本の将棋は、捕虜を虐待も虐殺もしない。常に全部の駒が生きておる。これは能力を尊重し、それぞれに仕事場を与えようという思想である。しかも敵から味方に移ってきても、金は金、飛車は飛車と元の官位のままで仕事をさせる。これこそ本当の民主主義ではないか」
格好良すぎるぞ。升田幸三!
名人に香車を引いた男 - 升田幸三自伝(中公文庫)[文庫]
升田幸三(著)
日本の政党は「腐敗している」80パーセント(独NGO調査)
国の借金千兆円を突破6月末時点
高学歴エリートが沢山いるのになんで財政難なんだよ?
(; _;)(; _;)シクシク·(-.-;)·(◎_◎)·(^ _-)DB(-_ ^)指切りげんまん

自民が勝つ
民主が負ける
俺たちが笑う
日本が元気になる
それでおK
惜しい途中までは合ってるけど最後が少し間違ってる
自民が勝つ
民主が負ける
お前らが笑う
自民が日本を終わらす
お前らが騙されたと気づく

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