2018年9月10日月曜日

一流同士の対話に酔いしれる 「異分野対談で考え方を考える」本

一流同士の対話に酔いしれる 「異分野対談で考え方を考える」本

 気分で本を選べるブックサイト「好書好日」では、「考える」をキーワードに思索を深める書籍を随時紹介しています。本は、自らの思考を掘り下げていくだけではなく、別の視点から考えてみたり、頭をやわらかくして考えたりするための格好の手段です。異なる分野で一級の仕事をしている者同士の対談本から、そんな考え方のヒントを探ってみませんか。
  1. 「小澤征爾さんと、音楽について話をする」村上春樹×小澤征爾(新潮文庫)
  2. 「人間の未来 AIの未来」山中伸弥×羽生善治(講談社)
  3. 「共感のレッスン」植島啓司×伊藤俊治(集英社)
  4. 「雑談藝」いとうせいこう×みうらじゅん(文芸春秋)
  5. 「人間の建設」小林秀雄×岡潔(新潮文庫)

 

(1)小澤征爾さんと、音楽について話をする
 世界的に知られる小説家と音楽家が一緒にレコードを聴きながらクラシックについて語り合います。小澤さんの音楽的な言葉を、よりわかりやすい方向に「翻訳」して引き出していく村上さんの手つきが見事です。読み終えた後に思わず曲を聴きたくなる、クラシック入門にも最適の書。村上さんの対談本といえば、『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』もおすすめです。
(2)人間の未来 AIの未来
 ノーベル賞科学者と国民栄誉賞棋士が語るのはAI、そして近未来の人間社会です。コンピューターの将棋ソフトの指し方に始まり、AIだけではなく、人間に関する根本的な疑問にまで対話は広がっていきます。人間の持つ「ひらめき」「美意識」とは何なのか、それらを持たないAIとどう共存すべきなのか。思い切った仮説が飛び交う書ですが、AIに興味がある方なら必読です。
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(3)共感のレッスン
 情報に囲まれるほど人は孤絶していくのではないか。そんな疑問をもとに、宗教人類学者と美術史家が展開するコミュニケーション論。人と人がつながりあうためには何が必要なのかを、「共感」をキーワードに遺伝子レベルから語り起こしていきます。脳、意識、身体、言語から生まれる記憶を、ネットという外部装置に頼るのではなく、いかに交歓しあえるのか……スリリングな対話が続きます。
(4)雑談藝
 活動の場は異分野なのに全く異分野感がないのはなぜ? 20世紀からサブカル街道をひた走る2人による、タイトル通りの雑談本です。たとえば、電池の「単」に関する導入から、+と-の話になり、やがてはネジの雄雌へ……と何の結論も出さないまま話題が転がり続けます。まるで連想ゲームのような雑談は確かに達人芸の域です。座持ちの下手な人は参考にしてはいかがでしょう。
(5)人間の建設
 時代をさかのぼって、昭和を代表する批評の神様と文系的数学者の対談です。修身の教科書のようなタイトルに臆することなくひもといてみると、2人の本業だけでなく、絵画や酒といった趣味嗜好から、時間や理性といった概念まで広がる対話は、雑談芸の極致ともいえる内容で、脳髄が痺れてきます。ちなみに「好書好日」のサイト名は、岡をモデルにした数学者を笠智衆が演じた映画「好人好日」をもじっています。https://book.asahi.com/article/11794847?cid=asadigi_culture_book

ゼロ除算の発見は日本です:
∞???    
∞は定まった数ではない・・・・
人工知能はゼロ除算ができるでしょうか:

とても興味深く読みました:2014年2月2日 4周年を超えました:
ゼロ除算の発見と重要性を指摘した:日本、再生核研究所


ゼロ除算関係論文・本

再生核研究所声明 449(2018.8.21): この世とあの世 - 人工知能の進化によって

あの世とは 死後の世界として、想念上の世界と考えられよう。ところが人口知能の進化とともに不思議な世界と問題が現れつつあるので、考察をしておこう。
まず、人間は往々にして、消えていくことに対して嫌い、時として永遠の存在になりたいと志向しがちである。これは生命の基本定理である 生きて存在しなければ 始まらないという基本原則に根差している。古くはピラミッドの建設やミイラ作り、多くの志の基礎に存在する。しかしながら、それらの意義を改めて問う必要が起きている。それらの心の元をしっかり捉える必要がある。まず、次の状況を捉えよう:
再生核研究所声明 447(2018.8.17): 人工知能の進化と人間について:
人工知能は 未解決の数学の理論や物理法則なども どんどん明らかにして行くと同時に 人間自身についても究明していくだろう。人間とは何かという問いについて、1個の人間に対する問いと回答で人間を一つのシステムと考えたとき、出入力の関係からシステムを特定する観点からも 1個の人間の解明がどんどん進み、相当に人物を捉えられるようになるだろう。人造人間の出現について述べた 次も参照:
再生核研究所声明 403(2017.11.20):  私より私らしい私の出現 - アンドロイド
このような関心や進化は、人間の本質的な要求に関わっているので、留まることが無いのではないだろうか。 医学が人体の構造、機能をどんどん解明してきたように、人工知能は 人間の精神面での解明をどんどん進め、人工知能が人間以上に人間を知る時代が来るのではないだろうか。ひと昔まえ、唯物史観の哲学が流行ったが、情報が世界のすべてであるような世界観が広まるのではないだろうか。 要するに知的情報などが数値化されて 人口知能で解明されることが進むということである。
例えば、ニュートンとは何者かと問えば、ニュートンは何をやり、どのような影響を世界史に与えたかと問うが、生涯の記録から、このような問い、このような場面ではどのように対応するだろうか。それらの対応がどんどん 精しく明かにされてくるということである。アンドロイドのように どんどんニュートンの人物像を詳しく捉えられるようになるだろう。
そこで、次の時代には 人間とは何かとの問いが一段と進み、どんどん新しい世界が拓けてくるだろう。
医師や料理の分野などあらゆる分野に進出してくるのではないだろうか。 一言で言えば、人間がなすことの多くを人工知能が行う時代の到来である。 
アンドロイドなどの精密な存在は、人間の精神を不滅の存在ならしめ、また、既に生物的な存在を 受精卵や精子の保存で永続化させる生物学は すでに確立している。
盆に先祖さまを偲びたいと発想する場面では、 既にアンドロイドのような存在で生存中の多くを追想できると同時に相当な会話さえできる時代が近づきつつある。歌い手さんの素晴らしい情景は、さながら生存中と変わらないように再現も会話、対話も可能な時代を迎えている。ひと昔前、あの世と考えられた多くは人工知能の発達によってこの世の存在と区別できないような 状況を迎えている。消えて行った膨大な世界が何時でも再現出来て 現存在になり得る時代とは 一体どのように考えれば良いだろうか。あらゆる情報が整理され保存され、それが生命体のように生き生きと現れる時代である。- その時、人間はとてつもなく広い世界を覗ける時代で、自由の限りない拡大である。自我をしっかりさせ、情報、世界の選択による 統一的な存在として、我は何者かと絶えず問い続けることが重要になるだろう。 ― 広大な一面に御馳走の山を見たとき、自分に合った適切な食を選択しなければならないようにである。
大きな課題で混乱しそうであるが、従来、あの世とこの世は結構区別がついていた時代であったが、あの世とは この世の情報のことで、それらが再現されることで、2つの世界は混然一体の存在になりつつある。ピラミッドやミイラ、多くの記念碑は空しくなり、新しい時代に大きな変化を遂げる時代が 近づきつつある。― 遺族を偲ぶ盆の習慣など、遺族の方と会話さえでき、何でも想い出を再現できる時代の到来である。お墓とは、図書館の変形のような存在になる時代である。10年後、20年後に意見を表明できるシステムさえ確立している。
この世もあの世もこの世の情報であるが、 それらの中には想像によって作られた虚像、場合によっては意図的に作られた虚構も多いので、1個の人間はそれらの中で生きていく意味をしっかりさせていく必要がある。生きるということは どのようなことで、生きている意義とは何かと問い続ける必要がある。人間にとって真に意味のあること、価値あることとは何だろうか。多くの希望、願いが叶えられる時代とは 人間にとってどうなるだろうか。
以 上


再生核研究所声明 447(2018.8.17): 人工知能の進化と人間について

まず、人工知能について、概念を確認して置こう: 人工知能 - Wikipedia
概要[編集]:
人間の知的能力をコンピュータ上で実現する、様々な技術・ソフトウェア・コンピューターシステム[2]。応用例は自然言語処理(機械翻訳・かな漢字変換・構文解析等)[3]、専門家の推論・判断を模倣するエキスパートシステム、画像データを解析して特定のパターンを検出・抽出したりする画像認識等がある[2]。
1956年にダートマス会議でジョン・マッカーシーにより命名された。現在では、記号処理を用いた知能の記述を主体とする情報処理や研究でのアプローチという意味あいでも使われている。家庭用電気機械器具の制御システムやゲームソフトの思考ルーチンもこう呼ばれることもある。
プログラミング言語 LISP による「MAZE」というカウンセラーを模倣したプログラムがしばしば引き合いに出されるが(人工無脳)、計算機に人間の専門家の役割をさせようという「エキスパートシステム」と呼ばれる研究・情報処理システムの実現は、人間が暗黙に持つ常識の記述が問題となり、実用への利用が困難視されている。
人工的な知能の実現へのアプローチとしては、「ファジィ理論」や「ニューラルネットワーク」などのようなアプローチも知られているが、従来の人工知能[4]との差は記述の記号的明示性にある。その後「サポートベクターマシン」が注目を集めた。また、自らの経験を元に学習を行う強化学習という手法もある。
「この宇宙において、知性とは最も強力な形質である」(レイ・カーツワイル)という言葉通り、知性を機械的に表現し実装するということは極めて重要な作業である。
2006年のディープラーニング(深層学習)の登場と2010年代以降のMAZEデータの登場により、一過性の流行を超えて社会に浸透して行った。
2016年から2017年にかけて、ディープラーニングを導入したAIが囲碁などのトップ棋士、さらにポーカーの世界トップクラスのプレイヤーも破り[5][6]、時代の最先端技術となった。
人の生きるは、真智へ愛にある、人間は何でも真相、事実を知りたいと求めている、それは 人間の存在自身に基礎を置く原理と考えられる。 人工知能の進化は真相、事実の究明をどんどん進め、真相がひとりでに明らかになる時代を 必然的に迎えるだろう。
人工知能は 未解決の数学の理論や物理法則なども どんどん明らかにして行くと同時に 人間自身についても究明していくだろう。人間とは何かという問いについて、1個の人間に対する問いと回答で人間を一つのシステムと考えたとき、出入力の関係からシステムを特定する観点からも 1個の人間の解明がどんどん進み、相当に人物を捉えられるようになるだろう。人造人間の出現について述べた 次も参照:
再生核研究所声明 403(2017.11.20):  私より私らしい私の出現 - アンドロイド
このような関心や進化は、人間の本質的な要求に関わっているので、留まることが無いのではないだろうか。 医学が人体の構造、機能をどんどん解明してきたように、人工知能は 人間の精神面での解明をどんどん進め、人工知能が人間以上に人間を知る時代が来るのではないだろうか。ひと昔まえ、唯物史観の哲学が流行ったが、情報が世界のすべてであるような世界観が広まるのではないだろうか。 要するに知的情報などが数値化されて 人口知能で解明されることが進むということである。
例えば、ニュートンとは何者かと問えば、ニュートンは何をやり、どのような影響を世界史に与えたかと問うが、生涯の記録から、このような問い、このような場面ではどのように対応するだろうか。それらの対応がどんどん 精しく明かにされてくるということである。アンドロイドのように どんどんニュートンの人物像を詳しく捉えられるようになるだろう。
そこで、次の時代には 人間とは何かとの問いが一段と進み、どんどん新しい世界が拓けてくるだろう。
現在、評価、評価と賑わっているが、業績評価などはどんどん正確化され、相当に歴史的、客観的に明らかになり、政治的、意図的な評価は 恥ずべき人間の恥ずかしい行為として歴史的に明らかになるだろう。 その走りを出版社などの情報管理状況にどんどん現れていることが分かる。それは大規模に進んで行くだろう。
そう、楽器演奏なども、人間を越えて、素晴らしいことが可能になり、楽器演奏者の在り様は、かつての植字技術者などのように大きな影響を与えるのではないだろうか。
医師や料理の分野などあらゆる分野に進出してくるのではないだろうか。 一言で言えば、人間がなすことの多くを人工知能が行う時代の到来である。 
政治家の評価や芸術家の評価などに至れば 大きな新たな社会問題が起きて来るのではないだろうか。この辺の倫理問題も 今から人間とは何かの問とともに考察を深めておく必要が有るのではないだろうか。
以 上

再生核研究所声明 446(2018.8.16): 生物・動物の本性についての考察 ― 食すること
異常に暑い夏を迎えている。ここゼロ除算に没頭しているが、少し話題を変えて生物・動物の本性について言及したい。背景には、小鳥たちが器用に 実にいろいろなものを飲み込む本能の神秘さ、大きな鰐や大きな蛇が結構大きな動物を丸のみにする情景、動物たちの捕食の本能の神秘さに驚かされていることにある。しかしながら、生物・動物の本性と題すれば、まずは生物の 生存の強い意志、 ― 生きて存在しなければ始めらない ― 生物の基本定理を述べなければならない。実際、生物の生存の原理は 要するに生きること、生きることへの強い意志・原理である。それを一段と高い視点で、― 生物とは遺伝子の乗り物である ― との冷厳な視点も存在する。それらだけが生物について確かに言えることのようにみえる。
そこで、生きることの条件、生存の条件の基本として、 食することがある。 実際、生きることは食し、排する事とも言える。その原理を司る胃腸などの器官は 神秘的な存在で 逆に生命体の多くに強い影響を与え、胃腸などが生命の本質であるようにも見える。人間精神の中枢すらそれらに支配されているのではないかと考えられる。それは時として 生きるために食するのか、食するために生きるのかと逆説すら湧いて来る。 実際、人は何のために生きて居るのか と問えば、その回答は難しく、油断すると食するのが生きがいとなりかねない。 人の生きるは 真智への愛にある などと言っていられる状況は人間らしい結構な状態であり、食することの方が実体を良く表現しているとなりかねない。 仕事や道、志に夢中で集中している頃は 活力を得、健康を維持するために食すると 健康を第一 に考えるだろう。 食の選択の原理も 多くは感性で本能的に良き選択をしているのではないだろうか。実際、好きなもの、食べたいものを食するのが 健康にも良い筈だ は相当な人の共通の信仰のような信念ではないだろうか。こうなれば、この声明で言いたかったことが言える。 我々は実際には消化系の大きな影響を、支配を受けているということである。 消化系と関連器官は生命の本質的な部分であるという事実である。 - 生まれてこの方 誰でも胃腸を空にすることはほんの例外を除いてなく、実は我々は胃腸に支配されてきたと発想できる。
人間は作られたものであるから、作られたように生きる他はない。我々はどのように作られているかを良く知って、生きることが大事だということである。
次も参照:
再生核研究所声明 439(2018.8.7): 人間として生きることとは - ある一面から
以 上


再生核研究所声明 450(2018.8.22):  水前寺清子様に呼応して - 雄たけび

雄たけびとして、谷亮子柔道選手の金メダル獲得の際の満面喜びのシーン、北島康介水泳選手の金メダル獲得の際の発言、超気持良いなどの叫びが思い出される。下記の歓喜、凄い感銘をうけて、呼応する形で 湧いてきた情念を思いのままに表現したくなった。 
(水前寺清子様、坂本冬美様、それに 皆さん、歌 素晴らしかった。 伊東さんの紹介も 味わいが有りますね。素晴らしい日本の歌:NHK 新BS 日本の歌、 素晴らしい。日本の歌謡界のレベルは 高いですね。 ― 雄たけび: 雄叫び ・ 叫び ・ 怒号 ・雄 嘶き ・ 絶叫 ・ 雄たけび ・ ときの声 ・ 鬨の声 ・ 勝ちどき ・ 歓声 ・ 喚声 ・ 叫び声)。
清子様の歌詞に 男は、泣いてはいけない、ほれなきゃいけない、天下を取れ と凄い言葉がある、まさか数学で天下を狙うことは 想像もできない程に凄い天才や秀才たちの集まりの世界、能力も足りなく小さな存在である立場では思いもよらないことと発想するだろう。ところが世には 偶然やまぐれ当たりがあるから、面白い。それは、一般の方からの質問 100/0 の意味を問われて 真面目に深く考えて、偶然に発見したものである。いわゆるゼロ除算、ゼロで割ることを考える、古い歴史をもつ神秘的な問題に対する あまりにも簡単な発見である。それが、アリストテレス、ユークリッド以来の空間の発見に繋がり、初等数学全般の修正を求めているから、 天下取りより はるかに愉快な事件ではないだろうか。 世界の初等数学全般を変更して、20億人以上が理解して 新しい数学、世界の出現に驚嘆するだろう。内容は簡単に 真直ぐに立った電柱の勾配は、y軸の勾配はゼロであると述べられる。 数式で表現すれば、
1/0=0/0=z/0= \tan(\pi/2)=0
と簡潔に述べられる。簡単な関数y=1/xの原点x=0における値はゼロである。これはゼロと無限大の微妙な関係を捉えている。それは人生とは何かという問いに対して 新しい世界観を示している。またゼロ除算の歴史は 人間とはどのようなもので、人間が如何に独断と偏見に満ちた存在で、人間の愚かさを良く示している。数学的な内容について、次を追記して置こう:
再生核研究所声明 442(2018.8.10):  ゼロ除算研究の大義と研究協力へのお願い
一般向きにゼロ除算の解説を 4年間を越えて続けている:
http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku/
○ 堪らなく楽しい数学-ゼロで割ることを考える。
ゼロ除算の研究の意義、重要性は単純明快であると考えられる。世にゼロ除算は不可能であるとか、ゼロで割ってはいけないは世界の常識でありインターネット上でもそのような方向で間違った情報が氾濫しているばかりか、数学界でも 禁じられた世界で永くタブーとして確立している。 その神秘的な歴史は アリストテレスにさかのぼると言われ、直接的にも算術の確立以来1300年を越える、悪しき認識で現在に至っている。4年以上前に ゼロ除算を偶然発見して、 直ちにその重要性を指摘、理解を求める努力を行ってきたが、 あまりにも永い悪しき伝統のゆえに中々理解されず、現在に至っても公認、認知されているとは言えず、全体的には無視か誤解の状況にあると判断される。 例えば非ユークリッド幾何学の発見のように 全く新規な世界が現れたのであるから、初期の段階で拒否の心が強いと言える。しかしながら、発表論文や講演を1つでも読み、聴講すれば、その意義の重大さに驚嘆させられるのではないだろうか。 実際には、あまりにも驚嘆して、受け入れられず、 発見された新世界を覗かない人すら多い。 全く新しい数学で、理解を求めるのが困難な状況が有り、この4年間の経緯がそれらをよく示している。 新しい数学を紹介するために 従来数学を変更する具体例は800件を超えていて、公表している。
最初の段階における構想を著書の形に纏め、一応の理論として公表、広く意見を求めている。 全く新規な数学で、初等数学全般の改変が求められていると表現されているので、その意義の大きさは歴然である。 典型的な具体例は \tan(\pi/2)=0、すなわち、 y軸の勾配がゼロであると表現され、それは幾何学、解析学、ユークリッド幾何学に大きな影響を与え、 ユークリッド以来の我々の空間の認識を変える必要性が求められている。我々の初等数学は不完全であり、完全化が求められているというのであるから、ゼロ除算の研究の重要性は明らかであろう。
割り算の考えの変更で 小学生以降の算数、数学の教育の変更が求められ、それは大きな世界が 拓かれることを意味する。
そこで、新しい数学の理解を得ることの困難な状況に対して、多くの人の理解が得られるように各種協力を 歴史の大義を受けて、要請したい。 もとより、数学を日本のスケールで論じる気持ちはないが、 しかしながら、日本で、世界の初等数学全般を変更し、数学を美しく完全化するという構想が進めば、もともと輸入に頼って来た欧米数学に対して 欧米数学を基本的に変え、美しい数学を建設できる絶好の機会と捉えれば、 ゼロ除算研究の大義に参画される熱情が湧いてくるのではないかと考える。 これを楽しく考えて見よう。 世界の初等数学に公式1/0=0/0=z/0=\tan(\pi/2)=0 が載り、1000年を越える悪しき世界史を変更、ゼロ除算は自然な考え方で可能で、 ゼロ除算の成果は普遍的に活用され、ユークリッド幾何学は 完全化され、修正されたと言える時代を直ぐに迎えられるだろう。 日本国の世界に対する顕著な貢献として、 数学界を越えて世界史に貢献できる絶好の機会であると考える。
この情念に、多くの人々が参加され、新しい世界を共に喜びに満ちて開拓したいと考える。 各種できるところでのゼロ除算研究・教育活動への協力を広くお願いしたい。
次も参照:
再生核研究所声明 431(2018.7.14):  y軸の勾配はゼロである - おかしな数学、おかしな数学界、おかしな雑誌界、おかしなマスコミ界?
再生核研究所声明 437 (2018.7.30) :  ゼロ除算とは何か - 全く新しい数学、新世界である
再生核研究所声明 438(2018.8.6):  ゼロ除算1/0=0/0=z/0=\tan(\pi/2)=0 の誤解について
以 上

再生核研究所声明 441(2018.8.9):  小・中・高校の数学教育の視点からのゼロ除算について

一般向きにゼロ除算の解説を 4年間を越えて続けている:
http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku/
○ 堪らなく楽しい数学-ゼロで割ることを考える
法華経3000巻の意義・教訓から、小・中・高校の数学教育の視点からのゼロ除算について感覚的に情念として触れてみたい。 初等数学教育において ゼロ除算の教育は改められるべきである。そもそも割り算、分数の意義、意味を正確にきちんと教育する必要がある。理解は正確に 実際当時6歳であった道脇愛羽さんが理解したように理解すれば、割り算の意味もゼロ除算の意味も明解になり、その影響と良き視点、世界の広がりは極めて大きい。除算の考えによる割り算の捉え方、すなわち、割り算とはたとえば10割る2とは10の中に2が幾つか入っているかと考えることが原点で、それは10から2を 何回引けるかということを意味する。我々はその詳しい方式を道脇方式として述べて、論文や解説で精しく述べている。既に割り算の計算方法、指導方法なども道脇裕氏によって具体的に提案されている。これは割り算の計算法の初期の指導法として本質的で極めて優れた方法に思えるので、広く活用されることを期待している。
そこで、大事なことは 永い神秘的な歴史を有するゼロ除算、ゼロで割る問題があっけなく解決してしまい、ゼロ除算はゼロであるという結果を導くことである。すなわち、1/0=0/0=a/0=0 である。ゼロで割るとは、割らないことと同じであるということになる。したがって、割りあてられた量もなく、ゼロである。ここで、ゼロで割ることの正確な意味を捉え、またゼロの意味をいろいろな視点からとらえる基礎を得ることになるだろう。ゼロのいろいろな意味を考える基礎も得られる。
次の段階で、関数が現れ、反比例の具体的な関数y=1/xが現れてくる段階になれば、その関数の原点での値は、ゼロ除算の結果から、それをゼロと考えることの自然性を学び、
その意義の大きさはカリキュラムの進展とともに驚きの感情をもって学ぶことができるだろう。立体射影の概念と無限遠点における強力な不連続性は我々の数学と空間の初歩的で基本的な実体であるから、早期に学習しておきたい。内容は難しくなく、ユークリッド幾何学や三角関数の性質についても全般的な修正が求められる。その辺のカリキュラムの変更は時間を掛けて整然とした形に改められなければならないが内容自体はそうは難しくなく、しかも視野は大きく拓かれる。大学以降ではゼロ除算は数学の公理系の変更、追加のように扱われ初等数学全般の修正が求められる。象徴的な結果は\tan(\pi/2)=0、すなわちy軸の勾配はゼロであると述べられる。それは、幾何学、解析学全般に大きな影響を与える。微分方程式論や解析関数論などは本質的な修正が行われ、数学は完全化され、美しくなるだろう。
そこで、数学教育に携わる方は1歩進んで次の世代の数学を学ばれ、それを楽しく生徒たちに折りに触れて紹介され、生き生きとした数学の世界を 紹介して頂きたいと願っている。 数学はできていて 完成されたものではなく、未完の発展中の存在で未知の世界と盛んに関係している存在であるとしたい。そのような教育は真理を求める基本的な精神の涵養と育成にも大きく貢献するだろう。またゼロ除算発見の最大の意義は、人間が如何に独断と偏見に満ち、思い込んだら抜けられない存在であるか、我々の視野が如何に狭く、単細胞的な存在であるかを歴史的に学べるという点にあると言える。それには世の秀才や天才、偉大な人びとさえ例外でないことを示している。人間を知ることである。
以 上


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