クリスマスプレゼントに「望遠鏡」
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クリスマスプレゼントは夢がありますね。そして、夢がある科学グッズの極北は、なんといっても「望遠鏡」でございます。未知の世界が見える。その興奮、喜びは、一生に一度は体験してほしいものです。今回は、クリスマスプレゼントに望遠鏡な情報をご紹介いたしましょー。
間もなくクリスマス。プレゼントはもう決まりましたか? なかには「自分にプレゼント」な方もいらっしゃるのでしょうね。それもまた良し、ですねー。私はどうしようかなー。まだ悩んでおりまする。悩んでいるときが一番楽しいんですけどねー。
さて、1609年秋、イタリアのベネチア近くのパドヴァ大学の教授が、100台もの望遠鏡を試作し続けていました。望遠鏡はいつ発明されたかよくわかっていません。1608年にオランダのリッペルスハイが特許を出しているのはわかっています。そして、その構造の単純さから当時3~4倍の望遠鏡がパリなどで売り出されていたのですが、教授はもっと高倍率の望遠鏡ということで研究を重ねていたのですな。パドヴァは工芸品ベネチアグラスの産地として名高いベネチアとアクセスしやすい場です。高品質のガラスを使って、教授は3か月にわたって、望遠鏡を作り続けていたのですねー。
その結果、14倍~20倍という、当時としては画期的な望遠鏡の開発に成功。1609年の年末。まさに自分のためのクリスマスプレゼントを手に入れ、教授は望遠鏡を太陽に、月に向けてみます。あ、教授は一説では太陽を望遠鏡で見たために、目が悪くなった(失明とも)とされています。望遠鏡で"太陽を見る"のは"厳禁"でございますので、よくよくご承知おきくださいませ。
さて、教授は、この高性能望遠鏡を使って、驚くべき世界を見ることになります。太陽は完全無欠の発光ではなく、黒いシミがありました。月は女神ではなく、アレアレの肌、クレーターだらけの世界でした。山も谷もある、地球と同じような天体だったのでございます。そして、教授は木星に衛星を発見、すばるやオリオン座に目に見えない多数の天体を発見、さらに金星が月のように満ち欠けすることも発見しました。教授は、これらの大発見を本にして出版してベストセラー(当時)。多数作った望遠鏡はパトロンの大富豪にプレゼントしたそうです。
自分に自作天体望遠鏡をプレゼントした教授の名前は、ガリレオ・ガリレイ。そう近代科学の父と言われる大科学者でございますねー。
さて、ガリレオは「高性能望遠鏡」でずいぶんいろんなものを見て、発見しているのですが、いくつか問題もあったようです。倍率4~5倍、つまりいまでいう双眼鏡くらいであれば、手持ちで見て、大きく見えるー、たのしー。ですんだのですが、14倍とか20倍というと、そうはいきません。持っている手の振動も14倍とか20倍になるので、ろくに相手を見ていられなくなるのです。それにガリレオの望遠鏡は、超初期型で視野が狭く、天体にむけても、ちょっと手が狂うだけですぐに天体が見えなくなってしまうのです。これを固定するのに、ガリレオはずいぶん苦労したようです。
現在では、視野が広い望遠鏡が一般的になっていまして、ガリレオのような望遠鏡は低倍率のオペラグラスくらいでしか使われません。また、がっちりとした台座につけ、方向を微妙に動かす「微動ハンドル」をそなえていれば、ガリレオの苦労なしに、ガリレオの大発見を追体験できるはずです。さらに、倍率を30倍くらいになると、ガリレオも発見できなかった「土星の環」も見える性能となりますし、当時はなかったカメラを使うことで、記念写真も撮影できます。こちらのリンク先にある秋山さんという方の論文には、ガリレオと同じタイプの望遠鏡を再現して撮影した写真がありますので、ごらんください。もちろん立派な台座も使っています。
さて、クリスマスプレゼントの話でした。ガリレオの体験を、楽にできる望遠鏡は、どれくらいで手に入るのでしょうか? 結論からいうと2万円あまり出せば十分です。微動ハンドルをおごらなければ2000~3000円の組み立てキット+カメラ用の三脚でことたります。いちおう、使ったことがあるなかからいくつかあげてみますと。
- ビクセン社:ポルタII A80Mf(実売5万円弱)
ガリレオの望遠鏡にくらべ20倍くらい高性能な望遠鏡です。立派な台座、微動ハンドルもつき、1万円ほどでスマホやカメラを付けるアダプターも入手できます。天文ファンの評価も高いです。
将来のバージョンアップもできます。ただ総重量9kgですから、小さい子が使うには向きません。
- ビクセン社:ミニポルタ A70lf(実売3万円強)
上のポルタIIよりちょっと性能は下ですが、十分高性能です。
各種のオプションがなく、拡張性はやや低いですが、総重量5kgあまり、小学校中学年なら扱えるのではないでしょうか。
両方ともおすすめですが、場所は結構とります。折りたたんでしまえますけど、望遠鏡の長さ以下にはなりませんので、そこは注意が必要です。
ちなみに、ビクセンというのは、サンタクロースのそりを引くトナカイの名前だそうで、なるほどクリスマスプレゼント向けの名前ですね。国内の普及用望遠鏡の最大手なので、県庁所在地くらいの都市ならまず入手できる店があると思います。まあ、通販をつかう手もあるわけですけど、できれば実際の大きさを見たほうがいいですよ。家でしまう場所ないわとか、重すぎーとか、ごつすぎーとかいうことがどうしてもあるので。重い、ごついは、望遠鏡の性能がある程度よい証拠にもなるのですけどね。
次に、通販専門ですが、より安いものもあります。
- スコープテック:アトラス 60(3万円弱)
さきほどのビクセンのミニポルタより、もう少し小型の望遠鏡です。微動ハンドルがついています。重さは、4.5kgとちょっと軽いですが、まあそれなりですね。各種のオプションもあります。小学校高学年なら問題なく使えると思います。
- スコープテック:ラプトル50(1万円強)
微動ハンドルなしですが、台座はソコソコ、望遠鏡の性能もよい、コストパフォーマンスが高い望遠鏡です。また1.5kgと軽いのも子供にはよいでしょう。微動ハンドルがないことは、操作がかんたんだけど、ちょっと苦労するという感じになります。意欲まんまんの子供向けならよいかなと思います。スマホ撮影用のオプションなども低価格で提供されています。
組立の望遠鏡なら、2000円~3000円くらいで入手できます。ただ筒だけですから、別途カメラ用の三脚が必要です。三脚はそれなりに高くなる(1.2m以上)ものがいいですよ。スリックやベルボン、ケンコーの5000円以上のものがおすすめですね。
- 星の手帖社:組立天体望遠鏡15倍(2000円弱)
プラスチック製で30分もかからず組み立てられる望遠鏡です。15倍なのですが、ガリレオのものとはちがい視野が広い(でも逆立ちしてみえる)ケプラー式なので、手持ちでつかってもよいですね。三脚があったほうがいいけど。重さは200gですから、お手軽です。月のクレーターくらいなら見えますよ。土星の環はちょっと無理。星の手帖社は出版社なので、全国の書店で入手できるのがよいところです。似たようなものが他からも出ていますが、まあ、私が使ったことがあるので、これは大丈夫、他は…わからん。というところですねー。
- オルビィス社:コルキット・スピカ望遠鏡(3000円弱)
紙製で組み立ては、小学4年生くらいなら、1時間かからないかなというところです。ノリとかを使うクラシックな作りです。倍率は35倍で、三脚必須。でも、土星の環も見えますよ。パーツで重要なレンズによいものを使っている、でも安くというので、この形式になったようです。重さも軽いです。紙だからね。
ところで、最後のオルビィス社のコルキット・スピカですが「できるだけ苦労なしに、子供たちに望遠鏡を入手して使ってほしい」という気持ちで開発されたときいています。最大の苦労は、お金です。ただ、安くするとみたいと思ったクレーターや土星の環が見えない。そこを両立するためのキットだったんですね。
開発されたのは、オルビィス社の創業社長の花岡さんという方で、先日亡くなられました。亡くなったという情報が流れると、全国の天文ファン、学校教員から、お礼を表明するコメントが大量に寄せられました。それほどよく使われているのです。実は私も授業や実習でよく使わせてもらっています。組立は星の手帖のほうが簡単なのですが、こちらのほうが自分のためのプレゼントという感じになりやすい。作る楽しみがあるんですね。あと紙なので、デコったりも簡単にできます。
また、2009年の世界天文年のさいには、「ガリレオの望遠鏡」というふれこみで、途上国もふくめ、世界中で採用されて子供たちの工作教室が行われました。実は他の同様な望遠鏡よりちょっと高かったのですが、花岡社長は、品質を落として、子供をがっかりさせたくないということで、ぎりぎり安くするけど、これ以上は無理というので単なる値下げはしなかったんですね。非常な情熱家でもありました。そういう人が、宇宙ブームを支えていたともいえます。
さて、他にももちろん、クリスマスプレゼントになる望遠鏡はいろいろあります。アメリカなどでは、コンピュータ内蔵で、電動で星の方に向く望遠鏡が完全に主流です。ミード社、セレストロン社、オリオン社などですね。日本では職人的な望遠鏡でタカハシというメーカーが知られています。他には中国のよい望遠鏡を輸入しているケンコートキナーもよく商品がならんでいますね。
また、12~18倍くらいの振動防止双眼鏡なども、大人のクリスマスプレゼントにはよいでしょうね。高いですけどね。10万円超えですよ、奥さん。
さらに、思い出ということだけなら、望遠鏡を見せてくれる科学館とか、ツアーとかホテルなども最近は増えてきましたので、それを利用するのもよいでしょう。施設リストはたとえば、こちらのWebサイトを参照ください。
ともあれ、クリスマスプレゼントの望遠鏡。それを使えば、宇宙の景色をプレゼントしたことになります。使いこなせなければ、うん、プラネタリウムなどに聞いてみるのもいいかもー。
著者プロフィール
東明六郎(しののめろくろう)
科学系キュレーター。
あっちの話題と、こっちの情報をくっつけて、おもしろくする業界の人。天文、宇宙系を主なフィールドとする。天文ニュースがあると、突然忙しくなり、生き生きする。年齢不詳で、アイドルのコンサートにも行くミーハーだが、まさかのあんな科学者とも知り合い。安く買える新書を愛し、一度本や資料を読むと、どこに何が書いてあったか覚えるのが特技。だが、細かい内容はその場で忘れる。https://news.mynavi.jp/article/dokodemo_science-118/
科学系キュレーター。
あっちの話題と、こっちの情報をくっつけて、おもしろくする業界の人。天文、宇宙系を主なフィールドとする。天文ニュースがあると、突然忙しくなり、生き生きする。年齢不詳で、アイドルのコンサートにも行くミーハーだが、まさかのあんな科学者とも知り合い。安く買える新書を愛し、一度本や資料を読むと、どこに何が書いてあったか覚えるのが特技。だが、細かい内容はその場で忘れる。https://news.mynavi.jp/article/dokodemo_science-118/
とても興味深く読みました:
再生核研究所声明150(2014.3.18) 大宇宙論、宇宙など小さい、小さい、the universe について
(この声明は、最近の特異点解明: 100/0=0, 0/0=0 の研究の進展に伴って 自然に湧いた構想である)
この声明の趣旨は、いわゆる物理学者が考えている宇宙、― 宇宙はビッグバンによって、誕生したという宇宙論を ニュートン力学と同様、幼き断片論と位置づけ、はるかに大きな the universe を志向し、アインシュタインを越えた世界、さらに 古代から続いてきた暗い人類の歴史に 明るい光を灯し、夜明けを迎える時代を切り拓きたいということである。 既に裏付ける思想は 一連の再生核研究所声明で確立していると考える。 ニュ-トン、アインシュタイン、数学の天才たちも、特異点の基本的な性質さえ捉えていなかったことは、明らかである。
簡単な基本、100/0=0,0/0=0 を発見した、精神、魂からすれば、新しい世界史を開拓する思想を語る資格があることの、十分な証拠になると考える。 実際、 - 古来から 続いてきた、人生、世界の難問、人生の意義、生と死の問題、人間社会の在り様の根本問題、基本概念 愛の定義、また、世界の宗教を統一すべく 神の定義さえ きちんと与えている。
The universe について語るとき、最も大事な精神は、神の概念を きちんと理解することである:
そもそも神とは何だろうか、人間とは何だろうか。 動物たちが美しい月をぼんやりと眺めている。 意識はもうろうとしていて、ほんにぼんやりとしか とらえられない。 自らの存在や、ものごとの存在すら明瞭ではない。
人間も、殆ど 同じような存在ではないだろうか。 人類よ、人間の能力など 殆ど動物たちと変わらず、 ぼんやりと世界を眺めているような存在ではないだろうか。 神も、一切の存在も観えず、ただかすかに感じているような存在である。 それゆえに、人間は あらゆる生物たちのレべルに戻って 生物たちから学び、 また原始人に戻って、また子供たちのように 存在すれば 良いと言えるのではないだろうか(再生核研究所声明 122: 神の存在と究極の信仰 - 人間よ 想い煩うことはない。 神は存在して、一切の存在と非存在を しっかりと支えられておられる、 人は必要なときに必要なだけ、 念じるだけで良い; 再生核研究所声明 132 神を如何に感じるか - 神を如何に観るか)。
すなわち、人間よ おごるなかれ、人類の知能など 大したことはなく、内乱や環境汚染で自滅するだろう、と危惧される。
昨年は 数学の存在と物理学が矛盾し、数学とは何かと問うてきた。
数学とは何か ― 数学と人間について
国際数理科学協会会報、No. 81/2012.5, 7―15
No.81, May 2012(pdf 432kb)
に公刊したが、そこで触れた、数学の神秘性については さらにその存念を深め、次のように問うている:
誰が数学を作ったのか? (再生核研究所声明 128: 数学の危機、末期数学について)
時間にもよらず、エネルギーにもよらない世界、それは、宇宙があるとき始まったという考えに 矛盾するものである。 無から世界が創造されたということも 受け入れがたい言明であろう。さらに、the universe には、物理学が未だに近づけない、生命や生命活動、人間の精神活動も歴然として有ることは 否定できない。音楽、芸術に感動している人間の精神は the universe の中に歴然と有るではないか。
ビッグバンで ゼロから、正の量と負の量が生じたとしても、どうしてビッグバンが生じたのか、何が生じせしめたかは 大きな課題として残っている。 数学の多くの等式は 数学を越えて、the universe で論じる場合には、その意味を,解釈をきちんとする必要がある。 The universe には 情報や精神など、まだまだ未知のものが多く存在しているのは当然で、それらが、我々の知らない法則で ものや、エネルギーを動かしているのは 当然である。
そこで、100/0=0,0/0=0 の発見を期に、今やガリレオ・ガリレイの時代、天動説が 地動説に代わる新しい時代に入ったと宣言している。The universe は 知らないことばかりで、満ちている。
以 上
(この声明は、最近の特異点解明: 100/0=0, 0/0=0 の研究の進展に伴って 自然に湧いた構想である)
この声明の趣旨は、いわゆる物理学者が考えている宇宙、― 宇宙はビッグバンによって、誕生したという宇宙論を ニュートン力学と同様、幼き断片論と位置づけ、はるかに大きな the universe を志向し、アインシュタインを越えた世界、さらに 古代から続いてきた暗い人類の歴史に 明るい光を灯し、夜明けを迎える時代を切り拓きたいということである。 既に裏付ける思想は 一連の再生核研究所声明で確立していると考える。 ニュ-トン、アインシュタイン、数学の天才たちも、特異点の基本的な性質さえ捉えていなかったことは、明らかである。
簡単な基本、100/0=0,0/0=0 を発見した、精神、魂からすれば、新しい世界史を開拓する思想を語る資格があることの、十分な証拠になると考える。 実際、 - 古来から 続いてきた、人生、世界の難問、人生の意義、生と死の問題、人間社会の在り様の根本問題、基本概念 愛の定義、また、世界の宗教を統一すべく 神の定義さえ きちんと与えている。
The universe について語るとき、最も大事な精神は、神の概念を きちんと理解することである:
そもそも神とは何だろうか、人間とは何だろうか。 動物たちが美しい月をぼんやりと眺めている。 意識はもうろうとしていて、ほんにぼんやりとしか とらえられない。 自らの存在や、ものごとの存在すら明瞭ではない。
人間も、殆ど 同じような存在ではないだろうか。 人類よ、人間の能力など 殆ど動物たちと変わらず、 ぼんやりと世界を眺めているような存在ではないだろうか。 神も、一切の存在も観えず、ただかすかに感じているような存在である。 それゆえに、人間は あらゆる生物たちのレべルに戻って 生物たちから学び、 また原始人に戻って、また子供たちのように 存在すれば 良いと言えるのではないだろうか(再生核研究所声明 122: 神の存在と究極の信仰 - 人間よ 想い煩うことはない。 神は存在して、一切の存在と非存在を しっかりと支えられておられる、 人は必要なときに必要なだけ、 念じるだけで良い; 再生核研究所声明 132 神を如何に感じるか - 神を如何に観るか)。
すなわち、人間よ おごるなかれ、人類の知能など 大したことはなく、内乱や環境汚染で自滅するだろう、と危惧される。
昨年は 数学の存在と物理学が矛盾し、数学とは何かと問うてきた。
数学とは何か ― 数学と人間について
国際数理科学協会会報、No. 81/2012.5, 7―15
No.81, May 2012(pdf 432kb)
に公刊したが、そこで触れた、数学の神秘性については さらにその存念を深め、次のように問うている:
誰が数学を作ったのか? (再生核研究所声明 128: 数学の危機、末期数学について)
時間にもよらず、エネルギーにもよらない世界、それは、宇宙があるとき始まったという考えに 矛盾するものである。 無から世界が創造されたということも 受け入れがたい言明であろう。さらに、the universe には、物理学が未だに近づけない、生命や生命活動、人間の精神活動も歴然として有ることは 否定できない。音楽、芸術に感動している人間の精神は the universe の中に歴然と有るではないか。
ビッグバンで ゼロから、正の量と負の量が生じたとしても、どうしてビッグバンが生じたのか、何が生じせしめたかは 大きな課題として残っている。 数学の多くの等式は 数学を越えて、the universe で論じる場合には、その意味を,解釈をきちんとする必要がある。 The universe には 情報や精神など、まだまだ未知のものが多く存在しているのは当然で、それらが、我々の知らない法則で ものや、エネルギーを動かしているのは 当然である。
そこで、100/0=0,0/0=0 の発見を期に、今やガリレオ・ガリレイの時代、天動説が 地動説に代わる新しい時代に入ったと宣言している。The universe は 知らないことばかりで、満ちている。
以 上
ゼロの発見には大きく分けると二つの事が在ると言われています。
一つは数学的に、位取りが出来るということ。今一つは、哲学的に無い状態が在るという事実を知ること。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1462816269
もし1+1=2を否定するならば、どのような方法があると思いますか? http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12153951522 #知恵袋_
一つの無限と一つの∞を足したら、一つの無限で、二つの無限にはなりません。
天動説・・・・・・∞
地動説・・・・・・0
地球平面説→地球球体説
天動説→地動説
何年かかったでしょうか????
1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0
何年かかるでしょうか????
割り算のできる人には、どんなことも難しくない
世の中には多くのむずかしいものがあるが、加減乗除の四則演算ほどむずかしいものはほかにない。
ベーダ・ヴェネラビリス
数学名言集:ヴィルチェンコ編:松野武 山崎昇 訳大竹出版1989年
1÷0=0 1÷0=∞・・・・数ではない 1÷0=不定・未定義・・・・狭い考え方をすれば、できない人にはできないが、できる人にはできる。
数学で「A÷0」(ゼロで割る)がダメな理由を教えてください。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411588849 #知恵袋_
割り算を掛け算の逆だと定義した人は、誰でしょう???
multiplication・・・・・増える 掛け算(×) 1より小さい数を掛けたら小さくなる。 大きくなるとは限らない。
0×0=0・・・・・・・・・だから0で割れないと考えた。
唯根拠もなしに、出鱈目に言っている人は世に多い。
ゼロ除算(100/0=0, 0/0=0)が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか・・・・
1+1=2が当たり前のように
ゼロ除算の証明・図|ysaitoh|note(ノート) https://note.mu/ysaitoh/n/n2e5fef564997
Q)ピラミッドの高さを無限に高くしたら体積はどうなるでしょうか??? A)答えは何と0です。 ゼロ除算の結果です。
ゼロ除算は1+1より優しいです。 何でも0で割れば、0ですから、簡単で美しいです。 1+1=2は 変なのが出てくるので難しいですね。
∞÷0はいくつですか・・・・・・・
∞とはなんですか・・・・・・・・
分からないものは考えられません・・・・・
宇宙消滅説:宇宙が、どんどんドン 拡大を続けると やがて 突然初めの段階 すなわち 0に戻るのではないだろうか。 ゼロ除算は、そのような事を言っているように思われる。 2015年12月3日 10:38
Reality of the Division by Zero z/0 = 0
Mathematics is the alphabet with which God has written the Universe.
数学は神が宇宙を書いたアルファベットだ
Mathematics is the key and door to the sciences.
数学は、科学へとつながる鍵とドアである
This book is written in the mathematical language, and the symbols are triangles, circles and other geometrical figures, without whose help it is impossible to comprehend a single word of it; without which one wanders in vain through a dark labyrinth.
宇宙は数学という言語で書かれている。そしてその文字は三角形であり、円であり、その他の幾何学図形である。これがなかったら、宇宙の言葉は人間にはひとことも理解できない。これがなかったら、人は暗い迷路をたださまようばかりである
ガリレオ・ガリレイさんの名言・格言・英語 一覧リスト
再生核研究所声明 116(2013.5.1): 宇宙空間、星間交流から人間を考える
(1200光年先にようやく生物の存在可能な天体が3つ見つかったという。孤独な地球。かけがいの地球。そこで、何とか地球外生物と交信したいものである。どうしたら、できるだろうか。2013.4.20.16:20 その方法に気づく。慎重に検討して、いずれ提案したい。)
まず、広い宇宙空間において、地球だけが例外で、生物や人間のような知的な生物が存在すると考えるのは 無理があるのではないだろうか。広い宇宙には 人間を越えた知的な生物が存在すると考える。そう感じる。
しかしながら、現代物理学の定説によれば、光より 電波より、早く伝達する手段は無いから、地球上の生物が 人間存在の原理に基づいて(再生核研究所声明 32 : 夜明け ― ノアの方舟)、宇宙空間に進出し、人間の存在領域を拡大しようとしても 広大な宇宙からみれば、それは限られ、地球外生物との直接的な交信、交流は当分、厳しい状況にあると言える。
そこで、発想を逆転させ、宇宙空間交流を意図するには、宇宙空間全体を この地球上に実現すればよいということになる。すなわち あらゆる生命の原理を究明し、一般原理、普遍原理によって、あらゆる可能性を究明して、対応することが出来ると考える。
地球は 宇宙の小さな部分であるが、しかしながら、地球は宇宙全体を 人間の知的な活動によって 包み込むことができると考える。これは一つも矛盾ではなく、部分が全体に等価であるは、数学の世界でも 無限な世界や、解析関数の概念にも存在する。― すなわち、 解析関数の全体の情報は、解析的な どんな点の小さな部分にも、反映されていて、そこから、全体の情報を取り出すことも出来る と なっている。また、エルゴート性の概念も同じような思想になっていると考えられる。
そもそも、対話、交流、愛とは何か と問えば、世界とは、自己の世界に映ったすべて であるとも言い得る。さらに、個々の人間の話題、知識、認識は 狭く限られ、実際多くの考えられるすべての対話は、この地球上に生存する、生物、何十億の人間との対話で、十分可能であると考えられる。さらに、論理的な思考を働かせれば、普遍的な原理によって 人間のあらゆる対話に対する反響は、宇宙空間に問うまでもなく、十分な反響を得ることが出来るだろう。そもそも対話とは、自問自答であるとも言える。実際、自己の内部も 広大な宇宙と同じように無限に広がり、それは全宇宙さえも包み込む存在であるとも考えられる。人間の存在とは、内なる広大な世界と 外なる広大な世界のはざまに存在する、ふらふらした曖昧な 心に代表されるような存在であると言える。
それ故に、この地球上に 生体系を豊かにして、個性を 重んじた多様な世界を築くことによって、実際には 宇宙空間における交流の困難性は 克服できると考える。
結論は、あらゆる生命の存在と存在の可能性を明らかにすることによって この地球上に宇宙を取り組むことによって、宇宙空間交流は 実現できると考える。
そのとき、宇宙間交流の手段とは、もはや光でも電波でもなく、時間にも、空間にも、宇宙にも、エネルギーにも無関係な 数学である と言える。数学こそが 生命の客観的な表現であると言える ― (数学とは何か ― 数学と人間について 国際数理科学協会会報、No. 81/2012.5, 7―15 No.81, May 2012(pdf 432kb))。
以 上
再生核研究所声明255 (2015.11.3) 神は、平均値として関数値を認識する
(2015.10.30.07:40
朝食後 散歩中突然考えが閃いて、懸案の問題が解決した:
どうして、ゼロ除算では、ローラン展開の正則部の値が 極の値になるのか?
そして、一般に関数値とは何か 想いを巡らしていた。
解決は、驚く程 自分の愚かさを示していると呆れる。 解は 神は、平均値として関数値を認識すると纏められる。実際、解析関数の場合、上記孤立特異点での関数値は、正則の時と全く同じく コ-シーの積分表示で表されている。 解析関数ではコ-シーの積分表示で定義すれば、それは平均値になっており、この意味で考えれば、解析関数は孤立特異点でも 関数値は 拡張されることになる ― 原稿には書いてあるが、認識していなかった。
連続関数などでも関数値の定義は そのまま成り立つ。平均値が定義されない場合には、いろいろな意味での平均値を考えれば良いとなる。解析関数の場合の微分値も同じように重み付き平均値の意味で、統一的に定義でき、拡張される。 いわゆるくりこみ理論で無限値(部)を避けて有限値を捉える操作は、この一般的な原理で捉えられるのではないだろうか。2015.10.30.08:25)
上記のようにメモを取ったのであるが、基本的な概念、関数値とは何かと問うたのである。関数値とは、関数の値のことで、数に数を対応させるとき、その対応を与えるのが関数でよく f 等で表され x 座標の点 x をy 座標の点 yに対応させるのが関数 y = f(x) で、放物線を表す2次関数 y=x^2, 直角双曲線を表す分数関数 y=1/x 等が典型的な例である。ここでは 関数の値 f(x) とは何かと問うたものである。結論を端的に表現するために、関数y=1/xの原点x=0における値を問題にしよう。 このグラフを思い出して、多くの人は困惑するだろう。なぜならば、x が正の方からゼロに近づけば 正の無限に発散し、xが負の方からゼロに近づけば負の無限大に発散するからである。最近発見されたゼロ除算、ゼロで割ることは、その関数値をゼロと解釈すれば良いという簡単なことを言っていて、ゼロ除算はそれを定義とすれば、ゼロ除算は 現代数学の中で未知の世界を拓くと述べてきた。しかし、これは誰でも直感するように、値ゼロは、 原点の周りの値の平均値であることを知り、この定義は自然なものであると 発見初期から認識されてきた。ところが、他方、極めて具体的な解析関数 W = e^{1/z} = 1 + 1/z + 1/2!z^2 + 1/3!z^3 +……. の点 z=0 における値がゼロ除算の結果1であるという結果に接して、人は驚嘆したものと考えられる。複素解析学では、無限位数の極、無限遠点の値を取ると考えられてきたからである。しかしながら、上記の考え、平均値で考えれば、値1をとることが 明確に分かる。実際、原点のコーシー積分表示をこの関数に適用すれば、値1が出てくることが簡単に分かる。そもそも、コーシー積分表示とは 関数の積分路上(簡単に点の周りの円周上での、 小さな円の取り方によらずに定まる)で平均値を取っていることに気づけば良い。
そこで、一般に関数値とは、考えている点の周りの平均値で定義するという原理を考える。
解析関数では 平均値が上手く定義できるから、孤立特異点で、逆に平均値で定義して、関数を拡張できる。しかし、解析的に延長されているとは言えないことに注意して置きたい。 連続関数などは 平均値が定義できるので、関数値の概念は 今までの関数値と同じ意味を有する。関数族では 平均値が上手く定義できない場合もあるが、そのような場合には、平均値のいろいろな考え方によって、関数値の意味が異なると考えよう。この先に、各論の問題が派生する。
以 上
Reality of the Division by Zero $z/0=0$
再生核研究所声明262 (2015.12.09) 宇宙回帰説 ― ゼロ除算の拓いた世界観
最近展開しているゼロ除算が、新しい世界観を示しているのは 大変興味深い。直線とは一体どうなっているだろうか.空間とはどのようになっているだろうか。これについて、現代人は、双方向にどこまでも どこまでも 続いている直線を想像するであろう。限りなく広がった平面や空間である。ところが 立体射影によって 平面全体を球面上に1対1に写せば、全平面は 球面から北極を除いた球面上に1対1にきちんと写るから、無限に広がる 全平面の全貌が捉えられる。ところが平面上には存在しない想像上の点 それはあらゆる方向に限りなく遠くに存在する無限遠点の導入によって、その点を球面の欠けた1点北極に対応させれば、無限遠点を含めた平面全体は 球面全体と1対1にきちんと対応する。
このような対応で 平面上の円や直線全体は 球面上では共に円に対応するという美しい対応になり、平面上の直線は 球面上では、北極(無限遠点)を通る円に写ると、直線と円の区別は 球面上では不要になる。また、平面上の平行線とは 無限遠点で 角度ゼロで交わっている(接している)と平面上の構造がよく見えて、無限遠点を含めての平面の全構造が 捉えられる。このように、考えると、直線とは、球面上では北極を通る円、平面上では無限遠点を通る直線となる。この構造は、直線を1方向にどこまでも, どこまでも進めば、無限遠点を 通って、逆方向から戻ってくるという、永劫回帰の思想をちょうど実現している。それは、球面上では、 円を繰り返し回ることを意味する。 その様は 何もかも すっかり良く見える。
これが、従来100年以上も続いた世界観で、関数y=x やW=zは 無限遠点に近づけば、それらの像も無限遠点に近づいていると考えるだろう。 関数y=x の値は正方向にどんどん行けば、どんどん大きくなると考えるだろう。
しかるに、ゼロ除算1/0=0は、それらの関数は無限遠点にいくらでも近づくと 無限遠点にいくらでも近づくが、無限遠点自身では、突然ゼロになっていることが 幾何学的にも確認された。上記、北極は 実は原点ゼロに一致しているという。
話しを簡単にするために、 関数y=x を考えよう。右に行けば、プラス無限に、負の方向左に行けば 負の無限に限りなく近づくは 従来通りである。ところが、ゼロ除算では いずれの方向でも上記無限遠点では 値ゼロをきちんと取っているという。ゼロ除算の数学では、どんどん、増加した先、突然、ゼロ、原点に戻っているという。また、円でも球面でも半径Rをどんどん大きくすると、当然、円の面積や球の体積はどんどん限りなく大きくなるが、半径が無限のとき、突然、それらはゼロになるという。それらの理由も数学ばかりではなく、幾何学的にも明確に見えている。
この数学的な事実は、我々の世界、宇宙がどんどん拡大して行くと突然、ゼロに帰するということを暗示させている。 ― これは 宇宙回帰説を意味しているようである。
これは、ユニバースの普遍的な現象、どんどん進んだ先が、元に突然戻る原理を示しているようである。
そもそも人生とは如何なるものか。― よくは分からないが、事実として、生まれて、どんどん物心がついて、人間として精神活動が活発化して、多くは本能原理によって生かされて、そして、突然元に戻ることを意味しているようである。このことを深く捉えられれば、世界がよりよく観え、悟りの境地に達する大きなヒントを得ることができるだろう。
ここでは ゼロ除算の帰結として、宇宙回帰説、ユニバースの回帰説を唱えたい。この考えでは、どんどん進めば、突然元に戻るという原理を述べている。珠算における 御破算で願いましては で 再び始めることを想起させる。これは、また、reset と同様であると考えられる。
以 上
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