2017年12月23日土曜日

統計学と機械学習を支える数学が、 「全く一緒」と言えるわけ 数学者アーサー・ベンジャミンの主張

統計学と機械学習を支える数学が、
「全く一緒」と言えるわけ

 

数学者アーサー・ベンジャミンの主張

 アメリカの数学者アーサー・ベンジャミンはTEDトークなどの場で、「高校までの数学教育では微積分などより統計学を教えるべきである」と主張しています。
 理工学系の学生にとって、確かに微積分は重要です。しかし、それ以外の一般的な人々が日常生活で使うことはほとんどありません。それよりも統計学の方が、全ての人が日々使うものだという理由から、彼はこのような考えに至ったのだそうです。
 私はこの話に対して、賛否両方の意見があります。賛成する点はもちろん「統計学は全ての人が学ぶべきものである」という彼の考え方です。
 たとえば、文系の学問を身につけてホワイトカラーな仕事をするにしても統計学は役に立ちます。営業、マーケティング、人事といったさまざまな領域で、きちんとデータと統計学を活かせば、数%程度の売上増やコスト減に繋げることもそう難しいことではありません。
 また、理系の学問を身につけてエンジニアになるにしても統計学は大きな意義を持ちます。製造業における生産性や品質の向上といった分野、あるいは仕入れや生産の最適化といったことを考えるときにも、統計学はとても役に立ちます。
 さらに言えば、ビジネスと関係のない分野においても、統計学を学ぶことは大きな価値を持ちます。医療、福祉、教育、防犯、環境問題など、私たちの生活に関わるさまざまな社会課題について、統計学的な視点をもってすれば、「どうすれば効率的に解決できるか」「今行なわれている政策は妥当なものだと言えるのか」ということが判断できるはずです。こうした統計学の持つパワフルさについては、私が日々自分の仕事を通して実感し続けるとともに、初代『統計学が最強の学問である』から一貫してお伝えしてきたところです。
 しかしながら、私がベンジャミンの主張に対して手放しで賛成できないのは、統計学の中でも微積分はとても重要な役割をこなしているから、というところにあります。私自身、高校や大学の教養課程までの数学をきちんと教えていただいたからこそ、統計学の学習がスムーズだったのではないかという気もします。また最近の仕事では、論文が公表されたばかりの新しい機械学習手法などを使うこともありますが、その際私が特にストレスを感じることもないのは、微積分や線形代数といった「理工系の共通言語」を理解しているおかげだと言えます。

「ITと統計学の素晴らしき結婚」で
生み出されたもの

 では、高校までの数学教育はどのようにすればよいのでしょうか?
 私の個人的な考え方は「統計学と機械学習の専門的な勉強がはじめられることをゴールとして、高校までの数学のカリキュラムは再編成されるべきである」というものです。
 統計学に加えてここで突然機械学習の話が登場したことに驚いた方もいらっしゃるかもしれません。「統計学と機械学習」あるいは「統計学と人工知能」と言われると、多くの人がなんだか全く別のもののように感じるはずです。しかし、実はその背景にある数学的な道具立ては「全く一緒」と言っても過言ではありません。
 初代『統計学が最強の学問である』では、この20年ほどで統計学がとんでもなくパワフルになった理由として「ITと統計学の素晴らしき結婚」という表現をしました。多くの人が大学の教養課程で習う「紙とペンの統計学」が、コンピューターサイエンスという強力な伴侶を得たことにより、現実的な問題の意思決定に際して大きな力を持つようになったわけです。しかし、この結婚によって生まれたのは「現代的な統計学」だけではありません。もう1つ「現代的な人工知能」というとてもパワフルな兄弟をも産み落としました。
 1950年代にはじめて「人工知能」という言葉が使われるようになってからの第一次人工知能ブーム、そして1980年代の第二次ブームのそれぞれで、人工知能研究の主流は「コンピューターに人間の持つ論理や知識を教え込むことで知能を生み出せるのではないか?」という考え方でした。当時のこうした考え方に基づき書かれた人工知能研究の論文や書籍を見てみると、そのほとんどは記号論理学のような話ばかりが記述されており、統計学とは全く別の分野であると言えます。ただし、こうした「人間がコンピューターに論理と知識を教え込む」というやり方は行き詰まりを見せ、これら二度の人工知能ブームは廃ってどちらも冬の時代を迎えました。
 一方で少なくとも1960年代の終わり頃からちらほらと、一部の人工知能の研究者たちは「確率」や「データへのあてはまり」といった統計学の概念を取り入れはじめます。たとえばディープラーニングは専門的には「層の数がとても多い(ディープな)ニューラルネットワーク」であると表現されますが、実は世界に先がけて多層ニューラルネットワークによる画像認識を研究した日本の甘利俊一は、ニューラルネットワークに統計学のような確率や微分といった考え方を持ち込みました。こうした「データとデータの間の最もあてはまりのよい数学的な関係性を推定する」という統計学的な考え方は、現代のディープラーニングの中でも大きく役に立っています。
 話をまとめると、「ITと統計学の素晴らしき結婚」によって次の2つがこの世に生み出されたということです。
 1つは統計学において、紙とペンの手計算だけでは難しい分析がコンピューターによる計算アルゴリズムで実現できるようになりました。これが「現代的なITによる統計学」です。一方で、コンピューターサイエンスの世界で生まれた人工知能研究においても、記号論理学のような理屈や知識表現だけではうまくいかなかったことが、統計学の理論と計算方法によって実現できるようになりました。このようなクロスオーバーが、現代のデータ社会の中でとても大きな力を発揮しているのです。そしてそれゆえに、統計解析手法と機械学習手法を数学的に記述するやり方は、細かい慣例などの違いこそあれ「基本的に全く同じ」というわけです。違いがあるとすれば数学的な理屈の後の、「どういうアルゴリズムでコンピューターを働かせるか」という部分ぐらいでしょうか。
 そうすると、いまエンジニアたちが統計学と機械学習の背後にある数学に慣れておくことは、前述のような品質の向上や、生産計画の最適化に使うという以上の意味を持ちます。蒸気やガソリンを使ったエンジンを使いこなすために熱力学を理解するとか、電子部品を使いこなすために電磁気学を理解する、といったのと同じようなレベルで、これからのものづくりにおいてその競争力の少なからぬ割合が、機械学習技術をどう活かすか、というところと関係してくるからです。
 そんなわけで本書はこれからの時代の全ての大人にとって必要な、統計学と機械学習を勉強するための素養となる数学について説明していきたいと思います。

いまの数学教育は、
「理工系の専門家になるためのピラミッド」

 前述のベンジャミンによれば、高校までの数学カリキュラムは「微積分を頂点とするピラミッド状に積み上げられている」とのことです。微積分を理解するためには関数やxy平面上のグラフの概念を理解しておかなければいけません。そしてこれらの概念を理解するためには、「数をxやyといった文字で表す」といった考え方を身につけておかなければいけません。このように、より基礎的で使う範囲の広い知識から少しずつ積み上げて、最終的に「微積分が理解できる」という頂点に至るのが、彼の言う「ピラミッド状」ということなのでしょう。
 そしてこのピラミッドの頂点にある微積分が、彼の言うように「理工系の専門家だけのためのもの」であるとするならば、アメリカでも日本でも、子どもたちは小学校入学から高校卒業までの長い期間をかけて、「理工系の専門家になるためのピラミッド」を積み上げていることになります。
 しかし、このピラミッドのほとんどは完成せず、どこかの部分でつまずいたまま放置されて、数学の苦手な大人が多数輩出されていくというのが現状なのではないでしょうか。
 私は統計学が、現代人にとって「読み書きそろばん」の「そろばん」にあたるほど重要なスキルであると、昔から主張してきました。200年前なら、一国に住む人間のうちどれだけが「そろばん」をできるかというところが経済を円滑に回し、また価値あるものを設計したり量産したりというところを大きく左右してきたのでしょう。それと同様に、現代においては統計学と機械学習を使いこなせる人間がどれだけいるかというところが、組織や社会の生産性を改善し、価値ある製品やサービスを生み出すことを通して国力を大きく左右するのではないかと思います。
 ではどうすれば、もっと世の中の多くの人が統計学と機械学習を理解し役に立てられるのでしょうか?
 この問題に対して、私が本書で提示する答えは、高校までの数学の内容を編み直し、大幅に削減した上で「統計学と機械学習を頂点とした数学教育のピラミッド」を作ろうというものです。
 本書では微積分も扱いますが、徹頭徹尾、統計学や機械学習を理解する上で優先順位が低いと考えられる内容については言及しません。一方、2012年度の新課程から高校生は行列を勉強しなくなったそうですが、本書では現在大学1年生が学ぶような、行列を含む線形代数の基礎についても扱います。行列の扱いに慣れておくことは、統計学や機械学習の専門書を読む上でとても役に立つからです。
 専門家という生き物はしばしば、ついあれもこれもと自分の知っていることについて語りたくなる習性を持っていますが、本書においては心を鬼にしてそうした誘惑を抑えたいと思います。本書の目的は、忙しい大人であっても最短距離で、統計学や機械学習を理解するための数学的素養を身につけることです。そのためには、情報量を増やすことよりも、いかに優先順位の低いところから情報量を削減して効率化するか、という点の方が重要となるはずです。もし本書の内容を一通り理解した後、もっとしっかり数学を勉強したい人がいたらそれはとても素晴らしいことですが、そうした役割は本書の最後に紹介する「次に読むべき本」に任せましょう。
 また、本文中での例示については、可能な限り全て統計学に関係する、ビジネスマン向けの具体的なものとしました。「たかしくんがリンゴを2個買いました」といった子どもっぽい話も、「毎秒2cmで動く点P」といった実態が不明で無味乾燥な抽象概念も、本書の中には登場しません。
 なお、本書の読者に要求する前提知識ですが、小学校で習う分数や小数の四則演算、すなわち足し算、引き算、掛け算、割り算と、ちょっとした図形の知識さえ知っている方であれば問題なく理解できるよう、そこから丁寧に説明していきたいと思います。http://diamond.jp/articles/-/153736

とても興味深く読みました:ゼロ除算は・・・・・・・・・・

再生核研究所声明325(2016.10.14) ゼロ除算の状況について ー 研究・教育活動への参加を求めて
アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における初歩的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の初歩的な部分の期待される変更 かつて無かった事である。ユークリッドの考えた空間と解析幾何学などで述べられる我々の空間は実は違っていた。いわゆる非ユークリッド空間とも違う空間が現れた。不思議な飛び、ワープ現象が起きている世界である。ゼロと無限の不思議な関係を述べている。これが我々の空間であると考えられる。
そこで、最近の成果を基に現状における学術書、教科書の変更すべき大勢を外観して置きたい。特に、大学学部までの初等数学において、日本人の寄与は皆無であると言えるから、ゼロ除算の教育、研究は日本人が数学の基礎に貢献できる稀なる好機にもなるので、数学者、教育者など関係者の協力、参加をお願いしたい。
先ず、数学の基礎である四則演算において ゼロでは割れない との世の定説を改め、自然に拡張された分数、割り算で、いつでも四則演算は例外なく、可能であるとする。数学はより美しく、完全であった。さらに、数学の奥深い世界を示している。ゼロ除算を含む体の構造、山田体が確立している。その考えは、殆ど当たり前の従来の演算の修正であるが、分数における考え方に新規で重要、面白い、概念がある。その際、小学生から割り算や分数の定義を除算の意味で 繰り返し減法(道脇方式)で定義し、ゼロ除算は自明であるとし 計算機が割り算を行うような算法で 計算方法も指導する。― この方法は割り算の簡明な算法として児童・生徒たちにも歓迎されるだろう。
反比例の法則や関数y=1/xの出現の際には、その原点での値はゼロであると 定義する。その広範な応用は 学習過程の進展に従って どんどん触れて行くこととする。応用する。
いわゆるユークリッド幾何学の学習においては、立体射影の概念に早期に触れ、ゼロ除算が拓いた新しい空間像を指導する。無限、無限の彼方の概念、平行線の概念、勾配の概念を変える必要がある。どのように、如何に、カリキュラムに取り組むかは、もちろん、慎重な検討が必要で、数学界、教育界などの関係者による国家的取り組み、協議が必要である。重要項目は、直交座標系で y軸の勾配はゼロであること。真無限における破壊現象接線などの新しい性質解析幾何学との美しい関係と調和すべての直線が原点を代数的に通り、平行な2直線は原点で代数的に交わっていること行列式と破壊現象の美しい関係など。三角関数や初等関数でも考え方を修正、補充する。直線とは、そもそも、従来の直線に原点を加えたもので、平行線の公理は実は成り立たず、我々の世界は、ユークリッド空間でも、いわゆる非ユークリッド幾何学でもない、新しい空間である。原点は、あらゆる直線の中心になっている。
大学レベルになれば、微積分、線形代数、微分方程式、複素解析をゼロ除算の発展の成果で修正、補充して行く。複素解析学におけるローラン展開の学習以前でも形式的なローラン展開(負べき項を含む展開)の中心の値をゼロ除算で定義し ― ゼロ除算算法、広範な応用を展開する。最も顕著な例は、tan 90度 の値がゼロであることで、いろいろ幾何学的な説明は、我々の空間の認識を変えるのに教育的で楽しい題材である。特に微分係数が正や負の無限大に収束(発散)する時微分係数をゼロと修正することによって、微分法の多くの公式や定理の表現が簡素化され、教科書の結構な記述の変更が要求される。媒介変数を含む多くの関数族は、ゼロ除算 算法統一的な視点が与えられる。多くの公式の記述が簡単になり、修正される。新しい、関数の素性が見えてくる。
複素解析学において 無限遠点はゼロで表現されると、コペルニクス的変更(無限とされていたのが実はゼロだった)を行い、極の概念を次のように変更する。極、特異点の定義は そのままであるが、それらの点の近傍で、限りなく無限の値に近づく値を位数まで込めて取るが、特異点自身では、ゼロ除算に言う、有限確定値をとるとする。その有限確定値のいろいろ幾何学的な意味を学ぶ。古典的な鏡像の定説;原点の 原点を中心とする円に関する鏡像は無限遠点であるは、誤りであり、修正し、ゼロであると いろいろな根拠によって説明する。これら、無限遠点の考え方の修正は、ユークリッド以来、我々の空間に対する認識の世界史上における大きな変更であり、数学を越えた世界観の変更を意味している。これはアリストテレスの世界の連続性の概念を変えるもので強力な不連続性を示している。 ― この文脈では天動説が地動説に変わった歴史上の事件が想起される。
ゼロ除算は 物理学を始め、広く自然科学や計算機科学への大きな影響があり、さらに哲学、宗教、文化への大きな影響がある。しかしながら、ゼロ除算の研究成果を教科書、学術書に遅滞なく取り入れていくことは、真智への愛、真理の追究の表現であり、四則演算が自由にできないとなれば、数学者ばかりではなく、人類の名誉にも関わることである。実際、ゼロ除算の歴史は 止むことのない闘争の歴史とともに人類の恥ずべき人類の愚かさの象徴となるだろう。世間ではゼロ除算について不適切な情報が溢れていて 今尚奇怪で抽象的な議論によって混乱していると言える。― 美しい世界が拓けているのに、誰がそれを閉ざそうと、隠したいと、無視したいと考えられるだろうか。我々は間違いを含む、不適切な数学を教えていると言える: ― 再生核研究所声明 41: 世界史、大義、評価、神、最後の審判 ―。
地動説のように真実は、実体は既に明らかである。 ― 研究と研究成果の活用の推進を 大きな夢を懐きながら 要請したい。 研究課題は基礎的で関与する分野は広い、いろいろな方の研究・教育活動への参加を求めたい。素人でも数学の研究に参加できる新しい初歩的な数学を沢山含んでいる。ゼロ除算は発展中の世界史上の事件、問題であると言える。
以 上
追記:
*156  Qian,T./Rodino,L.(eds.): Mathematical Analysis, Probability and
 Applications -Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China.
 (Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, Vol. 177)  Sep. 2016 305 pp.            (Springer)
Paper:Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Dear Prof. Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
With reference to above, The Editor-in-Chief IJMC (Prof. Haydar Akca) accepted the your paper after getting positive and supporting respond from the reviewer.
Now, we inform you that your paper is accepted for next issue of International Journal of Mathematics and Computation 9 Vol. 28; Issue  1, 2017),
数学基礎学力研究会のホームページ
URL

再生核研究所声明327(2016.10.18)  数学教育についての提案
次で、数学教育の重要性、効用性について触れている:

再生核研究所声明313(2016.08.01) 良い数学教育の推進を
― 数学を通して、人類が交流でき、世には道理、秩序が 存在すると理解できるだろう。分かり易いスポーツを通して、ドラマを見て、芸術を通して理解するは 世に多いが、数学の効用をここでは強調したい。道理、秩序に対する認識には 数学の効用は大きく、上記 公正の原則の理解にも 大きく寄与するのではないだろうか。数学教育の充実を国際的な視点で提案したい。その留意点を纏めて置きたい:
1) 世には共通の論理があることを理解し、論理的な思考を学習する。
2) 数学の論理的な面には、美しさとuniverseの、世の秩序を述べていることを学ぶ。
3) 非ユークリッド幾何学の出現過程を良く学び、真理を追求する精神感情と論理の関係を学ぶ。批判精神、理性、客観性について学ぶ。予断と偏見、思い込み、囚われやすい人間の精神を掘り下げる。
ここで、数学教育の充実とは、いわゆる数学の学力、問題解決に重点をおいた従来の学習ではなく、上記のような数学教育を通して身に付く数学の精神に重点をおいた教育である。他方数学の学力を付けることに偏りすぎたり、学力を競争させたりして 世に多くの数学嫌いな人たちを育てていることを大いに反省したい。数学の美しさ、楽しさを教えることが第一であると心がけなければならない。
数学愛好者の増大は かつて和算が広く民衆に普及していたように、環境にも優しく、人間の修行にも、精神衛生上も、また創造性を養い、考える力を育成するにも大いに貢献するのではないだろうか。囲碁や将棋、歌会、俳句会など良い趣味集団を構成しているが、数学愛好者クラブなど大いに進められるべきではないだろうか。新聞やテレビ、マスコミ、週刊誌などでもどんどん話題を取り上げ、また奨励されるべきではないだろうか。社会の浄化と低俗化防止にも貢献するのではないだろうか。―

と述べた。古くはプラトン学派の門に、幾何学知らざる者この門をくぐるべからず、ナポレオンが軍隊を強くするには数学の教育が大事であると述べていることや、現中国政府の数学重視の姿勢も注目される。
ここでは、明確な提案が閃いたので纏めて置きたい。まず現状の分析と問題であるが、数学は選別、能力を評価する重要な科目になっていて、受験勉強の強い枠に縛られてカリキュラムは相当に厳格に範囲が定められている。そのため限られた範囲での特訓の要素が強く、現実には理想的な教育の有り様からの乖離が甚だしい状態と言える。標語的には、ゆっくり面白いところを追求しようとすれば、そんなことでは、時間内に解答できない、そのようなものは型として、このように対応すれば良いと、薄っぺらな教育内容になり、多くの場合才能ある学生の みずみずしい知的好奇心 を失なわせ、薄っぺらな学習で数学そのものを嫌う学生を多く育てている現実があると考えられる。これは創造性や好奇心を育てる教育と いわゆる学力をつけるための勉強の乖離の問題である。さらに顕著な事実として、高校までの数学と大学での数学の大きな乖離は 相当に広く認められる現象ではないだろうか。多くの高校生は、大学に入って、数学とはそんなに広く、深く、雄大なものであるかと知って驚くのではないだろうか? また、教育現場の感じも相当に違う感じを受けるだろう。
― このような乖離は、研究成果と学部教育の内容についても言えることに注意しておきたい ―。
背に腹は変えられない、受験勉強は無視できない現実であるから、この問題を改善する具体的な提案として、例えば、週1時間とか、月1時間、カリキュラムにとらわれない数学の時間を用意して、カリキュラムに関係する素材や、新しい話題、面白い歴史的な話題から題材をとり、本来数学の教育に求められるような方向での教育を行うようにする。このような時間は、先生の新鮮な研究、研修にも繋がる面があって 先生の柔軟な精神の涵養にも良いのではないだろうか。さらに視野を広げるためにも、いろいろな講演会の企画なども良いのではないだろうか? 提案したい。数理科学の文化の裾野を広げる努力をしたい。近年は教育・研究環境の厳しさと専門の深さ、困難さで、専門的に深くなりすぎて、数理科学など幅の広さや基礎への関わりが薄くなっているように感じられる。その様な事情を反映させて、教育が疎かになる傾向にもなっているのではないかと危惧される。成果が数字に表されるような貧しい教育である。

数学の教育については、下記も参照:

再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学
再生核研究所声明283 (2016.2.8)  受験勉強が過熱化した場合の危惧について
再生核研究所声明260 (2015.12.07) 受験勉強、嫌な予感がした ― 受験勉強が過熱化した場合の弊害
再生核研究所声明 187 (2014.12.8)工科系における数学教育について                 
以 上

再生核研究所声明331(2016.11.04) 提案 ― ゼロ除算の研究は、学部卒論や修士論文の題材に適切
(雨上がり 山間部の散歩で考えが湧いた。ゼロ除算の下記論文は、新しい数学の研究課題で、学部4年生の卒論ゼミの課題、修士論文の研究課題に適切である:

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
Qian,T./Rodino,L.(eds.): Mathematical Analysis, Probability and Applications -Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China. (Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, Vol. 177) Sep. 2016        305 pp. (Springer) 
Paper:Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Dear Prof. Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
With reference to above, The Editor-in-Chief IJMC (Prof. Haydar Akca) accepted the your paper after getting positive and supporting respond from the reviewer.
Now, we inform you that your paper is accepted for next issue of International Journal of Mathematics and Computation 9 Vol. 28; Issue  1, 2017),
数学基礎学力研究会のホームページ
URL
簡単に理由を纏めて置きたい。
1) 基礎知識が学部3年生程度で十分で、基本的な結果を議論でき、新しい結果を導ける余地が十分に存在する。新規で、多くの人が興味を持つ課題で国際的にも広く交流できる。
2) 内容は、永い歴史を有する世界史の問題に関わり、空間の考え、勾配、微分、接線、連続性、無限など数学の基礎概念に関与している。相対性理論、ブラックホール、ビッグバン、計算機障害などにも関係している。
3) もともと歴史的な大問題で、ゼロ除算として永い歴史と文化に関わり、広い視点が発展中の生きた数学の中に持てる。
4) 論理には厳格性、精密性、創造性が要求され、数学の精神の涵養に適切である。予断と偏見、思い込みの深さなどについて人間を知ることが出来る。
5) 基礎数学の広範な修正構想に参画でき、物理学など広い研究課題への応用が展望でき、ゼロ除算算法のような新規で基礎数学の新しい手段を身に付けることが出来る。
6) 現在数学は高度化、細分化して、永い学習期間を経て創造的な仕事に取り掛かれるのが普通であるが、ゼロ除算の研究課題では初期段階から、新しい先端の研究に取り掛かれる基礎的な広い研究領域が存在する。ゼロ除算の研究課題は、世にも稀なる夢のある研究課題であると考えられる。― アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における初歩的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の初歩的な部分の期待される変更 かつて無かった事である。ユークリッドの考えた空間と解析幾何学などで述べられる我々の空間は実は違っていた。いわゆる非ユークリッド空間とも違う空間が現れた。不思議な飛び、ワープ現象が起きている世界である。ゼロと無限の不思議な関係を述べている。これが我々の空間であると考えられる(再生核研究所声明325(2016.10.14) ゼロ除算の状況について ー 研究・教育活動への参加を求めて)。

偉大なる研究は 2段階の発展でなされる という考えによれば、ゼロ除算には何か画期的な発見が大いに期待できるのではないだろうか。 その意味では 天才や超秀才による本格的な研究が期待される。純粋数学として、新しい空間の意義、ワープ現象の解明が、さらには相対性理論との関係、ゼロ除算計算機障害問題の回避など、本質的で重要な問題が存在する。 他方、新しい空間について、ユークリッド幾何学の見直し、世のいろいろな現象におけるゼロ除算の発見など、数学愛好者の趣味の研究にも良いのではないだろうか。 ゼロ除算の研究課題は、理系の多くの人が驚いて楽しめる普遍的な課題で、論文は多くの人に愛される論文と考えられる。

以 上

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