ネットで巻き起こったリアルな「ロスジェネの逆襲」
(C)Shutterstock
世の中の“人手不足”が話題だ。全国の小中学校での教員不足や、ファミリーレストランが24時間営業をやめるのも、もはや珍しくない。いまやサービス業にとどまらず、製造業やIT関連へも波及しているという。
そんななか、化学最大手『旭化成』の小堀秀毅社長の発言が、インターネットで波紋を広げている。
その発言は12月7日の朝日新聞のインタビューに答えたときのもので、内容は次の通りだ。
《当社では、30代後半から40代前半の層が薄くなっています。2000年前後に構造改革で採用を極端に減らしたためです。その世代が中間管理職として一番パワーをもたないといけない時代にさしかかってきました。キャリア採用もしていますが、なかなか人が集まりません。》
“中間世代”と言われる30~40代の従業員数が少ないという嘆きだった。これに対し、SNSなどに批判が殺到し、炎上している。
《加害者なのに被害者になりすますってかwww》
《何を今更…。あなた方が就職氷河期世代にした事を忘れたの?言っとくけど今後この世代が定年の時代になったら今以上に問題は山積しますよ。あっ、自己責任でしたっけ?ほんと怒りで震えるわ。》
《名指しされた世代にとっては、胸ぐらつかんで「どの口がいってんだよ!」と言ってやりたい。散々いらないって言われて、今さら足りない?仕事が出来ない?20年ほっぽらかしておいて、よく言うなぁ?》
《旭化成社長が言質とられる発言したから槍玉にあがっているだけであって、同じような考えの経営者は多いと思っている。でも記事として書かれたことで「棄てられたような感覚を必死で抑えている」氷河期世代の怒りに火をつけた。》
特に、この2000年前後に新卒の就職活動が直撃した世代と思われる人からの反発が多い。
《炎上してる某企業の社長は、自分自身が企業なり社会に関わって来た、その責任はあると言う自覚の無さに原因がある。悪いことは誰かのせい。自分は関係ないという無責任体質。そういう人間がトップというのが今の日本の大問題。》
《旭化成社長の「40代前半の層が薄い」発言、この人の年代みればいかにも言いそうなことで、別に自分たちが切った訳じゃなく、上の世代がやったことだからっていう他人事なんだよね。実際に切った人たちはこんな言い方しない。》
このように、旭化成社長の自覚の薄さに対する反発や、《この社長さん何歳だろうとググったら現在62歳。「2000年前後に構造改革で採用を極端に減らしたためです」と仰る2000年は45歳。まさに会社の中核。なんで他人事のように…》と社長の経歴まで調べる人まで出てきている。
■ 簡単に消えることのない「恨み」
現在の30代から40代前半の世代は、“ロスジェネ”と呼ばれて就職活動で苦労をしてきた世代だ。新卒学生の就職率が6割を切り、東京大学や京都大学、早稲田大や慶応大といった一流大学と呼ばれる大学を卒業してもフリーターやニートになっている人は珍しくない。
だが、経営者側からみれば当時はバブル崩壊、アジア金融危機、小泉改革による格差社会、リーマンショックと採用を絞らないと会社自体がつぶれてしまうという危機もあったという理由もあるだろう。しかし、次のような意見もある。
《旭化成の寝言に関して。氷河期ど真ん中世代の1人として言っておくと、火をつけるだけがテロではないよ。今後、親の世代が介護老人になっても相手しない(そんな余裕ない)し、社会参加を頼まれてもお断りする。絶縁してきたのはそっちだからね。都合よく仲直りできるなんて思わないでほしい。》
このように、社会と断絶されたのだという“恨み”に近い思いは簡単には消えないようだ。
大ヒットしたドラマ『半沢直樹』の原作小説シリーズには『ロスジェネの逆襲』というのがある。まさに、これからこの逆襲が始まろうとしているようだ。https://woman.excite.co.jp/article/lifestyle/rid_Myjitsu_038343/
世の中の“人手不足”が話題だ。全国の小中学校での教員不足や、ファミリーレストランが24時間営業をやめるのも、もはや珍しくない。いまやサービス業にとどまらず、製造業やIT関連へも波及しているという。
そんななか、化学最大手『旭化成』の小堀秀毅社長の発言が、インターネットで波紋を広げている。
その発言は12月7日の朝日新聞のインタビューに答えたときのもので、内容は次の通りだ。
《当社では、30代後半から40代前半の層が薄くなっています。2000年前後に構造改革で採用を極端に減らしたためです。その世代が中間管理職として一番パワーをもたないといけない時代にさしかかってきました。キャリア採用もしていますが、なかなか人が集まりません。》
“中間世代”と言われる30~40代の従業員数が少ないという嘆きだった。これに対し、SNSなどに批判が殺到し、炎上している。
《加害者なのに被害者になりすますってかwww》
《何を今更…。あなた方が就職氷河期世代にした事を忘れたの?言っとくけど今後この世代が定年の時代になったら今以上に問題は山積しますよ。あっ、自己責任でしたっけ?ほんと怒りで震えるわ。》
《名指しされた世代にとっては、胸ぐらつかんで「どの口がいってんだよ!」と言ってやりたい。散々いらないって言われて、今さら足りない?仕事が出来ない?20年ほっぽらかしておいて、よく言うなぁ?》
《旭化成社長が言質とられる発言したから槍玉にあがっているだけであって、同じような考えの経営者は多いと思っている。でも記事として書かれたことで「棄てられたような感覚を必死で抑えている」氷河期世代の怒りに火をつけた。》
特に、この2000年前後に新卒の就職活動が直撃した世代と思われる人からの反発が多い。
《炎上してる某企業の社長は、自分自身が企業なり社会に関わって来た、その責任はあると言う自覚の無さに原因がある。悪いことは誰かのせい。自分は関係ないという無責任体質。そういう人間がトップというのが今の日本の大問題。》
《旭化成社長の「40代前半の層が薄い」発言、この人の年代みればいかにも言いそうなことで、別に自分たちが切った訳じゃなく、上の世代がやったことだからっていう他人事なんだよね。実際に切った人たちはこんな言い方しない。》
このように、旭化成社長の自覚の薄さに対する反発や、《この社長さん何歳だろうとググったら現在62歳。「2000年前後に構造改革で採用を極端に減らしたためです」と仰る2000年は45歳。まさに会社の中核。なんで他人事のように…》と社長の経歴まで調べる人まで出てきている。
■ 簡単に消えることのない「恨み」
現在の30代から40代前半の世代は、“ロスジェネ”と呼ばれて就職活動で苦労をしてきた世代だ。新卒学生の就職率が6割を切り、東京大学や京都大学、早稲田大や慶応大といった一流大学と呼ばれる大学を卒業してもフリーターやニートになっている人は珍しくない。
だが、経営者側からみれば当時はバブル崩壊、アジア金融危機、小泉改革による格差社会、リーマンショックと採用を絞らないと会社自体がつぶれてしまうという危機もあったという理由もあるだろう。しかし、次のような意見もある。
《旭化成の寝言に関して。氷河期ど真ん中世代の1人として言っておくと、火をつけるだけがテロではないよ。今後、親の世代が介護老人になっても相手しない(そんな余裕ない)し、社会参加を頼まれてもお断りする。絶縁してきたのはそっちだからね。都合よく仲直りできるなんて思わないでほしい。》
このように、社会と断絶されたのだという“恨み”に近い思いは簡単には消えないようだ。
大ヒットしたドラマ『半沢直樹』の原作小説シリーズには『ロスジェネの逆襲』というのがある。まさに、これからこの逆襲が始まろうとしているようだ。https://woman.excite.co.jp/article/lifestyle/rid_Myjitsu_038343/
とても興味深く読みました:
再生核研究所声明287(2016.02.12) 神秘的なゼロ除算の歴史―数学界で見捨てられていたゼロ除算
(最近 相当 ゼロ除算について幅広く歴史、状況について調べている。)
ゼロ除算とは ゼロで割ることを考えることである。ゼロがインドで628年に記録され、現代数学の四則演算ができていたが、そのとき、既にゼロで割ることか考えられていた。しかしながら、その後1300年を超えてずっと我々の研究成果以外解決には至っていないと言える。実に面白いのは、628年の時に、ゼロ除算は正解と判断される結果1/0=0が期待されていたということである。さらに、詳しく歴史を調べているC.B. Boyer氏の視点では、ゼロ除算を最初に考えたのはアリストテレスであると判断され、アリストテレスは ゼロ除算は不可能であると判断していたという。― 真空で比を考えること、ゼロで割ることはできない。アリストテレスの世界観は 2000年を超えて現代にも及び、我々の得たゼロ除算はアリストテレスの 世界は連続である に反しているので受け入れられないと 複数の数学者が言明されたり、情感でゼロ除算は受け入れられないという人は結構多い。
数学界では,オイラーが積極的に1/0 は無限であるという論文を書き、その誤りを論じた論文がある。アーベルも記号として、それを無限と表し、リーマンもその流れで無限遠点の概念を持ち、リーマン球面を考えている。これらの思想は現代でも踏襲され、超古典アルフォースの複素解析の本にもしっかりと受け継がれている。現代数学の世界の常識である。これらが畏れ多い天才たちの足跡である。こうなると、ゼロ除算は数学的に確定し、何びとと雖も疑うことのない、数学的真実であると考えるのは至極当然である。― ゼロ除算はそのような重い歴史で、数学界では見捨てられていた問題であると言える。
しかしながら、現在に至るも ゼロ除算は広い世界で話題になっている。 まず、顕著な研究者たちの議論を紹介したい:
論理、計算機科学、代数的な体の構造の問題(J. A. Bergstra, Y. Hirshfeld and J. V. Tucker)、
特殊相対性の理論とゼロ除算の関係(J. P. Barukcic and I. Barukcic)、
計算器がゼロ除算に会うと実害が起きることから、ゼロ除算回避の視点から、ゼロ除算の研究(T. S. Reis and James A.D.W. Anderson)。
またフランスでも、奇怪な抽象的な世界を建設している人たちがいるが、個人レベルでもいろいろ奇怪な議論をしている人があとを立たない。また、数学界の難問リーマン予想に関係しているという。
直接議論を行っているところであるが、ゼロ除算で大きな広い話題は 特殊相対性理論、一般相対性理論の関係である。実際、物理とゼロ除算の関係はアリストテレス以来、ニュートン、アインシュタインの中心的な課題で、それはアインシュタインの次の意味深長な言葉で表現される:
Albert Einstein:
Blackholes are where God divided by zero.
I don’t believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:
1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.
数学では不可能である、あるいは無限遠点と確定していた数学、それでも話題が尽きなかったゼロ除算、それが予想外の偶然性から、思いがけない結果、ゼロ除算は一般化された除算,分数の意味で、何時でも唯一つに定まり、解は何時でもゼロであるという、美しい結果が発見された。いろいろ具体的な例を上げて、我々の世界に直接関係する数学で、結果は確定的であるとして、世界の公認を要請している:
再生核研究所声明280(2016.01.29) ゼロ除算の公認、認知を求める
Announcement 282: The Division by Zero $z/0=0$ on the Second Birthday
詳しい解説も次で行っている:
○ 堪らなく楽しい数学-ゼロで割ることを考える(18)
○ 堪らなく楽しい数学-ゼロで割ることを考える(18)
数学基礎学力研究会のホームページ
以 上
何故ゼロ除算が不可能であったか理由
1 割り算を掛け算の逆と考えた事
2 極限で考えようとした事
3 教科書やあらゆる文献が、不可能であると書いてあるので、みんなそう思った。
Matrices and Division by Zero z/0 = 0
再生核研究所声明290(2016.03.01) 神の隠し事、神の意地悪、人類の知能の程
オイラーの公式 e^{pi i}= -1 は最も基本的な数、-1, pi, i, eの4つの数の間の簡潔な関係を確立させているとして、数学とは何かを論じて、神秘的な公式として、その様を詳しく論じた(No.81, May 2012(pdf 432kb)
19/03/2012 -ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅. 広く 面白く触れたい。)。
余りにも深い公式なので、神の人類に対する意地悪かと表現して、神は恥ずかしがり屋で、人類があまりに神に近づくのを嫌がっているのではないかと発想した。
ここ2年間、ゼロ除算を発見して、ゼロ除算の実在性は確信できたが、ゼロ除算の神秘的な歴史(再生核研究所声明287(2016.02.13)神秘的なゼロ除算の歴史―数学界で見捨てられていたゼロ除算)とともに、誠に神秘的な性質があるので その神秘性に触れたい。同時に これを未解決の問題として世に提起したい。
ゼロ除算はゼロで割ることを考えるであるが、アリストテレス以来問題とされ、ゼロの記録がインドで初めて628年になされているが、既にそのとき、正解1/0が期待されていたと言う。しかし、理論づけられず、その後1300年を超えて、不可能である、あるいは無限、無限大、無限遠点とされてきたものである。天才オイラーの無限であることの証明とその誤りを論じた論文があるが、アーベル、リーマンと継承されて現在に至る。他方極めて面白いのは、アリストテレス以来、ニュートン、アインシュタインで問題にされ、下記の貴重な言葉が残されている:
Albert Einstein:
Blackholes are where God divided by zero.
I don’t believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:
1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.
現在、ゼロ除算の興味、関心は 相対性の理論との関係と、ゼロ除算が計算機障害を起すことから、論理の見直しと数体系の見直しの観点にある。さらに、数学界の難問、リーマン予想に関係していると言う。
ゼロ除算の神秘的な歴史は、早期の段階で ゼロ除算、割り算が乗法の逆で、不可能であるとの烙印を押され、確定的に、 数学的に定まった と 人は信じてしまったことにあると考えられる。さらに、それを天才達が一様に保証してきたことにある。誠に重い歴史である。
第2の要素も、極めて大事である。アリストテレス以来、連続性で世界を考える が世界を支配してきた基本的な考え方である。関数y=1/x の原点での値を考えるとき、正方向、あるいは 負方向からゼロに近づけば、正の無限や負の無限に近づくのをみて、ゼロ除算とは無限の何か、無限遠と考えるのは極めて自然で、誰もがそのように考えるだろう。
ところが、結果はゼロであるというのであるから、驚嘆して、多くの人は それは何だと顔さえしかめたものである。しばらく、話さえできない状況が国際的にも一部の友人たちの間でも1年を超えても続いた。 そこで、最近、次のような文書を公表した:
ゼロ除算についての謎 ― 神の意思は?:
ゼロ除算は数学的な真実で、我々の数学の基本的な結果です。ところが未だ、謎めいた現象があり、ゼロ除算の何か隠れた性質が有るように感じます。それはギリシャ、アリストテレスの世界観、世の連続性を否定し、強力な不連続性を表しています。強力な不連続性は普遍的に沢山あることが分かりましたが、肝心な次の等角写像での不連続性が分かりません:複素関数
W = z+ 1/z
は 単位円の外と内を [-2,+2] を除いた全複素平面上に一対一上へ等角に写します。単位円は[-2,+2]を往復するようにちょうど写ります。単位円が少しずれると飛行機の翼の断面のような形に写るので、航空力学での基本関数です。問題は、原点が所謂無限遠点に写っているということです。ところがゼロ除算では、無限遠点は空間の想像上の点としては考えられても、数値では存在せず、数値としては、その代わりに原点ゼロで、それで原点に写っていることになります。それで強力な不連続性を起こしている。
神が、そのように写像を定めたというのですが、何か上手い解釈が有るでしょうか?
神の意思が知りたい。
2016.2.27.16:46
既に 数学における強力な不連続性は 沢山発見され、新しい世界観として定着しつつあるが、一般の解析関数の孤立特異点での確定値がどのような意味があり、なぜそのような不連続性が存在するのかは、神の意思に関わることで、神秘的な問題ではないだろうか。 神秘の世界があることを指摘して置きたい。
以 上
Matrices and Division by Zero z/0 = 0
再生核研究所声明365(2017.5.12)目も眩むほど素晴らしい研究課題 ― ゼロ除算
(2017.5.11.4:45 頃 目を覚ましたら、突然表題とその構想が情念として湧いてきたので、そのまま 書き留めて置きたい。)
そもそもゼロ除算とは、ゼロで割る問題であるが、ゼロの発見者、算術の確立者が既に 当時、0/0=0としていたにも関わらず(Brahmagupta (598 - 668 ?). defined as $0/0=0$ in Brāhmasphuṭasiddhānta (628))、1300年以上もそれは間違いであるとして、現在に至っている。最近の知見によれば、それは 実は当たり前で、現代数学の初歩的な部分における大きな欠落で、現代数学の初歩部分は相当な修正、補充が要求されている。問題は、無限の彼方に対する概念が 無限と考えられていたのが 実はゼロであったとなり、ユークリッド幾何学の欠落部分が存在し、強力な不連続性が現れて、アリストテレスの世界観に反する世界が現れてきたことである。超古典的結果の修正、補完、新しい世界の出現である。
初等数学は 無限の概念や勾配が関係する部分で大きな変更が必要であり、2次曲線論ですら 修正が要求される。多くの物理学や数理科学に現れる公式において 分母がゼロのところで、新しい知見を探す、考えることができる。
ところで、数学とは何だろうかと問い、その中で、良い結果とは、
基本的であること、
美しいこと、
世の中に良い影響を与えること、
上記の観点で、想い出されるのは、ピタゴラスの定理、アインシュタインの公式、ニュートンの万有引力の公式や運動の法則、少し、高級であるが 神秘律 オイラーの公式 などである。
この観点で ゼロ除算の公式
1/0=0/0=z/0=0
を掲げれば、その初歩的な意味とともに 神秘的に深い意味 を知って、慄然とするのではないだろうか。それゆえにゼロ除算の研究は 世界史的な事件であり、世界観に大きな影響を与える。ゼロ除算は初等部分から 神秘律に至る雄大な研究分野であると言える。
探そうゼロ除算、究めようゼロ除算の意義。神の意思を追求しよう。
ゼロ除算は、中学生からはおろか、小学生にも分かって 楽しめる数学である。実際、道脇愛羽さん(当時6歳)は、ゼロ除算の発見後3週間くらいで、ゼロ除算は当たり前と理由を付けて、述べていた。他方、多くの大学教授は 1年を遥かに越えても、理解できず、誤解を繰り返している面白い数学である。世界の教科書、学術書は大きく変更されると考えられる。多くの人に理解され、影響を与える研究課題は、世に稀であると言える。
以 上
再生核研究所声明 375 (2017.7.21):ブラックホール、ゼロ除算、宇宙論
本年はブラックホール命名50周年とされていたが、最近、wikipedia で下記のように修正されていた:
名称[編集]
"black hole"という呼び名が定着するまでは、崩壊した星を意味する"collapsar"[1](コラプサー)などと呼ばれていた。光すら脱け出せない縮退星に対して "black hole" という言葉が用いられた最も古い印刷物は、ジャーナリストのアン・ユーイング (Ann Ewing) が1964年1月18日の Science News-Letter の "'Black holes' in space" と題するアメリカ科学振興協会の会合を紹介する記事の中で用いたものである[2][3][4]。一般には、アメリカの物理学者ジョン・ホイーラーが1967年に "black hole" という名称を初めて用いたとされるが[5]、実際にはその年にニューヨークで行われた会議中で聴衆の一人が洩らした言葉をホイーラーが採用して広めたものであり[3]、またホイーラー自身は "black hole" という言葉の考案者であると主張したことはない[3]。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB
世界は広いから、情報が混乱することは よく起きる状況がある。ブラックホールの概念と密接な関係のあるゼロ除算の発見(2014.2.2)については、歴史的な混乱が生じないようにと 詳しい経緯、解説、論文、公表過程など記録するように配慮してきた。
ゼロ除算は簡単で自明であると初期から述べてきたが、問題はそこから生じるゼロ除算算法とその応用であると述べている。しかし、その第1歩で議論は様々でゼロ除算自身についていろいろな説が存在して、ゼロ除算は現在も全体的に混乱していると言える。インターネットなどで参照出来る膨大な情報は、我々の観点では不適当なものばかりであると言える。もちろん学術界ではゼロ除算発見後3年を経過しているものの、古い固定観念に囚われていて、新しい発見は未だ認知されているとは言えない。最近国際会議でも現代数学を破壊するので、認められない等の意見が表明された(再生核研究所声明371(2017.6.27)ゼロ除算の講演― 国際会議 https://sites.google.com/site/sandrapinelas/icddea-2017 報告)。そこで、初等数学から、500件を超えるゼロ除算の証拠、効用の事実を示して、ゼロ除算は確定していること、ゼロ除算算法の重要性を主張し、基本的な世界を示している。
ゼロ除算について、膨大な歴史、文献は、ゼロ除算が神秘的なこととして、扱われ、それはアインシュタインの言葉に象徴される:
Here, we recall Albert Einstein's words on mathematics:
Blackholes are where God divided by zero.
I don't believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} (Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970).
ところが結果は、実に簡明であった:
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world
しかしながら、ゼロ及びゼロ除算は、結果自体は 驚く程単純であったが、神秘的な新たな世界を覗かせ、ゼロ及びゼロ除算は一層神秘的な対象であることが顕になってきた。ゼロのいろいろな意味も分かってきた。 無限遠点における強力な飛び、ワープ現象とゼロと無限の不思議な関係である。アリストテレス、ユークリッド以来の 空間の認識を変える事件をもたらしている。 ゼロ除算の結果は、数理論ばかりではなく、世界観の変更を要求している。 端的に表現してみよう。 これは宇宙の生成、消滅の様、人生の様をも表しているようである。 点が球としてどんどん大きくなり、球面は限りなく大きくなって行く。 どこまで大きくなっていくかは、 分からない。しかしながら、ゼロ除算はあるところで突然半径はゼロになり、最初の点に帰するというのである。 ゼロから始まってゼロに帰する。 ―― それは人生の様のようではないだろうか。物心なしに始まった人生、経験や知識はどんどん広がって行くが、突然、死によって元に戻る。 人生とはそのようなものではないだろうか。 はじめも終わりも、 途中も分からない。 多くの世の現象はそのようで、 何かが始まり、 どんどん進み、そして、戻る。 例えばソロバンでは、願いましては で計算を始め、最後はご破産で願いましては、で終了する。 我々の宇宙も淀みに浮かぶ泡沫のようなもので、できては壊れ、できては壊れる現象を繰り返しているのではないだろうか。泡沫の上の小さな存在の人間は結局、何も分からず、われ思うゆえにわれあり と自己の存在を確かめる程の能力しか無い存在であると言える。 始めと終わり、過程も ようとして分からない。
ブラックホールとゼロ除算、ゼロ除算の発見とその後の数学の発展を眺めていて、そのような宇宙観、人生観がひとりでに湧いてきて、奇妙に納得のいく気持ちになっている。
以 上
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