Ketahui Sejarah Penemuan Angka Nol yang Penuh Liku
Qonita Chairunnisa, Jurnalis · Minggu 31 Desember 2017, 07:30 WIB
JAKARTA - Penemuan angka 0 (nol) menyimpan sejarah yang berliku. Asal-usul angka nol kemungkinan besar berasal dari Hilal Subur di Mesopotamia kuno.
Pada 4000 tahun silam, para penulis Sumeria menggunakan spasi untuk mengisi kekosongan pada kolom angka. Namun, penggunaan simbol nol pertama kali tercatat pada abad ketiga SM, di Babilon kuno.
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Masyarakat Babilon mengembangkan simbol spesifik untuk membedakan antara besaran. Simbol tersebut berfungsi sama seperti sistem desimal zaman modern yang menggunakan angka nol untuk memisahkan puluhan, ratusan, dan ribuan.
Jenis simbol juga muncul di Amerika pada 350 Masehi. Saat itu bangsa Maya mulai menggunakan penanda nol di kalender mereka. Sistem penghitungan kuno ini menggunakan nol sebagai placeholder, bukan angka yang memiliki nilai uniknya sendiri.
Pemahaman tersebut berubah ketika sampai di India pada abad ke tujuh Masehi. Di sana, seorang matematikawan, Brahmagupta dan yang lainnya, menggunakan titik-titik kecil di bawah angka untuk menunjukkan placeholder nol. Namun, menurut mereka nol juga memiliki nilai sendiri, yaitu null (tidak ada), dan disebut dengan ‘sunya’.
Brahmagupta juga merupakan orang yang pertama kali menunjukkan bahwa pengurangan angka dengan angka yang senilai akan menghasilkan nol. Dari India, nol berkembang menuju China dan kembali ke Timur Tengah, di mana ia diangkat oleh seorang matematikawan, Mohammed ibn-Musa al-Khowarizmi, sekira tahun 773.
al-Khowarizmi adalah yang pertama kali mensintesis aritmatika India dan menunjukkan bahwa nol berfungsi dalam persamaan aljabar. Pada abad ke sembilan, angka nol mulai berperan dalam sistem angka Arab, berbentuk oval seperti yang digunakan saat ini.
Perjalanan angka nol terus berlanjut selama beberapa abad hingga akhirnya mencapai Eropa pada 1100-an. Para pemikir seperti ahli matematika dari Italia, Fibonacci, membantu memperkenalkan nol pada khalayak.
Angka nol kemudian muncul di karya Rene Descartes, bersama dengan penemuan kalkulus Sir Isaac Newton dan Gottfried Leibniz. Sejak demikian, konsep ‘tidak ada’ itu terus berperan dalam segala perkembangan, dari ilmu fisika, ekonomi, teknik, hingga komputasi.
とても興味深く読みました:ゼロ除算の発見
再生核研究所声明377 (2017.8.3): ゼロの意味について
ゼロ除算について考察を深めているが、それは当然ゼロの意味を究めることに繋がる。 そこでゼロ自身についても触れてきた:
再生核研究所声明311(2016.07.05) ゼロ0とは何だろうか
この要旨は:
数字のゼロとは、実数体あるいは複素数体におけるゼロであり、四則演算で、加法における単位元(基準元)で、和を考える場合、何にゼロを加えても変わらない元として定義される。
座標系の導入における 位置の基準点を定めること。
複素平面では立体射影した場合における無限遠点が正しくゼロに対応する点である。
全ての直線はある意味で、原点、基準点を通ることが示されるが、これは無限遠点の影が投影されていると解釈され、原点はこの意味で2重性を有している、無限遠点と原点が重なっている現象を表している。古来、ゼロと無限の関係は何か通じていると感じられてきたが、その意味が、明らかになってきていると言える。
再生核研究所声明297(2016.05.19) 豊かなゼロ、空の世界、隠れた未知の世界
要旨は:
微分方程式のある項を落とした場合の解と落とす前の解を結び付ける具体的な方法として、ゼロ除算の解析の具体的な応用がある事が分かった。この事実は、広く世の現象として、面白い視点に気づかせたので、普遍的な現象として、生きた形で表現したい。
ある項を落とした微分方程式とは、逆に言えば、与えられた微分方程式はさらに 複雑な微分方程式において、沢山の項を落として考えられた簡略の微分方程式であると考えられる。どのくらいの項を落としたかと考えれば、限りない項が存在して、殆どがゼロとして消された微分方程式であると見なせる。この意味で、ゼロの世界は限りなく広がっていると考えられる。
このような視点で、人間にとって最も大事なことは 何だろうか。それは、個々の人間も、人類も 大きな存在の中の小さな存在であることを先ず自覚して、背後に存在する大いなる基礎、環境に畏敬の念を抱き、謙虚さを保つことではないだろうか。この視点では日本古来の神道の精神こそ、宗教の原点として大事では ないだろうか。未知なる自然に対する畏敬の念である。実際、日本でも、世界各地でも人工物を建設するとき、神事を行い、神の許しを求めてきたものである。その心は大いなる存在と人間の調和を志向する意味で人間存在の原理ではないだろうか。それはそもそも 原罪の概念そのものであると言える。
発想における最も大事なことに触れたが、表現したかった元を回想したい。― それは存在と非存在の間の微妙な有り様と非存在の認知できない限りない世界に想いを致す心情そのものであった。無数とも言える人間の想いはどこに消えて行ったのだろうか。先も分からず、由来も分からない。世の中は雲のような存在であると言える。
上記2件は、ゼロが基準を表すこと、無限や無限遠点の表現になっていること、消えて行った世界の神秘的な性質を述べている。
ここ3年、広くゼロ除算現象を探してきて発見したゼロの性質として、起こりえない現象や不可能性を広く表すことが分かった。
そもそもゼロで割る問題とは、最も簡単な方程式 ax=b をa=0の場合に考える事と解釈できる。一般的に考えられる解(一般逆)として、x=0 が得られると解釈できるが、その心として、神は混乱が起きたとき、元に、基準に戻る、最も簡単なものを選択すると理解できるが、これは、不可能性をも表現していると言える。 これは新しい視点である。b=0 の時の解 x=0はもともとの意味でのゼロであるが、b がゼロでない時の解x=0 は不可能性を表すゼロであると言える。ゼロの2面性を主張したい。不可能性を表す例はゼロ除算の発現を広く探している折に発見された新しい視点である。
無限とは、極限値の概念で捉えられるが、定まった数のようにも扱われている。数としての無限は曖昧である。
ところが、無限大は、無限遠点は ゼロで表されることが発見され、また証明も与えられた、これはゼロ除算から導かれたが、同時にゼロの新しい意味をも受け入れる必要がある。ゼロが不可能性をも表現しているという事実である。
水平方向にx軸、鉛直上方方向にy軸をとる。 原点から,角アルファで初速度v_0
で質点を投射する。最高到達点の高さ、水平到達点までの距離、最高到達点に至るまでの時間など、引力がなければ(g=0の場合を考える)、どんどん飛んでいき無限の彼方まで、これが従来の表現であるが、ゼロ除算では、最高到達点の高さ、水平到達点までの距離、最高到達点に至るまでの時間などは全てゼロで表される。
以 上
再生核研究所声明353(2017.2.2) ゼロ除算 記念日
2014.2.2 に 一般の方から100/0 の意味を問われていた頃、偶然に執筆中の論文原稿にそれがゼロとなっているのを発見した。直ぐに結果に驚いて友人にメールしたり、同僚に話した。それ以来、ちょうど3年、相当詳しい記録と経過が記録されている。重要なものは再生核研究所声明として英文と和文で公表されている。最初のものは
再生核研究所声明 148(2014.2.12): 100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
で、最新のは
Announcement 352 (2017.2.2): On the third birthday of the division by zero z/0=0
である。
アリストテレス、ブラーマグプタ、ニュートン、オイラー、アインシュタインなどが深く関与する ゼロ除算の神秘的な永い歴史上の発見であるから、その日をゼロ除算記念日として定めて、世界史を進化させる決意の日としたい。ゼロ除算は、ユークリッド幾何学の変更といわゆるリーマン球面の無限遠点の考え方の変更を求めている。― 実際、ゼロ除算の歴史は人類の闘争の歴史と共に 人類の愚かさの象徴であるとしている。
心すべき要点を纏めて置きたい。
1) ゼロの明確な発見と算術の確立者Brahmagupta (598 - 668 ?) は 既にそこで、0/0=0 と定義していたにも関わらず、言わば創業者の深い考察を理解できず、それは間違いであるとして、1300年以上も間違いを繰り返してきた。
2) 予断と偏見、慣習、習慣、思い込み、権威に盲従する人間の精神の弱さ、愚かさを自戒したい。我々は何時もそのように囚われていて、虚像を見ていると 真智を愛する心を大事にして行きたい。絶えず、それは真かと 問うていかなければならない。
3) ピタゴラス派では 無理数の発見をしていたが、なんと、無理数の存在は自分たちの世界観に合わないからという理由で、― その発見は都合が悪いので ― 、弟子を処刑にしてしまったという。真智への愛より、面子、権力争い、勢力争い、利害が大事という人間の浅ましさの典型的な例である。
4) この辺は、2000年以上も前に、既に世の聖人、賢人が諭されてきたのに いまだ人間は生物の本能レベルを越えておらず、愚かな世界史を続けている。人間が人間として生きる意義は 真智への愛にある と言える。
5) いわば創業者の偉大な精神が正確に、上手く伝えられず、ピタゴラス派のような対応をとっているのは、本末転倒で、そのようなことが世に溢れていると警戒していきたい。本来あるべきものが逆になっていて、社会をおかしくしている。
6) ゼロ除算の発見記念日に 繰り返し、人類の愚かさを反省して、明るい世界史を切り拓いて行きたい。
以 上
追記:
The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue 1, 2017), 1-16.
http://www.scirp.org/journal/alamt http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
再生核研究所声明371(2017.6.27)ゼロ除算の講演― 国際会議 https://sites.google.com/site/sandrapinelas/icddea-2017 報告
http://ameblo.jp/syoshinoris/theme-10006253398.html
1/0=0、0/0=0、z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12276045402.html
1/0=0、0/0=0、z/0=0
http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12263708422.html
1/0=0、0/0=0、z/0=0
ソクラテス・プラトン・アリストテレス その他
ゼロ除算の論文リスト:
List of division by zero:
L. P. Castro and S. Saitoh, Fractional functions and their representations, Complex Anal. Oper. Theory {\bf7} (2013), no. 4, 1049-1063.
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on $100/0=0$ and on $0/0=0$, Int. J. Appl. Math. {\bf 27} (2014), no 2, pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.
T. Matsuura and S. Saitoh,
Matrices and division by zero z/0=0,
Advances in Linear Algebra \& Matrix Theory, 2016, 6, 51-58
Published Online June 2016 in SciRes. http://www.scirp.org/journal/alamt
\\ http://dx.doi.org/10.4236/alamt.201....
T. Matsuura and S. Saitoh,
Division by zero calculus and singular integrals. (Differential and Difference Equations with Applications. Springer Proceedings in Mathematics \& Statistics.)
T. Matsuura, H. Michiwaki and S. Saitoh,
$\log 0= \log \infty =0$ and applications. (Submitted for publication).
H. Michiwaki, S. Saitoh and M.Yamada,
Reality of the division by zero $z/0=0$. IJAPM International J. of Applied Physics and Math. 6(2015), 1--8. http://www.ijapm.org/show-63-504-1....
H. Michiwaki, H. Okumura and S. Saitoh,
Division by Zero $z/0 = 0$ in Euclidean Spaces,
International Journal of Mathematics and Computation, 28(2017); Issue 1, 2017), 1-16.
H. Okumura, S. Saitoh and T. Matsuura, Relations of $0$ and $\infty$,
Journal of Technology and Social Science (JTSS), 1(2017), 70-77.
S. Pinelas and S. Saitoh,
Division by zero calculus and differential equations. (Differential and Difference Equations with Applications. Springer Proceedings in Mathematics \& Statistics).
S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in Linear Algebra \& Matrix Theory. {\bf 4} (2014), no. 2, 87--95. http://www.scirp.org/journal/ALAMT/
S. Saitoh, A reproducing kernel theory with some general applications,
Qian,T./Rodino,L.(eds.): Mathematical Analysis, Probability and Applications - Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China, Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, {\bf 177}(2016), 151-182. (Springer) .
List of division by zero:
L. P. Castro and S. Saitoh, Fractional functions and their representations, Complex Anal. Oper. Theory {\bf7} (2013), no. 4, 1049-1063.
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on $100/0=0$ and on $0/0=0$, Int. J. Appl. Math. {\bf 27} (2014), no 2, pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.
T. Matsuura and S. Saitoh,
Matrices and division by zero z/0=0,
Advances in Linear Algebra \& Matrix Theory, 2016, 6, 51-58
Published Online June 2016 in SciRes. http://www.scirp.org/journal/alamt
\\ http://dx.doi.org/10.4236/alamt.201....
T. Matsuura and S. Saitoh,
Division by zero calculus and singular integrals. (Differential and Difference Equations with Applications. Springer Proceedings in Mathematics \& Statistics.)
T. Matsuura, H. Michiwaki and S. Saitoh,
$\log 0= \log \infty =0$ and applications. (Submitted for publication).
H. Michiwaki, S. Saitoh and M.Yamada,
Reality of the division by zero $z/0=0$. IJAPM International J. of Applied Physics and Math. 6(2015), 1--8. http://www.ijapm.org/show-63-504-1....
H. Michiwaki, H. Okumura and S. Saitoh,
Division by Zero $z/0 = 0$ in Euclidean Spaces,
International Journal of Mathematics and Computation, 28(2017); Issue 1, 2017), 1-16.
H. Okumura, S. Saitoh and T. Matsuura, Relations of $0$ and $\infty$,
Journal of Technology and Social Science (JTSS), 1(2017), 70-77.
S. Pinelas and S. Saitoh,
Division by zero calculus and differential equations. (Differential and Difference Equations with Applications. Springer Proceedings in Mathematics \& Statistics).
S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in Linear Algebra \& Matrix Theory. {\bf 4} (2014), no. 2, 87--95. http://www.scirp.org/journal/ALAMT/
S. Saitoh, A reproducing kernel theory with some general applications,
Qian,T./Rodino,L.(eds.): Mathematical Analysis, Probability and Applications - Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China, Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, {\bf 177}(2016), 151-182. (Springer) .
Title page of Leonhard Euler, Vollständige Anleitung zur Algebra, Vol. 1 (edition of 1771, first published in 1770), and p. 34 from Article 83, where Euler explains why a number divided by zero gives infinity.
私は数学を信じない。 アルバート・アインシュタイン / I don't believe in mathematics. Albert Einstein→ゼロ除算ができなかったからではないでしょうか。
ドキュメンタリー 2017: 神の数式 第2回 宇宙はなぜ生まれたのか
〔NHKスペシャル〕神の数式 完全版 第3回 宇宙はなぜ始まったのか
NHKスペシャル〕神の数式 完全版 第1回 この世は何からできているのか
NHKスペシャル 神の数式 完全版 第4回 異次元宇宙は存在するか
ゼロ除算の論文
Mysterious Properties of the Point at Infinity
Mysterious Properties of the Point at Infinity
再生核研究所声明 404(2017.12.30):
ゼロ除算の現状 ― 総合的な印象
ゼロ除算の著書を出版すべく執筆をしている。700件を超えるメモ、記録を参照しながら一応の素案、原案を152ページに纏めた。ゼロ除算発見4周年を目前にしている。そこで、ふと思い湧く印象について述べて置きたい。
ゼロ除算発見 4周年 目前で、数理論の内容は初歩数学であるから、全体が何もかも当たり前に思え、700件を超える知見も当たり前で、著書は簡潔に纏め切れると感じてきた。そのような折り、学位論文で提起、最初の著書で真正面から取り上げ、論じ、未解決の問題と述べてきた超難問が解けたとの論文が 北京大学 のQi'an Guan氏から送られてきた。秀才の関係者も解けず、関与する数学者ももはや世界に存在せず、従ってもはや300年以上も もう解決できないだろうと考えてきた。最初の著書出版1988年からでもちょうど30年を迎えている。全く予想できない発想、深い手段、複雑な構造、このような全く新奇な数学に驚嘆すると共に 北京大学の基礎の深さ、底力の大きさに驚嘆させられ、高貴な独創性、創造性、発想に感銘を受けている。 このような衝撃は友人の山田陽氏の研究などにも見られたが稀なる経験である。
この衝撃的な深い研究、高貴な理論に感銘している折りに、自らの著書、論文の位置づけについて思いを巡らすこととなった。
まずは、ゼロ除算の論理が、ゼロ除算の拓いた世界が当たり前と思える内容であるが、内容がアリストテレス、ユークリッド以来の世界観を変えるものである。 数学ではゼロ除算は未定義、不定性、不可能性が世の定説であるが、天才たちのいろいろな関与、昨年でも2編の大論文が発表されている。 ゼロ除算の永い、神秘的な歴史を回想すると、内容の意味の大きさと、理論の簡素さの大きな隔たりに、驚嘆させられる。極めて簡単な発見が、世界観の変更を要求している:
無限遠点はゼロで表される。すべての直線は原点を通り、ユークリッドの公理は成り立たない。 y軸の勾配はゼロ、\tan(\pi/2) =0であること。解析関数は孤立特異点で固有な値を取り、それが 重要な意味を持つこと。ゼロ除算の影響は初歩数学全般におよび、現代数学には大きな欠落、欠陥があるから、全般的に補充し、完全化されるべきである。極めて簡単な数学が、発見されて大きな影響を広く与える事実である。この差の大きさを 現代数学の目も眩むような高度さ、深さ、徹底した論理の厳格さの視点から思うとき、誠に奇妙な事件に思われて仕方がない。 余りにも大きな新規な結果に、そんなものは受け入れられないとは 多く人の印象であり、論文を相当発表、学会や国際会議でも講演を行っているにも関わらず、4年近く経っても公認の形にはなっていないようである。世間では新しい、基本的な数学が知られていないと言える。―― 我々の空間の認識がアリストテレス、ユークリッド以来 間違っているにも関わらずである。
ゼロ除算 0/0=0は 算術の創始者、ゼロの発見者 Brahmagupta (598 -668 ?) によって定義されていたにも関わらず、それは間違いであるとして1300年を超えて続いており、さらに、新たな説、論文が出版されている実におかしな状況にある。しかるに我々は ゼロ除算は既に当たり前であるとして、沢山の証拠を掲げて解説、説得を続けているが、理解は着実に進んでいるにも関わらず、理解は深くはなく、遅々として夜明け前のぼんやりしているような時代であると言える。数学者は、真実に忠実でなければならないのに、数学の研究では、論理には、感情や私情、予断、思い込みを入れてはならないのに、それが、数学の精神であるはずなのに かえって、数学者が予断と偏見、私情に囚われている状況が皮肉にも良く見える。 それは、ゼロ除算の理解が、素人の方の方が理解しやすい状況に現れている。 ― 数学は 絶対的に 厳格な論理でできているはずであるから、基礎が揺るぐはずがないとの信仰、信念を有しているためであろう。しかしながら、人間精神の開放と自由を求めて、非ユークリッド幾何学の出現から、人は大いに学ぶべきではないだろうか。 絶えず、人は何でも疑い、 と 問うべきである。 ― 人間存在の意義は 真智への愛にある。
今回の著書原案では一通り全体を纏めてみたが、全体の様子は、まずゼロ除算の導入をきちんと行い、論理をしっかりさせ、確立させ、歴史的な背景を述べ、ゼロ除算算法の考え方とその有効性を示す具体例を沢山述べた。それで、今まで、考えなかった世界の自然な大きな世界が良く見える様になるだろう。この時、我々の数学が、空間の認識が、如何に不完全なものであったかを 明白に理解されるだろう。
ゼロ除算のこの著書は 第1歩であり、いわば初歩入門書である。 本格的なゼロ除算の研究はここから始まると考えたい。Qi'an Guan氏のような数学者や、物理学者が現れて、ゼロ除算の世界は、面目を一新させ、目も眩むほどに発展させるだろうことを 信じて疑わない。
以 上
再生核研究所声明 405(2017.12.31): ゼロ除算が拓いた幾何学の現象 ― 堪らなく楽しい新奇な現象 - デカルトの円定理から
図と式の表現が表しにくいので 簡単に参照されるサイトhttps://arxiv.org/abs/1711.04961
を挙げて その中の図と式を参照して頂いて、ゼロ除算が如何に面白いかを解説したい。
まず、始めにデカルトの円定理と呼ばれる美しい定理を参照して下さい。3つの円が外接するときに、それらに内接したり、外接する円の半径の間の関係を確立した定理です。
式は美しいのですが、表現で4つの半径は、完全に対称になっていることに気づけばさらに 美しさを深く理解できます。
論文の発想は、そもそも、点や直線は円の特別な場合と見なせるという数学を想起して、デカルトの円定理で述べた基の3つの円を 点や直線に置き換えた場合にも成り立つかと問題にしました。 点は半径ゼロの円ですが、直線も半径ゼロの円だということはゼロ除算の結果導かれた発見です。すると、デカルトの円定理の式で、1/0 が出てきますが、それらはゼロと解釈すれば 良いとなります。それで、2つが円で、もう一つが共通接線である場合を考えると、図1-2のようですが、きれいに成り立っていることが分かります。 この辺の定理、事実は和算の得意とする分野で、デカルトの円定理も含めて和算でも広く知られていたということです。3つの円が、点や直線になった場合をすべて考えてみて何時でも成り立てば、デカルトの円定理は 一層美しいと言えます。 あらゆる場合を考えるのですが、2つが円で、一つが点の場合、それらに接する円は存在しないようですので、その場合デカルトの円定理は成り立たないようにみえます。
そこで、点では成り立たないので、小さな円の場合を考えて、その円を点にした場合にどうなるかを考えてみました。どんな小さな円でもデカルトの円定理は成り立っていますから、その小さな円の半径がゼロに近づいた場合を 考えてみるとどうなるかと考えたくなります。
数学的に厳格に議論するために、3つの円と内接円(外接円)をきちんと方程式で書いて議論しました。 円を点にするとき、 円の表現は孤立特異点を有していて、そこでは考えられないというのが 現代数学です。 ゼロ分の式はゼロのところで考えられないからです。 例えば、定理7の円の方程式で、z = 1,-1 の場合が考えられる。そこで、意味のある図形が出てくる。 ゼロ除算算法では孤立特異点で有限確定値を与えることができますので、今まで考えられなかった特異点で考えみました。― 無限の彼方が、特異点に成る場合も多い。その結果、驚嘆すべきことが起きていることが分かりました。(この辺の記述は厳密な表現より情念に思いを入れました)。
その特異点から、点円原点と、赤い円と青い円が出て来ることが分かりました。点がこれらの3つに分かれて出てきたという実に面白い現象です。 原点の場合にはデカルトの定理が成り立ちませんが、赤い円では、何とデカルトの円定理が成り立っていることが、ゼロ除算算法での計算の結果から確認できます。 青い円は美しい状況に置かれた円ですが、それは点に近づけた円が、突然、元の2つの円に外接する、しかもちょうどそれらの円を直径にする円に変形したと解釈すると、ちょうど内接する円が 緑の円で、デカルトの定理が成り立っているという、驚嘆すべき現象です。
点に成って定理が成り立たない場面で、点が突然変異を起こして定理をそのまま成り立たせている現象が現れたと発想すると、この現象は世の一般的な現象における新規な現象として注目すべきではないでしょうか。 見かけ上成り立たない場合、そこが変形して成り立たせる世界が存在する。 ― ものは燃焼で変形する、変形以前のあるものは変形してもそのまま、引き継がれている。意味深長では ないだろうか。― 山根現象を想起して下さい。 ― これは、運動エネルギーが一定であったものが ある時、物質は突然消えて、物質は消えて運動エネルギーが熱エネルギーに変化する現象を表しています。
赤い円は、美しいので、その分野の有名なバーコフの円と呼ばれる円ですが、2つの円に直交していますが、点に近づいていくとき、 円は接していたのですが、出てきた円は接するのではなくて、直交でしょうか。 実に面白いことは ゼロ除算が発見した典型的な結果として、y軸の勾配はゼロ、\tan(\pi/2) =0 ですから、バーコフの円は2つの円に接しているということを述べていますから、 堪らなく楽しいと言えます。― 直交は接していると解釈できるという新発見です。 緑の円は美しく3つの円に接しています。
論文では、あらゆる場合を考えたと述べていますので、3つの円が3つの点でも、3本の直線の場合も考えて、デカルトの定理は成り立っていると述べていますので、さらに面白いです。それには、ゼロの意味を考えてゼロとは何かを発見する必要が有ります。
以 上
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