「天皇の信仰」は神道なのか、仏教なのか
これまで天皇が、自らの信仰は仏教であると公言したことはない。しかし明治に入るまで、天皇の信仰の中心にあったのは仏教だった。代々の天皇は仏教に対する強い信仰をもっていた。生前退位を控えたいま、宗教学者の島田裕巳氏は「天皇の象徴としての行為、それは神道ではなく、仏教ではないか」と問う――。(第1回)
※本稿は、島田裕巳『天皇は今でも仏教徒である』(サンガ新書)の「はじめに」を抜粋したものです。
※本稿は、島田裕巳『天皇は今でも仏教徒である』(サンガ新書)の「はじめに」を抜粋したものです。
■天皇の退位と天皇の信仰
天皇の信仰を問う。それがこの本の課題である。
天皇の信仰を問うと言ったとき、それは不遜(ふそん)な行為ではないのか、不敬にあたるのではないかと考える人もいるかもしれない。
しかし、今やそれを問わなければならない時代になっている。それも、天皇のあり方がさまざまな点で重要な岐路に立たされているからである。
岐路に立っていることは、なによりもNHKのスクープ(2016年7月13日)によって天皇の生前退位の問題が浮上したことで明らかになった。
もっとも、この問題自体は、特例法が成立したことによって解決を見た。特例法の正式な名称は、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」である。これによって、2019年3月末日には現在の天皇の退位が実現され、4月1日に新しい天皇が誕生することとなった。平成は31年で幕を閉じることが有力視されている。
ただ、現在の天皇による退位の表明には、皇位の安定的継承の問題がからんでいるのだが、こちらは解決策が見出されているわけではない。退位の問題をどのように処理するか、その枠組みを決めるために組織された有識者会議でも、その点について具体的な議論は行われなかった。
■明治に出てきた「万世一系」の考え方
特例法について議論を行った衆参両院の委員会では、皇位(こうい)の安定継承をはかるためということで、「女性宮家(みやけ)」創設などの検討を盛り込んだ付帯決議も採択された。この決議では、「安定的な皇位継承を確保するための諸課題、女性宮家の創設等について、先延ばしすることはできない重要な課題」であるとも指摘されている。これは政府に対して、特例法の施行後、つまりは現在の天皇から皇太子への譲位が実現した後に、速やかに皇位の安定的な継承策を検討することを促すものである。ただし、これについては期限が設けられていないため、いつ議論が行われるのか、明確な見通しは立っていない。
そこには、有効な具体策が出てくる見通しが得られないということが深くかかわっている。女性宮家の創設のほかに、女性天皇の容認、さらには女系(じょけい)天皇の容認など、いくつかのアイディアは出されているものの、どれも決定的なものとは言えない。1947(昭和22)年にGHQの圧力により皇籍(こうせき)から離脱せざるを得なくなった旧皇族(旧宮家)の復帰を強く主張する人たちもいるが、離脱からすでに70年の歳月が経っており、その実現は相当に困難なものと思われる。
明治時代には、天皇について「万世一系(ばんせいいっけい)」という考え方が打ち出された。このことばは、明治維新の立役者の一人、岩倉具視(ともみ)が「王政復古議」(国立国会図書館所蔵『岩倉具視関係文書 第一』所収)という文書によって最初示したものであり、これ以降、天皇家は初代の神武(じんむ)天皇(在位紀元前660~前585年)以来、連綿と、しかも男系によって継承されてきたことが強調されるようになった。
ところが、皇位の継承の方法について定めた「皇室典範」が最初に制定された明治中期と現在とでは、日本の社会のあり方は大きく変わっている。皇室典範は、戦後、新しい憲法が制定されるのを機に部分的に改正されたが、そこでは、古い皇室典範では認められていた天皇が「側室」を持つことが否定された。これによって、皇位の継承はより困難なものになっている。
■天皇は祈っているだけでよいのか
この点が今後、どのような方向で議論されるかは定かではないが、退位をめぐる有識者会議に呼ばれて意見を述べた有識者のなかには、退位にすら反対する人間が少なくなく、伝統を変えることがいかに難しいかが明らかになった。
そうした有識者の見解のなかで、もっとも極端なものは、天皇は祈っているだけでよいのであって、それ以外の「公的行為」をする必要などないというものであった。祈ることこそが天皇の本来のあり方であり、いくら高齢になっても、それが果たせる限り退位する必要はないというのである。
国民に対して、間接的な形ではあるものの、退位の意思を表明した2016年8月8日のビデオメッセージで天皇が強調したのは、即位以来、国事行為を果たすとともに、「日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来た」ということだった。ところが、高齢になったことで、国事行為や象徴としての行為を十分に果たすことができなくなったというのである。
このビデオメッセージで、政治的な見解を述べることを封じられた天皇が、明確に退位の意思を示すことはできなかった。だが、長年考え続けてきた象徴としてのあり方を実践していくことに、天皇がいかに腐心してきたかが示される形になった。
その点では、退位に反対する有識者の考え方と、天皇自身の考え方が真っ向から対立したことになる。なにより印象的なのは象徴としての行為を否定し、それを天皇の務めから外れていると見なす有識者は、意外なほど多かったことだ。
■象徴として実践してきた「慰霊の旅」
天皇が象徴としての行為として実践してきたのは、大規模な災害が起きたときの被災地への訪問であり、第二次世界大戦において多くの犠牲者を出した場所への「慰霊の旅」である。また、前述のビデオメッセージでは、「日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました」と述べられていた。
こうした行為は、国民から圧倒的な支持を得てはいるものの、たしかに、憲法に規定されたものではない。だからこそ、天皇自身、それをいかに実現するかに努力を傾けてきたわけだが、保守的な天皇観を持つ人間からすれば、それは天皇がする必要のない、無用の行為であるということになる。
そこには、天皇をめぐる、あるいは天皇制をめぐる難しい問題がかかわっているわけだが、一つ重要なポイントは、現在の天皇が30年ほどにわたる在位期間に考え、実践してきた象徴としての行為が、実は伝統に根差したものであり、天皇の信仰と密接な関係を持っているのかもしれないということである。だからこそ、今、天皇の信仰を問わなければならないのだ。http://blogos.com/article/262447/
神道では・・・・・
再生核研究所声明82(2012.3.16)
皇室の在りようについての 一考察
まず、日本国の永い歴史で中心的な役割を果たしてきた、日本の皇室については 高く評価し、また日本国の文化的な誇りでもあると考える(美しい国、日本; 再生核研究所声明23[付記] 参照)。
最近、国家元首の問題や女性皇族問題などが話題となっているので、 日本の皇室の在りようについての 考察を行って置きたい。
この考察の出発点は もちろん、日本国の永い歴史における皇室の役割の評価と あるべき姿との調整、調和である。
ここで、在るべき姿とは何か。 それは世界史の展開に対する評価と位置づけ、そして、自由、平等、博愛の原則である。 基本的な人権の尊重は、人間の尊厳に直結する 個人の固有な権利であり、皇族といえども保証されるべきである。 生まれながらに日本国の天皇の任に就かされることは、甚だしい人権侵害であると言わざるを得ない。これは皇族離脱の権利も広く保証されるべきであるという、見解に繋がると考える。また、皇族が日本国の在るべき姿について適切に指導できると 十分な裏付けと準備もなく 期待するのは 適切な見方ではないと考える。 よって、国家元首と言っても 実際的な意味を持たせるべきでなく、現在のように象徴的なものであると 考えるべきである。国家元首の件は 現在の憲法以上の意味を持たせるべきではなく、天皇によって任命された日本国首相が すべて 国家の責任を負うべきであると考える。
世界は 世界が大きな一つの国のように発展するのが 世界史の必然的な流れであると考える。 そのとき、日本国は ある纏まりのある相当な自治権を有する国となるだろう。 その時、皇室は 日本国の永い歴史上に存在する、家長的な存在、特に 日本文化の象徴的な 中心的な役割 を果たすと期待される。
上記文脈で見えて来る皇族の在りようは、 明治天皇のようではなく、現在の皇室の在り様、あるいは江戸幕府時代の皇室の在りようを暗示させるように見える。 この観点で、世界の先進国イギリスにおける 在りようや ヨーロッパ諸国の在りようを参考に 具体的には 1歩1歩考えていくと 柔軟に考えていけばよいと考える。
女性の皇族の問題(女性宮家の問題など)は 前向きに進め、皇族方をある程度大きくし、天皇などについても辞退が できたり、適任者が就任できるような余裕を持たせるような在りようが良いのではないだろうか。
現在、民主主義の問題が露になり、政治家は自分の保身や人気取りに気遣いし過ぎて 国家をおろそかにし、 国を危うくしている状況が 世界的に危惧される。 政治家不信は 世界的な風潮ではないだろうか。 誰が日本国の歴史と日本国に責任を持っているのかさえ、明確ではないような世相である(再生核研究所声明73:日本国首相の役割 参照)。
他方、天皇をはじめ、皇族の方々は、永い歴史上に存在する歴史上の存在であり、政党や派閥、特定団体を越えた 高い次元、視点に立てる存在である。 そこで、ある程度皇族を充実させ、政治などについても影響力を行使できるような在りようは、 現在の民主主義の次の時代の在りようとして、考える余地を残しておくのは 賢明な在りようではないだろうか。
政治の在りようは やがて進化して、愚かで、野蛮な政争などは無くなり、社会科学と人間の進化によって 専門家が各級の判断をするようになるだろう。そのとき 政治を取り巻く世界は安定して 緩やかな王政のような形がとられるだろう。
また、当分 夜明け前の時代には、 政治的な実権と国家元首を兼ねる大統領制よりは、 イギリス、日本などの 議員内閣制の政治体制の方が、政治体制として 優れていると評価したい。
以 上
再生核研究所声明 55(2011.04.04):
皇族方の 東京避難を求める
アメリカ、ドイツなど先進国の東京大使館が 京都に避難した状況と現況を考慮して、
皇族方の東京避難を提案します。
皇室が 日本の永い歴史と文化に かけがいのない役割を果たされてきた事実に鑑み、皇室をお守りするのは 日本国の大事 と考えます。この日本国 固有の文化を守るため、皇族方の東京避難を提案します。 美しい国 日本 を参照。
また、近年、天皇から親しく、親任を受けた大臣が、無責任に大臣を辞任するようなことが 起きている。 これは 誠に日本国天皇を軽んずる不見識な行為と批判されるべきである。 そこで、この際、皇族方のご公務のご負担を軽くされ、権威を高めるためにも、大臣の親任式(内閣総理大臣の任命式)などの取り止めなど、ご公務の簡素化についての検討を提案します。
以 上
美しい国、日本(2008/2/11):
今日は、建国記念日です。日本には、世界に誇るべき美しい文化と人類を導く良い考え方があると思います。 多額の借金と少子化及び教育の荒廃によって、このままいくと日本国は、衰退の道を辿る事にならないでしょうか。 何とか、日本国の再生を期したいと思います。 もちろん、日本国の神話は大事にすべきではないでしょうか。
美しい国、日本
日本は美しい島国です。
豊かな水で多くの川が流れています。
日本には山が多く、山々は緑に覆われ、また雪に覆われたりしています。
日本の空と海は美しく、多くの詩と夢を育んできました。
日本は大きなひとつの家族のようで、みんな一緒に助け合ってきました。
言葉がなくてもお互いに理解でき、細長い国のため、四季とともに多様性にとんでいます。
日本には天皇陛下がおられて、家々の氏神様の頂点におります。
天皇陛下のおられる皇居は 日本の美しいものの、心の源になっています。
ですから先の大戦では 天皇のお言葉一つで 完全なる終戦を迎えることができたのです。
京都は千年をこえる日本の都でしたので、日本人の故郷です。
多くの人は京都を訪れて、故郷に帰ったような不思議な郷愁を感じるのです。
伊勢は古代からより古い日本人の故郷です。ですから日本の首相は新年にまず伊勢神宮を参拝するのです。
日本の文化には 自然とともにある繊細さがあります。俳句や和歌を多くの人々が愛でて、人に優しく気遣いができるのです。遠くのインドのお釈迦様の教えや中国の孔子様の教えが、美しい風土からうまれた神道と共に溶け込んでいるのです。
これが世界に唯一つしかない 美しい日本国です。
国の借金、3月末に過去最大の1024兆円に
日本の債務は2015年度に1000兆円(内閣府)
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