2017年3月11日土曜日

裁判員裁判の意味ない!神戸女児殺害 大阪高裁が無期懲役に減刑

裁判員裁判の意味ない!神戸女児殺害 大阪高裁が無期懲役に減刑

 神戸市長田区で2014年、小学1年の女児=当時(6)=を殺害したとして殺人や死体損壊・遺棄、わいせつ目的誘拐の罪に問われた君野康弘被告(50)の控訴審判決で、大阪高裁は10日、裁判員裁判の一審神戸地裁が言い渡した死刑判決を破棄、無期懲役に減刑した。

 主要な争点は被害者1人の事件で死刑を適用することの是非。09年の裁判員制度開始以降、被害者1人で死刑とした4例目の事件だが、既に高裁判決が出された過去2件と同様に死刑適用は認めなかった。被害女児の母親は「前例だけを理由とする裁判官だけの判断で覆すのであれば、裁判員裁判の意味がない」と語った。http://www.sponichi.co.jp/society/news/2017/03/11/kiji/20170310s00042000326000c.html

再生核研究所声明 16 (2008/05/27): 裁判員制度の修正を求める

素人の意見を広く求めることは、古来から行われてきた重要な考え方である。しかしながら、それらを型にはめて、一律に行う制度は、制度として無理があり、社会の混乱と大きな時間的、財政的、行政的な無駄を生み、更に良い結果を生むどころか、大きなマイナスの結果を生むだろう。 幾つかの問題点を具体的に指摘すると

(1)  制度を実行し、進めるには大きな行政的な手間と時間が掛かる。特に財政厳しい状況で大きな無駄を生む。
(2)  一般の人が裁判に関与することは、はなはだ問題である。その様なことで、時間を費やす事を好まない人や、ふさわしくない人、また希望しない人が相当数現れることが考えられる。多くの人は、そのようなことで時間をとられたり、関与することに、耐え難い苦痛を感じるだろう。
(3)  選ばれた少数の人による判断が、全国的なレベルで公正さを維持するのは難しく、また公正な裁判を要求し、期待することには無理があると考えられる。それを要求するには 大きな負担を一般の人たちにかけ過ぎる。
(4)  大きな社会で、裁判において、一律一様の考えには、無理があり、ある程度の専門性を取りいれないと、運用上も、無理が生じると考えられる。
(5)  戦後60年以上も経っていながら、裁判が遅れることに対する批判はあっても、裁判制度や裁判結果に対する批判が殆どないのは異例であり、この観点からも日本の裁判制度自身は高く評価されるべきであって、改めるべき本質的な問題は生じていないと考えられる。

上記のような状況に鑑み、例えば一律の考えを改め、裁判に参加を希望する者を公募して登録しておき、その中から選んで参加して頂く等の修正を速やかに行うべきであると考える。少なくても、裁判に強制的に参加させるべきではなく、参加しない権利を明確に認めるべきであると考える。また裁判制度の問題は別にして、一般の裁判についても、従来は、密室で判決が検討されてきているが、広く意見を聞くことは必要であり、また逆に人々が意見を述べることができるようにしておくのが良いのではないかと考える。ご検討を期待したい。 以上。

アメリカの陪審員制度みたいに、
陪審員が決めた判決内容で結審って感じになれば話も違ってくるかもしれないが、
上級審に持って行って判決内容をひっくり返せるシステムでは、
やるだけアホらしいと思うわなw

ホント、日本の司法制度ってロースクールもそうだが、
カッコだけ外国の真似をして中身スカスカってパターンが多いわなw 


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