2017年3月29日水曜日

四一郎さんの「0で割る話」

四一郎さんの「0で割る話」

    • 四一郎 @yon_ichiro2012-11-27 23:45:13
      (1)さて、数日前TL上で話題になった「0で割る話」、について少々書いてみます。この問題はずっと昔からあると思っています。そして、純粋に算数・数学の枠に収まる問題ではないようにも感じています。
    • 四一郎 @yon_ichiro2012-11-27 23:47:04
      (2)まずは私の妻の体験談から。小学生のころ、やはり先生に「2÷0は0だ」と言われたのだそうです。そこで妻は反論します。「2÷1=2、2÷0.1=20、2÷0.01=200、2÷0.001=2000、……と、割る数が0に近づくにつれて割り算の結果は大きくなっていく、」(続く)
    • 四一郎 @yon_ichiro2012-11-27 23:48:33
      (3)「なのに2÷0がいきなり0ではおかしいと思う。」あとでも述べますが、演算の連続性を欲すれば当然こういう考えになりますし、実際、演算の連続性は欲しいです。で、その先生の答えが「でも、0だと決まっているんだ。」もうどこからどう突っ込んでいいかわかりませんが。
    • 四一郎 @yon_ichiro2012-11-27 23:51:10
      (4)妻にこの話を聞いたのは10年くらい前ですが、それから私は気にし続けていて、折りあるごとに中学生や高校生に、小学校で「0で割ること」をどう教わったかを訊いています。結果は「割れないと言われた」「0だと言われた」「そんな話は聞いたことがない」「忘れた」が拮抗しています。
    • 四一郎 @yon_ichiro2012-11-27 23:53:50
      (5)で、長年いろいろな人に話を聞いているうちに、私はこの「0で割る話」には、純粋な数学的誤解のほかに、学校空間での教員と児童の関係の問題と、「答えがない」「考えない」と言うことに対する誤解がある、という考えになってきました。
    • 四一郎 @yon_ichiro2012-11-27 23:56:54
      (6)学校空間での教員と児童(生徒)の関係性については、誰しも一家言ありますよね。ここでは省略。そういえば小6のころに「カンペキってのは壁のようにきれいで整っていることです」と先生に言われ、『故事成語事典』を読んだばかりの四一郎少年は戦いましたが、もちろん負けました。
    • 四一郎 @yon_ichiro2012-11-27 23:59:15
      (7)で、次の「答えがない」「考えない」ということに対する誤解の話。いきなりですが、詰将棋というパズルがあります。互いに最善を尽くした場合、たった一通りだけ一方が勝ちになる手順がある、それを見つけよ、そして、それが確かに勝ちであることと、それ以外に勝ち手順がないことを(続く)
    • 四一郎 @yon_ichiro2012-11-28 00:00:54
      (8)証明せよ、というパズルで、何百年も前からすばらしい作品が多数作られています。で、そんな中にも、パズルとして成立していないもの、失敗作がどうしてもあるわけですが、その一つが「不詰」、一方が勝ちになる手順がまったく存在しない、という場合です。
    • 四一郎 @yon_ichiro2012-11-28 00:03:57
      (9)「不詰」というのは、一方がどんなに手段を尽くしても、他方に正しく応対されると勝てない、ということですが、この証明はなかなか厄介です。人間業とは思えないような妙防があったりするからで、これを発見しないと「不詰」の証明はできない。でも、そこはがんばって証明するわけです。
    • 四一郎 @yon_ichiro2012-11-28 00:05:57
      (10)で、その「不詰」の証明がされた詰将棋、に対して「でも詰む手順があるかもしれないじゃん」とか「がんばりが足りないんじゃないの?」とか言うのっておかしいですよね。あるいは「でも銀が横に行けたら詰む」とかも変ですよね。しかし、これと似たことが数学に対して言われることがあります。
    • 四一郎 @yon_ichiro2012-11-28 00:07:48
      (11)これは本当は「0で割る話」とはちょっと違うんですが、関連性から先に話しますが、数学には「…することは不可能である」というタイプの定理がいくつもあります。有名なのは「定規とコンパスだけでは角の三等分はできない」とか「5次以上の方程式に解の公式は存在しない」とか。
    • 四一郎 @yon_ichiro2012-11-28 00:11:24
      (11番外)気がさすので、さっきの命題を正確に。「定規とコンパスを、作図のルールに従って用いるのみでは、一般に与えられた角を三等分することはできない」、「加減乗除と累乗根演算のみを許す限り、n≧5のときは、複素係数n次方程式に対し、一般的な解の公式は存在しない」
    • 四一郎 @yon_ichiro2012-11-28 00:13:25
      (12)で、このタイプの定理を説明すると、…いや私自身はそういう目にあったことはなくて伝聞なんですが…「いつかできるかもしれないじゃないか」「それはがんばりが足らないんだ、あきらめてどうする!」「定規とコンパス以外の器具を使えば、ほらできるよ!」みたいなことが言われるのです。
    • 四一郎 @yon_ichiro2012-11-28 00:15:32
      (13)数学でいう「できない」とは、「これまで誰も成功したことがない」という意味ではありません。「どんな手段を尽くしてもできない、ということを論理的に証明した」ということです。まさに、詰将棋の「不詰」の証明と同じことです。「できない」はあきらめているのではなくて、(続く)
    • 四一郎 @yon_ichiro2012-11-28 00:18:54
      (14)極めて積極的で誇りに満ちた主張なのです。だから、(12)みたいなことを言われるのは完全にお門違い(でもそうはっきり言うといろいろ怒られるのでやんわりと)(でもそんなの無理だけどー)。野崎昭弘先生の名著『不完全性定理』は、不可能を証明しうる人間の叡智への賛歌でもあります。
    • 四一郎 @yon_ichiro2012-11-28 00:24:40
      (15)さて、やっと「0で割る話」に戻ります。数学的見地から言うと、この話の答えは「割り算 a÷b は、b=0 のときは、定義しない」ということになります。この、『定義しない』てのもわかりにくいんだろうなあ。『考えない』ということもあるんですが余計わかりにくいのかもしれない。
    • 四一郎 @yon_ichiro2012-11-28 00:27:10
      (16)ひらたくいえば、「0で割るということは数学の理論体系の中ではやりません」、もっと思い切って言えば「0で割ってはいけません」ということ。しかし、禁止されるとムカつきますよね。どうして、って訊きたくなりますよね。……その理由はあとにしまして、(つづく)
    • 四一郎 @yon_ichiro2012-11-28 00:29:46
      (17)この「0で割った答えを決めない」「0で割った答えと言うものはない」というのが、誤解を招いていると思うんです。「決めないって、決めればいいじゃん」「答えがないって、問題なんだから答えはあるはずだろ」「もしかして答え知らないんじゃない?」など、現場ではきっといろいろあるはず。
    • 四一郎 @yon_ichiro2012-11-28 00:32:50
      (18)あとで述べますが、数学で「0で割った答えを定義しない」ことには、理論全体を考慮した積極的な理由があるのです。しかしそれをよくわかっていないために、自信を持って「定めない」と言えなかったり、「あるはず」と勝手に思い込んでいる「答え」を「0」ということにしてしまうのでは、と。
    • 四一郎 @yon_ichiro2012-11-28 00:36:19
      (19)「答えがない」ということを主張するのが大変だ、ということは、さっき言った「不詰の詰将棋」を「不詰」だと主張することの大変さ、と同じだと思います。詰まなさそう、ではだめで、すべての手順を読み切って断言しなければならない。それなりに勉強しなければできないことです。
    • 四一郎 @yon_ichiro2012-11-28 00:38:05
      (20)もっとも、「0で割ることは定義しない」ことの数学的理由はそんなに難しくありません。これはすでにあちこちで言われているとおりです。一口に割り算と言っても、3つくらいの意味がありますが、どこから考えても「0で割った結果ってのは決めようがないなあ」と初等的に思えます。
    • 四一郎 @yon_ichiro2012-11-28 00:39:33
      (21)「あ」2÷0とは、2kgの小麦粉を0人で等分する、ということです。しかし、なにしろ0人ですからねえ。「1人あたりの小麦粉の量」っていうのがないですね。ですから、2÷0は定められません。
    • 四一郎 @yon_ichiro2012-11-28 00:41:08
      (22)「い」2÷0とは、2kgの小麦粉を0kgずつの小袋に小分けする、ということです。それでいくつ袋が必要か、ということですが、なにしろ0kgですから、いくら袋を用意しても2kgの小麦粉がなくなる日は絶対にやってきません。ですから、2÷0は定められません。
    • 四一郎 @yon_ichiro2012-11-28 00:42:55
      (23)「う」2÷0とは、「0を何倍したら2になりますか?」というクイズの答えです。しかし、0って何と掛け合わせても0が答えになるんですよね。2には決してなりません。つまり、2÷0の答えとして資格を持つ数は、存在しません。
    • 四一郎 @yon_ichiro2012-11-28 00:45:22
      (24)ところで、この話をややこしくする要因の一つに「無限」とか「無限大」とか言われるものがあります。2÷0=無限大、みたいな。しかし、これは「無限大などという数はない」「無限大という概念が存在するとしても、それは数といえるものではない」というのが答えになります。
 
とても興味深く読みました:
 
再生核研究所声明3592017.3.20) ゼロ除算とは何か ― 本質、意義

ゼロ除算の理解を進めるために ゼロ除算とは何か の題名で、簡潔に表現して置きたい。 構想と情念、想いが湧いてきたためである。
基本的な関数y=1/x を考える。 これは直角双曲線関数で、原点以外は勿論、値、関数が定義されている。問題はこの関数が、x=0  で どうなっているかである。結論は、この関数の原点での値を ゼロと定義する ということである。 定義するのである。定義であるから勝手であり、従来の定義や理論に反しない限り、定義は勝手であると言える。原点での値を明確に定義した理論はないから、この定義は良いと考えられる。それを、y=1/0=0 と記述する。ゼロ除算は不可能であるという、数学の永い定説に従って、1/0 の表記は学術書、教科書にもないから、1/0=0 の記法は 形式不変の原理、原則 にも反しないと言える。― 多くの数学者は注意深いから、1/0=\infty の表記を避けてきたが、想像上では x が 0 に近づいたとき、限りなく 絶対値が大きくなるので、複素解析学では、表現1/0=\infty は避けても、1/0=\infty と考えている事は多い。(無限大の記号がない時代、アーベルなどもそのような記号を用いていて、オイラーは1/0=\inftyと述べ、それは間違いであると指摘されてきた。 しかしながら、無限大とは何か、数かとの疑問は 続いている。)。ここが大事な論点である。近づいていった極限値がそこでの値であろうと考えるのは、極めて自然な発想であるが、現代では、不連続性の概念 が十分確立されていて、極限値がそこでの値と違う例は、既にありふれている。― アリストテレスは 連続性の世界観をもち、特にアリストテレスの影響を深く受けている欧米の方は、この強力な不連続性を中々受け入れられないようである。無限にいくと考えられてきたのが突然、ゼロになるという定義になるからである。 しかしながら、関数y=1/xのグラフを書いて見れば、原点は双曲線のグラフの中心の点であり、美しい点で、この定義は魅力的に見えてくるだろう。
定義したことには、それに至るいろいろな考察、経過、動機、理由がある。― 分数、割り算の意味、意義、一意性問題、代数的な意味づけなどであるが、それらは既に数学的に確立しているので、ここでは触れない。
すると、定義したからには、それがどのような意味が存在して、世の中に、数学にどのような影響があるかが、問題になる。これについて、現在、初等数学の学部レベルの数学をゼロ除算の定義に従って、眺めると、ゼロ除算、すなわち、 分母がゼロになる場合が表現上現れる広範な場合に 新しい現象が発見され、ゼロ除算が関係する広範な場合に大きな影響が出て、数学は美しく統一的に補充,完全化されることが分かった。それらは現在、380件以上のメモにまとめられている。しかしながら、世界観の変更は特に重要であると考えられる:

複素解析学で無限遠点は その意味で1/0=0で、複素数0で表されること、アリストテレスの連続性の概念に反し、ユークリッド空間とも異なる新しい空間が 現れている。直線のコンパクト化の理想点は原点で、全ての直線が原点を含むと、超古典的な結果に反する。更に、ゼロと無限の関係が明らかにされてきた。
ゼロ除算は、現代数学の初等部分の相当な変革を要求していると考えられる。

以 上
付記: The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world

Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue  1, 2017), 1 -16. 
http://www.scirp.org/journal/alamt   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf

Relations of 0 and infinity
Hiroshi Okumura, Saburou Saitoh and Tsutomu Matsuura:
http://www.e-jikei.org/…/Camera%20ready%20manuscript_JTSS_A…

再生核研究所声明3572017.2.17Brahmagupta の名誉回復と賞賛を求める。

再生核研究所声明 339で 次のように述べている:

世界史と人類の精神の基礎に想いを致したい。ピタゴラスは 万物は数で出来ている、表されるとして、数学の重要性を述べているが、数学は科学の基礎的な言語である。ユークリッド幾何学の大きな意味にも触れている(再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学)。しかしながら、数体系がなければ、空間も幾何学も厳密には 表現することもできないであろう。この数体系の基礎はブラーマグプタ(Brahmagupta、598年 – 668年?)インド数学者天文学者によって、628年に、総合的な数理天文書『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』(ब्राह्मस्फुटसिद्धान्त Brāhmasphuṭasiddhānta)の中で与えられ、ゼロの導入と共に四則演算が確立されていた。ゼロの導入、負の数の導入は数学の基礎中の基礎で、西欧世界がゼロの導入を永い間嫌っていた状況を見れば、これらは世界史上でも顕著な事実であると考えられる。最近ゼロ除算は、拡張された割り算、分数の意味で可能で、ゼロで割ればゼロであることが、その大きな影響とともに明らかにされてきた。しかしながら、 ブラーマグプタは その中で 0 ÷ 0 = 0 と定義していたが、奇妙にも1300年を越えて、現在に至っても 永く間違いであるとされている。現在でも0 ÷ 0について、幾つかの説が存在していて、現代数学でもそれは、定説として 不定であるとしている。最近の研究の成果で、ブラーマグプタの考えは 実は正しかった ということになる。 しかしながら、一般の ゼロ除算については触れられておらず、永い間の懸案の問題として、世界を賑わしてきた。現在でも議論されている。ゼロ除算の永い歴史と問題は、次のアインシュタインの言葉に象徴される:

Blackholes are where God divided by zero. I don't believe in mathematics. George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist re-
marked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as the biggest blunder of his life [1] 1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.

物理学や計算機科学で ゼロ除算は大事な課題であるにも関わらず、創始者の考えを無視し、割り算は 掛け算の逆との 貧しい発想で 間違いを1300年以上も、繰り返してきたのは 実に残念で、不名誉なことである。創始者は ゼロの深い意味、ゼロが 単純な算数・数学における意味を越えて、ゼロが基準を表す、不可能性を表現する、神が最も簡単なものを選択する、神の最小エネルギーの原理、すなわち、神もできれば横着したいなどの世界観を感じていて、0/0=0 を自明なもの と捉えていたものと考えられる。実際、巷で、ゼロ除算の結果や、適用例を語ると 結構な 素人の人々が 率直に理解されることが多い。
1300年間も 創始者の結果が間違いであるとする 世界史は修正されるべきである、間違いであるとの不名誉を回復、数学の基礎の基礎である算術の確立者として、世界史上でも高く評価されるべきである。 真智の愛、良心から、厚い想いが湧いてくる。

                               以 上

追記

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
http://www.scirp.org/journal/alamt
   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf

再生核研究所声明3532017.2.2) ゼロ除算 記念日

2014.2.2 に 一般の方から100/0 の意味を問われていた頃、偶然に執筆中の論文原稿にそれがゼロとなっているのを発見した。直ぐに結果に驚いて友人にメールしたり、同僚に話した。それ以来、ちょうど3年、相当詳しい記録と経過が記録されている。重要なものは再生核研究所声明として英文と和文で公表されている。最初のものは

再生核研究所声明 148(2014.2.12): 100/0=0,  0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志

で、最新のは

Announcement 352 (2017.2.2):  On the third birthday of the division by zero z/0=0 

である。
アリストテレス、ブラーマグプタ、ニュートン、オイラー、アインシュタインなどが深く関与する ゼロ除算の神秘的な永い歴史上の発見であるから、その日をゼロ除算記念日として定めて、世界史を進化させる決意の日としたい。ゼロ除算は、ユークリッド幾何学の変更といわゆるリーマン球面の無限遠点の考え方の変更を求めている。― 実際、ゼロ除算の歴史は人類の闘争の歴史と共に 人類の愚かさの象徴であるとしている。
心すべき要点を纏めて置きたい。

1)     ゼロの明確な発見と算術の確立者Brahmagupta (598 - 668 ?) は 既にそこで、0/0=0 と定義していたにも関わらず、言わば創業者の深い考察を理解できず、それは間違いであるとして、1300年以上も間違いを繰り返してきた。
2)     予断と偏見、慣習、習慣、思い込み、権威に盲従する人間の精神の弱さ、愚かさを自戒したい。我々は何時もそのように囚われていて、虚像を見ていると 真智を愛する心を大事にして行きたい。絶えず、それは真かと 問うていかなければならない。
3)     ピタゴラス派では 無理数の発見をしていたが、なんと、無理数の存在は自分たちの世界観に合わないからという理由で、― その発見は都合が悪いので ― 、弟子を処刑にしてしまったという。真智への愛より、面子、権力争い、勢力争い、利害が大事という人間の浅ましさの典型的な例である。
4)     この辺は、2000年以上も前に、既に世の聖人、賢人が諭されてきたのに いまだ人間は生物の本能レベルを越えておらず、愚かな世界史を続けている。人間が人間として生きる意義は 真智への愛にある と言える。
5)     いわば創業者の偉大な精神が正確に、上手く伝えられず、ピタゴラス派のような対応をとっているのは、本末転倒で、そのようなことが世に溢れていると警戒していきたい。本来あるべきものが逆になっていて、社会をおかしくしている。
6)     ゼロ除算の発見記念日に 繰り返し、人類の愚かさを反省して、明るい世界史を切り拓いて行きたい。
以 上

追記:

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:

Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue  1, 2017), 1-16. 
http://www.scirp.org/journal/alamt   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf

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