2017年3月21日火曜日

再生核研究所声明360(2017.3.21) NHK 大河ドラマと朝ドラの驚嘆

再生核研究所声明3602017.3.21) NHK 大河ドラマと朝ドラの驚嘆

近年、時間帯が良いこともあって、食休みを兼ねて、NHK大河ドラマと朝ドラを 習慣として拝見させて頂いている。調子の良い展開や映像の美しさ、演出の絶妙さに感心したりして、生活の一部として楽しみの一つになっている。― ある人からミーハーのテレビを見ているのか、家にはテレビなど無いと言われて、苦笑させられたことが思い出される。
ここでは 拝見させて頂いていることに謝意を、賛辞をおくる立場から、日頃の感想、存念を述べて置きたい。
素人の立場から考えると、想像もできない素晴らしさである。
先ず、いろいろな場面、情景である。どうして毎回、毎回 いろいろな場面、情景が準備できるのか、想像もできない。沢山の所謂裏方さんたちの想像もできない、仕事、努力が存在すると感心させられる。特に書きたかったのは、メイクキャップ、人相、姿の年齢、場面における変化の凄さ、表情の変わりようである。結構永い歳月に渡る大きなドラマであるから、それらに従った変化は 凄いのではないだろうか。それらの素晴らしさを考えると、本当に深い感銘を受けてしまう。何時も感心している。それらを演じる俳優さんたちの細やかな表情、自然さを映像に上手く収めており、映像を撮る人も、映像に映る人も信じられないほどの素晴らしさである。仕切りに感心している。
これらに関与している人たちの世界は相当に大きく、まさに一つの世界、社会を構成しているとも考えられよう。普通の社会とはかけ離れた別世界である。
これらのドラマは、視聴者が多く、時代を象徴する共通文化を構成し、教育的な影響も甚大であると評価される。
一方でドラマには虚構や虚像の面も多いので、素晴らしすぎるドラマの氾濫も、適当に警戒し、個人は自らの人生の志をしっかりさせる必要があると自戒したい。沢山の面白い、楽しすぎるドラマに 人生を振り回されたくないからである。
賞賛し過ぎているので、現実、真実と映像の乖離に、映像の、ドラマの在りように思いを致して置きたい。何のためのドラマか との問い である

次も参照:

再生核研究所声明170(2014.7.25)NHK連続テレビ小説「花子とアン」― 蓮子様の気持ち
再生核研究所声明208(2015.2.14) NHK 朝ドラ マッサン ― 許されない約束違反、公共放送としての問題
再生核研究所声明211(2015.2.22) ドラマとは何か ― 人の心を弄ぶドラマ 
再生核研究所声明318(2016.08.31) 映像の危険性 ― テレビの弊害
再生核研究所声明319(2016.09.01) NHK朝ドラ、小橋常子さん、花山伊佐次さんに続け
再生核研究所声明320(2016.09.08) NHK朝ドラ とと姉ちゃん、赤羽根社長の筋違い対応
再生核研究所声明328(2016.10.24) NHK大河ドラマ、真田幸村の大阪城入場から考える人間 ― 自由について

以 上
2017.3.19.14:51
2017.3.19.15:40
2017.3.19.18:58
2017.3.20.05:56 春らしい朝。
2017.3.20.10:10
2017.3.20.15:10相当に暖か。
2017.3.20.20:00
2017.3.21.05:23
2017.3.21.05:36 完成、公表。

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