2017年3月29日水曜日

囲碁AI トップ棋士に挑んだ3日間

囲碁AI トップ棋士に挑んだ3日間
3月28日 21時32分
今月下旬、大阪で、これまでにない囲碁の世界大会が開催されました。日本・中国・韓国のトップ棋士3人とともに囲碁のAI=人工知能が参加して、3日間、総当たりのリーグ戦を行ったのです。参加した人工知能は、国内最強の「DeepZenGo」わずか1年の開発期間で、世界のトップ棋士と対等に渡り合えるまでに実力を高めました。対局パターンが膨大で、「大局観」や「直感力」が重視される囲碁。人工知能はなぜ急速に強くなったのか、そして開発者や対局相手はその実力をどう受け止めているのでしょうか。(科学・文化部 河合哲朗記者)
大会前日「疲れを知らない私が有利」
ニュース画像
日本棋院が新たに設けた世界大会「ワールド碁チャンピオンシップ」 大会前日の3月20日、選りすぐりのメンバーが、大阪市内のホテルでそろって記者会見に臨みました。
日本からは、去年、国内で史上初の七冠独占を果たした、井山裕太九段。
中国からは、国内ランキング2位で、予選で代表権を勝ち取ったミ・イクテイ九段。
そして韓国からは、国内ランキング1位のパク・ジョンファン(朴廷桓)九段。
いずれも各国を代表する、世界のトップ棋士です。
そんななか、もう1人壇上に上ったのが、「DeepZenGo」の開発者、加藤英樹さんです。
「DeepZenGo」は、囲碁ソフトの開発を長年続けてきた加藤さんのほか、東京大学の人工知能の研究室やIT企業のドワンゴがチームを組み、1年ほど前から開発を進めています。去年11月には、日本で史上最多のタイトル獲得記録を持つ趙治勲名誉名人に1勝を挙げ、今回、さらに大きな舞台に挑むことになりました。
会見で目標を聞かれた加藤さんが掲げたのは、「1勝」でした。そして、「『Zen』に代わって心境をひとつ」と切り出し、次のように意気込みを語りました。
「私(人工知能)は相手がどんな人でも打つ手は変わりませんが、この大会は3日連続で休みなしと聞いております。疲れを知らない私が有利だろうと思います」
ニュース画像
大会初日 一時は有利な展開に
21日、初戦の相手は中国のミ九段です。
会場には日本のプロ棋士も数多く訪れ、対局の行方を見守りました。
囲碁は「石を交互に打ち、より広い陣地を得たほうが勝つ」という、極めてシンプルなゲームですが、将棋やチェスに比べて盤が広いうえ、石の打ち方にも制限が少ないため、対局パターンは10の360乗に上るとされています。その数が膨大なため、「盤上の宇宙」とも呼ばれ、最新のコンピューターをもってしても計算が追いつきません。
そこで加藤さんら開発チームは、コンピューターがみずから学習する「ディープラーニング」という人工知能の最新技術を取り入れて、実際の対局のデータを学ばせました。その数は100万局以上。片ときも休むことなく学習を繰り返すことで、人間が「経験」を積んでいくように、盤面を見ただけで有利か不利かを直感的に判断する力を身につけていきます。
いわば、人間特有の「大局観」を、人工知能にも持たせようというのです。
対局では、「DeepZenGo」が先にペースを握ります。
繰り返し続けた学習の成果か、鋭い読みを感じさせる打ち手を披露し、一時は優勢な展開にまで持ち込みます。
しかし、僅差の駆け引きが続いていた終盤、「ヨセ」と呼ばれる、お互いの陣地を確定していく場面で、突然、これまでの手を台なしにする悪手を打ちました。
その後も単純なミスが続き、加藤さんが投了を告げました。
終盤に乱れた原因について、加藤さんは「自分が勝っているか負けているかという、形勢を判断する設定に狂いが生じたのだと思う」と説明していました。本来なら「やや優勢」である局面を、「かなり優勢」とか「やや劣勢」などと誤って判断してしまうことで、正しい打ち手が選べなくなってしまったというのです。
一方、ミ九段は、「負けそうだと思いましたが、相手のミスで逆転できました」と、辛くも勝利を挙げた心境を語っていました。
ニュース画像
2日目 急に“アマチュア以下”に
2日目の相手は、韓国のパク九段。
この日も「DeepZenGo」は好手をいくつも連発し、会場の棋士からも「強い」「すばらしい手だ」と感心する声が何度も上がりました。そのまま優勢に対局を進め、誰もが勝ちを確信していましたが、やはり終盤に失速してしまいます。
1局目と同様、損な手を連発していったのです。
これには、対局経験のある趙治勲名誉名人も「さっきまで天才的な手を次々と打っていたと思ったら、急にアマチュアでも打たないような手を打ち始めた」と、理解できない様子を見せていました。
「DeepZenGo」はこの対局も落とし、2連敗となります。
「世界トップクラスを相手に、長時間の対局を『ヨセ』までやるということは、開発段階ではテストのしようもなかった。そのため不具合も出てしまったが、弱点が分かり、収穫の大きい対局だった」(加藤さん)。
その一方で、観戦していた棋士の間では、「DeepZenGo」の実力に素直に驚く声も多く、「終盤のミスさえなければ2局とも人工知能の勝ちだった」といった声も。
勝ったパク九段も「いつ自分が投了してもおかしくない状況で、結果は運がよかったのだと思う」と、その実力の高さを認めていました。
3日目 最高の戦いぶりを披露
ニュース画像
そして大会最終日。井山九段との対局に臨みました。
井山九段が公式の場で人工知能と対局するのは、これが初めてです。
この対局で、「DeepZenGo」は、今大会で最高の戦いぶりを披露します。ミスと言える手はありませんでした。
「なぜ日本の井山戦だけ完璧なんだ」と、複雑な表情で見守る棋士や記者。それにもかまわず、井山九段を追い詰めていきます。
終盤には大差となり、井山九段が投了を告げて勝負がつきました。
人工知能が日本最強の棋士を破った瞬間でした。
「人間を相手にした対局との違いも特別感じられず、単純にすごく強い相手だと感じました。世界のトップレベルだということは間違いないと思います」(井山九段)。
「DeepZenGo」は、1勝2敗と負け越して3位で大会を終えましたが、敗れた2局も一時は優勢となり、世界のトップ棋士と互角に渡り合える実力を示しました。
加藤さんは今回の大会に参加した意義を、次のようにまとめました。
「開発者が想像していた以上に人工知能が強かったことに驚いています。大会では、強い相手に打ってもらわないと分からないような課題も見つけることができました。まだ完成度は低いと思いますが、開発陣にとっても大きな自信となる大会でした」
ニュース画像
「盤上の宇宙」の今後は
僅か1年でトップ棋士のレベルに達した「DeepZenGo」
今後、人間では到底追いつけない境地に達してしまうのかもしれません。そうなったとき囲碁棋士はどのような道を進んでいくのか。
井山九段に尋ねてみると、次のような答えが返ってきました。
「人工知能がいくら強くなっても、囲碁というゲームが解明されるというところには程遠いと思っています。最強の人工知能と、まったく同じ強さの人工知能が勝負しても、どこかで勝ち負けは必ずつくので、より優れた一手はいつでも存在するということになります。これからは人工知能の力も借りて、お互いを高めあいながら、少しでも囲碁の真理に近づいていきたいです」
2500年以上の歴史を持つとされる囲碁
棋士と人工知能との切磋琢磨(せっさたくま)は、終わることのない「盤上の宇宙」の探求に、新たな道筋を生み出す可能性を秘めています。http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2017_0328.html?utm_int=news_contents_news-closeup_001&nnw_opt=news-closeup_a

ゼロ除算(1÷0:0÷0)はどうでしょうか:

再生核研究所声明3592017.3.20) ゼロ除算とは何か ― 本質、意義

ゼロ除算の理解を進めるために ゼロ除算とは何か の題名で、簡潔に表現して置きたい。 構想と情念、想いが湧いてきたためである。
基本的な関数y=1/x を考える。 これは直角双曲線関数で、原点以外は勿論、値、関数が定義されている。問題はこの関数が、x=0  で どうなっているかである。結論は、この関数の原点での値を ゼロと定義する ということである。 定義するのである。定義であるから勝手であり、従来の定義や理論に反しない限り、定義は勝手であると言える。原点での値を明確に定義した理論はないから、この定義は良いと考えられる。それを、y=1/0=0 と記述する。ゼロ除算は不可能であるという、数学の永い定説に従って、1/0 の表記は学術書、教科書にもないから、1/0=0 の記法は 形式不変の原理、原則 にも反しないと言える。― 多くの数学者は注意深いから、1/0=\infty の表記を避けてきたが、想像上では x が 0 に近づいたとき、限りなく 絶対値が大きくなるので、複素解析学では、表現1/0=\infty は避けても、1/0=\infty と考えている事は多い。(無限大の記号がない時代、アーベルなどもそのような記号を用いていて、オイラーは1/0=\inftyと述べ、それは間違いであると指摘されてきた。 しかしながら、無限大とは何か、数かとの疑問は 続いている。)。ここが大事な論点である。近づいていった極限値がそこでの値であろうと考えるのは、極めて自然な発想であるが、現代では、不連続性の概念 が十分確立されていて、極限値がそこでの値と違う例は、既にありふれている。― アリストテレスは 連続性の世界観をもち、特にアリストテレスの影響を深く受けている欧米の方は、この強力な不連続性を中々受け入れられないようである。無限にいくと考えられてきたのが突然、ゼロになるという定義になるからである。 しかしながら、関数y=1/xのグラフを書いて見れば、原点は双曲線のグラフの中心の点であり、美しい点で、この定義は魅力的に見えてくるだろう。
定義したことには、それに至るいろいろな考察、経過、動機、理由がある。― 分数、割り算の意味、意義、一意性問題、代数的な意味づけなどであるが、それらは既に数学的に確立しているので、ここでは触れない。
すると、定義したからには、それがどのような意味が存在して、世の中に、数学にどのような影響があるかが、問題になる。これについて、現在、初等数学の学部レベルの数学をゼロ除算の定義に従って、眺めると、ゼロ除算、すなわち、 分母がゼロになる場合が表現上現れる広範な場合に 新しい現象が発見され、ゼロ除算が関係する広範な場合に大きな影響が出て、数学は美しく統一的に補充,完全化されることが分かった。それらは現在、380件以上のメモにまとめられている。しかしながら、世界観の変更は特に重要であると考えられる:

複素解析学で無限遠点は その意味で1/0=0で、複素数0で表されること、アリストテレスの連続性の概念に反し、ユークリッド空間とも異なる新しい空間が 現れている。直線のコンパクト化の理想点は原点で、全ての直線が原点を含むと、超古典的な結果に反する。更に、ゼロと無限の関係が明らかにされてきた。
ゼロ除算は、現代数学の初等部分の相当な変革を要求していると考えられる。

以 上
付記: The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world

Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue  1, 2017), 1 -16. 
http://www.scirp.org/journal/alamt   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf

Relations of 0 and infinity
Hiroshi Okumura, Saburou Saitoh and Tsutomu Matsuura:
http://www.e-jikei.org/…/Camera%20ready%20manuscript_JTSS_A…


再生核研究所声明3572017.2.17Brahmagupta の名誉回復と賞賛を求める。

再生核研究所声明 339で 次のように述べている:

世界史と人類の精神の基礎に想いを致したい。ピタゴラスは 万物は数で出来ている、表されるとして、数学の重要性を述べているが、数学は科学の基礎的な言語である。ユークリッド幾何学の大きな意味にも触れている(再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学)。しかしながら、数体系がなければ、空間も幾何学も厳密には 表現することもできないであろう。この数体系の基礎はブラーマグプタ(Brahmagupta、598年 – 668年?)インド数学者天文学者によって、628年に、総合的な数理天文書『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』(ब्राह्मस्फुटसिद्धान्त Brāhmasphuṭasiddhānta)の中で与えられ、ゼロの導入と共に四則演算が確立されていた。ゼロの導入、負の数の導入は数学の基礎中の基礎で、西欧世界がゼロの導入を永い間嫌っていた状況を見れば、これらは世界史上でも顕著な事実であると考えられる。最近ゼロ除算は、拡張された割り算、分数の意味で可能で、ゼロで割ればゼロであることが、その大きな影響とともに明らかにされてきた。しかしながら、 ブラーマグプタは その中で 0 ÷ 0 = 0 と定義していたが、奇妙にも1300年を越えて、現在に至っても 永く間違いであるとされている。現在でも0 ÷ 0について、幾つかの説が存在していて、現代数学でもそれは、定説として 不定であるとしている。最近の研究の成果で、ブラーマグプタの考えは 実は正しかった ということになる。 しかしながら、一般の ゼロ除算については触れられておらず、永い間の懸案の問題として、世界を賑わしてきた。現在でも議論されている。ゼロ除算の永い歴史と問題は、次のアインシュタインの言葉に象徴される:

Blackholes are where God divided by zero. I don't believe in mathematics. George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist re-
marked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as the biggest blunder of his life [1] 1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.

物理学や計算機科学で ゼロ除算は大事な課題であるにも関わらず、創始者の考えを無視し、割り算は 掛け算の逆との 貧しい発想で 間違いを1300年以上も、繰り返してきたのは 実に残念で、不名誉なことである。創始者は ゼロの深い意味、ゼロが 単純な算数・数学における意味を越えて、ゼロが基準を表す、不可能性を表現する、神が最も簡単なものを選択する、神の最小エネルギーの原理、すなわち、神もできれば横着したいなどの世界観を感じていて、0/0=0 を自明なもの と捉えていたものと考えられる。実際、巷で、ゼロ除算の結果や、適用例を語ると 結構な 素人の人々が 率直に理解されることが多い。
1300年間も 創始者の結果が間違いであるとする 世界史は修正されるべきである、間違いであるとの不名誉を回復、数学の基礎の基礎である算術の確立者として、世界史上でも高く評価されるべきである。 真智の愛、良心から、厚い想いが湧いてくる。

                               以 上

追記

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
http://www.scirp.org/journal/alamt
   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf

再生核研究所声明3532017.2.2) ゼロ除算 記念日

2014.2.2 に 一般の方から100/0 の意味を問われていた頃、偶然に執筆中の論文原稿にそれがゼロとなっているのを発見した。直ぐに結果に驚いて友人にメールしたり、同僚に話した。それ以来、ちょうど3年、相当詳しい記録と経過が記録されている。重要なものは再生核研究所声明として英文と和文で公表されている。最初のものは

再生核研究所声明 148(2014.2.12): 100/0=0,  0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志

で、最新のは

Announcement 352 (2017.2.2):  On the third birthday of the division by zero z/0=0 

である。
アリストテレス、ブラーマグプタ、ニュートン、オイラー、アインシュタインなどが深く関与する ゼロ除算の神秘的な永い歴史上の発見であるから、その日をゼロ除算記念日として定めて、世界史を進化させる決意の日としたい。ゼロ除算は、ユークリッド幾何学の変更といわゆるリーマン球面の無限遠点の考え方の変更を求めている。― 実際、ゼロ除算の歴史は人類の闘争の歴史と共に 人類の愚かさの象徴であるとしている。
心すべき要点を纏めて置きたい。

1)     ゼロの明確な発見と算術の確立者Brahmagupta (598 - 668 ?) は 既にそこで、0/0=0 と定義していたにも関わらず、言わば創業者の深い考察を理解できず、それは間違いであるとして、1300年以上も間違いを繰り返してきた。
2)     予断と偏見、慣習、習慣、思い込み、権威に盲従する人間の精神の弱さ、愚かさを自戒したい。我々は何時もそのように囚われていて、虚像を見ていると 真智を愛する心を大事にして行きたい。絶えず、それは真かと 問うていかなければならない。
3)     ピタゴラス派では 無理数の発見をしていたが、なんと、無理数の存在は自分たちの世界観に合わないからという理由で、― その発見は都合が悪いので ― 、弟子を処刑にしてしまったという。真智への愛より、面子、権力争い、勢力争い、利害が大事という人間の浅ましさの典型的な例である。
4)     この辺は、2000年以上も前に、既に世の聖人、賢人が諭されてきたのに いまだ人間は生物の本能レベルを越えておらず、愚かな世界史を続けている。人間が人間として生きる意義は 真智への愛にある と言える。
5)     いわば創業者の偉大な精神が正確に、上手く伝えられず、ピタゴラス派のような対応をとっているのは、本末転倒で、そのようなことが世に溢れていると警戒していきたい。本来あるべきものが逆になっていて、社会をおかしくしている。
6)     ゼロ除算の発見記念日に 繰り返し、人類の愚かさを反省して、明るい世界史を切り拓いて行きたい。
以 上

追記:

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:

Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
International Journal of Mathematics and Computation Vol. 28(2017); Issue  1, 2017), 1-16. 
http://www.scirp.org/journal/alamt   http://dx.doi.org/10.4236/alamt.2016.62007
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html

http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf

0 件のコメント:

コメントを投稿