2017年3月28日火曜日

増えすぎたサメ、保護すべきは人間に

増えすぎたサメ、保護すべきは人間に

【レノックスヘッド(オーストラリア)】オーストラリアは、サメを管理する技術に何百万ドルもの資金を投じようとしている。サメの生息数が増えて、人間が襲撃されるケースが今後増加する公算が大きいと専門家が結論付けたためだ。

 当局は、一連のサメの襲撃によってレノックスヘッド(豪ニューサウスウェールズ州)など沿岸地域の人々が動揺していることを受け、あらゆる対策を試している。ドローン(小型無人機)、サメよけのウエアラブル(身に付けられる)装置のほか、顔認証技術でサメを探知・特定するソナー(水中音波探知装置)搭載のブイなどだ。

 この取り組みには世界中が注目しており、とりわけ、フランス領のレユニオン島など、観光が主な産業の場所が関心を寄せている。レユニオン島では近年、7人がサメに襲われて死亡しており、地元経済は大きな打撃を受けている。

 サメは長い間、乱獲やサメ狩りの脅威にさらされてきた。ふかひれスープに使用されるヨゴレザメなどの一部のサメは、2010年までに生息数が激減したため、5つの主要な国際的漁業団体が船舶による捕獲を禁じている。世界のサメとエイの4分の1は、絶滅の危機に直面している。

 しかし豪州や米国などでの保護措置により、人間の頻繁に泳ぐ沿岸でサメの生息数が急速に回復していると専門家は指摘する。このため、人気のある一部の海岸で、サメとの遭遇が発生している。

 海洋生物学者のコリン・シンフェドーファー氏は、「ある意味、これは環境改善に成功したことの意図せぬ結果だ」と述べ、「これらの種のサメが人間を襲うような場所では、大きな社会的問題になっている。市民が海に入るときの安全に政府が責任を持つべきか否かといった議論が起きている」と付け加えた。

 サメによる襲撃の記録は断片的で一貫性がない上、襲撃のリスクに対する人々の反応は不釣り合いなほどに大きい。サメによる襲撃は過去5年間おおむね増加していたが、昨年は減少した。だが、異例とも言える一連の襲撃が発生したため、大きな注目を集めた。

 2015年6月には、米ノースカロライナ州で数週間のうちに7人がサメの襲撃に遭った。15年は世界のサメによる襲撃件数が過去最高に達したが、16年は81件に減った。豪州では15~16年にサメの襲撃(挑発を原因としない襲撃)が39件発生し、うち3件で死者が出た。

 これを受け、豪州当局は今夏、試験的なサメ管理対策の規模を拡大した(ただ現在は縮小しつつある)。沿岸地域でヘリコプターやドローンを約9.6万キロメートル飛ばし、500匹を超えるサメを探知した。うち31匹はホホジロザメだった。スティーブン・スピルバーグ監督の1975年の映画「ジョーズ」のモデルとして知られるサメだ。

 豪政府は、電気式および磁気式のサメよけ装置が機能するかを調べる研究者に助成金を出している。一方で、タグ(印)を付けたサメにカメラを装着し、サメのパターンや動きへの理解を深めようとしている研究者もいる。いわゆる「クレバー・ブイ」はソナーと顔認識ソフトを使ってサメを探知し、ビーチの安全を守る当局者にメッセージを伝える。

レノックスヘッドの海岸では、海洋生物にやさしいとされる「アクエリアス・バリア」の試験を当局が行った。これは丈夫な船舶用ロープとナイロン製の圧縮材を組み合わせたもので、イルカ、クジラ、カメやエイなどの海洋生物がひっかかって死ぬのを防ぐ。従来のサメ用の網だとそうした生物がひっかかって死ぬことがあった。

 このバリアは論争を呼んでいる。サメをただ殺せば良いと主張する人がいるほか、荒波で張るのに失敗すると、コンクリートの固定装置が波間に浮かぶ状態になりかねないからだ。

 この網の設計者であるエドワード・コーリー氏は、「設置が98%終わり、最後の壁を取り付けようとしたところで、損傷があるのを見つけた。心が折れた」と話していた。同氏は1日を費やして、網を海岸まで巻き取った。

 対策としては、昨年12月に海岸沿いに設置した「スマート・ドラムライン」の方がうまくいっている。この装置はプラスチックの浮きから餌の付いた大きな釣り針を垂らすもの。浮きは海底にいかりを下ろして固定する。従来の網がサメやその他の海洋生物を殺してしまいかねないのと違い、この装置はサメを捕獲し、当局に知らせるよう設計されている。当局はサメにタグを付け、人間から遠い場所に放す。当局は12月以降、ホホジロザメ14匹、イタチザメ2匹、シロワニ2匹を全て生きたまま捕獲した。

 この対策の責任者を務めるニューサウスウェールズ州のニール・ブレア第一次産業相は、「技術を使って違ったやり方ができるか、より良いやり方ができるかを確かめたかった」と話している。
By RACHEL PANNETT

再生核研究所声明1742014.8.7) 狼の輸入によって、生態系の維持を図れ

添付資料にも有るように、日本の森林が鹿の増大などで荒廃しているという。これは、人類生存の基本的な原理である生態系の維持の観点から、何万年と続いてきた生態系に人類が不遜にも過剰に自然に介入して、生態系のバランスを崩してきていると判断される。 誠に由々しき軽薄な行為として、反省させられる。生態系の全体的な維持、自然の尊重は心すべき、人間の在りようであると考える。
あらゆる生物は未だ、人知を超えた神秘的な存在であり、その未知の世界に対しては、畏敬の念をもって当たり、人類は慎ましい存在であるべきである。 人類は驕るべきではなく、自然状態の尊重を基本に当たるべきである。
山には、山の何万年も続いた秩序があり、数百年の人類の生活で、その計り知れない秩序の破壊は どのように大きな未知の影響をもたらすか、評価さえ難しいだろう。そこで、元の自然の状態への回帰は、賢明な在りようであると考える。狼は森の守り神のような存在で、狼の存在によって人間は森に対して、ある種の畏敬の念を抱いてきたのではないだろうか。人間の不遜な態度を戒めるためにも、狼の森への回帰は賢明な在りようではないだろうか。
困ったら、元に、困ったところに戻れ は 数学の研究の基本的な在りようであるが、困ったときには、自然の状態はどのようで有ったか と考えるのは、良い在りようではないだろうか。
人類が地球の生態系の中で、癌細胞のような存在になって、肥大化して、生態系と自然の破壊とと共に自滅したとならないように心したい。地球は人類だけのものではないことを 念を押して置きたい。次も参照:

再生核研究所声明 56(2011.04.06): アースデイ の理念

関係者の積極的な取り組みを提案したい。

以 上

参考資料:
シカ激増で止まぬ森林荒廃 生態系守護にオオカミの出番だ
2014.7.23 07:43 (1/4ページ)

『オオカミが日本を救う!』(白水社)の表紙。「生態系での役割と復活の必要性」が副題だ
明治以降、日本の森林はこの20年来、5度目の危機にあるという。シカの過剰増殖による植生の食害で森林の荒廃が止まらないのだ。土壌浸食や表土流出が起きている地域もある。平成26年版の環境白書では「生物多様性のみならず国土保全上の懸念も生じています」と警鐘を鳴らしているほどだ。シカ害だけでなくイノシシやサルも中山間地で深刻な農業被害を発生させている。
野生の反乱までを伴う「平成の森林危機」は、どうしてかくも深刻なものになったのか。
「食物連鎖には頂点捕食者が不可欠であるにもかかわらず、その常識を欠いたことによる帰結です」と東京農工大学名誉教授の丸山直樹さんは語る。
この頂点捕食者とは、オオカミだ。丸山さんは2月に白水社から出版された『オオカミが日本を救う!』の編著者である。有史前から日本に生息していたオオカミは、明治時代の野生動物の乱獲とオオカミ駆除政策によって絶滅した。その後は、人間による狩猟圧が頂点捕食者の役割を代替していたのだが、近年の農山村の過疎化や高齢化によって狩猟者の数が減ったことなどで個体数調整の機能が消えてしまった。http://sankei.jp.msn.com/science/news/140723/scn14072307430001-n1.htm

シカは消化力の強い反芻(はんすう)胃を持っている。群れを作って樹皮まで食べて木を枯らし、森林全体を衰退させる。他の鳥獣や昆虫類の生息の場までを根こそぎ奪うので、生態系の破壊力が大きいのだ。イノシシやサルもクマも農業被害をもたらすが、森林生態系の破壊にまでは至らない。ニホンジカの増え方は、すごい。平成2(1990)年ごろ50万頭だったが、現在は260万頭にまで増えていて、37(2025)年には、その2倍の500万頭になると推定されている。防護の柵やネットを張り巡らしても防ぎきれない。丸山さんによると、その対策の切り札はオオカミだ。オオカミの天敵効果以上に有効な手段はないという。
米国では駆除で絶滅していたイエローストーン国立公園に1996年ごろ、カナダからオオカミを再導入したところ、増えすぎていたエルクジカなどの草食動物の数が減り、他の動植物の回復が確認されている。オオカミ効果は、捕食だけでなくストレスによるシカの繁殖率低下にもつながるようだ。オオカミの再導入は、公園での絶滅から70年後のことで、貴重な先行実験例。丸山さんは1997年以来、定期的に同地を訪れ、7月中旬に5回目の調査から戻ったところだ。http://sankei.jp.msn.com/science/news/140723/scn14072307430001-n2.htm


再生核研究所声明 21 (2009/01/04): 人口問題についての考察

再生核研究所は より良い社会を作るためには 政治が重要であるとの考えから、時の政治について評価、批評 あるいは あるべき姿を提言、表明してきた。また絶対的な世界の平和のために 具体的な在り様についても提案してきた(声明10)。そして、より良い社会の実現のためには 公正の原則 に基づくべきである(声明1)と述べてきた。また、地球の有限性に対する人類の自覚(声明13)をも促してきた。
しかしながら 世に混乱が増大する大きな要因として、地球の人口の急激な増加を考えなければならない。既に人類が良い社会生活を営む為には、エネルギー、食糧、自然環境などの基本的な条件から判断しても、人口が多すぎる時代を迎えていることを, 冷静に受けとめる必要がある。もし、人口問題、特に人口の抑制にうまく対応できなければ、何れ万人の万人に対する戦いが始まり、公正の原則で社会は動かず、結果として人類絶滅の主因に成りかねないと考える。よって人口抑制の視点が無ければ、如何なる思想といえども いずれ行き詰まるものと考えます。ゆえに、世界の在り様の基本として、人口抑制の視点を強める事を提案します。
この難しい問題の基本を、あらゆる生物の繁茂と衰退から学ぶべきであると考えます。生物の本能原理を超えて、人口を抑制する原理は、声明19-超越への道、悟りへの道 に求めることができると考えます。人間はただ本能的に 人口、子孫を増加すれば良いという考えを改め、負の人生もあり得る と考えて、自ら人口の抑制を図る必要があると考えます。生まれてくる子供には何の罪もないのであるから、子供達が人生を肯定できるような人生を歩ませる展望が無ければ、親は無責任に子供をもうけるべきではない、という見解が出てくると考えられますが、如何でしょうか。あらゆる宗教は このような見解をとって来なかったと理解していますが、如何でしょうか。主な宗教は、地球の有限性が露になる以前に生まれたという事実を 重く受け止める必要があると考えます。再生核研究所は 生命、文化、社会の再生を目指している研究所です。然るに それらの目的の為には、人口の抑制が必要であると述べているのです。 これらの見解と具体的な対応、提案については、当分世の意見を伺いたいと考えます。
この問題を国家レベルで見れば、日本国のように、急激な人口減に陥り、国家や社会が人口減を食い止めようとする政策をとっている国々があるが、これは当然の政策として理解できるものである。しかしながら他方、人口の増加によって、国が上手く行かない状況に陥っている国々もある。これを無批判、無条件に援助によって、結果的に人口を増加させている状況があるとすれば、それは はなはだ問題であると考える。人口問題は各国家で責任をもって進め、他国に援助や影響を与えてはならないという事(縄張りを侵さないということ)は、あらゆる生物を支配している原理であると考える。もしこれを曖昧にすれば、国際紛争は避けられず、何れ万人の万人に対する戦いが始まり、公正の原則で社会は動かず、結果として人類絶滅の大きな要因に成りかねないと考える。また、日本国で考えられているように、多くの失業者を自国に抱えながら、単に経済な効率の視点から 安い労働者を海外から招こうしているが、これは国家とは何か、民族とは何かという視点、個性ある国家と文化の視点ばかりではなく、世界の人口の抑制の観点からも はなはだ問題であると考えます。

世界の人口 70億人を突破          

以上

キリスト教の教えは、イルカやクジラを食べたり捕まえたりすることは
良くないということになっているのでしょうか?
また、信者の方はこのことに関して嫌悪感を抱くものなのでしょうか?https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1231087382
 
キリスト教徒です。

食べる件ですが、聖書には、次のように書かれています。

「すべて水の中にいるもので、ひれと、うろこのあるものは、これを食べることができる。」(レビ記10章9節)

イルカとクジラは、ひれを持っているように見えます(ひれでなかったらごめんなさい)が、うろこはないと思います。(ただ、うなぎのように、一見うろこがないように見えても、顕微鏡でみるとうろこがある種類もあるようなので、なんとも言えませんが・・・。)私は、イルカとクジラがひれとうろこを持っているという確証がない限りは、もし食する機会があっても食べないと思います。

次に、捕まえたりする件ですが、特に聖書に捕まえてはいけないという記述はないので、良い悪いはキリスト教であるなしに関わらず、個人の考え次第だと思います。捕まえるのはかわいそうと思う人、研究目的なら仕方ないと思う人、水族館でみんなに公開するためならOKと思う人、自由に捕まえていいと思う人などなど。



(補足に対する回答)

上記の「レビ記10章」のところを、もう少し書きます。

「水の中にいるすべてのもののうち、あなたがたの食べることができるものは次のとおりである。すなわち、海でも、川でも、水の中にいるものでひれとうろこのあるものは、これを食べることができる。すべて水に群がるもの、またすべての水の中にいる生き物のうち、すなわち、すべて海、また川にいて、ひれとうろこのないものは、あなたが忌むべきものである。これらはあなたがたに忌むべきものであるから、あなたがたはその肉を食べてはならない。」
(レビ記10章9~11節)

ゆえに、聖書によればアサリやハマグリは食べてはいけないと書かれています。
ただ、イエスキリストが十字架にかかって亡くなった時に、全世界の罪を背負ったとされていますが、その時に「忌むべきもの」も罪がとれた(清められた)ので、その時以降、何を食べても差し支えないという考えもあるようです。

また、イルカやクジラ同様に、アサリやハマグリを捕まえることの良し悪しについての記述は聖書にはないと思います。https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1231087382
 

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