2017年3月16日木曜日

非行・犯罪歴のある人を採用したい企業を募集 窃盗歴のある男性、企業からは「即戦力」と高評価

非行・犯罪歴のある人を採用したい企業を募集 窃盗歴のある男性、企業からは「即戦力」と高評価

同社は2015年に設立。非行や犯罪歴のある人を対象にした人材育成事業などを行っている。企業サイトによると、近年、犯罪の認知件数は減少し続けているものの、全体の検挙人員に対して「再犯者」の割合が上昇しており、問題視されているという。

「好奇心が高く、思ったことを即、行動に移せる実行力と根性があります」

企業サイトより(スクリーンショット)
その上で、無職者の再犯率は有職者の約5倍にものぼるという結果を挙げ、
「お金も身寄りもない彼らが、自立の必要性があるにもかかわらず、社会的差別によって定職に就けず、(再び)犯罪に手を染めてしまう人も少なくない」
と記している。
同社は、昨年10月から非行や犯罪歴のある人の雇用を希望する会社の採用活動支援を行ってきた。まず企業と面談を行ってニーズを把握し、その上で求職者を選定。過去の事件を含む求職者の背景を理解するため時間をかけて面談を行い、資質を見極めた上で企業との面接を調整する、というサービスだ。
犯罪歴のある求職者と企業を繋ぐことで再犯の防止にもつながるだけでなく、企業の採用広告費や工数の削減にもなる、としている。また、同社は非行・犯罪歴のある人たちの強みを以下のように説明している。
・エネルギー…好奇心が高く、思ったことを即、行動に移せる実行力と根性があります。
・覚悟…「絶対にやり直す」という覚悟。人一倍、感謝と恩義を感じる心があります。
・経験値…経験値が圧倒的に高く、共感力と観察力があり、面倒見のいい方が多いです。
代表取締役の三宅晶子さん自身、中学時代から非行を繰り返し、高校を中退している。しかし父親からデカルトの『方法序説』をもらったのがきっかけで、23歳のときに早稲田大学に入学。大手企業で10年勤めて退社したあと、ある施設で自身と似た境遇の女の子と出会う。この出会いからこの会社を設立することになったという。現在、11の企業と協力し、現在3人が就労・内定している。

協力企業「むしろ、そういう人のほうが根性ある」

専務取締役の金井駿さんによると、協力企業は、建設・不動産・飲食などが多いという。
「かつてヤンチャをしていた経営者もいて『むしろ、そういう人のほうが根性ある』と手を挙げてくれました」
窃盗で起訴猶予処分を受けた男性(41)は、身元引受人もお金もなく、すぐにでも働く場所が必要だった。更生保護施設から連絡を受け、ある建設業に紹介。2日後には働き始めたという。経験者ということもあり、企業からは「即戦力だった」と評価を受け、試用期間2か月のところ1か月で本採用となったという。
また、少年院を仮退院中の男性(21)は不動産投資会社に就職が決まった。本人の地頭もよく、これから変わろうという覚悟が見えたと評価されての採用だった。4月から営業として新たなスタートを切る。
昨年9月に刑務所を出所した男性(42)は、現在同社で働いている。金井さんは「入社から3か月、貴重な戦力であり、仲間です」と話す。
同社は今後、事業を拡大するに当たって、IT業界などの成長市場の企業や大手企業にもアプローチをかけていく予定だという。
非行・犯罪歴のある人を採用するのは企業としては不安に思うかもしれない。「お前はダメな人間だ」と言われ続けてきた経験から、自己受容感が低い、嘘をつく、人間関係が苦手、頭に血が上りやすいなどの傾向もみられる。仕事をする中での学びと成長が必要不可欠だ。しかし三宅代表は、同社のサイトに掲載されているプレゼン動画の中で、
「絶対に、御社の役に立つことをします。彼らには『絶対にやり直す』という覚悟がありますから」
と語っていた。


再生核研究所声明 1152013.4.26: 
枯れ木も山の賑わい ― 現状と存在に理由あり  

(2013.4.19.08:30  8時、宿舎を出る前に 新しい声明の題材が閃く, quatanion analysis を論じて興奮していた翌朝)
(枯れ木も山の賑わい: つまらないものでも、無いよりはましであるということ。また、役に立たない者でも、いないよりはいたほうがましだということのたとえ。)

この声明は一見何にもならない、無駄なようなものでも、意外に存在価値があるなどの所見を表現しょうとするものである。極論をすれば、何でも存在するものは それなりに価値が有るということ、存在する現状は それなりの原因が有って存在するということである。 現状を肯定、 まずは尊重すべきものではないだろうか。
悪も、不正義も、暗闇も それなりの理由が有って、存在しているということである。― ボストン・マラソンにおいて 卑劣なテロ事件が起きて、罪なき人を 無差別に巻き込むなど 理解できないのが 世の常識であろうから、その動機と真相、経過を徹底的に調べるべきである。― ここで、オバマ大統領が ビンラディン氏を裁判もかけずに しかも家族の前で公然と虐殺した事件を想い出し、家族の心情は 如何なるものであったかと 想いを巡らすのは当然である ― 公正の原則(再生核研究所声明1: 良い社会を作るには)(再生核研究所声明 61:ビンラディン氏殺害 ― アメリカの名誉と大義を傷つけた オバマ大統領)。
声明
再生核研究所声明 71:  菅 暗黒政権 を総括する
で、菅元首相の 貢献ある盟友 と 党の公約に対する 明確な背信行為を批判して来たが、それとて、菅氏にとってみれば、苦労の末、とうとう首相になれた 何とか権力を維持したい、また、首相になったら、国の状況はとてもやっていける状況ではなかったなどと、それなりの理由が有るのは当然である。しかし、菅氏と野田氏の上記背信行為が 嫌な感情を国民に与えてしまい、どのように弁明しても もはや信頼回復は 難しいのではないだろうか。 実際には そんなには悪意のあるものでは ないのではないだろうか。 残念である。世の中とはそのようなものではないだろうか。明智光秀にも、吉良上野介にも相手の身になれば、それなりのやもう得ない事情が有ったのではないだろうか。
組織には いわば、組織の落ちこぼれ組に属するような人がいるものである。ところがそのような人が 組織にいろいろ重要な役割をしているのは 世に多い。逆に、一様な組織こそ、偏り、変な方向に気づかずに走っている場合が世に多い。 このようなことは、多様性の重視、広い視点と幅を持たせることの重要性を示していると言えるだろう。
ニートなどと批判する世相、弱い者、貧しい者、悪者を厭う気持ちが世に有ると考えられるが、 逆にそれらの存在が人間社会を偉大な存在にして、いろいろな役割を果たしていることを積極的に発見して行きたい。優秀な人たち、美しい人たちだけでは社会は構成できず、 多様な人が居て、良い社会ができるのではないだろうか。全体的なバランスが 大事ではないだろうか。
いわば、負の部分にも価値を見つけ出し、大きな視野を持って、寛容な社会を志向したい。 白、黒ではなく、敵、味方ではなく、相手にもそれなりの立場があるという、広い見方である。
人生についても言える。 大事な時に、重病を患い、入院生活をやむなくされたが、それが反って、違った視点を与え 幅を持たせ、人生や、専門、仕事の上でも大いに良い影響を与えたことは 良く見られる現象である。ポルトガルでは 同性婚が法律で認められているが、これは出来るだけ、自由を尊重し、多様な在り様、世界を志向しようという意味で、その精神を高く評価したい。 独断と偏見で 単細胞的思考(再生核研究所声明 69:単細胞人間 ― 単細胞的思考)に陥らないように注意したい、

以 上

再生核研究所声明287(2016.02.12) 
神秘的なゼロ除算の歴史―数学界で見捨てられていたゼロ除算

(最近 相当 ゼロ除算について幅広く歴史、状況について調べている。)
ゼロ除算とは ゼロで割ることを考えることである。ゼロがインドで628年に記録され、現代数学の四則演算ができていたが、そのとき、既にゼロで割ることか考えられていた。しかしながら、その後1300年を超えてずっと我々の研究成果以外解決には至っていないと言える。実に面白いのは、628年の時に、ゼロ除算は正解と判断される結果1/0=0が期待されていたということである。さらに、詳しく歴史を調べているC.B. Boyer氏の視点では、ゼロ除算を最初に考えたのはアリストテレスであると判断され、アリストテレスは ゼロ除算は不可能であると判断していたという。― 真空で比を考えること、ゼロで割ることはできない。アリストテレスの世界観は 2000年を超えて現代にも及び、我々の得たゼロ除算はアリストテレスの 世界は連続である に反しているので受け入れられないと 複数の数学者が言明されたり、情感でゼロ除算は受け入れられないという人は結構多い。
数学界では,オイラーが積極的に1/0 は無限であるという論文を書き、その誤りを論じた論文がある。アーベルも記号として、それを無限と表し、リーマンもその流れで無限遠点の概念を持ち、リーマン球面を考えている。これらの思想は現代でも踏襲され、超古典アルフォースの複素解析の本にもしっかりと受け継がれている。現代数学の世界の常識である。これらが畏れ多い天才たちの足跡である。こうなると、ゼロ除算は数学的に確定し、何びとと雖も疑うことのない、数学的真実であると考えるのは至極当然である。― ゼロ除算はそのような重い歴史で、数学界では見捨てられていた問題であると言える。
しかしながら、現在に至るも ゼロ除算は広い世界で話題になっている。 まず、顕著な研究者たちの議論を紹介したい:

論理、計算機科学、代数的な体の構造の問題(J. A. Bergstra, Y. Hirshfeld and J. V. Tucker)、
特殊相対性の理論とゼロ除算の関係(J. P. Barukcic and I. Barukcic)、
計算器がゼロ除算に会うと実害が起きることから、ゼロ除算回避の視点から、ゼロ除算の研究(T. S. Reis and James A.D.W. Anderson)。
またフランスでも、奇怪な抽象的な世界を建設している人たちがいるが、個人レベルでもいろいろ奇怪な議論をしている人があとを立たない。また、数学界の難問リーマン予想に関係しているという。

直接議論を行っているところであるが、ゼロ除算で大きな広い話題は 特殊相対性理論、一般相対性理論の関係である。実際、物理とゼロ除算の関係はアリストテレス以来、ニュートン、アインシュタインの中心的な課題で、それはアインシュタインの次の意味深長な言葉で表現される:

Albert Einstein:
Blackholes are where God divided by zero.
I don’t believe in mathematics.
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:
1.    Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.

数学では不可能である、あるいは無限遠点と確定していた数学、それでも話題が尽きなかったゼロ除算、それが予想外の偶然性から、思いがけない結果、ゼロ除算は一般化された除算,分数の意味で、何時でも唯一つに定まり、解は何時でもゼロであるという、美しい結果が発見された。いろいろ具体的な例を上げて、我々の世界に直接関係する数学で、結果は確定的であるとして、世界の公認を要請している:
再生核研究所声明280(2016.01.29)  ゼロ除算の公認、認知を求める
Announcement 282: The Division by Zero $z/0=0$ on the Second Birthday

数学基礎学力研究会のホームページ

以 上


何故ゼロ除算が不可能であったか理由

1 割り算を掛け算の逆と考えた事
2 極限で考えようとした事
3 教科書やあらゆる文献が、不可能であると書いてあるので、みんなそう思った。

Matrices and Division by Zero z/0 = 0

再生核研究所声明35(2010/04/23): 社会と個人の在りよう―細胞の役割
               
声明 33:民主主義と衆愚政治 の中で、民主主義

( : 諸個人の意思の集合をもって物事を決める意思決定の原則・政治体制 ― 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 )

の在りよう、 特に一般選挙で代表者を選出する方法、及び多数決で決定する方法 について考察し、民主主義の問題点を考察した。 そこで、(1)まず、代表者の選出過程、重要事項の決定過程に 多くの労力を有し、時間と手間がかかること。(2)投票者が 代表者の行使する行動について、良く理解できず、適切な代表者の選出ができず、いわば考えている代表者とあべこべの代表者を選出する可能性が高いこと。(3) また、代表者の本来の要務以外の能力で、たとえば感じがいいから等で、代表者を選出しがちであること。(4)また、候補者に名演説などで いわば騙されてしまうこと。(5)何でも多数をそろえて、政治その他を推し進めようとなりがちなこと。(6)会議で、多数決で議事を決定する際、投票者が議事に対する理解と公正な判断能力を有しないために言わば数の結果で悪い決定がなされる。(7)さらに、難しい問題を多数の人が理解できるか、判断できるかという観点。 難しい問題を素人の多くの人に判断を求めるのは 逆に無責任で、危険であるということ。

として、次の時代には、より進んだ政治体制が考えられなければならないが、当分は適切に適用できる方法が現実的に見当たらないから、現状の体制を維持するとして、民主主義の弊害を少なくするために、運用の在りようについて:

1)代表者の選挙については、 選挙の広報をきちんと行うのは当然であるが、 投票しない権利を明確に認め、いわゆる投票率を上げるような行動は慎むこと。 これは投票に興味と関心を有する人に参加して頂き、興味や関心を持たない人に無理に投票して頂くのは 無責任につながりかねないからである。特に政治や社会に関心のない人への勧誘による投票は慎むべきである。投票の案内は当然であるが、投票しましょうという勧誘は良くないと考える。これは、いわば真面目な投票人による選挙を意図していて、いわば無責任な人の投票を排除しようとする意図があることを肯定するものである。
2)代表者の身分が民主主義ゆえに不安定では 責任ある政治を行うことができないから、在任中は特に厚く身分を保証して 本務に専念できるように配慮すること。
3)代表者は 広い視点に立って、自分の立場より、公の立場を優先させて考え、評価については 近視眼的ではなくて、歴史的な評価を大事にすること。
4)代表者の投票者(有権者)は 日ごろ研鑽を行い、投票に責任が負えるように努力すること。
5)特に 代表者の選出過程や代表者の立場が、マスコミの影響を受け易いのが、民主主義の特徴であるから、マスコミ関係者は 高い見識を持つように 特に努力して 報道の5原則にいつも留意すること。

とした。そして、民主主義は何時でも衆愚政治 に陥り易いので、 衆愚政治に落ち入らないように努力して  より良い政治の下で良い社会を築いて行こうと呼びかけている。
上記考察のうちで、政党政治の形をとるのが 民主主義の必然的な形態と考えられるが、政党政治は本来もつべき国家や社会についての大きな視点から、 往々にして、政党間の競争、あるいは無用の権力闘争に陥り易い弊害があることも指摘されなければならない。 本来考えるべき国家や社会の問題をないがしろにして、権力闘争に明け暮れるさまは 戦国時代と何ら本質的に変わらない形相と云える。 いわゆる派閥や仲間を作り、公の立場よりも、そのような派の利害を優先した行動がとられ、民主主義が空洞化してしまうのはよく見られる現象である。 また、公人を選出するのに 自己の利益や自己の所属する集団の利益の観点から、代表者を選出しようとするのは、本質的な間違いであるのに 多くの人はそれすら克服できない恥ずかしい状況にあると言える (衆愚政治とは、有権者の大半が知的訓練を受けずに参政権を得ている状況で、その愚かさゆえに互いに譲り合い(互譲)や合意形成ができず、政策が停滞してしまったり、愚かな合意が得られたりする状況をさす。 また有権者がおのおののエゴイズムを追求して意思決定する政治状況を指す。 出典フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』。)  さらに、各個人の属する社会の中での 自己の立ち場に対する配慮 (保身) から、あるいは無気力や自分の専門や仕事に 埋没した多くの人が、自己の意見を表明せず、民主的な多数の意思が、実際には多数の意思を反映せず、一部の強い意見がまかり通ることが結構多いと危惧される (アビリーンのパラドックス)。  バブル崩壊後の新しい特徴として、社会の厳しさが、生活や生きていくことの困難性を生じせしめ、社会や国家について深く想いをめぐらす余裕を失ない、 国家や社会についての理解や論調が 軽薄になっているとみられる。

そこで、国家と個人は、社会と個人は 如何にあるべきかについて、 2010年4月18日 朝、
人体と細胞のように在るべきである
という考えを抱いた。 国家や社会は人体のように全体として、統一のとれた主体的な存在であるが、個人は細胞のようにそれぞれの役割をもって、国家や社会に調和する存在であるべきであるという考え方である。 個々の意思は中枢に反映され、中枢の指示は個々に反映される。 それは細胞のなす、おのおのの器官を通して 全体に調和する形でなされなければならない。 この理念を社会に活かすには、人はそれぞれに希望する形で社会に参加して、1)項のように 強制的でなく、 自発的、自由な意思での参加方式をとるのがよいと考える。
これは社会が複雑になり、人びとの関心と興味が多様になり、一律全体が との形が 逆に大きな弊害をもたらす事実をさけて、 いろいろな役割によって全体に参加することにしようと提案しているものである。 中枢の個々への指示は明瞭であるが、個々の中枢への意思の表示については尚検討の余地があるが、現状の在りようで基本的にはよいと考える。 この声明の趣旨は 人体と細胞のように国家と個人は、社会と個人は有機体の存在として、 調和ある存在 になろう ということにある。実際、一個の人間の存在は 細胞が生体の中で有機的な存在であるように、本来社会の中で有機的な存在ではないだろうか。生体が病んでしまったら、個々の細胞の存在はどのようになるかに 想いを致したい。 
実際、人類の生存は、如何なるものをも超えた存在である(最も大事なこと:声明13)。
以 上

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