ノーベル賞と基礎研究
今年のノーベル医学生理学賞に選ばれた大隅良典・東京工業大栄誉教授(71)の授賞式が10日、開かれる。自然科学分野で日本の存在感が増しているなか、基礎研究は苦境にあるとの懸念が科学界に広まっている。国の予算が年々縮小しているのも一因だ。将来、日本人受賞者が出なくなるとの悲観論も。基礎研究の重要性と社会のあり方を、基礎研究分野に取り組み、ノーベル賞に輝いた3氏と考える。
白川英樹氏
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科学者は子供に魅力紹介を 白川英樹・筑波大名誉教授
ノーベル賞のメダルの図柄をご存じだろうか。物理学賞と化学賞は共通で、薄いベールをまとった自然の女神が雲の上に立ち、科学の女神がベールを持ち上げている。つまり、科学はたくさんある未知の自然現象を解き明かす行為ということだ。知的な好奇心の表れで、本来、役に立つとか立たないとかいう次元の話ではない。
基礎科学は人類共通の知的財産だからこそ、それを支えるべきは国の予算だ。私が筑波大教授のころ、大学を通して国から割り当てられた教授1人の研究費は、年200万~300万円あった。毎年確実に入ってくると約束されたお金だ。現在では「効率化」の下で大幅に減らされている。それでは科学界が疲弊し、世界を席巻する成果が生まれるとは思えない。
今年2月、興味深い論文が発表された。コロニー(集団)の中に必ず2~3割は働かないアリがおり、他のアリが疲れて動けなくなった時、代わりに働いて集団の長期存続に貢献するという内容だ。これは研究者の世界にも当てはまるだろう。ただ、数年間で成果を出せない研究者を予算削減によって排除し続ければ、長い目で見れば科学者集団の弱体化につながり、良い研究が減るという状況を招くと言える。
私は、2001年に総合科学技術会議(現総合科学技術・イノベーション会議)の有識者議員になった。当時は04年度の国立大の法人化直前で、そうなっても国が交付する研究費は減らさないように主張したが、逆方向に向かっていることは残念だ。それは何にも拘束されないお金だからこそ、自由な発想が生まれる。じっくり腰を据え、興味に従って基礎分野を深く研究する環境は、成果主義にはなじまない。
確かに、国が主張するように、何の役に立つのか分からない研究にお金を出すことは、納税者に説明がつきにくいという考え方もあろう。これは研究者も自戒しなければならない。本来は、いかに基礎科学がおもしろく、重要なことかということを科学者が市民に説明すべきだ。それを怠った結果、市民と科学者の感覚の隔たりが大きくなり、役に立たなければ無駄だという発想につながってしまったのではないだろうか。
そこで、基礎科学への理解を広げるため、科学者が中高生らに積極的に自らの研究内容を紹介し、時には実験してもらうなどの活動が有効だ。日本学術振興会も十数年前に活動を始めている。子供が魅力を感じることで科学の裾野も広がり、納税者である親も将来への有効な投資だと気づくことになるだろう。
今年のノーベル医学生理学賞に決まった大隅良典・東京工業大栄誉教授が指摘しているように「3年連続でノーベル賞が出ていることに浮かれている場合ではない」という指摘に同感する。大隅氏らノーベル賞受賞者の業績の多くは20年、30年前にさかのぼる成果だ。果たして今、20~30年後のノーベル賞につながる芽を発見できる研究環境があると言えるのか。社会全体として真剣に考える時が来ていると思う。【聞き手・渡辺諒】
梶田隆章氏
人材失われる予算減に限界 梶田隆章・東京大宇宙線研究所長
現場にいて強く感じるのは、(2004年度の)国立大学の法人化以降、(文部科学省が各国立大に出し、基礎研究を支えてきた)運営費交付金が毎年減り、呼応するように研究者マインドがしぼんでいることだ。人が減っているためか業務量が増え、研究をする上で本来不可欠なはずの「余裕」もない。例えば、宇宙線研究所でセミナーを開いても、自分の研究に直結しなければ参加しない者を見かける。それでは将来の研究の芽を自ら摘んでいるようで、とても好ましくないと懸念している。
多くの国立大では、運営費交付金が減って人件費が工面できなくても学問分野は減らせないので、教授を残して助教を減らしてきた。こうして若手ポストが急激に減ったという構造的な問題も生じている。近年は「クロスアポイントメント」と言って、教授が理化学研究所など外部の研究者を兼務し、その分大学が出す人件費を抑制する取り組みが行われている。その浮いたお金で助教を雇う。少しでも若手を確保しようと工夫し、何とかやりくりしている。
地方の国立大ではこのようにできない所もあり、人材の確保に苦労しているという話をよく聞く。地方の大学の疲弊を見ると、研究の裾野が急激に失われているという危機感ばかりが募る。学問的に、一部の大学が生き残ればよいということはない。日本の大学システム全体が機能し続けないと、レベルの高い成果を出し続けることは不可能だ。
ノーベル賞受賞などを機に、中高生に基礎科学研究の重要性や、受賞対象でその一つでもある「ニュートリノ振動」について話す機会があるが、最近は驚かされることが増えた。それは「何の役に立つのですか」という質問が多いことだ。中高生にはもっと純粋でいてほしいが、世の中がそういった方向に向いていて、子供にまで同様のマインドが定着していることに衝撃を受ける。私は「ニュートリノ振動は役に立ちません。でも人類共通の知の創造として重要だからやっている。そんな活動があってもいい」と訴え、分かってもらうように努力している。
日本はきちんと高等教育を受けた人を社会に輩出しづらい点も指摘したい。国際的には、企業や省庁で決定する立場にある人の多くは博士号を持っている。日本では、博士課程に進むと「(就職先がなく)将来が不安」と多くの学生が話すように、博士号を持った人が活躍しにくい。加えて、大学院生に対する経済的なサポートも貧弱だ。限られた大学の大学院を支援するようなプログラムはあるが、それを院生が享受するとしても期間が7年程度のプログラムのため、学生が在籍する5年間がフルに入るかは運次第だ。
世界やアジアの中で、東大の学問レベルのランキングが落ちてきている話を耳にすることがあると思う。アジア諸国が近年、高等教育や科学技術研究の重要性を認識し、多額の公的資金を出すようになっているためだと考えられる。一方で日本は正反対。「予算は減らすけれども頑張れ」と言われることに限界が来ている。【聞き手・渡辺諒、写真も】
益川敏英氏
成果を狙ってばかりでは… 益川敏英・京都産業大教授
基礎研究というのは、川で言えば上流部分に当たる。東北地方においしいカキが取れる湾があったが、ある時から取れなくなった。調べてみると、上流で開発が行われて森林が荒れ、十分な栄養が流れて来なくなったことが原因だった。科学も同じで、上流の基礎研究を枯らしてしまうと、いい成果が下流部分で出てこなくなる。
日本では基礎研究よりも、すぐに成果が出る実学的なものを重視する傾向が強まっている。もちろん、基礎研究を無視しているとまでは言えない。僕と一緒にノーベル賞を受賞した小林誠君(名古屋大特別教授)がいる「高エネルギー加速器研究機構」(茨城県つくば市)には、毎年かなりの予算が投じられている。ただ、湯川秀樹先生や、僕の師匠の坂田昌一先生(元名古屋大教授)といった素粒子物理の分野を世界的にリードしてきた先人の努力、長年の蓄積があってこそという面も否定できない。実績のない分野の基礎研究が置かれている環境は厳しい。
背景には、研究資金の配分方法の変化がある。研究者が自由に使える研究費は減り、公募で選ばれたプロジェクトに配分する競争的資金の比重が高まった。予算を申請する段階で成果の見通しを説明するよう求められ、定期的に進捗(しんちょく)状況を報告しなくちゃいけない。この仕組みでは、確実に成果が期待でき、社会へのアピールにもつながる研究が予算を獲得しやすい。しばらく論文を書かず、新しいものに挑戦していくような基礎研究は細っていく。
初等教育や中等教育にも問題がある。日本社会は教育熱心と言われるが、正確には、教育結果に対して熱心なのだと思う。目の前の試験や入試を重視するあまり、高得点を取るテクニックばかりが発達し、研究者の素養として重要な深く考える力が育ちにくい。
例えば、こんな話がある。水が半分入ったコップを傾けた時、水面がどうなるかという問題を小中学生と高校生に解かせた場合、正解率は高校生が最も低かったという。少し考えれば答えは分かるはずなのに、受験テクニックとして、「見たことのない問題は飛ばして次に移れ」と教わっているから、多くの高校生がその言いつけを守って手をつけなかった。逆説的なことに、日本では長く教育を受けた者ほど考えなくなるのだ。
研究というのは、自分で問いを立て、その前に座り込んで考えるものだ。未知のものに挑む基礎研究では、特にこの傾向が強い。基礎研究を重視するのであれば、教育の仕組みを変える必要がある。
文系の学問を「役に立たない」と断じる風潮も、基礎研究の軽視と同じ文脈にある。だが、おかしな話だ。僕は名古屋大の学部生時代、哲学の本も随分読んだ。理解できない部分があるが、役に立たなかったわけではない。基礎研究の場合、問い立てや目のつけどころには、研究者の世界観が表れる。哲学だってその土台になったはずだ。科学は最終的に、人々の生活を豊かにしなければならないとは思う。だが、そのことばかりを狙って達成できるほど単純なものではない。【聞き手・大久保昂】
交付金12年で12%減
基礎研究の苦境の背景にある予算削減の中心は、国立大が人件費や研究費の資金とする文部科学省の「運営費交付金」だ。2004年度の大学法人化後の12年間で1470億円(12%)減り、16年度は1兆945億円。このため国立大は教員の新規採用を抑え、40歳未満の若手研究者が年々少なくなっている。教員1人の研究費も減少。このあおりで、運営費交付金とは別枠で研究者が取り合う「科学研究費補助金」の獲得競争が激しくなっている。
ご意見、ご感想をお寄せください。 〒100-8051毎日新聞「オピニオン」係opinion@mainichi.co.jp
■人物略歴
しらかわ・ひでき
1936年生まれ。東京工業大大学院博士課程修了。米ペンシルベニア大研究員、筑波大教授などを歴任。2000年のノーベル化学賞を「導電性ポリマーの発見と開発」で受賞。
■人物略歴
かじた・たかあき
1959年生まれ。埼玉大卒。東京大大学院で物理学を専攻した。2008年から現職。15年のノーベル物理学賞を「ニュートリノ振動の発見」で受賞。
■人物略歴
ますかわ・としひで
1940年生まれ。名古屋大大学院博士課程修了。現在、名古屋大素粒子宇宙起源研究機構長。2008年のノーベル物理学賞を「CP対称性の破れの起源の発見」で受賞した。
再生核研究所声明222(2015.4.8)日本の代表的な数学として ゼロ除算の研究の推進を求める
ゼロ除算の成果は 2015.3.23 明治大学で開催された日本数学会で(プログラムは5200部印刷、インターネットで公開)、海外約200名に経過と成果の発表を予告して 正規に公開された。簡単な解説記事も約200部学会で配布された。インターネットを用いて1年以上も広く国際的に議論していて、骨格の論文も出版後1年以上も経過していることもあり、成果と経過は一応の諒解が広く得られたと考えても良いと判断される。経過などについては 次の一連の声明を参照:
再生核研究所声明148(2014.2.12) 100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明154(2014.4.22) 新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明157(2014.5.8) 知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
再生核研究所声明161(2014.5.30) ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
再生核研究所声明163(2014.6.17) ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案
再生核研究所声明166(2014.6.20) ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明171(2014.7.30) 掛け算の意味と割り算の意味 ― ゼロ除算100/0=0は自明である?
再生核研究所声明176(2014.8.9) ゼロ除算について、数学教育の変更を提案する
Announcement 179 (2014.8.25): Division by zero is clear as z/0=0 and it is fundamental in mathematics
Announcement 185 : The importance of the division by zero $z/0=0$
再生核研究所声明188(2014.12.15) ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
再生核研究所声明190(2014.12.24)
再生核研究所からの贈り物 ― ゼロ除算100/0=0, 0/0=0
再生核研究所声明192(2014.12.27) 無限遠点から観る、人生、世界
夜明け、新世界、再生核研究所 年頭声明
― 再生核研究所声明193(2015.1.1)―
再生核研究所声明194(2015.1.2) 大きなイプシロン(無限小)、創造性の不思議
再生核研究所声明195(2015.1.3) ゼロ除算に於ける高橋の一意性定理について
再生核研究所声明196(2015.1.4) ゼロ除算に於ける山根の解釈100= 0x0について
再生核研究所声明200(2015.1.16) ゼロ除算と複素解析の現状 ―佐藤超関数論との関係が鍵か?
再生核研究所声明202(2015.2.2) ゼロ除算100/0=0,0/0=0誕生1周年記念声明 ― ゼロ除算の現状と期待
再生核研究所声明215(2015.3.11) ゼロ除算の教え
日本の数学が、欧米先進国のレベルに達していることは、国際研究環境の実情を見ても広く認められる。しかしながら、初等教育から大学学部レベルの基本的な数学において 日本の貢献は 残念ながら特に見当たらないと言わざるを得ない。これは日本の数学が 大衆レベルでは 世界に貢献していないことを意味する。これについて 関孝和の微積分や行列式の発見が想起されるが、世界の数学史に具体的な影響、貢献ができなかったこともあって 関孝和の天才的な業績は 残念ながら国際的に認知されているとは言えない。
そこで、基本的なゼロ除算、すなわち、四則演算において ゼロで割れないとされてきたことが、何でもゼロで割れば ゼロであるとの基本的な結果は、世界の数学界における 日本の数学の顕著なものとして 世界に定着させる 良い題材ではないだろうか。
内容の焦点としてはまず:
ゼロ除算の発見、
道脇方式によるゼロ除算の意味付け、除算の定義、
高橋のゼロ除算の一意性、
衝突における山根の現象の解釈、
の4点が挙げられる。
6歳の道脇愛羽さんが、ゼロ除算は 除算の固有の意味から自明であると述べられていることからも分かるように、ゼロ除算は、ピタゴラスの定理を超えた基本的な結果であると考えられる。
ゼロ除算の研究の発展は 日本の代表的な数学である 佐藤の超関数の理論と密接な関係にあり(再生核研究所声明200)、他方、欧米では Aristotélēs の世界観、universe は連続である との偏見に陥っている現状がある。 最後にゼロ除算の意義 に述べられているように ゼロ除算の研究は 日本の数学として発展させる絶好の分野であると考えられる。 そこで、広く関係者に研究の推進と結果の重要性についての理解と協力を求めたい。
ゼロ除算の意義:
1)西暦628年インドでゼロが記録されて以来 ゼロで割るの問題 に 簡明で、決定的な解 1/0=0, 0/0=0をもたらしたこと。
2) ゼロ除算の導入で、四則演算 加減乗除において ゼロでは 割れない の例外から、例外なく四則演算が可能である という 美しい四則演算の構造が確立されたこと。
3)2千年以上前に ユークリッドによって確立した、平面の概念に対して、おおよそ200年前に非ユークリッド幾何学が出現し、特に楕円型非ユークリッド幾何学ではユークリッド平面に対して、無限遠点の概念がうまれ、特に立体射影で、原点上に球をおけば、 原点ゼロが 南極に、無限遠点が 北極に対応する点として 複素解析学では 100年以上も定説とされてきた。それが、無限遠点は 数では、無限ではなくて、実はゼロが対応するという驚嘆すべき世界観をもたらした。
4)ゼロ除算は ニュートンの万有引力の法則における、2点間の距離がゼロの場合における新しい解釈、 独楽(コマ)の中心における角速度の不連続性の解釈、衝突などの不連続性を説明する数学になっている。ゼロ除算は アインシュタインの理論でも重要な問題になっていたとされている。数多く存在する物理法則を記述する方程式にゼロ除算が現れているが、それらに新解釈を与える道が拓かれた。
5)複素解析学では、1次変換の美しい性質が、ゼロ除算の導入によって、任意の1次変換は 全複素平面を全複素平面に1対1 onto に写すという美しい性質に変わるが、 極である1点において不連続性が現れ、ゼロ除算は、無限を 数から排除する数学になっている。
6)ゼロ除算は、不可能であるという立場であったから、ゼロで割る事を 本質的に考えてこなかったので、ゼロ除算で、分母がゼロである場合も考えるという、未知の新世界、新数学、研究課題が出現した。
7)複素解析学への影響は 未知の分野で、専門家の分野になるが、解析関数の孤立特異点での性質について新しいことが導かれる。典型的な定理は、どんな解析関数の孤立特異点でも、解析関数は 孤立特異点で、有限な確定値をとる である。佐藤の超関数の理論などへの応用がある。
8)特異積分におけるアダマールの有限部分や、コーシーの主値積分は、弾性体やクラック、破壊理論など広い世界で、自然現象を記述するのに用いられている。面白いのは 積分が、もともと有限部分と発散部分に分けられ、 極限は 無限たす、有限量の形になっていて、積分は 実は、普通の積分ではなく、そこに現れる有限量を便宜的に表わしている。ところが、その有限量が実は、 ゼロ除算にいう、 解析関数の孤立特異点での 確定値に成っていること。いわゆる、主値に対する解釈を与えている。これはゼロ除算の結果が、広く、自然現象を記述していることを示している。
9)中学生や高校生にも十分理解できる基本的な結果をもたらした:
基本的な関数y = 1/x のグラフは、原点で ゼロである;すなわち、 1/0=0 である。
基本的な関数y = 1/x のグラフは、原点で ゼロである;すなわち、 1/0=0 である。
10)既に述べてきたように 道脇方式は ゼロ除算の結果100/0=0, 0/0=0および分数の定義、割り算の定義に、小学生でも理解できる新しい概念を与えている。多くの教科書、学術書を変更させる大きな影響を与える。
11)ゼロ除算が可能であるか否かの議論について:
現在 インターネット上の情報でも 世間でも、ゼロ除算は 不可能であるとの情報が多い。それは、割り算は 掛け算の逆であるという、前提に議論しているからである。それは、そのような立場では、勿論 正しいことである。出来ないという議論では、できないから、更には考えられず、その議論は、不可能のゆえに 終わりになってしまう ― もはや 展開の道は閉ざされている。しかるに、ゼロ除算が 可能であるとの考え方は、それでは、どのような理論が 展開できるのかの未知の分野が望めて、大いに期待できる世界が拓かれる。
12)ゼロ除算は、数学ばかりではなく、 人生観、世界観や文化に大きな影響を与える。
次を参照:
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明188(2014.12.16)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
ゼロ除算における新現象、驚きとは Aristotélēs の世界観、universe は連続である を否定して、強力な不連続性を universe の現象として受け入れることである。
以 上
ゼロの発見には大きく分けると二つの事が在ると言われています。
一つは数学的に、位取りが出来るということ。今一つは、哲学的に無い状態が在るという事実を知ること。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1462816269
1+0=1 1ー0=0 1×0=0 では、1/0・・・・・・・・・幾つでしょうか。
0??? 本当に大丈夫ですか・・・・・0×0=1で矛盾になりませんか・・・・
割り算を掛け算の逆だと定義した人は、誰でしょう???
まして、10個のリンゴを0人で分けた際に、取り分 が∞個の小さな部分が取り分は、どう考えてもおかしい・・・・
受け取る人がいないわけですから、取り分は0ではないでしょうか。 すなわち何でも0で割れば、0が正しいのではないでしょうか。じゃあ聞くけど、∞個は、どれだけですか???
小学校以上で、最も知られている数学の結果は何でしょうか・・・
ゼロ除算(1/0=0)は、ピタゴラスの定理(a2 + b2 = c2 )を超えた基本的な結果であると考えられる。
もし1+1=2を否定するならば、どのような方法があると思いますか? http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12153951522 #知恵袋_
一つの無限と一つの∞を足したら、一つの無限で、二つの無限にはなりません。
Title page of Leonhard Euler, Vollständige Anleitung zur Algebra, Vol. 1 (edition of 1771, first published in 1770), and p. 34 from Article 83, where Euler explains why a number divided by zero gives infinity.
割り算のできる人には、どんなことも難しくない
世の中には多くのむずかしいものがあるが、加減乗除の四則演算ほどむずかしいものはほかにない。
ベーダ・ヴェネラビリス
数学名言集:ヴィルチェンコ編:松野武 山崎昇 訳大竹出版1989年
1/0=∞ (これは、今の複素解析学) 1/0=0 (これは、新しい数学で、Division by Zero)
原点を中心とする単位円に関する原点の鏡像は、どこにあるのでしょうか・・・・
∞ では無限遠点はどこにあるのでしょうか・・・・・
加(+)・減(-)・乗(×)・除(÷) 除法(じょほう、英: division)とは、乗法の逆演算・・・・間違いの元 乗(×)は、加(+) 除(÷)は、減(-)
数学で「A÷0」(ゼロで割る)がダメな理由を教えてください。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411588849 #知恵袋_
0×0=0・・・・・・・・・だから0で割れないと考えた。
唯根拠もなしに、出鱈目に言っている人は世に多い。
世界中で、ゼロ除算は 不可能 か
可能とすれば ∞ だと考えられていたが・・・
しかし、ゼロ除算 はいつでも可能で、解は いつでもセロであるという意外な結果が得られた。
無限遠点は存在するが、無限大という数は存在しない・・・・
天動説・・・・・・∞
地動説・・・・・・0
1÷0=0 1÷0=∞・・・・数ではない 1÷0=不定・未定義・・・・狭い考え方をすれば、できない人にはできないが、できる人にはできる。
『ゼロをめぐる衝突は、哲学、科学、数学、宗教の土台を揺るがす争いだった』 ⇒ http://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12089827553.html …… →ゼロ除算(100/0=0, 0/0=0)が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか・・・ 1+1=2が当たり前のように、
ゼロ除算(100/0=0, 0/0=0)が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか・・・・ 1+1=2が当たり前のように
何とゼロ除算は、可能になるだろうと April 12, 2011 に 公に 予想されていたことを 発見した。
多くの数学で できないが、できるようになってきた経緯から述べられたものである。
Dividing by Nothing
by Alberto Martinez
It is well known that you cannot divide a number by zero. Math teachers write, for example, 24 ÷ 0 = undefined.
After all, other operations that seemed impossible for centuries, such as subtracting a greater number from a lesser, or taking roots of negative numbers, are now common. In mathematics, sometimes the impossible becomes possible, often with good reason.
Posted April 12, 2011More Discoverhttps://notevenpast.org/dividing-nothing/
明治5年(1872)
地球平面説→地球球体説
天動説→地動説
1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0
地球人はどうして、ゼロ除算1300年以上もできなかったのか? 2015.7.24.9:10 意外に地球人は知能が低いのでは? 仲間争いや、公害で自滅するかも。 生態系では、人類が がん細胞であった とならないとも 限らないのでは?
ビッグバン宇宙論と定常宇宙論について、http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1243254887 #知恵袋_
ゼロ除算の証明・図|ysaitoh|note(ノート) https://note.mu/ysaitoh/n/n2e5fef564997
Q)ピラミッドの高さを無限に高くしたら体積はどうなるでしょうか??? A)答えは何と0です。 ゼロ除算の結果です。
ゼロ除算は1+1より優しいです。 何でも0で割れば、0ですから、簡単で美しいです。 1+1=2は 変なのが出てくるので難しいですね。
∞÷0はいくつですか・・・・・・・
∞とはなんですか・・・・・・・・
分からないものは考えられません・・・・・
宇宙消滅説:宇宙が、どんどんドン 拡大を続けると やがて 突然初めの段階 すなわち 0に戻るのではないだろうか。 ゼロ除算は、そのような事を言っているように思われる。 2015年12月3日 10:38
Reality of the Division by Zero $z/0=0$
再生核研究所声明200(2015.1.16) ゼロ除算と複素解析の現状 ―佐藤超関数論との関係が鍵か?
正確に次のように公開して複素解析とゼロ除算の研究を開始した:
特異点解明の歩み100/0=0,0/0=0 関係者:
複素解析学では、1/0として、無限遠点が存在して、美しい世界です。しかしながら、1/0=0 は 動かせない真実です。それで、勇気をもって進まざるを得ない:― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。― 再生核研究所声明148.
私には 無理かと思いますが、世の秀才の方々に 挑戦して頂きたい。空論に付き合うのはまっぴらだ と考える方も多いかと思いますが、面白いと考えられる方で、楽しく交流できれば幸いです。宜しくお願い致します。 添付 物語を続けたい。2014.4.1.11:10
上記で、予想された難問、 解析関数は、孤立特異点で確定値をとる、が 自分でも予想しない形で解決でき、ある種の実体を捉えていると考えたのであるが、この結果自体、世のすべての教科書の内容を変える事件であるばかりではなく、確立されている無限遠点の概念に 新しい解釈を与えるもので、1次変換の美しい性質が、ゼロ除算の導入によって、任意の1次変換は 全複素平面を全複素平面に1対1 onto に写すという美しい性質に変わるが、 極である1点において不連続性が現れ、ゼロ除算は、無限を 数から排除する数学になっている。
6月、帰国後、気に成っていた、金子晃先生の 30年以上前に購入した超函数入門の本に 極めて面白い記述があり、佐藤超関数とゼロ除算の面白い関係が出てきた。さらに 特異積分におけるアダマールの有限部分や、コーシーの主値積分は、弾性体やクラック、破壊理論など広い世界で、自然現象を記述するのに用いられているが、面白いのは 積分が、もともと有限部分と発散部分に分けられ、 極限は 無限たす、有限量の形になっていて、積分は 実は、普通の積分ではなく、そこに現れる有限量を便宜的に表わしている。ところが、その有限量が実は、 ゼロ除算にいう、 解析関数の孤立特異点での 確定値に成っていることが分かった。これはゼロ除算の結果が、広く、自然現象を記述していることを示している。
現在まで、添付21ページの論文原稿について 慎重に総合的に検討してきた。
そこで、問題の核心、ゼロ除算の発展の基礎は、次の論点に有るように感じられてきた:
We can find many applicable examples, for example, as a typical example in A. Kaneko (\cite{kaneko}, page 11) in the theory of hyperfunction theory: for non-integers $\lambda$, we have
\begin{equation}
x_+^{\lambda} = \left[ \frac{-(-z)^{\lambda}}{2i \sin \pi \lambda}\right] =\frac{1}{2i \sin \pi \lambda}\{(-x + i0)^{\lambda}- (-x - i0)^{\lambda}\}
\end{equation}
where the left hand side is a Sato hyperfunction and the middle term is the representative analytic function whose meaning is given by the last term. For an integer $n$, Kaneko derived that
\begin{equation}
x_+^{n} = \left[- \frac{z^n}{2\pi i} \log (-z) \right],
\end{equation}
where $\log$ is a principal value: $ \{ - \pi < \arg z < +\pi \}$. Kaneko stated there that by taking a finite part of the Laurent expansion, the formula is derived.
Indeed, we have the expansion, for around $ n$, integer
$$
\frac{-(-z)^{\lambda}}{2i \sin \pi \lambda}
$$
\begin{equation}
= \frac{- z^n}{2\pi i} \frac{1}{\lambda -n} - \frac{z^n}{2\pi i} \log (-z )
- \left( \frac{\log^2 (-z) z^n}{2\pi i\cdot 2!} + \frac{\pi z^n}{2i\cdot 3!}
\right)(\lambda - n) + ...
\end{equation}
(\cite{kaneko}, page 220).
By our Theorem 2, however, we can derive this result (4.3) from the Laurant expansion (4.4), immediately.
上記ローラン展開で、\lambda に n を代入したのが ちょうど n に対する佐藤の超関数になっている。それは、ゼロ除算に言う、 孤立特異点における解析関数の極における確定値である。これはゼロ除算そのものと殆ど等価であるから、ローラン展開に \lambda = n を代入した意味を、上記の佐藤超関数の理論は述べているので 上記の結果を分析すれば、ゼロ除算のある本質を捉えることができるのではないかと考えられる。
佐藤超関数は 日本で生まれた、基本的な数学で 優秀な人材を有している。また、それだけ高級、高度化しているが、このような初歩的、基本的な問題に関係がある事が明らかになってきた。そこで、佐藤超関数論の専門家の方々の研究参加が望まれ、期待される。また、関係者の助言やご意見をお願いしたい。
ゼロ除算における新現象、驚きとは Aristotélēs の世界観、universe は連続である を否定して、強力な不連続性を universe の現象として示していることである。
以 上
考えてはいけないことが、考えられるようになった。
説明できないことが説明できることになった。
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