2016年12月4日日曜日

「無限小」的故事:一個危險的數學理論,形塑了現今的世界

「無限小」的故事:一個危險的數學理論,形塑了現今的世界

我是數學白痴,真的。很多人以為唸理科的數學一定很好,才怪。
因為我數學不好,所以才選擇唸生命科學,只是唸了才發現,原來還是要面對不少數學,如生物統計、計算生物學、生態學、族群遺傳學、分子演化,都用了不少數學,更甭提大一大二還得要上的微積分、物理和物理化學。
最近有部電影《數造傳奇》(The Man Who Knew Infinity),很值得看,連一個我超愛的說書脫口秀節目《一千零一夜》主持梁文道這位文人(請參見〈一千零一夜個經典〉),也在推薦了這部關於印度天才數學家斯里尼瓦瑟‧拉馬努金(Srinivasa Ramanujan, 1887-1920)的電影,也談了《費馬最後定理》(Fermat’s Last Theorem)這本書,以及數學是什麼。我就自不量力,來談本和數學有關的歷史書吧,就是這本《無限小:一個危險的數學理論如何形塑現代世界》(Infinitesimal:How a Dangerous Mathematic Theory Shaped the Modern World)。即使是外行,還是會覺得數學是極為優雅的,可是歷史學家與數學家艾米爾.亞歷山大(Amir Alexander),卻要告訴我們,數學也有過混亂,中間涉及的不僅只有數學家,還有宗教家。
無限小的故事
《無限小》的故事,主要是發生在16、17世紀,爭論的是直線、平面圖形和固體,是否由無限的不可分量所構成?《無限小》中的各種爭論,要追溯到古希臘時期。公元前六世紀,畢達哥拉斯(Πυθαγόρας,約公元前580-公元前500)和追隨者,認為數學可以解釋世界上的一切事物,對數字癡迷到幾近崇拜,同時認為一切真理都可以用比例、平方及直角三角形去反映和證實。從他開始,希臘哲學開始產生了數學的傳統。
相傳無理數最早由畢達哥拉斯學派弟子希帕索斯(Ἵππασος)發現。他以幾何方法證明√2,無法用整數及分數表示,並引發了第一次數學危機。而畢達哥拉斯深信任意數均可用整數及分數表示,不相信無理數的存在。希帕索斯發現不可公度量(incommensurability),推論不同的量(magnitube)不是由獨立的微小原子,亦即無限小所構成。畢達哥拉斯派同道將其淹死滅口,然後他就死掉了。所以這批人,玩數學是超認真的,會鬧出人命的。
公元前5世紀,來自古希臘愛琴海北部海岸的自然派哲學家德謨克利特(Δημόκριτος,公元前460-公元前370/356)利用無限小,計算圓錐體與圓筒體的體積。然而,伊利亞的芝諾(Ζήνων,約公元前490-公元前430),提出幾個矛盾問題,指出無限小引發的衝突,從此無限小遭到古代數學家規避。
古希臘數學家,被稱為「幾何學之父」,亞歷山卓的歐幾里得(Ευκλειδης,公元前325-公元前265),在經典巨著《幾何原本》(Elements)中,謹慎地避開無限小。《幾何原本》一直是西方兩千年來的範本。但後來的古希臘數學家阿基米德(Αρχιμήδης,公元前287—公元前212),卻用無限小實驗,在幾何圖形的面積和體積上卓有成就。 
後來希臘被羅馬滅了,而羅馬因異族入侵和宗教愚昧而進入中世紀。《無限小》的故事開場,是文藝復興時的宗教戰爭。
1517年,德國基督教神學家,宗教改革運動的主要發起人,基督教新教信義宗教會(即路德宗)的開創者馬丁・路德(Martin Luther, 1483-1546)在當地教會的門上貼出布告九十五條論綱,列出反對贖罪券的九十五條論點,徵求學術的辯論,拉開了天主教和新教長達兩世紀鬥爭的序幕。
1540年,耶穌會(Societas Iesu)創建在一個天主教開始沒落的時代,羅耀拉的依納爵(San Ignacio de Loyola, 1491-1556)和他的弟子們展開一連串復興天主教的行動,但其中最耀眼的成就,卻是在各地區建立的教育學院。
耶穌會的教育體系中,原本並不特別注重數學,但在克拉維烏斯神父(Christopher Clavius, 1538-1612)持續努力下,終於成為耶穌會的教育重心。耶穌會重視數學,因為數學是一種以邏輯步驟說出真理、無人能否定其證明結果的學科,但這時的數學,仍以歐幾里得數學理論為主。
1544年,阿基米德作品的拉丁文版在瑞士巴賽爾出版,學者接觸到他對無限小的研究。16世紀末至17世紀初,歐洲數學家對無限小的興趣死灰復燃。
然而,耶穌會中負責裁決理論的「總校訂」(Revisors General)室,發表了一連串針對無限小的公開譴責。他們認為這個概念危險又具顛覆性,對世界是一個有秩序的地方,而且由一套嚴格而不變的規定所治理的這個信仰有威脅。如果接受了無限小,耶穌會害怕整個世界都將墮入混沌。
伽利略提出新詮釋,被送進宗教審判所
虔誠的教徒伽利略(Galileo Galilei, 1564-1642),也是當時最偉大的科學家。他提出對無限小、不可分量的詮釋,槓上了耶穌會和教廷。伽利略的老友當上教宗烏爾班八世(Pope Urban VIII, 1568-1644),他公開支持伽利略及其追隨者, 1623-31年是伽利略在羅馬如魚得水的自由時期。然而1631年,瑞典新教國王古斯塔夫•阿道夫二世(Gustav II Adolf, 1594-1632),與神聖羅馬帝國相爭開戰,節節獲勝,改變了歐洲勢力平衡。
在傳統主義者的節節進逼之下,烏爾班八世一改初衷,不再支持伽利略。耶穌會總校訂室,禁止了無限小的概念,宣布永遠不能教授這個理論,甚至連提都不准提。伽利略最終被送進宗教審判所,人生最後十幾年都在軟禁中度過。
伽利略的弟子卡瓦列里(Bonaventura Francesco Cavalieri, 1598-1647)與托里切利(Evangelista Torricelli, 1608-1647)持續提出不可分量和無限小的理論證明,更持續增強耶穌會想要壓制這個矛盾理論的決心,耶穌會和支持伽利略的銳眼學會(Accademia dei Lincei)之間,為了維持歐幾里得幾何學理論或迎接新的無限小方式而開戰。
支持歐幾里得幾何學論點的耶穌會數學家,與支持無限小與不可分量學說的耶穌教團,雙方舌戰和筆戰不休。表面上是數學論戰,實際上耶穌會數學家還為了護衛神學上的論點。《無限小》揭示了這種禁令背後的深刻背景,通過耶穌會和銳眼學會之間交戰的驚心動魄故事,說明耶穌會如何拼命努力帶領飽受戰爭蹂躪的歐洲回到維穩和諧和天主教專制秩序,可是卻犠牲了義大利的藝術、數學和科學發展。
由於耶穌會成功地禁止在義大利的教授無窮小,《無限小》的故事舞台,轉到原本比義大利落後的英國去。《無限小》指出,在義大利,無限小的挫敗預告了這個國家主導歐洲文化的朝代已經結束;而在英國,無限小的勝利則幫助了這個原本落後的島國走向了世界首個現代國家之路。
英國內戰和空位期當時的民不聊生與內部動亂,令卡文迪許家族的家臣,威權主義的十七世紀的哲學家霍布斯(Thomas Hobbes, 1588-1679),寫下哲學傑作《巨靈論》(Leviathan,又譯作《利維坦》),是法律、秩序的有力倡導者。和天主教神權專制不同的,霍布斯的解決空位無政府狀態的方法,是要人民交出權力給專制君主,來保護他們免受戰爭和混亂。但與天主教的專制相同的,霍布斯的目標是維穩和諧以維護和平。無論霍布斯和耶穌會,都把自己的政治理想訴諸歐幾里得幾何,試圖以其有序的演繹證明產生絕對真理。
但在數學家瓦里斯(John Wallis, 1616-1703)的眼中,數學毫無貴族氣息,徹頭徹尾就是一個得到有用結果的實用工具。瓦里斯是第一個使用∞這個符號的數學家。也因如此,他和「隱形大學」的夥伴使用數學的方式與霍布斯大相逕庭。「隱形大學」後來收到英王查理二世的許可狀,成為聲譽卓越非凡的「皇家學會」(Royal Society)。
《無限小》指出,歸納法和實驗數學,讓皇家學會的會員與英國菁英分子逐漸將這種開放討論與有彈性的態度應用到學術與政治立場上,無限小的理論終於成為微積分與許多現代數學、現在科學理論與科技的基礎。英國邁上君主立憲之途,各種科學研究和科技也不斷開花結果,於是英國成為歐洲最先現代化的國家。
牛頓(Sir Isaac Newton, 1643-1727)以無限小的理論做實驗,發展出微積分的技法,和萊布尼茨(Gottfried Wilhelm Leibniz, 1646-1716)共同創立了微積分。牛頓出版了《自然哲學的數學原理》(Philosophiæ Naturalis Principia Mathematica),徹底改變了物理學的樣貌,也從此讓所有理科生飽受微積分的折磨。剛讀《無限小》時,我壓根兒忘光了微積分和無限小的關係,只有讀到後來才依稀想起老師提到的「極限」等等。
雖然,我還是讀不懂《無限小》裡的數學,可是《無限小》仍是本很具啟發性的好書,從中可見我們人類在認識自然時,那些偏見與固執是何等強大。政治師和宗教為了維穩及和諧干預學術發展,只能取得一時的和平,然後換來長久的落後。還有,科學的發展中,常常是柳暗花明又一村,保持一個開闊的心胸是多麼重要,卻又是多麼困難。https://hk.thenewslens.com/article/55808

興味深く読みました:
ゼロ除算は不連続

再生核研究所声明314(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ニュートンとダーウィンについて
今朝2016年8月6日,散歩中 目が眩むような大きな構想が閃いたのであるが、流石に直接表現とはいかず、先ずは世界史上の大きな事件を回想して、準備したい。紀元前の大きな事件についても触れたいが当分 保留したい。
そもそも、ニュートン、ダーウィンの時代とは 中世の名残を多く残し、宗教の存在は世界観そのものの基礎に有ったと言える。それで、アリストテレスの世界観や聖書に反して 天動説に対して地動説を唱えるには それこそ命を掛けなければ主張できないような時代背景が 存在していた。
そのような時に世の運動、地上も、天空も、万有を支配する法則が存在するとの考えは それこそ、世界観の大きな変更であり、人類に与えた影響は計り知れない。進化論 人類も動物や生物の進化によるものであるとの考えは、 人間そのものの考え方、捉え方の基本的な変更であり、運動法則とともに科学的な思考、捉え方が世界観を根本的に変えてきたと考えられる。勿論、自然科学などの基礎として果たしている役割の大きさを考えると、驚嘆すべきことである。
人生とは何か、人間とは何か、― 世の中には秩序と法則があり、人間は作られた存在で
その上に 存在している。如何に行くべきか、在るべきかの基本は その法則と作られた存在の元、原理を探し、それに従わざるを得ないとなるだろう。しかしながら、狭く捉えて 唯物史観などの思想も生んだが、それらは、心の問題、生命の神秘的な面を過小評価しておかしな世相も一時は蔓延ったが、自然消滅に向かっているように見える。
自然科学も生物学も目も眩むほどに発展してきている。しかしながら、人類未だ成長していないように感じられるのは、止むことのない抗争、紛争、戦争、医学などの驚異的な発展にも関わらず、人間存在についての掘り下げた発展と進化はどれほどかと考えさせられ、昔の人の方が余程人間らしい人間だったと思われることは 多いのではないだろうか。
上記二人の巨人の役割を、自然科学の基礎に大きな影響を与えた人と捉えれば、我々は一段と深く、巨人の拓いた世界を深めるべきではないだろうか。社会科学や人文社会、人生観や世界観にさらに深い影響を与えると、与えられると考える。
ニュートンの作用、反作用の運動法則などは、人間社会でも、人間の精神、心の世界でも成り立つ原理であり、公正の原則の基礎(再生核研究所声明 1 (2007/1/27): 美しい社会はどうしたら、できるか、美しい社会とは)にもなる。 自国の安全を願って軍備を強化すれば相手国がより、軍備を強化するのは道理、法則のようなものである。慣性の法則、急には何事でも変えられない、移行処置や時間的な猶予が必要なのも法則のようなものである。力の法則 変化には情熱、エネルギー,力が必要であり、変化は人間の本質的な要求である。それらはみな、社会や心の世界でも成り立つ原理であり、掘り下げて学ぶべきことが多い。ダーウィンの進化論については、人間はどのように作られ、どのような進化を目指しているのかと追求すべきであり、人間とは何者かと絶えず問うて行くべきである。根本を見失い、個別の結果の追求に明け暮れているのが、現在における科学の現状と言えるのではないだろうか。単に盲目的に夢中で進んでいる蟻の大群のような生態である。広い視点で見れば、経済の成長、成長と叫んでいるが、地球規模で生態系を環境の面から見れば、癌細胞の増殖のような様ではないだろうか。人間の心の喪失、哲学的精神の欠落している時代であると言える。

以 上

再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学
今朝2016年8月6日,散歩中 目が眩むような大きな構想が閃いたのであるが、流石に直接表現とはいかず、先ずは世界史上の大きな事件を回想して、準備したい。紀元前の大きな事件についても触れたいが当分 保留したい。
ニュートン、ダーウィンの大きな影響を纏めたので(声明314)今回はユークリッド幾何学の影響について触れたい。
ユークリッド幾何学の建設について、ユークリッド自身(アレクサンドリアのエウクレイデス(古代ギリシャ語: Εὐκλείδης, Eukleídēs、ラテン語: Euclīdēs、英語: Euclid(ユークリッド)、紀元前3世紀? - )は、古代ギリシア数学者天文学者とされる。数学史上最も重要な著作の1つ『原論』(ユークリッド原論)の著者であり、「幾何学の父」と称される。プトレマイオス1世治世下(紀元前323年-283年)のアレクサンドリアで活動した。)が絶対的な幾何学の建設に努力した様は、『新しい幾何学の発見―ガウス ボヤイ ロバチェフスキー』リワノワ 著松野武 訳1961 東京図書 に見事に描かれており、ここでの考えはその著書に負うところが大きい。
ユークリッドは絶対的な幾何学を建設するためには、絶対的に正しい基礎、公準、公理に基づき、厳格な論理によって如何なる隙や曖昧さを残さず、打ち立てられなければならないとして、来る日も来る日も、アレクサンドリアの海岸を散歩しながら ユークリッド幾何学を建設した(『原論』は19世紀末から20世紀初頭まで数学(特に幾何学)の教科書として使われ続けた[1][2][3]。線の定義について、「線は幅のない長さである」、「線の端は点である」など述べられている。基本的にその中で今日ユークリッド幾何学と呼ばれている体系が少数の公理系から構築されている。エウクレイデスは他に光学透視図法円錐曲線論球面天文学、誤謬推理論、図形分割論、天秤などについても著述を残したとされている。)。
ユークリッド幾何学、原論は2000年以上も越えて多くの人に学ばれ、あらゆる論理的な学術書の記述の模範、範として、現在でもその精神は少しも変わっていない、人類の超古典である。― 少し、厳密に述べると、ユークリッド幾何学の基礎、いわゆる第5公準、いわゆる平行線の公理は徹底的に検討され、2000年を経て公理系の考えについての考えは改められ― 公理系とは絶対的な真理という概念ではなく、矛盾のない仮定系である ― 、非ユークリッド幾何学が出現した。論理的な厳密性も徹底的に検討がなされ、ヒルベルトによってユークリッド幾何学は再構成されることになった。非ユークリッド幾何学の出現過程についても上記の著書に詳しい。
しかしながら、ユークリッド幾何学の実態は少しも変わらず、世に絶対的なものがあるとすれば、それは数学くらいではないだろうかと人類は考えているのではないだろうか。
数学の不可思議さに想いを致したい(しかしながら、数学について、そもそも数学とは何だろうかと問い、ユニバースと数学の関係に思いを致すのは大事ではないだろうか。この本質論については幸運にも相当に力を入れて書いたものがある:

19/03/2012
ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅.広く面白く触れたい。
)。
― 数学は公理系によって定まり、そこから、論理的に導かれる関係の全体が一つの数学の様 にみえる。いま予想されている関係は、そもそも人間には無関係に確定しているようにみえる。その数学の全体はすべて人間には無関係に存在して、確定しているようにみえる。すなわち、われわれが捉えた数学は、人間の要求や好みで発見された部分で、その全貌は分か らない。抽象的な関係の世界、それはものにも、時間にも、エネルギーにも無関係で、存在 している。それではどうして、存在して、数学は美しいと感動させるのであろうか。現代物理学は宇宙全体の存在した時を述べているが、それでは数学はどうして存在しているのであろうか。宇宙と数学は何か関係が有るのだろうか。不思議で 不思議で仕方がない。数学は絶対で、不変の様にみえる。時間にも無関係であるようにみえる。数学と人間の関係は何だ ろうか。―
数学によって、神の存在を予感する者は 世に多いのではないだろうか。

以 上

再生核研究所声明327(2016.10.18)  数学教育についての提案
次で、数学教育の重要性、効用性について触れている:

再生核研究所声明313(2016.08.01) 良い数学教育の推進を
― 数学を通して、人類が交流でき、世には道理、秩序が 存在すると理解できるだろう。分かり易いスポーツを通して、ドラマを見て、芸術を通して理解するは 世に多いが、数学の効用をここでは強調したい。道理、秩序に対する認識には 数学の効用は大きく、上記 公正の原則の理解にも 大きく寄与するのではないだろうか。数学教育の充実を国際的な視点で提案したい。その留意点を纏めて置きたい:
1) 世には共通の論理があることを理解し、論理的な思考を学習する。
2) 数学の論理的な面には、美しさとuniverseの、世の秩序を述べていることを学ぶ。
3) 非ユークリッド幾何学の出現過程を良く学び、真理を追求する精神感情と論理の関係を学ぶ。批判精神、理性、客観性について学ぶ。予断と偏見、思い込み、囚われやすい人間の精神を掘り下げる。
ここで、数学教育の充実とは、いわゆる数学の学力、問題解決に重点をおいた従来の学習ではなく、上記のような数学教育を通して身に付く数学の精神に重点をおいた教育である。他方数学の学力を付けることに偏りすぎたり、学力を競争させたりして 世に多くの数学嫌いな人たちを育てていることを大いに反省したい。数学の美しさ、楽しさを教えることが第一であると心がけなければならない。
数学愛好者の増大は かつて和算が広く民衆に普及していたように、環境にも優しく、人間の修行にも、精神衛生上も、また創造性を養い、考える力を育成するにも大いに貢献するのではないだろうか。囲碁や将棋、歌会、俳句会など良い趣味集団を構成しているが、数学愛好者クラブなど大いに進められるべきではないだろうか。新聞やテレビ、マスコミ、週刊誌などでもどんどん話題を取り上げ、また奨励されるべきではないだろうか。社会の浄化と低俗化防止にも貢献するのではないだろうか。―

と述べた。古くはプラトン学派の門に、幾何学知らざる者この門をくぐるべからず、ナポレオンが軍隊を強くするには数学の教育が大事であると述べていることや、現中国政府の数学重視の姿勢も注目される。
ここでは、明確な提案が閃いたので纏めて置きたい。まず現状の分析と問題であるが、数学は選別、能力を評価する重要な科目になっていて、受験勉強の強い枠に縛られてカリキュラムは相当に厳格に範囲が定められている。そのため限られた範囲での特訓の要素が強く、現実には理想的な教育の有り様からの乖離が甚だしい状態と言える。標語的には、ゆっくり面白いところを追求しようとすれば、そんなことでは、時間内に解答できない、そのようなものは型として、このように対応すれば良いと、薄っぺらな教育内容になり、多くの場合才能ある学生の みずみずしい知的好奇心 を失なわせ、薄っぺらな学習で数学そのものを嫌う学生を多く育てている現実があると考えられる。これは創造性や好奇心を育てる教育と いわゆる学力をつけるための勉強の乖離の問題である。さらに顕著な事実として、高校までの数学と大学での数学の大きな乖離は 相当に広く認められる現象ではないだろうか。多くの高校生は、大学に入って、数学とはそんなに広く、深く、雄大なものであるかと知って驚くのではないだろうか? また、教育現場の感じも相当に違う感じを受けるだろう。
― このような乖離は、研究成果と学部教育の内容についても言えることに注意しておきたい ―。
背に腹は変えられない、受験勉強は無視できない現実であるから、この問題を改善する具体的な提案として、例えば、週1時間とか、月1時間、カリキュラムにとらわれない数学の時間を用意して、カリキュラムに関係する素材や、新しい話題、面白い歴史的な話題から題材をとり、本来数学の教育に求められるような方向での教育を行うようにする。このような時間は、先生の新鮮な研究、研修にも繋がる面があって 先生の柔軟な精神の涵養にも良いのではないだろうか。さらに視野を広げるためにも、いろいろな講演会の企画なども良いのではないだろうか? 提案したい。数理科学の文化の裾野を広げる努力をしたい。近年は教育・研究環境の厳しさと専門の深さ、困難さで、専門的に深くなりすぎて、数理科学など幅の広さや基礎への関わりが薄くなっているように感じられる。その様な事情を反映させて、教育が疎かになる傾向にもなっているのではないかと危惧される。成果が数字に表されるような貧しい教育である。

数学の教育については、下記も参照:

再生核研究所声明315(2016.08.08) 世界観を大きく変えた、ユークリッドと幾何学
再生核研究所声明283 (2016.2.8)  受験勉強が過熱化した場合の危惧について
再生核研究所声明260 (2015.12.07) 受験勉強、嫌な予感がした ― 受験勉強が過熱化した場合の弊害
再生核研究所声明 187 (2014.12.8)工科系における数学教育について                 
以 上
再生核研究所声明331(2016.11.04) 提案 ― ゼロ除算の研究は、学部卒論や修士論文の題材に適切
(雨上がり 山間部の散歩で考えが湧いた。ゼロ除算の下記論文は、新しい数学の研究課題で、学部4年生の卒論ゼミの課題、修士論文の研究課題に適切である:

The division by zero is uniquely and reasonably determined as 1/0=0/0=z/0=0 in the natural extensions of fractions. We have to change our basic ideas for our space and world:
http://www.diogenes.bg/ijam/contents/2014-27-2/9/9.pdf
Qian,T./Rodino,L.(eds.): Mathematical Analysis, Probability and Applications -Plenary Lectures: Isaac 2015, Macau, China. (Springer Proceedings in Mathematics and Statistics, Vol. 177) Sep. 2016        305 pp. (Springer) 
Paper:Division by Zero z/0 = 0 in Euclidean Spaces
Dear Prof. Hiroshi Michiwaki, Hiroshi Okumura and Saburou Saitoh
With reference to above, The Editor-in-Chief IJMC (Prof. Haydar Akca) accepted the your paper after getting positive and supporting respond from the reviewer.
Now, we inform you that your paper is accepted for next issue of International Journal of Mathematics and Computation 9 Vol. 28; Issue  1, 2017),
数学基礎学力研究会のホームページ
URL
簡単に理由を纏めて置きたい。
1) 基礎知識が学部3年生程度で十分で、基本的な結果を議論でき、新しい結果を導ける余地が十分に存在する。新規で、多くの人が興味を持つ課題で国際的にも広く交流できる。
2) 内容は、永い歴史を有する世界史の問題に関わり、空間の考え、勾配、微分、接線、連続性、無限など数学の基礎概念に関与している。相対性理論、ブラックホール、ビッグバン、計算機障害などにも関係している。
3) もともと歴史的な大問題で、ゼロ除算として永い歴史と文化に関わり、広い視点が発展中の生きた数学の中に持てる。
4) 論理には厳格性、精密性、創造性が要求され、数学の精神の涵養に適切である。予断と偏見、思い込みの深さなどについて人間を知ることが出来る。
5) 基礎数学の広範な修正構想に参画でき、物理学など広い研究課題への応用が展望でき、ゼロ除算算法のような新規で基礎数学の新しい手段を身に付けることが出来る。
6) 現在数学は高度化、細分化して、永い学習期間を経て創造的な仕事に取り掛かれるのが普通であるが、ゼロ除算の研究課題では初期段階から、新しい先端の研究に取り掛かれる基礎的な広い研究領域が存在する。ゼロ除算の研究課題は、世にも稀なる夢のある研究課題であると考えられる。― アリストテレス以来、あるいは西暦628年インドにおけるゼロの記録と、算術の確立以来、またアインシュタインの人生最大の懸案の問題とされてきた、ゼロで割る問題 ゼロ除算は、本質的に新しい局面を迎え、数学における初歩的な部分の欠落が明瞭になってきた。ここ70年を越えても教科書や学術書における数学の初歩的な部分の期待される変更 かつて無かった事である。ユークリッドの考えた空間と解析幾何学などで述べられる我々の空間は実は違っていた。いわゆる非ユークリッド空間とも違う空間が現れた。不思議な飛び、ワープ現象が起きている世界である。ゼロと無限の不思議な関係を述べている。これが我々の空間であると考えられる(再生核研究所声明325(2016.10.14) ゼロ除算の状況について ー 研究・教育活動への参加を求めて)。

偉大なる研究は 2段階の発展でなされる という考えによれば、ゼロ除算には何か画期的な発見が大いに期待できるのではないだろうか。 その意味では 天才や超秀才による本格的な研究が期待される。純粋数学として、新しい空間の意義、ワープ現象の解明が、さらには相対性理論との関係、ゼロ除算計算機障害問題の回避など、本質的で重要な問題が存在する。 他方、新しい空間について、ユークリッド幾何学の見直し、世のいろいろな現象におけるゼロ除算の発見など、数学愛好者の趣味の研究にも良いのではないだろうか。 ゼロ除算の研究課題は、理系の多くの人が驚いて楽しめる普遍的な課題で、論文は多くの人に愛される論文と考えられる。

以 上

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