2016/4/11 13:00 まぐまぐニュース!
「自分が70歳、80歳になり人生を振り返った時、後悔がないように生きていきたい」―、多くの方がそう考えているのではないでしょうか。では、お年寄りは実際、これまでの人生についてどのような思いを抱いているのでしょう。無料メルマガ『サラリーマンで年収1000万円を目指せ。』の著者・佐藤しょ~おんさんは、とあるサイトで発見した衝撃的なデータを紹介しています。
人生を後悔しないために
まずはこのサイトをご覧ください。
● 人生で後悔していること、それは、、、【7割の老人が同じ回答結果】
この回答が衝撃です。それは、「チャレンジしなかったこと」なんですね。できたかできないかではなく、頑張ったか手を抜いたかでもなく、チャレンジせずに手をこまねいてしまったことを後悔しているんです。でも老人になってからこれを後悔してももうどうしようもありませんよね。
我々は歴史から学ぶのです。それはつまり、先達が後悔したことを学び、それと同じ轍を踏まないということと同義なのです。70%の老人が後悔していることがなにかを知ってしまった我々は、この老人と同じ後悔をしてはいけないのです。もしあなたの未来であなたが人生を振り返って同じ後悔をするのなら、それはあなたが歴史からなにも学ばなかったということなのです。
とりあえず安全に、冒険をせず、怖い思いをせず、無難でそつなく、とにかく死なないことだけをゴールにした人生を送っているのなら、これはいつか年を取った時に、「無難イコールチャレンジをしなかった」と思考が変質するのだと考えるべきです。いまは「安全」という価値観だと考えているかも知れませんが、実はその安全を手に入れるために多くのチャレンジを忌避しているのだということなのかもしれません。今はそうだと気付いていないだけなのかもしれません。
しかし70歳、80歳になってからそれに気付いても遅いのです。
チャレンジしなかったことを後悔している70%の老人は、若い頃には、「オレはチャレンジなんて危ないことはやらないぞ!」と考えていたわけじゃないと思うんですよ。彼らは彼らなりに自分の人生に勝負をかけていたと思うんですよね。それなりに危ない橋も渡ったつもりだったんじゃありませんかね。今の皆さんがそうであるように。
それなのに、70、80になってみたら、こんな形で後悔しているということがどういうことなのか? と考え、そこに合理的な解を見つけなきゃならないんです。
私はその解は、「もっとチャレンジできることがわかっていたのに、無難な道を選んでしまった」ということを、自分自身がわかっている、覚えている、そこにあると思いますよ。複数の分岐があったときに、最も無難な道ばかりを選んだわけじゃないと思うんです。ちょっとは危ない道も選んだと思うんですよ。それなのにまだ後悔しているということは、自分の中に、「もっとワイルドな道を選ぶべきだった」という気持ちが残っているからだと思うんです。そしてあのときの自分にはそんなワイルドな道でも走り抜ける実力もあったのだ、と振り返ってみるとそう思えるから、「なんであのときにチャレンジしなかったんだ~(泣)」という想いを持つわけです。
ここまで分析して、それを自分に置き換えたらどうなるか分かりますよね。70%の人間が後悔しているということは、後悔しないためには残りの30%に入らなきゃならないということです。いろいろな切り口が存在しますが、「自分はチャレンジしているほうか、していないほうか?」という問いを発して、チャレンジしている上位30%の人以外は、将来このような後悔をするということですから。あなたは上位30%に入れる自信がありますか? なければなにをしなきゃならないのかはもうおわかりですよね。
image by: Shutterstock
『サラリーマンで年収1000万円を目指せ。』
著者/佐藤しょ~おん
高卒、派遣社員という負け組から、外資系IT企業の部長になった男の、成功法則を全て無料で公開。誰にでも、どんな状況、状態からでも自分の力で人生を変えるための情報と知性を発信する。
http://www.mag2.com/m/0000258149.html
http://netallica.yahoo.co.jp/news/20160411-67799597-magmag
再生核研究所声明80(2012.03.20) 挑戦 とは 何か
(この声明は 朝日新聞 『天声新語』 募集の課題 「挑戦」から ヒントを得て、考えられたものである)
およそ、人生も世界も慣性の法則で動いているものと言える。これは 世の中は物理学の慣性の法則に従っているように、大きな流れの上にあるということである。実際、人は気づいてみたらこの世に生を享け、ある流れの上で生かされていると言える。今日在るは昨日の延長上にあり、昨日はその前の延長上にあると遡って行ける。明日の多くは連続性に従って今日の延長として、相当に決まっていると言える。人間が生きたいと思うのは 今まで生きてきたから、明日も生きたいと 慣性の法則で志していると言える(再生核研究所声明 72 慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則)。
しかしながら、面白いことには、人間存在の神秘性であるが、人間には自由意志があって、その流れに少し逆らうような有り様が可能である。 顕著な例が、挑戦である。すなわち、戦い挑む、やってみる、試みるということは 人間の自由意志の顕著な例である。冒険、競争、求道、研究、芸術などの営みは、人間であることの証であるとも言え、挑戦とは人間としての存在の本質を表しているところの、人間固有の人間らしい営みである。
されば、人間の存在の意義とは何か? まず、生きること、生きて存在しなければ始まらない ― 生命の基本定理、人生、世界、生物界において 実際これくらいしか、確かなことは、無い。 逆に考えてみよう、生きて、存在しなければ、生まれて来る前のように 何も認識できず、したがって何も知らず、何も伝えられず、全ての前提は 消えてしまうだろう(再生核研究所声明13: 第1原理 ― 最も大事なこと)。
さらに1歩進めて、人間として生きることの意義とは何だろうか。 それは、つきるところ、人生の意義は感動することにある ― 人生の基本定理 にあると言える。 人間が何に感動するかは、個性にもよるが、本能に基づくものは当然として、真、善、美、聖などを求めているときであると言え、知ることと、自由を求めることが それらの基礎である。 その本質は、気づくことと、喜びを感じることに他ならない。 人間として生きることの本質ではないだろうか(再生核研究所声明12: 人生、世界の存在していることの意味について)。
そこで、いま、日本国において、取り組むべき挑戦課題を提案したい。
まず、国家財政を立て直すこと、国だけの債務をみても、1000兆円に迫り、3年続けて 歳入の2倍を超える歳出である。 更に大震災、原発事故、放射能対策の膨大な経費である。このような財政を続けていける道理は 世に無いから、国は大胆に財政問題を国民に明らかにして、官民挙げて 財政問題に挑戦すべきである。もちろん増税だけではなく、国民に理解を求めるための 節税や行政改革なども断行すべきである。ここで大事な観点は、縮小方向ばかりではなく、財政再建の積極的な展開も多方面に志向すべきであるということである。新しい職場の開拓、ビジネス効果志向などである。国の活動に人材の活用によるビジネス感覚の導入も必要ではないだろうか。これらは、同時多発的に広範に取り組む必要があり、ここでの挑戦とは、正しく時間との戦いであると言える。何事も追い込まれる前に先手を打つのが 賢明な対応の在りようではないだろうか。世界は 世界混乱前夜の状況にあると言えるのではないだろうか(再生核研究所声明 45: 第2次世界大戦と第3次世界混乱)。
次に、原発事故を鎮圧して、放射能対策をしっかり行うこと。これは当然であるが、より真剣に取り組むべきではないだろうか。世に 反原発についての意見やデモ等が行われているが これほど無意味で、無駄な行動は無い。誰でも原発など無いにこしたことはないと考えるのは当然であり、また、東電その他関係者自身が、一般国民よりははるかに、原発事故の重大さと危険性を明確に自覚していることは 当たり前である。 世に騒がれるまでもない当然のことではないだろうか。当然のことを騒いでいて、何か建設的、生産的なことが有るだろうか。 逆に、原発を何とか活用すべく、挑戦的に取り組むことは 自明ではない、やりがいのある挑戦課題ではないだろうか。それこそが、およそ人間存在の原理ではないだろうか。 実際、人類は、未知の世界に冒険し、新世界を開拓し、次々と世界を拡大、深化させてきたのではないのか。不可能と思えることを可能ならしめ、宇宙の隅々まで、神の意思までをも 究めたいというが、そもそも人間存在の原理ではないだろうか。もちろん、これは安易に取り組むことを意味せず、慎重に、慎重に進めるのは当然であるが、原発を諦めるということは、それに対する人類の敗北を意味し、人間存在の本質に抵触すると言わなければならない。何時かは原子力ネルギーを自由に制御して、広大な宇宙に飛び出し、新天地を拓こうではないか(再生核研究所声明 32: 夜明け―ノアの方舟)。
次に教育の問題である。 日本の教育は何を目指しているのかと問いたい。 ただ大学受験を目指して、大学に入る為の勉強に ほとんどの部分を占めているように見える。受験のための塾、専門の学校の繁茂がそれらを示してはいないだろうか。 教育を教育の在るべき姿に戻って、検討し直すことが 中長期的には日本国における大事な挑戦課題ではないだろうか。 教育の在るべき姿などは既に教育基本法その他で 確立しているが 弊害は、本末転倒の教育の在り様になっている実情、実体にある(再生核研究所声明 70 本末転倒、あべこべ ― 初心忘れるべからず)。教育の原理についても注意を喚起したい(再生核研究所声明76 教育における心得、教育原理)。
挑戦とは人間の自由意志の明確な表現として、決断による情熱の伴った生命の燃焼であり、志である。 そこに良い感動が伴えば、より良い人生と言えるだろう。
以 上







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