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田中淳夫2016年04月24日 11:22タケノコ堀りは、里山を守るための戦い?
タケノコは雑木林にも侵食して竹林を拡大していく
今年幾度目かのタケノコ堀りに出かけた。
今回も20本くらい掘ったか。先日の分を合わせると、約40本。5月の連休までは掘れるので、まだまだ数は増えるだろう。
場所は、我が家が所有する山林だ。山林という言葉を使うのも恥ずかしいほど狭いのだが、そこは雑木林に覆われている。ただ、隣が竹林で、そこから地下茎で越境してきたタケが、我が所領(笑)にもタケノコを生やす。
だから雑木林でタケノコ堀りをするという、ちょっと変わった状態だ。竹林と違って石や木の根の間から顔を出したり、急な斜面に生えたりするので、結構掘るのも大変だ。
タケノコは、そのまま掘らないでおくと、夏には高さ5メートル以上のタケに成長する。すると樹木を押し退け、光も奪ってしまう。その成長力は半端ではないのだ。だからタケノコを放置すると、あっというまに雑木林が竹林になってしまいかねない。
ここで増えているのは主にモウソウチクだ。太くて成長も早い。当然タケノコも太く大きい。これが全国の里山を席巻するほど増えている。
なぜモウソウチクが増えるのかというと、一つには、この種が外来種であることも関係あるだろう。
江戸時代に中国からもたらされたモウソウチクは、戦前までは竹材やタケノコの採取のために人家の近くに植えられた。しかし、外来種によくあることだが、日本在来のマダケやハチクなどより繁殖力も強いのだ。しかも在来種のようにおくゆかしくなく、歯止めなく竹林を拡大していく。とくに戦後は、竹林管理が放置されがちで猛烈な勢いで増えだしたのだ。そのため全国的に、竹林と言えばモウソウチクと言えるほどになった。
放置竹林の増加は、里山環境の大問題だ。タケは、どんどん面積を広げて従来の雑木林や休耕した農地などを侵食する。竹林の生物多様性は低いので、その分里山の環境が劣化することを意味する。タケに覆われた土地は、ほかの樹木はもちろん草も生えにくく、食べられる実や葉も少ないから昆虫や鳥も少なくなるだろう。
また竹林は、根と地下茎を張り巡らせるため地震や山崩れに強いと言われてきたが、最近は地下茎の伸びるのは地表近くであまり効果がないという研究も出ている。それどころか大面積の地表を一緒くたに剥がして崩れてしまうケースもあるそうだ。
だから、せっせと掘らねばならない。そう、これは雑木林を守るためのタケノコ堀りなのだ。
もっとも、ここ数年、異変が起きている。
こちらが掘る前にタケノコが掘られた跡が見つかるのだ。
まず疑うのは、ハイカーである。無断で侵入して、勝手に掘られるのは気分がよくない。タケノコを掘るだけでなく山林を荒らさないか。ゴミを捨てていかないか。実際、お菓子の包み紙やペットボトルの放置が目立つ。
が、さらに上手がいた。その場で食い荒らす輩が現れたのだ。
それはイノシシである。
片っ端からタケノコを掘り起こし、かじっている。それもきれいに食べるのではなく、少しかじっては次に移るようだ。
イノシシが食い荒らしたタケノコ
イノシシが食い荒らしたタケノコ
最初は、タケノコ退治にイノシシが加勢してくれているようなもんだ、と鷹揚に構えていたが、根こそぎ遣られると腹が立つ。せめて数本残しておけよ。
どうやらタケノコは、イノシシの春の重要な餌となっているらしい。この時期にイノシシを駆除して解体したところ、胃の中はタケノコばかりだったという報告もある。冬を越して春の繁殖期に豊富な餌が得られることは、イノシシ増殖の助けになる。里山にイノシシが急増して農作物を荒らしたり工作物を壊す獣害が発生しているが、タケノコの存在が影響を与えている可能性が高い。
これまで、掘りすぎたタケノコをそのまま林内に残すこともあったのだが、それではイノシシに餌を供給しているようなものだ。掘ったタケノコは、必ず持ち出さなくてはならない。
竹林の放棄はイノシシを増加につながり、里山の環境劣化に対して相乗効果を生み出しかねない。
だからこそイノシシと競争でタケノコ堀りをするのである。
だが、掘ったタケノコを不用意に捨てられないとなると、毎年、タケノコの処分に困る。なにしろ膨大な量だ。
最初は、もちろん自宅でも食べるし近所にも配る。しかし何十本にもなると、茹でるのも一苦労で、食べるのも飽きる。配るにしても、2度目3度目となると、正直近所の人も困惑される。
そこで最近は、近隣のレストランに納品することにした。タケノコ料理に活かしてもらえば大量消費できるだろう。私は、その代わりに飲み物をもらったり、料理を割引で食べたりできる。この季節だけ、タケノコは地域通貨となるのだ。
今後もイノシシと競争しつつ、里山の環境を守るため、そして地域通貨を得るために、春はタケノコ堀りなのである。
※Yahoo!ニュースからの転載http://blogos.com/article/173148/
再生核研究所声明 56(2011.04.06): アースデイ の理念
先ず、アースデイの概念であるが、グーグルで検索すると、環境関連の会議で、環境問題についての討論集会、環境のかかえる問題に対して人びとに関心をもってもらおう、 地球環境を守る意思表示をする国際連帯行動 などから、地球環境を大事にしようという概念が 鍵となっているようである。
そこで、地球について改めて、考察し、かけがいのない地球 に想いを致し、元祖生命体における人類の使命(再生核研究所声明 41:世界史、大義、評価、神、最後の審判)を自覚するように 訴えます。
広大な宇宙空間で、地球のように 生命が繁茂し、人間のような ある程度の精神作用や自由意志を有する高等生物が生息する天体は 未だ見つかっていない。 このことからも、既に 地球が広大な宇宙の中で、かけがいのない存在 であることが分かる。 人類が存在して、初めて、全てのことは始まるから、人類の生存は 最も大事な ことになる(再生核研究所声明13)。 雄大な生態系において、人類はその頂点に位置していて、自由意志と能力によって、地球や生態系に重大な影響を与えている。 実際、人類が望めば、原爆などで地球を破壊し、生命の絶滅も可能であろう。しかしながら、実は、人類の自覚が無ければ、このままでも 生態系が破壊され、少なくとも人類絶滅にいたるのは 物理的にも 容易に想像される。
実際、地球外から地球を見れば、人類が如何に自然と生態系を破壊して来たかが、良く理解できる。人類こそ、地球の生態系を蝕む、がん細胞のような存在であることを しっかりと理解する必要がある。がん細胞が増殖すれば、生態系は乱され、やがて がん細胞すら存在しえなくなるのは明らかである。
このような観点から、地球環境の保全、特に生態系の保全に特別な想いを致すのが、アースデイの理念 でなければならないと考える。
生きている地球が、地震などを起こすのは道理である。 地球と仲良く生きるとは、地震などにも柔軟に対応できる生き方をするということである。母なる地球が在って、豊かな生態系が在って、はじめて人類の生存の基礎ができるのである。 それらの持続可能な在りようを追求するのが、元祖生命体の代表である人類の 真に崇高な使命である。大義である。
生態系の在りようは 多様性によって裏付けられているが、その実体は未だ 人知の及ばない領域とも言えるから、人類は謙虚になって、
1) 人類の立ち入らない島や、地域の制定
2) あらゆる生物種の保存
に努力するように訴える。 人生で確かなこととは 生きて存在しなければ何も始まらない (生命の基本定理) ということであり、生態体系の保存に心すべきであり、元祖生命体の進化を見守りたい。 また、広い存在領域の確保のためにも、地球外への進出も企てたい(再生核研究所声明32)
以 上
再生核研究所声明224(2015.4.21) 郵便ポストの適正配置を求める提案 ― ゴミの無責任な投棄を止めよう
(これは 新緑美しい山間の道を散歩しながら、バイクでの郵便配達の様子を拝見して考えが湧いたものである。平凡な声明が、世に実際的に貢献すれば良いと考えた。)
世の中の人間関係の多くの問題は、次の 公正の原則 で概ね解決できると考えて再生核研究所声明の原型が始められた:
再生核研究所声明 1 (2007/01/27):美しい社会はどうしたら、できるか、 美しい社会とは:
最近の世相として,不景気・政界・財界・官界・大学の不振,教育の混迷,さらにニューヨークのテロ事件,アフガン紛争,パレスチナ問題と心痛めることが多いことです.どうしたら美しい社会を築けるでしょうか.一年半も前に纏めた次の手記はそれらのすべての解決の基礎になると思いますが,如何でしょうか.
平成12年9月21日早朝,公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました.
1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか.
2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか.
3) それはみんなに受け入れられるか.
4) それは安定的に実現可能か.
これらの 「公正の判定条件」 の視点から一つの行為を確認して諒となれば それは公正といえる.
現在,社会の規範が混乱し,不透明になっているように思うが,公正の原則 を確認して,行動していけば ―― これは容易なことではないが ―― 世の中は はるかに明るくなり,多くの混乱は少なくなると思いますが如何でしょうか.
また,こういうことを考える教育は,人間関係や社会生活の基本的な在り方を明らかにし,環境の保全などにも貢献すると思います.(以下略。)
そこで、今回は 極めて具体的に、各家庭で設置されている 郵便受けの設置場所についての検討を広く訴えたい。 郵便配達の方の立場を考えて、自分たちに都合の良い場所に 郵便受けの設置を考えるだけではなく、配達する人の立場も考えて 設置して 配達し易い様に考えようということである。 山間部等あまりに深く入り込んでいたり、 庭でも広く、奥深くに設置されていて、 配達する人の労苦、複雑さに驚かされている。 多くは バイクでの配達のようであるが、バイクでの観点も考えて、 より便利な設置を再検討したい。 郵便物を受け取る人も 配達する人も 楽しい状況になるように 配慮したい。
ついでに 余りにも当たり前のことであるが、美しい山や川に、 街に、 ゴミが捨てられていて、哀しくなる場面は 結構多い。極めて残念である。 美しい街、自然に相応しいものではない と常日頃繰り返し、思われるので、お互いに注意を換気したい。
美しい新緑の季節、自然を愛でて浩然の気を養いたい ― 再生核研究所声明223(2015.4.14) 人生の目的は、自然を愛でて楽しみ、ともに喜び合うこと ― 二十一世紀の壮大なロマン 真実(播磨屋助次郎著)を読んで。
以 上
追記:
こうぜんのき【浩然の気】の意味 - 国語辞書 - goo辞書
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こうぜんのき【浩然の気】とは。意味や解説、類語。《「孟子」公孫丑上から》1 天地にみなぎっている、万物の生命力や活力の源となる気。2 物事にとらわれない、おおらかな心持ち。
(世界宗教用語大事典
こうぜんのき 【浩然の気】
『孟子・公孫丑上』に「我善く吾が浩然の気を養う」とあるのによる。天地間に充満している非常に大きく強い気(至大至剛の気)をいう。自分の行動が正しいと、この気が身中に満ち、不屈の道徳的勇気となるとする。浩気とも。明け方近くの清澄な大気をも意味し、呼吸法とも関係し、修養法ともされる。)
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