さまざまな生息地がみんな違っていてしかも互いに「ほどほど」に繋がっていることが 自然のバランスを保つカギ 理工学部 近藤 倫生 教授らが世界で初めて解明
2016年4月13日
龍谷大学理工学部の 近藤 倫生 教授と島根大学生物資源科学部の 舞木 昭彦 准教授は、多種からなる生態系のバランスを保つために、生物の棲む生息地はどのような特徴を備えているべきかを世界で初めて理論的に突き止めました。この研究によると、①たくさんの生息地があってそれらの環境がみな異なっていること、②これらの生息地が互いにつながっていて生物が行き来できること、③しかし生息地間の行き来が生物にとって容易すぎないこと、これら3つのの条件がそろわないと、多様な生物からなる生態系は自ずと不安定になって壊れてしまう可能性があることが理論的に示されました。本研究成果は、日本時間の2016年4月13日午後18時(英国時間午前10時)発行の英国科学誌「Scientific Reports」に掲載されます。
自然界では、多種多様な生物たちが他の生物を食べるなど互いに関係しあいながら、共存しています。そこでは、一種類の生物だけが他を圧倒してしまったりすることなく、「自然のバランス」が保たれているように見えます。しかし、これは少なくとも理論的には「あたりまえのこと」ではありませんでした。1972年、理論生態学の権威ロバート・メイ博士は、単純な数理モデル(注1)に基づいて、「生物の種類が増えるほど、そして、生物間の関わり合いが複雑になるほど、生態系は不安定になり維持されにくくなる」とする理論予測を発表しました。しかし、現実には極めて複雑な生態系が維持されており、メイ博士の理論予測に反しているように見えます。これは「生物多様性のパラドクス」と呼ばれています。それから半世紀ものあいだ、この理論と現実の矛盾(パラドクス)は解消されず、自然界で生物多様性が維持される仕組みは、未解決のまま残された大きな謎でした。
本研究グループは、従来の研究では見逃されてきた「生息地の複雑性」を考慮に入れた数理モデル(注1)を世界にさきがけて開発・解析しました。これにより、「多様な生息地が存在し、かつそれらの間を多様な生物がほどほどに行き来できる」ということがあれば、メイ博士の理論予測を逆転させられる(複雑な生態系ほど安定化する)ことを理論的につきとめました。これは、裏を返せば、人間活動によって生息地の数が少なくなったり、同じような均質な環境ばかりになったり、生息地の間の行き来が生物にとって困難になると、生物それ自体に人間が手をくださなくとも、それだけで自然のバランスは崩れて、生物多様性が失われてしまう危険性を示唆しています。
■発表論文について
英文タイトル:Food-web complexity, meta-community complexity and community stability
和訳:食物網の複雑性、メタ群集の複雑性、そして生物群集の安定性
掲載誌:Scientific Reports
著者:舞木 昭彦 (島根大学) ・ 近藤 倫生 (龍谷大学)
<研究の背景>
人類は、多種多様な生物から構成される自然生態系から生息環境および食料などの恩恵を受けています。一方で、現在、人間活動が原因となって、生物種の多様性は急速に失われ続けています。生物多様性の崩壊は生態系サービス(注2)の喪失を進行させ、人類の存続を脅かしていると考えられています。このようななかで、生物多様性を保全し、回復させるための技術開発・方策の策定が強く求められています。この生物多様性保全(注3)を成功させるには、自然生態系が維持されている仕組みの解明が不可欠です。
複雑な自然生態系には、生物個体数の大きな変動を抑制する何らかの自己調節機構が備わっていると考えられます。なぜなら、農地などの単純な人工生態系では、害虫などの大発生がしばしば生じる一方で、多くの種類の生物種が互いに関わり合いながら共存している複雑な自然生態系では、特定の生物種が突然に大発生したり、生物種が次々に絶滅したりといった、個体数の大きな変動はあまり生じないからです。この自然生態系に内在する「安定化の仕組み(自然のバランスの仕組み)」が分かれば、世界的な大問題「人間活動に伴う生物多様性の喪失」を食い止めることが可能になるかもしれません。しかし、この「安定性」の仕組みの正体は生態学における未解決問題の一つです。
ロバート・メイの理論(注4)(1972年発表)は、私たちの予想に反し、生物種の数が多いほど、そして生物種どうしの関係の数が多いほど、つまり複雑なほど、生態系が不安定になり保たれにくくなることを予測しています。複雑になるほど生態系は不安定になるとしたこの理論予測は、複雑な自然生態系が実際には存続しているという観察事実と矛盾しており、自然生態系においては生物多様性の維持を促進する何らかの未知の仕組みが備わっていることを示唆しています。メイの理論の発表後、「生態系の安定性の仕組み」を解明しようとする研究が、半世紀に渡り数多くの研究者によって盛んに行われてきましたが、未だにその仕組
<研究の内容>
本研究では、複雑な生態系が保たれる仕組みを解明するため、従来の研究では見逃されてきた「生息空間の複雑性」の役割に着目しました。生物は、他の生物を食料として利用するだけでなく、生息場所がなければ生きていけません。さらに、動物のほとんどは、常に同じ場所で生活しているわけではなく、例えば食料を求めて生息地の間を移動しています。そして、そのような生息地はすべて少しずつ違っているのが普通で、どれ一つとして同じではありません。このことから、生態系は、少しずつ特徴の異なった多様な生息場所が互いに連結された、「生息地のネットワーク」としてみることができます(図1)。これまでの研究では注目されることのなかったこのような生息地ネットワークの複雑性こそが、複雑な生態系を保つ鍵なのではないか、というのが本研究の基本的なアイデアです。
しかし、生息空間の複雑さが複雑な生態系の安定性にどのような影響をもたらすかを研究した例は過去にはありません。そこで、生息空間の複雑性が生態系の安定性にもたらす影響を評価するために、数学を利用した自然生態系の模型(数理モデル)を作成しました。この数理モデルでは、たくさんの種類の生物が互いに「食う-食われる」の関係を持っており、その影響により生物の個体数が増減する様子が再現されています。ロバート・メイが利用した数理モデルがこの数理モデルの基礎になっていますが、私たちの数理モデルは、複数の生息空間を考え、さらにそれらが生物の移動を通してつながるようにしました。さらにそれら生物の「移動率」をいろいろに変えることで、生息地間の行き来のしやすさを変えられるという従来のモデルにはない新しい特徴を備えています。
このモデルの解析の結果、確かに生息空間の複雑さが、生態系の安定性に大きな影響をもたらすことが分かりました。具体的には、2つの重要な影響を発見しました。第1に、生息空間のあいだを生物がほどほどに行き来でき、多様な生息地を利用できるときほど、多種の共存が容易になる(生態系が維持されやすくなる)ことがわかりました(図2)。生息地間が分断されすぎて移動ができなかったり、逆に生息地間の移動が簡単すぎたりすると、生態系における各生物の個体数変動は不安定になってしまいました。
第2に、生息空間のネットワークが複雑であれば(生息空間が複数あり、それらが複数連結している)、これまで生態系のバランスを崩すと信じられてきた生態系の複雑性(種数が多い、生物種どうしの関係の数が多い)が、全く逆の効果を持つことが分かりました(図3)。すなわち、種数が多いほど、生物種どうしの関係の数が多いほど、各生物の個体数変動が小さくなり、生態系の安定性が高まるのです。自然生態系にみられる多様な生息空間と多様な生物種、それら多様な環境からなる生態系は、その複雑さそのものによって保たれている可能性があります。このような生態系では、生息地の複雑性が生態系の崩壊につながってしまう危険性を示唆しています。なぜなら生息地の複雑性が失われると、生態系の複雑性は生態系を安定化させるのではなく、メイの予測通り安定性を低下させるようになってしまうためです。
図2. 生息地の間のつながり(行き来のしやすさ)が中程度の時に、生態系は最も安定になる。生息地がたがいに分断していたり(孤立した生態系)、あるいは逆に、行き来が簡単すぎたり(強く連結した生態系)すると、生態系は不安定になってしまう。
図3. 生息空間の複雑性が生態系の複雑性-安定性関係に及ぼす影響。生息地の数が少なかったり、たがいに分断されている「生息空間の複雑性」の高い環境では、種の数が多かったり、種間関係の数が多い「複雑な生態系」ほど、生態系は不安定になる(最も左のパネル)。逆に、たくさんの生息地がたがいにつながりあった「生息空間の複雑性」の高い環境では、「複雑な生態系」ほど、生態系は安定になる(最も右のパネル)。
<今後の展開>
本研究の結果は、「何が複雑な自然生態系のバランスを保っているのか」という未解決の大問題に「生息空間の複雑性」という1つの答えを提供しています。自然生態系における生物多様性の保全を進める際には、「生物どうしのつながり」のみならず、「生息地どうしのつながり」に着目する必要があることを示している点も重要です。現在、生息地破壊および温暖化などにより生息空間が分断化されたり、逆に今まで容易には行き来できなかった生息地同士がつながったり、環境が一様化されはじめています。本研究はこれらすべての環境変化が、生態系の破壊につながることを示唆しています。実際、生息地破壊が生物多様性を減少させる例が知られています。生物多様性の保全のためには、多様な生物の性質やそれら生物どうしの関係性を知るだけでなく、生息場所の環境およびそれら場所どうしのつながりかたを明らかにするなどして、「生物多様性」と同時に「空間多様性」、
すなわち「生態系多様性」を維持するための方策について考える必要があります。
<用語解説>
(注1)数理モデル
直接的な実験や観察が困難なときには、しばしば模型が利用されます。例えば、車の安全性能を調べる衝突実験には、本当の人間ではなくて、人間の特徴を備えた「衝突実験用模型」を利用するのが普通です。自然科学の研究においても、研究対象とする現象や系の注目する特徴を抽出し、そのような特徴を備えた数式を使って研究を進めることが可能です。このような数学を利用した模型のことを数理モデルと呼びます。本研究では、たくさんの生物種が互いに助け合ったり、食べたり、食べられたりすることで個体数を変動させる様子をとらえた数理モデルを利用しています。
(注2)生態系サービス
生物と物理・化学的環境が相互に関係して作り上げているシステムを生態系と呼びます。生態系は私たち人類に多大な利益・サービスを提供しており、これを生態系サービスと呼びます。例えば、食料や燃料、木材などの提供、水の浄化や気候の調節、宗教や文化的生活の基盤の提供、酸素の生産や土壌の形成などはみな生態系サービスの一種です。生物多様性はこの生態系サービスの基盤であり、生物多様性が失われることで生態系サービスの劣化が生じることが知られています。
(注3)生物多様性保全
自然生態系の1つの重要な特徴は、そこにバリエーションが存在することです。例えば、種の多様性は生態系を構成する生物種のバリエーションをさしています。種の多様性は生態系が人間に与える恩恵(生態系サービス)を支えていると考えられています。現在、人間活動によって生物多様性が急速に失われており、これを防ぐための方策を講じることが求められています。自然生態系において多種が共存する仕組みの解明は、生物多様性保全の有効な手法の開発に貢献することが期待されます。
(注4)ロバート・メイの理論(あるいはメイの理論)
Robert May(ロバート・メイ)は1973年に生態系の複雑性と安定性の関係についてそれまでの考え方を覆す重要な理論予測を発表しました。種間関係によって生物の個体数が増減する様子をとらえた数理モデルを利用して、種の数が多い生態系ほど、そして関係を結んでいる種ペアの数が多い生態系ほど、個体数の時間変化が不安定になることを理論的に予測したのです。それまで、自然生態系において自然のバランスが保たれているのは生態系が複雑だからだと期待されてきましたが、それとは全く逆の予測をもたらしたのです。この理論予測は、自然は複雑だからこそバランスがとれているのだと信じていた当時の生態学者に驚きを持って迎えられました。この理論予測が登場することで、複雑な生態系(種数が多く、種間の関係の多い生態系)がどのような仕組みで維持されているかを解明しようとする研究が盛んに行われるようになりました。
<発表論文>
英文タイトル:Food-web complexity, meta-community complexity and community stability
和訳:食物網の複雑性、メタ群集の複雑性、そして生物群集の安定性
掲載ジャーナル: Scientific Reports
著者:舞木 昭彦 (島根大学) ・ 近藤 倫生 (龍谷大学)
<研究に関する問い合わせ先>
近藤 倫生(コンドウ ミチオ)
龍谷大学理工学部・教授
〒520-2194 大津市瀬田大江町横谷1-5
Tel: 077-544-7111 / Email: mkondoh@rins.ryukoku.ac.jp
舞木 昭彦(モウギ アキヒコ)
島根大学生物資源科学部・准教授
〒690-8504 松江市西川津町1060
Tel: 085-232-6430 / Email: amougi@gmail.comhttp://www.rikou.ryukoku.ac.jp/news/detail.php?id=7966
再生核研究所声明35(2010/04/23): 社会と個人の在りよう―細胞の役割
声明 33:民主主義と衆愚政治 の中で、民主主義
( : 諸個人の意思の集合をもって物事を決める意思決定の原則・政治体制 ― 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 )
の在りよう、 特に一般選挙で代表者を選出する方法、及び多数決で決定する方法 について考察し、民主主義の問題点を考察した。 そこで、(1)まず、代表者の選出過程、重要事項の決定過程に 多くの労力を有し、時間と手間がかかること。(2)投票者が 代表者の行使する行動について、良く理解できず、適切な代表者の選出ができず、いわば考えている代表者とあべこべの代表者を選出する可能性が高いこと。(3) また、代表者の本来の要務以外の能力で、たとえば感じがいいから等で、代表者を選出しがちであること。(4)また、候補者に名演説などで いわば騙されてしまうこと。(5)何でも多数をそろえて、政治その他を推し進めようとなりがちなこと。(6)会議で、多数決で議事を決定する際、投票者が議事に対する理解と公正な判断能力を有しないために言わば数の結果で悪い決定がなされる。(7)さらに、難しい問題を多数の人が理解できるか、判断できるかという観点。 難しい問題を素人の多くの人に判断を求めるのは 逆に無責任で、危険であるということ。
として、次の時代には、より進んだ政治体制が考えられなければならないが、当分は適切に適用できる方法が現実的に見当たらないから、現状の体制を維持するとして、民主主義の弊害を少なくするために、運用の在りようについて:
1) 代表者の選挙については、 選挙の広報をきちんと行うのは当然であるが、 投票しない権利を明確に認め、いわゆる投票率を上げるような行動は慎むこと。 これは投票に興味と関心を有する人に参加して頂き、興味や関心を持たない人に無理に投票して頂くのは 無責任につながりかねないからである。特に政治や社会に関心のない人への勧誘による投票は慎むべきである。投票の案内は当然であるが、投票しましょうという勧誘は良くないと考える。これは、いわば真面目な投票人による選挙を意図していて、いわば無責任な人の投票を排除しようとする意図があることを肯定するものである。
2) 代表者の身分が民主主義ゆえに不安定では 責任ある政治を行うことができないから、在任中は特に厚く身分を保証して 本務に専念できるように配慮すること。
3) 代表者は 広い視点に立って、自分の立場より、公の立場を優先させて考え、評価については 近視眼的ではなくて、歴史的な評価を大事にすること。
4) 代表者の投票者(有権者)は 日ごろ研鑽を行い、投票に責任が負えるように努力すること。
5) 特に 代表者の選出過程や代表者の立場が、マスコミの影響を受け易いのが、民主主義の特徴であるから、マスコミ関係者は 高い見識を持つように 特に努力して 報道の5原則にいつも留意すること。
とした。そして、民主主義は何時でも衆愚政治 に陥り易いので、 衆愚政治に落ち入らないように努力して より良い政治の下で良い社会を築いて行こうと呼びかけている。
上記考察のうちで、政党政治の形をとるのが 民主主義の必然的な形態と考えられるが、政党政治は本来もつべき国家や社会についての大きな視点から、 往々にして、政党間の競争、あるいは無用の権力闘争に陥り易い弊害があることも指摘されなければならない。 本来考えるべき国家や社会の問題をないがしろにして、権力闘争に明け暮れるさまは 戦国時代と何ら本質的に変わらない形相と云える。 いわゆる派閥や仲間を作り、公の立場よりも、そのような派の利害を優先した行動がとられ、民主主義が空洞化してしまうのはよく見られる現象である。 また、公人を選出するのに 自己の利益や自己の所属する集団の利益の観点から、代表者を選出しようとするのは、本質的な間違いであるのに 多くの人はそれすら克服できない恥ずかしい状況にあると言える (衆愚政治とは、有権者の大半が知的訓練を受けずに参政権を得ている状況で、その愚かさゆえに互いに譲り合い(互譲)や合意形成ができず、政策が停滞してしまったり、愚かな合意が得られたりする状況をさす。 また有権者がおのおののエゴイズムを追求して意思決定する政治状況を指す。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』。) さらに、各個人の属する社会の中での 自己の立ち場に対する配慮 (保身) から、あるいは無気力や自分の専門や仕事に 埋没した多くの人が、自己の意見を表明せず、民主的な多数の意思が、実際には多数の意思を反映せず、一部の強い意見がまかり通ることが結構多いと危惧される (アビリーンのパラドックス)。 バブル崩壊後の新しい特徴として、社会の厳しさが、生活や生きていくことの困難性を生じせしめ、社会や国家について深く想いをめぐらす余裕を失ない、 国家や社会についての理解や論調が 軽薄になっているとみられる。
そこで、国家と個人は、社会と個人は 如何にあるべきかについて、 2010年4月18日 朝、
人体と細胞のように在るべきである
という考えを抱いた。 国家や社会は人体のように全体として、統一のとれた主体的な存在であるが、個人は細胞のようにそれぞれの役割をもって、国家や社会に調和する存在であるべきであるという考え方である。 個々の意思は中枢に反映され、中枢の指示は個々に反映される。 それは細胞のなす、おのおのの器官を通して 全体に調和する形でなされなければならない。 この理念を社会に活かすには、人はそれぞれに希望する形で社会に参加して、1)項のように 強制的でなく、 自発的、自由な意思での参加方式をとるのがよいと考える。
これは社会が複雑になり、人びとの関心と興味が多様になり、一律全体が との形が 逆に大きな弊害をもたらす事実をさけて、 いろいろな役割によって全体に参加することにしようと提案しているものである。 中枢の個々への指示は明瞭であるが、個々の中枢への意思の表示については尚検討の余地があるが、現状の在りようで基本的にはよいと考える。 この声明の趣旨は 人体と細胞のように国家と個人は、社会と個人は有機体の存在として、 調和ある存在 になろう ということにある。実際、一個の人間の存在は 細胞が生体の中で有機的な存在であるように、本来社会の中で有機的な存在ではないだろうか。生体が病んでしまったら、個々の細胞の存在はどのようになるかに 想いを致したい。
実際、人類の生存は、如何なるものをも超えた存在である(最も大事なこと:声明13)。
以 上
再生核研究所声明182(2014.11.26) 世界、縄張り、単細胞、宇宙
(初秋、猿の家族が2日間 20頭くらい訪れ まだ渋い 3本の甘柿を食べ尽くして 近くの山に姿を消した。2014.11.9 仕事の区切りがついて、研究室から山を眺めていて 今頃どこで何をしているだろうかと気遣って 人生を想って構想が湧いたが、焦点が絞れなかった。)
猿の1団には 生息領域が 相当にしっかり有ると言える。人間でも、江戸時代以前では概ね、終日歩いて行ける距離 概ね半径40キロメートル以内くらいに 普通の人の生活圏は限られていたと言えよう。生涯でもそれを越えた世界に立ち入るのは、希なことであったのではないだろうか。婚姻なども その範囲に多くは限られていたと言える。 多くの動物には 縄張りなどの生活圏が存在していると言える。
そこで、一人の人間Aの存在範囲に思いを巡らしたい。A の存在し、想像し、活動する世界全体を Aの世界Bとして、それは、B の世界、宇宙と考えよう。勿論、B はいわゆる外なる大きな 世界と複雑に関係しているが、A が認知できる一切の世界を Bと考えよう。
何が言いたいのか。それは、大きな世界に於ける 個人の存在の小ささである。特に、個人が大きな世界、人間社会に与える影響は 普通は極めて小さいと言うことである。基本的に次のように捉えられる:
再生核研究所声明 35: 社会と個人の在りよう ― 細胞の役割
再生核研究所声明85: 食欲から人間を考える ― 飽きること
言わば、個人の物理的な制限である。
歌の世界で例えてみよう。 日本には素晴らしい歌があって、歌謡界のレヴェルは高く、愛好者も実に多く、歌については 日本は世界最高の文化ではないだろうか。俳句や、生花、盆栽、折り紙などについても言えるのではないだろうか。
そこで、Aの好みであるが、美空ひばり様の多くの歌などは、多くの日本人を感動させるだろうが、好みには個性が有って、人それぞれ、また、好みはA 自身でも時や、状況、年代でも変化して、 共感,共鳴出来る人、真の理解者は ほとんど探せない状況ではないだろうか。 これは同じく、共感、共鳴している間でも微妙に感じるところが 違うのではないだろうか。言語、文化、習慣の違う外国人などには、美空ひばり様の歌の受け止め方は相当に違っている。 そう、この声明の趣旨は見えてきた:
世界B は Aにしか分からず、本質的に人間は孤独であり、己の世界をしっかりと捉える(治める)ことの重要性 の確認である。
しかしながら、人間は本能的に、共感、共鳴し、群がりたい存在であるから、自分の世界と相手の世界の調和、相性、関係をよく捉えて、 交流を図るべきである。 その時の鍵は 社会は多様であり、個性は様々であるから、相手の選択が大事だという視点である。
声明の題名にある縄張りとは、2つの世界が交流するときの お互いの干渉に於ける、相手の世界に与える影響の微妙な評価に対する気遣いである。― これは要するに、自分の価値観や世界観を押し付けないという配慮である。
そこで、類は友をなす諺のように、いろいろ気の合う仲間による いろいろな絆を大事に育てて行くのが、人生であるとも言える。
以 上
2016年4月13日
龍谷大学理工学部の 近藤 倫生 教授と島根大学生物資源科学部の 舞木 昭彦 准教授は、多種からなる生態系のバランスを保つために、生物の棲む生息地はどのような特徴を備えているべきかを世界で初めて理論的に突き止めました。この研究によると、①たくさんの生息地があってそれらの環境がみな異なっていること、②これらの生息地が互いにつながっていて生物が行き来できること、③しかし生息地間の行き来が生物にとって容易すぎないこと、これら3つのの条件がそろわないと、多様な生物からなる生態系は自ずと不安定になって壊れてしまう可能性があることが理論的に示されました。本研究成果は、日本時間の2016年4月13日午後18時(英国時間午前10時)発行の英国科学誌「Scientific Reports」に掲載されます。
自然界では、多種多様な生物たちが他の生物を食べるなど互いに関係しあいながら、共存しています。そこでは、一種類の生物だけが他を圧倒してしまったりすることなく、「自然のバランス」が保たれているように見えます。しかし、これは少なくとも理論的には「あたりまえのこと」ではありませんでした。1972年、理論生態学の権威ロバート・メイ博士は、単純な数理モデル(注1)に基づいて、「生物の種類が増えるほど、そして、生物間の関わり合いが複雑になるほど、生態系は不安定になり維持されにくくなる」とする理論予測を発表しました。しかし、現実には極めて複雑な生態系が維持されており、メイ博士の理論予測に反しているように見えます。これは「生物多様性のパラドクス」と呼ばれています。それから半世紀ものあいだ、この理論と現実の矛盾(パラドクス)は解消されず、自然界で生物多様性が維持される仕組みは、未解決のまま残された大きな謎でした。
本研究グループは、従来の研究では見逃されてきた「生息地の複雑性」を考慮に入れた数理モデル(注1)を世界にさきがけて開発・解析しました。これにより、「多様な生息地が存在し、かつそれらの間を多様な生物がほどほどに行き来できる」ということがあれば、メイ博士の理論予測を逆転させられる(複雑な生態系ほど安定化する)ことを理論的につきとめました。これは、裏を返せば、人間活動によって生息地の数が少なくなったり、同じような均質な環境ばかりになったり、生息地の間の行き来が生物にとって困難になると、生物それ自体に人間が手をくださなくとも、それだけで自然のバランスは崩れて、生物多様性が失われてしまう危険性を示唆しています。
■発表論文について
英文タイトル:Food-web complexity, meta-community complexity and community stability
和訳:食物網の複雑性、メタ群集の複雑性、そして生物群集の安定性
掲載誌:Scientific Reports
著者:舞木 昭彦 (島根大学) ・ 近藤 倫生 (龍谷大学)
<研究の背景>
人類は、多種多様な生物から構成される自然生態系から生息環境および食料などの恩恵を受けています。一方で、現在、人間活動が原因となって、生物種の多様性は急速に失われ続けています。生物多様性の崩壊は生態系サービス(注2)の喪失を進行させ、人類の存続を脅かしていると考えられています。このようななかで、生物多様性を保全し、回復させるための技術開発・方策の策定が強く求められています。この生物多様性保全(注3)を成功させるには、自然生態系が維持されている仕組みの解明が不可欠です。
複雑な自然生態系には、生物個体数の大きな変動を抑制する何らかの自己調節機構が備わっていると考えられます。なぜなら、農地などの単純な人工生態系では、害虫などの大発生がしばしば生じる一方で、多くの種類の生物種が互いに関わり合いながら共存している複雑な自然生態系では、特定の生物種が突然に大発生したり、生物種が次々に絶滅したりといった、個体数の大きな変動はあまり生じないからです。この自然生態系に内在する「安定化の仕組み(自然のバランスの仕組み)」が分かれば、世界的な大問題「人間活動に伴う生物多様性の喪失」を食い止めることが可能になるかもしれません。しかし、この「安定性」の仕組みの正体は生態学における未解決問題の一つです。
ロバート・メイの理論(注4)(1972年発表)は、私たちの予想に反し、生物種の数が多いほど、そして生物種どうしの関係の数が多いほど、つまり複雑なほど、生態系が不安定になり保たれにくくなることを予測しています。複雑になるほど生態系は不安定になるとしたこの理論予測は、複雑な自然生態系が実際には存続しているという観察事実と矛盾しており、自然生態系においては生物多様性の維持を促進する何らかの未知の仕組みが備わっていることを示唆しています。メイの理論の発表後、「生態系の安定性の仕組み」を解明しようとする研究が、半世紀に渡り数多くの研究者によって盛んに行われてきましたが、未だにその仕組
<研究の内容>
本研究では、複雑な生態系が保たれる仕組みを解明するため、従来の研究では見逃されてきた「生息空間の複雑性」の役割に着目しました。生物は、他の生物を食料として利用するだけでなく、生息場所がなければ生きていけません。さらに、動物のほとんどは、常に同じ場所で生活しているわけではなく、例えば食料を求めて生息地の間を移動しています。そして、そのような生息地はすべて少しずつ違っているのが普通で、どれ一つとして同じではありません。このことから、生態系は、少しずつ特徴の異なった多様な生息場所が互いに連結された、「生息地のネットワーク」としてみることができます(図1)。これまでの研究では注目されることのなかったこのような生息地ネットワークの複雑性こそが、複雑な生態系を保つ鍵なのではないか、というのが本研究の基本的なアイデアです。
しかし、生息空間の複雑さが複雑な生態系の安定性にどのような影響をもたらすかを研究した例は過去にはありません。そこで、生息空間の複雑性が生態系の安定性にもたらす影響を評価するために、数学を利用した自然生態系の模型(数理モデル)を作成しました。この数理モデルでは、たくさんの種類の生物が互いに「食う-食われる」の関係を持っており、その影響により生物の個体数が増減する様子が再現されています。ロバート・メイが利用した数理モデルがこの数理モデルの基礎になっていますが、私たちの数理モデルは、複数の生息空間を考え、さらにそれらが生物の移動を通してつながるようにしました。さらにそれら生物の「移動率」をいろいろに変えることで、生息地間の行き来のしやすさを変えられるという従来のモデルにはない新しい特徴を備えています。
このモデルの解析の結果、確かに生息空間の複雑さが、生態系の安定性に大きな影響をもたらすことが分かりました。具体的には、2つの重要な影響を発見しました。第1に、生息空間のあいだを生物がほどほどに行き来でき、多様な生息地を利用できるときほど、多種の共存が容易になる(生態系が維持されやすくなる)ことがわかりました(図2)。生息地間が分断されすぎて移動ができなかったり、逆に生息地間の移動が簡単すぎたりすると、生態系における各生物の個体数変動は不安定になってしまいました。
第2に、生息空間のネットワークが複雑であれば(生息空間が複数あり、それらが複数連結している)、これまで生態系のバランスを崩すと信じられてきた生態系の複雑性(種数が多い、生物種どうしの関係の数が多い)が、全く逆の効果を持つことが分かりました(図3)。すなわち、種数が多いほど、生物種どうしの関係の数が多いほど、各生物の個体数変動が小さくなり、生態系の安定性が高まるのです。自然生態系にみられる多様な生息空間と多様な生物種、それら多様な環境からなる生態系は、その複雑さそのものによって保たれている可能性があります。このような生態系では、生息地の複雑性が生態系の崩壊につながってしまう危険性を示唆しています。なぜなら生息地の複雑性が失われると、生態系の複雑性は生態系を安定化させるのではなく、メイの予測通り安定性を低下させるようになってしまうためです。
図2. 生息地の間のつながり(行き来のしやすさ)が中程度の時に、生態系は最も安定になる。生息地がたがいに分断していたり(孤立した生態系)、あるいは逆に、行き来が簡単すぎたり(強く連結した生態系)すると、生態系は不安定になってしまう。
図3. 生息空間の複雑性が生態系の複雑性-安定性関係に及ぼす影響。生息地の数が少なかったり、たがいに分断されている「生息空間の複雑性」の高い環境では、種の数が多かったり、種間関係の数が多い「複雑な生態系」ほど、生態系は不安定になる(最も左のパネル)。逆に、たくさんの生息地がたがいにつながりあった「生息空間の複雑性」の高い環境では、「複雑な生態系」ほど、生態系は安定になる(最も右のパネル)。
<今後の展開>
本研究の結果は、「何が複雑な自然生態系のバランスを保っているのか」という未解決の大問題に「生息空間の複雑性」という1つの答えを提供しています。自然生態系における生物多様性の保全を進める際には、「生物どうしのつながり」のみならず、「生息地どうしのつながり」に着目する必要があることを示している点も重要です。現在、生息地破壊および温暖化などにより生息空間が分断化されたり、逆に今まで容易には行き来できなかった生息地同士がつながったり、環境が一様化されはじめています。本研究はこれらすべての環境変化が、生態系の破壊につながることを示唆しています。実際、生息地破壊が生物多様性を減少させる例が知られています。生物多様性の保全のためには、多様な生物の性質やそれら生物どうしの関係性を知るだけでなく、生息場所の環境およびそれら場所どうしのつながりかたを明らかにするなどして、「生物多様性」と同時に「空間多様性」、
すなわち「生態系多様性」を維持するための方策について考える必要があります。
<用語解説>
(注1)数理モデル
直接的な実験や観察が困難なときには、しばしば模型が利用されます。例えば、車の安全性能を調べる衝突実験には、本当の人間ではなくて、人間の特徴を備えた「衝突実験用模型」を利用するのが普通です。自然科学の研究においても、研究対象とする現象や系の注目する特徴を抽出し、そのような特徴を備えた数式を使って研究を進めることが可能です。このような数学を利用した模型のことを数理モデルと呼びます。本研究では、たくさんの生物種が互いに助け合ったり、食べたり、食べられたりすることで個体数を変動させる様子をとらえた数理モデルを利用しています。
(注2)生態系サービス
生物と物理・化学的環境が相互に関係して作り上げているシステムを生態系と呼びます。生態系は私たち人類に多大な利益・サービスを提供しており、これを生態系サービスと呼びます。例えば、食料や燃料、木材などの提供、水の浄化や気候の調節、宗教や文化的生活の基盤の提供、酸素の生産や土壌の形成などはみな生態系サービスの一種です。生物多様性はこの生態系サービスの基盤であり、生物多様性が失われることで生態系サービスの劣化が生じることが知られています。
(注3)生物多様性保全
自然生態系の1つの重要な特徴は、そこにバリエーションが存在することです。例えば、種の多様性は生態系を構成する生物種のバリエーションをさしています。種の多様性は生態系が人間に与える恩恵(生態系サービス)を支えていると考えられています。現在、人間活動によって生物多様性が急速に失われており、これを防ぐための方策を講じることが求められています。自然生態系において多種が共存する仕組みの解明は、生物多様性保全の有効な手法の開発に貢献することが期待されます。
(注4)ロバート・メイの理論(あるいはメイの理論)
Robert May(ロバート・メイ)は1973年に生態系の複雑性と安定性の関係についてそれまでの考え方を覆す重要な理論予測を発表しました。種間関係によって生物の個体数が増減する様子をとらえた数理モデルを利用して、種の数が多い生態系ほど、そして関係を結んでいる種ペアの数が多い生態系ほど、個体数の時間変化が不安定になることを理論的に予測したのです。それまで、自然生態系において自然のバランスが保たれているのは生態系が複雑だからだと期待されてきましたが、それとは全く逆の予測をもたらしたのです。この理論予測は、自然は複雑だからこそバランスがとれているのだと信じていた当時の生態学者に驚きを持って迎えられました。この理論予測が登場することで、複雑な生態系(種数が多く、種間の関係の多い生態系)がどのような仕組みで維持されているかを解明しようとする研究が盛んに行われるようになりました。
<発表論文>
英文タイトル:Food-web complexity, meta-community complexity and community stability
和訳:食物網の複雑性、メタ群集の複雑性、そして生物群集の安定性
掲載ジャーナル: Scientific Reports
著者:舞木 昭彦 (島根大学) ・ 近藤 倫生 (龍谷大学)
<研究に関する問い合わせ先>
近藤 倫生(コンドウ ミチオ)
龍谷大学理工学部・教授
〒520-2194 大津市瀬田大江町横谷1-5
Tel: 077-544-7111 / Email: mkondoh@rins.ryukoku.ac.jp
舞木 昭彦(モウギ アキヒコ)
島根大学生物資源科学部・准教授
〒690-8504 松江市西川津町1060
Tel: 085-232-6430 / Email: amougi@gmail.comhttp://www.rikou.ryukoku.ac.jp/news/detail.php?id=7966
再生核研究所声明35(2010/04/23): 社会と個人の在りよう―細胞の役割
声明 33:民主主義と衆愚政治 の中で、民主主義
( : 諸個人の意思の集合をもって物事を決める意思決定の原則・政治体制 ― 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 )
の在りよう、 特に一般選挙で代表者を選出する方法、及び多数決で決定する方法 について考察し、民主主義の問題点を考察した。 そこで、(1)まず、代表者の選出過程、重要事項の決定過程に 多くの労力を有し、時間と手間がかかること。(2)投票者が 代表者の行使する行動について、良く理解できず、適切な代表者の選出ができず、いわば考えている代表者とあべこべの代表者を選出する可能性が高いこと。(3) また、代表者の本来の要務以外の能力で、たとえば感じがいいから等で、代表者を選出しがちであること。(4)また、候補者に名演説などで いわば騙されてしまうこと。(5)何でも多数をそろえて、政治その他を推し進めようとなりがちなこと。(6)会議で、多数決で議事を決定する際、投票者が議事に対する理解と公正な判断能力を有しないために言わば数の結果で悪い決定がなされる。(7)さらに、難しい問題を多数の人が理解できるか、判断できるかという観点。 難しい問題を素人の多くの人に判断を求めるのは 逆に無責任で、危険であるということ。
として、次の時代には、より進んだ政治体制が考えられなければならないが、当分は適切に適用できる方法が現実的に見当たらないから、現状の体制を維持するとして、民主主義の弊害を少なくするために、運用の在りようについて:
1) 代表者の選挙については、 選挙の広報をきちんと行うのは当然であるが、 投票しない権利を明確に認め、いわゆる投票率を上げるような行動は慎むこと。 これは投票に興味と関心を有する人に参加して頂き、興味や関心を持たない人に無理に投票して頂くのは 無責任につながりかねないからである。特に政治や社会に関心のない人への勧誘による投票は慎むべきである。投票の案内は当然であるが、投票しましょうという勧誘は良くないと考える。これは、いわば真面目な投票人による選挙を意図していて、いわば無責任な人の投票を排除しようとする意図があることを肯定するものである。
2) 代表者の身分が民主主義ゆえに不安定では 責任ある政治を行うことができないから、在任中は特に厚く身分を保証して 本務に専念できるように配慮すること。
3) 代表者は 広い視点に立って、自分の立場より、公の立場を優先させて考え、評価については 近視眼的ではなくて、歴史的な評価を大事にすること。
4) 代表者の投票者(有権者)は 日ごろ研鑽を行い、投票に責任が負えるように努力すること。
5) 特に 代表者の選出過程や代表者の立場が、マスコミの影響を受け易いのが、民主主義の特徴であるから、マスコミ関係者は 高い見識を持つように 特に努力して 報道の5原則にいつも留意すること。
とした。そして、民主主義は何時でも衆愚政治 に陥り易いので、 衆愚政治に落ち入らないように努力して より良い政治の下で良い社会を築いて行こうと呼びかけている。
上記考察のうちで、政党政治の形をとるのが 民主主義の必然的な形態と考えられるが、政党政治は本来もつべき国家や社会についての大きな視点から、 往々にして、政党間の競争、あるいは無用の権力闘争に陥り易い弊害があることも指摘されなければならない。 本来考えるべき国家や社会の問題をないがしろにして、権力闘争に明け暮れるさまは 戦国時代と何ら本質的に変わらない形相と云える。 いわゆる派閥や仲間を作り、公の立場よりも、そのような派の利害を優先した行動がとられ、民主主義が空洞化してしまうのはよく見られる現象である。 また、公人を選出するのに 自己の利益や自己の所属する集団の利益の観点から、代表者を選出しようとするのは、本質的な間違いであるのに 多くの人はそれすら克服できない恥ずかしい状況にあると言える (衆愚政治とは、有権者の大半が知的訓練を受けずに参政権を得ている状況で、その愚かさゆえに互いに譲り合い(互譲)や合意形成ができず、政策が停滞してしまったり、愚かな合意が得られたりする状況をさす。 また有権者がおのおののエゴイズムを追求して意思決定する政治状況を指す。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』。) さらに、各個人の属する社会の中での 自己の立ち場に対する配慮 (保身) から、あるいは無気力や自分の専門や仕事に 埋没した多くの人が、自己の意見を表明せず、民主的な多数の意思が、実際には多数の意思を反映せず、一部の強い意見がまかり通ることが結構多いと危惧される (アビリーンのパラドックス)。 バブル崩壊後の新しい特徴として、社会の厳しさが、生活や生きていくことの困難性を生じせしめ、社会や国家について深く想いをめぐらす余裕を失ない、 国家や社会についての理解や論調が 軽薄になっているとみられる。
そこで、国家と個人は、社会と個人は 如何にあるべきかについて、 2010年4月18日 朝、
人体と細胞のように在るべきである
という考えを抱いた。 国家や社会は人体のように全体として、統一のとれた主体的な存在であるが、個人は細胞のようにそれぞれの役割をもって、国家や社会に調和する存在であるべきであるという考え方である。 個々の意思は中枢に反映され、中枢の指示は個々に反映される。 それは細胞のなす、おのおのの器官を通して 全体に調和する形でなされなければならない。 この理念を社会に活かすには、人はそれぞれに希望する形で社会に参加して、1)項のように 強制的でなく、 自発的、自由な意思での参加方式をとるのがよいと考える。
これは社会が複雑になり、人びとの関心と興味が多様になり、一律全体が との形が 逆に大きな弊害をもたらす事実をさけて、 いろいろな役割によって全体に参加することにしようと提案しているものである。 中枢の個々への指示は明瞭であるが、個々の中枢への意思の表示については尚検討の余地があるが、現状の在りようで基本的にはよいと考える。 この声明の趣旨は 人体と細胞のように国家と個人は、社会と個人は有機体の存在として、 調和ある存在 になろう ということにある。実際、一個の人間の存在は 細胞が生体の中で有機的な存在であるように、本来社会の中で有機的な存在ではないだろうか。生体が病んでしまったら、個々の細胞の存在はどのようになるかに 想いを致したい。
実際、人類の生存は、如何なるものをも超えた存在である(最も大事なこと:声明13)。
以 上
再生核研究所声明182(2014.11.26) 世界、縄張り、単細胞、宇宙
(初秋、猿の家族が2日間 20頭くらい訪れ まだ渋い 3本の甘柿を食べ尽くして 近くの山に姿を消した。2014.11.9 仕事の区切りがついて、研究室から山を眺めていて 今頃どこで何をしているだろうかと気遣って 人生を想って構想が湧いたが、焦点が絞れなかった。)
猿の1団には 生息領域が 相当にしっかり有ると言える。人間でも、江戸時代以前では概ね、終日歩いて行ける距離 概ね半径40キロメートル以内くらいに 普通の人の生活圏は限られていたと言えよう。生涯でもそれを越えた世界に立ち入るのは、希なことであったのではないだろうか。婚姻なども その範囲に多くは限られていたと言える。 多くの動物には 縄張りなどの生活圏が存在していると言える。
そこで、一人の人間Aの存在範囲に思いを巡らしたい。A の存在し、想像し、活動する世界全体を Aの世界Bとして、それは、B の世界、宇宙と考えよう。勿論、B はいわゆる外なる大きな 世界と複雑に関係しているが、A が認知できる一切の世界を Bと考えよう。
何が言いたいのか。それは、大きな世界に於ける 個人の存在の小ささである。特に、個人が大きな世界、人間社会に与える影響は 普通は極めて小さいと言うことである。基本的に次のように捉えられる:
再生核研究所声明 35: 社会と個人の在りよう ― 細胞の役割
再生核研究所声明85: 食欲から人間を考える ― 飽きること
言わば、個人の物理的な制限である。
歌の世界で例えてみよう。 日本には素晴らしい歌があって、歌謡界のレヴェルは高く、愛好者も実に多く、歌については 日本は世界最高の文化ではないだろうか。俳句や、生花、盆栽、折り紙などについても言えるのではないだろうか。
そこで、Aの好みであるが、美空ひばり様の多くの歌などは、多くの日本人を感動させるだろうが、好みには個性が有って、人それぞれ、また、好みはA 自身でも時や、状況、年代でも変化して、 共感,共鳴出来る人、真の理解者は ほとんど探せない状況ではないだろうか。 これは同じく、共感、共鳴している間でも微妙に感じるところが 違うのではないだろうか。言語、文化、習慣の違う外国人などには、美空ひばり様の歌の受け止め方は相当に違っている。 そう、この声明の趣旨は見えてきた:
世界B は Aにしか分からず、本質的に人間は孤独であり、己の世界をしっかりと捉える(治める)ことの重要性 の確認である。
しかしながら、人間は本能的に、共感、共鳴し、群がりたい存在であるから、自分の世界と相手の世界の調和、相性、関係をよく捉えて、 交流を図るべきである。 その時の鍵は 社会は多様であり、個性は様々であるから、相手の選択が大事だという視点である。
声明の題名にある縄張りとは、2つの世界が交流するときの お互いの干渉に於ける、相手の世界に与える影響の微妙な評価に対する気遣いである。― これは要するに、自分の価値観や世界観を押し付けないという配慮である。
そこで、類は友をなす諺のように、いろいろ気の合う仲間による いろいろな絆を大事に育てて行くのが、人生であるとも言える。
以 上
AD
0 件のコメント:
コメントを投稿