熊本城再建に30億円支援 日本財団「希望になるよう」
2016年4月19日22時56分
日本財団は19日、地震で被災した熊本県や大分県の被災者に93億円規模の緊急支援を行うと発表した。このうち30億円は熊本城の再建に充てる。「被災者に希望をもってもらえるよう、熊本県民の誇りで日本三大名城の一つの再建を呼びかけたい」といっている。
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財団によると、支援の内訳は遺族・家族への弔慰金・見舞金(死者・行方不明者1人につき10万円)や家屋が全半壊した各世帯への見舞金20万円など。相談員を派遣して避難所で暮らす障害者や高齢者、乳幼児らを支援するほか、500台の非常用トイレ、粉ミルク用品などを提供。住宅や事業再建に無利子・無担保で融資が受けられるよう基金を設ける。被災地支援のNPOなどの団体には上限100万円を支援する。団体間の連携や行政との窓口役を担う支援センターも被災地に設ける。
支援の原資はボートレースの収益金の一部。一般から募っている熊本地震への支援金も充てるという。http://www.asahi.com/articles/ASJ4M5R9BJ4MUTIL05L.html
再生核研究所声明 13 (2008/05/17): 第1原理 ― 最も大事なこと
世界の如何なるものも 環境内の存在であり、孤立した存在は在り得ない。世界の如何なる芸術も真理もまた一切の価値は、人類が存在して始めて意味のある存在となる。従って人類の生存は、如何なるものをも超えた存在であり、すべてに優先する第1原理として、認識する必要がある。よって環境や戦争については 多くの人間の関与すべき重要な問題と考えなければならない。21世紀は、近代科学の進歩によって 地球の有限性が顕わになり、人類絶滅の可能性を感じせしめるようになってきた時代とも言える。
国が栄えなければ、地方の栄えは考えられず、県などが栄えなければ 市町村などの発展は望めない。市町村などが健全でなければ 地域は栄えず、住民や家庭の健全な生活は不可能である。しかしながら、現実的な対応としては、逆方向の発展を考えざるを得ない。すなわち私たち個人、および個人の近くから、より良い社会、環境になるように努力していくことである。孤高の存在は所詮空しく、儚いものである。それゆえに われわれは各級のレベルにおける環境と社会に思いを致すことに努力して行こうではありませんか。
特に、われなき世界は 存在すれども、何事をも認識できず、知ることもなく感じる事もできない。よって、われ存在して始めて、世界を知ることになるから、健全なる個人の存在は、個人にとっては最も大事な第1原理に考えざるを得ない。これは言い古されてきた、 まず健康ということ、 に他ならない。われなき世界とは 自分が影響を与えない世界のことである。この個人と社会の関わりは、 愛とよばれている、 愛の本質である。それは男女の愛と親子の愛が基本になっている。それはまた じんかん と よばれる人間存在の本質でもある。
この声明は 地球環境を限りなく大事にし、世界の平和を確立し、社会を大事に思い、世界の拡大と深化を、 個人を尊重しながら、 積極的に進めることを、各級のレベルで努力することを要請しているものである。その原理は、 人間存在の本質である、 人間存在における三位一体の理存在、知、愛の、存在して、始めて知り、求める事ができる という原理を、いわば当たり前のことを、
確認しているに他ならない。(しかしながら、実際にはこの自明な、重要な原理は、解析接続のように必然的に 新しい価値観と考え方を限りなく発展させ、雄大な世界を拓くのであるが、私個人はこの古い世界で生涯を閉じようとしていて、その世界には立ち入らない事にしたいと思う。不思議にも 少年時代に宇宙論と共にその世界を覗いたのですが、怖くなって覗かないようにしました。それはガウスが非ユークリッド幾何学を発見したが、世の反響の大きさを恐れて発表を控えたのと同じ心境です。) 以上。
再生核研究所声明42(2010/06/18):大失業時代
夜明け前 先史時代においては、人類の営みの基本として、食料を得ること、生活の基盤を整え生命活動を行うこと(人類の基礎事業と呼ぼう)を基礎に、意図的な大きな事業の要素として、戦争、軍事(万里の長城の建設や,軍備、軍隊など)、政治的な権力によるもの(ピラミッドや城、宮殿の建設など)、そして宗教的な営み(ボロブドゥール寺院など、神社、教会の建設および宗教に関する営み)(以下人類の4大事業と呼ぼう)を考えることが出来るだろう。 第2次世界大戦以後、世界の歴史を見れば、それらの要素の比重が 相対的に縮小して、大失業時代を迎えているとみられる。近年露わになってきたのは いわゆる働く職場の不足と そもそも生きることの意義に対する空白感である。
この大失業時代とは、働かずして、生活できる人の大量の出現であるから、これを逆に見れば 社会に余裕があることの証拠であるとも考えられる。これは、人類の上記 基礎事業と人類の4大事業の縮小によって生み出された果実とも言える。ここで、そもそも人類の営みの基本について 声明12の 人生における基本定理 (人生の意義は、感動することにある)と 声明36の結び(人類共通の希望 ノアの方舟 を想像して、 美しい地球の建設に取り掛かろうではありませんか。 そのような意味で 現在はいまだ、先史時代にあるとも言える。 世界の皆さん、武器などを捨てて 共生の世界を作ろうではありませんか。 お互いに短い、儚い生命を生きている 存在同士 ではありませんか。 お互いにお互いの世界で感動できるような世界を建設しようではありませんか。 ノアの方舟を 世界の歴史とともに地球外に送るのは 人間だけができる、 人類の最も神聖な義務 であると考える。 実際、あらゆる生物、人間にとって共通で確かなこととは、生きて存在しなければ 何も始まらない(生命の基本定理)ということである。)を想起しておきたい。
したがって、基礎事業と人類の4大事業の縮小によって生み出された果実は 高く評価されるべきであって、より人間的な美しい営み、例えば、良い大学の建設、芸術文化施設の拡充、スポーツの振興、いろいろな料理店の振興、医療設備の充実、文化的な町作り、自然環境の保護などに力を注ぐべきである。 もちろん、それらに関与する人を増やし、大事にするということである。 経済の専門家や政治家の皆さんには、上記の果実を如何にして、そのような美しい営みに力を注げるかを 検討して頂きたいと要望いたします。
現在、世界の各国は 財政難に陥っているが、素人的に考えると、
1)重要度によって重みをつけた 消費税の税率のアップ
2)政府紙幣などの発行による、緩やかなインフレ政策
などによる財政、経済の立て直しが考えられるのではないだろうか。 いずれにせよ、専門的な検討が 世界的な戦略として考えられるように要望したい。
良いことをしていれば、悪いことをする余裕が無くなるとは、トルストイの言葉であったと思うが、誰の言葉であったとしても 誠 至言ではないだろうか。
もちろん、世界の人口問題については 真剣な検討と具体的な対応が考えられなければならない。 声明 21人口問題についての考察 を参照。
以上
高学歴エリートが沢山いるのになんで財政難なんだよ?
(;_; )( ;_;) シクシク・(-。-;)・(◎_◎)・(^_-)db(-_^) 指切りげんまん
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10114138890
再生核研究所声明 125 (2013.8.24): お金の問題 ― 貨幣について ― 本質論
(2013.8.17 再生核研究所声明に関心を抱く人の 結構永い間の要望であるが、難しい多面性を有するので、中々纏められなかった。今朝 夏休みを利用して 夏休みの宿題と考えて纏めてみる気持ちになった。1回では無理なので、本質論、収入面、支出面などに分けて 順次触れたい)
まず、お金の述語 を確認しておこう:
貨幣とは、経済学上は(欧米のMoneyやMonnaieなどの用語に対応する訳語として用いられ)、「価値の尺度」「交換の媒介」「価値の保蔵」の機能を持ったモノのことである。
広義には、本位貨幣の他にも、法律により強制通用力を認められている信用貨幣も含めて指している[1]。つまり 「貨幣」という語で、鋳貨・紙幣に加えて(当座預金などの)信用貨幣も含めて指す場合が多い[2]。
貨幣(として用いられるモノ)が額面通りの価値を持つためには、その貨幣を発行する政府に対して信用が存在することが必要条件である。政府は、租税の算定に通貨を用いる。
なお、慣習的な用法として、法令用語の意味における貨幣と紙幣・銀行券をあわせて「お金」と呼ぶことが多い。(ウィキペディア)
お金の重要性、価値については、簡潔に 地獄の沙汰も金次第 という諺に表されるであろう。実際、人間の多くの価値が お金で数値化されて、人間の持つ多くの価値がお金を通して交換されるということに その本質が見出される。人間の価値には 生命の延長や場合によっては命の値段さえ関係してくる。実際、高度な医療で 生命が救われたりする状況は 身近に体験される。ある時間の労働から、芸術作品、アイディア、食品、ほとんどのもの、地位や名誉さえお金で評価されて、交換が可能になる。― 資本主義の発達したアメリカでは アメリカンドリームとは 大金持ちになることで表現され、最近でも、アメリカの大使は、大統領選挙における 献金の額で決まるなどと揶揄されている。そこで、人生の多くの部分が その大事なお金を得るための努力であるとさえ、錯覚してしまうほどである。
ところで、そのお金の価値であるが、人間の欲求の数値化であるから、生鮮食品の価値の変動や、株価、外国為替の変動のように絶えず、変化するものであるが、他方国家が、国家予算を通して国家を運営している現実が有るので、世の価値としては最も信じられるものであることには変わりはない。普遍 (不変) 的な価値を持つとされる、金 でさえ非常時やハイパーインフレーションの際、本物か否かの判定や流通性に問題を起こして、有効ではなかったとされている。
さまざまな価値の数値化であるから、実際には極めて難しく、ものの値段や年俸、報酬など歴史と文化を反映させ、慣例さえ尊重しなければ、数値化はたちまち、大混乱を起こしてしまうだろう。再生核研究所声明 72(2011/12/06) 慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則 も参照。
そこで、人間の多くの欲求が お金で叶えられるものであれば、お金が大事は無理からぬという現実がある。実際、お金が十分あれば、相当な自由を得て、好きなことが出来るのであるから、一応の理想的な状況に相当近づくことが出来ると考えられる。
美しい曲を奏でる、それが幾らに値するかは 聞く人の個人によって評価はいろいろであるが、プロとなると 自分で評価して、客を呼ぶのであるから、厳しさが有るが、しかし、それは音楽に限らず多くの価値がそうである。画家は、この絵を幾らで売りたいと宣言するだろう。漁師がこの魚を幾らで売りたい、と同様である。ギャンブルや宝くじのように 夢さえお金に変えて売買できる。人間の価値さえ、その稼ぎの大きさによって評価される面は 確かに世に多いと言える。作家、画家、スポーツマン、芸能人、等々、また地位さえ、収入で評価される面は多い。近年、大学の人事評価などでも 研究費をどれほど得ているかは、大きな評価の要素に成っていて、科学研究費など生涯の研究補助金額がインターネット上に公開されている。
これらは要するに、かつての農村社会で広く実現していた いわゆる自給自足を基本とする社会から、今では農村社会でさえ、電気、ガス、機械の購入、医療、社会活動などで、生活していくためには お金が必要であると纏められる。お金本位制にみえるような社会は、資本主義の発達したアメリカで 上述のように極めて顕著に見られる。いわゆる いろいろなサービスに対するチップなども重要で、適切にお金を払わなければ、大きな問題になるだろう。さまざまな価値が お金で評価される社会である。お金が大きな役割を果たす資本主義の問題点については、 再生核研究所声明75 (2012.2.10): 政治・経済の在りようについて も参照。
宗教界でもお金は必要であるから、神のごりやく(ご利益)を除いても 関係者の生活費や、神社、仏閣の維持の観点からも お賽銭や寄付を必要とするのは当然である。少し、間違えると、中世、西欧で行われた免罪符の発行や救われるための献金を要求しかねない状況に追い込まれてしまう。いわゆる戒名なども売買される、布施の額の大きさで左右される可能性を有する。無理からぬ面も有ると、理解できるだろう。選挙におけるいわゆる買収などは、何時も起きている現象ではないだろうか。
されば、お金とは何か お金の背後にあるものは、それは様々な人間の考える価値の数値化で、その価格によって、交換される数値化であり、国家と複数の人からなる社会の一定の承認を得た数値化であると言える。
ある人が、この本を1000円で売りたいと宣言して、買う者が現れれば、立派な数値化であり、その本は1000円のものとして、有効性を持ち、その時は 本の価値と1000円が 等価であるとして、評価されるだろう。本を売った者がそのお金で食品を購入すれば、1000円を通して、本と購入した食品の数値化は 等価となるだろう。このような連鎖を続けて行くのが お金の本質であると言えるだろう。
お金とは、そのような数値化における、交換を物理的に行うもの、可能にするものであると言える。
以 上
https://twitter.com/SLANG_SCHC/status/667233481408184321
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