2016年4月26日火曜日

ふたたび「空」について  

ふたたび「空」について
 

 

 私のホームページ「劇場国家にっぽん」では、その中心的なテーマを「空の天皇」としている。私は、わが国の「歴史と伝統・文化」の心髄は「違いを認める文化」であると考えているのであるが、もしそうだとすれば、これは大変なことで、これからの新しい世界文明を切り開く力がわが国にあるということになる。

 私はすでに、天皇について思うこと・・それは「空」!・・・というタイトルで「空」について若干書いたが、「空」はけっして空虚なものでもないし何もないという「無」というものでもない。中沢新一がいうように、「空」は「力の充溢した空間」なのである。「空」は「力の充溢した空間」であるというのはおおよそ今までの一般的な理解とは違うのではないかと思う。しかし、私は、中沢新一の言っていることは正しいと思う。「空」は「力の充溢した空間」である。

 では、この点につき、ダライ・ラマの言っていること(言葉)を紹介したいと思うが、その前に、私なりの説明をしておきたい。「空」の説明ではない。そうではなくて、「空」は「力の充溢した空間」であるということについて、ゼロ(零)についての数学的な概念も使いながら一般に判り易い説明をしておこうかと思うのだ。

 さて、私は以前、日本人の感受性について書き、次のようにフラクタルの説明をした。

 地球上の自然がすべてフラクタル構造であるのはもちろんだが、宇宙の構造がどうもフラクタル構造らしい。竹内薫は、その著書「宇宙フラクタル構造の謎(1994年5月、徳間書店)」で、『 世の中すべてフラクタルになっていると言っても過言ではない。(中略) 我々の住んでいる巨大な銀河宇宙だってフラクタルになっている。それどころか、万物の根源であるミクロの素粒子だってフラクタルになっている。』・・・と言っている。

 フラクタルの発見は、ベンワ・マンデルブロ(イェール大学数学教授ベンワ・マンデルブロ)によるものであるが、フラクタルの発見は20世紀最大の発見と言う人もあるぐらい、フラクタルに関する科学はすばらしい。そのフラクタル理論が「日本人の感受性」の秘密を解きあかしてくれるのである。フラクタルには、黄金比に深い関係があり、結果として非定形の美にも黄金比が含まれていると言われている。日本文化は、非定形文化であり、「フラクタル文化」といってよい。

 以上であるが、「地球上の自然がすべてフラクタル構造である」ということに関して、ゼロ(零)についての数学的な概念も使いながら一般に判り易い説明をしておこうという訳だ。まずは、ゼロ(零)について、「ダライ・ラマの般若心経」(2004年9月、ジェネオン・エンタテイメント)の取材を行なった大谷孝三の解説を紹介する。彼いわく。

  〈何々が空である〉という表現を理解するには、サンスクリット語の歴史を知るのが早道だろう。紀元前四世紀、言語学者パニニは、世界最古の文法書である、サンスクリット語の文法書アシュタディヤーイの中で、サンスクリット語文法の基本を説明するのにこのシューニャを使っている。サンスクリット語の動詞や名詞は語根に接尾辞がついて様々な意味を表現する。しかし、接尾辞のない単語もある。これを〈接尾辞がシューニャである〉、すなわち〈あるべき場所に接尾辞がない〉と表現したのである。この用法を、仏教徒も数学者も借用して、それぞれ「空」と「0」を発展させたと考えられている。哲学的概念である「空」が先か、数学の「0」が先かについては議論があり、まだ決着がついていない。文献で世界最初に「0」が記録されているのは、紀元前458年8月25日の日付があるジャイナ教の文書、ロカヴィバーガであることは確認されている。

 

 ゼロ(零)に関する大谷の解説は以上のとおりであるが、彼の言うとおり、〈何々が空である〉という表現を理解するには、ゼロ(零)についての数学的な概念も使いながら、地球上の自然がすべてフラクタル構造であることを理解する必要がありそうだ。

 御承知のように、デジタルというのは二進法の世界である。0と1で書いたプログラムによって、デジタル写真が出来上がっているし、インターネットやデジタルテレビの映像が出来上がっている。つまり、デジタル写真やインターネットやデジタルテレビの映像はすべて0と1で成り立っているという訳だ。0はマイナス1とプラス1を足したものであるので、すべて0と1で成り立っているということは、とりもなおさず、世の中のものはすべてマイナス1とプラス1で成り立っているということだ。

 もし、マイナス1とプラス1のバランスがとれていれば、世の中の全体はゼロ(零)となる。もし、マイナス1とプラス1のバランスがとれていなければ、世の中の部分がゼロ(零)となる。そういったゼロ(零)の世界は、マイナス1とプラス1が数知れずあって、多様な世界をつくり出しているのだ。つまり、ゼロ(零)の世界は多様な世界である。「力の充溢した世界」なのである。

 

 それでは、いよいよ、「空」は「力の充溢した空間」であるという点につき、ダライ・ラマの言っていること(言葉)を紹介しておきたい。ダライ・ラマいわく。

 

 『「空は実に形あるものである」が表現しているのは、空は非存在を意味しないということである。空は固有の、それそのものだけで存在するものの非存在を意味している。したがって、これが意味するのは事象が互いに依拠して生成(縁起)することである。ものごとは原因と条件によって生起する。この因果関係は十分に批判に耐えるものである。この相互関係の世界では、人は原因と結果を判定することができる。この因果関係の世界は、ものごとが互いに依拠しあって生成する世界でのみ成り立つ。そして、この互いに依拠しあう世界は、独立して、それそのものだけで存在するものが存在しない世界でのみ成立する。したがって、「空は形あるものである」は、形あるものは空から生起することを意味している。空は形あるものを生成させる基盤となる。 』 http://www.kuniomi.gr.jp/geki/ku/kuu0512.html


再生核研究所声明295(2016.04.07) 無限の先にあるもの、永遠の先にあるもの ―盲点
セロ除算は新しい空間像をもたらしたので、いろいろな面から論じ、例えば、再生核研究所声明 271(2016.01.04): 永遠は、無限は確かに見えるが、不思議な現象 の中で、次のように述べた。

直線を どこまでも どこまでも行ったら、どうなるだろうか。立体射影の考えで、全直線は 球面上 北極、無限遠点を通る無限遠点を除く円にちょうど写るから、我々は、無限も、永遠も明確に見える、捉えることができると言える。 数学的な解説などは下記を参照:

再生核研究所声明264 (2015.12.23):永遠とは何か―永遠から
再生核研究所声明257(2015.11.05):無限大とは何か、無限遠点とは何か―新しい視点
再生核研究所声明232(2015.5.26):無限大とは何か、無限遠点とは何か―驚嘆すべきゼロ除算の結果
再生核研究所声明262(2015.12.09)::宇宙回帰説―ゼロ除算の拓いた世界観

とにかく、全直線が まるまる見える、立体射影の考えは、実に楽しく、面白いと言える。この考えは、美しい複素解析学を支える100年以上の伝統を持つ、私たちの空間に対する認識であった。これは永劫回帰の思想を裏付ける世界観を 楽しく表現していると考えて来た。
ところが、2014.2.2.に発見されたゼロ除算は、何とその無限遠点が、実は原点に一致しているという、事実を示している。それが、我々の数学であり、我々の世界を表現しているという。数学的にも、物理的にもいろいろ それらを保証する事実が明らかにされた。これは世界観を変える、世界史的な事件と考えられる:

地球平面説→地球球体説
天動説→地動説
1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0

現在、まるで、宗教論争のような状態と言えるが、問題は、無限の彼方、無限遠点がどうして、突然、原点に戻っているかという、強力な不連続性の現象である。複数のEUの数学者に直接意見を伺ったところ、アリストテレスの世界観、世は連続であるに背馳して、そのような世界観、数学は受け入れられないと まるで、魔物でも見るかのように表情を歪めたものである。新しい数学は いろいろ証拠的な現象が沢山発見されたものの、まるで、マインドコントロールにでもかかったかのように 新しい数学を避けているように感じられる。数学的な内容は せいぜい高校生レベルの内容であるにも関わらず、考え方、予断、思い込み、発想の違いの為に、受けいれられない状況がある。
この声明では 盲点の視点から、強調したい存念を纏めたい。
直線をどこまでも どこまでも行ったら、どうなるだろうか? 関数 y = 1/xで 正方向からx がゼロに近づいたらどうなるであろうか? あるいは 同様に上記立体射影で 北極にどんどん近づいたら どうなるであろうか? どんどん進んだらどうなるであろうかという問題である。伝統的で自然な考えは 何に近づくかと発想して、近づいた先、具体的には、無限大や北極に(無限遠点)に行くと考えるのは当然ではないだろうか。この発想の基礎には連続性、あるいは極限値の考え方がある。近づいて行った先が、求める対象であると考えてきた。具体的な関数y = 1/x では 正方向からx がゼロに近づいたら,限りなく大きくなるので、無限大が 1/0 の自然な値であろうと考えてきた。ところがゼロ除算の数学は、突然ゼロであると言っている。驚嘆すべき現象、事件である。北極に近づいた先が北極(無限遠点)であるから,平面上のあらゆる方向の先は、北極(無限遠点)であろうと発想してきたが、実は突然、原点に飛んでいるということが明らかにされた。無限の先は、実はゼロであったという事実である。我々はどんどん近づく先を考えたが、真の先までは考えず、あくまでも近づく先を考えていたことになる。これは無限の先を見てきた時の,それこそ、盲点そのものであったと言えるのではないだろうか。無限の先は、連続性ではなく、実は強力な不連続性、飛びが生じていたという事実である。これは全く、思いがけない、現象である と言える。それは、盲点、あるいは落とし穴があったと表現できよう。
従って、無限の彼方に関する我々の世界観は 大きな変更を要求されることになるだろう。

以 上


 再生核研究所声明 271(2016.01.04): 永遠は、無限は確かに見えるが、不思議な現象

直線を どこまでも どこまでも行ったら、どうなるだろうか。立体射影の考えで、全直線は 球面上 北極、無限遠点を通る無限遠点を除く円にちょうど写るから、我々は、無限も、永遠も明確に見える、捉えることができると言える。 数学的な解説などは下記を参照:

再生核研究所声明 264 (2015.12.23):永遠とは何か―永遠から
再生核研究所声明257(2015.11.05): 無限大とは何か、無限遠点とは何か―新しい視点
再生核研究所声明232(2015.5.26): 無限大とは何か、無限遠点とは何か。―驚嘆すべきゼロ除算の結果
再生核研究所声明262(2015.12.09): 宇宙回帰説―ゼロ除算の拓いた世界観

とにかく、全直線が まるまる見える、立体射影の考えは、実に楽しく、面白いと言える。この考えは、美しい複素解析学を支える100年以上の伝統を持つ、私たちの空間に対する認識であった。これは永劫回帰の思想を裏付ける世界観を 楽しく表現していると考えて来た。
ところが、2014.2.2.に発見されたゼロ除算は、何とその無限遠点が、実は原点に一致しているという、事実を示している。それが、我々の数学であり、我々の世界を表現しているという。数学的にも、物理的にもいろいろ それらを保証する事実が明らかにされた。これは世界観を変える、世界史的な事件と考えられる:

地球平面説→地球球体説
天動説→地動説
1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0

現在、まるで、宗教論争のような状態と言えるが、問題は、無限の彼方、無限遠点がどうして、突然、原点に戻っているかという、強力な不連続性の現象である。複数のEUの数学者に直接意見を伺ったところ、アリストテレスの世界観、世は連続であるに背馳して、そのような世界観、数学は受け入れられないと まるで、魔物でも見るかのように表情を歪めたものである。新しい数学は いろいろ証拠的な現象が沢山発見されたものの、まるで、マインドコントロールにでもかかったかのように 新しい数学を避けているように感じられる。数学的な内容は せいぜい高校生レベルの内容であるにも関わらず、考え方、予断、思い込み、発想の違いの為に、受けいれられない状況がある。
発見されてから あと1ヶ月で丸2年目を迎え、いろいろな実証に当たる現象が見つかったので、本年は世界的に 受けいれられることを期待している。
ゼロ除算の発見の遅れは、争いが絶えない世界史と同様に、人類の知能の乏しさの証拠であり、世界史の恥であると考えられる。できないことを、いろいろ考えて出来るようにしてきたのが、数学の偉大なる歴史であったにも関わらず、ゼロでは割れない、割れないとインドで628年ゼロの発見時から問題にされながら1300年以上も 繰り返してきた。余りにも基本的なことであるから、特に、数学者の歴史的な汚点になるものと考える。そのために数学ばかりではなく、物理学や哲学の発展の遅れを招いてきたのは、歴然である。

以 上


Impact of 'Division by Zero' in Einstein's Static Universe and ...
gsjournal.net/Science-Journals/.../Download/2084
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Impact of 'Division by Zero' in Einstein's Static Universe and Newton's Equations in Classical Mechanics. Ajay Sharma physicsajay@yahoo.com. Community Science Centre. Post Box 107 Directorate of Education Shimla 171001 India.

http://gsjournal.net/Science-Journals/Research%20Papers-Relativity%20Theory/Download/2084

Mathematics is the alphabet with which God has written the Universe.
数学は神が宇宙を書いたアルファベットだ
Mathematics is the key and door to the sciences.
数学は、科学へとつながる鍵とドアである
This book is written in the mathematical language, and the symbols are triangles, circles and other geometrical figures, without whose help it is impossible to comprehend a single word of it; without which one wanders in vain through a dark labyrinth.
宇宙は数学という言語で書かれている。そしてその文字は三角形であり、円であり、その他の幾何学図形である。これがなかったら、宇宙の言葉は人間にはひとことも理解できない。これがなかったら、人は暗い迷路をたださまようばかりである

ガリレオ・ガリレイさんの名言・格言・英語 一覧リスト
http://iso-labo.com/labo/words_of_GalileoGalilei.html







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