事故から30年、チェルノブイリが動物の楽園に
生態系を調査、放射能よりも人間の存在が影響大
2016.04.26
絶滅しかけていたプシバルスキーウマ(モウコノウマ)は、1998年にチェルノブイリおよび他の野生生物保護区に再導入された。人間のいない環境で、個体数は増加している。(PHOTOGRAPH BY GERD LUDWIG, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)
1986年4月26日にチェルノブイリ原発事故が起こってから、今年で30年。人類史上最悪と言われた原発事故の現場周辺に設けられた立入禁止区域は、今ではあらゆる種類の動物たちがすむ楽園となっている。(参考記事:「動物の楽園になった世界の立入禁止区域5カ所」)
見つかるのは、ヘラジカやシカ、ビーバー、フクロウ、ほかにもこの地域には珍しいヒグマやオオヤマネコ、オオカミまで多岐にわたる。高い放射線量にも関わらず、人間による狩猟や生息地の破壊に脅かされることがないため、動物たちは数を増やしていると考えられる。(参考記事:「【動画】ヘラジカ、住宅地で迫力のガチンコ対決」)
チェルノブイリの立入禁止区域を分断するプリピャチ川。周辺にすむ数々の野生生物種にとって重要な生息地となっている。(PHOTOGRAPH BY CARA LOVE)
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現時点では、ウクライナとベラルーシにまたがる立入禁止区域内の動物たちの健康状態について、専門家たちの意見は分かれている。米ジョージア大学サバンナリバー生態学研究所の生物学者ジム・ビーズリー氏は、4月18日付「Frontiers in Ecology and the Environment」誌に論文を発表し、ベラルーシ側にすむ大型哺乳類の数が事故以降増加していると報告した。ビーズリー氏は、ナショナル ジオグラフィック協会の研究・探検委員会の支援を受けて、この地でオオカミを調査している。
5週間の調査に入ったビーズリー氏は、現地で見かけた動物の数の多さにびっくりしたという。仕掛けていたカメラトラップ(自動撮影カメラ)には、バイソン1頭、イノシシ21頭、アナグマ9匹、ハイイロオオカミ26匹、タヌキ60匹、アカギツネ10匹の姿が捉えられていた。
【動画】30年後のチェルノブイリ
チェルノブイリ原発事故が起こってから、今年で30年。事故現場の周辺に設けられた立入禁止区域は、今ではあらゆる種類の動物たちがすむ楽園となっている。(解説は英語です。 Videographer John Wendle)
対立する専門家の意見
ウクライナとベラルーシ両国の立入禁止区域を合わせた面積は4144平方キロ。今や欧州でも有数の野生生物生息地となっている。(参考記事:「原発事故の現場を訪ねる チェルノブイリ見学ツアー」)
しかし、チェルノブイリで数を盛り返すことが動物にとって何を意味するのかについては、専門家たちの間で議論が分かれている。ビーズリー氏は14種の哺乳動物を調査し、「立入禁止区域内の高汚染地域で、動物たちの分布が抑制されていることを示す証拠は何も見つからなかった」としている。
一方、反対の結果が出たと主張する研究者もいる。
立入禁止区域内に設置されたカメラトラップの前を通り過ぎるハイイロオオカミの群れ。原発周辺では人間の活動が制限されていることから、今オオカミの数が増えている。(PHOTOGRAPH BY JAMES BEASLEY AND SARAH WEBSTER, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)
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「チェルノブイリと福島のツバメは、汚染地域で24時間過ごしています。1時間当たりの被ばく線量はそれほど高くなかったとしても、それが積み重なれば1週間、1か月後にはかなりの量となり、大変な影響を及ぼすレベルに達してしまうでしょう」と語るのは、パリ第11大学のデンマーク人科学者アンダース・パぺ・モラー氏だ。
モラー氏が生物学者ティモシー・ムソー氏と行った共同研究では、ハタネズミに高い確率で白内障が見られること、鳥の翼にいる有益な細菌の量が減少していること、ツバメに部分的なアルビニズム(色素欠乏)が発生していること、カッコウの数が減少していることなどが報告されている。ただし、深刻な突然変異が起こったのは事故直後のみである。(参考記事:「鳥に現れた異常、チェルノブイリと動物」)
両者とも、放射能が人間にも動物にも良くないという点では意見が一致している。しかし問題は、どれほど深刻なのか、そしてそれが動物の個体数減少につながっているのかという点だ。
カフェテリアで昼食の列に並ぶ警備員たち。彼らの仕事のひとつは、立入禁止区域内での密猟を取り締まることだ。(PHOTOGRAPH BY JOHN WENDLE)
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低レベルの電離放射線が野生生物や人間にどのような影響を与えるのか、専門家の間で議論は白熱し、特に5年前の福島原発事故以来、政治的問題にもなっている。30年という年月が過ぎたチェルノブイリは、今やその実験場ともいうべき存在となっている。(参考記事:「東北の5年間 6つの物語」)
放射能より人間の存在が悪影響
チェルノブイリの事故で最も広範囲に拡大し、最も危険性の高かった放射性核種のひとつであるセシウム137は、今年ようやく半減期を迎える。つまり、セシウムの量は事故から30年でほぼ半減し、より短命のバリウム137mへ変化したということだ。
動物たちは、食物を介して放射性物質を体内へ取り込む。
「ハタネズミの好物であるキノコは、放射性物質を濃縮させてしまいます。汚染されたキノコを食べると、ハタネズミの体内に高濃度の放射性物質がたまり、そのネズミを食べたオオカミが今度は汚染を体内に取り込んでしまいます」と、現地で働くハタネズミの研究者オレナ・ブード氏は説明する。
【動画】サンドイッチを作るチェルノブイリのキツネ 2015年4月30日
ウクライナのチェルノブイリ原発周辺の立入禁止区域で、ジャーナリストが投げ与えたパンと肉を上手に重ねてサンドイッチを作るキツネ。(Video courtesy Radio Free Europe/Radio Liberty)
しかし、動物の汚染レベルは生息地の汚染濃度、食べ物、そして動物の行動によって変わってくる。チェルノブイリからの放射性降下物は遠く離れたノルウェーのトナカイからも検出されたが、原発近くの立入禁止区域内でも、その量にはばらつきがあるのだ。
動物の中でもとりわけオオカミは、汚染をある程度免れている可能性がある。オオカミは行動範囲が広く、常に移動し、立入禁止区域の外まで出て行くこともあるからだ。
ビーズリー氏は、「こうした多くの動物たちにとって、たとえ放射能の影響があったとしても、それは種の存続を妨げるほど個体数を抑制するものではないのだと思います。人間がいなくなったことが、放射能による潜在的影響を相殺してはるかにあまりある効果をもたらしているのでしょう」と指摘する。
要するに、人間の存在の方が、放射能よりも動物たちには悪影響だということだ。
ソビエト時代の排水路に横たわるカバノキは、ビーバーが倒したもの。(PHOTOGRAPH BY JOHN WENDLE)
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事故直後、チェルノブイリに関係する物理学者、作業員、科学者のために建てられた街スラブティチで研究を続けるセルゲイ・ガスチャク氏も強く同意している。立入禁止区域で30年間働いてきたガスチャク氏は、野生生物が「劇的」に増加したと証言する。
ビーズリー氏は、この場所が放射能汚染によって「荒廃した」とまではいかなくとも、プルトニウムがこの先数百年から数千年間残存するということも分かっている。しかし、人間不在の環境で、動物たちがのびのびと暮らしていることを、彼の論文は示している。
「暫定的な推定分布の数字を見る限り、チェルノブイリでのオオカミの分布密度は、イエローストーン国立公園と比べてもはるかに高いことが分かります」
チェルノブイリ立入禁止区域内プリピャチ川近くの線路で食べ物を探す若いキツネ。(PHOTOGRAPH BY GERD LUDWIG, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)
チェルノブイリ原発事故直後、住民たちは取るものもとりあえず避難していった。それ以来誰も住むことのない家には、草木が鬱蒼と生い茂っている。(PHOTOGRAPH BY GERD LUDWIG, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)
文=John Wendle/訳=ルーバー荒井ハンナhttp://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/042100148/
再生核研究所声明180(2014.11.24) 人類の愚かさ ― 7つの視点
ここでは、反省の意味を込めて、あるいは教訓として 人類の愚かさについて、ふれたい。 この辺は間もなく克服されて、人類は少し、進化できるのではないだろうか。
1)死の問題、死を恐れる気持ち: これはきちんと死を捉えれば、死は母なる古里に帰る様なもの、また、生まれる前のようであるから、本来、一切の感覚の離れた存在であり、恐れる存在ではなく、人生で、別次元の問題であり、生きるのも良く、終末も良い が在るべき在り様である。これで、人間は相当に自由になり、人生は明るいものになるだろう。 2000年以上前のソクラテスの弁明には 既にそのような観点が述べられていることに注目したい(再生核研究所声明19: 超越への道、悟りへの道; 再生核研究所声明47: 肯定死; 再生核研究所声明63: 解脱、神、自由、不死への道 - 安らかに終末を迎える心得; 再生核研究所声明68: 生物の本質 ― 生きること、死ぬること; 再生核研究所声明99: 死の肯定、在りよう、儀式、将来への提案; 再生核研究所声明118: 馬鹿馬鹿しい人生、命失う者は 幸いである、と言える面もある ― ; 再生核研究所声明175:人間の擁く 大きな虚像)。
2)神、宗教の問題: 神も、宗教も本来、自分の心の有り様にあるのに、いろいろ歪められた、教義などにこだわり、多くは虚像を求めたり、虚像に頼ったりしている愚かさ(再生核研究所声明175: 人間の擁く 大きな虚像)。その辺の理解には、さらに多少の時間が掛かるのではないだろうか。― 愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。― しかしながら、神や宗教が祭りや文化、習慣に強い影響を与えているので、そのような観点からも、古い概念も尊重、大事にして行きたい。
3)争いと競争: 世には、スポーツ界などのように、競争など古い生物的な本能に基づくものは確かにあるが、世界史に見られる多くの戦争や、紛争、争いの多くは、あまりにも馬鹿げていて、和や共存,共生で 賢明な有り様が多く、このまま世界史を閉じれば、世界史は 人類の恥の歴史と見える程ではないだろうか。しかしながら、賢明な有り様に目覚めるのは 時間の問題ではないだろうか。これは人間関係についても言える(再生核研究所声明53: 世界の軍隊を 地球防衛軍 に; 再生核研究所声明4: 競争社会から個性を活かす社会に)。
4)民主主義: 多様な意見を出して、いろいろな視点から、在るべき姿を考えるのは、物事を考える基本であるが、多数決での決定は、根本的な間違いである。進化した数学界などでは考えられないことである。数学界では一人の意見でも議論して、討論して、検証して、相当に少数でも、正しいと判断されれば、それは受け入れられるだろう。 政治の有り様に どんどん科学的な決定方法が導入され、いわゆる多数決による政治的な決定は どんどん小さくなって行くだろう。多数の決定は 本末転倒の衆愚政治や 無責任政治を蔓延させている(再生核研究所声明33: 民主主義と衆愚政治)。例えば、安倍政権は経済政策の是非を問う、解散、総選挙だと言っているが、経済政策の有り様など 国民には判断できず、真面目にそう受け止めるならば 投票はでたらめになってしまうだろう。これは、何か大事なことを隠しているとしか理解できないのではないだろうか。
5)天動説が地動説に変わる時の愚かさ: 新しい学説、地動説に対して、大きな反対が出たのは、世界史の恥ではないだろうか。 真面目にきちんと考えれば、簡単に受け入れられる事実ではなかったろうか(再生核研究所声明105: 人間の愚かさ、弱点について)。
6)非ユークリッド幾何学の出現に対する拒否反応: これは 5)と同じように モデルなど真面目に考えれば、ほとんど明らかな数学であるにもかかわらず、根強い反対に会った、苦い歴史から、人間の思い込みに対する愚かさに反省、教訓を学びたい。
7)ゼロ除算の理解: ゼロ除算は 千年以上も、不可能であるという烙印のもとで, 世界史上でも人類は囚われていたことを述べていると考えられる。世界史の盲点であったと言えるのではないだろうか。 ある時代からの 未来人は 人類が 愚かな争いを続けていた事と同じように、人類の愚かさの象徴 と記録するだろう。
数学では、加、減、そして、積は 何時でも自由にできた、しかしながら、ゼロで割れないという、例外が除法には存在したが、ゼロ除算の簡潔な導入によって、例外なく除算もできるという、例外のない美しい世界が実現できたと言える。
ゼロ除算100/0=0,0/0=0 については 5),6)と同じような過ちをおかしていると考える。何時、5)、6)のように ゼロ除算は 世界の常識になるだろうか:
数学基礎学力研究会のホームページ:http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku
この声明は、次と相当に重なる部分も有しているので、参照: 再生核研究所声明172: 人間の愚かさについて
以 上
安倍首相がアメリカから5年で30兆の武器買う約束してることが判明 (1年で6兆円)
http://foreignpolicy.com/2015/07/16/japans-expanding-military-role-could-be-good-news-for-the-pentagon-and-its-contractors/
米国の2016年度国防予算、日本が安保法制を制定することが前提に組まれている
Published: May 13, 2015
US defense budget already counting on Japan self-defense plan
http://www.stripes.com/news/pacific/us-defense-budget-already-counting-on-japan-self-defense-plan-1.346012
再生核研究所声明181(2014.11.25) 人類の素晴らしさ ― 7つの視点
ここでは、人生、世界の賛歌の形で、人類の明るい面、素晴らしさに焦点を合わせてふれて, 生命の、人生の素晴らしさを確認し、希望と勇気を奮い立たせたい。
1)神、信仰: 人間がユニバースの創造者の概念を懐き、神の概念を得て信仰のレベルに達したのは素晴らしく、人間の根源的な才能であると評価したい:― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。―
2)求道: 人間が 己が何ゆえに存在しているのか、私は何者かと問い、存在の意味を求めて、修行し、在るべき有り様を真摯に追求している姿は、真に人間として尊いと言える。
3)愛: 愛とは共生感に基づく喜びの感情であるが (声明146)、多くの愛は人間社会の喜びの源泉と生きる力である(再生核研究所声明134: 私の命よりも 大事な 私 ― 人間の崇高さ、素晴らしきかな 人間)。
4)言語: 言語を使用して、交流でき、意思疏通ができ、あらゆる生命活動について、共感、共鳴できる人間の素晴らしさ。愛の基礎ばかりではなく、精神面での生命の伝播、記録、共有さえ可能にしている。
5)芸術: これは、絵画、音楽、歌、文学、スポーツ、技巧、あらゆる人間の創造的な活動の文化活動の営みを挙げることができる。これには、いわゆる名人芸、技術、芸能など、 芸術で捉えられる分野は広く、深く広がっている。
6)科学: ニュートン力学やアインシュタインの理論、電磁波の発見や応用、数学ではオイラーの公式や微積分学の発見など、近代科学の素晴しさはそれこそ、神の意思を真摯に追求しているものとして高く評価される。これは医学や工業技術など近代科学などを広く捉えることができる。
7)義: これは世界史に多く記録される、大義のための自己犠牲の精神であり、個人を超えた大きな存在に対する帰依の精神である。この大義は、実に様々に捉えることができるが、己の命を超えた存在に対する、自己犠牲の精神である。
人間の素晴らしさは 全て、 感動にすること に結びつくだろう(再生核研究所声明 12: 人生、世界の存在していることの意味について )。
以 上
再生核研究所声明188(2014.12.15)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
(12月10日16時 論文精読を一通り通読したら無性に書きたくなって始めたものである)
これは声明166の延長にあるので、まず、その要点を振り返っておこう: ―
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観:
ゼロ除算の新しい結果とは 簡単に述べれば、分数、割り算の意味を自然に拡張すると、あるいは割り算の固有の意味から、何でもゼロで割れば ゼロになると言うこと、そして、
関数 y = 1/x のグラフは、原点で ゼロである、すなわち、 1/0=0 である。複素解析学では、無限遠点が数値で0、すなわち、原点に一致している ということである。驚くべきことは、原点における 強力な不連続性にある。これらの現象は奇妙にも、ユニバースの普遍的な現象として 惹きつけるものがある。永遠の彼方は、どこまでも遠く行くが、その先は、突然、現在に戻っている。始点と終点の一致、無限とゼロの一致である。理想的な2つの質点間に働く、ニュートンの万有引力F は 2つの質量をm、M、万有引力定数をGとすると、距離をrとすれば
F = G mM/r^2。
rをゼロに近づければ 正の無限に発散するが、rが ゼロに成れば突然、ゼロである。2つの質点が重なれば、力は働かず、安定しないように見えるが、2つが分離すれば、大きな力に逆らう必要が有り、実は安定していると説明できる。ゼロと無限の裏腹の関係と捉えることができる。これは意外に、2元論における 対立するもの一般における裏腹の関係と捉えることができる: 生と死、戦争と平和、男と女、表と裏、すなわち、2元論― 神は2を愛し給う:
No.81, May 2012(pdf 432kb)
19/03/2012 - ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅広く 面白く触れたい。
における 2元の奇妙な関係である。
他方、ゼロ除算は、爆発や衝突における強力な不連続性を表現しているとして、論文で触れられているが、まこと、ユニバースの普遍的な現象として そのような強力な不連続性が存在するのではないだろうか。糸でも切れる瞬間と切れるまでの現象、物体でも近づいている場合と合体した場合では、全然違う現象として考えられ、強力な不連続性は 世に見られる普遍的な現象ではないだろうか。
生も死も表裏一体である、勝利も敗北も、喜びも苦しみも、幸せも不幸も、自由も束縛も、愛も憎しみも、等々表裏一体であるとの世界観が 視野と心の在りように新しい世界観をもたらすと考えられる。―
ゼロ除算の、無限とゼロの微妙な関係に驚嘆している間に、空がどんどん晴れてくるように新しい世界の、視野がどんどん広がり、驚きの感情が湧いている。言わば、明暗が、両極端のように、明、暗と分けられたものではなく、微妙な密接な、関係である。その内容は広がりと深さを持っていて簡単に表現できるものではない。また、みえた世界をそのまま表現すれば、現在でもなお、天動説が地動説に変わったときのように、また、非ユークリッド幾何学が出現したときのように 世は騒然となるだろう。そこで、注意深く、各論を、断片を 折をみて、表現しよう。
そこで、初回、生命の本質的な問題、生と死の問題をすこし触れたい。
食物連鎖の生物界の冷厳な事実、食われるものと食うものの立場。声明36で大きな命の概念で全体を捉えようとしたが、それらは殆ど等価の立場ではないだろうか。実際、猫がねずみをくわえて誇らしげに通りすぎていくのを見た。ところが奇妙にも、ねずみは歓喜の喜びにひたって悠然としてくわえられているようにみえた。自然の理。蛇が燕の巣を襲い、全滅させられたが、蛇は悠然と上手くいきました、ごめんなさいというような表情で消えていった。襲われた燕たちは一瞬で魔神に掛かったように気を失い、蛇に飲み込まれてしまった。少し、経つと元気に巣立ち厳しい自然の中を南国まで飛んで行っていろいろ苦労するよりは、蛇のお腹で 安らかな終末の方がよほどましだというような情感を覚えた。もちろん、ヒナを襲われた親鳥は切なく天空を舞っていたが、やがて、ヒナたちは最も良い生涯を終えたと、本能的に感じて、新しい生命活動に、励み出している。このようなことを何万年と繰り返してきたのが、燕と蛇の関係である。暗(あん)という面には ちょうど明(めい)と同じような明るい面があるのではないだろうか。明暗は対立概念ではなくて、微妙に調和がとれているのではないだろうか。ユニバースにおける全体の調和を観、述べている。人類が生命のただ延長を志向しているとすれば、それは、古い世界観に基づく無明の世界だろう。夜明けを迎えた、在るべき世界観とは 生も死も殆ど等価であり、共に愛すべきものであるということである。在るも良い、消えるも良い。ゼロ除算の驚きは そのような感性を育てているように感じられる。死からの開放に寄与するだろう。生命の誕生は素晴らしく、喜びと夢が湧いてきて、大きな光が差してくるようである。世界が開かれてくる。われわれの終末も似たようなものではないだろうか。大きな世界、私たちをこの世に送り込んだものの 大きな愛に満ちた世界にとけこんでいくようなものではないだろうか。この意味で、あらゆる生命は 大きな愛に包まれて、 支えられていると感じられるだろう。これは神の予感を述べている。 私たちは、愛されている(愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。)。
以 上
文献:
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on 100/0=0 and on 0/0=0, Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.
S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in Linear Algebra & Matrix Theory. Vol.4 No.2 2014 (2014), 87-95. http://www.scirp.org/journal/ALAMT/
生態系を調査、放射能よりも人間の存在が影響大
2016.04.26
絶滅しかけていたプシバルスキーウマ(モウコノウマ)は、1998年にチェルノブイリおよび他の野生生物保護区に再導入された。人間のいない環境で、個体数は増加している。(PHOTOGRAPH BY GERD LUDWIG, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)
1986年4月26日にチェルノブイリ原発事故が起こってから、今年で30年。人類史上最悪と言われた原発事故の現場周辺に設けられた立入禁止区域は、今ではあらゆる種類の動物たちがすむ楽園となっている。(参考記事:「動物の楽園になった世界の立入禁止区域5カ所」)
見つかるのは、ヘラジカやシカ、ビーバー、フクロウ、ほかにもこの地域には珍しいヒグマやオオヤマネコ、オオカミまで多岐にわたる。高い放射線量にも関わらず、人間による狩猟や生息地の破壊に脅かされることがないため、動物たちは数を増やしていると考えられる。(参考記事:「【動画】ヘラジカ、住宅地で迫力のガチンコ対決」)
チェルノブイリの立入禁止区域を分断するプリピャチ川。周辺にすむ数々の野生生物種にとって重要な生息地となっている。(PHOTOGRAPH BY CARA LOVE)
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現時点では、ウクライナとベラルーシにまたがる立入禁止区域内の動物たちの健康状態について、専門家たちの意見は分かれている。米ジョージア大学サバンナリバー生態学研究所の生物学者ジム・ビーズリー氏は、4月18日付「Frontiers in Ecology and the Environment」誌に論文を発表し、ベラルーシ側にすむ大型哺乳類の数が事故以降増加していると報告した。ビーズリー氏は、ナショナル ジオグラフィック協会の研究・探検委員会の支援を受けて、この地でオオカミを調査している。
5週間の調査に入ったビーズリー氏は、現地で見かけた動物の数の多さにびっくりしたという。仕掛けていたカメラトラップ(自動撮影カメラ)には、バイソン1頭、イノシシ21頭、アナグマ9匹、ハイイロオオカミ26匹、タヌキ60匹、アカギツネ10匹の姿が捉えられていた。
【動画】30年後のチェルノブイリ
チェルノブイリ原発事故が起こってから、今年で30年。事故現場の周辺に設けられた立入禁止区域は、今ではあらゆる種類の動物たちがすむ楽園となっている。(解説は英語です。 Videographer John Wendle)
対立する専門家の意見
ウクライナとベラルーシ両国の立入禁止区域を合わせた面積は4144平方キロ。今や欧州でも有数の野生生物生息地となっている。(参考記事:「原発事故の現場を訪ねる チェルノブイリ見学ツアー」)
しかし、チェルノブイリで数を盛り返すことが動物にとって何を意味するのかについては、専門家たちの間で議論が分かれている。ビーズリー氏は14種の哺乳動物を調査し、「立入禁止区域内の高汚染地域で、動物たちの分布が抑制されていることを示す証拠は何も見つからなかった」としている。
一方、反対の結果が出たと主張する研究者もいる。
立入禁止区域内に設置されたカメラトラップの前を通り過ぎるハイイロオオカミの群れ。原発周辺では人間の活動が制限されていることから、今オオカミの数が増えている。(PHOTOGRAPH BY JAMES BEASLEY AND SARAH WEBSTER, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)
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「チェルノブイリと福島のツバメは、汚染地域で24時間過ごしています。1時間当たりの被ばく線量はそれほど高くなかったとしても、それが積み重なれば1週間、1か月後にはかなりの量となり、大変な影響を及ぼすレベルに達してしまうでしょう」と語るのは、パリ第11大学のデンマーク人科学者アンダース・パぺ・モラー氏だ。
モラー氏が生物学者ティモシー・ムソー氏と行った共同研究では、ハタネズミに高い確率で白内障が見られること、鳥の翼にいる有益な細菌の量が減少していること、ツバメに部分的なアルビニズム(色素欠乏)が発生していること、カッコウの数が減少していることなどが報告されている。ただし、深刻な突然変異が起こったのは事故直後のみである。(参考記事:「鳥に現れた異常、チェルノブイリと動物」)
両者とも、放射能が人間にも動物にも良くないという点では意見が一致している。しかし問題は、どれほど深刻なのか、そしてそれが動物の個体数減少につながっているのかという点だ。
カフェテリアで昼食の列に並ぶ警備員たち。彼らの仕事のひとつは、立入禁止区域内での密猟を取り締まることだ。(PHOTOGRAPH BY JOHN WENDLE)
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低レベルの電離放射線が野生生物や人間にどのような影響を与えるのか、専門家の間で議論は白熱し、特に5年前の福島原発事故以来、政治的問題にもなっている。30年という年月が過ぎたチェルノブイリは、今やその実験場ともいうべき存在となっている。(参考記事:「東北の5年間 6つの物語」)
放射能より人間の存在が悪影響
チェルノブイリの事故で最も広範囲に拡大し、最も危険性の高かった放射性核種のひとつであるセシウム137は、今年ようやく半減期を迎える。つまり、セシウムの量は事故から30年でほぼ半減し、より短命のバリウム137mへ変化したということだ。
動物たちは、食物を介して放射性物質を体内へ取り込む。
「ハタネズミの好物であるキノコは、放射性物質を濃縮させてしまいます。汚染されたキノコを食べると、ハタネズミの体内に高濃度の放射性物質がたまり、そのネズミを食べたオオカミが今度は汚染を体内に取り込んでしまいます」と、現地で働くハタネズミの研究者オレナ・ブード氏は説明する。
【動画】サンドイッチを作るチェルノブイリのキツネ 2015年4月30日
ウクライナのチェルノブイリ原発周辺の立入禁止区域で、ジャーナリストが投げ与えたパンと肉を上手に重ねてサンドイッチを作るキツネ。(Video courtesy Radio Free Europe/Radio Liberty)
しかし、動物の汚染レベルは生息地の汚染濃度、食べ物、そして動物の行動によって変わってくる。チェルノブイリからの放射性降下物は遠く離れたノルウェーのトナカイからも検出されたが、原発近くの立入禁止区域内でも、その量にはばらつきがあるのだ。
動物の中でもとりわけオオカミは、汚染をある程度免れている可能性がある。オオカミは行動範囲が広く、常に移動し、立入禁止区域の外まで出て行くこともあるからだ。
ビーズリー氏は、「こうした多くの動物たちにとって、たとえ放射能の影響があったとしても、それは種の存続を妨げるほど個体数を抑制するものではないのだと思います。人間がいなくなったことが、放射能による潜在的影響を相殺してはるかにあまりある効果をもたらしているのでしょう」と指摘する。
要するに、人間の存在の方が、放射能よりも動物たちには悪影響だということだ。
ソビエト時代の排水路に横たわるカバノキは、ビーバーが倒したもの。(PHOTOGRAPH BY JOHN WENDLE)
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事故直後、チェルノブイリに関係する物理学者、作業員、科学者のために建てられた街スラブティチで研究を続けるセルゲイ・ガスチャク氏も強く同意している。立入禁止区域で30年間働いてきたガスチャク氏は、野生生物が「劇的」に増加したと証言する。
ビーズリー氏は、この場所が放射能汚染によって「荒廃した」とまではいかなくとも、プルトニウムがこの先数百年から数千年間残存するということも分かっている。しかし、人間不在の環境で、動物たちがのびのびと暮らしていることを、彼の論文は示している。
「暫定的な推定分布の数字を見る限り、チェルノブイリでのオオカミの分布密度は、イエローストーン国立公園と比べてもはるかに高いことが分かります」
チェルノブイリ立入禁止区域内プリピャチ川近くの線路で食べ物を探す若いキツネ。(PHOTOGRAPH BY GERD LUDWIG, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)
チェルノブイリ原発事故直後、住民たちは取るものもとりあえず避難していった。それ以来誰も住むことのない家には、草木が鬱蒼と生い茂っている。(PHOTOGRAPH BY GERD LUDWIG, NATIONAL GEOGRAPHIC CREATIVE)
文=John Wendle/訳=ルーバー荒井ハンナhttp://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/042100148/
再生核研究所声明180(2014.11.24) 人類の愚かさ ― 7つの視点
ここでは、反省の意味を込めて、あるいは教訓として 人類の愚かさについて、ふれたい。 この辺は間もなく克服されて、人類は少し、進化できるのではないだろうか。
1)死の問題、死を恐れる気持ち: これはきちんと死を捉えれば、死は母なる古里に帰る様なもの、また、生まれる前のようであるから、本来、一切の感覚の離れた存在であり、恐れる存在ではなく、人生で、別次元の問題であり、生きるのも良く、終末も良い が在るべき在り様である。これで、人間は相当に自由になり、人生は明るいものになるだろう。 2000年以上前のソクラテスの弁明には 既にそのような観点が述べられていることに注目したい(再生核研究所声明19: 超越への道、悟りへの道; 再生核研究所声明47: 肯定死; 再生核研究所声明63: 解脱、神、自由、不死への道 - 安らかに終末を迎える心得; 再生核研究所声明68: 生物の本質 ― 生きること、死ぬること; 再生核研究所声明99: 死の肯定、在りよう、儀式、将来への提案; 再生核研究所声明118: 馬鹿馬鹿しい人生、命失う者は 幸いである、と言える面もある ― ; 再生核研究所声明175:人間の擁く 大きな虚像)。
2)神、宗教の問題: 神も、宗教も本来、自分の心の有り様にあるのに、いろいろ歪められた、教義などにこだわり、多くは虚像を求めたり、虚像に頼ったりしている愚かさ(再生核研究所声明175: 人間の擁く 大きな虚像)。その辺の理解には、さらに多少の時間が掛かるのではないだろうか。― 愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。― しかしながら、神や宗教が祭りや文化、習慣に強い影響を与えているので、そのような観点からも、古い概念も尊重、大事にして行きたい。
3)争いと競争: 世には、スポーツ界などのように、競争など古い生物的な本能に基づくものは確かにあるが、世界史に見られる多くの戦争や、紛争、争いの多くは、あまりにも馬鹿げていて、和や共存,共生で 賢明な有り様が多く、このまま世界史を閉じれば、世界史は 人類の恥の歴史と見える程ではないだろうか。しかしながら、賢明な有り様に目覚めるのは 時間の問題ではないだろうか。これは人間関係についても言える(再生核研究所声明53: 世界の軍隊を 地球防衛軍 に; 再生核研究所声明4: 競争社会から個性を活かす社会に)。
4)民主主義: 多様な意見を出して、いろいろな視点から、在るべき姿を考えるのは、物事を考える基本であるが、多数決での決定は、根本的な間違いである。進化した数学界などでは考えられないことである。数学界では一人の意見でも議論して、討論して、検証して、相当に少数でも、正しいと判断されれば、それは受け入れられるだろう。 政治の有り様に どんどん科学的な決定方法が導入され、いわゆる多数決による政治的な決定は どんどん小さくなって行くだろう。多数の決定は 本末転倒の衆愚政治や 無責任政治を蔓延させている(再生核研究所声明33: 民主主義と衆愚政治)。例えば、安倍政権は経済政策の是非を問う、解散、総選挙だと言っているが、経済政策の有り様など 国民には判断できず、真面目にそう受け止めるならば 投票はでたらめになってしまうだろう。これは、何か大事なことを隠しているとしか理解できないのではないだろうか。
5)天動説が地動説に変わる時の愚かさ: 新しい学説、地動説に対して、大きな反対が出たのは、世界史の恥ではないだろうか。 真面目にきちんと考えれば、簡単に受け入れられる事実ではなかったろうか(再生核研究所声明105: 人間の愚かさ、弱点について)。
6)非ユークリッド幾何学の出現に対する拒否反応: これは 5)と同じように モデルなど真面目に考えれば、ほとんど明らかな数学であるにもかかわらず、根強い反対に会った、苦い歴史から、人間の思い込みに対する愚かさに反省、教訓を学びたい。
7)ゼロ除算の理解: ゼロ除算は 千年以上も、不可能であるという烙印のもとで, 世界史上でも人類は囚われていたことを述べていると考えられる。世界史の盲点であったと言えるのではないだろうか。 ある時代からの 未来人は 人類が 愚かな争いを続けていた事と同じように、人類の愚かさの象徴 と記録するだろう。
数学では、加、減、そして、積は 何時でも自由にできた、しかしながら、ゼロで割れないという、例外が除法には存在したが、ゼロ除算の簡潔な導入によって、例外なく除算もできるという、例外のない美しい世界が実現できたと言える。
ゼロ除算100/0=0,0/0=0 については 5),6)と同じような過ちをおかしていると考える。何時、5)、6)のように ゼロ除算は 世界の常識になるだろうか:
数学基礎学力研究会のホームページ:http://www.mirun.sctv.jp/~suugaku
この声明は、次と相当に重なる部分も有しているので、参照: 再生核研究所声明172: 人間の愚かさについて
以 上
安倍首相がアメリカから5年で30兆の武器買う約束してることが判明 (1年で6兆円)
http://foreignpolicy.com/2015/07/16/japans-expanding-military-role-could-be-good-news-for-the-pentagon-and-its-contractors/
米国の2016年度国防予算、日本が安保法制を制定することが前提に組まれている
Published: May 13, 2015
US defense budget already counting on Japan self-defense plan
http://www.stripes.com/news/pacific/us-defense-budget-already-counting-on-japan-self-defense-plan-1.346012
再生核研究所声明181(2014.11.25) 人類の素晴らしさ ― 7つの視点
ここでは、人生、世界の賛歌の形で、人類の明るい面、素晴らしさに焦点を合わせてふれて, 生命の、人生の素晴らしさを確認し、希望と勇気を奮い立たせたい。
1)神、信仰: 人間がユニバースの創造者の概念を懐き、神の概念を得て信仰のレベルに達したのは素晴らしく、人間の根源的な才能であると評価したい:― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。―
2)求道: 人間が 己が何ゆえに存在しているのか、私は何者かと問い、存在の意味を求めて、修行し、在るべき有り様を真摯に追求している姿は、真に人間として尊いと言える。
3)愛: 愛とは共生感に基づく喜びの感情であるが (声明146)、多くの愛は人間社会の喜びの源泉と生きる力である(再生核研究所声明134: 私の命よりも 大事な 私 ― 人間の崇高さ、素晴らしきかな 人間)。
4)言語: 言語を使用して、交流でき、意思疏通ができ、あらゆる生命活動について、共感、共鳴できる人間の素晴らしさ。愛の基礎ばかりではなく、精神面での生命の伝播、記録、共有さえ可能にしている。
5)芸術: これは、絵画、音楽、歌、文学、スポーツ、技巧、あらゆる人間の創造的な活動の文化活動の営みを挙げることができる。これには、いわゆる名人芸、技術、芸能など、 芸術で捉えられる分野は広く、深く広がっている。
6)科学: ニュートン力学やアインシュタインの理論、電磁波の発見や応用、数学ではオイラーの公式や微積分学の発見など、近代科学の素晴しさはそれこそ、神の意思を真摯に追求しているものとして高く評価される。これは医学や工業技術など近代科学などを広く捉えることができる。
7)義: これは世界史に多く記録される、大義のための自己犠牲の精神であり、個人を超えた大きな存在に対する帰依の精神である。この大義は、実に様々に捉えることができるが、己の命を超えた存在に対する、自己犠牲の精神である。
人間の素晴らしさは 全て、 感動にすること に結びつくだろう(再生核研究所声明 12: 人生、世界の存在していることの意味について )。
以 上
再生核研究所声明188(2014.12.15)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
(12月10日16時 論文精読を一通り通読したら無性に書きたくなって始めたものである)
これは声明166の延長にあるので、まず、その要点を振り返っておこう: ―
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観:
ゼロ除算の新しい結果とは 簡単に述べれば、分数、割り算の意味を自然に拡張すると、あるいは割り算の固有の意味から、何でもゼロで割れば ゼロになると言うこと、そして、
関数 y = 1/x のグラフは、原点で ゼロである、すなわち、 1/0=0 である。複素解析学では、無限遠点が数値で0、すなわち、原点に一致している ということである。驚くべきことは、原点における 強力な不連続性にある。これらの現象は奇妙にも、ユニバースの普遍的な現象として 惹きつけるものがある。永遠の彼方は、どこまでも遠く行くが、その先は、突然、現在に戻っている。始点と終点の一致、無限とゼロの一致である。理想的な2つの質点間に働く、ニュートンの万有引力F は 2つの質量をm、M、万有引力定数をGとすると、距離をrとすれば
F = G mM/r^2。
rをゼロに近づければ 正の無限に発散するが、rが ゼロに成れば突然、ゼロである。2つの質点が重なれば、力は働かず、安定しないように見えるが、2つが分離すれば、大きな力に逆らう必要が有り、実は安定していると説明できる。ゼロと無限の裏腹の関係と捉えることができる。これは意外に、2元論における 対立するもの一般における裏腹の関係と捉えることができる: 生と死、戦争と平和、男と女、表と裏、すなわち、2元論― 神は2を愛し給う:
No.81, May 2012(pdf 432kb)
19/03/2012 - ここでは、数学とは何かについて考えながら、数学と人間に絡む問題などについて、幅広く 面白く触れたい。
における 2元の奇妙な関係である。
他方、ゼロ除算は、爆発や衝突における強力な不連続性を表現しているとして、論文で触れられているが、まこと、ユニバースの普遍的な現象として そのような強力な不連続性が存在するのではないだろうか。糸でも切れる瞬間と切れるまでの現象、物体でも近づいている場合と合体した場合では、全然違う現象として考えられ、強力な不連続性は 世に見られる普遍的な現象ではないだろうか。
生も死も表裏一体である、勝利も敗北も、喜びも苦しみも、幸せも不幸も、自由も束縛も、愛も憎しみも、等々表裏一体であるとの世界観が 視野と心の在りように新しい世界観をもたらすと考えられる。―
ゼロ除算の、無限とゼロの微妙な関係に驚嘆している間に、空がどんどん晴れてくるように新しい世界の、視野がどんどん広がり、驚きの感情が湧いている。言わば、明暗が、両極端のように、明、暗と分けられたものではなく、微妙な密接な、関係である。その内容は広がりと深さを持っていて簡単に表現できるものではない。また、みえた世界をそのまま表現すれば、現在でもなお、天動説が地動説に変わったときのように、また、非ユークリッド幾何学が出現したときのように 世は騒然となるだろう。そこで、注意深く、各論を、断片を 折をみて、表現しよう。
そこで、初回、生命の本質的な問題、生と死の問題をすこし触れたい。
食物連鎖の生物界の冷厳な事実、食われるものと食うものの立場。声明36で大きな命の概念で全体を捉えようとしたが、それらは殆ど等価の立場ではないだろうか。実際、猫がねずみをくわえて誇らしげに通りすぎていくのを見た。ところが奇妙にも、ねずみは歓喜の喜びにひたって悠然としてくわえられているようにみえた。自然の理。蛇が燕の巣を襲い、全滅させられたが、蛇は悠然と上手くいきました、ごめんなさいというような表情で消えていった。襲われた燕たちは一瞬で魔神に掛かったように気を失い、蛇に飲み込まれてしまった。少し、経つと元気に巣立ち厳しい自然の中を南国まで飛んで行っていろいろ苦労するよりは、蛇のお腹で 安らかな終末の方がよほどましだというような情感を覚えた。もちろん、ヒナを襲われた親鳥は切なく天空を舞っていたが、やがて、ヒナたちは最も良い生涯を終えたと、本能的に感じて、新しい生命活動に、励み出している。このようなことを何万年と繰り返してきたのが、燕と蛇の関係である。暗(あん)という面には ちょうど明(めい)と同じような明るい面があるのではないだろうか。明暗は対立概念ではなくて、微妙に調和がとれているのではないだろうか。ユニバースにおける全体の調和を観、述べている。人類が生命のただ延長を志向しているとすれば、それは、古い世界観に基づく無明の世界だろう。夜明けを迎えた、在るべき世界観とは 生も死も殆ど等価であり、共に愛すべきものであるということである。在るも良い、消えるも良い。ゼロ除算の驚きは そのような感性を育てているように感じられる。死からの開放に寄与するだろう。生命の誕生は素晴らしく、喜びと夢が湧いてきて、大きな光が差してくるようである。世界が開かれてくる。われわれの終末も似たようなものではないだろうか。大きな世界、私たちをこの世に送り込んだものの 大きな愛に満ちた世界にとけこんでいくようなものではないだろうか。この意味で、あらゆる生命は 大きな愛に包まれて、 支えられていると感じられるだろう。これは神の予感を述べている。 私たちは、愛されている(愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。)。
以 上
文献:
M. Kuroda, H. Michiwaki, S. Saitoh, and M. Yamane,
New meanings of the division by zero and interpretations on 100/0=0 and on 0/0=0, Int. J. Appl. Math. Vol. 27, No 2 (2014), pp. 191-198, DOI: 10.12732/ijam.v27i2.9.
S. Saitoh, Generalized inversions of Hadamard and tensor products for matrices, Advances in Linear Algebra & Matrix Theory. Vol.4 No.2 2014 (2014), 87-95. http://www.scirp.org/journal/ALAMT/
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