[西郷どん]桜島をバックに若き主人公と題字が「どん」! メインビジュアル解禁
俳優の鈴木亮平さん主演で2018年1月にスタートするNHKの大河ドラマ「西郷(せご)どん」のメインビジュアルが7日、公開された。雄大な桜島をバックに、エネルギーをほとばしらせる若き主人公・西郷隆盛の姿を映し出し、大きく「どん」との題字も乗った力強いビジュアルになっている。
題字やビジュアルは、海を中心とした自然をフィールドとして活動するクリエーティブ集団「L.S.W.F」が制作。NHKはコンセプトについて「大地のエネルギーに満ちた鹿児島、そしてその象徴とも言える桜島にてまだ見ぬ未来に向かって、桜島に負けないエネルギーをほとばしらせる若き西郷どんを表現しました」と説明している。またビジュアルに併せて、ドラマのプレサイトもオープンした。
「西郷どん」は、明治維新から150年となる18年に放送される57作目の大河ドラマで、維新の立役者の一人として知られる西郷隆盛が主人公。薩摩の貧しい下級武士の家に生まれた西郷隆盛(小吉、吉之助)の愚直な姿にカリスマ薩摩藩主・島津斉彬が目を留め、西郷は斉彬の密命を担い、江戸へ京都へと奔走する。勝海舟、坂本龍馬ら盟友と出会い、革命家へと覚醒し、やがて明治維新を成し遂げていく……という内容。脚本はNHK連続テレビ小説「花子とアン」やテレビ朝日系の人気ドラマ「ドクターX」シリーズなどの中園ミホさんが担当する。放送は18年1月からで全50回を予定している。http://news.mynavi.jp/news/2017/11/07/091/
楽しみです:
再生核研究所声明 396(17.11.13): 人間の終末の心 - 人生も人間も大した存在ではない
人間の終末の心の状態を顧みて置こう。
西行の終末、西行花伝 ― 辻邦生、新潮社 に現れた状況は 詠んだ和歌の選の結果が楽しみで 伊勢神宮に献じるのを最大の楽しみにしていた様子が良く伺える。
これは どこかで映像で見た平家の公達が都落ちに 和歌を残したいと立ち寄ったシーンが 深く心に残っている それと同様の心境と解せる。これらに共通する心は 多くの研究者、芸術家に共通する 生きた記念碑を後世に残したい という心情で相当人間の本質を表していると考えられる。
信長の場合には、もうすぐ天下を取れるとみられる 最も充実していた折りに、突然の事件で 数時間で最後に追い詰められた いわば無念の思いの最後である。これは世に多く見られる現象であるので、一応の心構えとして 日頃努めるべきである。修業とはそのような心構えをすることではないだろうか。― 明日ありと 思う心の 仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは(親鸞)。
それに対して、秀吉は 相当に満足できる人生を送ったが、最後の心境には 一族の将来不安が有ったとみられる。上手く人生を歩んだ人の 一般的な心境ではないだろうか。
大石内蔵助達の最後は 義を貫き、志を遂げての最後で 爽やかであり、強い信念で生きたものの迷いのない最後とも言える。意外に戦場における 兵士達の最後の心境も同様ではないだろうか。国家や部隊と命運を共にして殉ずる精神で 結構普遍的にみられる心境ではないだろうか。- 追い詰められれば結局 大義に殉じざるを得ないし、我々の精神はそのように 作られていると言える。
人間は、本能的にも事実としても、人生はゼロから始まってゼロに終わることを知っていて、所詮はかない存在であることを知っている。しかしながら、なかなかゼロに帰することを受け入れられず、生物的な生命の延長と少しばかりは ちやほやされたい、褒められたいなどのいじらしい心を有しているのでは ないだろうか。― ここで、 ゼロに帰するは 全体を支えている大きなものの存在を否定して訳ではないことに注意して置きたい。
これ男子の本懐なり、板垣死すとも自由は死せず とか ソクラテスが、悪法もまた法なりといって毒杯をあおったのも その辺を周知のうえでの 肯定の終末といえる。
そう考えると、人間そうは 大した存在ではなく、人生もまた同様であると言える。
以 上
再生核研究所声明328(2016.10.24) NHK大河ドラマ、真田幸村の大阪城入場から考える人間 ― 自由について
ドラマが虚像に満ちているとしても、ドラマ制作力の進化には驚かされる。ここでは、真田幸村の大阪城入場の背景を考えなから、人間、人生について感じたことを纏めてみたい。
まず、直感として、あのような経歴、状況では幸村及び周辺の人は、きりさんの勧めのように、大阪方につかざるを得なかったのではないだろうか。幸村にとって、父の影響、そして秀吉の寵愛と信頼、石田三成など仲間たちと輝いた時代、さらに淀君の想い、それらは人生そのものであり、それらに帰することは共生感に基づく喜びの感情、愛の本質から言っても必然的であると言える。― ついでであるか、きりさんの魅力には大いに感銘させられる。
そこで、赤穂浪士や、大奥の人たち、本能寺の変に加わった兵士たち、多くの人間の行為はそうは自由でなくて、時代背景や置かれた立場で相当に必然性が有って、人間とは、人生とはそんなに自由な存在ではないのではないだろうか。
例えば 進学、就職、結婚など大事な志、決断と選択は確かに存在するが、それらに対しても相当に環境の影響と背景で実は制限されている現実がある。特に、志、好み、関心は生い立ちや環境によって大きく影響され、人間が環境にどのように影響されるかは興味ある課題である。人間の心さえ、環境の影響で相当に定まっている面を強く感じる。そう、ここで言いたかったことは、人間とは相当に環境、生い立ちで形作られるものであるということである。相当に人間は同じように作られているということである。人々が円熟期に至って、結局みんな同じような存在で、人間そのものが草木や動物たちと本質的に同じような存在であるという、認識を深めるだろう。
人間は、何者かによって作られた存在で、その枠内で存在しているものだと述べた。生れる前も、生きている間も、先も分からず、大きな流れに流されているような存在である。
その意味で、人生とは簡単であった、自分の心と環境に調和して 心がはずむように生きれば良いということになる。このように思えるようになれば、幸せな人生と言えるが、環境が厳しく、中々調和したような存在にはなれず、不満や苦痛、厳しさに苛まれることが多いのが人生と言えるのではないだろうか。生活を社会的に整えるのが基本であるが、そのために汲々としてしまいがちであるが、良き政治が行われ、共生、共感、共鳴できるような美しい社会を築きたいものである。
上記で、そのような時代に、そのような環境にあれば、そうせざるを得なかったということに対しては、社会の進化を志向し、人間の心が、生命が活かせる、輝かせるような社会の建設を目指したい。
人間が環境の影響を受けて形づけられる以上、時代の影響を越えた存在は難しく、芸術でも学問、研究でさえ、時代の流れ、世相を反映させていると言える。
そこで、環境を整えるとなれば、政治、マスコミ、教育の影響は大きいので、関係者の精進・努力をお願いしたい。基本精神は賢明になり、公正の原則を尊重、社会正義の追求ではないだろうか。
人間については、下記のように触れてきた:
再生核研究所声明 68: 生物の本質 ― 生きること、死ぬること
再生核研究所声明 69: 単細胞人間 ― 単細胞的思考
再生核研究所声明 70: 本末転倒、あべこべ ― 初心忘れるべからず
再生核研究所声明76(2012.2.16): 教育における心得 ― 教育原理
再生核研究所声明77(2012.2.18): 人生における心得
再生核研究所声明 141(2013.11.14): 結局、人間とは、人生とは 何だろうか、どの様なものか
再生核研究所声明145(2013.12.14) 生きること、人間として在ることの 究極の意義 についての考察
再生核研究所声明149(2014.3.4) 生きること、生命の本質、活動して止まないもの
再生核研究所声明155 生きる意味は 文学者にも分からない??
再生核研究所声明 180(2014.11.24) 人類の愚かさ ― 7つの視点
再生核研究所声明 181(2014.11.25) 人類の素晴らしさ ― 7つの視点
再生核研究所声明182(2014.11.26) 世界、縄張り、単細胞、宇宙
再生核研究所声明183(2014.11.27) 野生動物と人間
再生核研究所声明197(2015.1.5)真智への愛とは何か
再生核研究所声明198(2015.1.14)計算機と人間の違い、そしてそれらの愚かさについて
再生核研究所声明218(2015.3.19) 興味、関心、感動;人間とは
再生核研究所声明223(2015.4.14) 人生の目的は、自然を愛でて楽しみ、ともに喜び合うこと ― 二十一世紀の壮大なロマン 真実(播磨屋助次郎著)を読んで
再生核研究所声明229(2015.5.12)吉田松陰から学ぶ ― 志の重要性と松陰の最期、モミの実の喩え
再生核研究所声明 265(2015.12.24): 全ての願いが叶えられたとき ー 自由な境地 ― その時人間は
再生核研究所声明 266(2015.12.25): 地球上に繁茂する 愚かな人類
再生核研究所声明 273(2016.01.06): つくられた人間 ― 人間とは何だろうか; 人生とは何か
再生核研究所声明289(2016.02.26) 終末の心得
再生核研究所声明291(2016.03.07) 心の微妙さ
再生核研究所声明301(2016.05.23) 人間の愚かさ―人間の賢さ
再生核研究所声明304(2016.06.16) いじらしい人間
以 上
人間の終末の心の状態を顧みて置こう。
西行の終末、西行花伝 ― 辻邦生、新潮社 に現れた状況は 詠んだ和歌の選の結果が楽しみで 伊勢神宮に献じるのを最大の楽しみにしていた様子が良く伺える。
これは どこかで映像で見た平家の公達が都落ちに 和歌を残したいと立ち寄ったシーンが 深く心に残っている それと同様の心境と解せる。これらに共通する心は 多くの研究者、芸術家に共通する 生きた記念碑を後世に残したい という心情で相当人間の本質を表していると考えられる。
信長の場合には、もうすぐ天下を取れるとみられる 最も充実していた折りに、突然の事件で 数時間で最後に追い詰められた いわば無念の思いの最後である。これは世に多く見られる現象であるので、一応の心構えとして 日頃努めるべきである。修業とはそのような心構えをすることではないだろうか。― 明日ありと 思う心の 仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは(親鸞)。
それに対して、秀吉は 相当に満足できる人生を送ったが、最後の心境には 一族の将来不安が有ったとみられる。上手く人生を歩んだ人の 一般的な心境ではないだろうか。
大石内蔵助達の最後は 義を貫き、志を遂げての最後で 爽やかであり、強い信念で生きたものの迷いのない最後とも言える。意外に戦場における 兵士達の最後の心境も同様ではないだろうか。国家や部隊と命運を共にして殉ずる精神で 結構普遍的にみられる心境ではないだろうか。- 追い詰められれば結局 大義に殉じざるを得ないし、我々の精神はそのように 作られていると言える。
人間は、本能的にも事実としても、人生はゼロから始まってゼロに終わることを知っていて、所詮はかない存在であることを知っている。しかしながら、なかなかゼロに帰することを受け入れられず、生物的な生命の延長と少しばかりは ちやほやされたい、褒められたいなどのいじらしい心を有しているのでは ないだろうか。― ここで、 ゼロに帰するは 全体を支えている大きなものの存在を否定して訳ではないことに注意して置きたい。
これ男子の本懐なり、板垣死すとも自由は死せず とか ソクラテスが、悪法もまた法なりといって毒杯をあおったのも その辺を周知のうえでの 肯定の終末といえる。
そう考えると、人間そうは 大した存在ではなく、人生もまた同様であると言える。
以 上
再生核研究所声明328(2016.10.24) NHK大河ドラマ、真田幸村の大阪城入場から考える人間 ― 自由について
ドラマが虚像に満ちているとしても、ドラマ制作力の進化には驚かされる。ここでは、真田幸村の大阪城入場の背景を考えなから、人間、人生について感じたことを纏めてみたい。
まず、直感として、あのような経歴、状況では幸村及び周辺の人は、きりさんの勧めのように、大阪方につかざるを得なかったのではないだろうか。幸村にとって、父の影響、そして秀吉の寵愛と信頼、石田三成など仲間たちと輝いた時代、さらに淀君の想い、それらは人生そのものであり、それらに帰することは共生感に基づく喜びの感情、愛の本質から言っても必然的であると言える。― ついでであるか、きりさんの魅力には大いに感銘させられる。
そこで、赤穂浪士や、大奥の人たち、本能寺の変に加わった兵士たち、多くの人間の行為はそうは自由でなくて、時代背景や置かれた立場で相当に必然性が有って、人間とは、人生とはそんなに自由な存在ではないのではないだろうか。
例えば 進学、就職、結婚など大事な志、決断と選択は確かに存在するが、それらに対しても相当に環境の影響と背景で実は制限されている現実がある。特に、志、好み、関心は生い立ちや環境によって大きく影響され、人間が環境にどのように影響されるかは興味ある課題である。人間の心さえ、環境の影響で相当に定まっている面を強く感じる。そう、ここで言いたかったことは、人間とは相当に環境、生い立ちで形作られるものであるということである。相当に人間は同じように作られているということである。人々が円熟期に至って、結局みんな同じような存在で、人間そのものが草木や動物たちと本質的に同じような存在であるという、認識を深めるだろう。
人間は、何者かによって作られた存在で、その枠内で存在しているものだと述べた。生れる前も、生きている間も、先も分からず、大きな流れに流されているような存在である。
その意味で、人生とは簡単であった、自分の心と環境に調和して 心がはずむように生きれば良いということになる。このように思えるようになれば、幸せな人生と言えるが、環境が厳しく、中々調和したような存在にはなれず、不満や苦痛、厳しさに苛まれることが多いのが人生と言えるのではないだろうか。生活を社会的に整えるのが基本であるが、そのために汲々としてしまいがちであるが、良き政治が行われ、共生、共感、共鳴できるような美しい社会を築きたいものである。
上記で、そのような時代に、そのような環境にあれば、そうせざるを得なかったということに対しては、社会の進化を志向し、人間の心が、生命が活かせる、輝かせるような社会の建設を目指したい。
人間が環境の影響を受けて形づけられる以上、時代の影響を越えた存在は難しく、芸術でも学問、研究でさえ、時代の流れ、世相を反映させていると言える。
そこで、環境を整えるとなれば、政治、マスコミ、教育の影響は大きいので、関係者の精進・努力をお願いしたい。基本精神は賢明になり、公正の原則を尊重、社会正義の追求ではないだろうか。
人間については、下記のように触れてきた:
再生核研究所声明 68: 生物の本質 ― 生きること、死ぬること
再生核研究所声明 69: 単細胞人間 ― 単細胞的思考
再生核研究所声明 70: 本末転倒、あべこべ ― 初心忘れるべからず
再生核研究所声明76(2012.2.16): 教育における心得 ― 教育原理
再生核研究所声明77(2012.2.18): 人生における心得
再生核研究所声明 141(2013.11.14): 結局、人間とは、人生とは 何だろうか、どの様なものか
再生核研究所声明145(2013.12.14) 生きること、人間として在ることの 究極の意義 についての考察
再生核研究所声明149(2014.3.4) 生きること、生命の本質、活動して止まないもの
再生核研究所声明155 生きる意味は 文学者にも分からない??
再生核研究所声明 180(2014.11.24) 人類の愚かさ ― 7つの視点
再生核研究所声明 181(2014.11.25) 人類の素晴らしさ ― 7つの視点
再生核研究所声明182(2014.11.26) 世界、縄張り、単細胞、宇宙
再生核研究所声明183(2014.11.27) 野生動物と人間
再生核研究所声明197(2015.1.5)真智への愛とは何か
再生核研究所声明198(2015.1.14)計算機と人間の違い、そしてそれらの愚かさについて
再生核研究所声明218(2015.3.19) 興味、関心、感動;人間とは
再生核研究所声明223(2015.4.14) 人生の目的は、自然を愛でて楽しみ、ともに喜び合うこと ― 二十一世紀の壮大なロマン 真実(播磨屋助次郎著)を読んで
再生核研究所声明229(2015.5.12)吉田松陰から学ぶ ― 志の重要性と松陰の最期、モミの実の喩え
再生核研究所声明 265(2015.12.24): 全ての願いが叶えられたとき ー 自由な境地 ― その時人間は
再生核研究所声明 266(2015.12.25): 地球上に繁茂する 愚かな人類
再生核研究所声明 273(2016.01.06): つくられた人間 ― 人間とは何だろうか; 人生とは何か
再生核研究所声明289(2016.02.26) 終末の心得
再生核研究所声明291(2016.03.07) 心の微妙さ
再生核研究所声明301(2016.05.23) 人間の愚かさ―人間の賢さ
再生核研究所声明304(2016.06.16) いじらしい人間
以 上
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