2017年11月29日水曜日

記事 フォーブス ジャパン2017年11月28日 07:30優秀な社員が解雇される10の理由 2017年11月29日(水)NEW ! テーマ:社会

優秀な社員が解雇される10の理由

私たちは大昔から、仕事に一生懸命取り組み目標を達成すれば成功が保証される、と教えられ、大半の人はそれを信じてきた。だがこれは間違いだ。

組織で最も重要なものは、その企業の戦略や製品・サービス、株価ではない。これらはどれも「結果」にすぎない。どんな組織においても、最も重要なのは、最上層から最下層まで職場全体を流れるエネルギーの質、つまり、企業文化なのだ。

あらゆる企業、政府機関、非営利団体は、まるで「生物」のように機能する。生物が健康な時には、良いことが起きる。不健康な生物には良いことはなにも起きず、その活動は鈍る。自分が働いている組織の「健康状態」は、職務内容が何であれ非常に重要だ。

賢明で才能ある人々の多くが、身をもってこれを学んできた。目標を達成し、顧客を満足させ、自分の持つ全てを仕事に注いだにもかかわらず、トラブルに見舞われた人々だ。

あまりにも優秀だったから、あるいは経営陣が聞きたくなかったような真実を語ったから、食物連鎖で上位に立つ人物の気に障ってしまったのかもしれない。

こうした優秀な人々は、たった一つのことを除いて、何の間違いも犯さなかった。それは、その組織の健康状態が、内部に渦巻く悪いエネルギーに注意を喚起した人物が追い出されるほどまでに悪化していたという兆候を見逃したことだ。

たとえそういった問題に対し沈黙を守ったとしても、権力者の怒りを買うかもしれない。なぜなら、恐怖心に駆られた人はエネルギーの流れを読むことに長けているからだ。常に警戒し、常に恐怖を感じているので、純粋に支援の手を差し伸べたいと思っている人ですら、簡単に敵視してしまう。

以下に、優秀な人たちが解雇される10の理由を紹介する。

1. あなたが残したすばらしい成果によって上司がきまり悪さを感じる場合、解雇されることがある。そうした上司は、あなたがいとも簡単に目標を達成したことから、手抜きをしたのではと疑うかもしれない。あなたに「どうやったのか、その方法をみんなに教えてあげてほしい」と尋ねようとはせず、代わりにあなたを排除するのだ。

2. 誰も答えたくない、あるいは考えたくもない質問を投げかけると、解雇されることがある。たとえば「このプロセスを処理するのに、今でもこれが最良な方法だと、確信を持って言えますか?」や「これにはどのような長期計画があるのでしょうか?」という質問だ。

3. できることとできないことの線引きをはっきりさせると、解雇されることがある。「そのプロジェクトは、週末に家に持ち帰るのではなく、月曜日に終わらせます」や「申し訳ありませんが、経営陣に『生産計画はすべて順調にいっている』とは言えません。順調ではないからです」といった発言だ。

4. 誰もが触れることを避けている話題(特に、喫緊の問題であるにもかかわらず、無視されているような事柄)を持ち出すと、解雇されることがある。

5. 上司のアイデアより優れたアイデアを持っていると、解雇されることがある。

6. 経営陣から良い関心を引き過ぎると、解雇されることがある。恐怖心に支配されたマネジャーは、単細胞生物のアメーバのように行動する。自分の縄張りにいるものについて細かい区別をせず、捕食者または獲物のいずれかとしてしか認識しない。あなたを捕食者として認識すると、直ちに排除する。こうした上司の上長があなたに注目しているとき、上司の目にはあなたが捕食者のように見えているのかもしれない。

7. 他の部署の怒りを買うほど良い仕事をすると、解雇されることがある。他部署のマネジャーはあなたの直属の上司に「君の部下がこれ見よがしに行動するから、こっちの面目が丸つぶれだ!」とクレームを入れるかもしれない。

8. 社外で目立ち過ぎると、解雇されることがある。たとえば、イベントでスピーチを求められたり、賞を授与されたり、自分についての記事がメディアに掲載されたりなど。不健全な組織では、あなたの世間での人気は煙たがれるのだ。

9. 上司の好みに反して速く行動したり、あまりにも多くのアイデアを持っていたりすると、解雇されることがある。恐怖心に駆られたアメーバのような上司は簡単に脅威を感じるもので、自分よりも下の存在に耳を傾けなければならない屈辱を受けることに耐えられず、あなたを放り捨てるかもしれない。

10. 仕事で非常に多くのことを達成しているため、上司に「こいつは次に私のポジションを狙っているのだろうか?」と思われ始めると、解雇されることがある。

解雇されたとしても不名誉なことではない。傑出した従業員にも日々起こっていることだ。これがあなたの身に起きた場合には、次のことを思い出してほしい。すべての上司、そしてすべての雇用主があなたの才能に値するとは限らない。あなたを理解できる人だけが、あなたに値するのだ!http://blogos.com/article/261685/
 
とても興味深く読みました:
 
再生核研究所声明167(2014.6.21)大学などで アカデミックなポストを得る心得

(本声明は あるポスドクの方の パーマネントポストに就く心得を纏めて欲しい との要望によるものである。安定した職に就きたいは 一 若い研究者の切実な願望ではないだろうか)

上記の観点で、また、安定した収入を得る心得、方法を纏めて欲しいとの要望も寄せられているが、研究者などは 大学などに きちんとした職を得ることが、生活を安定させる基本である。 一応、常勤職につけば 生涯生活は保証されるとして、極めて重要な人生の観点である。
これは人事権を有する、関与する人々、多くは関係教授の判断に左右されるが、一般的な観点と意外な観点も有るので、経験してきた、人事を顧みながら、触れてみたい。
まず、 アカデミックポストには、多くは 採用したい希望が述べられた、公募要項が有るのが普通である。 最近の人事では、多数の応募が有るから、それらの基準に達していることは、相当に必要であり、それらの基準に達しない場合には、相当に厳しいのではないだろうか。少なくても公募を公正に行なえば、厳しいと言える。多くの機関では、基準として、博士号を有すること、出版論文数など いろいろな基準が内規で定められている場合が多い、その時は、それらに達していることが 書類選考の段階でも 必要条件になってしまう。逆にみれば、そのような基準を軽く越えているように、整えて置くのは、研究者の処世の第1歩といえる。
しかし、社会も 大学もそう公正にいくものでは無く、担当者によっては、仲間を優遇したり、特別なコネが 公募精神の公正さを越えて、担当者の都合で、自分の都合で人事を行うことは結構多い。これには、研究課題が細分化し、高度化し 特別な仲間でしか、通じず、通じる仲間をとらざるを得ない状況を反映させていると言える。もっと進めれば、実権ある教授が、共同研究できる人物を、自分に寄与できる人物を探すような実状さえ 多く有するだろう。これは、公のポストでさえ、公正の原則に反するとは言えない。教授は研究を推進する大きな義務を負う者、共同研究者を探すのは大事である という観点が有るからである。 しかしながら、これも行き過ぎると、組織が専門的に偏りの人事構成に成るなど、弊害が出て来る面もある。組織や研究機関の理念に反して、機関において異質の人事構成になることは 結構多い。- 職を探す者は、そのような特殊性が有る場合には、公募要項を越えて、応募する機会があると考えるべきである。さらに進めれば、私をとれば、組織は、あなたは、このような利益を得ることができると、具体的に暗示することは、書類の作成段階でも良いのではないだろうか。
そのような面では、研究課題で、採用する者が決まる、強い要素がある。採用する側の研究課題と採用される者の研究課題の相性の問題である。研究組織は、抜群の業績と才能を有する者でなければ、研究組織内で 研究交流できない研究者を採用することは、 組織の拡大、カリキュラムの大きな変更など 余程のことが無い限り、ないのではないだろうか。このような観点からも、研究課題を、あまりにも狭い範囲に限定しないで、研究課題でも対話が広い分野で成り立つように 広げて置くのは良いことではないだろうか?
人事は採用する側にとっても極めて重要であるから、採用に責任ある者は、採用する者の人物評価を真剣に行うだろう。採用する人物の周辺についてもいろいろ意見を求め、人物についての良い定評があれば 人事を進める場合に極めて有効で、書類選考などでも大いに効果が出るだろう。これは国際会議や、研究発表場面などで 研究内容と人物評価を何時もされていると心得るべきである。そのような場面で、採用責任者の好感が定着されていれば、人事に相当に有効であろう。単に書類や文献で知る人物と、面識が有って、人物と研究課題で評価されている人物とでは 大きな評価の差が出て来ると考えられるから、研究交流は 大事な機会と捉えるべきである。その時、配偶者も交えて、良い評価が得られれば、強い印象を与えると言う意味で、さらに良い効果を生むだろう。採用責任者は 人物の背後状況にさえ、大いに気を回すだろう。人事は、いわゆる書類に現れた評価を越えて、人物評価、全人格が大きな評価の基準になると考えられる。― ここで、優秀過ぎる人材は、自分の存在を脅かす観点から、敬遠される要素もあると言う、適当な謙虚さは必要かも知れない。
コネや人脈などは 大いに大事にすべきであり、研究仲間を広げ 大きな機会の場を作るように研究活動、日常生活で心がけるべきである。相当な人事は そのような人脈、研究仲間を通して行われるのは 公募、公募、公正、機会均等と言っても、そう簡単には行かないのが 現実ではないだろうか。また、博士課程における指導教授の影響は、永く相当に強いのではないだろうか。

以 上

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