2017年11月25日土曜日

Representing big ideas in word bubbles Father-son team use graphic novel for history Joel Patenaude

Representing big ideas in word bubbles

Father-son team use graphic novel for history

For a uniquely ambitious father-son bonding project, Steven and Ben Nadler pooled their talents. The duo with Madison roots wrote and illustrated, respectively, a history of 17th-century philosophy. “Heretics! The Wondrous (and Dangerous) Beginnings of Modern Philosophy”—published in  graphic novel form—melds the extensive scholarship of Steven, the elder Nadler, and the younger Nadler’s whimsical visual style. 
The book is an engaging introduction to how Western philosophers in the 1600s—including Galileo Galilei, Francis Bacon, René Descartes, Baruch Spinoza, Sir Isaac Newton and 11 others—challenged medieval thinking and came into conflict with the Catholic Church amid the scientific revolution.
Far from being a dry, academic treatise, the 183-page “Heretics!” has fun with the developing schools of controversial thought by showing “the philosophers either meeting each other or corresponding with each other,” Steven says. This narrative flow allows the writer and illustrator to play off each other to get across to readers big, often nebulous concepts.
Steven, a University of Wisconsin–Madison philosophy professor since 1988, and Ben, a Madison native and 2013 graduate of the Rhode Island School of Design, pitched the book idea to Princeton University Press, which published three of Steven’s 15 previous books (six of which he edited or co-edited) on important philosophers—including Descartes and Spinoza. One of his books, “Rembrandt’s Jews,” was a finalist for a Pulitzer Prize in 2004.
Ben concedes that his father “threw me a bone because I was just out of college and broke.” Ben also admits, “I was only superficially aware of what [my father] did. I still haven’t read any of his other books, actually. I don’t know if I should admit that. Doing ‘Heretics!’ was like a crash course in my dad’s expertise.”

Due to the critical acclaim “Heretics!” has received, Ben, who lives in Chicago, is already hard at work on a graphic novel about the trial and death of the ancient Greek philosopher Socrates. It will be written by Debra Nails, a philosophy professor at Michigan State University.
Before “Heretics!,” Ben, under the title “Sonder,” self-published collections of his own comics. He hawks copies of those and “Heretics!” at comic book conventions, including the Chicago Alternative Comics Expo.
The quality of the end product has been gratifying, the Nadlers say. While Steven argues he wrote most of his previous books for “a broader audience, not just philosophy specialists,” the initial positive reception “Heretics!” has received “has been huge,” he says. “My Spinoza biography (‘Spinoza: A Life,’ published in 1999) got a lot of attention, but it was nothing like this.”
The Atlantic magazine excerpted 10 pages of the book. Feature stories about the book have appeared in newspapers in the Netherlands, Israel and elsewhere. And five foreign-language translations are in the works, Steven says.
“It’s gotten generally good reviews, except every once in a while someone will complain that either you have to know the philosophy already to understand it or it’s overly simplistic and silly. So if we’re getting complaints from both sides, we must have hit the mean,” he says.

とても興味深く読みました:


再生核研究所声明 397(2017.11.14): 未来に生きる - 生物の本能

天才ガウスは生存中に既に数学界の権威者として高い評価と名声を得ていた。ところが、2000年の伝統を有するユークリッド幾何学とは違った世界、非ユークリッド幾何学を発見して密かに研究を進めていた。この事実を繰り返し気にしてきたが、ガウスは結果を公表すると 世情か混乱するのを畏れて公表をためらい、密かに研究を続けていた。ガウスの予想のように、独立に非ユークリッド幾何学を発見、研究を行って公表した、数学者ロバチェスキー と若きヤーノス・ボヤイは 当時の学界から強い批判を受けてしまった。
ガウスの心境は、十分にやることがあって、名声も十分得ている、ここで騒ぎを起こすより、研究を進めた方が楽しく、また将来に遺産を沢山生産できると考えたのではないだろうか。現在の状況より、歴史上に存在する自分の姿の方に 重きが移っていたのではないだろうか。
このような心理、心境は研究者や芸術家に普遍的に存在する未来に生きる姿とも言える。いろいろな ちやほや活動、形式的な活動よりは 真智への愛に殉じて、余計なことに心を乱され、時間を失うのを嫌い ひたすらに研究活動に励み、仕事の大成に心がける、未来に生きる姿といえる。
しかしながら、この未来に生きるは 実は当たり前で、生物の本能であることが分る。世に自分よりは子供が大事は 切ない生物の本能である。短い自己の時間より、より永い未来を有する子供に夢を託して、夢と希望を抱いて生きるは 生物の本能の基本である。生物は未来、未来と向かっているとも言える。
そこで、ゼロ除算が拓いた新しい世界観に触れて置きたい。未来、未来と志向した先には何が有るだろうか。永遠の先が 実は存在していた。それは、実は始めに飛んでいた。
そこから物語を始めれば、実はまた 現在に戻り、未来も過去も同じような存在であると言える。- これは、現在は未来のために在るのではなく、未来も現在も同じようなものであることを示している。
現在は 過去と未来の固有な、調和ある存在こそが大事である。将来のためではなく、現在は現在で大事であり、現在を良く生きることこそ 大事である。ガウスについていえば、ちょうどよく上手く生きたと評価されるだろう。- ただ人生を掛けて非ユークリッド幾何学にかけた若き数学者の研究を励まさず、若き数学者を失望させたことは 誠に残念な偉大なる数学者の汚点であることを指摘しなければならない。
以 上

再生核研究所声明 398(2017.11.15): 数学の本質論と社会への影響の観点から - ゼロ除算算法の出現の視点から

数学、数学の本質論については 次で相当深く触れた:
また数学の社会性の観点からは、
再生核研究所声明 392(2017.11.2):  数学者の世界外からみた数学  ― 数学界の在り様について 
で触れた。少し、違った観点から、数学の本質論と社会への影響について述べたい。
数学とは関係の集まりであるが、時間にもエネルギーにもよらない数学の論理の神秘性から、神学のような性格を帯びていて、およそ世に絶対的という概念が有ればそれは数学くらいで 特別に尊い存在であると考えられてきた。ところが非ユークリッド幾何学の出現で、数学についての考えは本質的に変えられ、数学とは ある仮定系、公理系から論理的に導かれた関係の総体が その公理系から導かれた一つの数学で、数学自身は絶対的な真理や世の価値とは無関係な存在であるという認識に改められた。数学とは基本的に、ある仮定の下に導かれる全体である。関与する数学者にとっては、その体系に魅せられ関係を追求していくことになるが、他の人にとっては、あるいは社会的には、それらがどのような意味、影響を与えてくれるかが 人が興味、関心を抱くか否かが大事な問題であると言える。他からみれば、興味、関心、影響を与えないようなものは 存在していないようなものであるから、それだけ価値がないものであるとも言える。― 近年 異常な評価時代に、論文、著書など、引用情報やダウンロード数などが重視される世相を作っている。現在は表面的なデータによる行き過ぎとしても、将来は相当に裏付けの伴う評価に発展して、評価は人工知能が活躍する分野に成るのではないだろうか。
この観点は、2014.2.2に発見されたゼロ除算とゼロ除算算法の研究姿勢に大きなヒントを与えてくれる。そもそもゼロ除算は1000年以上も不可能であり、考えてはいけない が 数学界の定説であった。それが全然予想もされなかった結果であったと報告されても、全く新しい数学で、世の常識と違うわけであるから、始めは、興味も、関心も抱かないのは当然とも言える。気づいてみれば、ゼロ除算は本質的には定義であり、仮定とも言えるので、上記数学の観点からは、新しい数学とも言える。そこで、ゼロ除算の世界を広く社会に紹介するために初等数学全般に亘ってゼロ除算の影響を調べてみることにした。新しい数学がどのような意義を有するかを問題にした。
誠に皮肉なことには、ゼロ除算の、ゼロ除算算法の直接の影響として、ユークリッド、アリストテレスの世界観を変える、結果を導くことである。始めから重大な問題を提起してきた。すなわち、無限遠点はゼロで表される、すべての直線には原点を加えて考えるべきである。― 異なる平行線は原点を共有するとなって、 ユークリッドの平行線の公理に反し、世の連続性に対するアリストテレスの世界観にも反することになる。さらに、円の中心の円に関する鏡像は無限遠点でなく、円の中心自身であるとなって、古典的な結果に反することになる。驚嘆すべきことに、x、y直交座標系で y軸の勾配は ゼロであるという結果をもたらす。すなわち、 \tan(\pi/2) =0 である。
それで、初等数学全般に大きな影響が出ることが明かになった。
大事な論理的な原理は、新しい定義、仮定からゼロ除算は展開されるので、得られた結果、導かれた結果については吟味を行い、結果について評価する態度が大事である。ところが考えてみれば、数学そのものが実はそうであった。数学も、得られた結果がどのような意味が、自分の好みを越えて価値があるか否かを絶えず吟味していきたい。吟味して行かなければならない。
以 上

再生核研究所声明 399(2017.11.16): 数学芸術 分野の創造の提案 - 数学の社会性と楽しみの観点から

ここ一連の声明で数学について述べてきた:
再生核研究所声明 398(2017.11.15): 数学の本質論と社会への影響の観点から - ゼロ除算算法の出現の視点から
数学、数学の本質論については 次で相当深く触れた:
また数学の社会性の観点からは、
再生核研究所声明 392(2017.11.2):  数学者の世界外からみた数学  ― 数学界の在り様について 
で触れ、違った観点から、数学の本質論と社会への影響について述べた。さらに
数学とは基本的に、ある仮定の下に導かれる全体である。関与する数学者にとっては、その体系に魅せられ関係を追求していくことになるが、他の人にとっては、あるいは社会的には、それらがどのような意味、影響を与えてくれるかが 人が興味、関心を抱くか否かが大事な問題であると言える。他からみれば、興味、関心、影響を与えないようなものは 存在していないようなものであるから、それだけ人にとっては価値がないものであるとも言える。― もちろん、逆に、未来人が高い評価を与える場合もある。
そこで自然な考えが突然浮かんだ:
2017.11.13.10:45 突然、この流れで考えが湧いた。数学を芸術として楽しもうという新しい分野の創造の提案である。
数学は抽象的な理論、文章や式で表される場合が多く、社会の一般の方の理解が難しい不幸な状況にある。数理に興味を抱く多くの人々を遠ざけ、数理に喜びや楽しみがあるのに、スポーツやドラマ、芸術、文学などに比べて民衆の享受に寄与していないのは、数理の美しい世界の存在に比べて誠に残念な状況であると危惧される。― 数理の話題、ニュース、情報の極端に少ない現状からそう判断せざるを得ないのではないだろうか。数理科学を楽しみ、数理の世界の社会貢献、裾野の広がりを求めて、数学芸術 分野の創造と発展を提案したい。少し、具体的に触れるが いろいろな衆知を集めて構想そのものの進化を期待したい。
数学芸術は 数学の内容を、絵画やその他の手段で簡明な表現を求め、音楽や絵画が感動を呼び起すように 美しい表現を追求していく。
数理科学の社会的文化的基盤を拡充、充実発展させ、数理科学を芸術のように楽しみ、かつ 真智への愛 を育てる。
以 上

再生核研究所声明 400(2017.11.17): 
数学の研究における喜びと嫌な思い


人間生きて居れば楽しいとき、苦しいとき、感情の起伏は避けられない。人間の感情は絶えず揺れ動くものである。数学の研究におけるそのような感情の起伏を回想しながら纏めてみたい。
研究の初期であるが、何を研究するか、研究課題の選択は非常に難しく一般には研究生活における苦しい時期ではないだろうか。もちろん好きだから数学を専攻したのだから、学んでいるときには新しい世界がどんどん広がって、楽しいが、新しい結果を得るには一般には容易なことでないと言える。広く深い現代数学において研究課題の選択は研究者の将来を相当に定めることになる。一般には好きな分野での好きな指導教授の数学の範囲での選択に成る。そこで、何か新しいことを発見、解決して、論文を出版することが大事な目標になる。論文を出版する事は博士号の取得や研究職に付くための条件に成るから、何が何でも論文を書くが 直接の目標になる。この時、手っ取り早い方法は提起されている問題を解決したり、読んだ論文の内容の一般化、精密化、類似の理論の展開などであるが、それらとて甘くはなく、いずれもそれぞれの専門家が出来なかったこと、気づかないことの発見、新規な展開だから、研究は厳しく、研究の初期は誠に厳しいものであると考えられる。- 数学を志す者にはいわば優秀な人が多く、難なくここを踏破していく者も多い。しかし、簡単に踏破していくような人は行き詰る場合も多く、苦労して研究課題を自分に合ったように選択した者は、最初は遅れても永く研究が続く面もあるようである。- この観点からは、早期の成果を期待し過ぎの風潮は問題があるのではないだろうか。何事初期の取り組みが大事なようである。専門化、高度化の厳しい現代数学、簡単には研究課題は変えられず、生涯の研究の方向は 多くは初期で決まっている現実があると考えられる。― これは何でも飛び越えていくような天才的な人を想定しているのではなく、一般的な数学者を想定している。
1つの研究課題で論文が連続的に書けるような時代に入れば、充実した研究生活で、創造活動ができる輝ける時代を歩めるのではないだろうか。新しい考えが湧いたとき、思わぬことを発見したとき、またそのような予感がする時は 研究者の充実しているときであると言える。良い考えが湧いたときなど、眩暈がするほどの喜びが湧き、それは苦しいほどであると表現できる。発見の瞬間、得た結果の評価に対する共感、共鳴は人間の最高の喜びの類に入るだろう。評価が違って共感が得られなかったり、論文執筆上の形式的な気遣いは研究生活における影の部分に成るが、それが研究の芽に成るので、苦しみも喜びの内と考えるべきである。研究課題の行き詰まりもそうである。行き詰るから新しい芽が出てくるのである。苦しみと喜びは絶えず変化し、喜びも苦しみも区別がつかず、その活動が研究生活と言える。
若い研究者の博士号取得、就職、そしてパーマネントの研究職に付くまでの厳しさは回想しても苦しい、修業時代と言える。しかしそれらが、生涯の研究の基礎に成る。
所謂論文投稿から採否決定までの間、永さは 研究者にとっては一般に苦しい状態ではないだろうか。研究成果を評価に活かせないからである。その点、インターネットの普及で論文原稿をアーカイブなどで公開できるシステムには 格段の進歩と高く評価される。- 英文書き換え要求に対して 多くは1週間かけて 進んだIBM 修正機能付きの電子タイプライターで書き替え、原稿の送付と返事にさらに2週間掛ったが、現在は、修正は分単位、何回でも書き換えができて、連絡は1日で十分である。素晴しい時代を迎えていると言える。
研究者の嫌なこととは集中している折り、いろいろ雑用が入ることではないだろうか。一心不乱に研究に専念しているとき、それを乱されるとき、本能的に嫌がるのは自然な心で、心此処にあらずの状況は良き家庭人や良き親であることの余裕を失わせ、いろいろ良からぬ家庭問題や対人関係を作りかねないと憂慮される。大学の法人化後の日本の大学の多くが研究者の大事な自由な時間と余裕を失なわしめ、逆に雑用を多くして、研究者を虐待しているように感じられる。5年間ポルトガルの大学から研究員として招待され、研究に専念できたが、過ごした経験から、あまりにも大きな違いを感じて 唖然としている。
それから、数学の研究成果の発表では 間違いをおかしてはならないことは 相当に厳しい原則であるから、投稿したら、間違いがあった、出版済みの論文に間違いを発見した等の場合には、相当ショックで、相当に苦しい心理状況に追い込まれる。研究上の相当な時間は 繰り返し不備はないか、間違いはないかの省察の時間ではないだろうか。絶えず、大丈夫か、大丈夫か、間違いはないか、間違いはないかと自問していると言える。もちろん、理論の全体の在り様に対する想いは、真智への愛 である。
以 上

再生核研究所声明 401(2017.11.18):  数学の全体、姿、生命力


ここ一連の声明で数学について述べてきた:
再生核研究所声明 398(2017.11.15): 数学の本質論と社会への影響の観点から - ゼロ除算算法の出現の視点から
数学、数学の本質論については 次で相当深く触れた:
No.81, May 2012(pdf 432kb) - International Society for Mathematical ...
www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf
また数学の社会性の観点からは、
再生核研究所声明 392(2017.11.2):  数学者の世界外からみた数学  ― 数学界の在り様について 
で触れ、違った観点から、数学の本質論と社会への影響について述べた。さらに
数学とは基本的に、ある仮定の下に導かれる全体である。関与する数学者にとっては、その体系に魅せられ関係を追求していくことになるが、他の人にとっては、あるいは社会的には、それらがどのような意味、影響を与えてくれるかが 人が興味、関心を抱くか否かが大事な問題であると言える。他からみれば、興味、関心、影響を与えないようなものは 存在していないようなものであるから、それだけ人にとっては価値がないものであるとも言える。― もちろん、逆に、未来人が高い評価を与える場合もある。
この文脈で数学の全体と生命力について言及して置きたい。数学とは、時間にもエネルギーにもよらない関係の全体であるから、数学的な論理思考を備えた高度な人工知能が自動的に数学を発展させていく可能性を否定できない。初歩的な数学では、実際、そのような試みがなされているという。人間を離れた、数学の全体像はどのようになるだろうか。基本的な仮説の上に何でも考えて、- これはいろいろな場合に当たって 何でも試行していく方法がとられるだろう。- しかしながら、人工知能が新しい概念や、定義を与えられるかは本質的な問題ではないだろうか。このような思いで数学の全体像を想像すると、基本的な仮定からどんどんいろいろな関係を導き、それは大樹のような姿に成るのではないだろうか。数学の客観的な存在はそのようであると考えられる。
ところが現在数学は人が展開して、発展させている状況から、数学の発展は 人間によるという現実がある。数学の客観的な在りように人間が関与してくる。そこで、関与する人間の興味と関心でどんどん進む状況と他からの要請でどんどん進む方向が存在する。後者は位置づけが明瞭であるが、前者の純粋数学の発展の様は大いに注目される。共通的な興味、関心で研究者の多い分野が存在し、いわゆる権威ある者の影響で門下生が多く、深く研究が進む状況は良くみられる。有名な難問に挑戦する相当な研究者集団も顕著である。数学にもブームや流行が有って、ある時期、相当に流行って研究会などで大きな話題になった話題が20年や30年くらい経つと関与する研究者が殆どいなくなってしまう状況がみられる。
それで、数学が大きな生命力をもって発展する華やかな時代と、細分化が進み、他との関係、他に影響や関心を与えない程になって、衰退していく、いわば大木では幹の部分から小さな枝や葉の部分になって数学は終末を迎えるのではないだろうか。数学は時間やエネルギーにもよらない不変なものであるが 数学の担い手である、人間に関与していて、人間が命ある生命であるように 数学も人間の影響を受けていると考えられる。
その意味で純粋数学者は、現在の 数学の位置づけ と 自分の心 をしっかりと捉えることが大事ではないだろうか。
以 上

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