2017年11月16日木曜日

聖山アトス巡礼紀行(特別編)『孤高の祈り ギリシャ正教の聖山アトス』を読む 司祭・パワェル中西裕一

聖山アトス巡礼紀行(特別編)『孤高の祈り ギリシャ正教の聖山アトス』を読む 司祭・パワェル中西裕一

正教会の聖地アトスは、原始キリスト教の伝統を最も色濃く残す、修道士の修行の地である。15世紀以降、女人禁制のため女性は「入国」できず、男性の修道士のみが居住している。『孤高の祈り ギリシャ正教の聖山アトス』(新潮社)は、日本人として初めて聖山アトスを公式に撮影し、そこでの体験を綴(つづ)った写真紀行である。
「ギリシャ」という国は、私たち日本人にはよく知られた国である。オリンピック発祥の地であること。古代のポリス社会については民主制発祥の地として中学校の歴史の教科で知る機会がある。古代遺跡の数々、神殿や円形劇場、体育施設などの建築物。そして、哲学、文学、芸術の分野における偉業など、これらはみな、われわれ日本人が持っている「ギリシャ」のイメージである。
確かにアテネを訪れれば、パルテノン神殿の偉容に目を奪われるし、古代劇場で上演されるギリシャ悲劇に熱狂するギリシャ人たちを目にすれば、古代ギリシャの精神性を現代に受け継ぐ西欧文明発祥の地の民と見えてくる。しかしながら、彼らの精神性は、そこには無い。彼らの心の奧にあるものは、古代ギリシャの英雄たちの精神ではなく、明らかに正教の「アガピ(愛)の心」なのだ。
もともと西洋古典学を志して、そこからギリシャを眺めてきた私は、正教徒として洗礼を受けた。そして一巡礼者として初めてこの地を訪れたのは2000年5月、その後、主の導きにより司祭となり、毎年数回この地を訪れて祈りの日々を重ねてきた。本書が上梓されるまでは、祈りに生きる修道士たちの姿を言葉で伝えるのみだったが、共に祈りの日々を重ねてきた修道士たちの尽力もあって、2014年に政庁の首席大臣より公式に撮影許可を頂いて写真家中西裕人(次男)と共に、祈りの生活の核心に迫る映像の取材が可能となって本書をお届けすることができた。
聖山アトス巡礼紀行(特別編)『孤高の祈り ギリシャ正教の聖山アトス』を読む 司祭・パワェル中西裕一
(34ページ)
修道士たちの仕事は、聖堂での「祈り」「奉神礼(リトルギア)=典礼」に参祷することである。修道士は祈ることのみに自らをささげる存在であること故に聖なる人である。祈りの始まりの合図は、毎朝3時半ごろに乱打される鐘とシマンドロ(版木)の音であり、祈りは、1日当たり平時は朝夕2回、特別な期間は3回から4回に分けて行われ、合わせるとおよそ7~8時間程度になる。
聖山アトス巡礼紀行(特別編)『孤高の祈り ギリシャ正教の聖山アトス』を読む 司祭・パワェル中西裕一
(168ページ)
聖堂が開く前の待合所の壁面にあるイコン。天国への階段を上る修道士たち。悪魔の誘いに遭ってあと1歩のところで脱落し、怪獣レヴィアタンに呑(の)み込まれるすさまじいさまがそこに描かれている。正教会の聖人である階梯(かいてい)者ヨハネの『楽園の梯子(はしご)』の叙述に基づくイコンは、ラヴラ修道院の前堂にある。修道士や巡礼者たちは、入堂が許されるまでこの位置から眺めつつ始まりの時を待つ。訪れた巡礼者たちは黙したまま、自らの行く末に思いを致しているようだ。
聖山アトス巡礼紀行(特別編)『孤高の祈り ギリシャ正教の聖山アトス』を読む 司祭・パワェル中西裕一
(146ページ)
聖堂に入ると、まずイコンに接吻(せっぷん)する。正教会では、偶像崇拝となることから立体像は用いないので、平面に描かれたイコンのみが置かれる。イコンはその原型である神や聖人たちを「崇拝(ラトレイア)」するためのもので、イコンそれ自体は板切れ以上のものではない。そのため、イコンに接吻する行為を「敬拝(プロスキニーシス)する」と言葉を区別して用いている。イコンそれ自体は、奉られるものではない。
聖山アトス巡礼紀行(特別編)『孤高の祈り ギリシャ正教の聖山アトス』を読む 司祭・パワェル中西裕一
(66、67ページ)
聖堂での祈り「奉神礼(リトルギア)」は、教会暦によって指定された膨大な「祈祷書」を読み、歌うことによって行われる。祈りは人の営みであるから、楽器を用いず肉声のみに限られる。毎日、朝の祈りは未明から4時間、夕方の祈りは3時間かかる。ビザンティン聖歌の音階は東洋的な響きを感じる。
また、修道士たちは、旧約聖書の下記の箇所などを根拠として髭(ひげ)と髪の毛にはさみを入れず一生を過ごす。[「あなたがたのびんの毛を切ってはならない。ひげの両端をそこなってはならない」(レビ記19:27)、「彼らは頭の頂をそってはならない。ひげの両端をそり落してはならない。また身に傷をつけてはならない」(同書21:5)]
聖山アトス巡礼紀行(特別編)『孤高の祈り ギリシャ正教の聖山アトス』を読む 司祭・パワェル中西裕一
(108、109ページ)
奉神礼は学びの場でもある。聖人たち(ギリシャ教父)の著作を、祈りの流れをいったん止めて、聖堂の中央に書見台を置いて朗読する。復活祭を控えて痛悔を込めて祈りが深まる四旬節(40日の節食期間)には、1時間を超えることもまれではない。修道士と巡礼者たちは席座して聴き入る。さらにこの時期は、『詩編』全編を毎日分けて2回り誦読(しょうどく)するので、祈りの時間は1日10時間近くになることもある。
聖山アトス巡礼紀行(特別編)『孤高の祈り ギリシャ正教の聖山アトス』を読む 司祭・パワェル中西裕一
(36ページ)
奉神礼が終わると食堂(トラペザ)へ移動する。食堂は聖堂と入り口が向き合っている。聖堂は天国を象(かたど)り、食堂はこの世を象る。聖堂と食堂、天国とこの世はつながっていて神の一なる世界を意味することによる。そして、食事も祈りの時である。そこでも係の修道士が、食事中ずっと聖人の言葉を読み通す。係の修道士は、全員の食事が終わってから食べることになる。
聖山アトス巡礼紀行(特別編)『孤高の祈り ギリシャ正教の聖山アトス』を読む 司祭・パワェル中西裕一
(50ページ)
司厨長は巡礼者を含めて300人以上の食事を賄う。ファソラキアというギリシャの定番家庭料理で、隠元豆のトマト煮。ニンジン、タマネギ、タコ、トマトペースト、たっぷりオリーブオイル、ハーブを入れて豆を煮込む。味付けは塩、こしょう、レモンだけ。素材の新鮮さが際立つ。それに魚の煮付けとサラダで、祭日の食堂は喜びに満ちている。
聖山アトス巡礼紀行(特別編)『孤高の祈り ギリシャ正教の聖山アトス』を読む 司祭・パワェル中西裕一
(47ページ)
厨房では、役目に応じて食事の準備をする。大祭日の厨房は、戦場のようだ。食後の後片付けも尋常でない。毎日が、祈って、食べて、程よい仕事と、そして深い眠りに満たされる。アトスのほとんどの修道院は農場を持っているので、季節の旬の野菜や果物が食堂に並ぶ。冬場のサラダはキャベツと決まっている。野菜の少ない冬場の食堂で、新鮮な甘みのあるキャベツに細切れのニンジン、しぼりたてのまだ香りの高いオリーブオイルと絞ったレモンをかけて味わう。ほとんどの野菜や果物が修道院の農場の収穫物である。冬場は毎日キャベツのサラダが続くが、やがて春が近くなるとマルーリ(レタス)に変わり、夏はトマトとキュウリになる。
聖山アトス巡礼紀行(特別編)『孤高の祈り ギリシャ正教の聖山アトス』を読む 司祭・パワェル中西裕一
(14、15ページ)
食堂には、果物が必ず並ぶ。冬場はみずみずしいオレンジ、キウイ。やがて春が近くなるとリンゴに変わる。そして、5月に入ってほんの短い期間だが、飛び切りおいしいサクランボや桃の季節がやってくる。夏はスイカとメロンが毎日食べられる。
ある日、農場でサクランボ刈りの手伝いをする機会が巡ってきた。たわわに実った枝が垂れ下がって重そうだ。梯子をかけて刈り入れをするのだが、その場で摘み取ったものを口にほうり込み、真っ先に大地の恵みを実感する。いわば賞味しながら摘み取るということだ。修道士たちは梯子の上で聖歌を口ずさんで代わる代わる神を賛美する。この収穫の喜びが自然と神の賛美につながる。厳しかった冬が終わり、うららかな春の日を浴びて心身共に解放され、そこで神の恵みを実感すると、自然と聖歌を口ずさみたくなってくる。
聖山アトス巡礼紀行(特別編)『孤高の祈り ギリシャ正教の聖山アトス』を読む 司祭・パワェル中西裕一
(115ページ)
アギア・リプサナ(聖遺物)の開示。1日の祈りも終わって食事も済ませると、就寝するまでに巡礼者たちはその聖堂に保管されている聖人たちの遺骨に接吻し、聖人の起こした奇跡にあやかる。聖人へのとりなしの祈りのために、巡礼に訪れる人々がほとんどだ。
聖山アトス巡礼紀行(特別編)『孤高の祈り ギリシャ正教の聖山アトス』を読む 司祭・パワェル中西裕一
(137ページ)
彼らは、紙片に救いを求める知人たちの名前を書いて司祭に祈りを託し、聖人たちの遺物の前で彼らのために祈る。その場に居る者は直接その遺物に接吻し、かざしてもらい聖人の奇蹟にあやかる大切なひとときとなる。そして、彼らは「絶えず祈りなさい」(Ⅰテサロニケ5:17)を実現する。
かつて、アトスの修道院に初めて短い滞在をしたとき、奉神礼に用いる聖パンを焼く仕事を修道院長から与えられている若い修道士と親しくなった。翌朝の聖体礼儀で生者と死者の記憶(生者と死者のために祈ること)をしたいから、聖名(洗礼名)を挙げてほしいと言う。私の名を含めて、父、母、妻、子どもや友人たちなど、思い浮かぶだけ挙げる。この時に、修道院では若干のユーロ紙幣を手渡す必要があると前もって教えられていたので、それを添えて託した。
さて、「絶えず祈ること」を実践することは難しい。正教会の修道院では、食事中でも当番の修道士が交代で祈祷文を読み続けるが、普段食事をしているとき、まして眠っているときなど、祈りを続けることはできない。
「わたしは仕事と祈りで一日を過ごしたとき、十六ヌミア分だけを稼ぎ、その中の二ヌミアを扉のところに置いて、残った金で糧を得る。そして、この二ヌミアを受け取る者は、私が食事をしたり眠ったりしているとき、私のために祈ってくれる。こうして、神の恵みによって、私は、絶えず祈れという掟を実行しているのだ」(谷隆一郎、岩倉さやか訳『砂漠の師父の言葉―ミーニュ・ギリシア教父全集より』知泉書館、174ページ)
ほぼ1年たって彼と再会したときに、「あなたとあなたの家族のために祈っていた」と告げられた。彼は、今も私の名を記憶しているかもしれない。けれど、修道士と再会するまでの1年、私は幾度も奉献礼儀に立っていながら、彼のために祈ることの少なかったことを恥じた。
アトスを訪れて、修道士たちと共に生活した体験は、聖人(ギリシャ教父)の言葉の1節の意味を浮き彫りにした。その後、幾つもこの種の体験をし、その体験をきっかけにして、そこに語られている聖人の言葉の意味に新たに気付く瞬間が訪れることが重なった。
<付記>
本稿では、正教の祈りの姿に迫る、中西裕人(写真・文)『孤高の祈り ギリシャ正教の聖山アトス』所収の写真について解説を加えたものである。(司祭・パワェル中西裕一)http://www.christiantoday.co.jp/articles/24763/20171111/atos-nakanishi-yuichi-4.htm

とても興味深く読みました:

再生核研究所声明 399(2017.11.16): 数学芸術 分野の創造の提案 - 数学の社会性と楽しみの観点から

ここ一連の声明で数学について述べてきた:
再生核研究所声明 398(2017.11.15): 数学の本質論と社会への影響の観点から - ゼロ除算算法の出現の視点から
数学、数学の本質論については 次で相当深く触れた:
また数学の社会性の観点からは、
再生核研究所声明 392(2017.11.2):  数学者の世界外からみた数学  ― 数学界の在り様について 
で触れ、違った観点から、数学の本質論と社会への影響について述べた。さらに
数学とは基本的に、ある仮定の下に導かれる全体である。関与する数学者にとっては、その体系に魅せられ関係を追求していくことになるが、他の人にとっては、あるいは社会的には、それらがどのような意味、影響を与えてくれるかが 人が興味、関心を抱くか否かが大事な問題であると言える。他からみれば、興味、関心、影響を与えないようなものは 存在していないようなものであるから、それだけ人にとっては価値がないものであるとも言える。― もちろん、逆に、未来人が高い評価を与える場合もある。
そこで自然な考えが突然浮かんだ:
2017.11.13.10:45 突然、この流れで考えが湧いた。数学を芸術として楽しもうという新しい分野の創造の提案である。
数学は抽象的な理論、文章や式で表される場合が多く、社会の一般の方の理解が難しい不幸な状況にある。数理に興味を抱く多くの人々を遠ざけ、数理に喜びや楽しみがあるのに、スポーツやドラマ、芸術、文学などに比べて民衆の享受に寄与していないのは、数理の美しい世界の存在に比べて誠に残念な状況であると危惧される。― 数理の話題、ニュース、情報の極端に少ない現状からそう判断せざるを得ないのではないだろうか。数理科学を楽しみ、数理の世界の社会貢献、裾野の広がりを求めて、数学芸術 分野の創造と発展を提案したい。少し、具体的に触れるが いろいろな衆知を集めて構想そのものの進化を期待したい。
数学芸術は 数学の内容を、絵画やその他の手段で簡明な表現を求め、音楽や絵画が感動を呼び起すように 美しい表現を追求していく。
数理科学の社会的文化的基盤を拡充、充実発展させ、数理科学を芸術のように楽しみ、かつ 真智への愛 を育てる。
以 上

再生核研究所声明 398(2017.11.15): 数学の本質論と社会への影響の観点から - ゼロ除算算法の出現の視点から

数学、数学の本質論については 次で相当深く触れた:
また数学の社会性の観点からは、
再生核研究所声明 392(2017.11.2):  数学者の世界外からみた数学  ― 数学界の在り様について 
で触れた。少し、違った観点から、数学の本質論と社会への影響について述べたい。
数学とは関係の集まりであるが、時間にもエネルギーにもよらない数学の論理の神秘性から、神学のような性格を帯びていて、およそ世に絶対的という概念が有ればそれは数学くらいで 特別に尊い存在であると考えられてきた。ところが非ユークリッド幾何学の出現で、数学についての考えは本質的に変えられ、数学とは ある仮定系、公理系から論理的に導かれた関係の総体が その公理系から導かれた一つの数学で、数学自身は絶対的な真理や世の価値とは無関係な存在であるという認識に改められた。数学とは基本的に、ある仮定の下に導かれる全体である。関与する数学者にとっては、その体系に魅せられ関係を追求していくことになるが、他の人にとっては、あるいは社会的には、それらがどのような意味、影響を与えてくれるかが 人が興味、関心を抱くか否かが大事な問題であると言える。他からみれば、興味、関心、影響を与えないようなものは 存在していないようなものであるから、それだけ価値がないものであるとも言える。― 近年 異常な評価時代に、論文、著書など、引用情報やダウンロード数などが重視される世相を作っている。現在は表面的なデータによる行き過ぎとしても、将来は相当に裏付けの伴う評価に発展して、評価は人工知能が活躍する分野に成るのではないだろうか。
この観点は、2014.2.2に発見されたゼロ除算とゼロ除算算法の研究姿勢に大きなヒントを与えてくれる。そもそもゼロ除算は1000年以上も不可能であり、考えてはいけない が 数学界の定説であった。それが全然予想もされなかった結果であったと報告されても、全く新しい数学で、世の常識と違うわけであるから、始めは、興味も、関心も抱かないのは当然とも言える。気づいてみれば、ゼロ除算は本質的には定義であり、仮定とも言えるので、上記数学の観点からは、新しい数学とも言える。そこで、ゼロ除算の世界を広く社会に紹介するために初等数学全般に亘ってゼロ除算の影響を調べてみることにした。新しい数学がどのような意義を有するかを問題にした。
誠に皮肉なことには、ゼロ除算の、ゼロ除算算法の直接の影響として、ユークリッド、アリストテレスの世界観を変える、結果を導くことである。始めから重大な問題を提起してきた。すなわち、無限遠点はゼロで表される、すべての直線には原点を加えて考えるべきである。― 異なる平行線は原点を共有するとなって、 ユークリッドの平行線の公理に反し、世の連続性に対するアリストテレスの世界観にも反することになる。さらに、円の中心の円に関する鏡像は無限遠点でなく、円の中心自身であるとなって、古典的な結果に反することになる。驚嘆すべきことに、x、y直交座標系で y軸の勾配は ゼロであるという結果をもたらす。すなわち、 \tan(\pi/2) =0 である。
それで、初等数学全般に大きな影響が出ることが明かになった。
大事な論理的な原理は、新しい定義、仮定からゼロ除算は展開されるので、得られた結果、導かれた結果については吟味を行い、結果について評価する態度が大事である。ところが考えてみれば、数学そのものが実はそうであった。数学も、得られた結果がどのような意味が、自分の好みを越えて価値があるか否かを絶えず吟味していきたい。吟味して行かなければならない。
以 上

再生核研究所声明 397(2017.11.14): 未来に生きる - 生物の本能

天才ガウスは生存中に既に数学界の権威者として高い評価と名声を得ていた。ところが、2000年の伝統を有するユークリッド幾何学とは違った世界、非ユークリッド幾何学を発見して密かに研究を進めていた。この事実を繰り返し気にしてきたが、ガウスは結果を公表すると 世情か混乱するのを畏れて公表をためらい、密かに研究を続けていた。ガウスの予想のように、独立に非ユークリッド幾何学を発見、研究を行って公表した、数学者ロバチェスキー と若きヤーノス・ボヤイは 当時の学界から強い批判を受けてしまった。
ガウスの心境は、十分にやることがあって、名声も十分得ている、ここで騒ぎを起こすより、研究を進めた方が楽しく、また将来に遺産を沢山生産できると考えたのではないだろうか。現在の状況より、歴史上に存在する自分の姿の方に 重きが移っていたのではないだろうか。
このような心理、心境は研究者や芸術家に普遍的に存在する未来に生きる姿とも言える。いろいろな ちやほや活動、形式的な活動よりは 真智への愛に殉じて、余計なことに心を乱され、時間を失うのを嫌い ひたすらに研究活動に励み、仕事の大成に心がける、未来に生きる姿といえる。
しかしながら、この未来に生きるは 実は当たり前で、生物の本能であることが分る。世に自分よりは子供が大事は 切ない生物の本能である。短い自己の時間より、より永い未来を有する子供に夢を託して、夢と希望を抱いて生きるは 生物の本能の基本である。生物は未来、未来と向かっているとも言える。
そこで、ゼロ除算が拓いた新しい世界観に触れて置きたい。未来、未来と志向した先には何が有るだろうか。永遠の先が 実は存在していた。それは、実は始めに飛んでいた。
そこから物語を始めれば、実はまた 現在に戻り、未来も過去も同じような存在であると言える。- これは、現在は未来のために在るのではなく、未来も現在も同じようなものであることを示している。
現在は 過去と未来の固有な、調和ある存在こそが大事である。将来のためではなく、現在は現在で大事であり、現在を良く生きることこそ 大事である。ガウスについていえば、ちょうどよく上手く生きたと評価されるだろう。- ただ人生を掛けて非ユークリッド幾何学にかけた若き数学者の研究を励まさず、若き数学者を失望させたことは 誠に残念な偉大なる数学者の汚点であることを指摘しなければならない。
以 上

再生核研究所声明 396(17.11.13): 人間の終末の心 - 人生も人間も大した存在ではない


人間の終末の心の状態を顧みて置こう。
西行の終末、西行花伝 ― 辻邦生、新潮社 に現れた状況は 詠んだ和歌の選の結果が楽しみで 伊勢神宮に献じるのを最大の楽しみにしていた様子が良く伺える。
これは どこかで映像で見た平家の公達が都落ちに 和歌を残したいと立ち寄ったシーンが 深く心に残っている それと同様の心境と解せる。これらに共通する心は 多くの研究者、芸術家に共通する 生きた記念碑を後世に残したい という心情で相当人間の本質を表していると考えられる。
信長の場合には、もうすぐ天下を取れるとみられる 最も充実していた折りに、突然の事件で 数時間で最後に追い詰められた いわば無念の思いの最後である。これは世に多く見られる現象であるので、一応の心構えとして 日頃努めるべきである。修業とはそのような心構えをすることではないだろうか。― 明日ありと 思う心の 仇桜 夜半に嵐の  吹かぬものかは(親鸞)。
それに対して、秀吉は 相当に満足できる人生を送ったが、最後の心境には 一族の将来不安が有ったとみられる。上手く人生を歩んだ人の 一般的な心境ではないだろうか。
大石内蔵助達の最後は 義を貫き、志を遂げての最後で 爽やかであり、強い信念で生きたものの迷いのない最後とも言える。意外に戦場における 兵士達の最後の心境も同様ではないだろうか。国家や部隊と命運を共にして殉ずる精神で 結構普遍的にみられる心境ではないだろうか。- 追い詰められれば結局 大義に殉じざるを得ないし、我々の精神はそのように 作られていると言える。
人間は、本能的にも事実としても、人生はゼロから始まってゼロに終わることを知っていて、所詮はかない存在であることを知っている。しかしながら、なかなかゼロに帰することを受け入れられず、生物的な生命の延長と少しばかりは ちやほやされたい、褒められたいなどのいじらしい心を有しているのでは ないだろうか。― ここで、 ゼロに帰するは 全体を支えている大きなものの存在を否定して訳ではないことに注意して置きたい。
これ男子の本懐なり、板垣死すとも自由は死せず とか ソクラテスが、悪法もまた法なりといって毒杯をあおったのも その辺を周知のうえでの 肯定の終末といえる。
そう考えると、人間そうは 大した存在ではなく、人生もまた同様であると言える。
以 上

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