真田幸村の末裔、『真田丸』を講演会で絶賛 - "超高速関ヶ原"に会場沸く
仙台真田家13代当主の真田徹氏が2月27日、都内で開催されたイベント「朝日新聞ReライフFESTIVAL」で講演会を行った。
仙台真田家13代当主の真田徹氏
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真田幸村の末裔として、各地で講演活動を行っている徹氏。この日は「真田幸村 虚像と実像 ~幸村の子女達~」をテーマに、プロジェクターに映し出した資料をもとに一族の歴史を紐解いていった。
「みなさんこんにちは。真田でございます。こんな格好してますけど、上着を忘れたんですよ。60過ぎるとダメですなぁ」とあいさつし、場内に詰めかけた観客を和ませる徹氏。「幸村から数えると14代になります。数え方が大変でございまして。昌幸さんから数えると15代、幸隆さんから数えると16代」と自己紹介しながら、「1時間でどこまでお話できるのかな。申し訳ないですが、ちょっと端折っていきます」と詫びながら話を進めた。
その中で、俳優・堺雅人が幸村を演じたNHK大河ドラマ『真田丸』(16年)の話題にたびたび脱線する場面も。「幸村さんはなかなか分からない人なんですよ。『大阪の陣』以前は、ほとんど記録として残っていない」と言い、「『真田丸』の3分の2は昌幸さんでしょ? 作りようがない」とその背景を説明する。
さらに、「(大河ドラマが放送されるために)私も署名活動をしましてね。平成21年ぐらいからですかね? 足掛け5年ぐらい、NHKさんの方にお願いしに行きました」という告白も。その上で、「非常に良い脚本でした。大河ドラマは『それって本当?』ということになることもあるんですが、あのドラマは大筋で(史実と)変わらない。本当に良い脚本だったと私は思います」と三谷幸喜氏の脚本を絶賛した。
ドラマでは第36回「勝負」で、「関ヶ原の戦い」がわずか数分で描かれたことが"超高速関ヶ原"と話題に。徹氏は講演を1時間以内にまとめることに苦労しつつ、「あっという間に関ヶ原を越しちゃいます。もういいでしょ、関ヶ原はね」とドラマさながら大胆にカットし、会場の笑いを誘っていた。
再生核研究所声明328(2016.10.24) NHK大河ドラマ、真田幸村の大阪城入場から考える人間 ― 自由について
ドラマが虚像に満ちているとしても、ドラマ制作力の進化には驚かされる。ここでは、真田幸村の大阪城入場の背景を考えなから、人間、人生について感じたことを纏めてみたい。
まず、直感として、あのような経歴、状況では幸村及び周辺の人は、きりさんの勧めのように、大阪方につかざるを得なかったのではないだろうか。幸村にとって、父の影響、そして秀吉の寵愛と信頼、石田三成など仲間たちと輝いた時代、さらに淀君の想い、それらは人生そのものであり、それらに帰することは共生感に基づく喜びの感情、愛の本質から言っても必然的であると言える。― ついでであるか、きりさんの魅力には大いに感銘させられる。
そこで、赤穂浪士や、大奥の人たち、本能寺の変に加わった兵士たち、多くの人間の行為はそうは自由でなくて、時代背景や置かれた立場で相当に必然性が有って、人間とは、人生とはそんなに自由な存在ではないのではないだろうか。
例えば 進学、就職、結婚など大事な志、決断と選択は確かに存在するが、それらに対しても相当に環境の影響と背景で実は制限されている現実がある。特に、志、好み、関心は生い立ちや環境によって大きく影響され、人間が環境にどのように影響されるかは興味ある課題である。人間の心さえ、環境の影響で相当に定まっている面を強く感じる。そう、ここで言いたかったことは、人間とは相当に環境、生い立ちで形作られるものであるということである。相当に人間は同じように作られているということである。人々が円熟期に至って、結局みんな同じような存在で、人間そのものが草木や動物たちと本質的に同じような存在であるという、認識を深めるだろう。
人間は、何者かによって作られた存在で、その枠内で存在しているものだと述べた。生れる前も、生きている間も、先も分からず、大きな流れに流されているような存在である。
その意味で、人生とは簡単であった、自分の心と環境に調和して 心がはずむように生きれば良いということになる。このように思えるようになれば、幸せな人生と言えるが、環境が厳しく、中々調和したような存在にはなれず、不満や苦痛、厳しさに苛まれることが多いのが人生と言えるのではないだろうか。生活を社会的に整えるのが基本であるが、そのために汲々としてしまいがちであるが、良き政治が行われ、共生、共感、共鳴できるような美しい社会を築きたいものである。
上記で、そのような時代に、そのような環境にあれば、そうせざるを得なかったということに対しては、社会の進化を志向し、人間の心が、生命が活かせる、輝かせるような社会の建設を目指したい。
人間が環境の影響を受けて形づけられる以上、時代の影響を越えた存在は難しく、芸術でも学問、研究でさえ、時代の流れ、世相を反映させていると言える。
そこで、環境を整えるとなれば、政治、マスコミ、教育の影響は大きいので、関係者の精進・努力をお願いしたい。基本精神は賢明になり、公正の原則を尊重、社会正義の追求ではないだろうか。
人間については、下記のように触れてきた:
再生核研究所声明 68: 生物の本質 ― 生きること、死ぬること
再生核研究所声明 69: 単細胞人間 ― 単細胞的思考
再生核研究所声明 70: 本末転倒、あべこべ ― 初心忘れるべからず
再生核研究所声明76(2012.2.16): 教育における心得 ― 教育原理
再生核研究所声明77(2012.2.18): 人生における心得
再生核研究所声明 141(2013.11.14): 結局、人間とは、人生とは 何だろうか、どの様なものか
再生核研究所声明145(2013.12.14) 生きること、人間として在ることの 究極の意義 についての考察
再生核研究所声明149(2014.3.4) 生きること、生命の本質、活動して止まないもの
再生核研究所声明155 生きる意味は 文学者にも分からない??
再生核研究所声明 180(2014.11.24) 人類の愚かさ ― 7つの視点
再生核研究所声明 181(2014.11.25) 人類の素晴らしさ ― 7つの視点
再生核研究所声明182(2014.11.26) 世界、縄張り、単細胞、宇宙
再生核研究所声明183(2014.11.27) 野生動物と人間
再生核研究所声明197(2015.1.5)真智への愛とは何か
再生核研究所声明198(2015.1.14)計算機と人間の違い、そしてそれらの愚かさについて
再生核研究所声明218(2015.3.19) 興味、関心、感動;人間とは
再生核研究所声明223(2015.4.14) 人生の目的は、自然を愛でて楽しみ、ともに喜び合うこと ― 二十一世紀の壮大なロマン 真実(播磨屋助次郎著)を読んで
再生核研究所声明229(2015.5.12)吉田松陰から学ぶ ― 志の重要性と松陰の最期、モミの実の喩え
再生核研究所声明 265(2015.12.24): 全ての願いが叶えられたとき ー 自由な境地 ― その時人間は
再生核研究所声明 266(2015.12.25): 地球上に繁茂する 愚かな人類
再生核研究所声明 273(2016.01.06): つくられた人間 ― 人間とは何だろうか; 人生とは何か
再生核研究所声明289(2016.02.26) 終末の心得
再生核研究所声明291(2016.03.07) 心の微妙さ
再生核研究所声明301(2016.05.23) 人間の愚かさ―人間の賢さ
再生核研究所声明304(2016.06.16) いじらしい人間
以 上
ドラマが虚像に満ちているとしても、ドラマ制作力の進化には驚かされる。ここでは、真田幸村の大阪城入場の背景を考えなから、人間、人生について感じたことを纏めてみたい。
まず、直感として、あのような経歴、状況では幸村及び周辺の人は、きりさんの勧めのように、大阪方につかざるを得なかったのではないだろうか。幸村にとって、父の影響、そして秀吉の寵愛と信頼、石田三成など仲間たちと輝いた時代、さらに淀君の想い、それらは人生そのものであり、それらに帰することは共生感に基づく喜びの感情、愛の本質から言っても必然的であると言える。― ついでであるか、きりさんの魅力には大いに感銘させられる。
そこで、赤穂浪士や、大奥の人たち、本能寺の変に加わった兵士たち、多くの人間の行為はそうは自由でなくて、時代背景や置かれた立場で相当に必然性が有って、人間とは、人生とはそんなに自由な存在ではないのではないだろうか。
例えば 進学、就職、結婚など大事な志、決断と選択は確かに存在するが、それらに対しても相当に環境の影響と背景で実は制限されている現実がある。特に、志、好み、関心は生い立ちや環境によって大きく影響され、人間が環境にどのように影響されるかは興味ある課題である。人間の心さえ、環境の影響で相当に定まっている面を強く感じる。そう、ここで言いたかったことは、人間とは相当に環境、生い立ちで形作られるものであるということである。相当に人間は同じように作られているということである。人々が円熟期に至って、結局みんな同じような存在で、人間そのものが草木や動物たちと本質的に同じような存在であるという、認識を深めるだろう。
人間は、何者かによって作られた存在で、その枠内で存在しているものだと述べた。生れる前も、生きている間も、先も分からず、大きな流れに流されているような存在である。
その意味で、人生とは簡単であった、自分の心と環境に調和して 心がはずむように生きれば良いということになる。このように思えるようになれば、幸せな人生と言えるが、環境が厳しく、中々調和したような存在にはなれず、不満や苦痛、厳しさに苛まれることが多いのが人生と言えるのではないだろうか。生活を社会的に整えるのが基本であるが、そのために汲々としてしまいがちであるが、良き政治が行われ、共生、共感、共鳴できるような美しい社会を築きたいものである。
上記で、そのような時代に、そのような環境にあれば、そうせざるを得なかったということに対しては、社会の進化を志向し、人間の心が、生命が活かせる、輝かせるような社会の建設を目指したい。
人間が環境の影響を受けて形づけられる以上、時代の影響を越えた存在は難しく、芸術でも学問、研究でさえ、時代の流れ、世相を反映させていると言える。
そこで、環境を整えるとなれば、政治、マスコミ、教育の影響は大きいので、関係者の精進・努力をお願いしたい。基本精神は賢明になり、公正の原則を尊重、社会正義の追求ではないだろうか。
人間については、下記のように触れてきた:
再生核研究所声明 68: 生物の本質 ― 生きること、死ぬること
再生核研究所声明 69: 単細胞人間 ― 単細胞的思考
再生核研究所声明 70: 本末転倒、あべこべ ― 初心忘れるべからず
再生核研究所声明76(2012.2.16): 教育における心得 ― 教育原理
再生核研究所声明77(2012.2.18): 人生における心得
再生核研究所声明 141(2013.11.14): 結局、人間とは、人生とは 何だろうか、どの様なものか
再生核研究所声明145(2013.12.14) 生きること、人間として在ることの 究極の意義 についての考察
再生核研究所声明149(2014.3.4) 生きること、生命の本質、活動して止まないもの
再生核研究所声明155 生きる意味は 文学者にも分からない??
再生核研究所声明 180(2014.11.24) 人類の愚かさ ― 7つの視点
再生核研究所声明 181(2014.11.25) 人類の素晴らしさ ― 7つの視点
再生核研究所声明182(2014.11.26) 世界、縄張り、単細胞、宇宙
再生核研究所声明183(2014.11.27) 野生動物と人間
再生核研究所声明197(2015.1.5)真智への愛とは何か
再生核研究所声明198(2015.1.14)計算機と人間の違い、そしてそれらの愚かさについて
再生核研究所声明218(2015.3.19) 興味、関心、感動;人間とは
再生核研究所声明223(2015.4.14) 人生の目的は、自然を愛でて楽しみ、ともに喜び合うこと ― 二十一世紀の壮大なロマン 真実(播磨屋助次郎著)を読んで
再生核研究所声明229(2015.5.12)吉田松陰から学ぶ ― 志の重要性と松陰の最期、モミの実の喩え
再生核研究所声明 265(2015.12.24): 全ての願いが叶えられたとき ー 自由な境地 ― その時人間は
再生核研究所声明 266(2015.12.25): 地球上に繁茂する 愚かな人類
再生核研究所声明 273(2016.01.06): つくられた人間 ― 人間とは何だろうか; 人生とは何か
再生核研究所声明289(2016.02.26) 終末の心得
再生核研究所声明291(2016.03.07) 心の微妙さ
再生核研究所声明301(2016.05.23) 人間の愚かさ―人間の賢さ
再生核研究所声明304(2016.06.16) いじらしい人間
以 上
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