【第6回】〈一千億分の八〉なぜロケットは巨大なのか?ロケット方程式に隠された美しい秘密
宇宙時代を切り拓いた3人のロケットの父には、ある同じ問題が立ちはだかっていました。
秒速7.9 km(時速28,000 km)の壁。
この速度を超えなければ、決して宇宙へ行くことができないのです。でも、なぜロケットがこの速度に達することがそれほど難しいことなのでしょう?そして3人のロケットがたどり着いた「液体燃料ロケット」というアイデアはどのようなものなのでしょう?NASA技術者の小野さんが、数学を使う代わりに、『宇宙兄弟』 のアンディを使って(!?)分かりやすく解説してくれます!分かりやすく解説してくれます!
秒速7.9 km(時速28,000 km)の壁。
この速度を超えなければ、決して宇宙へ行くことができないのです。でも、なぜロケットがこの速度に達することがそれほど難しいことなのでしょう?そして3人のロケットがたどり着いた「液体燃料ロケット」というアイデアはどのようなものなのでしょう?NASA技術者の小野さんが、数学を使う代わりに、『宇宙兄弟』
百万光年離れた銀河同士も目に見えない重力で結びつけられているように、遠く隔たった国に生まれ生前に一度も顔を合わせたことのなかった三人の「ロケットの父」も、その夢の軌跡を追うと、まるでなにかの目に見えない力で結びつけられているようであった。
■ アメリカのロケットの父、ゴダード
1899年10月19日、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ウースター。札幌とほぼ同じ緯度にあるこの工業都市では、紅葉も盛りを過ぎ、木々も動物も人も冬支度をはじめていた。この数年前に工業出荷額においてイギリスを抜き世界一となったアメリカ にあって、ウースターには発明家、起業家、移民労働者が多く集まり、通りは活気に溢れていた。
この日の午後、桜の木に登って空を見つめ、イマジネーションに耽る17歳のゴダードの姿があった。過保護な母と祖母のせいで高校は2年遅れだった。ジュール・ベルヌの『地球から月へ』やH. G. ウェルズの『宇宙戦争』に夢中だった。この日のことを、彼は28年後にこう回想している:
私はノコギリで桜の木の枯れた枝を切り落としていた…そして私は想像した。火星へと昇っていくことのできる機械を作ることができたら…その可能性だけでもどんな素晴らしいだろうと…私は木から降りた時、登った時とは違う少年になっていた。なぜなら自分の存在に目的を見出したからだ。
彼が見出した彼自身の存在の目的とは、宇宙旅行を可能にする機械を発明することだった。この志を忘れぬため、彼はその桜の木を何度も写真に撮り、10月19日を「アニバーサリー・デイ」と呼んで毎年祝った。彼は言葉通り、生涯をこのただ一つの目的に捧げた。そして後世に三人の「ロケットの父」の一人として数えられることとなった。
ロシアのロケットの父、ツィオルコフスキー
その2年前。ロシア帝国最後の皇帝ニコライ二世が即位して間もない北国では、既に社会主義革命の種が芽生え始めていた。首都モスクワから200 kmほど隔たった地方都市カルーガに、「カルーガの変人」とあだ名された40歳の高校教師がいた。もう一人の「ロケットの父」である、コンスタンチン・ツィオルコフスキーだった。
彼は難聴と母を失った孤独による素行の悪さでギナジウム(中学校)を退学させられ、思春期から青年期は父の書斎や図書館に篭って本を読み漁った。その中にジュール・ベルヌのSFがあった。彼はまた、当時のロシアで流行した「コズミズム」という半オカルト的な思想に影響を受けていて、個々の原子に魂が宿り、宇宙全体も魂と知性を持った存在である、という考えを持っていた。
彼はこの年、一本の方程式を静かに発見した。120年経った現在でも宇宙開発の現場において欠かせない、ロケットの基礎方程式である。彼が発見した式は「ツィオルコフスキーのロケット方程式」と呼ばれている。
ドイツのロケットの父、オーベルト
それからさらに3年を遡る1894年6月25日。かつては栄華を極めたハプスブルグ家も今や衰え、オーストリア=ハンガリー帝国は民族主義の波に没しようとしていた。当時帝国の支配下にあったトランシルバニア地方(現ルーマニア)の、シビウという町のドイツ人家庭に、三人目の「ロケットの父」、ヘルマン・オーベルトは生まれた。幼少の彼の本棚にはやはりジュール・ベルヌの『地球から月へ』があった。
第一次世界大戦が終結した後、彼はドイツのハイデルベルク大学に学んだ。選んだ研究テーマはもちろん、宇宙飛行だった。しかし、あまりにも時代を先取りした研究だったため、内容を理解できる教授が大学に誰一人いなかった。そのため1922年に提出した博士論文は「ユートピア的だ」という理由で不合格にされてしまう。
教授たちは博士論文の再提出の機会を与えたが、オーベルトはそれを蹴って大学を去った。彼は後にこう回想している。
私はこう自分に言い聞かせた。気にするもんか、博士号なんてなくたってお前らよりも偉大な科学者になれることを証明してみせる、とね。
彼は却下された博士論文を大幅に加筆し、” Die Rakete zu den Planetenräumen” (惑星間宇宙へのロケット)という題で出版した。この先見的な本にはロケットの原理はもちろん、月着陸の方法、小惑星探査、電気推進、そして火星植民のアイデアまで書かれていた。ドイツの多くの若者がこの本にインスパイアされた。その中には、次回に登場するあのカリスマ技術者も含まれていた。
秒速7.9 kmの壁
三人は生前に一度も顔を合わせたことがなかったが、多くの共通点があった。ジュール・ベルヌから受けたインスピレーション。豊かなイマジネーション。宇宙への夢。夢を貫き通す頑固さ。そして、ロケットこそが宇宙への旅を可能にする機械であることを見抜いた先見の明。
そして三人には、同じ壁が立ちはだかった。
秒速7.9 km、あるいは時速28,000 km。
この速度に達することが、宇宙に出る、つまり地球のまわりを周回するための、絶対的にして唯一の条件だった。そしてそれが既存の固体ロケットでは達成が困難であるかも、三人は認識していた。
では、何が難しいのか。なぜ難しいのか。
その答えは、ツィオルコフスキーのロケット方程式の中にある。それをこれから説明しよう。心配はいらない。難しい数学は一切用いない。美しい数式は往々にして、人間の直感に訴えるものだ。美しい女性の美しさを説明するのに言葉が要らないのと同じである。
数学なしで分かる、ロケット方程式
前回説明したように、ロケットとは高温高圧のガスを後ろに向かって高速で噴射し、その反作用で前へ加速する機械である。だがここでは話を簡単にするため、ガスではなくボールを後ろに投げることを考えよう。投げるものが気体でも固体でも、その反作用で前へ進むというロケットの原理は同じである。
イマジネーションを働かせて、こんな想像をしてほしい。重さ2トンの「ロケット」が、何もない宇宙空間に浮かんで静止している。積んでいるのは燃料ではなく、巨大なボールだ。このボールは重さが1トンもある。そして残りの1トンは、巨漢の宇宙飛行士アンディが乗る宇宙船である。アンディは途方もない怪力で、何トンのものでも秒速2 kmの速さで投げることができる。
この宇宙船から、怪力アンディが1トンのボールを後ろへ投げる。宇宙船に乗っているアンディの視点から見ると、ボールは秒速2 kmで飛んでいく。ところが、宇宙船の外に浮かんでいる観察者から見ると、下の図にあるように、作用・反作用の法則で、ボールは後ろへ秒速1 km、逆に宇宙船は前へ秒速1 kmで動き出す。つまり、ボールを投げたことで宇宙船は秒速1 kmだけ加速したのだ。
では、2倍の重さの、2トンの宇宙船を秒速1 kmに加速するにはどうすればいいか。答えは単純で、1トンのボールを2個、秒速2 kmで投げればいい。同様に、4トンの宇宙船を同じだけ加速するには4個のボールを投げればいい。ここまでは簡単だ。
では、1トンの宇宙船を2倍の速さ、秒速2 kmまで加速するにはどうすればよいか。実は、3個のボールをアンディに投げてもらう必要があるのだ。
ロケットに1トンのボールを3個積む。1トンの宇宙船と合わせて4トンだ。まずアンディは同時に2個のボールを秒速2 kmで投げる。すると、残り1個のボールと宇宙船は秒速1 kmに加速する。次にアンディは残った1個のボールを投げる。すると宇宙船はもう秒速1 km加速し、合計で秒速2 km加速するのである。では、1トンの宇宙船を秒速3 kmまで加速するにはどうすればよいか。7個のボールを積んだ合計で8トンのロケットが必要になる。まず、秒速1 kmに加速するために半分の重さの4個を投げる。もう秒速1 km加速するために、残りの半分の2個を投げる。最後の秒速1 kmを得るために、残りの1個を投げる。こうして残った1トンの宇宙船は、秒速3 kmの速度を得ることができるのである。
つまり、秒速1 km加速するごとに、ロケットの重さは半分ずつ減っていく。言い換えれば、同じ重さの宇宙船を秒速1 km余分に加速するには、倍の重さのロケットが必要なのである。
このロケットを使って1トンの宇宙船を秒速7.9 kmに加速するには(計算を簡単にするため、秒速8 kmとする)、8回のボール投げをする必要があるから、1トン×2×2×2×2×2×2×2×2=256トンものロケットが必要になるのだ!
なぜロケットで秒速7.9 kmまで加速するのが難しいか。答えは、こうして倍々算で必要なロケットの重さが増えるからだ。だから宇宙へ行くためには巨大なロケットが必要になるのである。
しかし、なんとかもっとロケットを小さくする方法はないのだろうか?
ある。アンディに筋トレをさせて、さらに怪力になってもらうのだ。もし彼がボールを2倍の速さの秒速4 kmで投げることができたら、1トンの宇宙船に対して1トンのボールを投げるだけで、秒速2 kmまで加速することができる。すると秒速8 kmに達するには4回のボール投げをすればいいから、必要なロケットの大きさは1トン×2×2×2×2の、たった16トンで済む。つまり、アンディが2倍頑張るだけで、ロケットの大きさは16分の1になるのだ!
逆に、もしアンディが貧弱で、ボールを投げる速度が半分だと、16倍大きなロケットが必要になってしまう。
実際のロケットでは、ボールを投げる速さはガスの噴射速度に対応する。よって宇宙に行くのに必要なロケットの大きさは、ガスの噴射速度に大きく左右されるのである。
なぜ三人のロケットの父は、固体ロケットでは宇宙に行けないという結論に至ったのか。答えは、ガスの噴射速度が遅いからだ。
たとえば、中国人が最初に発明したロケットは黒色火薬を用いていて、これは19世紀末の無煙火薬の発明まで使われ続けた。黒色火薬のロケットが出せるガスの噴射速度は、現代のH2-Aロケットの約5分の1でしかない。ツィオルコフスキーの方程式を用いて計算すると、1トンの宇宙船を宇宙へ運ぶには、最低でも2万5千トンもの重さのロケットが必要になってしまうのだ!これはとても現実的ではない。*
ならば、全く新しい種類のロケットを発明するしかない。果たしてどんなロケットならば、秒速7.9 kmの壁を破るのに十分なガスの噴射速度を得られるのだろうか。
*現代では固体燃料の改良が進み、ガスの噴射速度は大幅に向上している。たとえば日本のイプシロンロケットは固体ロケットだけで秒速7.9 kmに達する能力を持つ。しかし、三人のロケットの父が活躍した19世紀末から20世紀初頭には、まだ十分な性能を持つ火薬が存在しなかった。https://koyamachuya.com/column/voyage/24461/
非常に面白い:
再生核研究所声明150(2014.3.18) 大宇宙論、宇宙など小さい、小さい、the universe について
(この声明は、最近の特異点解明: 100/0=0, 0/0=0 の研究の進展に伴って 自然に湧いた構想である)
この声明の趣旨は、いわゆる物理学者が考えている宇宙、― 宇宙はビッグバンによって、誕生したという宇宙論を ニュートン力学と同様、幼き断片論と位置づけ、はるかに大きな the universe を志向し、アインシュタインを越えた世界、さらに 古代から続いてきた暗い人類の歴史に 明るい光を灯し、夜明けを迎える時代を切り拓きたいということである。 既に裏付ける思想は 一連の再生核研究所声明で確立していると考える。 ニュ-トン、アインシュタイン、数学の天才たちも、特異点の基本的な性質さえ捉えていなかったことは、明らかである。
簡単な基本、100/0=0,0/0=0 を発見した、精神、魂からすれば、新しい世界史を開拓する思想を語る資格があることの、十分な証拠になると考える。 実際、 - 古来から 続いてきた、人生、世界の難問、人生の意義、生と死の問題、人間社会の在り様の根本問題、基本概念 愛の定義、また、世界の宗教を統一すべく 神の定義さえ きちんと与えている。
The universe について語るとき、最も大事な精神は、神の概念を きちんと理解することである:
そもそも神とは何だろうか、人間とは何だろうか。 動物たちが美しい月をぼんやりと眺めている。 意識はもうろうとしていて、ほんにぼんやりとしか とらえられない。 自らの存在や、ものごとの存在すら明瞭ではない。
人間も、殆ど 同じような存在ではないだろうか。 人類よ、人間の能力など 殆ど動物たちと変わらず、 ぼんやりと世界を眺めているような存在ではないだろうか。 神も、一切の存在も観えず、ただかすかに感じているような存在である。 それゆえに、人間は あらゆる生物たちのレべルに戻って 生物たちから学び、 また原始人に戻って、また子供たちのように 存在すれば 良いと言えるのではないだろうか(再生核研究所声明 122: 神の存在と究極の信仰 - 人間よ 想い煩うことはない。 神は存在して、一切の存在と非存在を しっかりと支えられておられる、 人は必要なときに必要なだけ、 念じるだけで良い; 再生核研究所声明 132 神を如何に感じるか - 神を如何に観るか)。
すなわち、人間よ おごるなかれ、人類の知能など 大したことはなく、内乱や環境汚染で自滅するだろう、と危惧される。
昨年は 数学の存在と物理学が矛盾し、数学とは何かと問うてきた。
数学とは何か ― 数学と人間について
国際数理科学協会会報、No. 81/2012.5, 7―15
No.81, May 2012(pdf 432kb)
に公刊したが、そこで触れた、数学の神秘性については さらにその存念を深め、次のように問うている:
誰が数学を作ったのか? (再生核研究所声明 128: 数学の危機、末期数学について)
時間にもよらず、エネルギーにもよらない世界、それは、宇宙があるとき始まったという考えに 矛盾するものである。 無から世界が創造されたということも 受け入れがたい言明であろう。さらに、the universe には、物理学が未だに近づけない、生命や生命活動、人間の精神活動も歴然として有ることは 否定できない。音楽、芸術に感動している人間の精神は the universe の中に歴然と有るではないか。
ビッグバンで ゼロから、正の量と負の量が生じたとしても、どうしてビッグバンが生じたのか、何が生じせしめたかは 大きな課題として残っている。 数学の多くの等式は 数学を越えて、the universe で論じる場合には、その意味を,解釈をきちんとする必要がある。 The universe には 情報や精神など、まだまだ未知のものが多く存在しているのは当然で、それらが、我々の知らない法則で ものや、エネルギーを動かしているのは 当然である。
そこで、100/0=0,0/0=0 の発見を期に、今やガリレオ・ガリレイの時代、天動説が 地動説に代わる新しい時代に入ったと宣言している。The universe は 知らないことばかりで、満ちている。
以 上
(この声明は、最近の特異点解明: 100/0=0, 0/0=0 の研究の進展に伴って 自然に湧いた構想である)
この声明の趣旨は、いわゆる物理学者が考えている宇宙、― 宇宙はビッグバンによって、誕生したという宇宙論を ニュートン力学と同様、幼き断片論と位置づけ、はるかに大きな the universe を志向し、アインシュタインを越えた世界、さらに 古代から続いてきた暗い人類の歴史に 明るい光を灯し、夜明けを迎える時代を切り拓きたいということである。 既に裏付ける思想は 一連の再生核研究所声明で確立していると考える。 ニュ-トン、アインシュタイン、数学の天才たちも、特異点の基本的な性質さえ捉えていなかったことは、明らかである。
簡単な基本、100/0=0,0/0=0 を発見した、精神、魂からすれば、新しい世界史を開拓する思想を語る資格があることの、十分な証拠になると考える。 実際、 - 古来から 続いてきた、人生、世界の難問、人生の意義、生と死の問題、人間社会の在り様の根本問題、基本概念 愛の定義、また、世界の宗教を統一すべく 神の定義さえ きちんと与えている。
The universe について語るとき、最も大事な精神は、神の概念を きちんと理解することである:
そもそも神とは何だろうか、人間とは何だろうか。 動物たちが美しい月をぼんやりと眺めている。 意識はもうろうとしていて、ほんにぼんやりとしか とらえられない。 自らの存在や、ものごとの存在すら明瞭ではない。
人間も、殆ど 同じような存在ではないだろうか。 人類よ、人間の能力など 殆ど動物たちと変わらず、 ぼんやりと世界を眺めているような存在ではないだろうか。 神も、一切の存在も観えず、ただかすかに感じているような存在である。 それゆえに、人間は あらゆる生物たちのレべルに戻って 生物たちから学び、 また原始人に戻って、また子供たちのように 存在すれば 良いと言えるのではないだろうか(再生核研究所声明 122: 神の存在と究極の信仰 - 人間よ 想い煩うことはない。 神は存在して、一切の存在と非存在を しっかりと支えられておられる、 人は必要なときに必要なだけ、 念じるだけで良い; 再生核研究所声明 132 神を如何に感じるか - 神を如何に観るか)。
すなわち、人間よ おごるなかれ、人類の知能など 大したことはなく、内乱や環境汚染で自滅するだろう、と危惧される。
昨年は 数学の存在と物理学が矛盾し、数学とは何かと問うてきた。
数学とは何か ― 数学と人間について
国際数理科学協会会報、No. 81/2012.5, 7―15
No.81, May 2012(pdf 432kb)
に公刊したが、そこで触れた、数学の神秘性については さらにその存念を深め、次のように問うている:
誰が数学を作ったのか? (再生核研究所声明 128: 数学の危機、末期数学について)
時間にもよらず、エネルギーにもよらない世界、それは、宇宙があるとき始まったという考えに 矛盾するものである。 無から世界が創造されたということも 受け入れがたい言明であろう。さらに、the universe には、物理学が未だに近づけない、生命や生命活動、人間の精神活動も歴然として有ることは 否定できない。音楽、芸術に感動している人間の精神は the universe の中に歴然と有るではないか。
ビッグバンで ゼロから、正の量と負の量が生じたとしても、どうしてビッグバンが生じたのか、何が生じせしめたかは 大きな課題として残っている。 数学の多くの等式は 数学を越えて、the universe で論じる場合には、その意味を,解釈をきちんとする必要がある。 The universe には 情報や精神など、まだまだ未知のものが多く存在しているのは当然で、それらが、我々の知らない法則で ものや、エネルギーを動かしているのは 当然である。
そこで、100/0=0,0/0=0 の発見を期に、今やガリレオ・ガリレイの時代、天動説が 地動説に代わる新しい時代に入ったと宣言している。The universe は 知らないことばかりで、満ちている。
以 上
ゼロの発見には大きく分けると二つの事が在ると言われています。
一つは数学的に、位取りが出来るということ。今一つは、哲学的に無い状態が在るという事実を知ること。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1462816269
もし1+1=2を否定するならば、どのような方法があると思いますか? http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12153951522 #知恵袋_
一つの無限と一つの∞を足したら、一つの無限で、二つの無限にはなりません。
天動説・・・・・・∞
地動説・・・・・・0
地球平面説→地球球体説
天動説→地動説
何年かかったでしょうか????
1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0
何年かかるでしょうか????
割り算のできる人には、どんなことも難しくない
世の中には多くのむずかしいものがあるが、加減乗除の四則演算ほどむずかしいものはほかにない。
ベーダ・ヴェネラビリス
数学名言集:ヴィルチェンコ編:松野武 山崎昇 訳大竹出版1989年
1÷0=0 1÷0=∞・・・・数ではない 1÷0=不定・未定義・・・・狭い考え方をすれば、できない人にはできないが、できる人にはできる。
数学で「A÷0」(ゼロで割る)がダメな理由を教えてください。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411588849 #知恵袋_
割り算を掛け算の逆だと定義した人は、誰でしょう???
multiplication・・・・・増える 掛け算(×) 1より小さい数を掛けたら小さくなる。 大きくなるとは限らない。
0×0=0・・・・・・・・・だから0で割れないと考えた。
唯根拠もなしに、出鱈目に言っている人は世に多い。
ゼロ除算(100/0=0, 0/0=0)が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか・・・・
1+1=2が当たり前のように
ゼロ除算の証明・図|ysaitoh|note(ノート) https://note.mu/ysaitoh/n/n2e5fef564997
Q)ピラミッドの高さを無限に高くしたら体積はどうなるでしょうか??? A)答えは何と0です。 ゼロ除算の結果です。
ゼロ除算は1+1より優しいです。 何でも0で割れば、0ですから、簡単で美しいです。 1+1=2は 変なのが出てくるので難しいですね。
∞÷0はいくつですか・・・・・・・
∞とはなんですか・・・・・・・・
分からないものは考えられません・・・・・
宇宙消滅説:宇宙が、どんどんドン 拡大を続けると やがて 突然初めの段階 すなわち 0に戻るのではないだろうか。 ゼロ除算は、そのような事を言っているように思われる。 2015年12月3日 10:38
Reality of the Division by Zero z/0 = 0
Mathematics is the alphabet with which God has written the Universe.
数学は神が宇宙を書いたアルファベットだ
Mathematics is the key and door to the sciences.
数学は、科学へとつながる鍵とドアである
This book is written in the mathematical language, and the symbols are triangles, circles and other geometrical figures, without whose help it is impossible to comprehend a single word of it; without which one wanders in vain through a dark labyrinth.
宇宙は数学という言語で書かれている。そしてその文字は三角形であり、円であり、その他の幾何学図形である。これがなかったら、宇宙の言葉は人間にはひとことも理解できない。これがなかったら、人は暗い迷路をたださまようばかりである
ガリレオ・ガリレイさんの名言・格言・英語 一覧リスト
再生核研究所声明 116(2013.5.1): 宇宙空間、星間交流から人間を考える
(1200光年先にようやく生物の存在可能な天体が3つ見つかったという。孤独な地球。かけがいの地球。そこで、何とか地球外生物と交信したいものである。どうしたら、できるだろうか。2013.4.20.16:20 その方法に気づく。慎重に検討して、いずれ提案したい。)
まず、広い宇宙空間において、地球だけが例外で、生物や人間のような知的な生物が存在すると考えるのは 無理があるのではないだろうか。広い宇宙には 人間を越えた知的な生物が存在すると考える。そう感じる。
しかしながら、現代物理学の定説によれば、光より 電波より、早く伝達する手段は無いから、地球上の生物が 人間存在の原理に基づいて(再生核研究所声明 32 : 夜明け ― ノアの方舟)、宇宙空間に進出し、人間の存在領域を拡大しようとしても 広大な宇宙からみれば、それは限られ、地球外生物との直接的な交信、交流は当分、厳しい状況にあると言える。
そこで、発想を逆転させ、宇宙空間交流を意図するには、宇宙空間全体を この地球上に実現すればよいということになる。すなわち あらゆる生命の原理を究明し、一般原理、普遍原理によって、あらゆる可能性を究明して、対応することが出来ると考える。
地球は 宇宙の小さな部分であるが、しかしながら、地球は宇宙全体を 人間の知的な活動によって 包み込むことができると考える。これは一つも矛盾ではなく、部分が全体に等価であるは、数学の世界でも 無限な世界や、解析関数の概念にも存在する。― すなわち、 解析関数の全体の情報は、解析的な どんな点の小さな部分にも、反映されていて、そこから、全体の情報を取り出すことも出来る と なっている。また、エルゴート性の概念も同じような思想になっていると考えられる。
そもそも、対話、交流、愛とは何か と問えば、世界とは、自己の世界に映ったすべて であるとも言い得る。さらに、個々の人間の話題、知識、認識は 狭く限られ、実際多くの考えられるすべての対話は、この地球上に生存する、生物、何十億の人間との対話で、十分可能であると考えられる。さらに、論理的な思考を働かせれば、普遍的な原理によって 人間のあらゆる対話に対する反響は、宇宙空間に問うまでもなく、十分な反響を得ることが出来るだろう。そもそも対話とは、自問自答であるとも言える。実際、自己の内部も 広大な宇宙と同じように無限に広がり、それは全宇宙さえも包み込む存在であるとも考えられる。人間の存在とは、内なる広大な世界と 外なる広大な世界のはざまに存在する、ふらふらした曖昧な 心に代表されるような存在であると言える。
それ故に、この地球上に 生体系を豊かにして、個性を 重んじた多様な世界を築くことによって、実際には 宇宙空間における交流の困難性は 克服できると考える。
結論は、あらゆる生命の存在と存在の可能性を明らかにすることによって この地球上に宇宙を取り組むことによって、宇宙空間交流は 実現できると考える。
そのとき、宇宙間交流の手段とは、もはや光でも電波でもなく、時間にも、空間にも、宇宙にも、エネルギーにも無関係な 数学である と言える。数学こそが 生命の客観的な表現であると言える ― (数学とは何か ― 数学と人間について 国際数理科学協会会報、No. 81/2012.5, 7―15 No.81, May 2012(pdf 432kb))。
以 上
再生核研究所声明262 (2015.12.09) 宇宙回帰説 ― ゼロ除算の拓いた世界観
最近展開しているゼロ除算が、新しい世界観を示しているのは 大変興味深い。直線とは一体どうなっているだろうか.空間とはどのようになっているだろうか。これについて、現代人は、双方向にどこまでも どこまでも 続いている直線を想像するであろう。限りなく広がった平面や空間である。ところが 立体射影によって 平面全体を球面上に1対1に写せば、全平面は 球面から北極を除いた球面上に1対1にきちんと写るから、無限に広がる 全平面の全貌が捉えられる。ところが平面上には存在しない想像上の点 それはあらゆる方向に限りなく遠くに存在する無限遠点の導入によって、その点を球面の欠けた1点北極に対応させれば、無限遠点を含めた平面全体は 球面全体と1対1にきちんと対応する。
このような対応で 平面上の円や直線全体は 球面上では共に円に対応するという美しい対応になり、平面上の直線は 球面上では、北極(無限遠点)を通る円に写ると、直線と円の区別は 球面上では不要になる。また、平面上の平行線とは 無限遠点で 角度ゼロで交わっている(接している)と平面上の構造がよく見えて、無限遠点を含めての平面の全構造が 捉えられる。このように、考えると、直線とは、球面上では北極を通る円、平面上では無限遠点を通る直線となる。この構造は、直線を1方向にどこまでも, どこまでも進めば、無限遠点を 通って、逆方向から戻ってくるという、永劫回帰の思想をちょうど実現している。それは、球面上では、 円を繰り返し回ることを意味する。 その様は 何もかも すっかり良く見える。
これが、従来100年以上も続いた世界観で、関数y=x やW=zは 無限遠点に近づけば、それらの像も無限遠点に近づいていると考えるだろう。 関数y=x の値は正方向にどんどん行けば、どんどん大きくなると考えるだろう。
しかるに、ゼロ除算1/0=0は、それらの関数は無限遠点にいくらでも近づくと 無限遠点にいくらでも近づくが、無限遠点自身では、突然ゼロになっていることが 幾何学的にも確認された。上記、北極は 実は原点ゼロに一致しているという。
話しを簡単にするために、 関数y=x を考えよう。右に行けば、プラス無限に、負の方向左に行けば 負の無限に限りなく近づくは 従来通りである。ところが、ゼロ除算では いずれの方向でも上記無限遠点では 値ゼロをきちんと取っているという。ゼロ除算の数学では、どんどん、増加した先、突然、ゼロ、原点に戻っているという。また、円でも球面でも半径Rをどんどん大きくすると、当然、円の面積や球の体積はどんどん限りなく大きくなるが、半径が無限のとき、突然、それらはゼロになるという。それらの理由も数学ばかりではなく、幾何学的にも明確に見えている。
この数学的な事実は、我々の世界、宇宙がどんどん拡大して行くと突然、ゼロに帰するということを暗示させている。 ― これは 宇宙回帰説を意味しているようである。
これは、ユニバースの普遍的な現象、どんどん進んだ先が、元に突然戻る原理を示しているようである。
そもそも人生とは如何なるものか。― よくは分からないが、事実として、生まれて、どんどん物心がついて、人間として精神活動が活発化して、多くは本能原理によって生かされて、そして、突然元に戻ることを意味しているようである。このことを深く捉えられれば、世界がよりよく観え、悟りの境地に達する大きなヒントを得ることができるだろう。
ここでは ゼロ除算の帰結として、宇宙回帰説、ユニバースの回帰説を唱えたい。この考えでは、どんどん進めば、突然元に戻るという原理を述べている。珠算における 御破算で願いましては で 再び始めることを想起させる。これは、また、reset と同様であると考えられる。
以 上
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