2018年10月26日金曜日

「日本人の幸福感は収入より自己決定度で決まる」という調査結果 学歴はそれほど幸福感につながらない

「日本人の幸福感は収入より自己決定度で決まる」という調査結果 学歴はそれほど幸福感につながらない

自分で人生の選択をすることが、日本人の感を高めている――今夏、日本における幸福感の研究結果が大きな話題を呼んだ。具体的にどのようなものだったのか? 共同研究をおこなった西村和雄・神戸大学特命教授と八木匡・同志社大学教授がここに書き綴る。

2万人データを分析した幸福感研究

我々は、2万人の日本人のデータから、幸福感に影響する要因の分析を行った(西村・八木(2018))。
幸福感に関する研究は、従来から経済学や心理学において数多く存在する。
ギリシャの哲学者アリストテレスは,幸福を人生の究極の目標ととらえていたし、最近ではフランスのサルコジ大統領が設置した委員会(CMEPSP)が、幸福度計測指標 についての報告書を出すなど、幸福感の測定に力を入れる国も出てきた。
〔PHOTO〕iStock
幸福感とは古くて新しいテーマである。
背景には、1970年前後から、所得水準と幸福度の値が必ずしも相関しないことが指摘され、心理学や経済学の分野で、幸福度研究が注目を浴びてきたことがある。
特に、イースタリン(1974)による実証結果は、「イースタリン・パラドックス」と呼ばれて、多くの研究者が、幸福感を構成する要因を分析するきっかけとなった。

2012年4月に始まった、国連による世界幸福度報告書は、150以上の国や地域を対象とした、主観的な幸福度の調査報告書である。
報告書では、回帰分析を用いて、幸福度に対する6つの説明変数のそれぞれの寄与を求めている。
説明変数は、(1)一人あたりGDP、(2)社会的支援、(3)健康寿命、(4)人生の選択の自由、(5)寛容さ、(6)汚職の認識である。
この調査におけるそれぞれの国の幸福度は、個人が自分の幸福度が0から10のどの段階にあるかを答えた回答の数値の平均値である。
2018年の幸福度のランキング1位はフィンランドであった。2位はノルウェー、次いでデンマーク、アイスランド、スイスである。アメリカは18位、日本は54位であった。
この報告書の幸福度の国際ランキングを見ると、一人当たりGDPの値と幸福度が相関せず、「イースタリン・パラドックス」が成り立っているように見える。

幸福度と自己決定

我々は、オックスフォード式の心理幸福度を測る質問によって幸福感を測定し、所得、学歴、自己決定、健康、人間関係の5つを説明変数とした。
同時に、回答者に0から10の数値で幸福感のレベルを答えてもらい、主観的幸福度も測定している。

幸福度として、心理幸福度あるいは主観的幸福度のいずれを使っても、結果に本質的な違いはなかった。
自己決定は、モチベーションを高め、満足感に影響することが、心理学者デシとライアンによって、指摘されている。
〔PHOTO〕iStock
本研究では、進学や就職といった人生における選択における自己決定の度合いをたずねて、実際に、幸福度に影響しているかを調べた。
具体的には、「中学から高校への進学」、「高校から大学への進学」、「初めての就職」の自己決定に関する質問の回答から、自己決定の度合いを表す指標を作成し、それを自己決定指標とした。

調査結果:所得や学歴よりも「自己決定」

我々の調査で用いたデータで、主観的幸福感の度合いを年齢別グラフにすると、中年期に落ち込む「U字型曲線」を描き、35~49歳で主観的幸福感は下がることが分った。
異なる国のデータを比較した場合、より高い所得が必ずしもより高い幸福感をもたらしていないというのが「イースタリン・パラドックス」である。
我々は、日本のデータを用いて、一国内での所得と主観的幸福度の変化率の比(弾力性)を調べてみたところ、所得が増加するにつれて、主観的幸福度が増加するが、所得の増加率ほどには主観的幸福感は増加せず、その変化率の比も1100万円で最大となった。
図:主観的幸福感を決定する要因の重要度(注:学歴は統計的に有意ではない)
最後に、健康と人間関係以外の要因の影響力を比較した。大学の入学難易度を考慮した学歴も調べてみたが、主観的幸福感への影響は統計的に有意ではなかった。
世帯年収額と自己決定指標は、ともに主観的幸福感に対して有意に正の効果を持っている。
図で示されているように、自己決定は所得や学歴よりも強い影響を持っている。自分で人生の選択をすることが、選んだ行動の動機付けと満足度を高める、それが幸福感を高めているのであろう。

【参考文献】
・Deci, E. L. and Ryan, R. M. (1985). Intrinsic motivation and self-determination in human behavior. New York, NY: Plenum.
・Easterlin, R. (1974). “Does economic growth improve human lot? Some empirical evidence.” Nation and Households in Economic growth: Essays in Honor of Moses Abromowitz, ed. by Davis, P. A. & Reder, M. W. :pp. 89-125, London: Academic Press.
・Hills, P. and Argyle M. (2002). "The Oxford Happiness Questionnaire: a compact scale for the measurement of psychological well-being." Personality and individual differences 33, no.7: 1073-1082.
・西村和雄、八木匡「幸福感と自己決定―日本における実証研究」 経済産業研究所 RIETI DP 18-J-026 2018年9月

ゼロ除算の発見は日本です:
∞???    
∞は定まった数ではない・
人工知能はゼロ除算ができるでしょうか:

とても興味深く読みました:2014年2月2日 4周年を超えました:
ゼロ除算の発見と重要性を指摘した:日本、再生核研究所


ゼロ除算関係論文・本

再生核研究所声明 383 (2017.9.18)  人間の精神の高まりについての視点

題名の正確な意味の表現は難しい。そこで、具体的な例を挙げて意図していることをより明らかにしよう。
小学生時代を回想しよう。 低学年ではどんどん世界が広がっていくようで、知識も情報も世界も段々、どんどん広がりどんどん世界が見えるようになっていくと感じられるだろう。 それと同時に 過去の自分の様、様子が良く見える、分かる様に感じられるだろう。 このような現象は、登山でどんどん登って行くと視野が開けて、辿ってきた様、情景がすっかり見え全体の様子が分かるような経験にもみられる。このような事は旅行で ある小さな町を訪れ、滞在しているにつれて 町全体の様子が段々分かってきて、町全体をあるイメージで捉えられるようになるだろう。最初の段階で戸惑っていた自分を知ることが出来るだろう。これらの現象は様様の研究や学問、芸術、修業等についてもみられるといえる。― ある意味での進化である。 ここでは、そのような現象を、登山の例から 人間精神の高まりと表現した。正確な表現は心の問題であるから難しい。大きな特徴は段々今までの状況を含むような形で、知識や情報が拡大して、心も質的に変化して以前の状況をより広い視点から捉えられるように成長、進んでいることである。
人生とは何か、人間とは何かの基本的な 方向として、この意味における人間の精神の高まりがあると考えられる。逆に考えてみれば、知識や情報が拡大し、精神の高まりがなければ、必ず、停滞、退屈になり、そのような生活には飽きて、生き生きした人生にはならないのではないだろうか。人間、生物的な 本能的な欲求がある程度満たされれば、必ず、情報や知識を欲求し、やがて神の意思を知りたいという真智への愛に至るのではないだろうか。 この過程にみられる、人間の精神の高まり の様子、 状況に関心を持つ。 
人間は真理を追究し、情報、知識の増大方向で進むが どんどん山頂を目指して進む時、 我々の精神全体はどのように変化していくであろうか、人間とはどのように成長していくであろうか。 数学界の天才、ニュートンとライプニッツは 生涯微積分学の発見の先駆者たるを主張して、裁判闘争を続けていたという、お粗末とも言える、事実が存在する。他方、精神の高まりを象徴する用語として、人物たる人物、人格者、覚者、賢人、悟りの境地、聖人などの理想を表す概念が存在する。― 人類自身、全体があたかも子供たちである様に見えてしまう進化した人間を想定すると慄然とするだろう。人生、世界、人類さえみえてしまう者の存在、思い当たる人として お釈迦様などが考えられよう。
ゼロ除算の発見で、人生とはゼロから始まり、何かが拡大を続け、やがて突然にゼロに帰すると表現した。この拡大は 正確には何を意味するであろうか。知識や情報、経験の増大は基本的であるが、覚性度なども気になる要素ではないだろうか。どんどん気づき、世界がどんどん見えてくる面である。
人生、精神的な高まりを通して成人を迎え、円熟期を迎えるが、人間の成長の理想的な境地とは何であろうか。知識を沢山集めてものしりになったり、どんどん発見や発明を続けていけば良いのだろうか。沢山良いものを発見したり、発明していけば良いのだろうか。
人間とは どのように作られているのかと 問う。― 人間存在の意義を求めている。

ある山頂に達して、人生、世界とは そのようなものであるとの見識に達した時、その心情のいろいろな在り様と いろいろな差は どのように解釈されるべきであろうか?
良き、人間とは、人生とはどのようなものであろうか?
― しかしながら、人生における基本定理、 人生の意義は感動することにある はそのような思考の基本になるのではないだろうか。
以 上


再生核研究所声明3702017.5.30) 細胞のような存在、個人 ― 生態系、環境
人間の存在について、個人の存在について、ふと思うことがある。人生とは結局 如何なるものであろうか。雄大な人間社会において、個人の存在はあまりにも小さく、それはまるで生体における細胞のような存在に感じられる。個人は知識、視野、思考の幅や深さにおいても貧しく 大きな社会で、ほんの一部しか見えず、感じられない。そこで、個人の世界、世界観は 周辺の環境に大きく左右され、雑草の中の一つの植物のようである。 思えば、生まれて生きてきた、心持ちなど みな周りの人々や得た情報、環境によって形成され、それは雑草のなかの一つの植物のようである。大事な就職、結婚など みなその折り折りに環境によって 相当に定められてきたのではないだろうか。― ふと思う、本質的には、個性はあっても 相当に人間は共通に作られていて、多くの違いは 生い立ちや環境で相当に定められてきたと言えるのではないだろうか。― このことは 人間は誰でも同じようで、環境、生い立ちでそうなっていると思えば、相手の立場に思いを致し、全面的否定や絶対的な正義をかざすことを躊躇させるだろう。最近の世相は、全面的な否定と独善的な姿勢が目立ち、是か非、白黒の判断が多いのではないだろうか。
人間の社会は 実際は、そうは単純ではなく、微妙なバランスの上に成り立っていることに気を付けたい。
典型的な実例は 開発と自然環境の保護である。山地を開拓して美しい街を作ろうとすれば、永く続いてきた自然環境を破壊することになる。豊かな食生活を営もうと魚をとりすぎれば、魚の保護が難しく、勝手に振る舞えば、やがて魚は絶滅しかねない。 このような例はいたるところに有って、我々の存在の基本的な在ようの問題に繋がるだろう。
― 原罪とは何か。
我々個人の存在は 大河の中の一滴のようであるから、大きな流れには逆らえず、 多くは運命づけられていることを認め、受け入れざるを得ない。そこで、謙虚さを持って周辺に気遣い、できるだけ、大きな視野に立って、内なる世界と外なる世界の中で 調和のとれた存在でありたいと考える。
放し飼いになっている猫や犬をみる。人間の生き様も猫や犬と本質的には同じではないかと感じられる。いや雑草たちとも人間の在りようは本質的に同じようで、草木たち、動物たちの存在の方が逆に完全であるように見える。結局、人生、動物や植物たちと同じようであった となるだろう。
犬がよく通りをぼんやりと眺めている。人間も本質的には、そのような存在ではないだろうか。この世に生をうけて、結局は、ぼんやりと過ぎ去っていくだろう。

以 上

再生核研究所声明301 (2016.05.23) 人間の愚かさ―人間の賢さ

再生核研究所では、もちろん、人間、社会、人生についていろいろな視点から意見表明をしてきている:
再生核研究所声明172(2014.8.5) 人間の愚かさについて
再生核研究所声明 180(2014.11.24) 人類の愚かさ ― 7つの視点
再生核研究所声明 273 (2016.01.06): つくられた人間 ― 人間とは何だろうか; 人生とは何か
作られた人間が、相当に運命づけられているのは歴然である。しかしながら、作られた存在で、定められていても それらに従う、 自分の様を反省して、やがて自分たちの存在、営みそのそのものが 愚かしいことと気づくようになるだろう。人間の基本的な有り様とは、本能原理によって、生きること、家族をもち、育児を行うこと、などが基本であるが、それらを可能にして、保証するために、健康維持の観点から、食、住、環境の整備、恋の問題や、愛の問題、社会内存在を安定させるために仕事や地位を確保、生活を軌道にのせるなど基本的なことに追われる生活を余儀なくされる。自由の存在であると言える状況は 中々難しく、人生で束縛された生活が永く続いているのではないだろうか。現在でも、自由な存在よりも、生きることに精一杯の状況が多いと言える。
円熟期に入って、退職などすれば、相当に生活環境が変わり、関心の対象も大きな変化を受ける。言わば夢中で環境の中で生きてきた過去が、ただ夢中な存在で、何をしていたのかと反省させられる。しかしながら、一途に真面目に生きてきた者は自らをいじらしい存在として、評価もでき、回想できる余裕が出てくるのではないだろうか。
恋も、仕事も、志も 思えば、愚かしいこと、人間の営みと表現しようとしたが、書き始めるや、そのような発想は良くなく、表現を変える必要性を感じてきた。作られた人間が、造物主の意思に逆らえず、造物主の意思に従って生きざるを得ない自らの定めを自覚して、人間は人生の大部分を夢中で生きるだろう。しかし、やがて、そのような存在に飽き飽きして、造物主の意思を超えて、自らの存在、本能をも否定できるようになれば、それは一種の解脱、超越、悟りのレヴェルに至る完成の域に達していると言えるのではないだろうか。人生を諒として、超越して行けるからである。そのときは、本能や人間存在の本質さえ、返上できる心境だからである。神と自然を超えた存在の域に達していると言える。
そもそも生物とは遺伝子の乗り物であるという現実を知って、生物は真剣にその使命を果たすように運命づけられている切ない存在であるが、それを知って、定めにしたがっている存在が人間の賢さであると言える。
この声明は始めに意図したものとは全然違う趣旨のものに ひとりでになってしまった。
以 上

神の数式:
神の数式が解析関数でかけて居れば、 特異点でローラン展開して、正則部の第1項を取れば、 何時でも有限値を得るので、 形式的に無限が出ても 実は問題なく 意味を有します。
物理学者如何でしょうか。

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​そこで、計算機は何時、1/0=0 ができるようになるでしょうか。 楽しみにしています。 もうできる進化した 計算機をお持ちの方は おられないですね。
これは凄い、面白い事件では? 計算機が人間を超えている 例では?

面白いことを発見しました。 計算機は 正しい答え 0/0=0
を出したのに、 この方は 間違いだと 言っている、思っているようです。
0/0=0 は 1300年も前に 算術の発見者によって与えられたにも関わらず、世界史は間違いだと とんでもないことを言ってきた。 世界史の恥。 実は a/0=0 が 何時も成り立っていた。 しかし、ここで 分数の意味を きちんと定義する必要がある。 計算機は、その意味さえ知っているようですね。 計算機、人間より賢くなっている 様が 出て居て 実に 面白い。
https://steemkr.com/utopian-io/@faisalamin/bug-zero-divide-by-zero-answers-is-zero
2018.10.11.11:23
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面白いことを発見しました。 計算機は 正しい答え 0/0=0
を出したのに、 この方は 間違いだと 言っている、思っているようです。
0/0=0 は 1300年も前に 算術の発見者によって与えられたにも関わらず、世界史は間違いだと とんでもないことを言ってきた。 実は a/0=0 が 何時も成り立っていた。しかし、ここで 分数の意味を きちんと定義する必要がある。 計算機は、その意味さえ知っているようですね。 計算機、人間より賢くなっている様が 出て居て 実に面白い。

 
https://steemkr.com/utopian-io/@faisalamin/bug-zero-divide-by-zero-answers-is-zero
2018.10.11.11:23

ゼロ除算、ゼロで割る問題、分からない、正しいのかなど、 良く理解できない人が 未だに 多いようです。そこで、簡潔な一般的な 解説を思い付きました。 もちろん、学会などでも述べていますが、 予断で 良く聞けないようです。まず、分数、a/b は a  割る b のことで、これは 方程式 x=a の解のことです。ところが、 b がゼロならば、 どんな xでも 0 x =0 ですから、a がゼロでなければ、解は存在せず、 従って 100/0 など、ゼロ除算は考えられない、できないとなってしまいます。 普通の意味では ゼロ除算は 不可能であるという、世界の常識、定説です。できない、不可能であると言われれば、いろいろ考えたくなるのが、人間らしい創造の精神です。 基本方程式 b x=a が b がゼロならば解けない、解が存在しないので、困るのですが、このようなとき、従来の結果が成り立つような意味で、解が考えられないかと、数学者は良く考えて来ました。 何と、 そのような方程式は 何時でも唯一つに 一般化された意味で解をもつと考える 方法があります。 Moore-Penrose 一般化逆の考え方です。 どんな行列の 逆行列を唯一つに定める 一般的な 素晴らしい、自然な考えです。その考えだと、 b がゼロの時、解はゼロが出るので、 a/0=0 と定義するのは 当然です。 すなわち、この意味で 方程式の解を考えて 分数を考えれば、ゼロ除算は ゼロとして定まる ということです。ただ一つに定まるのですから、 この考えは 自然で、その意味を知りたいと 考えるのは、当然ではないでしょうか?初等数学全般に影響を与える ユークリッド以来の新世界が 現れてきます。
ゼロ除算の誤解は深刻:

最近、3つの事が在りました。

私の簡単な講演、相当な数学者が信じられないような誤解をして、全然理解できなく、目が回っているいるような印象を受けたこと、
相当ゼロ除算の研究をされている方が、基本を誤解されていたこと、1/0 の定義を誤解されていた。
相当な才能の持ち主が、連続性や順序に拘って、4年以上もゼロ除算の研究を避けていたこと。

これらのことは、人間如何に予断と偏見にハマった存在であるかを教えている。
まずは ゼロ除算は不可能であるの 思いが強すぎで、初めからダメ、考えない、無視の気持ちが、強い。 ゼロ除算を従来の 掛け算の逆と考えると、不可能であるが 証明されてしまうので、割り算の意味を拡張しないと、考えられない。それで、 1/0,0/0,z/0 などの意味を発見する必要がある。 それらの意味は、普通の意味ではないことの 初めの考えを飛ばして ダメ、ダメの感情が 突っ走ている。 非ユークリッド幾何学の出現や天動説が地動説に変わった世界史の事件のような 形相と言える。
2018.9.22.6:41
ゼロ除算の4つの誤解:
1.      ゼロでは割れない、ゼロ除算は 不可能である との考え方に拘って、思考停止している。 普通、不可能であるは、考え方や意味を拡張して 可能にできないかと考えるのが 数学の伝統であるが、それができない。
2.      可能にする考え方が 紹介されても ゼロ除算の意味を誤解して、繰り返し間違えている。可能にする理論を 素直に理解しない、 強い従来の考えに縛られている。拘っている。
3.      ゼロ除算を関数に適用すると 強力な不連続性を示すが、連続性のアリストテレス以来の 連続性の考えに囚われていて 強力な不連続性を受け入れられない。数学では、不連続性の概念を明確に持っているのに、不連続性の凄い現象に、ゼロ除算の場合には 理解できない。
4.      深刻な誤解は、ゼロ除算は本質的に定義であり、仮定に基づいているので 疑いの気持ちがぬぐえず、ダメ、怪しいと誤解している。数学が公理系に基づいた理論体系のように、ゼロ除算は 新しい仮定に基づいていること。 定義に基づいていることの認識が良く理解できず、誤解している。
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.


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