2018年10月29日月曜日

再生核研究所声明 458(2018.10.29): 神の存在と信仰- 悟りへの心得

再生核研究所声明 458(2018.10.29):  神の存在と信仰- 悟りへの心得
(本年、ゼロ除算についての5つの大きな講演の機会を 順調に楽しく済ませて、さらに高校時代のクラス会  ―― 我々の世代が終末に向かっていることを教えてくれた ―― に出席、ある区切りができたら、上記の構想が 独りでに纏まって来たので 表現して置きたい。この心情には触れたことが有り、ポルトガルに5年間滞在して 身に感じた心情、直観である。)
マリア様に擁かれた幼児キリスト様の像を繰り返し見てきた、出会った人々の世界観。 人々は同じような情景として 母親に擁かれた幼児を想い浮かべて欲しい。キリストも、幼児も 定かに自分がどのような存在か ぼんやりしていて分からない。 ただ大きなものに擁かれていて安心、安らかである。 人類、人間の存在も 神の存在も 同じようなものである。人類の 人間の知能などは たかが知れていて、何一つ良くは観えない 心 貧しい存在 である。 しかしながら、我々のすべてを支えておられる 大きな存在 を感じることが できる。それは信仰であり、神の存在の認識である と言える。 全てを、我々を全体として支えてくれる 大いなる存在 である。 信仰の前に おそれも、迷いもない 悟りの境地 と言える。 これがポルトガルで身に感じた宗教観である。絶対的な大きなものに対する帰依ともいえる。 確信こそ、信仰の深さと言える。
それに対して、仏教は少し違う感じを受ける。お釈迦さまは はたして 上記のような大いなるものの存在と帰依の精神を 持たれていたでしょうか。 お釈迦さまは 世の無常を解かれ、世の道理を説かれ、共感、共鳴、共存、生命の一体感を説かれ、己と環境の調和を求められ、自己と他、大いなる自然との調和を説かれたのではないでしょうか。 宗教観や世界観に一見すると大きな違いが存在して、定義にもよるが、仏教は 宗教とは言えないような側面があり、ある意味では 頼りない要素もあるように感じられる。 他方、ポルトガルの宗教では帰依することによって自己修行の道を閉ざし、 安易な思想に停滞して、一神教と独善性に陥り易い面が存在するように感じられる。- そのような問題は 神の問題で 我々は 天上のことと地上のことの2元論で 神の領域の問題には 信じ、お任せするだけでよい と いうような 言葉に表現される。
他方、日本人の多くは 大いなる自然に帰っていくので 仕方ない という心情で 終末を迎えているように見える。 寂しく去っていく姿には、無情のものが感じさせられる。心もとない。 他方、かの国では天国に帰って安心のさわやかな心情が残こることになる。 - しかしながら、究極においては同じようなものだと言えるのでは ないだろうか。 - 修行が大事であることには 変わりはない。
神の存在について触れた。そのような意味での神の存在には 確信を懐いて世の中を観ている。 ところが極めて奇妙、不思議なことが感じられる。それは数学の存在である。数学とは何かについて深く論じたが、――
No.81, May 2012(pdf 432kb)
数学は、美しく、完全で、時間にも、エルギーにも よらない 永遠の存在 である。 どうしてそのように美しい世界が存在するのか不思議で 不思議でしかたがない。 誰がそのような世界を創ったのか と問えば、神の創られたもの と考えざるを得ないのではないだろうか。 そのような意味で 数学とは神学であり、数学の研究とは 神との対話を求めていると言える。 しかしながら、実は 人間の存在 とは そのようなものであると言える。 ―― 人の生きるは 真智への愛 にある。 真智とは 神の意志のことである。
以 上

2018.10.27.13:32 一気に独りでに書いてしまった。
2018.10.27.14:20
2018.10.27.19:16
2018.10.27.20:27
2018.10.28.06:29 最後の節、独りでに加える。
2018.10.28.13:09 美しい日になる。買い物、大道芸を拝見した。素晴らしい。論文の最終稿を精読している、わくわくしている。堪らなく楽しい。
2018.10.28.14:23
2018.10.28.17:27 良い。
2018.10.28.20:42
2018.10.29.05:13 良い、多くの人が教会に通っている情景を述べるべきだった。それは頼りであり、確認である。修行ともいえる。
2018.10.29.05:28 一応完成、良い。公表。いろいろ関係構想が湧く。

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