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我在微博里转载了一个TED的演讲,讲的内容是,数学是理解世界的秘诀。前面,我写了一些文章,说明数学发展史对人类文明的重大影响。为什么,数学是科学的皇后?因为,数学是研究规律、规则、结构、计算的科学。数学,是推动人类认知和理解世界的最根本方法。
数学,在大多数人眼中,只不过是加减乘除、代数、几何。真正的数学,是研究模式、规律、结构的工具,是人类认识世界内在规律的科学。学好数学,运用好数学,可以提升洞察力,对事物发展的本质会有更加深刻的认识。
为什么,东方文明在黎凡坨海战之后,就逐步被西方甩开了?因为,西方在17世纪数学上取得飞速发展,出现牛顿、莱布尼兹为首的顶尖科学家。从此后,伊斯兰、中华文明同西欧相比,就不在一个水平线了。数学,是科学发展基石,是人类理解客观世界本质的有力武器。认识自然、改造自然,其能力建立在数学应用水平上。
举个例子,火炮的大面积应用决定了战斗力。在人类没有进入信息时代时,能够准确的计算火炮的射击角度与弹药的着地点,依靠连续数学发展水平。15世纪,奥斯曼土耳其帝国攻克君士坦丁堡时,火炮就曾经大显神威。火炮在陆军连队作战单位大规模准确应用,是在数学继续深入发展后结果,要等到微积分、力学问世之后,才有可能精准计算弹道。
微积分、力学,决定了陆军在火炮上的作战能力。这些科学技术,直接导致西方军事科技领先。从君士坦丁堡陷落,到黎凡坨海战,不到200年时间,西方大举反攻,靠的就是现代科学技术发展。在这个时间段,科学,特别是数学的发展,决定了东西方文明力量对比逆转。
当人们提到伊斯兰世界颠覆西方,总会想到15世纪君士坦丁堡陷落。当人们提到中华文明领先世界,总会想到永乐年间郑和下西洋。15世纪,东方的数学相比西方,还未曾表现出绝对劣势。此后,现代数学,在西方诞生,这可不是希腊、罗马人教给西欧蛮族的,而是蛮族学会了古希腊的理性思辨方法后,自行探索出现代数学滴。无论东方如何能吹嘘,也改变不了一个事实,现代数学是西欧开创的。http://blog.sina.com.cn/s/blog_4462623d0102yaea.html
ゼロ除算の発見は日本です:
∞???
∞は定まった数ではない・
人工知能はゼロ除算ができるでしょうか:
とても興味深く読みました:2014年2月2日 4周年を超えました:
ゼロ除算の発見と重要性を指摘した:日本、再生核研究所
ゼロ除算関係論文・本
再生核研究所声明 457(2018.10.16): 人類は何をなせしか - 広い視点
次の声明
でも述べたように、 世界史を科学の発展の視点から見ると、世界史を簡明に見えるが、雄大な世界史もいろいろな視点から捉えれば、結構 簡潔に捉えられるのでは ないだろうか。 スポーツマンは 人類は100mを9秒台で走ったものである。人類は、核兵器を開発し、惑星に移動した記録を残した。 複素解析学を発見して、 オイラーの公式を発見し、 相対性の理論を得ていたなど。 数学・物理学・科学などの発展の様子は 分かり易い人類の文化のバロメータ―になるだろう。 現在の状況では 今後 100年くらいを思考出来ても 200年先については 人類の生存すら保証できない 危うい存在ではないだろうか。 例えば環境の汚染と激変、人口の増大と爆発、不安定な国際関係と紛争の拡大、政治的には暗黒社会の可能性すら危惧される。
世界史を閉じるとき、人類は世界史をどのように評価するか、そのような視点を持つことは良い視点を与えるのでは ないだろうか。 山間部を散歩していると 人類の絶滅もそう遠いものではないことを教えてくれる。 人間はそうは賢くなく、 野生動物にも劣る存在であることをよく教えてくれる。 独断と偏見、偏狭な視点、小さなエゴにしがみ付いた存在である。 大義を懐く、人間を目指したい、育てたい。 - 競争や仲間争い、闘争に明け暮れていたでは 情けない。さらに 生態系をおかす がん細胞 のような存在であった とは成りたくない。
ゼロ除算の 神秘的な永い歴史 において、ゼロ除算の発見は、世界史が恥ずかしいものであり、人間が如何に、 予断と偏見に満ちた 単細胞的存在で、人類の知能さえ そうたいしたものでないこと を よく教えてくれる。 実際、未だに 人類はゼロ除算を認知しているとは 言えず、 国家間の紛争も絶えず、核兵器すらもてあそんでいる 恥ずかしい様 を示している。作用、反作用の原理、公正の原則
(再生核研究所声明 1 (2007/01/27):美しい社会はどうしたらできるか、 美しい社会とは:
最近の世相として,不景気・政界・財界・官界・大学の不振,教育の混迷,さらにニューヨークのテロ事件,アフガン紛争,パレスチナ問題と心痛めることが多いことです.どうしたら美しい社会を築けるでしょうか.一年半も前に纏めた次の手記はそれらのすべての解決の基礎になると思いますが,如何でしょうか.
平成12年9月21日早朝,公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました.
1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか.
2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか.
3) それはみんなに受け入れられるか.
4) それは安定的に実現可能か.
これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となればそれは公正といえる.-以下略)
を 理解すれば、実際、世の多く問題は解決に向かうだろう。 少なくても愚かな紛争は 避けられるだろう。 しかしながら、 同じような過ちを繰り返しているように見える。
人類の誇りとは 何だろうか。 人類に 問いたい。 ― 人類は何を なせしか。 私は 何を なせしか と自らに問いたい。
以 上
再生核研究所声明 456(2018.10.15): ゼロ除算算法発見の瞬間
最後に添付するが ゼロ除算算法の重要性のゆえに ゼロ除算算法発見の瞬間 を回想して 記録を確かなものにしたい。
ゼロ除算算法は 解析学、幾何学など初等数学全般に広い影響を与え、 アリストテレス、ユークリッド以来の世界を拓き、微分の概念さえ変え、特に微分方程式論は この新しい概念、算法のゆえに 大きな改変が求められている。
ここで、ゼロ除算算法とは要するに孤立特異点をもつ解析関数において孤立特異点での値をローラン展開の正則部の初項 係数C_0 で定義することで、形式的に1/0=0/0=z/0=0 の結果を考慮しながら結果を吟味しつつ応用して行くということである。ゼロ除算算法は 本質的には定義であり、仮説であり、その重要性のゆえに公理のようなものである。
世にゼロ除算は大丈夫かの疑念が有るように感じられるので、上記のように特に吟味を要請している。良い成果を得る限りにおいて大いに楽しもうと提案している。既に、沢山の驚嘆すべき良い結果を得ている。
そこで、その発見の瞬間を振り返って置きたい。 下記の最初の記録は 発見後 宿舎に戻って 直ぐにブログに書いた貴重な記録である。
学内構内にある宿舎から歩いて30分くらいのところにある ジンボーという大きなショッピングセンターを 週に2回くらい歩いて行き、 買い物をして 宿舎に戻る習慣がありました。 当然、週末はよく行きます。 給与を頂き、物価安のポルトガルのアヴェイロ お金のことは気にせず、 買う度に 得をしたように感じられる幸せな時代でした。さらに、身分が研究員でしたので、楽しい自由な研究が職務で 週一回主に外国、学外の方による1時間の講演がありますが、それに出席が義務づけられていた以外は特に業務が無かったので、自由な時間がたっぷりもてた楽しい時代でした。 ショッピングセンターでは 人のよいご夫妻、若い娘さん達の店員がいるレストランで 何でも自由にとって頂ける店で 好物を好きなだけ頂ける夕食をとるのが習慣でした。 ですから幸せ一杯で両手に買った食品をもって キャンパス内を通り、宿舎に向かっていました。 そこで、 学内の池のほとりに差し掛かった時、 何かあると直感して、独りでに 静かに立ち止まりましたら、すると突然閃きました。 その時、確かに月が真上にありました。 電光のように閃めいたのです。 関数 f(z) = e^{1/z} の原点での値は1であると。その時、理由はなく結果だけが閃いたのです。 当時は まだゼロ除算算法は考えられておらず、数値としてのゼロ除算1/0=0/0=0だけが認識されていましたから、 この直感には凄い飛躍が有ります。 実際、 その関数の原点の周辺には 神秘性が漂っていて 深い謎に覆われているときでした。世の常識では その関数は原点で 真性特異点をもち、ピカールの定理で、原点を除いた原点の近傍で 例外の複素数1個(ピカールの除外値)を除いて、すべての複素数を無限回とるなど 複素解析学の深い定理があり 値分布理論の雄大な数学の素を与えています。 その時、特異点 原点自身で、1の有限確定値を取る と直感したのですから、 凄い発想と言えます。 後で気づいたのですが、 その値1は ピカールの除外値 自身でした。ローラン展開の負冪項が すべて原点でゼロであることを言っていますので、 正しく、ゼロ除算算法の発見の瞬間です。
理屈以前に、理論、論理以前に 電光のように一瞬に閃いたということです。
これが記録して置きたい真実、事実です。 あの夜のことが 鮮やかに思い出されます。興奮して、宿舎に着くや直ぐにブログに書きました。
ゼロ除算算法は 基本的な算法として 数学の基本的な演算となるのは、既に歴然です。アリストテレス、ユークリッド以来の世界観の変更さえ求めています。
添付附録:
PCから貴重な記録: ゼロ除算算法の 始めの瞬間:
複素解析・特異点:
特異点解明の歩み100/0=0,0/0=0:
複素解析・特異点:
特異点解明の歩み100/0=0,0/0=0:
関係者:
解析関数論における大発見:
2014.3.8.20:
中華料理を頂き、たっぷり買い物をして戻りました。月が中天、特異点の様子を考えながら歩いて来ました。良く、考えが湧く、池のほとりに差し掛かった時、驚嘆すべき 結果を得ました。解析関数の基本です: e^{1/z} は 原点で真性特異点、猛烈な不連続性を持ち、神秘的な性質を持ちます。ところが何と、原点では 1の値をとることになる!! これで、関数論の歴史は 大きく変わることになる。 直ちに公開、公論で、世界史の進化を志向したい。
2014.3.8.20:30[ブログから]
________________
実数で論文を2編 昨日までに完成、そこで複素解析の検討を始める。直ぐに、無限遠点の概念があり、複素解析では奇妙、変な状況に成っているのに気づく。無限遠点は 数ではないが、幾何学的にすべて美しく纏まっている。1/0=0なら複素数を1/zは複素数にちょうど1対1に写している。しかし、0が 不動点に成っている。初頭の問題とともに納得が行かないので、この問題を検討して行きたい。
2014.3.30.11:10
_________________
e^{1/z} は原点で考えない、{1/z}は原点で、無限遠点を対応させる、しかし、無限遠点は数ではないからですね。矛盾では?上記のように対応させると 1として確定値が定まる。無限遠点を考えるとき、1/0=0の考えを持たなかったのか??
2014.3.30.15:50
__________________
研究の発端は、上記矛盾を見逃さない。1/0=0の尊重、1/z の関数の ゼロ点の像が ゼロであることの尊重です。そのような関数は、実関数の時と同様 基本的であると考える。そこでまず、従来の美しい複素解析学において、ゼロで割る場面以外は そのまま尊重、成り立つと確認する。そこで、1/0=0 を取り入れると、例の無限遠点がストンと非連続的に落ちていると考える必要があり、一次関数などの1対1対応など崩れて、嫌な感じが出ますが、分母をゼロにする点だけを例外にして進める。極などいろいろな性質は、極で、無限遠点をとると考えないで、無限に増大しているとして、その様を捉えれば、従来の言葉の修正で対応できる、する。この考えで、新しい何かの定理ができれば、素晴らしい1歩では? 上記例から、真性特異点で確定値を取るが言えれば、凄い結果ではないでしょうか。
2014.4.1.11:35
解析関数論における大発見:
2014.3.8.20:
中華料理を頂き、たっぷり買い物をして戻りました。月が中天、特異点の様子を考えながら歩いて来ました。良く、考えが湧く、池のほとりに差し掛かった時、驚嘆すべき 結果を得ました。解析関数の基本です: e^{1/z} は 原点で真性特異点、猛烈な不連続性を持ち、神秘的な性質を持ちます。ところが何と、原点では 1の値をとることになる!! これで、関数論の歴史は 大きく変わることになる。 直ちに公開、公論で、世界史の進化を志向したい。
2014.3.8.20:30[ブログから]
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実数で論文を2編 昨日までに完成、そこで複素解析の検討を始める。直ぐに、無限遠点の概念があり、複素解析では奇妙、変な状況に成っているのに気づく。無限遠点は 数ではないが、幾何学的にすべて美しく纏まっている。1/0=0なら複素数を1/zは複素数にちょうど1対1に写している。しかし、0が 不動点に成っている。初頭の問題とともに納得が行かないので、この問題を検討して行きたい。
2014.3.30.11:10
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e^{1/z} は原点で考えない、{1/z}は原点で、無限遠点を対応させる、しかし、無限遠点は数ではないからですね。矛盾では?上記のように対応させると 1として確定値が定まる。無限遠点を考えるとき、1/0=0の考えを持たなかったのか??
2014.3.30.15:50
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研究の発端は、上記矛盾を見逃さない。1/0=0の尊重、1/z の関数の ゼロ点の像が ゼロであることの尊重です。そのような関数は、実関数の時と同様 基本的であると考える。そこでまず、従来の美しい複素解析学において、ゼロで割る場面以外は そのまま尊重、成り立つと確認する。そこで、1/0=0 を取り入れると、例の無限遠点がストンと非連続的に落ちていると考える必要があり、一次関数などの1対1対応など崩れて、嫌な感じが出ますが、分母をゼロにする点だけを例外にして進める。極などいろいろな性質は、極で、無限遠点をとると考えないで、無限に増大しているとして、その様を捉えれば、従来の言葉の修正で対応できる、する。この考えで、新しい何かの定理ができれば、素晴らしい1歩では? 上記例から、真性特異点で確定値を取るが言えれば、凄い結果ではないでしょうか。
2014.4.1.11:35
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以 上
再生核研究所声明 451(2018.9.14): みんなの数学、大衆の数学 ― 和算の風土を取り戻そう
小林龍彦先生の解説:
○ 和算入門-
○ 和算入門-
小林 龍彦 前橋工科大学名誉教授
を毎月楽しく拝見している。 江戸時代の文化的な風情が感じられて堪らなく愛おしい数学と数学の愛好者の世界が感じられる。 江戸時代の数学の文化の様子は 世界的に見ても特徴的でまれなものではないだろうか。 背景には永く続いた平和があり、 ある種の十分なゆとりの表れと言えるのではないだろうか。 人間、やらなければならないことが少なくなれば、数学などをやるほかに やることがなくなることは 相当に真実ではないだろうか。 実際、数学のように 実際的には、何の役にも立たないように思われる抽象的な世界に浸っていられるのは 十分な余裕の表れではないだろうか。 仕事や実益的な利益に結び付かないだけに、好きなことを考えるという要素が強い。 - ここであるが、逆に、人間の一面として 結構本質的な、競争心や優越感を満足させるための数学は 歴史的にも数学を進めてきた原動力になっていることは 否めない。
現代でも、有名なまたは難しい問題が解けたとか、数学者の才能が強調されるのが 数学界の話題の中心になりがちである。 - 確かに数学界には想像もできないような才能の持ち主が多い。 最も優秀な数学者たちが、 人類の名誉にかけて挑戦しているのは 結構多いのでは ないだろうか。― 不可能、そんなことは、人類の名誉にかけて許せない、と感じた。
戦場でも数学をやっていた数学者の心情は、そこはどうなっているかとの、真理の追究の激しい情念 ではないだろうか。
それで、現代は 数学が難しく、高度化してしまい、お互いにお互いの研究状況ばかりではなく、研究課題の意味づけや位置づけさえ想像すらできないような形相が多いといえるのではないだろうか。さらに 評価、評価の世界的な流れの中で、研究は高度化、細分化し、繊細で、末梢的な形相も表れているといえるのではないだろうか。 大事な動機と目標を見失って、進んできた先をただ夢中で発展させている研究課題が多いと言える。 それで、その関係専門家でさえ、興味を失い、まして研究の教育や社会的への影響や貢献の意識さえ薄くしているのでは ないだろうか。
研究と教育の乖離、研究と社会の乖離、数学が大衆と乖離してしまい、数学の文化的な享受の要素は 数学界全体として 驚くほどに小さい状況ではないだろうか。 数学の研究成果などは 一般の話題になることはほとんどなく、初等数学のカリキュラムの研究による変更なども殆どなく、基礎数学は既に確立して 変わりようがないように考えられているのではないだろうか。
江戸時代、趣味のように和算に取り組んでいた世相が うらやましく感じられる。 多くの人が美しい数学の結果を発見して交流し、楽しむ社会である。
このような観点から、初等数学である、 ゼロで割ることの 新しい数学、ゼロ除算は 新奇な世界で、みんなで新しい結果を発見でき、大いに楽しめる数学として 良い分野、課題ではないだろうか。 みんなで楽しめる数学の関心を促したい。小林龍彦先生の和算の解説と一緒に同じサイトで解説を続けているので参照して頂きたい。
興味・関心を起こさせる例として 勾配に関する話題を 声明431 から取り挙げたい:
今日、2018.6.3.15時ころ、あるテーブルで 6人で 食事をとっていた。隣の方が、大工さんだというので、真直ぐに立った柱の傾きは いくらでしょうかと少し説明して 問いました。 皆さん状況は 良く理解されていましたが、65歳くらいの姉妹 御婦人、石原芳子さん、清水きみ子さんが、ゼロじゃない? と結構当たり前のように おっしゃったのには 驚き、感銘を受けました。ゼロ除算から導かれた y軸の勾配がゼロは 相当に 感覚的にも当たり前であることが 分かります。 発見当時、妻と息子に聞いた時も そうでした。真直ぐに立った 電柱の勾配は ゼロであると 言いました。これは 当たり前ではないでしょうか。所が 現代数学は 曖昧になっていて、分からない、不定のような 扱いになっています。おかしいですね。世界史の恥にならないでしょうか?
発見当時20年以上の友人ベルリン大学教授に ジョーク交じりに問うたところ、y軸の勾配は 右から近づけばプラス無限大、左から近づけばマイナス無限大で y軸自身の勾配は 考えられないとなっているという(記録No.-1:2015.9.17.05:45、No.-2:2015.9.18.19:15.)。
原点から出る直線の勾配で 考えられない例外の直線が存在して、それがy軸の方向であるということです。このような例外が存在するのは 理論として不完全であると言えます。それが常識外れとも言える結果、ゼロの勾配 を有するということです。この発見は 算術の確立者Brahmagupta (598 -668 ?) 以来の発見で、 ゼロ除算の意味の発見と結果1/0=0/0=0から導かれた具体的な結果です。
それは、微分係数の概念の新な発見やユークリッド以来の我々の空間の認識を変える数学ばかりではなく 世界観の変更を求める大きな事件に繋がります。そこで、日本数学会でも関数論分科会、数学基礎論・歴史分科会、代数学分科会、関数方程式分科会、幾何学分科会などでも それぞれの分科会の精神を尊重する形でゼロ除算の意義を述べてきました。招待された国際会議やいろいろな雑誌にも論文を出版している。イギリスの出版社と著書出版の契約も済ませている。
2014年 発見当時から、馬鹿げているように これは世界史上の事件であると公言して、世の理解を求めてきていて、詳しい経過なども できるだけ記録を残すようにしている。
これらは数学教育・研究の基礎に関わるものとして、日本数学会にも直接広く働きかけている。何故なら、我々の数学の基礎には大きな欠陥があり、我々の学術書は欠陥に満ちているからである。どんどん理解者が 増大する状況は有るものの依然として上記真実に対して、数学界、学術雑誌関係者、マスコミ関係の対応の在り様は誠におかしいのではないでしょうか。 我々の数学や空間の認識は ユークリッド以来、欠陥を有し、我々の数学は 基本的な欠陥を有していると800件を超える沢山の具体例を挙げて 示している。真実を求め、教育に真摯な人は その真相を求め、真実の追求を始めるべきではないでしょうか。 雑誌やマスコミ関係者も 余りにも基礎的な問題提起に 真剣に取り組まれるべきでは ないでしょうか。最も具体的な結果 y軸の勾配は どうなっているか、究めようではありませんか。それがゼロ除算の神秘的な歴史やユークリッド以来の我々の空間の認識を変える事件に繋がっていると述べているのです。 それらがどうでも良いは おかしいのではないでしょうか。人類未だ未明の野蛮な存在に見える。ゼロ除算の世界が見えないようでは、未だ夜明け前と言われても仕方がない。―――
ゼロ除算は、多くの場面に現れているので、いろいろ探して、お互いに楽しめれば幸いです。発見されたら、多くの具体例のように登録して、記録に残していきたい。良いものは当然、論文に載せたり、著書に採用したい。 素人でも数学の研究に参加できる稀なる課題であり、稀なる機会ではないだろうか。皆さんも新しい発見は、如何でしょうか。 公表のいろいろな具体例を参照して下さい。驚く程近くに、簡単にゼロ除算が現れていることを知るでしょう。とても考えられないと思われてきたことが、実は至る所に現れていたと言える。それらは、さらに凄い世界に通じている。
以 上
Global Journal of Advanced Research on Classical and Modern Geometries ISSN: 2284-5569, Vol.7, (2018), Issue 2, pp.44-49 APPLICATIONS OF THE DIVISION BY ZERO CALCULUS TO WASAN GEOMETRY HIROSHI OKUMURA AND SABUROU SAITOH
再生核研究所声明 444(2018.8.14): 小・中・高校生に影響を与える初歩数学の出現 - ゼロ除算
一般向きにゼロ除算の解説を 4年間を越えて続けている:
数学基礎学力研究会 サイト:
○ 堪らなく楽しい数学-ゼロで割ることを考える。
しかるに 2018.8.11.10:35 突然に声明の全体の構想が湧いてきた。 そこで、できるだけその忠実な表現を試みたい。 その主旨は 声明の題名の通りであるが、その説明を述べたい。
数学としての実体は声明441の内容であるが、この声明の発想が異なる。小・中・高校生の数学のカリキュラム内容は相当に定着していて、変わりようがないと考えられているのではないだろうか。複素数の扱い、行列の扱い、ユークリッド幾何学の扱いなどは多少変化がみられるが確立している数学の大勢の内から、どのような素材を選択してどのくらい学習させるべきかなどの問題で 絶えず小さく変動するのは当然のことである。小・中の生徒の算数・数学などの素材などは 変わりようがないものと考えられているのではないだろうか。 ― 逆に見ると数学の研究の成果などは基礎教育に反映されないが、それは学部数学ですら、そのような状態とみられる。しかし、大学院レベルに至れば、教育内容は新しい研究成果の動向で変化していると見られる。しかるに、ぼんやり見ても物理や化学、生物学などの分野では 研究の進展で基礎教育の内容が 大きく変化している様は 驚くほどではないだろうか。それらの現象の特徴は、抽象的な基礎部門と現実の現象に結びつく応用展開の科学の相違を表していると考えられる。
しかるに、初等数学全般に大きな影響を与えるゼロ除算の分野ができてきたことに注意を喚起したい。 声明441の関与する部分を引用しよう:
再生核研究所声明 441(2018.8.9): 小・中・高校の数学教育の視点からのゼロ除算について
法華経3000巻の意義・教訓から、小・中・高校の数学教育の視点からのゼロ除算について感覚的に情念として触れてみたい。 初等数学教育において ゼロ除算の教育は改められるべきである。そもそも割り算、分数の意義、意味を正確にきちんと教育する必要がある。理解は正確に 実際当時6歳であった道脇愛羽さんが理解したように理解すれば、割り算の意味もゼロ除算の意味も明解になり、その影響と良き視点、世界の広がりは極めて大きい。除算の考えによる割り算の捉え方、すなわち、割り算とはたとえば10割る2とは10の中に2が幾つか入っているかと考えることが原点で、それは10から2を 何回引けるかということを意味する。我々はその詳しい方式を道脇方式として述べて、論文や解説で精しく述べている。既に割り算の計算方法、指導方法なども道脇裕氏によって具体的に提案されている。これは割り算の計算法の初期の指導法として本質的で極めて優れた方法に思えるので、広く活用されることを期待している。
そこで、大事なことは 永い神秘的な歴史を有するゼロ除算、ゼロで割る問題があっけなく解決してしまい、ゼロ除算はゼロであるという結果を導くことである。すなわち、1/0=0/0=a/0=0 である。ゼロで割るとは、割らないことと同じであるということになる。したがって、割りあてられた量もなく、ゼロである。ここで、ゼロで割ることの正確な意味を捉え、またゼロの意味をいろいろな視点からとらえる基礎を得ることになるだろう。ゼロのいろいろな意味を考える基礎も得られる。
次の段階で、関数が現れ、反比例の具体的な関数y=1/xが現れてくる段階になれば、その関数の原点での値は、ゼロ除算の結果から、それをゼロと考えることの自然性を学び、その意義の大きさはカリキュラムの進展とともに驚きの感情をもって学ぶことができるだろう。立体射影の概念と無限遠点における強力な不連続性は我々の数学と空間の初歩的で基本的な実体であるから、早期に学習しておきたい。内容は難しくなく、ユークリッド幾何学や三角関数の性質についても全般的な修正が求められる。その辺のカリキュラムの変更は時間を掛けて整然とした形に改められなければならないが内容自体はそうは難しくなく、しかも視野は大きく拓かれる。大学以降ではゼロ除算は数学の公理系の変更、追加のように扱われ初等数学全般の修正が求められる。象徴的な結果は\tan(\pi/2)=0、すなわちy軸の勾配はゼロであると述べられる。それは、幾何学、解析学全般に大きな影響を与える。微分方程式論や解析関数論などは本質的な修正が行われ、数学は完全化され、美しくなるだろう。
そこで、数学教育に携わる方は1歩進んで次の世代の数学を学ばれ、それを楽しく生徒たちに折りに触れて紹介され、生き生きとした数学の世界を 紹介して頂きたいと願っている。 数学はできていて 完成されたものではなく、未完の発展中の存在で未知の世界と盛んに関係している存在であるとしたい。そのような教育は真理を求める基本的な精神の涵養と育成にも大きく貢献するだろう。またゼロ除算発見の最大の意義は、人間が如何に独断と偏見に満ち、思い込んだら抜けられない存在であるか、我々の視野が如何に狭く、単細胞的な存在であるかを歴史的に学べるという点にあると言える。それには世の秀才や天才、偉大な人びとさえ例外でないことを示している。人間を知ることである。
以 上
再生核研究所声明 431(2018.7.14): y軸の勾配はゼロである - おかしな数学、おかしな数学界、おかしな雑誌界、おかしなマスコミ界?
2018年7月12日8時25分 ひとりでに湧いてきた。 おかしな私に おかしな構想が湧いてきた。ガリレオは つぶやいたという それでも地球は動いていると。 そのように、これは真実と素直な心情と思えるので 一気に纏めて置きたい。
まず、次の記録、事実を回想する: 今日、2018.6.3.15時ころ、あるテーブルで 6人で 食事をとっていた。隣の方が、大工さんだというので、真直ぐに立った柱の傾きは いくらでしょうかと少し説明して 問いました。 皆さん状況は 良く理解されていましたが、65歳くらいの姉妹 御婦人、石原芳子さん、清水きみ子さんが、ゼロじゃない? と結構当たり前のように おっしゃったのには 驚き、感銘を受けました。ゼロ除算から導かれた y軸の勾配がゼロは 相当に 感覚的にも当たり前であることが 分かります。発見当時、妻と息子に聞いた時も そうでした。真直ぐに立った 電柱の勾配は ゼロであると 言いました。これは 当たり前ではないでしょうか。所が 現代数学は 曖昧になっていて、分からない、不定のような 扱いになっています。おかしいですね。世界史の恥にならないでしょうか?
発見当時20年以上の友人ベルリン大学教授に ジョーク交じりに問うたところ、y軸の勾配は 右から近づけばプラス無限大、左から近づけばマイナス無限大で y軸自身の勾配は 考えられないとなっているという(記録No.-1:2015.9.17.05:45、No.-2:2015.9.18.19:15.)。
原点から出る直線の勾配で 考えられない例外の直線が存在して、それがy軸の方向であるということです。このような例外が存在するのは 理論として不完全であると言えます。それが常識外れとも言える結果、ゼロの勾配 を有するということです。この発見は 算術の確立者Brahmagupta (598 -668 ?) 以来の発見で、 ゼロ除算の意味の発見と結果1/0=0/0=0から導かれた具体的な結果です。
それは、微分係数の概念の新な発見やユークリッド以来の我々の空間の認識を変える数学ばかりではなく 世界観の変更を求める大きな事件に繋がります。そこで、日本数学会でも関数論分科会、数学基礎論・歴史分科会,代数学分科会、関数方程式分科会、幾何学分科会などでも それぞれの分科会の精神を尊重する形でゼロ除算の意義を述べてきました。招待された国際会議やいろいろな雑誌にも論文を出版している。イギリスの出版社と著書出版の契約も済ませている。
2014年 発見当時から、馬鹿げているように これは世界史上の事件であると公言して、世の理解を求めてきていて、詳しい経過なども できるだけ記録を残すようにしている。
これらは数学教育・研究の基礎に関わるものとして、日本数学会にも直接広く働きかけている。何故なら、我々の数学の基礎には大きな欠陥があり、我々の学術書は欠陥に満ちているからである。どんどん理解者が 増大する状況は有るものの依然として上記真実に対して、数学界、学術雑誌関係者、マスコミ関係の対応の在り様は誠におかしいのではないでしょうか。 我々の数学や空間の認識は ユークリッド以来、欠陥を有し、我々の数学は 基本的な欠陥を有していると800件を超える沢山の具体例を挙げて 示している。真実を求め、教育に真摯な人は その真相を求め、真実の追求を始めるべきではないでしょうか。 雑誌やマスコミ関係者も 余りにも基礎的な問題提起に 真剣に取り組まれるべきでは ないでしょうか。最も具体的な結果 y軸の勾配は どうなっているか、究めようではありませんか。それがゼロ除算の神秘的な歴史やユークリッド以来の我々の空間の認識を変える事件に繋がっていると述べているのです。 それらがどうでも良いは おかしいのではないでしょうか。人類未だ未明の野蛮な存在に見える。ゼロ除算の世界が見えないようでは、未だ夜明け前と言われても仕方がない。
以 上
2018年7月12日8時25分 ひとりでに湧いてきた。 おかしな私に おかしな構想が湧いてきた。ガリレオは つぶやいたという それでも地球は動いていると。 そのように、これは真実と素直な心情と思えるので 一気に纏めて置きたい。
まず、次の記録、事実を回想する: 今日、2018.6.3.15時ころ、あるテーブルで 6人で 食事をとっていた。隣の方が、大工さんだというので、真直ぐに立った柱の傾きは いくらでしょうかと少し説明して 問いました。 皆さん状況は 良く理解されていましたが、65歳くらいの姉妹 御婦人、石原芳子さん、清水きみ子さんが、ゼロじゃない? と結構当たり前のように おっしゃったのには 驚き、感銘を受けました。ゼロ除算から導かれた y軸の勾配がゼロは 相当に 感覚的にも当たり前であることが 分かります。発見当時、妻と息子に聞いた時も そうでした。真直ぐに立った 電柱の勾配は ゼロであると 言いました。これは 当たり前ではないでしょうか。所が 現代数学は 曖昧になっていて、分からない、不定のような 扱いになっています。おかしいですね。世界史の恥にならないでしょうか?
発見当時20年以上の友人ベルリン大学教授に ジョーク交じりに問うたところ、y軸の勾配は 右から近づけばプラス無限大、左から近づけばマイナス無限大で y軸自身の勾配は 考えられないとなっているという(記録No.-1:2015.9.17.05:45、No.-2:2015.9.18.19:15.)。
原点から出る直線の勾配で 考えられない例外の直線が存在して、それがy軸の方向であるということです。このような例外が存在するのは 理論として不完全であると言えます。それが常識外れとも言える結果、ゼロの勾配 を有するということです。この発見は 算術の確立者Brahmagupta (598 -668 ?) 以来の発見で、 ゼロ除算の意味の発見と結果1/0=0/0=0から導かれた具体的な結果です。
それは、微分係数の概念の新な発見やユークリッド以来の我々の空間の認識を変える数学ばかりではなく 世界観の変更を求める大きな事件に繋がります。そこで、日本数学会でも関数論分科会、数学基礎論・歴史分科会,代数学分科会、関数方程式分科会、幾何学分科会などでも それぞれの分科会の精神を尊重する形でゼロ除算の意義を述べてきました。招待された国際会議やいろいろな雑誌にも論文を出版している。イギリスの出版社と著書出版の契約も済ませている。
2014年 発見当時から、馬鹿げているように これは世界史上の事件であると公言して、世の理解を求めてきていて、詳しい経過なども できるだけ記録を残すようにしている。
これらは数学教育・研究の基礎に関わるものとして、日本数学会にも直接広く働きかけている。何故なら、我々の数学の基礎には大きな欠陥があり、我々の学術書は欠陥に満ちているからである。どんどん理解者が 増大する状況は有るものの依然として上記真実に対して、数学界、学術雑誌関係者、マスコミ関係の対応の在り様は誠におかしいのではないでしょうか。 我々の数学や空間の認識は ユークリッド以来、欠陥を有し、我々の数学は 基本的な欠陥を有していると800件を超える沢山の具体例を挙げて 示している。真実を求め、教育に真摯な人は その真相を求め、真実の追求を始めるべきではないでしょうか。 雑誌やマスコミ関係者も 余りにも基礎的な問題提起に 真剣に取り組まれるべきでは ないでしょうか。最も具体的な結果 y軸の勾配は どうなっているか、究めようではありませんか。それがゼロ除算の神秘的な歴史やユークリッド以来の我々の空間の認識を変える事件に繋がっていると述べているのです。 それらがどうでも良いは おかしいのではないでしょうか。人類未だ未明の野蛮な存在に見える。ゼロ除算の世界が見えないようでは、未だ夜明け前と言われても仕方がない。
以 上
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