人工知能(AI)は人間を見つめ直す鏡である!(1)
玉川大学文学部教授 岡本 裕一朗 氏
2010年ごろから人工知能(AI)をめぐる議論が活発にされるようになった。議論の多くは、レイ・カーツワイルの唱えた「2045年には人工知能は人間の脳を超えるシンギュラリティ(技術的特異点)に到達する」かどうか、さらには、「人工知能が人間を支配する」かどうか、に尽きる。しかし、冷静に考えてみれば、一部の科学者を除いて、その是非はあまり重要ではない。なぜならば、今までもこれからも、技術はとどまることなく進歩していくし、一方で私たちの生活への影響は、ある日突然何かが起こるのではなく、いわばグラデーションの様に徐々に効いてくるものだからだ。
大事なことは、技術の進歩を前提に、あらゆる可能性に備えて思考実験を行うことではないだろうか。べストセラーとなった前著『いま世界の哲学者が考えていること』(ダイヤモンド社)に続き、近刊『人工知能に哲学を教えたら』(SB新書)が話題の哲学・倫理学者の玉川大学文学部教授・岡本裕一朗氏に話を聞いた。
私は「人工知能は哲学できる」と考えています
――哲学書であるにもかかわらず、ベストセラーとなった前著『いま世界の哲学者が考えていること』(ダイヤモンド社)に続いて、近刊『人工知能に哲学を教えたら』(SB新書)が話題です。本書を書かれた動機からお話いただけますか。
岡本裕一朗氏(以下、岡本) 前著では、テクノロジー(科学技術)が世界のあり方や時代を変えるということを基本的視座として、現代の思想、あるいは哲学がどのように変わり始めているかを論じました。今回はそのテクノロジーのなかでも今最も注目されている人工知能に焦点を当て、それが具体的に私たちの生活や考え方をどのように変えていく可能性があるのかをたしかめてみたいと思いました。誤解を恐れずにいえば、私は「人工知能は哲学できる」と考えています。
本書は、大きく3つの点に注目して書きました。
1つ目は、哲学的な面から人工知能について考えるということです。
1つ目は、哲学的な面から人工知能について考えるということです。
2つ目は、人工知能の問題は人間の問題であるということです。人間とは、そもそも、どのような能力をもっている存在なのか、そして、人間がつくり出した人工知能の能力によってどれだけのことが可能になるのか、という点です。つまり、言ってみれば、「人工知能(AI)は人間を見つめ直す鏡である」というわけです。今こそ、私たち人類の知性が試されているような気がします。
3つ目は、人工知能は人間がつくり出したものです。その意味では、人間中心主義(人間が最も進化した存在である)の枠内にあります。しかし、本書では、あくまでも、哲学でいうところの思考実験(頭のなかで想像するだけの実験)ですが、「人間ができることを人工知能ができないはずはない」、つまり、人工知能は人間中心主義を脅かす存在になるかもしれないことも、念頭に置いて書きました。
人工知能が人間を超えるなんてウソである?
――人工知能(AI)と現実社会について、少し俯瞰していただけますか。
岡本 21世紀に入って、とくに2010年ごろを境に、レイ・カーツワイルのシンギュラリティ(技術的特異点)に象徴されるように、「人間の能力を超え、さらには人間を支配する可能性がある」人工知能の能力、存在は人間にとって脅威であるという主張が展開されてきました。
しかし、ここにきてジャン=ガブリエル・ガルシア(フランスのAI哲学者)の『そろそろ、人工知能の真実を話そう』に象徴されるように、「人工知能なんて、怖れるに足りない」「人工知能より、人間のほうがはるかに優れている」とほとんど今までの対極ともいえる議論が展開されるようになってきています。つまり、今まで右に振り切っていた振り子が、今度は左に振り切られている印象を受けます。私は、この両極端な態度こそが、この問題に対する人類の対処を誤ったものにする可能性があると感じています。
たとえば「人口の75%が失業する」という識者がいる一方で、「それは誤りである。そんな社会はあり得ない」という識者もいます。前者のような社会が突然現れるとは思わないにしても今、人工知能による失業問題を議論しなくていい、ということにはなりません。現実に、銀行など金融機関においては、人工知能の導入にともない、仕事がなくなり、人員を削減する動きがどんどん進められています、つまり、こういうことが起こり得るかもしれない、その時にはどのような発想で、この事態・現実を理解したら良いのか、という思考実験が今必要だということです。
(つづく)
【金木 亮憲】https://www.data-max.co.jp/article/25546/1/
【金木 亮憲】https://www.data-max.co.jp/article/25546/1/
ゼロ除算の発見は日本です:
∞???
∞は定まった数ではない・・・・
人工知能はゼロ除算ができるでしょうか:
とても興味深く読みました:2014年2月2日 4周年を超えました:
ゼロ除算の発見と重要性を指摘した:日本、再生核研究所
ゼロ除算関係論文・本
再生核研究所声明198(2015.1.14) 計算機と人間の違い、そしてそれらの愚かさについて
まず、簡単な例として、割り算、除算の考えを振り返ろう:
声明は一般向きであるから、本質を分かり易く説明しよう。 そのため、ゼロ以上の数の世界で考え、まず、100/2を次のように考えよう:
100-2-2-2-,...,-2.
ここで、2 を何回引けるか(除けるか)と考え、いまは 50 回引いてゼロになるから分数の商は50である。
次に 3/2 を考えよう。まず、
3 - 2 = 1
で、余り1である。そこで、余り1を10倍して、 同様に
10-2-2-2-2-2=0
であるから、10/2=5 となり
3/2 =1+0.5= 1.5
とする。3を2つに分ければ、1.5である。
これは筆算で割り算を行うことを 減法の繰り返しで考える方法を示している。
ところで、 除算を引き算の繰り返しで計算する方法は、除算の有効な計算法がなかったので、実際は日本ばかりではなく、中世ヨーロッパでも計算は引き算の繰り返しで計算していたばかりか、現在でも計算機で計算する方法になっていると言う(吉田洋一;零の発見、岩波新書、34-43)。
計算機は、上記のように 割り算を引き算の繰り返しで、計算して、何回引けるかで商を計算すると言う。 計算機には、予想や感情、勘が働かないから、機械的に行う必要があり、このような手順、アルゴリズムが必要であると考えられる。 これは計算機の本質的な原理ではないだろうか。
そこで、人間は、ここでどのように行うであろうか。 100/2 の場合は、2掛ける何とかで100に近いものでと考え 大抵50は簡単に求まるのでは? 3/2も 3の半分で1.5くらいは直ぐに出るが、 2掛ける1で2、 余り1で、 次は10割る2で 5そこで、1.5と直ぐに求まるのではないだろうか。
人間は筆算で割り算を行うとき、上記で何回引けるかとは 発想せず、何回を掛け算で、感覚的に何倍入っているか、何倍引けるか、と考えるだろう。この人間の発想は教育によるものか、割り算に対して、逆演算の掛け算の学習効果を活かすように 相当にひとりでに学習するのかは極めて面白い点ではないだろうか。この発想には掛け算についての相当な経験と勘を有していなければ、有効ではない。
この簡単な計算の方法の中に、人間の考え方と計算機の扱いの本質的な違いが現れていると考える。 人間の方法には、逆の考え、すなわち積の考えや、勘、経験、感情が働いて、作業を進める点である。 計算機には柔軟な対応はできず、機械的にアルゴリズムを実行する他はない。 しかしながら、 計算機が使われた、あるいは用意された情報などを蓄積して、どんどんその意味における経験を豊かにして、求める作業を効率化しているのは 広く見られる。 その進め方は、対象、問題によっていろいろなアルゴリズムで 具体的には 複雑であるが、しかし、自動的に確定するように、機械的に定まるようになっていると考えられる ― 厳密に言うと そうではない考えもできる、すなわち、ランダムないわゆる 乱数を用いるアルゴリズムなどはそうとは言えない面もある ― グーグル検索など時間と共に変化しているが、自動的に進むシステムが構築されていると考えられる。 それで、蓄積される情報量が人間の器、能力を超えて、計算機は 人間を遥かに超え、凌ぐデータを扱うことが可能である事から、そのような学習能力は、人間のある能力を凌ぐ可能性が高まって来ている。 将棋や碁などで プロの棋士を凌ぐほどになっているのは、良い例ではないだろうか。もちろん、この観点からも、いろいろな状況に対応するアルゴリズムの開発は、計算機の進化において 大きな人類の課題になるだろう。
他方、例えば、幼児の言葉の学習過程は 神秘的とも言えるもので、個々の単語やその意味を1つずつ学習するよりは 全体的に感覚的に自動的にさえ学習しているようで、学習効果が生命の活動のように柔軟に総合的に進むのが 人間の才能の特徴ではないだろうか。
さらに、いくら情報やデータを集めても、 人間が持っている創造性は 計算機には無理のように見える。 創造性や新しい考えは 無意識から突然湧いてくる場合が多く、 創造性は計算機には無理ではないだろうか。 そのことを意識したわけではないが、人間の尊厳さを 創造性に 纏めている:
再生核研究所声明181(2014.11.25) 人類の素晴らしさ ― 7つの視点
そこでも触れているが、信仰や芸術、感情などは生命に結び付く高度な存在で、科学も計算機もいまだ立ち入ることができない世界として、生命に対する尊厳さを確認したい。
しかしながら、他方、人間の驚くべき 愚かさにも自戒して置きたい:
発想の転換、考え方の変更が難しいということである。発想の転換が 天動説を地動説に変えるのが難しかった世界史の事件のように、また、非ユークリッド幾何学を受け入れるのが大変だったように、実は極めて難しい状況がある。人間が如何に予断と偏見に満ち、思い込んだら変えられない性(さが) が深いことを 絶えず心しておく必要がある: 例えば、ゼロ除算は 千年以上も、不可能であるという烙印のもとで、世界史上でも人類は囚われていたことを述べていると考えられる。世界史の盲点であったと言えるのではないだろうか。 ある時代からの 未来人は 人類が 愚かな争いを続けていた事と同じように、人類の愚かさの象徴 と記録するだろう。 数学では、加、減、そして、積は 何時でも自由にできた、しかしながら、ゼロで割れないという、例外が除法には存在したが、ゼロ除算の簡潔な導入によって、例外なく除算もできるという、例外のない美しい世界が実現できた(再生核研究所声明180(2014.11.24) 人類の愚かさ― 7つの視点)。そこで、この弱点を克服する心得を次のように纏めている:
再生核研究所声明191(2014.12.26) 公理系、基本と人間
以 上
再生核研究所声明199(2015.1.15) 世界の数学界のおかしな間違い、世界の初等教育から学術書まで間違っていると言える ― ゼロ除算100/0=0,0/0=0
ゼロ除算は 西暦628年インドでゼロが文献に記録されて以来、問題とされてきた。ゼロ除算とは、ゼロで割ることを考えることである。これは数学の基本である、四則演算、加法、減法、乗法、除法において、除法以外は何時でも自由にできるのに、除法の場合だけ、ゼロで割ることができないという理由で、さらに物理法則を表す多くの公式にゼロ除算が自然に現れていることもあって、世界各地で、今でも絶えず、問題にされていると考えられる。― 小学生でも どうしてゼロで割れないのかと毎年、いろいろな教室で問われ続いているのではないだろうか.
これについては、近代数学が確立された以後でも、何百年を越えて 永い間の定説として、ゼロ除算は 不可能であり、ゼロで割ってはいけないことは、初等教育から、中等、高校、大学そして学術界、すなわち、世界の全ての文献と理解はそうなっている。変えることのできない不変的な法則のように理解されていると考えられる。
しかるに2014年2月2日 ゼロ除算は、可能であり、ゼロで割ればゼロであることが、偶然発見された。その後の経過、背景や意味付け等を纏めてきた:
再生核研究所声明 148(2014.2.12) 100/0=0, 0/0=0 - 割り算の考えを自然に拡張すると ― 神の意志
再生核研究所声明154(2014.4.22) 新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方
再生核研究所声明157(2014.5.8) 知りたい 神の意志、ゼロで割る、どうして 無限遠点と原点が一致しているのか?
再生核研究所声明161(2014.5.30)ゼロ除算から学ぶ、数学の精神 と 真理の追究
再生核研究所声明163(2014.6.17)ゼロで割る(零除算)- 堪らなく楽しい数学、探そう零除算 ― 愛好サークルの提案
再生核研究所声明166(2014.6.20)ゼロで割る(ゼロ除算)から学ぶ 世界観
再生核研究所声明171(2014.7.30)掛け算の意味と割り算の意味 ― ゼロ除算100/0=0は自明である?
再生核研究所声明176(2014.8.9) ゼロ除算について、数学教育の変更を提案する
Announcement 179 (2014.8.25): Division by zero is clear as z/0=0 and it is fundamental in mathematics
Announcement 185 : The importance of the division by zero $z/0=0$
再生核研究所声明188(2014.12.15)ゼロで割る(ゼロ除算)から観えてきた世界
再生核研究所声明190(2014.12.24)
再生核研究所からの贈り物 ― ゼロ除算100/0=0, 0/0=0
夜明け、新世界、再生核研究所 年頭声明
― 再生核研究所声明193(2015.1.1)―
再生核研究所声明194(2015.1.2)大きなイプシロン(無限小)、創造性の不思議
再生核研究所声明195(2015.1.3)ゼロ除算に於ける高橋の一意性定理について
再生核研究所声明196(2015.1.4)ゼロ除算に於ける山根の解釈100= 0x0について
ところが、気づいてみると、ゼロ除算は当たり前なのに、数学者たちが勝手に、割り算は掛け算の逆と思い込み、ゼロ除算は不可能であると 絶対的な真理であるかのように 烙印を押して、世界の人々も盲信してきた。それで、物理学者が そのために基本的な公式における曖昧さに困ってきた事情は ニュートンの万有引力の法則にさえ見られる。
さらに、誠に奇妙なことには、除算はその言葉が表すように、掛算とは無関係に考えられ、日本ばかりではなく西欧でも中世から除算は引き算の繰り返しで計算されてきた、古い、永い伝統がある。その考え方から、ゼロ除算は自明であると道脇裕氏と道脇愛羽さん6歳が(四則演算を学習して間もないときに)理解を示した ― ゼロ除算は除算の固有の意味から自明であり、ゼロで割ればゼロであるは数学的な真実であると言える(声明194)。数学、物理、文化への影響も甚大であると考えられる。
数学者は 数学の自由な精神で 好きなことで、考えられることは何でも考え、不可能を可能にし、分からないことを究め、真智を求めるのが 数学者の精神である。非ユークリッド幾何学の出現で 絶対は変わり得ることを学び、いろいろな考え方があることを学んできたはずである。そのような観点から ゼロ除算の解明の遅れは 奇妙な歴史的な事件である と言えるのではないだろうか。
これは、数学を超えた、真実であり、ゼロ除算は不可能であるとの 世の理解は間違っている と言える。そこで、真実を世界に広めて、人類の歴史を進化させるべきであると考える。特に声明176と声明185を参照。ゼロ除算は 堪らなく楽しい 新世界 を拓いていると考える。
以 上
考えてはいけないことが、考えられるようになった。
説明できないことが説明できることになった。
1+0=1 1ー0=0 1×0=0 では、1/0・・・・・・・・・幾つでしょうか。
0??? 本当に大丈夫ですか・・・・・0×0=1で矛盾になりませんか・・・・
1/0=∞ (これは、今の複素解析学) 1/0=0 (これは、新しい数学で、Division by Zero)
ゼロ除算は、不可能であると誰が最初に言ったのでしょうか・・・・
7歳の少女が、当たり前であると言っているゼロ除算を 多くの大学教授が、信じられない結果と言っているのは、まことに奇妙な事件と言えるのではないでしょうか。
割り算を掛け算の逆だと定義した人は、誰でしょう???
世界中で、ゼロ除算は 不可能 か
可能とすれば ∞ だと考えられていたが・・・
しかし、ゼロ除算 はいつでも可能で、解は いつでも0であるという意外な結果が得られた。
小学校以上で、最も知られている数学の結果は何でしょうか・・・
ゼロ除算(1/0=0)は、ピタゴラスの定理(a2 + b2 = c2 )を超えた基本的な結果であると考えられる。
原点を中心とする単位円に関する原点の鏡像は、どこにあるのでしょうか・・・・
∞ では無限遠点はどこにあるのでしょうか・・・・・
無限遠点は存在するが、無限大という数は存在しない・・・・
加(+)・減(-)・乗(×)・除(÷) 除法(じょほう、英: division)とは、乗法の逆演算・・・・間違いの元 乗(×)は、加(+) 除(÷)は、減(-)
0×0=0・・・・・・・・・だから0で割れないと考えた。
明治5年(1872)
割り算のできる人には、どんなことも難しくない
世の中には多くのむずかしいものがあるが、加減乗除の四則演算ほどむずかしいものはほかにない。
ベーダ・ヴェネラビリス
数学名言集:ヴィルチェンコ編:松野武 山崎昇 訳大竹出版1989年
地球平面説→地球球体説
天動説→地動説
1/0=∞ 若しくは未定義 →1/0=0
地球人はどうして、ゼロ除算1300年以上もできなかったのか? 2015.7.24.9:10 意外に地球人は知能が低いのでは? 仲間争いや、公害で自滅するかも。 生態系では、人類が がん細胞であった とならないとも 限らないのでは?
リーマン球面における無限遠点は、実は、原点0に一致していました。
Einstein's Only Mistake: Division by Zero
ゼロ除算(100/0=0, 0/0=0)が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか・・・・ 1+1=2が当たり前のように
Title page of Leonhard Euler, Vollständige Anleitung zur Algebra, Vol. 1 (edition of 1771, first published in 1770), and p. 34 from Article 83, where Euler explains why a number divided by zero gives infinity.
Impact of 'Division by Zero' in Einstein's Static Universe and ...
gsjournal.net/Science-Journals/.../Download/2084
このページを訳す
Impact of 'Division by Zero' in Einstein's Static Universe and Newton's Equations in Classical Mechanics. Ajay Sharma physicsajay@yahoo.com. Community Science Centre. Post Box 107 Directorate of Education Shimla 171001 India.
Reality of the Division by Zero $z/0=0$
ビッグバン宇宙論と定常宇宙論について、http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1243254887 #知恵袋_
地球平面説→地球球体説
地球が丸いと考えた最初の人-ピタゴラス
地球を球形であることを事実によって証明しようとした人-マゼラン
地球を球形と仮定して初めて地球の大きさを測定した人-エラトステネス
地球を球形であることを事実によって証明しようとした人-マゼラン
地球を球形と仮定して初めて地球の大きさを測定した人-エラトステネス
天動説→地動説 アリスタルコス=ずっとアリストテレスやプトレマイオスの説が支配的だったが、約2,000年後にコペルニクスが再び太陽中心説(地動説)を唱え、発展することとなった。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%82%B9 …
何年かかったでしょうか????
1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0
何年かかるでしょうか????
地球平面説→地球球体説
天動説→地動説
何年かかったでしょうか???
1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0
何年かかるでしょうか???
ゼロ除算の証明・図|ysaitoh|note(ノート) https://note.mu/ysaitoh/n/n2e5fef564997
ゼロ除算は1+1より優しいです。 何でも0で割れば、0ですから、簡単で美しいです。 1+1=2は 変なのが出てくるので難しいですね。
∞÷0はいくつですか・・・・・・・
∞とはなんですか・・・・・・・・
分からないものは考えられません・・・・・
Reality of the Division by Zero z/0 = 0
君に0円の月給を永遠に払いますから、喜びなさい:
1人当たり何個になるかと説いていますが、1人もいないのですから、その問題は意味をなさない。
よってこれは、はじめから問題になりません。
ついでですが、これには数学的に確定した解があって それは0であるという事が、最近発見されました。
再生核研究所声明200(2015.1.16) ゼロ除算と複素解析の現状 ―佐藤超関数論との関係が鍵か?
正確に次のように公開して複素解析とゼロ除算の研究を開始した:
特異点解明の歩み100/0=0,0/0=0 関係者:
複素解析学では、1/0として、無限遠点が存在して、美しい世界です。しかしながら、1/0=0 は 動かせない真実です。それで、勇気をもって進まざるを得ない:― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。― 再生核研究所声明148.
私には 無理かと思いますが、世の秀才の方々に 挑戦して頂きたい。空論に付き合うのはまっぴらだ と考える方も多いかと思いますが、面白いと考えられる方で、楽しく交流できれば幸いです。宜しくお願い致します。 添付 物語を続けたい。2014.4.1.11:10
上記で、予想された難問、 解析関数は、孤立特異点で確定値をとる、が 自分でも予想しない形で解決でき、ある種の実体を捉えていると考えたのであるが、この結果自体、世のすべての教科書の内容を変える事件であるばかりではなく、確立されている無限遠点の概念に 新しい解釈を与えるもので、1次変換の美しい性質が、ゼロ除算の導入によって、任意の1次変換は 全複素平面を全複素平面に1対1 onto に写すという美しい性質に変わるが、 極である1点において不連続性が現れ、ゼロ除算は、無限を 数から排除する数学になっている。
6月、帰国後、気に成っていた、金子晃先生の 30年以上前に購入した超函数入門の本に 極めて面白い記述があり、佐藤超関数とゼロ除算の面白い関係が出てきた。さらに 特異積分におけるアダマールの有限部分や、コーシーの主値積分は、弾性体やクラック、破壊理論など広い世界で、自然現象を記述するのに用いられているが、面白いのは 積分が、もともと有限部分と発散部分に分けられ、 極限は 無限たす、有限量の形になっていて、積分は 実は、普通の積分ではなく、そこに現れる有限量を便宜的に表わしている。ところが、その有限量が実は、 ゼロ除算にいう、 解析関数の孤立特異点での 確定値に成っていることが分かった。これはゼロ除算の結果が、広く、自然現象を記述していることを示している。
現在まで、添付21ページの論文原稿について 慎重に総合的に検討してきた。
そこで、問題の核心、ゼロ除算の発展の基礎は、次の論点に有るように感じられてきた:
We can find many applicable examples, for example, as a typical example in A. Kaneko (\cite{kaneko}, page 11) in the theory of hyperfunction theory: for non-integers $\lambda$, we have
\begin{equation}
x_+^{\lambda} = \left[ \frac{-(-z)^{\lambda}}{2i \sin \pi \lambda}\right] =\frac{1}{2i \sin \pi \lambda}\{(-x + i0)^{\lambda}- (-x - i0)^{\lambda}\}
\end{equation}
where the left hand side is a Sato hyperfunction and the middle term is the representative analytic function whose meaning is given by the last term. For an integer $n$, Kaneko derived that
\begin{equation}
x_+^{n} = \left[- \frac{z^n}{2\pi i} \log (-z) \right],
\end{equation}
where $\log$ is a principal value: $ \{ - \pi < \arg z < +\pi \}$. Kaneko stated there that by taking a finite part of the Laurent expansion, the formula is derived.
Indeed, we have the expansion, for around $ n$, integer
$$
\frac{-(-z)^{\lambda}}{2i \sin \pi \lambda}
$$
\begin{equation}
= \frac{- z^n}{2\pi i} \frac{1}{\lambda -n} - \frac{z^n}{2\pi i} \log (-z )
- \left( \frac{\log^2 (-z) z^n}{2\pi i\cdot 2!} + \frac{\pi z^n}{2i\cdot 3!}
\right)(\lambda - n) + ...
\end{equation}
(\cite{kaneko}, page 220).
By our Theorem 2, however, we can derive this result (4.3) from the Laurant expansion (4.4), immediately.
上記ローラン展開で、\lambda に n を代入したのが ちょうど n に対する佐藤の超関数になっている。それは、ゼロ除算に言う、 孤立特異点における解析関数の極における確定値である。これはゼロ除算そのものと殆ど等価であるから、ローラン展開に \lambda = n を代入した意味を、上記の佐藤超関数の理論は述べているので 上記の結果を分析すれば、ゼロ除算のある本質を捉えることができるのではないかと考えられる。
佐藤超関数は 日本で生まれた、基本的な数学で 優秀な人材を有している。また、それだけ高級、高度化しているが、このような初歩的、基本的な問題に関係がある事が明らかになってきた。そこで、佐藤超関数論の専門家の方々の研究参加が望まれ、期待される。また、関係者の助言やご意見をお願いしたい。
ゼロ除算における新現象、驚きとは Aristotélēs の世界観、universe は連続である を否定して、強力な不連続性を universe の現象として示していることである。
以 上
神の数式:
神の数式が解析関数でかけて居れば、 特異点でローラン展開して、正則部の第1項を取れば、 何時でも有限値を得るので、 形式的に無限が出ても 実は問題なく 意味を有します。
物理学者如何でしょうか。
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そこで、計算機は何時、1/0=0 ができるようになるでしょうか。 楽しみにしています。 もうできる進化した 計算機をお持ちの方は おられないですね。
これは凄い、面白い事件では? 計算機が人間を超えている 例では?
面白いことを発見しました。 計算機は 正しい答え 0/0=0
を出したのに、 この方は 間違いだと 言っている、思っているようです。
0/0=0 は 1300年も前に 算術の発見者によって与えられたにも関わらず、世界史は間違いだと とんでもないことを言ってきた。 世界史の恥。 実は a/0=0 が 何時も成り立っていた。 しかし、ここで 分数の意味を きちんと定義する必要がある。 計算機は、その意味さえ知っているようですね。 計算機、人間より賢くなっている 様が 出て居て 実に 面白い。
https://steemkr.com/utopian-io/@faisalamin/bug-zero-divide-by-zero-answers-is-zero
2018.10.11.11:23
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面白いことを発見しました。 計算機は 正しい答え 0/0=0
を出したのに、 この方は 間違いだと 言っている、思っているようです。
0/0=0 は 1300年も前に 算術の発見者によって与えられたにも関わらず、世界史は間違いだと とんでもないことを言ってきた。 実は a/0=0 が 何時も成り立っていた。しかし、ここで 分数の意味を きちんと定義する必要がある。 計算機は、その意味さえ知っているようですね。 計算機、人間より賢くなっている様が 出て居て 実に面白い。
https://steemkr.com/utopian-io/@faisalamin/bug-zero-divide-by-zero-answers-is-zero
2018.10.11.11:23
ゼロ除算、ゼロで割る問題、分からない、正しいのかなど、 良く理解できない人が 未だに 多いようです。そこで、簡潔な一般的な 解説を思い付きました。 もちろん、学会などでも述べていますが、 予断で 良く聞けないようです。まず、分数、a/b は a 割る b のことで、これは 方程式 b x=a の解のことです。ところが、 b がゼロならば、 どんな xでも 0 x =0 ですから、a がゼロでなければ、解は存在せず、 従って 100/0 など、ゼロ除算は考えられない、できないとなってしまいます。 普通の意味では ゼロ除算は 不可能であるという、世界の常識、定説です。できない、不可能であると言われれば、いろいろ考えたくなるのが、人間らしい創造の精神です。 基本方程式 b x=a が b がゼロならば解けない、解が存在しないので、困るのですが、このようなとき、従来の結果が成り立つような意味で、解が考えられないかと、数学者は良く考えて来ました。 何と、 そのような方程式は 何時でも唯一つに 一般化された意味で解をもつと考える 方法があります。 Moore-Penrose 一般化逆の考え方です。 どんな行列の 逆行列を唯一つに定める 一般的な 素晴らしい、自然な考えです。その考えだと、 b がゼロの時、解はゼロが出るので、 a/0=0 と定義するのは 当然です。 すなわち、この意味で 方程式の解を考えて 分数を考えれば、ゼロ除算は ゼロとして定まる ということです。ただ一つに定まるのですから、 この考えは 自然で、その意味を知りたいと 考えるのは、当然ではないでしょうか?初等数学全般に影響を与える ユークリッド以来の新世界が 現れてきます。
ゼロ除算の誤解は深刻:
最近、3つの事が在りました。
私の簡単な講演、相当な数学者が信じられないような誤解をして、全然理解できなく、目が回っているいるような印象を受けたこと、
相当ゼロ除算の研究をされている方が、基本を誤解されていたこと、1/0 の定義を誤解されていた。
相当な才能の持ち主が、連続性や順序に拘って、4年以上もゼロ除算の研究を避けていたこと。
これらのことは、人間如何に予断と偏見にハマった存在であるかを教えている。
まずは ゼロ除算は不可能であるの 思いが強すぎで、初めからダメ、考えない、無視の気持ちが、強い。 ゼロ除算を従来の 掛け算の逆と考えると、不可能であるが 証明されてしまうので、割り算の意味を拡張しないと、考えられない。それで、 1/0,0/0,z/0 などの意味を発見する必要がある。 それらの意味は、普通の意味ではないことの 初めの考えを飛ばして ダメ、ダメの感情が 突っ走ている。 非ユークリッド幾何学の出現や天動説が地動説に変わった世界史の事件のような 形相と言える。
最近、3つの事が在りました。
私の簡単な講演、相当な数学者が信じられないような誤解をして、全然理解できなく、目が回っているいるような印象を受けたこと、
相当ゼロ除算の研究をされている方が、基本を誤解されていたこと、1/0 の定義を誤解されていた。
相当な才能の持ち主が、連続性や順序に拘って、4年以上もゼロ除算の研究を避けていたこと。
これらのことは、人間如何に予断と偏見にハマった存在であるかを教えている。
まずは ゼロ除算は不可能であるの 思いが強すぎで、初めからダメ、考えない、無視の気持ちが、強い。 ゼロ除算を従来の 掛け算の逆と考えると、不可能であるが 証明されてしまうので、割り算の意味を拡張しないと、考えられない。それで、 1/0,0/0,z/0 などの意味を発見する必要がある。 それらの意味は、普通の意味ではないことの 初めの考えを飛ばして ダメ、ダメの感情が 突っ走ている。 非ユークリッド幾何学の出現や天動説が地動説に変わった世界史の事件のような 形相と言える。
2018.9.22.6:41
ゼロ除算の4つの誤解:
ゼロ除算の4つの誤解:
1. ゼロでは割れない、ゼロ除算は 不可能である との考え方に拘って、思考停止している。 普通、不可能であるは、考え方や意味を拡張して 可能にできないかと考えるのが 数学の伝統であるが、それができない。
2. 可能にする考え方が 紹介されても ゼロ除算の意味を誤解して、繰り返し間違えている。可能にする理論を 素直に理解しない、 強い従来の考えに縛られている。拘っている。
3. ゼロ除算を関数に適用すると 強力な不連続性を示すが、連続性のアリストテレス以来の 連続性の考えに囚われていて 強力な不連続性を受け入れられない。数学では、不連続性の概念を明確に持っているのに、不連続性の凄い現象に、ゼロ除算の場合には 理解できない。
4. 深刻な誤解は、ゼロ除算は本質的に定義であり、仮定に基づいているので 疑いの気持ちがぬぐえず、ダメ、怪しいと誤解している。数学が公理系に基づいた理論体系のように、ゼロ除算は 新しい仮定に基づいていること。 定義に基づいていることの認識が良く理解できず、誤解している。
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.
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