米ハーバード大学、入学審査でアジア系志願者に差別的な措置か…考察:東京医科大女子一律減点
東京医科大学が今年2月に行った医学部医学科の一般入試で、女子受験者の得点を一律に減点し合格者数を抑えていた問題が毎日のように報じられている。同大出身の女性医師が結婚や出産で離職すれば、系列病院の医師が不足する恐れがあることが背景にあったとされるが、大学入試で点数を異常に重んじる日本の入試制度にも問題があることを指摘する声は少ない。
医学部入試というと、かなり前の事件だが、アメリカで起きたバッキ訴訟が有名である。これは1974年、33歳の白人男性アラン・バッキが、カリフォルニア大学デービス校医学部を受験したが、2年連続で不合格になり、それに対して自分を不合格にしたのは逆差別であると訴えた。大学は100人の定員枠にうち16人をマイノリティ枠として設けていたため、白人よりも成績が悪いマイノリティが合格することがある。
最近では、ハーバード大学に対して起こされた訴訟がある。ハーバード大学の入学審査指針が、アジア系の入学志願者に対し、不当に不利な内容であると大学側が認識していたとして、証拠と共に訴状がマサチューセッツ州の連邦地方裁判所に提出されたのだ。
訴状を提出したのはStudents for Fair Admissionというアジア系アメリカ人の団体で、「ハーバード大学が優秀なアジア系志願者の入学を減らして白人、黒人、ヒスパニック系の志願者を優先して入学させている」という。この団体の主張によると、他の人種と比較してアジア系志願者は相対的に学業成績が高いにもかかわらず、ハーバード大学の指針はアジア系志願者を冷遇していることが明らかだという。
レガシー制度とは、ハーバード大学などアイビーリーグの大学に存在する制度で、卒業生の親族・子孫が優先的に入学できるシステムである。アイビーリーグでは新入生の10~15%がこれにあたるともいわれているが、実際に入学してみると、誰がその制度を使って入ったかはわからない。
たとえば、元米大統領のジョージ・W・ブッシュは、祖父も父親もイエール大学出身で、ブッシュ(Jr.)はイエール大学にレガシー制度を利用して入学したといわれている。日本でいえば、東京大学や京都大学に、成績が悪くても親がその大学の出身であれば優先的に入学できるようなものだ。私が留学したアイビーリーグのひとつ、コーネル大学でも同制度はあるといわれている。
この制度は100年ほど昔から続いているが、多様性を阻害しているという批判もある。白人や富裕層だけに有利な制度で、多くの大学がいまだに制度を維持しているためだ。しかしながら、成績だけで入学を決めることが大学にとっていいかどうかは意見が分かれる。
アメリカの大学入試は、SAT(共通テスト)の点数だけでは決まらない。満点でもアイビーリーグに不合格となることは珍しくない。面接では将来のビジョンを聞かれるが、日本の受験生によくあるような「この大学に行きたいから」という理由はまったく通用しない。将来のビジョンが魅力的でない場合、いくら成績がよくても落とされるのだ。ボランティア活動をどれだけ行ったかなど、課外活動も重視される。勉強だけできても合格できないため、いくら成績が良くても「課外活動が十分ではない」「リーダーシップが欠如している」という理由で、アジア系の学生が不合格になることもある。
その人物が将来、社会にどれだけ貢献できるか、ということも重視するので、医学部の場合、「結婚したら離職する」と面接で正直に言えば不合格になる可能性も出てくる。あるいは、面接官が、将来的に離職する可能性を感じたら不合格にするかもしれない。アメリカの大学入試のプロセスは長い。SATや高校の成績だけでは決まらない。推薦状もかなり重視される。日本の大学は、ある意味で怠惰である。点数だけで決める大学がほとんどだからだ。
アメリカでは、黒人、少数民族、女性など歴史的構造的に差別されてきた集団に対し、雇用、教育などで優遇する策として「アファーマティブアクション」という政策がある。これが、先述したバッキ訴訟のように、医学部の100人定員の中で16人をマイノリティにするというようなquota system(割当制度)をつくり出したのである。このために白人が逆差別を受けるケースが出てきていることは確かである。
アメリカの大学入試では、人種枠ごとに割当があり、アジア系は他人種以上に成績を上げることが必要となるといわれている。それは社会に出てからも同じである。同じ目的を達成するには、アジア系は白人の何十倍も努力しなければならない。また、アメリカは日本人が考える以上に男性社会であって、女性が男性と同じ目的を達成するには男性の何倍も努力しなければならない。
成績だけで決めることが公正であるという日本人の考え方は、アメリカでは通用しない。日本では2020年度から大学入試が変わるが、本当に社会に貢献できる人を育成するのが大学ではないだろうか。成績だけを基準にすると、明らかに医師に向いていない人が医師になることがある。
点数だけではなく、その人が本当に人を助けたいと思う純粋な気持ちがあるかどうかをもっと重視すべきではないだろうか。また、僻地に行きたがらない医師が増えているとの指摘もあるが、医師としては過疎地に進んでいく気持ちはすこぶる重要ではないだろうか。東京医大が女子受験者の点数を一律に下げていたことだけを取り上げると、誰もが許せない気持ちになるが、レガシー制度や人種別の割当が今でも存在するアメリカの入試制度から、日本の入試制度をみることも、考える糧になるのではないだろうか。
(文=大野和基/ジャーナリスト)http://news.nicovideo.jp/watch/nw3743507
(文=大野和基/ジャーナリスト)http://news.nicovideo.jp/watch/nw3743507
再生核研究所声明 440(2018.8.8): 東京医大入試問題についての印象について ー 特に女性の扱いについて
下記は、グーグルサイトの情報である:
https://news.yahoo.co.jp/byline/enokieisuke/20180803-00091774/- ついにパンドラの箱が開いた…報道によれば、東京医大が女子受験生を一律減点にするという、入試の信頼性を破壊する行為を行なっていたという。これを東京医大叩きに終わらせてはいけない。
https://news.yahoo.co.jp/byline/.../20180802-00091684/女子受験者を一律減点 東京医大、恣意的操作」ー 今朝の読売新聞が衝撃的なスクープを放った。女子であるという理由だけで減点とはいかがなものか、と反応したくなる。だが、待てよ。この報道を「事実」と鵜呑みにするのは早い。紙面上、 ...
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20180803-OYT1T50063.html東京医科大(東京)が医学部医学科の一般入試で女子受験者の得点を一律に減点していた問題を受け、加藤厚生労働相は3日の閣議後記者会見で「女性だからと不当に差別することはあってはならない」と述べた。 加藤厚労相は、国内の ...
https://www.bengo4.com › 医療 【弁護士ドットコム】東京医科大が2018年2月に実施した一般入試(医学部医学科)で、女子受験者の得点を一律で減らし、合格者の数を抑えていたことがわかったと報じられた(読売新聞、8月2日)。女子だけに不利な操作は、2011年ごろから ...
news.livedoor.com/article/detail/15107892/東京医科大の一般入試で、女子受験者の得点が一律で減点されていた問題。元女子受験生が法的責任を追及することはできるのか、弁護士に聞いている。意図的に情報を提供せずに受験者を集めた場合は、刑事事件の余地もあるそう.
西川史子、東京医科大の女子受験者一律減点に言及 「当たり前 ...東京医科大の入学試験で女子受験生の得点を一律減点していたとされる問題。医師の西川史子が5日の「サンデー・ジャポン」で、「当たり前です」と発言。できることが違うため、男女の比率は「考えていないといけない」と主張した.
blogos.com/article/315596/東京医科大学(東京都)が、医学部医学科の一般入試で、年度ごとに決めた係数を掛け、女子受験者の得点を一律減点し、女子の合格者数を抑えていたとみられることが、昨日2日、わかりました。女性は結婚や出産を機に職場を離れるケース ...
https://www.nikkei.com/.../DGXMZO3374703002082018EA200...東京医科大学が医学部の入学試験で女子受験生を一律減点し、合格者数を抑えていたことが2日、判明した。大学病院の医師を確保するため出産や育児で休職や離職する可能性のある女性医師を少なくする思惑があったと.
https://news.nifty.com › トレンド › 話題ニュースサイトしらべぇ)5日放送の『サンデージャポン』(TBS系)で、東京医科大学が女性受験者の点数を一律に減点していた問題について、西川史子が独自の見解を展開。その内容が物議を醸してい…
実情は明白でないが、このような問題に対する一般的な考え方を表明したい。その心は再生核研究所声明の精神に基づき より良い社会を築くために 少しでも貢献したいという存念にある。上記のように意見がおかしな方向で混乱しているようであるからである。 人間関係に関する世の問題を考える基本は 声明第一に述べられているように 公正の原則 にあると考える:
平成12年9月21日早朝,公正とは何かについて次のような考えがひらめいて目を覚ました.
1) 法律,規則,慣習,約束に合っているか.
2) 逆の立場に立ってみてそれは受け入れられるか.
3) それはみんなに受け入れられるか.
4) それは安定的に実現可能か.
これらの「公正の判定条件」の視点から一つの行為を確認して諒となればそれは公正といえる.
今回の問題の原点は まずは 大学の自治の問題にある と考える。これは法的にも国際的にも確立している大事な原則であることを確認したい。 権力のおかしな集中などの観点からも 大学に信頼を寄せて 大学自治の精神を高く掲げて 行きたい。もちろん、大学は社会の中の存在であるから、大学人はその自治を進めるためにも絶えず自戒して社会から多様な意見を求め、信頼される存在であるように努力して欲しい。今回の発端が入試の選抜と権力者側の私的な関係にあることは 歴然とした大学側の不祥事から起きているので、誠に残念なことと言わなければならない。そこは犯罪を構成する要素になるので、司法の問題として委ねることが 社会的には適当ではないだろうか。無責任な言動と憶測は避けたい。
それが契機に湧いてきた 上記のように女性の入試における差別などが問題になっているようである。入試採点の調整など意図的な操作が行われていたとされるが、その辺の事実は不明としても考え方について述べたい。 どのような学生を取りたいかは大学自治の大事な要素で、例えば女性の入学者数を3割に抑えたい等そのような原則は、尊重されるべきである。 特に私立大学では国立大学より入試の在り様などについては自由であり尊重されるべきである。
ただ 入試の学科試験の結果だけで合格者を決定する方が、複雑な医療関係の入試においては 単純すぎで、現状に合わない事態が十分に予想される。その辺の状況に直接関与している大学人の判断は大いに尊重されるべきである。世に女性差別などの批判がみられるが、それらは行き過ぎではないだろうか。ただ大学は、取りたい学生のイメージが入試を志願する学生にもある程度分かるようにして、志望の動機が、大学が求めている人材像とチグハグにならないように配慮することは 上記公正の原則からしても 大事ではないだろうか。
上記の話題は 結構単純で問題の、在るべき在りようは 簡単では ないだろうか。
如何であろうか。
上記に書かれていることはそれなりに道理と考えるが、その後、入試の実体でいわばおかしな入試状況が伝えられると大学自治の美しい理念も色あせてしまい、大学不信の気持ちが高まり、人々はうんざりで 憂鬱な気持ちにさせられてしまうのではないだろうか。
以 上
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