2018年8月8日水曜日

俳優の津川雅彦さん死去 78歳

俳優の津川雅彦さん死去 78歳

 
NHKの大河ドラマ「葵 徳川三代」や伊丹十三監督の作品など、テレビドラマや映画に数多く出演して存在感のある演技で活躍した、俳優の津川雅彦さんが亡くなりました。78歳でした。
京都市出身の津川雅彦さんは、芸能人一家の次男として生まれ、幼い頃から映画や舞台に出演してきました。

昭和31年には映画「狂った果実」で俳優として本格的にデビューし、石原裕次郎の弟で純真な少年の役をさわやかな二枚目として演じ、一躍、人気者になりました。

40代半ばで映画「マルサの女」をはじめとする伊丹十三監督の作品の常連となり、その後も、格調高い重厚な演技からユーモラスで個性的な役柄までこなす高い演技力で、長年にわたって多くの作品に出演してきました。

NHKの大河ドラマでは、平成12年に放送された「葵 徳川三代」で主演の徳川家康を演じたほか、「独眼竜政宗」や「八代将軍 吉宗」、「功名が辻」にも出演しました。

また、映画監督としても作品を手がけたり、北朝鮮による拉致問題の解決に向けた活動に熱心に取り組んだりしていました。

平成18年には紫綬褒章、平成26年には旭日小綬章を受章しています。

妻は女優の朝丘雪路さんで、朝丘さんが亡くなったことを受けてことし5月に取材に応じた際、津川さんは肺炎を患っていたということで、酸素を吸入するためのチューブを鼻につけて「あらゆることすべてに感謝しています」と朝丘さんへの思いを話していました。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180807/k10011568511000.html?utm_int=news_contents_news-main_003

拉致問題、北朝鮮問題も真面目に考えたいと思います。 安倍さんたちの考えはただ騒いでいるだけで、一つも解決にはならないのではないでしょうか。日本国政府が嘘をついたり、騙したりしていれば、それは重大だと思います。 神国日本のあるべき姿では無いと思います。日本国民の中には、先ず嫌な国だという感情が先にきてしまうのではないでしょうか。 それで、できれば付き合いたくない というのが、大方の気持ちではないでしょうか。 しかしそれでは、拉致問題は解決できず、アジアの緊張関係は弱まらず、日本は孤立化の方向にいってしまうと思います。 ただ騒いでいるだけになってしまいます。
さらに 不愉快な事は 歴史的な流れがあったとしても 戦前における日本国のおかした罪悪が、噴き出てくることです。 紛れもなく、おかしな国を作った一つの原因が 日本にはあると思います。
そこで、元気がなくなってしまうのですが、世界の平和やより良い未来を切り拓くためには、真摯に 考え直す必要があると思います。
そこで、次の全般的な考察は如何でしょうか。

再生核研究所声明 18(2008/07/30)  拉致問題の解決に向けての提案

拉致問題ほど 日本国にとって不幸な事件は それ程ないのではないでしょうか。しかも解決できる見込みがなく、いわば泣き寝入りの状況に陥っていると考えられます。
さて 拉致問題とは そもそも何でしょうか。日本国内に住んでいた人が 他国によってさらわれたものであり、このような不法な行為が 国家によって行われたことは全くの驚きであり、批判が世界中に広まったのは当然である。これでは 世界の秩序は保てず、国家の存立さえ維持できないからである。また、そのような暴挙を許した日本国の責任は 極めて大きく、これでは日本国の治安、防衛体制はどうなっていたかと批判されても仕方のないものである。陸、海、空を防衛するのは すべての国家の基本的な任務のはずです。またそのような暴挙を繰り返し許していた情報能力には 大いに反省されるべきです。

国家によって拉致された人達を如何にして取り戻すか。現在、政府を含めて、圧力を強めて、取り戻そうとしているが、一向に埒があかず、いたずらに時間をかけていて、拉致された家族の人達と多くの日本国民を苦しめています。 他方、6カ国会議の国々は 所謂、核開発の中止と引き換えに テロ国家指定解除や重油などの援助を行う方向であり、日本国だけが取り残される苦しい立場に追い込まれている。アメリカなどの この妥協は、核兵器を持たせるという大きな脅威を直視する以上、止むを得ないことと理解を示す必要があると考えます。
いやしくも相手国家が拉致問題を解決する姿勢を示さず、圧力をかける有効な手段を持たない以上 この問題を解決するには 実効支配している北朝鮮政府と交渉を行ない、妥協の道を探らなければならないと考えます。
それには交渉が行き詰った所に戻り、そこから1歩1歩解決の糸口を探る必要があります。直接の糸口は デヴィ夫人のブログにあった。

小泉元首相が北朝鮮におもむき、国交正常化を約束し、
そしてめでたく5人の拉致被害者を連れ戻すことに成功、
日本国中が熱い涙を流したのも、昨日の事のように思い出されます。
私自身も怒りのために震える気持ちでした。
しかし拉致被害者の方々は、
日本政府との2週間の日本滞在の約束で帰ってきたはずです。
当時内閣官房副長官であった安倍晋三氏と中山恭子首相補佐官が、
彼等を北朝鮮へ帰さないと強行な態度で約束を破りました。
連れ添ってきた北朝鮮の赤十字の方々を
スパイ扱いするような非礼なことまでいたしました。

に糸口があるのではないでしょうか。約束を守らず、返さなかったという事は 加藤氏のテレビなどでの発言、その他でそのようであったように考えられます。国、政府が約束して、守らなかったとなれば、それ以上交渉が進展しないのは当然ではないでしょうか。日本国政府は、北朝鮮政府を騙した事になり、それではもはやそのような日本国政府とは、交渉ができないというのは、世の道理ではないでしょうか。嘘をついてはいけないのは、相手の為ではなく、自分の信頼を得る為ではないでしょうか。例え相手が、どのようであっても、自分の尊厳と信頼を得る為には、嘘や騙しは、許されないと思います。日本には 武士に二言はないという気高い精神があったと思います。もし日本国政府がそのような いい加減なことをやっていれば、これは、日本国の重大な問題ではないでしょうか。
約束違反は 重大な背信行為になりますから、相手が納得するまで、謝罪する必要が先ずあると考えます。ここで ならず者の国家では道理が通らず、約束を破ってもよいと考える人もいるかも知れませんが、それでは北朝鮮を支配している政府とはもはや交渉は出来ず、結果的に拉致問題は そのような政府が続く限り、解決できないという結論になると考えます。超大国アメリカも中国も 圧力で拉致問題が解決できる見通しが立てば、日本に協力して解決の方法を進めてくれると考えます。そうではないことは、拉致問題の解決がそう簡単ではないと判断していると考えられます。

従って約束違反を真摯に謝罪し、国交正常化交渉のテーブルに着くことが 拉致問題解決の第1歩ではないでしょうか。その始めの段階で、第2次世界大戦以前の日本国の侵略に対する謝罪を 中国や韓国に行ったように真摯に行い、具体的な保障を含めて話し合いを始めるべきではないでしょうか。中国や韓国と行ったように、国交を回復して、両国の友好関係を深めて、アジアの緊張をゆるめ 明るい未来を拓き、世界の平和に貢献して行こうではありませんか。オリンピックまで開催できるように進化した中国を想い出し、北朝鮮の変化と進化を期待しようではありませんか。 このような過程で 拉致問題は着実に前進すると考えます。  以上。

注:
加藤紘一元幹事長の発言:
拉致被害者「戻すべきだった」

・自民党の加藤紘一元幹事長は7日夜、日本BS放送の番組に出演し、2002年に北朝鮮から一時帰国した曽我ひとみさんら拉致被害者5人に関し、同国に戻さないとした当時の政府決定について 「国家と国家の約束だから、(戻した方が)よかった。安倍(晋三前首相)さんを中心に返すべきでないとなったが、その辺が今、日朝の間で打開できない理由だと思う」と述べ、官房副長官として 永住帰国への方針転換を主導した安倍氏の対応に問題があったとの認識を示した。
加藤氏は「(戻していれば現状のようには)ならなかった。『また来てください』と何度も何度も(両国間を)交流していた。一回返すと平壌は殺してしまうんじゃないかと(言われたが)、そこが (安倍氏らとの)外交感覚の差だ。そんなことができるはずがない」と述べた。

再生核研究所声明 439(2018.8.7):  人間として生きることとは - ある一面から

慣性の法則によれば、同じような生活を送っていると、この状況はどのような意味を有するのだろうかと ある種の不安とともに感じることがある。人間は、人間とは何者で、人生とは何だろうかと 同じような問いを想い返しては繰り返していると言える。まず、基本は 人間は作られた存在だから、作られたように生きる他はない。人間は生物、そして動物であるから、それらの要求を満たしたいと考えるのは 当然である。衣食足りて礼節を知る、恒産無ければ恒心なしも当然である。すなわち、生活や家庭内などの生活が相当に良い状況の中、さらに 自由な身になった場合に 人間は何を志向するだろうか。人間は何をしたいと思うだろうか。人間は多様で志もいろいろであるから、それらによって具体的な取り組みは 人によって違うが、心はみな通じていて、 良い思い、感動するようなことを志向するだろう。人生の基本定理、人生の意義は感動することにある。そこで良い感動が続くのは望ましいと考え、 その素は何だろうかと考えれば、人は世の名人や偉人の心構え、人生観、人生から多くを学ぶことができるだろう。そこで一芸に秀でたものの共通の心を理解し、共感、共鳴を覚え、普遍的なものを捉えられるだろう。 そこで、 人間とは何ものかと高次に考えることができるだろう。
人間は何を求めているのか。ここ 一様にゼロ除算の研究にはまっているが、どのような時に鋭い感動と喜びが湧いてくるかと問うている。共同研究者の奥村氏やPuha氏が想像もできないような新規な結果をメールで送って来た時など 激しい喜びが湧いて来る。そう新規な世界に触れるとき 人間の人間的な歓びが湧いて来るのでは ないだろうか。もちろん自分で考えが湧いたときも同様であり、ようするに新規な世界に触れたとき人間は大きな 喜びが湧いてくる存在ではないだろうか。 そこで人生の基本定理に対して、人の生きるは 真智への愛にある、真智とは 神の意志のことであると表現した。 要するに、真実が知りたい、本当のことが 知りたい、世界を知りたい それが 人間の 究極の意志、喜びでは ないだろうか。この文章には少し飛躍があるのではないだろうか。新規なことと、神の意志のこと、事実の関係である。 数学では、新しい結果には感動するが基本的で大きな意味のあるものこそ大きな感動を呼ぶ、それはそうであるが、基本的で大きな意味を有するの解釈、捉え方は 人によって異なるが、それらに共感、共鳴が伴っていることが 大事な点ではないだろうか。真偽が明瞭でない場合には真偽を明らかにしたいは事実の解明であり、それは真理の追究の基本的な 要素である。神の意志とは世界がどのようになっているか、ということであるが、それは基本と深さを伴った認識といえる。新規、事実、真理、共感、共鳴、世界観、神の意志はある統一性のあるものを指している。
以 上

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