2014年7月28日月曜日

月に米軍基地の極秘計画、核実験の構想も 1960年代の文書公開

月に米軍基地の極秘計画、核実験の構想も 1960年代の文書公開
(CNN) 米陸軍が1960年代、月に軍事基地を建設する「ホライズン計画」を提案していたことが、このほど公開された国家安全保障計画に関する機密解除文書で明らかになった。月面での核実験実施について検討した記録もあった。
当時は冷戦の最中にあって米国とソ連の間で核軍拡競争と宇宙開発競争が過熱。ソ連は1959年、米国に先駆けて初の無人宇宙船を月に送り込んでいた。
そこでソ連に対抗するために生まれたのがホライズン計画だった。提案書はまず「月面の有人軍事基地は必須である」と切り出し、「月面基地の開設でソ連に先を越されれば、我が国の体面が傷付き、ひいては民主主義の理念にも傷が付く」と主張。同計画は、原爆開発の「マンハッタン計画」に匹敵する優先課題として進める必要があると論じている。
月面基地は統合宇宙司令部が統括し、地球と月の周辺の宇宙を戦区とみなす計画だった。
月面での弾道力学なども計算され、宇宙船や月ブルドーザー、モジュール式キャビン、宇宙服の設計図や、コロニー建設の候補地を記した月の写真も添付されていた。http://www.cnn.co.jp/usa/35051357.html
計画では1964年に基地の建設に着工し、5年後に完成させる構想を描いていた。
しかし実際には人類初の月面着陸は1969年7月にずれ込んだ。月に人類を送り込んだのは米軍ではなく、米航空宇宙局(NASA)だった。
米国とソ連の核軍拡競争が月にまで拡大する可能性もあった。計画の中で米軍は、月面で核爆弾を爆発させることの是非を科学的、軍事的、心理的な観点から検証し、「最大の目的は米国の力を世界に見せつけることにある」と述べている。
しかしこの構想は後に、危険が大きすぎるとして打ち切られた。1967年には国連が採択した月を含む宇宙での核兵器使用を禁じた宇宙条約が発効した。
1960年代は冷戦と宇宙競争を通じて技術の進歩が加速した時代だった。米軍や情報機関が月の軍事利用や情報収集への利用について詳細に検討した記録も存在する。
文書はジョージワシントン大学が入手して、国家安全保障に関する記録を集めたウェブサイトに収録した。http://www.cnn.co.jp/usa/35051357-2.html
満月
風に吹かれながら夜空を眺めるのが心地よい季節になった。昔の子供達が月を描く時はほどんとが三日月だったのに、アポロのつき着陸以来、満月を描くようになったという。真偽は確かめていないが、なんだかありそうな気もする。アポロのお蔭で月に兎のいないことも、かぐや姫の宮殿もないことがわかった。そのかわりに、銀河鉄道999やスターウォーズの子供達にとって、月は宇宙への入口、宇宙基地の第一号候補になったらしい。
そうなれば、たしかに三日月よりも満月の方がふさわしい。月に立って、その先の宇宙や、生まれ故郷の地球を眺めることを空想するのは、かぐや姫の話に劣らずロマンチックに違いない。
子供達のロマンとは別に、現実の宇宙開発は生ぐさい。真夜中過ぎまでテレビにつき合って、スペースシャトルの成功を我がことのように喜んでやったのに、三回目にしてもう軍事優先になるらしい。何やら急に蚊帳の外に追い出されたような気持ちになってくる。
しかも、仕方ない勝手にやってくれと言ってしまえないところが困る。
戦争は論外としても、宇宙開発で鍛えられた技術がじわじわと日常生活のための技術にも浸透し、産業構造まで動かしかねないからである。
慶應大学の応援歌に「陸の王者、慶應!」と叫ぶのがある。鉄は慶應だな、と言ったら、ある有名な製鉄会社の研究者に、うまいことを言うとほめられた。重い鉄は、陸の上でしか威力を発揮しない。あんな重いものでスペースシャトルをつくるわけにはゆかないし、宇宙基地の建設資材として運ぶわけにもゆかない。だから二十年もかけて、鉄よりも遙かに軽くて強い材料を開発してきた。その一つが炭の糸を樹脂で固めてつくった、例のゴルフのブラックシャフトや釣竿の材料である。現在つくられつつあるジャンボ旅客機の翼や胴体にもかなりたくさん使われるようになってきた。航空機に使われるものなら自動車にも、ということになる。製鉄会社が将来を思い悩むのも無理はない。何も炭素繊維に限らない。一事が万事で、あらゆる分野の先端技術が宇宙開発でしのぎをけずっている。
月にできる建物が鉄筋コンクリートでないことは確かだが、何がどうなってゆくのかなァと思う。
一方で、そうあわてるでない、人間との自然の関係を中心に据えて、丁寧にゆっくりやれよという立場もある。私共の大学の中にも、桑の枝を集めてガス燃料をつくり、鶏舎の燃料の七割をまかなうつもりだとか、地球上のどこにでも人間が住めるように、まずその地その地に適した衣料の開発を、志す人もいる。確かにそうでなくてはおちおち落ち着いて暮すわけにもまいらない。
それに人間技術だけで生きてゆけるわけではさらにない。
さまざまな人たちがさまざまな立場で生きてゆける方がいい。
月の基地に社会ができるとすればどんな社会をつくるのか。百人一首の昔とは大分違うけれども、夜風に吹かれて眺める月は、やはりいろいろなことを想わせる。
(昭和57.9.3)
大谷杉郎著  火瓮(ほべ)平成3年6月1日 発行 印刷所 第一法規出版株式会社  P13・P14より

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