生命体発見なるか。惑星「ケプラー62f」 居住可能な確率高まる
sorae.jp 5月31日(火)9時8分配信
生命体発見なるか。惑星「ケプラー62f」 居住可能な確率高まる
惑星「ケプラー62f」 居住可能な確立高まる
太陽系で生命体が発見されているのは地球だけですが、広い宇宙には地球以外にもたくさんの惑星が存在します。また、その中には生命が誕生しうる「ハビタブルゾーン」に存在する惑星も多くあります。そして今回、以前より知られていた太陽系外惑星「ケプラー62f」が居住可能である確率がかなり高いとの研究が発表されました。
ケプラー62fは2013年にケプラー宇宙望遠鏡によって発見された惑星で、地球から1,200光年先に位置します。大きさは地球よりも40パーセントほど大きく、液体の水が存在しうるハビタブルゾーンを周回しています。
今回カリフォルニア大学ロサンゼルス校のAomawa Shields氏はコンピューターのシミュレーションにより、さまざまな大気の状態をテスト。そして大気の層の厚さや二酸化炭素の濃度を色々変えてみたところ、多くの場合でケプラー62fが居住可能なことを発見します。
またShields氏によると、ケプラー62fが一年中居住であるためには完全に二酸化炭素で成り立つ大気を持ち、その厚さも地球の3~5倍ほど必要です。これは恒星からの距離の関係で、惑星を暖かく保つために必要な条件となります。ただしその条件が整わなくても、タイミングによっては液体の水が存在することもありうるそうです。
Shields氏は、「今回の研究は、生命の痕跡となる大気の状態を観察できる次世代望遠鏡にて、観察対象を順序付けることに役立つでしょう」と語っています。宇宙の地球外生命体探しはまだまだ始まったばかりなのです。
【関連記事】
Simulations suggest Kepler 62-f is “a strong candidate for a habitable planet”
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160531-00010000-sorae_jp-sctch
再生核研究所声明152(2014.3.21) 研究活動に現れた注目すべき現象、研究の現場
今回、100/0=0,0/0=0の発見と研究活動で いわば、研究のライブの状況が明瞭に現われたので、研究の現場の状況として纏めてみたい。多くはメールや文書で 時刻入れで 文書が保管されている。一般的に注目すべきことはゴシック体で記そう。
まず、発見現場であるが、偶然に 印刷された原稿を見て発見したと言うことである。思いがけないことに、気づいたということである。言われてみれば、当たり前のことで、気付かない方がおかしく、馬鹿みたいなことになるだろう。たわいもないものの類である。しかし、結果が尋常ではないので、大事だと 説明されても、原稿を見せても そんなものは駄目、全然価値が無いと結構多くの人が大きな批判を寄せてきたのは 大いに注目に値する。わざわざ複数の外国からメールがいわば上司にきて、批判して、研究内容について意見を求めるメールさえ するのを禁じられた程である。予断と偏見によるもの、が大部分であると判断できる。それから 価値観に本質的な違いがあること を露わに実感した。原稿を見て、これは 面白いと捉えて 研究を発展させて素晴しい論文を書かれた者がいる一方 そんなの 駄目だ で、ただ批判して傍観している者。これは 研究者の素養として、能力として極めて大きな問題ではないだろうか。研究内容の、良い、悪いが判断できない、興味、関心が無い。愛が無ければ見えない、進まないは 基本では? 研究において、最も大事なのは、愛が有るか、関心が有るか、価値を認められるか、好奇心が有るかではないだろうか。 これらが無ければ、幾ら宝のようなものに出会っても、探し出せないのではないだろうか。あることに 高い価値を見出し、情熱的に追及して行く精神は、研究者としての素養として大事ではないだろうか。良いか、悪いか評価できなければ、判断出来なければ、唯 夢中で何かの延長を 他を意識して進めるだけになってしまう。良いものを 良いと評価できる能力は、理解力、解決力、創造力などと共に大事な能力ではないだろうか。場合によっては、人格の高潔さにも依存する要素も多い。意図的に無視するは 世に多いからである。
それから、新しい考え、発想が無意識の内に湧いてくる ものであるという、事実である。目を覚ましたら解けていた、新しい考えで 突然目を覚ましたと繰り返して書いてきた。それから、それらは精神状態によるのであるが、コーヒー、茶、特にジャスミン茶で 大いに興奮して、どんどん考えが湧いて来るのを実感した。結構、そのようなものの影響も無視できない。
それから研究活動で大事な要素は 積極性である。今回、多くの人が 研究に参加されたが、意外な人が 意外な才能を発揮して、意外な視点を 指摘され、発展させてくれたという顕著な事実である。全然興味を懐かないような人でも 話すと興味を示し、大きな貢献をしてくれた。現在のように忙しく、論文を送られてきても読む暇も、関わる余裕も無いは 世に多い現象であるが、直接話すと 本質を理解されて、興味を懐くは 世に多い。直接交流の重要性を指摘しておきたい。メールなどでも、交信からいろいろな刺激を受け、考えが湧く素に成るのは多い、精神が鼓舞される場面も多い。それから、凄い発見を事実上していても、理解が難しい、あるいは批判を恐れて 追求を諦めてしまう、主張を避けて諦めてしまうのは 世に多いのではないかとも感じられる。良いものを発見しても、認められるまで、努力するのは そう簡単なことではないように感じられる。
最後に 研究の最も大事な心を 2014.3.11ブログに書いた記事を編集して記して置こう:
特異点解明の歩み100/0=0,0/0=0:関係者: 独断と偏見、人類の知能
ふと思い浮かんだ: 天才少年の質問(再生核研究所声明 9: 天才教育の必要性を訴える ):
0.999…. = 1 の意味は、何か
当時8歳の少年でした。私は だれをも納得させる明快な解答を与えたが、相当な、国内外の相当な数学者に尋ねたが これまで誰からも満足する解答を得なかった。これは 知識で、学んでいて 理解が薄っぺらなことを言っているのではないだろうか。少しも、真智を求めては来なかった:
― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。― 再生核研究所声明148.(もっとも何でも は 究められない)
それ故に、ゼロで割る考えが 思い浮かばなかったのでは。人類の知能は その程度である。真智を求めている者は 世に稀であり、多くは断片的な世界に閉じこもり、埋没し、自己さえ見失っている。また、日常生活に埋没していると言える。
以 上
再生核研究所声明 116(2013.5.1): 宇宙空間、星間交流から人間を考える
(1200光年先にようやく生物の存在可能な天体が3つ見つかったという。孤独な地球。かけがいの地球。そこで、何とか地球外生物と交信したいものである。どうしたら、できるだろうか。2013.4.20.16:20 その方法に気づく。慎重に検討して、いずれ提案したい。)
まず、広い宇宙空間において、地球だけが例外で、生物や人間のような知的な生物が存在すると考えるのは 無理があるのではないだろうか。広い宇宙には 人間を越えた知的な生物が存在すると考える。そう感じる。
しかしながら、現代物理学の定説によれば、光より 電波より、早く伝達する手段は無いから、地球上の生物が 人間存在の原理に基づいて(再生核研究所声明 32 : 夜明け ― ノアの方舟)、宇宙空間に進出し、人間の存在領域を拡大しようとしても 広大な宇宙からみれば、それは限られ、地球外生物との直接的な交信、交流は当分、厳しい状況にあると言える。
そこで、発想を逆転させ、宇宙空間交流を意図するには、宇宙空間全体を この地球上に実現すればよいということになる。すなわち あらゆる生命の原理を究明し、一般原理、普遍原理によって、あらゆる可能性を究明して、対応することが出来ると考える。
地球は 宇宙の小さな部分であるが、しかしながら、地球は宇宙全体を 人間の知的な活動によって 包み込むことができると考える。これは一つも矛盾ではなく、部分が全体に等価であるは、数学の世界でも 無限な世界や、解析関数の概念にも存在する。― すなわち、 解析関数の全体の情報は、解析的な どんな点の小さな部分にも、反映されていて、そこから、全体の情報を取り出すことも出来る と なっている。また、エルゴート性の概念も同じような思想になっていると考えられる。
そもそも、対話、交流、愛とは何か と問えば、世界とは、自己の世界に映ったすべて であるとも言い得る。さらに、個々の人間の話題、知識、認識は 狭く限られ、実際多くの考えられるすべての対話は、この地球上に生存する、生物、何十億の人間との対話で、十分可能であると考えられる。さらに、論理的な思考を働かせれば、普遍的な原理によって 人間のあらゆる対話に対する反響は、宇宙空間に問うまでもなく、十分な反響を得ることが出来るだろう。そもそも対話とは、自問自答であるとも言える。実際、自己の内部も 広大な宇宙と同じように無限に広がり、それは全宇宙さえも包み込む存在であるとも考えられる。人間の存在とは、内なる広大な世界と 外なる広大な世界のはざまに存在する、ふらふらした曖昧な 心に代表されるような存在であると言える。
それ故に、この地球上に 生体系を豊かにして、個性を 重んじた多様な世界を築くことによって、実際には 宇宙空間における交流の困難性は 克服できると考える。
結論は、あらゆる生命の存在と存在の可能性を明らかにすることによって この地球上に宇宙を取り組むことによって、宇宙空間交流は 実現できると考える。
そのとき、宇宙間交流の手段とは、もはや光でも電波でもなく、時間にも、空間にも、宇宙にも、エネルギーにも無関係な 数学である と言える。数学こそが 生命の客観的な表現であると言える ― (数学とは何か ― 数学と人間について 国際数理科学協会会報、No. 81/2012.5, 7―15 No.81, May 2012(pdf 432kb))。
以 上
再生核研究所声明150(2014.3.18) 大宇宙論、宇宙など小さい、小さい、the universe について
(この声明は、最近の特異点解明: 100/0=0, 0/0=0 の研究の進展に伴って 自然に湧いた構想である)
この声明の趣旨は、いわゆる物理学者が考えている宇宙、― 宇宙はビッグバンによって、誕生したという宇宙論を ニュートン力学と同様、幼き断片論と位置づけ、はるかに大きな the universe を志向し、アインシュタインを越えた世界、さらに 古代から続いてきた暗い人類の歴史に 明るい光を灯し、夜明けを迎える時代を切り拓きたいということである。 既に裏付ける思想は 一連の再生核研究所声明で確立していると考える。 ニュ-トン、アインシュタイン、数学の天才たちも、特異点の基本的な性質さえ捉えていなかったことは、明らかである。
簡単な基本、100/0=0,0/0=0 を発見した、精神、魂からすれば、新しい世界史を開拓する思想を語る資格があることの、十分な証拠になると考える。 実際、 - 古来から 続いてきた、人生、世界の難問、人生の意義、生と死の問題、人間社会の在り様の根本問題、基本概念 愛の定義、また、世界の宗教を統一すべく 神の定義さえ きちんと与えている。
The universe について語るとき、最も大事な精神は、神の概念を きちんと理解することである:
そもそも神とは何だろうか、人間とは何だろうか。 動物たちが美しい月をぼんやりと眺めている。 意識はもうろうとしていて、ほんにぼんやりとしか とらえられない。 自らの存在や、ものごとの存在すら明瞭ではない。
人間も、殆ど 同じような存在ではないだろうか。 人類よ、人間の能力など 殆ど動物たちと変わらず、 ぼんやりと世界を眺めているような存在ではないだろうか。 神も、一切の存在も観えず、ただかすかに感じているような存在である。 それゆえに、人間は あらゆる生物たちのレべルに戻って 生物たちから学び、 また原始人に戻って、また子供たちのように 存在すれば 良いと言えるのではないだろうか(再生核研究所声明 122: 神の存在と究極の信仰 - 人間よ 想い煩うことはない。 神は存在して、一切の存在と非存在を しっかりと支えられておられる、 人は必要なときに必要なだけ、 念じるだけで良い; 再生核研究所声明 132 神を如何に感じるか - 神を如何に観るか)。
すなわち、人間よ おごるなかれ、人類の知能など 大したことはなく、内乱や環境汚染で自滅するだろう、と危惧される。
昨年は 数学の存在と物理学が矛盾し、数学とは何かと問うてきた。
数学とは何か ― 数学と人間について
国際数理科学協会会報、No. 81/2012.5, 7―15
No.81, May 2012(pdf 432kb)
に公刊したが、そこで触れた、数学の神秘性については さらにその存念を深め、次のように問うている:
誰が数学を作ったのか? (再生核研究所声明 128: 数学の危機、末期数学について)
時間にもよらず、エネルギーにもよらない世界、それは、宇宙があるとき始まったという考えに 矛盾するものである。 無から世界が創造されたということも 受け入れがたい言明であろう。さらに、the universe には、物理学が未だに近づけない、生命や生命活動、人間の精神活動も歴然として有ることは 否定できない。音楽、芸術に感動している人間の精神は the universe の中に歴然と有るではないか。
ビッグバンで ゼロから、正の量と負の量が生じたとしても、どうしてビッグバンが生じたのか、何が生じせしめたかは 大きな課題として残っている。 数学の多くの等式は 数学を越えて、the universe で論じる場合には、その意味を,解釈をきちんとする必要がある。 The universe には 情報や精神など、まだまだ未知のものが多く存在しているのは当然で、それらが、我々の知らない法則で ものや、エネルギーを動かしているのは 当然である。
そこで、100/0=0,0/0=0 の発見を期に、今やガリレオ・ガリレイの時代、天動説が 地動説に代わる新しい時代に入ったと宣言している。The universe は 知らないことばかりで、満ちている。
以 上
ゼロの発見には大きく分けると二つの事が在ると言われています。
一つは数学的に、位取りが出来るということ。今一つは、哲学的に無い状態が在るという事実を知ること。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1462816269
もし1+1=2を否定するならば、どのような方法があると思いますか? http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12153951522 #知恵袋_
一つの無限と一つの∞を足したら、一つの無限で、二つの無限にはなりません。
天動説・・・・・・∞
地動説・・・・・・0
地球平面説→地球球体説
天動説→地動説
何年かかったでしょうか????
1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0
何年かかるでしょうか????
割り算のできる人には、どんなことも難しくない
世の中には多くのむずかしいものがあるが、加減乗除の四則演算ほどむずかしいものはほかにない。
ベーダ・ヴェネラビリス
数学名言集:ヴィルチェンコ編:松野武 山崎昇 訳大竹出版1989年
1÷0=0 1÷0=∞・・・・数ではない 1÷0=不定・未定義・・・・狭い考え方をすれば、できない人にはできないが、できる人にはできる。
数学で「A÷0」(ゼロで割る)がダメな理由を教えてください。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411588849 #知恵袋_
割り算を掛け算の逆だと定義した人は、誰でしょう???
multiplication・・・・・増える 掛け算(×) 1より小さい数を掛けたら小さくなる。 大きくなるとは限らない。
0×0=0・・・・・・・・・だから0で割れないと考えた。
唯根拠もなしに、出鱈目に言っている人は世に多い。
ゼロ除算(100/0=0, 0/0=0)が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか・・・・
1+1=2が当たり前のように
ゼロ除算の証明・図|ysaitoh|note(ノート) https://note.mu/ysaitoh/n/n2e5fef564997
Q)ピラミッドの高さを無限に高くしたら体積はどうなるでしょうか??? A)答えは何と0です。 ゼロ除算の結果です。
ゼロ除算は1+1より優しいです。 何でも0で割れば、0ですから、簡単で美しいです。 1+1=2は 変なのが出てくるので難しいですね。
∞÷0はいくつですか・・・・・・・
∞とはなんですか・・・・・・・・
分からないものは考えられません・・・・・
宇宙消滅説:宇宙が、どんどんドン 拡大を続けると やがて 突然初めの段階 すなわち 0に戻るのではないだろうか。 ゼロ除算は、そのような事を言っているように思われる。 2015年12月3日 10:38
Reality of the Division by Zero z/0 = 0
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://okmr.yamatoblog.net/
Mathematics is the alphabet with which God has written the Universe.
数学は神が宇宙を書いたアルファベットだ
Mathematics is the key and door to the sciences.
数学は、科学へとつながる鍵とドアである
This book is written in the mathematical language, and the symbols are triangles, circles and other geometrical figures, without whose help it is impossible to comprehend a single word of it; without which one wanders in vain through a dark labyrinth.
宇宙は数学という言語で書かれている。そしてその文字は三角形であり、円であり、その他の幾何学図形である。これがなかったら、宇宙の言葉は人間にはひとことも理解できない。これがなかったら、人は暗い迷路をたださまようばかりである
ガリレオ・ガリレイさんの名言・格言・英語 一覧リスト
http://iso-labo.com/labo/words_of_GalileoGalilei.html
再生核研究所声明 264 (2015.12.23): 永遠とは何か ― 永遠から
現代人は 空間とは 座標軸で表される数の組の集合 で表させるものと発想しているだろう。 基礎である直線は 実数を直線上に並べたもの、逆に直線とは 実は 実数全体の表現と考えられる。 すなわち、直線とは 基準点である原点ゼロから、正方向と負方向に正の実数と負の実数が大小関係で順序づけられ無限に双方向に伸びていると考えられる。
そこで、永遠とは 直線に時間を対応させ、限りなく正方向に進んだ先のことを 想像している。どこまでも どこまでも 先に行けばどうなるだろうか。直線上でも、平面上でも である。 砂漠の伝統を有する欧米文化の背景、キリスト教などの背後には、 永遠とは限りなく 果てしなく先にあると発想しているという。 どこまでも、どこまでも きりのない世界である。 ユークリッド幾何学が そのような空間を考えていることは確かである。
ところが四季に恵まれたアジアの民は、限りなく広がる世界に、不安や淋しさを直感して、 正の先と、負の先が一致していて、直線は円で どこまでも どこまでも行くと反対方向から、現在に至り、永遠は繰り返しであると、四季の繰り返し、天空の繰り返し、円運動のように発想して 仄かな安心感を覚えているという。永劫回帰、輪廻の思想を深く懐いている。実に面白いことには 美しい複素解析学では、立体射影の考えによって、直線を球面上の円と表現し、無限遠点の導入によって、 これらの思想を 数学的に厳格に実現させ、全ユークリッド平面の全貌を捉え、無限の彼方さえ捉えることが出来た。 その時 永遠を 確かに捉え、掴むことさえ出来たと言える。立体射影による球面上の北極に 確かに存在すると言える。素晴しい、数学を手に入れていた。この美しい数学は 100年以上もリーマン球面として、複素解析学の基本となってきている。
ところが2014.2.2偶然に発見されたゼロ除算の結果は、この無限遠点が 実は原点に一致していた という衝撃的な事実を述べていた。 永遠、無限の彼方と想像していたら、それが 実は原点に戻っていたという事実である。 それが我々の数学であり、ユークリッド空間の実相である。幾何学の性質や物理的な法則をきちんと説明している、我々の世界の数学である。
それで、永遠や無限遠点、我々の空間の 十分先の考え方、発想を考える必要がある。
無限の先が原点に一致している事実、それを如何に理解すべきであろうか。
それについて、 次のように解説してきた:
再生核研究所声明232(2015.5.26)無限大とは何か、無限遠点とは何か。― 驚嘆すべきゼロ除算の結果
再生核研究所声明257 (2015.11.05) 無限大とは何か、 無限遠点とは何か ー 新しい視点
再生核研究所声明262 (2015.12.09) 宇宙回帰説 ― ゼロ除算の拓いた世界観
新しい世界観は 始まりから始まり 最後には 突然戻るということを述べている。 しからば、始めとは何で 終りとは何だろうか。 これについて、 始めも終わりも、質的な変化であると定義できるのではないだろうか。 簡単な数学で万物、universe の現象を説明するのは難しい状況は確かにあるだろう.しかし、ゼロ除算の思想は、新羅万象が絶えず変化して 繰り返している様を表現しているように感じられる。
大事な人生の視点は 今日は 明日のためや遠い未来のためにあるのではなく、 現在、現在における在るべき適切な在りようが大事だと言っているようである。もちろん、現在は、未来と過去に関係する存在であり、それらは関係付けられ、繋がっているが 焦点はもちろん、 現在にあるということである。
ビッグバンの宇宙論は 適切に理解され、始めとは 大きな変化で 現状の元が始まり、
やがて突然、元に戻って 終わることを暗示しているようである。人生とは 要するに 内なる自分と環境に調和するように在れ と ゼロ除算は言っているようである。
ゼロ除算は 仏教の偉大なる思想 を暗示させているように感じられる。
以 上
Reality of the Division by Zero z/0 = 0
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://okmr.yamatoblog.net/
Impact of 'Division by Zero' in Einstein's Static Universe and ...
gsjournal.net/Science-Journals/.../Download/2084
このページを訳す
Impact of 'Division by Zero' in Einstein's Static Universe and Newton's Equations in Classical Mechanics. Ajay Sharma physicsajay@yahoo.com. Community Science Centre. Post Box 107 Directorate of Education Shimla 171001 India.
http://gsjournal.net/Science-Journals/Research%20Papers-Relativity%20Theory/Download/2084
sorae.jp 5月31日(火)9時8分配信
生命体発見なるか。惑星「ケプラー62f」 居住可能な確率高まる
惑星「ケプラー62f」 居住可能な確立高まる
太陽系で生命体が発見されているのは地球だけですが、広い宇宙には地球以外にもたくさんの惑星が存在します。また、その中には生命が誕生しうる「ハビタブルゾーン」に存在する惑星も多くあります。そして今回、以前より知られていた太陽系外惑星「ケプラー62f」が居住可能である確率がかなり高いとの研究が発表されました。
ケプラー62fは2013年にケプラー宇宙望遠鏡によって発見された惑星で、地球から1,200光年先に位置します。大きさは地球よりも40パーセントほど大きく、液体の水が存在しうるハビタブルゾーンを周回しています。
今回カリフォルニア大学ロサンゼルス校のAomawa Shields氏はコンピューターのシミュレーションにより、さまざまな大気の状態をテスト。そして大気の層の厚さや二酸化炭素の濃度を色々変えてみたところ、多くの場合でケプラー62fが居住可能なことを発見します。
またShields氏によると、ケプラー62fが一年中居住であるためには完全に二酸化炭素で成り立つ大気を持ち、その厚さも地球の3~5倍ほど必要です。これは恒星からの距離の関係で、惑星を暖かく保つために必要な条件となります。ただしその条件が整わなくても、タイミングによっては液体の水が存在することもありうるそうです。
Shields氏は、「今回の研究は、生命の痕跡となる大気の状態を観察できる次世代望遠鏡にて、観察対象を順序付けることに役立つでしょう」と語っています。宇宙の地球外生命体探しはまだまだ始まったばかりなのです。
【関連記事】
Simulations suggest Kepler 62-f is “a strong candidate for a habitable planet”
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160531-00010000-sorae_jp-sctch
再生核研究所声明152(2014.3.21) 研究活動に現れた注目すべき現象、研究の現場
今回、100/0=0,0/0=0の発見と研究活動で いわば、研究のライブの状況が明瞭に現われたので、研究の現場の状況として纏めてみたい。多くはメールや文書で 時刻入れで 文書が保管されている。一般的に注目すべきことはゴシック体で記そう。
まず、発見現場であるが、偶然に 印刷された原稿を見て発見したと言うことである。思いがけないことに、気づいたということである。言われてみれば、当たり前のことで、気付かない方がおかしく、馬鹿みたいなことになるだろう。たわいもないものの類である。しかし、結果が尋常ではないので、大事だと 説明されても、原稿を見せても そんなものは駄目、全然価値が無いと結構多くの人が大きな批判を寄せてきたのは 大いに注目に値する。わざわざ複数の外国からメールがいわば上司にきて、批判して、研究内容について意見を求めるメールさえ するのを禁じられた程である。予断と偏見によるもの、が大部分であると判断できる。それから 価値観に本質的な違いがあること を露わに実感した。原稿を見て、これは 面白いと捉えて 研究を発展させて素晴しい論文を書かれた者がいる一方 そんなの 駄目だ で、ただ批判して傍観している者。これは 研究者の素養として、能力として極めて大きな問題ではないだろうか。研究内容の、良い、悪いが判断できない、興味、関心が無い。愛が無ければ見えない、進まないは 基本では? 研究において、最も大事なのは、愛が有るか、関心が有るか、価値を認められるか、好奇心が有るかではないだろうか。 これらが無ければ、幾ら宝のようなものに出会っても、探し出せないのではないだろうか。あることに 高い価値を見出し、情熱的に追及して行く精神は、研究者としての素養として大事ではないだろうか。良いか、悪いか評価できなければ、判断出来なければ、唯 夢中で何かの延長を 他を意識して進めるだけになってしまう。良いものを 良いと評価できる能力は、理解力、解決力、創造力などと共に大事な能力ではないだろうか。場合によっては、人格の高潔さにも依存する要素も多い。意図的に無視するは 世に多いからである。
それから、新しい考え、発想が無意識の内に湧いてくる ものであるという、事実である。目を覚ましたら解けていた、新しい考えで 突然目を覚ましたと繰り返して書いてきた。それから、それらは精神状態によるのであるが、コーヒー、茶、特にジャスミン茶で 大いに興奮して、どんどん考えが湧いて来るのを実感した。結構、そのようなものの影響も無視できない。
それから研究活動で大事な要素は 積極性である。今回、多くの人が 研究に参加されたが、意外な人が 意外な才能を発揮して、意外な視点を 指摘され、発展させてくれたという顕著な事実である。全然興味を懐かないような人でも 話すと興味を示し、大きな貢献をしてくれた。現在のように忙しく、論文を送られてきても読む暇も、関わる余裕も無いは 世に多い現象であるが、直接話すと 本質を理解されて、興味を懐くは 世に多い。直接交流の重要性を指摘しておきたい。メールなどでも、交信からいろいろな刺激を受け、考えが湧く素に成るのは多い、精神が鼓舞される場面も多い。それから、凄い発見を事実上していても、理解が難しい、あるいは批判を恐れて 追求を諦めてしまう、主張を避けて諦めてしまうのは 世に多いのではないかとも感じられる。良いものを発見しても、認められるまで、努力するのは そう簡単なことではないように感じられる。
最後に 研究の最も大事な心を 2014.3.11ブログに書いた記事を編集して記して置こう:
特異点解明の歩み100/0=0,0/0=0:関係者: 独断と偏見、人類の知能
ふと思い浮かんだ: 天才少年の質問(再生核研究所声明 9: 天才教育の必要性を訴える ):
0.999…. = 1 の意味は、何か
当時8歳の少年でした。私は だれをも納得させる明快な解答を与えたが、相当な、国内外の相当な数学者に尋ねたが これまで誰からも満足する解答を得なかった。これは 知識で、学んでいて 理解が薄っぺらなことを言っているのではないだろうか。少しも、真智を求めては来なかった:
― 哲学とは 真智への愛 であり、真智とは 神の意志 のことである。哲学することは、人間の本能であり、それは 神の意志 であると考えられる。愛の定義は 声明146で与えられ、神の定義は 声明122と132で与えられている。― 再生核研究所声明148.(もっとも何でも は 究められない)
それ故に、ゼロで割る考えが 思い浮かばなかったのでは。人類の知能は その程度である。真智を求めている者は 世に稀であり、多くは断片的な世界に閉じこもり、埋没し、自己さえ見失っている。また、日常生活に埋没していると言える。
以 上
再生核研究所声明 116(2013.5.1): 宇宙空間、星間交流から人間を考える
(1200光年先にようやく生物の存在可能な天体が3つ見つかったという。孤独な地球。かけがいの地球。そこで、何とか地球外生物と交信したいものである。どうしたら、できるだろうか。2013.4.20.16:20 その方法に気づく。慎重に検討して、いずれ提案したい。)
まず、広い宇宙空間において、地球だけが例外で、生物や人間のような知的な生物が存在すると考えるのは 無理があるのではないだろうか。広い宇宙には 人間を越えた知的な生物が存在すると考える。そう感じる。
しかしながら、現代物理学の定説によれば、光より 電波より、早く伝達する手段は無いから、地球上の生物が 人間存在の原理に基づいて(再生核研究所声明 32 : 夜明け ― ノアの方舟)、宇宙空間に進出し、人間の存在領域を拡大しようとしても 広大な宇宙からみれば、それは限られ、地球外生物との直接的な交信、交流は当分、厳しい状況にあると言える。
そこで、発想を逆転させ、宇宙空間交流を意図するには、宇宙空間全体を この地球上に実現すればよいということになる。すなわち あらゆる生命の原理を究明し、一般原理、普遍原理によって、あらゆる可能性を究明して、対応することが出来ると考える。
地球は 宇宙の小さな部分であるが、しかしながら、地球は宇宙全体を 人間の知的な活動によって 包み込むことができると考える。これは一つも矛盾ではなく、部分が全体に等価であるは、数学の世界でも 無限な世界や、解析関数の概念にも存在する。― すなわち、 解析関数の全体の情報は、解析的な どんな点の小さな部分にも、反映されていて、そこから、全体の情報を取り出すことも出来る と なっている。また、エルゴート性の概念も同じような思想になっていると考えられる。
そもそも、対話、交流、愛とは何か と問えば、世界とは、自己の世界に映ったすべて であるとも言い得る。さらに、個々の人間の話題、知識、認識は 狭く限られ、実際多くの考えられるすべての対話は、この地球上に生存する、生物、何十億の人間との対話で、十分可能であると考えられる。さらに、論理的な思考を働かせれば、普遍的な原理によって 人間のあらゆる対話に対する反響は、宇宙空間に問うまでもなく、十分な反響を得ることが出来るだろう。そもそも対話とは、自問自答であるとも言える。実際、自己の内部も 広大な宇宙と同じように無限に広がり、それは全宇宙さえも包み込む存在であるとも考えられる。人間の存在とは、内なる広大な世界と 外なる広大な世界のはざまに存在する、ふらふらした曖昧な 心に代表されるような存在であると言える。
それ故に、この地球上に 生体系を豊かにして、個性を 重んじた多様な世界を築くことによって、実際には 宇宙空間における交流の困難性は 克服できると考える。
結論は、あらゆる生命の存在と存在の可能性を明らかにすることによって この地球上に宇宙を取り組むことによって、宇宙空間交流は 実現できると考える。
そのとき、宇宙間交流の手段とは、もはや光でも電波でもなく、時間にも、空間にも、宇宙にも、エネルギーにも無関係な 数学である と言える。数学こそが 生命の客観的な表現であると言える ― (数学とは何か ― 数学と人間について 国際数理科学協会会報、No. 81/2012.5, 7―15 No.81, May 2012(pdf 432kb))。
以 上
再生核研究所声明150(2014.3.18) 大宇宙論、宇宙など小さい、小さい、the universe について
(この声明は、最近の特異点解明: 100/0=0, 0/0=0 の研究の進展に伴って 自然に湧いた構想である)
この声明の趣旨は、いわゆる物理学者が考えている宇宙、― 宇宙はビッグバンによって、誕生したという宇宙論を ニュートン力学と同様、幼き断片論と位置づけ、はるかに大きな the universe を志向し、アインシュタインを越えた世界、さらに 古代から続いてきた暗い人類の歴史に 明るい光を灯し、夜明けを迎える時代を切り拓きたいということである。 既に裏付ける思想は 一連の再生核研究所声明で確立していると考える。 ニュ-トン、アインシュタイン、数学の天才たちも、特異点の基本的な性質さえ捉えていなかったことは、明らかである。
簡単な基本、100/0=0,0/0=0 を発見した、精神、魂からすれば、新しい世界史を開拓する思想を語る資格があることの、十分な証拠になると考える。 実際、 - 古来から 続いてきた、人生、世界の難問、人生の意義、生と死の問題、人間社会の在り様の根本問題、基本概念 愛の定義、また、世界の宗教を統一すべく 神の定義さえ きちんと与えている。
The universe について語るとき、最も大事な精神は、神の概念を きちんと理解することである:
そもそも神とは何だろうか、人間とは何だろうか。 動物たちが美しい月をぼんやりと眺めている。 意識はもうろうとしていて、ほんにぼんやりとしか とらえられない。 自らの存在や、ものごとの存在すら明瞭ではない。
人間も、殆ど 同じような存在ではないだろうか。 人類よ、人間の能力など 殆ど動物たちと変わらず、 ぼんやりと世界を眺めているような存在ではないだろうか。 神も、一切の存在も観えず、ただかすかに感じているような存在である。 それゆえに、人間は あらゆる生物たちのレべルに戻って 生物たちから学び、 また原始人に戻って、また子供たちのように 存在すれば 良いと言えるのではないだろうか(再生核研究所声明 122: 神の存在と究極の信仰 - 人間よ 想い煩うことはない。 神は存在して、一切の存在と非存在を しっかりと支えられておられる、 人は必要なときに必要なだけ、 念じるだけで良い; 再生核研究所声明 132 神を如何に感じるか - 神を如何に観るか)。
すなわち、人間よ おごるなかれ、人類の知能など 大したことはなく、内乱や環境汚染で自滅するだろう、と危惧される。
昨年は 数学の存在と物理学が矛盾し、数学とは何かと問うてきた。
数学とは何か ― 数学と人間について
国際数理科学協会会報、No. 81/2012.5, 7―15
No.81, May 2012(pdf 432kb)
に公刊したが、そこで触れた、数学の神秘性については さらにその存念を深め、次のように問うている:
誰が数学を作ったのか? (再生核研究所声明 128: 数学の危機、末期数学について)
時間にもよらず、エネルギーにもよらない世界、それは、宇宙があるとき始まったという考えに 矛盾するものである。 無から世界が創造されたということも 受け入れがたい言明であろう。さらに、the universe には、物理学が未だに近づけない、生命や生命活動、人間の精神活動も歴然として有ることは 否定できない。音楽、芸術に感動している人間の精神は the universe の中に歴然と有るではないか。
ビッグバンで ゼロから、正の量と負の量が生じたとしても、どうしてビッグバンが生じたのか、何が生じせしめたかは 大きな課題として残っている。 数学の多くの等式は 数学を越えて、the universe で論じる場合には、その意味を,解釈をきちんとする必要がある。 The universe には 情報や精神など、まだまだ未知のものが多く存在しているのは当然で、それらが、我々の知らない法則で ものや、エネルギーを動かしているのは 当然である。
そこで、100/0=0,0/0=0 の発見を期に、今やガリレオ・ガリレイの時代、天動説が 地動説に代わる新しい時代に入ったと宣言している。The universe は 知らないことばかりで、満ちている。
以 上
ゼロの発見には大きく分けると二つの事が在ると言われています。
一つは数学的に、位取りが出来るということ。今一つは、哲学的に無い状態が在るという事実を知ること。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1462816269
もし1+1=2を否定するならば、どのような方法があると思いますか? http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12153951522 #知恵袋_
一つの無限と一つの∞を足したら、一つの無限で、二つの無限にはなりません。
天動説・・・・・・∞
地動説・・・・・・0
地球平面説→地球球体説
天動説→地動説
何年かかったでしょうか????
1/0=∞若しくは未定義 →1/0=0
何年かかるでしょうか????
割り算のできる人には、どんなことも難しくない
世の中には多くのむずかしいものがあるが、加減乗除の四則演算ほどむずかしいものはほかにない。
ベーダ・ヴェネラビリス
数学名言集:ヴィルチェンコ編:松野武 山崎昇 訳大竹出版1989年
1÷0=0 1÷0=∞・・・・数ではない 1÷0=不定・未定義・・・・狭い考え方をすれば、できない人にはできないが、できる人にはできる。
数学で「A÷0」(ゼロで割る)がダメな理由を教えてください。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411588849 #知恵袋_
割り算を掛け算の逆だと定義した人は、誰でしょう???
multiplication・・・・・増える 掛け算(×) 1より小さい数を掛けたら小さくなる。 大きくなるとは限らない。
0×0=0・・・・・・・・・だから0で割れないと考えた。
唯根拠もなしに、出鱈目に言っている人は世に多い。
ゼロ除算(100/0=0, 0/0=0)が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか・・・・
1+1=2が当たり前のように
ゼロ除算の証明・図|ysaitoh|note(ノート) https://note.mu/ysaitoh/n/n2e5fef564997
Q)ピラミッドの高さを無限に高くしたら体積はどうなるでしょうか??? A)答えは何と0です。 ゼロ除算の結果です。
ゼロ除算は1+1より優しいです。 何でも0で割れば、0ですから、簡単で美しいです。 1+1=2は 変なのが出てくるので難しいですね。
∞÷0はいくつですか・・・・・・・
∞とはなんですか・・・・・・・・
分からないものは考えられません・・・・・
宇宙消滅説:宇宙が、どんどんドン 拡大を続けると やがて 突然初めの段階 すなわち 0に戻るのではないだろうか。 ゼロ除算は、そのような事を言っているように思われる。 2015年12月3日 10:38
Reality of the Division by Zero z/0 = 0
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://okmr.yamatoblog.net/
Mathematics is the alphabet with which God has written the Universe.
数学は神が宇宙を書いたアルファベットだ
Mathematics is the key and door to the sciences.
数学は、科学へとつながる鍵とドアである
This book is written in the mathematical language, and the symbols are triangles, circles and other geometrical figures, without whose help it is impossible to comprehend a single word of it; without which one wanders in vain through a dark labyrinth.
宇宙は数学という言語で書かれている。そしてその文字は三角形であり、円であり、その他の幾何学図形である。これがなかったら、宇宙の言葉は人間にはひとことも理解できない。これがなかったら、人は暗い迷路をたださまようばかりである
ガリレオ・ガリレイさんの名言・格言・英語 一覧リスト
http://iso-labo.com/labo/words_of_GalileoGalilei.html
再生核研究所声明 264 (2015.12.23): 永遠とは何か ― 永遠から
現代人は 空間とは 座標軸で表される数の組の集合 で表させるものと発想しているだろう。 基礎である直線は 実数を直線上に並べたもの、逆に直線とは 実は 実数全体の表現と考えられる。 すなわち、直線とは 基準点である原点ゼロから、正方向と負方向に正の実数と負の実数が大小関係で順序づけられ無限に双方向に伸びていると考えられる。
そこで、永遠とは 直線に時間を対応させ、限りなく正方向に進んだ先のことを 想像している。どこまでも どこまでも 先に行けばどうなるだろうか。直線上でも、平面上でも である。 砂漠の伝統を有する欧米文化の背景、キリスト教などの背後には、 永遠とは限りなく 果てしなく先にあると発想しているという。 どこまでも、どこまでも きりのない世界である。 ユークリッド幾何学が そのような空間を考えていることは確かである。
ところが四季に恵まれたアジアの民は、限りなく広がる世界に、不安や淋しさを直感して、 正の先と、負の先が一致していて、直線は円で どこまでも どこまでも行くと反対方向から、現在に至り、永遠は繰り返しであると、四季の繰り返し、天空の繰り返し、円運動のように発想して 仄かな安心感を覚えているという。永劫回帰、輪廻の思想を深く懐いている。実に面白いことには 美しい複素解析学では、立体射影の考えによって、直線を球面上の円と表現し、無限遠点の導入によって、 これらの思想を 数学的に厳格に実現させ、全ユークリッド平面の全貌を捉え、無限の彼方さえ捉えることが出来た。 その時 永遠を 確かに捉え、掴むことさえ出来たと言える。立体射影による球面上の北極に 確かに存在すると言える。素晴しい、数学を手に入れていた。この美しい数学は 100年以上もリーマン球面として、複素解析学の基本となってきている。
ところが2014.2.2偶然に発見されたゼロ除算の結果は、この無限遠点が 実は原点に一致していた という衝撃的な事実を述べていた。 永遠、無限の彼方と想像していたら、それが 実は原点に戻っていたという事実である。 それが我々の数学であり、ユークリッド空間の実相である。幾何学の性質や物理的な法則をきちんと説明している、我々の世界の数学である。
それで、永遠や無限遠点、我々の空間の 十分先の考え方、発想を考える必要がある。
無限の先が原点に一致している事実、それを如何に理解すべきであろうか。
それについて、 次のように解説してきた:
再生核研究所声明232(2015.5.26)無限大とは何か、無限遠点とは何か。― 驚嘆すべきゼロ除算の結果
再生核研究所声明257 (2015.11.05) 無限大とは何か、 無限遠点とは何か ー 新しい視点
再生核研究所声明262 (2015.12.09) 宇宙回帰説 ― ゼロ除算の拓いた世界観
新しい世界観は 始まりから始まり 最後には 突然戻るということを述べている。 しからば、始めとは何で 終りとは何だろうか。 これについて、 始めも終わりも、質的な変化であると定義できるのではないだろうか。 簡単な数学で万物、universe の現象を説明するのは難しい状況は確かにあるだろう.しかし、ゼロ除算の思想は、新羅万象が絶えず変化して 繰り返している様を表現しているように感じられる。
大事な人生の視点は 今日は 明日のためや遠い未来のためにあるのではなく、 現在、現在における在るべき適切な在りようが大事だと言っているようである。もちろん、現在は、未来と過去に関係する存在であり、それらは関係付けられ、繋がっているが 焦点はもちろん、 現在にあるということである。
ビッグバンの宇宙論は 適切に理解され、始めとは 大きな変化で 現状の元が始まり、
やがて突然、元に戻って 終わることを暗示しているようである。人生とは 要するに 内なる自分と環境に調和するように在れ と ゼロ除算は言っているようである。
ゼロ除算は 仏教の偉大なる思想 を暗示させているように感じられる。
以 上
Reality of the Division by Zero z/0 = 0
http://www.ijapm.org/show-63-504-1.html
http://okmr.yamatoblog.net/
Impact of 'Division by Zero' in Einstein's Static Universe and ...
gsjournal.net/Science-Journals/.../Download/2084
このページを訳す
Impact of 'Division by Zero' in Einstein's Static Universe and Newton's Equations in Classical Mechanics. Ajay Sharma physicsajay@yahoo.com. Community Science Centre. Post Box 107 Directorate of Education Shimla 171001 India.
http://gsjournal.net/Science-Journals/Research%20Papers-Relativity%20Theory/Download/2084
0 件のコメント:
コメントを投稿