非ユークリッド幾何学と一般相対性理論
1915年にアインシュタインは、重力の理論として、一般相対性理論を発表した。宇宙空間の構造を解くための理論である。特殊相対性理論によって、時間と空間は人間が想定した概念ではなく、具体的な物理の対象になった。一般相対論を理解するためには、非ユークリッド幾何学(=リーマン幾何学)という数学を知る必要があるが、ひとことで言えば、曲がった空間における幾何学のことである。ここで、「曲がった」ということを、正確に記述することは、なかなか難しい。ギリシャ時代のユークリッドが定式化した「公理」の中で、一つだけ「トリビアル」(当たり前)ではなかった。
ユークリッド幾何学公理のひとつ:平面において、直線以外の一点を通り、その直線に平行な直線は1つしかない。
非ユークリッド幾何学の場合、この公理は成り立たない。それでは、ユークリッド幾何学が誤りであるかといえば、そうではない。それは、平面や直線の概念も一般化して理解されなくてはならないからだ。
線分の長さをLとすると、ピタゴラスの定理から、xyzの3次元空間において、
(1)
と表すことができて、ここではそれぞれ直交座標で測られた線分の端から端への変位
(2)
である。これは、直線の長さで、一般に曲線の長さは、
(3)
で計算できる。そのアイデアは、あらゆる曲線は、無限小の直線線分の和という考えである。基本は、微分にあって、線素は、(3)式から、
(4)
と書けるが、より一般的に表現すれば、
(5)
と書くことが出きる。ここで、をメトリックまたは計量テンソルとよぶ。但し、、、及びと読みなおした。(4)式と比較すれば明らかに、
(6)
であり、それ以外の添字μ、νのメトリックの値は、0である。
(7)
ここで、非ユークリッド幾何学では、これら(6)(7)式は、成り立たない幾何学ということができる。即ち、逆に(6)と(7)式は、「まっすぐな空間」ユークリッド幾何学を特徴づけている式と言える。
我々の住んでいるこの宇宙空間は、曲がっているのか?
曲がっているのか、曲がっていないのかを知ることは、上で議論してきたように、計量テンソルが(6)(7)式を満たしているのか、満たしていないのかを知ることと同じである。従って、計量テンソルを決定する方程式を作る必要がある。実は、その方程式が、アインシュタインの一般相対論における、重力方程式(アインシュタイン方程式)になる。
(8)
ここで、はメトリック、はエネルギー運動量テンソル、はリッチテンソル、はリッチスカラー、は、宇宙定数とそれぞれ呼ばれている。
アインシュタイン方程式にエネルギー運動量テンソルと宇宙定数を代入し、(8)を解けば、計量テンソルを求める事ができる。次に、求まった計量テンソルから、空間がどのように曲がっているのかを探ってみよう。
計量テンソルから、どのようにして空間が曲がっているのかを知る。
空間が曲がっていることをイメージすることは、我々が住んでいる3次元空間で想像するのは、難しい。曲がった2次元空間を想像してみよう。すなわち、曲がった面、曲面を想い浮かべればよい。大きく分けて、曲がり方には2種類ある。ひとつは球面のように曲がる場合と乗馬のサドル(双曲面)のような曲がり方である。2次元の世界を(x、y)とし、3次元空間(x、y、z)からそれを眺める事にしよう。
1) 球面の場合 (曲率が正の場合)
球の方程式は、その半径をRとすれば、
(9)
と書ける。(x、y、z)を極座標で表すと、良く知られているように、
(10)
で表される。これらを(9)式に代入すると、
(11)
を得る。これは、極座標で表した球の方程式である。一方、この球面上の計量を計算してみよう。(10)は、(11)によって、
(12)
と書けるから、球面での変数は、との2つになる。偏微分を用いて、dx、dy、dzを計算すると、
(13)
これを(4)式に代入すれば、距離dLは、
* (14)
となる。ここで、球面上の座標をz軸からの距離として、と選べば、(但、(10)式で導入した極座標のrとは異なる。)(14)式は、を使って、
(15)
を得る。Rを曲率半径、またを、曲率という。
2) 双曲面の場合 (曲率が負の場合)
双曲面の方程式は、パラメーターR(定数)を使って、
(16)
で与えられる。(x、y、z)を双曲線座標を使って、表すと、
(17)
となる。は、双曲線関数で、次式を満たす。
(18)
(17)式は、これらを用いると、(11)式と同じく、
* (19)
を得る。双曲面内の線素は、(4)式ではなく、の前の符号が負になる。
(20)
と書けて、 を座標に選ぶと、
(21)
を得る。ここで、となり、曲率は負になる。
3)3次元空間の場合
以上を2次元を3次元、3次元を4次元と拡張すれば、曲がった3次元空間を考える事ができる。すなわち、4次元球を考えると、
(22)
を満たす式から始めればよいし、4次元双曲面の場合は、
(23)
となる。それぞれの場合について、考察する。
a) 4次元球の場合
(24)
と置けるから、
(25)
と書ける。但し、の座標で表す。
b)4次元双曲面の場合
(26)
と置けて、
(27)
と書け、但し、の座標で表す。(25)式と(27)式を比較して分るように、曲率は、4次元球について正を選び、4次元双曲面については、負になる事が分る。
ロバートソン・ウォーカー時空
特殊相対性理論は、時間と空間は相対的なものだと教えている。上述してきた長さLの線素も不変ではない。時空間において不変な長さに対応する量「固有時」の考えが導入された。固有時sは、次のように定義される。時空間の2点において、
(28)
と表せて、微分量は、
(29)
と与えられる。cは光速。これらは特殊相対性理論の下で不変量である。時空のメトリックが定義され、とした場合(肩の数字は、累乗ではなく添字)、それは、
(30)
となり、添字が異なる場合は、=0である。一般相対論になると、計量テンソル=メトリックはこれからずれてしまう。空間の歪みと、時空が、スケール因子によって、膨張する様に固有時を拡張すれば、(29)式は、
(31)
となり、(15)式を用いれば、
(32)
と一般化できる。これをロバートソン・ウォーカー時空とよぶ。http://www.mns.kyutech.ac.jp/~kamada/generalrel.htm
再生核研究所声明306(2016.06.21) 平行線公理、非ユークリッド幾何学、そしてゼロ除算
表題について、山間部を散歩している折り新鮮な感覚で、想いが湧いて来た。新しい幾何学の発見で、ボーヤイ・ヤーノシュが父に言われた 平行線の公理を証明できたら、地球の大きさ程のダイヤモンドほどの値打ちがあると言われて、敢然と証明に取り掛かった姿とその帰結である。また、ユークリッドが海岸を散歩しながら幾何学を建設していく情景が鮮やかに想い出された(Liwanovaの『新しい幾何学の発見』(のちに『ロバチェフスキーの世界』と改題)(東京図書刊行)。この件、既に声明に述べているので、まずは確認したい:
再生核研究所声明292(2016.03.25) ユークリッド幾何学、非ユークリッド幾何学、平行線公理、そしてゼロ除算(2016.3.23 朝、目を覚まして、情念と構想が閃いたものである。)
まず基本語をウイキペデアで確認して置こう:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%B9
アレクサンドリアのエウクレイデス(古代ギリシャ語: Εὐκλείδης, Eukleídēs、ラテン語: Euclīdēs、英語: Euclid(ユークリッド)、紀元前3世紀? - )は、古代ギリシアの数学者、天文学者とされる。数学史上最も重要な著作の1つ『原論』(ユークリッド原論)の著者であり、「幾何学の父」と称される。プトレマイオス1世治世下(紀元前323年-283年)のアレクサンドリアで活動した。『原論』は19世紀末から20世紀初頭まで数学(特に幾何学)の教科書として使われ続けた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%9E%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%89%E5%
非ユークリッド幾何学の成立: ニコライ・イワノビッチ・ロバチェフスキーは「幾何学の新原理並びに平行線の完全な理論」(1829年)において、「虚幾何学」と名付けられた幾何学を構成して見せた。これは、鋭角仮定を含む幾何学であった。ボーヤイ・ヤーノシュは父・ボーヤイ・ファルカシュの研究を引き継いで、1832年、「空間論」を出版した。「空間論」では、平行線公準を仮定した幾何学(Σ)、および平行線公準の否定を仮定した幾何学(S)を論じた。更に、1835年「ユークリッド第 11 公準を証明または反駁することの不可能性の証明」において、Σ と S のどちらが現実に成立するかは、如何なる論理的推論によっても決定されないと証明した。
ユークリッド幾何学は 2000年を超えて数学及び論理と あらゆる科学の記述の基礎になってきた。その幾何学を支える平行線の公理については、非ユークリッド幾何学の成立過程で徹底的に検討、議論され、逆に 平行線の公理がユークリッド幾何学の特徴的な仮定(仮説)で証明できない公理であることが明らかにされた。それとともに 数学とは何かに対する認識が根本的に変わり、数学とは公理系(仮説系)の上に建設された理論体系であって、絶対的な真理という概念を失った。
ここで焦点を当てたいのは 平行線の概念である。ユークリッド幾何学における平行線とは 任意の直線に対して、直線上以外の点を通って、それと交わらない直線のことで、平行線がただ1つ存在するというのがユークリッドの公理である。非ユークリッド幾何学では、そのような平行線が全然存在しなかったり、沢山存在する幾何学になっており、そのような幾何学は 実在し、現在も盛んに利用されている。
この平行線の問題が、ゼロ除算の発見1/0=0、台頭によって 驚嘆すべき、形相を帯びてきた。
ユークリッド自身、また、非ユークリッド幾何学の上記発見者たち、それに自ら深い研究をしていた天才ガウスにとっても驚嘆すべき事件であると考えられる。
何と ユークリッド空間で 平行線は ある意味で全て原点で交わっている という、現象が明らかにされた。
もちろん、ここで交わっていることの意味を 従来の意味にとれば、馬鹿馬鹿しいことになる。
そこで、その意味をまず、正確に述べよう。まずは、 イメージから述べる。リーマン球面に立体射影させると 全ユークリッド平面は 球面から北極点を除いた球面上に一対一に写される。そのとき、球面の北極点に対応する点が平面上になく、想像上の点として無限遠点を付け加えて対応させれば、立体射影における円、円対応を考えれば、平面上の平行線は無限遠点で交わっているとして、すっきりと説明され、複素解析学における基本的な世界観を与えている。平行線は無限遠点で 角ゼロ(度)で交わっている(接している)も立体射影における等角性で保証される。あまりの美しさのため、100年を超えて疑われることはなく、世の全ての文献はそのような扱いになっていて数学界の定説である。
ところがゼロ除算1/0=0では 無限遠点は空間の想像上の点として、存在していても、その点、無限遠点は数値では ゼロ(原点)に対応していることが明らかにされた。 すなわち、北極(無限遠点)は南極(原点)と一致している。そのために、平行線は原点で交わっていると解釈できる。もちろん、全ての直線は原点を通っている。
この現象はユークリッド空間の考えを改めるもので、このような性質は解析幾何学、微積分学、複素解析学、物理学など広範に影響を与え、統一的に新しい秩序ある世界を構成していることが明らかにされた。2200年を超えて、ユークリッド幾何学に全く新しい局面が現れたと言える。
平行線の交わりを考えてみる。交わる異なる2直線を1次方程式で書いて、交点の座標を求めて置く。その座標は、平行のとき、分母がゼロになって、交点の座標が求まらないと従来ではなっていたが、ゼロ除算では、それは可能で、原点(0,0)が対応すると解釈できる。ゼロ除算と解析幾何学からの帰結である。上記幾何学的な説明が、ゼロ除算で解析幾何学的にも導かれる。
一般の円の方程式を2次関数で表現すれば、(x^2+y^2) の係数がゼロの場合、直線の一般式になるが、ゼロ除算を用いると、それが保証されるばかりか、直線の中心は 原点である、直線も点円も曲率がゼロであることが導かれる。もちろん、ゼロ除算の世界では、全ての直線は原点を通っている。このとき、原点を無限遠点の映った影ともみなせ、原点はこのような意味で もともとの原点とこの意味での点としての、2重性を有し、この概念は今後大きな意味を有することになるだろう。
ゼロ除算1/0=0は ユークリッド幾何学においても、大きな変革を求めている。
以上
上記で、数学的に大事な観点は、ユークリッド自身そうであったが、平行線公理は真理で、証明されるべきもの、幾何学は絶対的な真理であると非ユークリッド幾何学の出現まで、考えられてきたということである。2000年を超える世界観であった事実である。そこで、平行線の公理を証明しようと多くの人が挑戦してきたが、非ユークリッド幾何学の出現まで不可能であった。実は、証明できない命題であったという全く意外な帰結であった。真に新しい、概念、世界観であった。証明できない命題の存在である。それこそ、世界観を変える、驚嘆すべき世界史上の事件であったと言える。
この事件に関してゼロ除算の発見は、全く異なる世界観を明らかにしている。ユークリッドそして、非ユークリッド幾何学の3人の発見者にとって、全く想像ができなかった、新しい事実である。平行線が 無限の先で交わっているとは ユークリッドは考えなかったと思われるが、近代では、無限の先で交わっていると考えられて来ている。― これには、アーベル、オイラー、リーマンなどの考えが存在する。このような考えは、ここ100年以上、世界の常識、定説になっている。ところがゼロ除算では、無限遠点は 数ではゼロが対応していて、平行線は代数的に原点で交わっている、すべての直線は代数的に原点を通っているという解釈が成り立つことを示している。
ユークリッドの幾何学の建設時の想い、ボーヤイ・ヤーノシュの激しい挑戦の様を、 想い を 深く、いろいろ想像している。
以 上
再生核研究所声明297(2016.05.19) 豊かなゼロ、空の世界、隠れた未知の世界
ゼロ除算の研究を進めているが、微分方程式のある項を落とした場合の解と落とす前の解を結び付ける具体的な方法として、ゼロ除算の解析の具体的な応用がある事が分かった。この事実は、広く世の現象として、面白い視点に気づかせたので、普遍的な現象として、生きた形で表現したい。
ある項を落とした微分方程式とは、逆に言えば、与えられた微分方程式はさらに 複雑な微分方程式において、沢山の項を落として考えられた簡略の微分方程式であると考えられる。どのくらいの項を落としたかと考えれば、限りない項が存在して、殆どがゼロとして消された微分方程式であると見なせる。この意味で、ゼロの世界は限りなく広がっていると考えられる。
消された見えない世界は ゼロの世界、空、ある隠された世界として、無限に存在していると考えられる。たまたま、現れた項が 表現する物理現象を記述していると言える。
これは、地球に繁茂する動植物が、大海や大地から、生まれては、それらに回帰する現象と同様と言える。大量に発生した卵の極一部がそれぞれの生物に成長して、やがて元の世界に戻り、豊かな大海や大地は生命の存在の元、隠れた存在の大いなる世界であると考えられる。無数の生命の発生と回帰した世界の様は 生物、生体の様の変化は捉えられても、人間の精神活用や生命の生命活動の様の精しい様などは 殆ど何も分からない存在であると言える。我々の認知した世界と発生して来た世界と消えて行った認知できない世界である。
このような視点で、人間にとって最も大事なことは 何だろうか。それは、個々の人間も、人類も 大きな存在の中の小さな存在であることを先ず自覚して、背後に存在する大いなる基礎、環境に畏敬の念を抱き、謙虚さを保つことではないだろうか。この視点では日本古来の神道の精神こそ、宗教の原点として大事では ないだろうか。未知なる自然に対する畏敬の念である。実際、日本でも、世界各地でも人工物を建設するとき、神事を行い、神の許しを求めてきたものである。その心は大いなる存在と人間の調和を志向する意味で人間存在の原理ではないだろうか。それはそもそも 原罪の概念そのものであると言える。
しかしながら、人類が好きなように生きたいも道理であり、巨大都市を建設して、環境を汚染して生存を享受したいも道理であるから、それらの一面も否定できず、それは結局全体的な有り様の中でのバランスの問題ではないだろうか。人類の進化の面には必然的に人類絶滅の要素が内在していると考えられる:
再生核研究所声明 144(2013.12.12) 人類滅亡の概念 - 進化とは 滅亡への過程である
そこで、結局は全体的な調和、バランスの問題である:
再生核研究所声明 56: アースデイ の理念
発想における最も大事なことに触れたが、表現したかった元を回想したい。― それは存在と非存在の間の微妙な有り様と非存在の認知できない限りない世界に想いを致す心情そのものであった。無数とも言える人間の想いはどこに消えて行ったのだろうか。先も分からず、由来も分からない。世の中は雲のような存在であると言える。
以 上
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