2016年6月22日水曜日

再生核研究所声明307(2016.06.22) 見かけ、表装と内実、実質

再生核研究所声明307(2016.06.22) 見かけ、表装と内実、実質

相当に高級な内容を記述しようと発想したのであるが、表現が難しいことに気づいた。そこで、表現し易い例で解説を始めよう。
選挙や代表者の投票などでは、どうしても格好の良さや感じの良さに惹かれて投票してしまう例が多いのでは ないだろうか。性格や感覚的な好みに惹かれるからである。ところが投票される者には特別な役割があって、その役割を果たすのに適任か否かを判断するのが 本来投票のあるべき姿であるとも言える。まさか、スポーツの代表選手の選出に 格好の良さや、感じの良さで選出することはないだろうが、政治家の選出などでは相当にちぐはぐになる、判断する場合は多いのではないだろうか。タレント候補者などで、本当に着く職務を果たすのに適任者か否か大いに疑問が湧く場合が多いのではないだろうか。分かり易い例として スポーツの監督者や解説者と 現役時代の実績の関係など、本来異なる才能ではないだろうが、混同してしまう傾向があるのではないだろうか? 学術の世界でも、創造的な業績をなしたものと、評価できる能力には異なる面があるのではないだろうか。芸術の世界でも、そのような観点で考察する必要があるのではないだろうか。いろいろな 権威の基 についても考察を深めることが大事ではないだろうか。この観点では、投票で、民主的に考えるも基本的な問題を抱えていると言える。良い政策か否かを素人集団で ただ投票で決めれば良いは本質的な問題を抱えていると考えるべきである。
表装と内実と捉えると、世の多くの問題に、問題を普遍化できる。現れた情報で、内実を推し量る、判断するからである。現れた情報には意図的に作られたり、歪められたり、虚偽に演じられたりする場合は多い。演出と実際、現実の乖離を心配している。
現在は、評価、評価と 賑やかであるが、評価に客観性を与えようとして、多くを数値化する傾向が強いが その数値化が評価の実態を上手く表現しているかは 大いに問題ではないだろうか。 それで、 いろいろなランキングの公表の 世界的な風潮には 大いに警戒したい。実際と現れたものの乖離、本末転倒のような現象が 世に多く現れているのではないだろうか。少し、時代が経てば、愚かなことをしていたとなりかねないことが多いのではないだろうか。
この声明の趣旨は 表装と内実の観点から、上辺だけに気を取られないで、本来のことに思いを致そうということである。見かけに囚われないように気をつけようということである。本末転倒の現象や、見かけと実質の乖離を見出して、判断や観測能力を高めたい。軽薄な世相にならないように気を付けたい。
物事の本質を見るようにしよう、本来のあるべき姿を求めていこう。もともとの在るべき姿、存り様を追求して行こうと纏められるだろう。初心や初期の精神を尊重したい。
以 上

2016.6.19.15:30
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2016.6.20.05:35 梅雨晴れの朝、妹に事故を知らされる。燕が巣立つ。
2016.6.20.06:50
2016.6.20.13:45
2016.6.20.18:44 近所で蛍が出ていると聞いてきた。 散歩で。
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2016.6.21.22:20
2016.6.22.05:40 曇り、完成、公表。

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