2016年6月23日木曜日

SNSと数学を使ってテロを予測できるか? 2016.06.22 14:00 見る

SNSと数学を使ってテロを予測できるか?
2016.06.22 14:00
見る



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ソーシャルメディア上でのISIS(イスラム国)賛同派の動きを1年ほど研究したグループが、ISIS攻撃を事前に予測するアルゴリズムを考えついたといいます。

グループが解析したのはロシア版FacebookといわれるVKontakte。利用するユーザー層が幅広く、ISISがリクルートしたがっているチェチェン人もいることから研究対象となりました。Scienceにて発表された研究では、彼らのアルゴリズムを使えば、2014年のシリアの街Kobaniへの爆撃を予想できたといいます。

ただ、2014年に起きた攻撃はKobaniだけでなく、その他にもたくさんありました。ニューヨーク大学ブレナン司法センターのFaiza Patelさんは「Kobaniの攻撃1つを予想し得たとしても意味を持たず、現時点では『予想アルゴリズム』とは言い難い」と、ネタ元のThe New York Timesに厳しい意見をよせています。まぁ、そのとおりですけどね。

この研究は、ISIS賛同派の小さなグループにフォーカスして行なわれており、特定の個人をトラッキングしたり、ソーシャルメディアの莫大なデータを解析したわけではありません。ゆえに研究チームも、このアルゴリズムがISIS対策として有効な手段だと考えているわけではありません。ただ、賛同派の小規模グループが、今後、大きなISIS勢力へ参加していくのを早い段階で食い止められるかもしれないという希望は持っているようです。

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アルゴリズム、つまり数学の力を借りてISISに対抗しようという考えは、今回が初めてではありません。他の研究者でも、この方法に目をつけている人がいるわけで。今後の研究しだいでは、あるいは…。


source: New York Times, Science

Angela Chen - Gizmodo US[原文]http://www.gizmodo.jp/2016/06/ssnsisis.html

再生核研究所声明301 (2016.05.23) 人間の愚かさ―人間の賢さ

再生核研究所では、もちろん、人間、社会、人生についていろいろな視点から意見表明をしてきている:
再生核研究所声明172(2014.8.5) 人間の愚かさについて
再生核研究所声明 180(2014.11.24) 人類の愚かさ ― 7つの視点
再生核研究所声明 273 (2016.01.06): つくられた人間 ― 人間とは何だろうか; 人生とは何か
作られた人間が、相当に運命づけられているのは歴然である。しかしながら、作られた存在で、定められていても それらに従う、 自分の様を反省して、やがて自分たちの存在、営みそのそのものが 愚かしいことと気づくようになるだろう。人間の基本的な有り様とは、本能原理によって、生きること、家族をもち、育児を行うこと、などが基本であるが、それらを可能にして、保証するために、健康維持の観点から、食、住、環境の整備、恋の問題や、愛の問題、社会内存在を安定させるために仕事や地位を確保、生活を軌道にのせるなど基本的なことに追われる生活を余儀なくされる。自由の存在であると言える状況は 中々難しく、人生で束縛された生活が永く続いているのではないだろうか。現在でも、自由な存在よりも、生きることに精一杯の状況が多いと言える。
円熟期に入って、退職などすれば、相当に生活環境が変わり、関心の対象も大きな変化を受ける。言わば夢中で環境の中で生きてきた過去が、ただ夢中な存在で、何をしていたのかと反省させられる。しかしながら、一途に真面目に生きてきた者は自らをいじらしい存在として、評価もでき、回想できる余裕が出てくるのではないだろうか。
恋も、仕事も、志も 思えば、愚かしいこと、人間の営みと表現しようとしたが、書き始めるや、そのような発想は良くなく、表現を変える必要性を感じてきた。作られた人間が、造物主の意思に逆らえず、造物主の意思に従って生きざるを得ない自らの定めを自覚して、人間は人生の大部分を夢中で生きるだろう。しかし、やがて、そのような存在に飽き飽きして、造物主の意思を超えて、自らの存在、本能をも否定できるようになれば、それは一種の解脱、超越、悟りのレヴェルに至る完成の域に達していると言えるのではないだろうか。人生を諒として、超越して行けるからである。そのときは、本能や人間存在の本質さえ、返上できる心境だからである。神と自然を超えた存在の域に達していると言える。
そもそも生物とは遺伝子の乗り物であるという現実を知って、生物は真剣にその使命を果たすように運命づけられている切ない存在であるが、それを知って、定めにしたがっている存在が人間の賢さであると言える。
この声明は始めに意図したものとは全然違う趣旨のものに ひとりでになってしまった。
以 上


再生核研究所声明263 (2015.12.11) テロや武闘の終焉を願って 

最近、過剰な批判を慎もうと提案し、声明

再生核研究所声明261 (2015.12.08) 全面的な批判は慎もう – 批判は具体的に、建設的に

の中で、最近起きた不幸なテロ事件にも言及し、― 最近起きたパリのテロ事件で、オランド大統領は これは戦争だと公言してISへ爆撃を開始した。これは適切であろうか。テロの背後、責任を有する者への懲罰としての攻撃になるだろうか。― もっともそのような発想は 既に間違いであるが

(再生核研究所声明 130 (2013.9.1): 復讐心も、競争心も、嫉妬心も空しい: 忠臣蔵の断罪を求める。― 世界中のテロリストをなだめる方法(宗教間と民族間))― 

同じように発想した 9.11ニューヨーク テロ事件の報復爆撃で、テロが逆に拡大した事実もあるのではないだろうか。多数の関係のない者を巻き込み、犠牲にしてはいないだろうか。

と述べ、さらに

より良い社会を築く原理は 相手の立場、気持ちに思いを致すことであると再生核研究所声明1で言明している ― 公正の原則。命を掛けて抵抗する者の気持ちを無視して、侮り、それを抹殺しようとすれば、逆にテロによって人類が絶滅する危険性もあるのではないだろうか。地球も人類も絶対ではなく、動物よりも劣る人類は 外なる原因ではなく、環境汚染や人口の爆発、テロなどによる自業自得による自滅の可能性が高いのではないだろうか。恥ずべき世界史を変え、夜明けを迎えたい。

と危惧の念を表明した。
ここでは、その危惧の念が、如何に馬鹿らしいか、武闘や争いの愚に言及し、恥ずべき人類の世界史を変え、夜明けを志向する道筋を示したい。
作用、反作用は普遍的な法則である。積極的平和などと公言して軍拡を始めれば、当然、対応する国々は関心を懐き、軍備を増長するのは、当然の自然な法則である。軍拡競争による、争いによる人類の絶滅の大きな原因になる、これは法則のようなものであるから、大きな暴力を得た人類にとっては、根源的に警戒、心すべきことである。公正の原則の基礎は、ちょうど逆の立場で、物事を考えるということである。反作用で、攻撃すれば、それ以上の反撃があると考えるべきである。もし、弱く、反撃できない者が、テロなどさまざまな反撃を考えるのは 当然である。自分の命が大事と思えば、相手も全く同様に考えるだろう。作用、反作用の原理をしっかり理解するのは、世界史の進化の必須の条件である。
特にテロ事件には、自らの命を犠牲にしても反撃、攻撃するという存念がある。そこまで思いつめさせた背景に思いがいかなければ、テロ事件の根本的な解決にはならないのではないだろうか。テロ事件では 報復爆撃、攻撃、対策費など膨大な経費を掛けているが、自制して、耐え、相手の言い分に耳を傾け、それらの経費を基礎的な援助に回せば、テロの背景を弱体化、馬鹿らしい、物騒なことを考える者がいなくなるのではないだろうか。
生物である人間が、国家でも民族でも自らを安全にしたいは 当然である。テロや武闘を無くす原理は、ゼロ除算の解明のように気づけば 実は簡単である。相手に自分と同じ世界が存在することをしっかり捉え、相手もまた、運命共同体、共生、共感する命ある仲間だと気づくことである。恥かしい、動物にも劣る人類の世界史の進化を志向したい。
欧米文化を支えている聖書の言葉をかみしめたい:

『新約聖書』マタイによる福音書第五章・ルカによる福音書第六章にあることば。汝の敵を愛せよ、は 自分の敵は憎むものだという世間の常識に対して、イエス・キリストは「自分を愛してくれる人を愛することは、誰にでもできる。悪意をもって自分を迫害する者にこそ、慈愛をもって接しなければならない」と戒めた(故事ことわざ辞典) この解説以上に 聖書の言葉は 真実そのもの であることを ゼロ除算は述べている。
美しい海を ここは われわれの縄張りだ と 軍艦などで対峙する 愚かな人間にはなりたくない。同じ世代にめぐり合わせた私たち、同じ定めを生きるものとして、共生感をもって、共感、共鳴して 楽しく生きたい。

以 上

再生核研究所声明261 (2015.12.08) 全面的な批判は慎もう ー 批判は具体的に、建設的に
具体例を上げて議論しよう。最近起きたパリのテロ事件で、オランド大統領は これは戦争だと公言してISへ爆撃を開始した。これは適切であろうか。テロの背後、責任を有する者への懲罰としての攻撃になるだろうか。― もっともそのような発想は 既に間違いであるが

(再生核研究所声明 130 (2013.9.1): 復讐心も、競争心も、嫉妬心も空しい: 忠臣蔵の断罪を求める。― 世界中のテロリストをなだめる方法(宗教間と民族間))― 

同じように発想した 9.11ニューヨーク テロ事件の報復爆撃で、テロが逆に拡大した事実もあるのではないだろうか。多数の関係のない者を巻き込み、犠牲にしてはいないだろうか。また、マイナンバー制度など 行政の無駄を省き 公正な社会の実現のためには 導入は当然であるにも関わらず、管理される事を嫌って、拒否運動が起きている。さらに一部の事実、報道をもって、受信料支払い拒否や、新聞購読の中止等呼びかけている者もいる。また、個人が犯した犯罪に対して、国家や国民への憎しみを増長させる悪しき意見表明も広がっている。
これらは、小さな部分を見て、それが全体のように誤解して批判を大きくしているとは言えないだろうか。 そもそも、個人の視野、能力は極めて限られていて、部分を見てそれを全体だと誤解しやすい状況は根元的に存在する。個人は所詮、単細胞的存在であることを肝に銘じたい(再生核研究所声明 69:  単細胞人間 ― 単細胞的思考)。
特に他を批判するときには、謙虚さを持って、批判は具体的、批判が相手に対して、参考になり、反省できるような形で行いたい。いわば揚げ足取りのような批判は所詮小者の卑小な人物のすることではないだろうか。無節制に批判を行えば、社会は暗いものになり、共生感に基づく喜びの感情、愛に満ちた美しい社会とは言えない。
特に、国家や民族を侮辱し、全面的な否定を意味するような言動は 厳に慎むべきである。どの様な国家にも民族にも多様な人々が存在していて、自分たちと同じような夢を描き、幸せを求めている事をしっかりと理解すべきである。友人や隣人、隣国を侮り、批判する世相は 美しい風土、自然環境、文化を有する日本国に ふさわしいものではないと考え、日本の一部の異常な意見表明に 嫌な感じを抱いている。

より良い社会を築く原理は 相手の立場、気持ちに思いを致すことであると再生核研究所声明1で言明している ― 公正の原則。命を掛けて抵抗する者の気持ちを無視して、侮り、それを抹殺しようとすれば、逆にテロによって人類が絶滅する危険性もあるのではないだろうか。地球も人類も絶対ではなく、動物よりも劣る人類は 外なる原因ではなく、環境汚染や人口の爆発、テロなどによる自業自得による自滅の可能性が高いのではないだろうか。恥ずべき世界史を変え、夜明けを迎えたい。
以 上

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